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カテゴリー「手芸」の29件の記事

2020年5月 5日 (火)

マスクづくり始める

シンシアの圧倒的なマスクづくりを絶賛したら、五枚もの手作りを送ってくれたので、取り換え引き換え愛用している。

悟ったのは、布マスクの心地よさだ。

 

緊急事態の延長でマスクはますます必需品、せめてものしゃれ心をこれに注ぐとするか、と決意して、ミシンを出し、マスク制作にとりかかった。

 

ネイビー系の外出着が多いので、薄いブルーの生地を裁断。オチャノコサイサイ、と思っていたが、どうしてどうして、手ごわい。マスク用のゴムひもを買い忘れたので、使用済みのマスクのものを切り取って使えばいいと、たかをくくっていたのだが、ひもがヤワだし長さが足りないので、最後に縫い代始末して中に通すというわけにいかず、上からミシン縫いしたら、これが大変、きれいな仕上げというわけにはいかない代物となった。

 

マスク用ゴム紐求めて自由が丘に行く。

幸い、自由が丘デパート中の『ピコ』にマスク用ゴム紐330円があって、やれうれしやとなった。

 

そして仕上げた二作目はまあまあのしあがり。Img_2608

 

ダブルガーゼの柄物がもっとほしいのだが、二子玉川のオカダヤはライズ内のほかの店同様営業していないらしい。

当分はありあわせで、やってみようと思う。あと薄いピンクの三重ガーゼがあるので、それも作るつもり。

 

ミシンは当分出しっぱなし。

久しぶりに洋裁も楽しや、の気分になった。

2020年4月 9日 (木)

シンシアのマスク

娘と同世代の若い友人のシンシアとは刺し子友達、吉浦先生のレッスンで通訳をしたことから親しくなった。

彼女を九品仏の浄真寺に案内したくて、自由が丘で会う約束をしたのが、三週間前、自粛要請が出た直後だったので、急遽、六本木でランチする計画に変更、ミッドタウンで会った。

そのとき彼女がマスク不足に不安を感じていて、自分で手作りしたいと思っていることを知り、あのオカダヤで仕入れたものを分けてあげると約束したのだった。

 

その約束を果たして、歓喜のメールはもらったのだが、彼女のブログに、なかなかマスク完成の記事が載らない。先日、日本に滞在しているアメリカ人に帰国を要請する記事を見て心配になった。マスク制作どころではない、帰国準備に追われて居るのではないか?と。

 

彼女はキルト作家としても知る人ぞ知るの素晴らしいブログをつくっているのだが、ついにきょう、マスク制作を果たした記事が更新された。

Photo_20200409105601  Photo_20200409105701 Photo_20200409105702

わたしはオカダヤでマスクにはダブルガーゼを推奨していることを語ったのだが、彼女は自分の手元にある、日本手ぬぐいなどのあまり切れで実験することを試みたかったらしい。それにしてもすごいヴァラエティである。

 

今やマスクはカルチャーになりつつある、と彼女は語っている。然り、である。中東で制作されたというまばゆいビーズをちりばめたものなどは、何かが違うと思わせられるが、コロナ危機のさなかでさえ、ささやかな手芸という女性の楽しみを、続けたいという思いは大きな共感をよびそうだ、とわたしは思った。

2019年10月 4日 (金)

キルト談義

数年ぶりにシンシアさんと麻布十番の『ブルー&ホワイト』で待ち合わせておしゃべりした。

彼女はキルト作家、吉浦先生の刺し子クラスで知り合った仲である。

今年の夏からおよそ三年、ご主人の駐在で日本に住むことになった彼女、indigoと称する日本の藍染めの生地でキルトと刺し子の組み合わせを楽しんでいる。

 

キルトの歴史はアメリカでは長く、最近ではキャリア疲れの女性が家庭に戻り、キルトの趣味にハマっているひとも多く、シンシアさんのWabi-sabi quiltsのブログは人気だ。

 

キルト手芸一筋、そもそもはおばあちゃまから習ったという彼女の創造力の広がりは目覚ましく、惹きつけられるものが大きい。

 

ミシンは何を使っているのかを尋ねて驚いた。スイス製のBernina、18万円もするものだという。アメリカ製のミシンはないそうだ。

 

先日ミシンの修繕だけで2万円かかって驚いていたわたしだが、まだまだ上があるのを知った。糸通しなど、さぞボタン一つで楽なのだろう、と思ったが、訊いてみるとやはり面倒で、手作業で通してしまうことが多いとか…わたしも同じ、どうもコツがまだわからない。というか、それほど、ミシンを使う頻度が少なくなっているせいもあるのだけれど、

あの手縫いの上履き入れのひもの部分がおかしくなった、と孫娘が言ってきたので、今回は彼女が上京するまえ、二時間でミシン縫いの別袋を仕上げることができた。

 

涼しくなってきたので、もう少しミシンを使いこなしてみようかと思っている。

 

シンシアさんは手作りのハロウィン飾りをお土産にくれた。とりあえず、玄関ドアの飾りにして楽しんでいる。Img_2476

 

 

2019年7月22日 (月)

久しぶりの縫い仕事

孫娘が電話してきて、「ばぁばって、まだお裁縫する?」と訊いたので、私はもう二年以上使っていないミシンのことを思ったが、「するけど…」と答えたら、学校などに演奏しにいくときに履く上履き用の運動靴をいれる袋を作ってもらえないかと頼まれた。

さて、困った。ただの袋だけというわけにはいくまい。このところ超多忙なので、生地を買いにいくひまもないから、ありあわせでなんとかならないだろうか?と頭をひねり、すでに作ってあった、自分用の刺し子をほどこしたバッグを活用してみることにした。

 

ネットで上履き入れを検索、寸法をゲット。バッグの必要な部分を、裏ポケットも活用するように裁って、さて、ミシンで縫いあわさなければならないが、ミシンの使い方、忘れていないだろうか、などと不安になってくる。

 

不安は的中、ミシンの糸通しまではできたが、針がどうしても穴に入らない。なぜか位置がおかしくなっている。幸いミシンの修理店の電話番号は控えてあったので、連絡。その状態では一週間ぐらい預からなければならない、という返事。

 

困った。急がなくてもいい、と孫娘は言っていたが、私の予定がするなら今しかない、という状況なのだ。この大きさなら、えぇぇいっ、手縫いで縫っちゃえ、と決心して、およそ二時間で仕上げたのが、この写真。S005_20190722222201(写真の上でクリックを)

 

返し縫いを多くして細かい目で縫えば、けっこうしっかり形になる。ミシンは修理に出した。縫える状態に戻っても、果たして使うかどうか…でもこのミシン、娘が使わないというので、もらってしまったものなのだ。やはりいつも使える状態にしておかなければ、出費およそ15000円、いまどきはそんな値段なのだろう。

 

やった、という達成感はあるけれど、疲れた一日であった。

2017年7月17日 (月)

五十年まえの刺繍作品

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ベッドわきの壁にかけてある二枚の額、五十年まえアメリカのイリノイ州エヴァンストンに住み始めたときに、作った刺繍作品である。

到着したときは真冬真っただ中の十二月、0度C以下も頻繁にある寒い、寒い毎日だったが、家の中は半そででも平気なくらいのセントラルヒーティングにこの国の資源の豊かさを思い知らされたのだった。

ようやく子供たちを連れて外出できるくらいになって、出かけた公園で、すでに一年ぐらい前から駐在している日本人女性と知り合った。子供たちも同じ年ぐらいだったので、家を行き来するようになり、彼女が刺繍などの手芸の達人であることを知った。

刺繍のキットを売っている店に行きましょうとさそわれて、遠出をする。彼女はクロスステッチ名人だったが、わたしは単調な刺し方があまり好みではなく、もっと違う材料を探していた。
刺繍のキット、キットというのは一つの作品に必要な図案、布地、刺繍糸や針などすべてが袋に入っているセットのこと。
せっかくアメリカに来たのだから、思い出になるようなアメリカのものを、と探して、見つけたのがこの二作品、セーラムの港の風景と、フィラデルフィアの、アメリカ国旗を作ったと言われるベッツィ・ロスの家の図案。

額装は徒歩距離で行ける額装店に注文したのだが、実にふさわしい出来栄えだと、感嘆した。さすがアメリカ、色もサイズもそれを選ぶセンスをもっている店で、その後足しげく訪れることになった。

2015年12月23日 (水)

今年最後の刺し子作品

今年五月、伊豆高原アートフェスティバルに出かけたとき、和布のはぎれの束を買い求めた。
とても良い柄が多く、色も統一しているので、なにかに使えないかと模索していたのだが、吉浦先生のご指導で、はぎれに刺し子をほどこし、つなげ、それをふたの部分に飾ったバッグを作ることに決めた。
刺し子をしてつなげ、バッグのふたの部分を作るところまでは簡単だったが、バッグ本体に芯地をはり、裏地を縫いあわせるところにきて、迷路にはまった。
幾何学的な絵が浮かばないのである。
同じようなバッグをつくっている、若いレッスンメイトがやはり、ややこしくてわからない、と同じ悩みを訴えたので、二人そろって、先生から懇切丁寧な指導を受ける。
そこまできて、ひざ痛と腰痛に悩まされるようになり、ミシン仕事をする気がまったくおきなくなって、放っておいたら、またわからなくなってしまった。

バッグのふたの部分をはさみ、芯地の本体を上にして、ぐるりと縫う。むずかしいのはマチづくり、下部の本体、表地と裏地を別々にしてあとは右の裏地の穴からひっくり返せば、魔法にように、ふた付バッグが形作られるというところまでくるのに、ひどく時間を要してしまった。

しかも最後のベルト付けもトラブる。四枚縫いあわせるので、ミシン針を14号にしてつけかえようとしたら、しばらくぶりなので、うまくはまらない。ミシン本体を倒すようにして挿入。さて糸通し、これはもう慣れたから、と思っていたのに、糸通しを下げたら、今度は上がらなくなってしまった。あせって、動かしたら、ますます、びくともしなくなった。またミシン屋さんを呼ばなくてはならないか、と思い悩んだときようやく動いてくれたが、また下げて上がらなくなったら、と、こわくなり、糸が通してないままなので、老眼をこすりこすり、自力で糸をとおすのが難儀。004


こうしてようやく仕上がったバッグ、なんだか針仕事の限界、何より機械と格闘するのがこわい経験をしたせいで、次の仕事に取り掛かる気になれない。

ともかく今年最後の刺し子仕事はかなりのあせりと共に仕上がったのだった。

2015年11月25日 (水)

刺し子の最高峰

11月前半は体調が安定せず、刺し子やミシン仕事は手につかなかったので、ミシンはもう半月もデスクに出しっぱなし状態。
けれども、刺し子の師、マエストロの吉浦和子先生が三度にわたって、ご自身の作品を展示される催し物にはがんばって訪問し、堪能し、あらためて女性の手仕事の奥深さ、布地を針目が動いて、あらわす変幻自在な模様をこころが癒される思いで見つめなおすことができた。

南大沢の花つなぎ会の展示、子供がテーマという、キルトと刺し子作品だったが、吉浦先生の刺し子ヴァリエーション、幾何学模様に様々な工夫が凝らされ、独特の美をうみだすさまに見とれた。001

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そして東浦和の、「ギャラリー季」での、籠作家政木妙子さんとの二人展、蔓や樹皮を使って編まれた籠やアクセサリーと、吉浦先生の刺し子作品は、女性の手による、これほどの創造力をもって作り出された作品類の頂点とも言うべき展示物ぞろいで、両者は見事に調和し、その場所にずっと立っていたいと思うほど魅了された。006

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政木さんの籠類は四万円以上、平均七万円ぐらいの高額だったが、三十年使ってますます貫録ともいえるほどの色調を増す作品とあって、購入する女性客も多く、今注目の作家であることをあらためて認識する。わたしは彼女のブローチを買った。

吉浦先生の作品をどうしても手に入れたいとかねてから念じていたが、この日、グレーのトートバッグを購入することができ、最高の喜びだった。グレーの柔道着の生地にアップリケされた、米刺しの刺し子、裏側にもアップリケがほどこされている。
眺めれば眺めるほど、心楽しくなるのである。014

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2015年11月 8日 (日)

オハイオスターのキルト

国際婦人クラブCWAJ版画展六十周年記念の年、クラフトクラブでは、なにか記念になるものを制作しようと相談し、五月ごろから、パーツを持ち寄ってキルトをつくることになった。デザインは浴衣や、日本手ぬぐいのブルーとホワイトを基調として切り抜き、縫い合わせるオハイオスター、それを各自二枚以上つくり、つなげたあとの、周囲の刺し子をほどこすことも、回り持ちで受け持つこととなった。統一して、つなぎ合わせをするという最終調節は、リーダーのOさんの努力と技術力に頼ること大だったが、仕上がりはすばらしく、それを版画展最後の福引きの賞品の一つに加えたことで、一段とイヴェントに花を添えることができた。Raffle_quilt_4


幸運を引きあてるのは誰かというのが、だれもの関心の的であったが、知らせがあって、以前の会長のひとり、この記念行事のためにわざわざ来日している、アメリカ人ということで、朗報であった。

キルトの盛んな国に、この作品が紹介される機会は多々あると想像できるし、オハイオスターというアメリカの州名のついたデザインであることも、友好の意味を大きくするのでは、と期待できそうである。

2015年6月29日 (月)

蒸し暑さの来ぬ間に

まもなく、7月だが、早朝のさわやかな涼しさに救われている。あのじと~っとした蒸し暑さがくるまでのわずかな心地よい時間を有効に、というわけで手仕事に励む。

湿気は少ないが、陽射しは強い。帽子はこのメガネの顔に似合わないときめこんでいたのだが、近頃日傘を支えるのが難儀になってきた。腕の力が弱っているのだろうか。
帽子を探していたら、つばが広いものがふえていて、これならかぶれそうというものも見当たるかも、という希望がわいてきた。
そんなとき、見つけたのである。自由が丘、コヴェントガーデンという雑貨店、デザインはイギリスだが、メイドインチャイナの1800円、これは安い、しかもふちにやわらかな針金入り、形が自由自在に変化できる。しかも折りたためるから、旅行用にぴったり。改造デザインが脳裏に浮かぶ。ついていたベージュのリボンをはずし、刺し子をしたブルーのリボンをつけかえれば、というわけで仕上げたのが、右の写真。003

そばのオハイオスターのキルトパーツ、三枚目の自作。
CWAJ版画展60周年記念のラッフル(福引)用のクラフトグループ作品キルトの一部。この夏、部員一人一週間預かってまわりの模様縫いを仕上げれば、素晴らしいベッドカバーができあがる。

2015年6月 1日 (月)

十年越しのスカート

十年ほどまえ、ボローニャに一週間滞在したとき、マジョーレ広場の裏側にある洋裁店のウインドウに目が釘付けになった。そこに広げてある生地の何と美しいことか・・・千鳥格子に少し光った黒いテープで一面アップリケがしてある、手のこんだもの。これほどの生地はイタリアならではのもの。ああ、これをスカートにしたい、何としても手に入れたい、といっても手の届かぬ値段だったら、とちょっとドキドキしながら、店に入った。ロングスカート分でたしか90ユーロ、生地にしては高い買い物だったが、なんとか手のとどく範囲で胸をなでおろした。
帰国してから、この生地にふさわしい仕立てを、と洋裁店をたずねたのだが、二万円という仕立て代に、目をむく。
自分でも縫おうとすれば縫えるのだ。
そう思って毎年生地を眺めては、手につかぬまま、月日が経つ。

最近になって、夏のロングスカートを縫ったものが意外に好評で、形がいいと言ってもらえたのに気をよくして、同じ形にしてみればいいのだと、決心。
裏もつけず、縫い代の始末もジグザグですまし、着るときはペチコートをはくことにして、ミシン出しっぱなしの刺し子作品展の直後、仕上げる。002


サントリーホールのコンサートのときはいていったら、一緒だったおしゃれな友人が、なんだかすごいスカートはいてるわね、とほめてくれて、ゴキゲンとなった。