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カテゴリー「音楽」の64件の記事

2019年3月29日 (金)

カロローザ第56回定期演奏会のこと

S004 先日、泳ぎに行こうと駅まで歩いていると,すれ違った人から思いがけず名前を呼ばれた。ウイメンズ・コンファレンスで知り合ったピアニストのまどかさん、美しい音色に魅せられフアンになり、交流がはじまっていたのだけれど、近々のコンサートを控えていて、歌手の方との伴奏リハーサルでその方の自宅に向かうところだとのこと。

そこが我が家と徒歩三分の距離、奥まった通路のしゃれた鉄製のくぐり戸の向こうにどんなお宅があるのかと気になっていた場所、一度練習、聴きにきませんか?とさそわれ、ぜひぜひと、感激しつつうなずく。

 

それがきのう実現した。わたしはレモンパイとフルーツケーキを焼き、持参する。

クリスマスローズが咲き乱れ、しだれ桃が満開のお庭、白い二階建ての瀟洒なお宅の客間で至福の時間を過ごすことができた。

 

歌唱担当の山代さんはナチュラルな魅力漂う女性だが、フォーレの宗教曲の最初の発声で、衝撃を受ける。なんとわたしが女性の声で一番好ましいと感じている、メゾソプラノ、声量ゆたかな、深く心に染み入る歌声、それを引き立てるまどかさんの抒情あふれるピアノの音色、フォーレはこんなにも美しく、神々しい歌をつくっていたのか、と、ピアノ曲しか知らなかった無知を恥じながら、お二人がかなでるこれ以上ないほどの楽興に酔いしれた。

 

桐朋学園出身のピアニストを中心に、子育てを終えて演奏を再開した人を含めた女性たちのグループ、カロローザの定期演奏会は4月6日、河口湖円形ホールと、4月21日、東京オペラシティリサイタルホールで開かれる。音楽だけに生きてきたのではなく、人生経験を経たあとだからこそ、かもしだせるより豊かな音色、それを必ずやこの場所で聴けることを確信する。

2019年3月22日 (金)

アンスネスのモーツアルト

久しぶりの東京文化会館、ベルリン放送交響楽団との協演でブラームスの協奏曲一番を聴けるはずだった。

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ところが精養軒で食事をしているとき、隣の話し声が耳に入った。「曲目変わったのよ」

入場して渡されたプログラムを見るとやはり曲目変更、「日本の皆さまへ」というアンスネスの詫び状がついていて、それによると昨年12月から右ひじの故障に悩まされており、大きな身体的負荷を要求される演奏を避けなければならなくなり、今回モーツアルトのピアノ協奏曲21番に変更したという、経緯が明らかにされていた。

アンスネスもデビュー以来、三十余年、身体的悩みをかかえるようになったのだと、世界的な名ピアニストの一人として名を連ねるようになった彼を、ずっと見守っていただけに、演奏家の人生が重なって深い思いを味わった。
アンスネスが訪日するときにはコンサートに欠かさず出かけ、友人のアンスネスフアンと一緒に彼が監督をつとめるノルウエー、リソールの音楽祭にも出かけて、一軒家を借り、一週間、小さな白い教会で奏でられる音楽の粋に酔いしれたこともある。

その日のモーツアルトは彼が述べていたように、美しさとユーモア、ソリストとオーケストラの間で交わされる気品に満ちた会話があふれた、演奏で、軽やかでかつ響きと迫力ある音に魅せられた。彼の演奏はいつも、登場するときの颯爽とした姿にふさわしい、期待を裏切らない、ピアニズム、何と言っても気負いのなさで聴くものをリラックスさせながら、しかも、ここぞというときに、満喫させてくれる引き入れられるようなド迫力のテクニックだろう。

どうか、養生されて、ブラームスを聴かせてもらえるように、再来日をのぞみたいものだ。

この日、レストランで食べた、「天使のえびと帆立貝のポアレ、キノコのリゾットそえ」は想像を絶する美味だった。野菜が少ないと思ってオーダーしたミニサラダもドレッシングとの相性がよかったし、リゾットはほんの少しだから、パンかライスがあったほうがいいと、アドバイスしてくれたウエーターさんに感謝したいほど、パンもおいしかった。
ここのメニューの写真はどれも大写しで、うわっつ、こんなに食べられそうもない、と思ってしまうのだが、実際に供されるものは小さ目で、クリームコロッケなども、高齢者が残さず食べられる上品な大きさになっている。あの、写真、換えればいいのに、などと思うのはお節介かもしれないが、これほどおいしいメニューを見つけたとなれば、上野は来やすいので、小ホールの好プログラムなども選んで、また出かけようという気になった。

2019年2月 9日 (土)

『椿姫』をぜひ、(2019メトロポリタンライブビューイング)

必見の『椿姫』である。これまで数回、このオペラを観たが、今回が最高、本場ヴェネチアまで出かけて、フェニーチェで観たイタリアの上演作より出演者も舞台美術も、演出も音楽もはるかにすぐれている。Photo


ヴィオレッタが美しく、ダムラウの演技が素晴らしい。第一幕はほとんど切れ間がないほど歌唱力を要するアリアが続くが、観る者を疲れさせない余裕の表現力である。
幕間にリハーサル風景が紹介されるが、指揮者ネガ=セガンが導き出す、歌唱力の見事さに圧倒された。すなわちピアニッシモに哀しみと秘めた病気のつらさを表せという解釈が生きているのである。

フローレスのアルフレードも至難のベルカントをこなしてきた彼にはいともたやすい、楽しめる役柄なのであろう。わたしにはロッシーニ歌劇より、ヴェルディを歌う彼のほうが好ましく感じた。アリアの質においてはこのオペラ、ヴィオレッタの数曲が突出しているが、今回フローレスはアルフレードのそれを、忘れがたい旋律に高めるほどの功績を遺したと思う。Tubakihime_2


そして、耳新しい名前なので、それほど期待していなかったクイン・ケルシーのジェルモン、二幕目登場最初の発声を聴いた途端、しびれた。のびやかで迫力あるバリトン、これぞ、「プロヴァンスの海と陸」のアリアを歌うにふさわしい声。このオペラで一番聴きたいのは、わたしにはヴィオレッタの数曲より、ジェルモンのこの一曲なのである。
そして彼はそれを切々と、心ふるわせる声音で歌いきった。
カーテンコールのときも彼があらわれたときはごお~っという歓声が一段と強まったのは、このアリアへの期待がそれほどに強い観客が大勢いるのをあらわしているのではと思われた。

ハワイ出身とのことだが、メトオペラは逸材を発掘するのが巧みだと思わないではいられなかった。

めずらしく、この初日のライブ、二子のシネコン、ほぼ満席で、三十分まえに行ったのに前から四番目の真ん中、これは疲れるぞ、と覚悟があったのだが、かえって画面にも音楽にもずっしり浸れ切れて、満足感が高まった。

一つだけ、難を言えば、二幕目の舞台が室内だけで、パリ郊外のヴィオレッタの屋敷という雰囲気が薄かったこと、数十年前シカゴのリリックオペラで観た庭園の緑が見える、恋人二人の憩いの場所の感が深まる舞台美術がなつかしく思われてならなかった。(二子シネコン18日まで、東劇21日まで)

すみません、東劇21日まででした!

2018年11月24日 (土)

コヴァルスキー…ファジョーリ

近頃、自分でコンサートを選ぶより、クラシック界の情報にくわしく、選択眼のすぐれた友人を頼りにすることが多い。
『メフィストーフェレ』もそうだったが、今回のカウンターテナー、ファジョーリも予備知識ゼロで、聴いて驚愕。
スキンヘッドに髭をたくえた、一見マッチョな風貌からは想像できぬほどの、音域のひろいメゾソプラノを聴かせるファジョーリ。Photo_2

三オクターブを行き来する声のトリル、音程は確かで、声量も並外れている。
名前から想像するとイタリア人だが、アルゼンチンの出身、あの高名なコロン劇場付属芸術校の逸材だった。

共演のヴェニス・バロックオーケストラが秀逸、ヴィヴァルディはこのオーケストラのためにあるというほどの音と格調の高さ、この共演だからこそ、ファジョーリの声が一段と冴えたという効果があったと思う。

オール・ヘンデルというプログラムだったが、これだけのヘンデル歌手は稀有ではないかと思うほどの完璧さで、ヘンデルのオペラが上演上の困難があるのも、歌手探しの問題があるのかもしれないと推測できた。
だが、最近はカストラート養成が盛んらしく、来年以降もカウンターテナーの来日は続く。
ほぼ満席の客席も男性客が多く、ブラボーの掛け声が多かった。

今から三十年まえ、ヨッヘン・コヴァルスキーというカウンターテナーのフアンになったことがある。どちらかと言えば、気障な二枚目で、立ち姿の美しい彼が醸し出す何ともいえないマジカルな魅力に心を奪われ、彼のオルロフスキー公爵が見たくて、『こうもり』も観に行ったりしたものだ。Photo


今回のファジョーリ、前から六番目の席で、オペラグラスを取り出し、声の出し具合も確かめたりしたのだが、この生々しい魅力は強烈すぎて、アンコールは一曲だけ聴き、帰りのバスの時間が不安になり、早々に帰途についた。
オペラシティは一時間以上、夜の往復は少々つらい。コンサートはもうサントリーだけにしたわ、という同年代の友人が言うのも、うなずける、と思った。

2018年11月19日 (月)

秀逸『メフィーストーフェレ』

演目に予備知識がなく、バッティストーニの指揮ぶりが見たくて、チケットを購入したこの演奏会形式オペラ『メフィーストーフェレ』、最初の二十分で頭をなぐられたような衝撃を受けた。Photo

何という美しいメロディ、大人の合唱隊と子供の合唱隊が交互に歌うそれはまさに小天使たちの加わった天上からの歌声、天国へとみちびかれていく感動を味わう。

台本、作曲の両方を手がけたアッリーゴ・ボーイト、ヴェルディの台本を担当し、オペラの音楽を知り抜いていた人だからこそ、この傑作が生まれたのだろう。この「メフィーストーフェレ」のオペラがボローニャとスカラで成功を収めるまでは苦難があったようだが、これほどの傑作がこれまであまり取り上げられなかったのは、どうしてなのだろう。
ボーイトという名も知らなかった。

歌手たちのアリアも美しいが、心に残るのは合唱の役割の大きさと美しさである。オーケストラが舞台中央に坐し、そのうしろに合唱隊がそびえる、今回のこのステージオペラの形式はオーケストラと合唱を引き立てる効果が大きく、これこそ、この楽曲に最もふさわしい様式だったのではないかと思わせてくれる。そして舞台中央上部に設けられたスクリーンに繰り広げられる画像は底知れぬ不気味さを引き出す役目を果たしていたと思う。Photo_2


バッティストーニの濃い顔立ちの容姿がこの作品の持つ魔的な雰囲気にぴったりで彼のとびはねるような激しい指揮ぶりがメロディーの盛り上がりを一段と高める効果を出していて、心を奪われた。

しかも各々の場ごとにエンディングへの盛り上がりが素晴らしく、バッティストーニが渾身の力を込めてタクトを振り上げるごとに、クレッシェンドは高みを増し、最後にすさまじい和音の爆発で終わりを遂げるのが、なんとも言えぬ恍惚感を味あわせてくれる。

すでに傑作とうたわれていたグノーの『ファウスト』より、ボーイトの『メフィストーフェレ』のほうがよりゲーテの原作に近いと賞されているが、今回歌手たちの歌唱力はすばらしかったものの、衣装に工夫がなかったせいか、登場人物像が際立っているとは言い難かった。舞台美術が限られているのだから、せめて衣装、メイクに工夫があってほしかったと思う。

近年、俄然注目されるようになったというこのオペラ、ついにメトロポリタン歌劇場で上演の予定があるという。楽しみなことである。


2018年10月26日 (金)

続 前橋汀子さんの『私の履歴書』

帰国前に挑んだロン・ティボーコンクール、そのまえにインフルエンザが悪化し、入院扁桃腺を手術するという、不運、それでも巨匠オイストラフが病院でヴァイオリンを練習できるよう手配、入賞を確信していたのに、第一次予選で不合格、音楽院の教師を初め多くの支持者を持っていた彼女がどれほどの傷心をかかえたかが伝わってくる。
それでも帰国後の仕事の推薦状を書いたのがロストロボーヴィッチだというからスゴい。伊丹十三氏を初めとする有名人が彼女にストラディバリウスを持たせようとする募金箱まで用意すると言う驚くべきサポートもあった。
ヴァイオリニストは立ち姿が勝負、恵まれた容姿の持ち主はそれだけでカリスマ性を約束されるが、それにも増して、オイストラフやストコフスキー、シゲティという巨匠中の巨匠たちがこぞって彼女を応援していたのは、ソリストとして欠かせない音を有しているからにほかならない。

カーネギーホールでのデビューではストコフスキーの指揮のもと、彼女がイタリアのコンクールで優勝したときの賞金をつぎこんで買い求めた生地を母君が縫ったドレスで演奏したという心温まるエピソード。

巨匠ヨーゼフ・シゲティの名ははっきり覚えている。初来日したコンサートに父が連れていってくれたからだ。そのマエストロの保養地、マジョルカ島やスイスのモントルーでのレッスン風景、演奏術ばかりでなく、音楽、美術、文学などの教養の受け渡しがあったというエピソードが胸を打つ。当時の欧州の真の知識人からさずけられたものはどれほどだっただろう。

履歴書が終了するには、まだまだ数日あるが、前橋さんの演奏をこの目で、耳で確かめるのが楽しみである。一観客としてのわたしも、現在75歳の演奏者の人生の変遷に感情移入できる同じ時代を生きてきたからである。


2018年10月25日 (木)

前橋汀子さんの『私の履歴書』

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日本経済新聞に現在掲載中の『私の履歴書』が出色、毎日楽しみに読んでいる。ヴァイオリニスト前橋汀子さん、戦後の諏訪根自子さん、巌本真理さんに続く美人ヴァイオリニスト、あまりにも高名だが、わたしは彼女の演奏を一度も聴いたことがない。ヴァイオリンという楽器を好んで聴こうとする執着心があまりなかったせいもあるのかも知れないが、今回のこの履歴書はロシア留学時代の日々がとても具体的なエピソードに満ちていて、惹かれる記述が多い。
彼女がまだ引退しないまえに、その音色を確かめたいと、十一月のコンサートのチケットを購入した。

彼女のロシアでの留学生活、冷蔵庫のない部屋、極寒の外気を利用してバターやチーズを保存する。シャワーもなくお湯もでない寮、週に一度いく風呂屋も湯船なし。食料品は行列してやっと買う毎日、満員のバスに40分かけてレニングラード音楽院に通う。共用トイレで、毎日泣き、涙の湖ができるよ、とまで言われたという。それほど過酷な生活だからこそ、ロシア人の庶民の親切が身に沁み、音楽を真に理解している教師のすばらしい指導に応えたいと努力にはげむ。

担当指導教師のミハイル・ワイマン氏がチャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』を観るようにすすめたというエピソードは大きくうなずくものがあった。このオペラを観て頭をガンとなぐられたような衝撃を味わった経験があるからだ。
プーシキンの原作のこのオペラ、田舎娘タチアナが青年貴族オネーギンに恋文を書く場面がある。「チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトはあの手紙の場面そのものなんだ」と強調する教師。ロシアの国民的詩人のプーシキンとロシアを象徴する作曲家のチャイコフスキー、二つの才能の結晶ともいえるオペラを観ることでロシアの魂を留学生に教えたのだと前橋さんは語る。(続く)

2018年6月25日 (月)

二つのコンサート

孫娘が入団した交響楽団のコンサートがオペラシティコンサートホールであった。
ピアニストと、トランペット奏者との掛け合いがすばらしいショスタコーヴィチの協奏曲は圧倒的な迫力で、魅了された。
孫娘のトロンボーンの出番があるドヴォルザークの八番、これをコンセルトヘボウで聴いたときの感動がよみがえるほどの実力あふれる音の冴えある演奏だったと思う。管楽器の音があふれる中からトロンボーンの音を聞き分けることができた。演奏終了後、指揮者がトロンボーン奏者を称えて指さしてくれた感動をかかえながら、帰途につく。
いつも夜中に帰宅する息子も聴きに来ていて、タクシーで帰ろう、と言ってくれ、楽をすることができた。その日は右の足首の筋が痛かったので、本当に助かった。


ギル・シャハムを教えてくれたのは、弦の音を聴き分けるとりわけすぐれた耳を持つ友人Y子さんのおかげ。
紀尾井ホールはほぼ満席、前半の現代音楽は、ちょっと耳慣れがむずかしかったが、後半、無伴奏パルティータとフランクのヴァイオリンソナタは全身で聴きほれた。伴奏者江口玲さんとのコンビは円熟の極致、シャハムは今や年齢からしても絶頂期をむかえているのではないかと思える音であった。

わたしの難聴は完治していないけれど、このところ沢山聴いた最高級の音楽のおかげで、少しずつ良くなっているような気がしている。

2018年6月 7日 (木)

アムラン、ブラヴィッシモ!!

二度目のシャルル・リシャール=アムラン、今回はヤマハホールと違って、オペラシティコンサートホール、堂々の大ホールでのコンサート、YAMAHAとはっきり名前の刻まれたピアノを携えてのシューマンとショパン、前半のシューマンはアラベスクと幻想曲、抒情性をあふれるほど表現するピアニッシモが素晴らしかった。幻想曲はソナタ形式なのに、途中で二度も拍手が入ったのは、残念。アムランも楽章の合間に何度も汗をぬぐうので、もしかして体調が悪いのではないかと心配してしまったけれど、幻想曲の聴かせどころのフォルテは見事にYAMAHAの音を効果的に響かせていた。

休憩後のショパン、バラード四曲、これぞショパン、華麗な和音をクレッシェンドで極まりへと誘導し、恍惚感をさそう。前々日、ある昼食会で、英国王立音楽院に留学し首席卒業を果たしたという日本人女性のバラードを聴いたばかりだったのだが、ミスなしで演奏を終えても、感動がなかったわけが、アムランの演奏を聴いてわかった。ピアノが歌っていなかったのだ。ショパンが歌いたかったようにピアノが鳴っている、その迫力、聴衆に雑念を抱かせず、すっぽり惹き込んでしまう引力たっぷりのド迫力のピアニズム、スゴイ、十分満足したのに、アムランは汗をぬぐいながらも、アンコール四曲、ノクターン、別れの曲、幻想即興曲、そして英雄ポロネーズ、と大サービス、ポピュラーすぎるくらいの名曲だからこそ、実感させられるこれぞ本物という極めつきの表現力と超絶技巧を展開してくれた。

英雄ポロネーズはYAMAHAピアノがこれ以上ないくらいふさわしい音を鳴りひびかせ、アムランも快感を極まらせたのではないかと思った。わたしもブラヴォーと叫んで立ち上がってしまったが、多くの聴衆も同じ気持ちだったらしく、ふりかえったら、半数以上がスタンディングオベーションだった。日本人聴衆の反応としては珍しかったのではないだろうか。

満足しました、アムランさん、もしかして日本がお好きなのでは?
九月にも再来日がある。
生きているうちに何度でも聴きたい、ブラヴィッシモ、アムラン!!

2018年4月23日 (月)

『セミラーミデ」はスゴイ!

尊敬する一人旅名人のkikukoさんは、オペラ評論家も真っ青の数百回に近いオペラ体験の持ち主でもある。
あるとき、謹んで、どのオペラが一番お好みですか?とたずねたとき、彼女は迷うことなくロッシーニの『セミラーミデ』と答えた。
それを知ってから、この十年近く、ひたすら、このオペラの上演を待ったが、主要舞台でそれが実現することはなかった。
今回、メトロポリタンオペラライブビューイングに『セミラーミデ』があるのを知り、ああ、ようやく観られる、絶対行かなければ、と、誓っていたのに、なんと、旅行から戻った翌日が最終上映日であるのに気づいたのが、夜の十時過ぎ、あわててネットから二子玉川のシネコンの予約をとった。

開始が朝十時、二子までバスで15分とはいえ、旅行のあと、ちょっとシンドイ、しかも上映時間なんと3時間48分という超大作である。居眠りしちゃうかも、と思った。
だが、そうはならなかった、初めから終わりまで、わたしは目を皿のようにして見入ったのである。それほどに、このオペラは素晴らしかった。

まず序曲に圧倒される。オペラの上演よりずっと演奏される頻度が著しいのもうなずけるぐらい、リズムの表情豊かなメロディーの中に高揚感、焦燥感、躍動感が見事に表現されていて、すでに物語の起伏を予感させてくれる。

今回のインタビューアー、クリストファー・モルトマンがいみじくも、冒頭に紹介した言葉で納得がいった。このオペラはキャスティングが難しいのでなかなか上演されないのである、と。

タイトルロールのセミラーミデは、古代バビロニアの女王、彼女をめぐるドロドロの復讐劇なのだが、主人公はこのベルカントソプラノのセミラーミデとは言い難いほどに、俄然精彩を放つのは、メゾソプラノの男役、アルサーチェである。わたしはこのオペラで初めてメゾのベルカントを聴いたが、音の上下の激しさをとらえるのも、乱れがなく、聴きやすく、引き込まれた。エリザベス・ドゥショングは、憂いを含んだ美貌で、主役の影をうすくするほどの好演だったと思う。Photo


ペーザロのロッシーニ音楽祭では、グルヴェローバやバルチェローナ、フローレス、と言った主役級が顔を連ねる豪華配役だったと想像できるが、今回のアメリカ勢が多数を占める配役も、聴き劣りのない、仕上がりだったと思う。

とりわけ複雑な筋書きがすっきり頭に入る演出で、アリアも二重唱や三重唱が忘れがたく耳に残った。

ぜひアンコール上映を望みたい。


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