2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「音楽」の57件の記事

2018年6月25日 (月)

二つのコンサート

孫娘が入団した交響楽団のコンサートがオペラシティコンサートホールであった。
ピアニストと、トランペット奏者との掛け合いがすばらしいショスタコーヴィチの協奏曲は圧倒的な迫力で、魅了された。
孫娘のトロンボーンの出番があるドヴォルザークの八番、これをコンセルトヘボウで聴いたときの感動がよみがえるほどの実力あふれる音の冴えある演奏だったと思う。管楽器の音があふれる中からトロンボーンの音を聞き分けることができた。演奏終了後、指揮者がトロンボーン奏者を称えて指さしてくれた感動をかかえながら、帰途につく。
いつも夜中に帰宅する息子も聴きに来ていて、タクシーで帰ろう、と言ってくれ、楽をすることができた。その日は右の足首の筋が痛かったので、本当に助かった。


ギル・シャハムを教えてくれたのは、弦の音を聴き分けるとりわけすぐれた耳を持つ友人Y子さんのおかげ。
紀尾井ホールはほぼ満席、前半の現代音楽は、ちょっと耳慣れがむずかしかったが、後半、無伴奏パルティータとフランクのヴァイオリンソナタは全身で聴きほれた。伴奏者江口玲さんとのコンビは円熟の極致、シャハムは今や年齢からしても絶頂期をむかえているのではないかと思える音であった。

わたしの難聴は完治していないけれど、このところ沢山聴いた最高級の音楽のおかげで、少しずつ良くなっているような気がしている。

2018年6月 7日 (木)

アムラン、ブラヴィッシモ!!

二度目のシャルル・リシャール=アムラン、今回はヤマハホールと違って、オペラシティコンサートホール、堂々の大ホールでのコンサート、YAMAHAとはっきり名前の刻まれたピアノを携えてのシューマンとショパン、前半のシューマンはアラベスクと幻想曲、抒情性をあふれるほど表現するピアニッシモが素晴らしかった。幻想曲はソナタ形式なのに、途中で二度も拍手が入ったのは、残念。アムランも楽章の合間に何度も汗をぬぐうので、もしかして体調が悪いのではないかと心配してしまったけれど、幻想曲の聴かせどころのフォルテは見事にYAMAHAの音を効果的に響かせていた。

休憩後のショパン、バラード四曲、これぞショパン、華麗な和音をクレッシェンドで極まりへと誘導し、恍惚感をさそう。前々日、ある昼食会で、英国王立音楽院に留学し首席卒業を果たしたという日本人女性のバラードを聴いたばかりだったのだが、ミスなしで演奏を終えても、感動がなかったわけが、アムランの演奏を聴いてわかった。ピアノが歌っていなかったのだ。ショパンが歌いたかったようにピアノが鳴っている、その迫力、聴衆に雑念を抱かせず、すっぽり惹き込んでしまう引力たっぷりのド迫力のピアニズム、スゴイ、十分満足したのに、アムランは汗をぬぐいながらも、アンコール四曲、ノクターン、別れの曲、幻想即興曲、そして英雄ポロネーズ、と大サービス、ポピュラーすぎるくらいの名曲だからこそ、実感させられるこれぞ本物という極めつきの表現力と超絶技巧を展開してくれた。

英雄ポロネーズはYAMAHAピアノがこれ以上ないくらいふさわしい音を鳴りひびかせ、アムランも快感を極まらせたのではないかと思った。わたしもブラヴォーと叫んで立ち上がってしまったが、多くの聴衆も同じ気持ちだったらしく、ふりかえったら、半数以上がスタンディングオベーションだった。日本人聴衆の反応としては珍しかったのではないだろうか。

満足しました、アムランさん、もしかして日本がお好きなのでは?
九月にも再来日がある。
生きているうちに何度でも聴きたい、ブラヴィッシモ、アムラン!!

2018年4月23日 (月)

『セミラーミデ」はスゴイ!

尊敬する一人旅名人のkikukoさんは、オペラ評論家も真っ青の数百回に近いオペラ体験の持ち主でもある。
あるとき、謹んで、どのオペラが一番お好みですか?とたずねたとき、彼女は迷うことなくロッシーニの『セミラーミデ』と答えた。
それを知ってから、この十年近く、ひたすら、このオペラの上演を待ったが、主要舞台でそれが実現することはなかった。
今回、メトロポリタンオペラライブビューイングに『セミラーミデ』があるのを知り、ああ、ようやく観られる、絶対行かなければ、と、誓っていたのに、なんと、旅行から戻った翌日が最終上映日であるのに気づいたのが、夜の十時過ぎ、あわててネットから二子玉川のシネコンの予約をとった。

開始が朝十時、二子までバスで15分とはいえ、旅行のあと、ちょっとシンドイ、しかも上映時間なんと3時間48分という超大作である。居眠りしちゃうかも、と思った。
だが、そうはならなかった、初めから終わりまで、わたしは目を皿のようにして見入ったのである。それほどに、このオペラは素晴らしかった。

まず序曲に圧倒される。オペラの上演よりずっと演奏される頻度が著しいのもうなずけるぐらい、リズムの表情豊かなメロディーの中に高揚感、焦燥感、躍動感が見事に表現されていて、すでに物語の起伏を予感させてくれる。

今回のインタビューアー、クリストファー・モルトマンがいみじくも、冒頭に紹介した言葉で納得がいった。このオペラはキャスティングが難しいのでなかなか上演されないのである、と。

タイトルロールのセミラーミデは、古代バビロニアの女王、彼女をめぐるドロドロの復讐劇なのだが、主人公はこのベルカントソプラノのセミラーミデとは言い難いほどに、俄然精彩を放つのは、メゾソプラノの男役、アルサーチェである。わたしはこのオペラで初めてメゾのベルカントを聴いたが、音の上下の激しさをとらえるのも、乱れがなく、聴きやすく、引き込まれた。エリザベス・ドゥショングは、憂いを含んだ美貌で、主役の影をうすくするほどの好演だったと思う。Photo


ペーザロのロッシーニ音楽祭では、グルヴェローバやバルチェローナ、フローレス、と言った主役級が顔を連ねる豪華配役だったと想像できるが、今回のアメリカ勢が多数を占める配役も、聴き劣りのない、仕上がりだったと思う。

とりわけ複雑な筋書きがすっきり頭に入る演出で、アリアも二重唱や三重唱が忘れがたく耳に残った。

ぜひアンコール上映を望みたい。


2018年3月22日 (木)

アンデルシェフスキー・・・・・・ロッシーニ

3月18日、ヤマハホールでのピョートル・アンデルシェフスキーのリサイタルは三年ぶり、とても楽しみにしていたのだが、期待したものと少し違った。前半のモーツアルト二曲の前に思わぬおまけがついて、バッハの平均律から一曲、表現力は引き込まれる素晴らしさなのだが、音がなんだか違うのを感じた。ヤマハのピアノのせいなのだろう。ホールの音響効果がプラスされるのが加わって、響きすぎる、という感じなのである。
先回のアムランのショパンは音の響きが華やかであればあるほど、ショパン効果が増したから、プラスがプラスを生むという感じだったが、モーツアルトやバッハは一つ一つの音の、硬質なひびきを楽しみたいという気持ちがつのるので、音のひびきが強いと、その期待がそがれてしまう気がするのである。
アンコールも地味で、またバッハ、とショパンのマズルカ、せめてもう少し華やかで彼の技巧に心を奪われるようなものを選んでほしかったと思った。Photo


帰り、CDの売り場に立ち寄り、孫息子がテクノのCDをリリースしたと言っていたので、もしやおかれているかと思ったが、見つからなかった。
セールの籠の中にロッシーニのピアノ曲というのがあって、70パーセントも安くなっていたので、ためしに買ってみた。
帰宅して早速試聴したら、これが大した名曲ぞろい、今まで聴いたことがないような、和音の集まりで、ピアノ曲なのに、オペラを感じるような旋律の盛り上がり、いや、美しい! 買ったものはピアノ曲第二集だったが、まだ第四集もあったのをおぼえているのでもう一度買いに行きたくなっている。

2018年1月17日 (水)

シャルル・リシャール=アムラン賛

前回のブログのアクセス数が一日で370もあったのに驚き、恐縮した。
アムランの演奏コメントを期待した方たちが多かったに違いないのに、心ならずも銀ブラのほうの記述が多くなってしまっていたからだ。

ネットをよく検索したら、わたしが書いたのはショパンコンクール第二位のシャルル・リシャール=アムランのことなのだけれど、もうひとりマルクアンドレ・アムランというこれまた超絶技巧のフランス系ピアニストがいて、このひともまた六月にヤマハホールで弾くのである。

アムラン違いでクリックなさった方もいるかも知れない。

ともかく先回のシャルル・リシャール=アムランのコンサートは最高であった。ピアノがあれほど歌っている、と思ったことは近来なかった。しかも左手の歌い方が出しゃばらずそれでいて、なんともバランスよく心地よくひびくのがたまらない。
最初にピアノが鳴ったときから、この音、違うな、と感じたのは、聴き慣れたスタンウエイでなくYAMAHAだったからなのだ。スタンウエイは硬質で間接的な感じがするが、YAMAHAの音は直接的に耳にとびこんできて、フォルテが本当のフォルテという感じがする。アムランはこのフォルテを、とりわけフォルテッシモを実に効果的にひびかせる。そしてフィニッシュが素晴らしい。前半のショパンには、ため息が出るくらい素晴らしい終わり方を聴かせてくれた。

ネットでショパンコンクールの詳細を述べているブログがあって、そのひとも第一位のチョ・ソンジョンを高く評価していなかった。わたしもそのブログの実録画からソンジョンの英雄ポロネーズが聴けたのだけれど、テクニックはすごくても硬くてつまらない音で歌い方が物足らず、わたしがあのコンサートで買ったCDのアムランのポロネーズの方がはるかにこれぞ、ショパンの音を出していてよかったと思った。

ともかく日本のピアノをこれほどまでに弾きこなし、愛してくれる、このアムランがいるというだけで、生きるのが楽しみになってくるぐらい惹かれている今である。

2018年1月13日 (土)

アムランを聴く

ヤマハホールでアムランのピアノを聴く日だったので、少し早めに出て、久しぶりに銀ブラをすることにした。
まずは東急プラザ、これで三度目なので、どこに何があるか、わかっている安心感がある。あれこれ見回っているうちに、夕食時になったので、本当は田中屋でおそばを食べるつもりだったのだが、11階のレストランを見回っていたら、トリ料理とお蕎麦の店が目についた。京都の店で値段も手ごろだったので、ここでネギまのモモと手羽二本と銀杏の串と、九条ネギたっぷりのおそばを注文。見た目も味も量も期待どおりで、正解だった。

ヤマハに行く途中、GINZA SIX初体験。ファッションは興味がないので、すぐに地下二階の食品街に。どれもすこぶるつきの高価なのだろうと思ったわりには、手の出る値段のものもあった。千疋屋のゼリーと、朝食用のパンを買う。荻野屋の釜めしは予約できるのだそうで、高級趣向のお弁当も人気の様子。
サンドイッチみたいに平たい、おにぎりの店もあり、パエリャやチャーハンなどもおにぎり状に変身している。買いたいとは思わなかったけれど、近頃は奇をてらった食べものが多いのをあらためて実感した。

ヤマハホールはすっかり新しくなって、音響がよく、アムランのピアノはフォルテッィモがこれ以上ないくらいの迫力なので、音楽に浸りきったという感じだった。自分も弾いたことのある、モーツアルトの幻想曲や、ショパンの幻想曲など、前半のすべてがこんなに聴きなれた曲がこれほど素晴らしいとは、と驚きの連続だった。アムランはヤマハのピアノを好んでいるらしいが、彼に正しく合った音が出ていたと思う。Photo


七階がホール入り口で、私の席はいわゆるホールの二階席なのだが、階段を六十段ぐらい上るので、足が心配になったけれど、音楽の満足感に支えられたせいか、新橋まで歩いてJRで帰ったのに、足の痛みは出なかった。

あまりアムランがよかったので、ネットをのぞいたら、何と六月にも訪日するのがわかったので、すぐ手配しようと思ったら、アクセス多数でつながらなかった。きっとわたしと同じ思いのひとが、きのうの名演奏で、検索中なのだろう、と想像しながら、それでも電話で「ぴあ」につながったので、六月のオペラシティのチケットを手に入れた。

自分ではまだまだ生きるつもりでこんなことをしているけれど、この年齢、何が起きるかわからないと、思いながら…

2017年10月31日 (火)

続、孫娘の音楽会

孫娘はいつもと変わらず、むしろすがすがしい表情であらわれた。自分の一番好きなカラーを選んだというレンタルのブルーのドレスも、シンプルなデザインだったが、金色に輝くトロンボーンを引き立てるのにふさわしく、彼女に良く似合っていた。
平常心でね、と前の日、メールをしたのだけれど、その通りの第一音が出た。

トロンボーンは管楽器の中でも、もっとも人間の声に近いとされている。人類最初の楽器は笛だったと言われているが、そのルーツが、「天然」というニックネームをもらっている孫娘の素朴な性格に合ったのだろう。食べ物をとてもおいしそうに食べる子で、小さいときから好き嫌いはほとんどなく、ワカメが大好きだった。男性に負けないような肺活量も養われてきたのかもしれない。

一歳のときに死に別れた彼女の父親は音響の仕事をしていた。わたしが不安な時の神頼みなどしなくても、きょうのあの音は、天上から父親が守っていてくれるからこその響きなのかも知れないと思った。

終って娘たちと合流した。「音がずっとよくなっています、もう立派なプロですね」という孫娘の担任の講師の声が聞こえた。

楽屋口で孫娘は大勢のひとに囲まれて写真を撮られていた。009
今夜は疲れをやすめるひまもなく、新幹線で仕事場のある地に戻るのだという。

感想とねぎらいのメールを送ったら、「緊張したけど、やりたいこと全部出し切れてよかった! ばぁばも身体に気をつけてね!  またご飯食べにいくね」という返事があった。

2017年10月30日 (月)

孫娘の音楽会

台風も接近しているというきのうは、孫娘の音楽会の日であった。
オーディションで選ばれたほかの三人のソリストと、それぞれオケつきで演奏するという、音楽大学のイヴェントで、トリを務めるのだという。

彼女はすでに東北地方唯一のプロ交響楽団に就職しているが、卒業前のこの音楽会は最後の晴れの舞台になるのではないかと、我が家から電車で二度乗り換えのちょっと遠いその場所に出かけた。

ケース付きのトロンボーンという楽器は結構重いので、それを背負い、しかも必要なもの全部が詰まったカサのあるバッグを肩に、朝のラッシュ時に通うのは大変だっただろうな、と察することができた。

孫娘が取っておいてくれた席は中央からちょっと右の一階席だったが、すぐそばの中央に、とても目立つ高級なおしゃれをした美しい女性がかなりの席をおさえていて、皆におめでとうございます、と挨拶されていたので、出演者の母親なのだと察しがついた。

孫娘の直前のソリストはその女性に良く似た、細身の美女で、真っ赤なドレスに、光る石をちりばめた白いベルトをして、楽団員に挨拶するときに後ろ向きになった姿は前側のデザインよりもっと目立つ、大きなフリルの流れた、ドキッとするぐらいの立派な立ち姿だった。しかも演奏も緊張がまったくみられない、たおやかで流れるように美しい、テクニックもすぐれた、サン=サーンスのピアノコンチェルト。
終わるとソリストにそっくりの母親に、招待されたひとたちは、その曲だけ聴きにきたらしく、150点でしたよ、という褒め言葉を述べて去っていった。

このあとはプレッシャーだろうな、とわたしは孫娘を思いやって、神に祈った。どうか無事に務められますように…。(続く)


2017年10月 8日 (日)

『神々の黄昏』を観終わって

ワーグナーのオペラと聞いただけで、眉をひそめるひとは結構多くて、ましてや五時間という上演時間のリングシリーズを観に行くのは変人あつかいされたりする。

でもその『ニーベルングの指輪』四部作を無事観終った今、まだそれを観終る体力があるうちに、しっかり観られたことを幸いに思わずにはいられない。

『神々の黄昏』の二日目、新国立劇場はほぼ、満員だった。
一番驚いたのは、わたしが気に入っている二階のLと言う席から、見下ろす、オーケストラピットがおよそ百人を超そうかというほどの演奏者であふれていたことである。

ヴァイオリンの弓がふれあってしまうのではないか、と思われたが、その人数の効果は素晴らしかった。オーケストラはストーリーを雄弁に語っていた。
ジークフリートに裏切られた、ブリュンヒルデの悲しみを、ハーゲンの憎悪と欲望を、そして人間界に起こる否定的な感情のすべてを。Photo


指揮者飯森さんはオーケストラで始まり、最後もオーケストラのみでしめくくられる、これもまた円環(リング)であると語っているが、まことにうなずける解釈である。

舞台はどちらかというと抽象的な美術であったが、二幕目の、ブリュンヒルデが悲しみと怒りをみなぎらせてふりむいたままの静止の幕切れは、忘れられぬほど美しかった。
台本作家でもあったワーグナーが、ドラマと音楽をどちらも主役にするための、歌劇を楽劇に変えたという、音楽界での、役割は偉大だったのだということがうなずける観劇に終わった。

この十日間で五時間オペラを二度観るというのは、かなりきつかったが、居眠りが一度もでなかったのも不思議なことだ。階段や歩行距離もかなり長い、新国立劇場への往復も、へたりこむことなく、終えることができたのも、音楽に癒され、感動していたからだと思う。

2017年9月26日 (火)

バイエルンオペラ『タンホイザー』を観る

待ちに待っていたバイエルンオペラ『タンホイザー』、夏前の新国立のワーグナーオペラでは、体調が悪かったので、今回の五時間オペラ、耐えられるかと、不安だったのだけれど、すがすがしい秋晴れで、足の痛みもなく、オペラ友人のS子さんというお連れもあり、足取りも軽やかに出かけることができた。
ところが開演前、携帯がないことに気がつき、もしや場内に落としていて、あの、ワルキューレの受信音が鳴りひびくのではないかと、気が気ではないまま、一幕を観続けることになってしまった。休憩時間にS子さんの助けも借りて、スマホでたどり、タクシーの車内に落としていたことがわかり、まずはほっとした。上部が開いているバッグは気をつけなければと、つくづく悟った。

ペトレンコ指揮の音楽はまことに美しかった。これを聴くことができただけでも来た甲斐があったと思うくらい、毎日新聞評に、まれにみる音楽性と統率力、とあったが、抑制がきいていて、それでいて物語をおぎない語ろうとする、ワーグナーの意図を知り尽くしたように流れる音楽に耳を奪われていた。

お目当てのフォークト、今世紀のワーグナー歌手の、救世主のような彼のテノールはやはり独特、決して乱れることのない澄みきった声はこれ以上ないくらい的確に音をとらえ、表現し、聴く者の耳に吸い込ませてくれる。
今回は歌い上げる声ばかりではない、あの三幕の「ローマ語り」、涙をもさそう可哀そうな物語を、低めの悲劇性をよく表す声質におさえて表現した。
今回もう一人、大注目の歌手、マティアス・ゲルネは一幕では、さすが、と聴かせる朗々たるバリトンだったが、毎日評にもあったように、スタミナが失速、あの一番の聴かせどころの『夕星の歌』のアリアが、オケに負けていて、いまひとつ迫力不足、残念であった。
ゲルネ50歳、フォークト47歳、三歳の差はオペラ界では大きいのだろうか。Photo_2


演出はかなり奇抜、上半身半裸に見える衣装をまとった乙女二十人が的に見せかけた円形の画面の中の人間の目に矢を射る。目が真っ黒になるくらいの的中率である。あれはどこかの学校の弓道部の女子学生なのだろうか、それともなにかからくりがあるのか、それにしても彼女らが客席に向かって弓をかまえたときは、どきりとしたほどだった。Photo


ヴェーヌスブルクも、メトライブを観たときのイメージがまだ残っているので、それに比べると、シンプルすぎるくらいの舞台、ヌメヌメした感じの人体の山の上にヴェーヌスが鎮座し、そのままの姿勢で歌う。そのヌメヌメ人間は山海塾みたいに、その後も何度か集団であらわれ、身をくねらせる。舞台美術を省く傾向のドイツ系のオペラは、シンプルで歌手に集中できていい、と言えないことはないが、メトライブやパリで上演されたばかりのモンテカルロ歌劇場の舞台をYouTubeから見ると、総合芸術として仕上がっていて、やはり臨場感が違うだろうな、と想像できる。ホセ・クーラのタンホイザーは大成功だったそうだ。
指揮や演出、あちこち欲張りな彼、54歳でまだ、この役を演じきったとは、驚きである。
私も、もう少し若かったら聴きに行くのに。
初めてこの人を知って、リサイタルに行き、ファンになってからウイーンの『ドン・カルロ』まで聴いたのだけれど、デビュー当時の迫力が失せかけていて失望したのだった。

タンホイザー役の彼、見た目が、すっかり太めで、美貌度は減ったが、彼の復活はうれしいニュースだ。
 

より以前の記事一覧