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カテゴリー「音楽」の51件の記事

2017年10月31日 (火)

続、孫娘の音楽会

孫娘はいつもと変わらず、むしろすがすがしい表情であらわれた。自分の一番好きなカラーを選んだというレンタルのブルーのドレスも、シンプルなデザインだったが、金色に輝くトロンボーンを引き立てるのにふさわしく、彼女に良く似合っていた。
平常心でね、と前の日、メールをしたのだけれど、その通りの第一音が出た。

トロンボーンは管楽器の中でも、もっとも人間の声に近いとされている。人類最初の楽器は笛だったと言われているが、そのルーツが、「天然」というニックネームをもらっている孫娘の素朴な性格に合ったのだろう。食べ物をとてもおいしそうに食べる子で、小さいときから好き嫌いはほとんどなく、ワカメが大好きだった。男性に負けないような肺活量も養われてきたのかもしれない。

一歳のときに死に別れた彼女の父親は音響の仕事をしていた。わたしが不安な時の神頼みなどしなくても、きょうのあの音は、天上から父親が守っていてくれるからこその響きなのかも知れないと思った。

終って娘たちと合流した。「音がずっとよくなっています、もう立派なプロですね」という孫娘の担任の講師の声が聞こえた。

楽屋口で孫娘は大勢のひとに囲まれて写真を撮られていた。009
今夜は疲れをやすめるひまもなく、新幹線で仕事場のある地に戻るのだという。

感想とねぎらいのメールを送ったら、「緊張したけど、やりたいこと全部出し切れてよかった! ばぁばも身体に気をつけてね!  またご飯食べにいくね」という返事があった。

2017年10月30日 (月)

孫娘の音楽会

台風も接近しているというきのうは、孫娘の音楽会の日であった。
オーディションで選ばれたほかの三人のソリストと、それぞれオケつきで演奏するという、音楽大学のイヴェントで、トリを務めるのだという。

彼女はすでに東北地方唯一のプロ交響楽団に就職しているが、卒業前のこの音楽会は最後の晴れの舞台になるのではないかと、我が家から電車で二度乗り換えのちょっと遠いその場所に出かけた。

ケース付きのトロンボーンという楽器は結構重いので、それを背負い、しかも必要なもの全部が詰まったカサのあるバッグを肩に、朝のラッシュ時に通うのは大変だっただろうな、と察することができた。

孫娘が取っておいてくれた席は中央からちょっと右の一階席だったが、すぐそばの中央に、とても目立つ高級なおしゃれをした美しい女性がかなりの席をおさえていて、皆におめでとうございます、と挨拶されていたので、出演者の母親なのだと察しがついた。

孫娘の直前のソリストはその女性に良く似た、細身の美女で、真っ赤なドレスに、光る石をちりばめた白いベルトをして、楽団員に挨拶するときに後ろ向きになった姿は前側のデザインよりもっと目立つ、大きなフリルの流れた、ドキッとするぐらいの立派な立ち姿だった。しかも演奏も緊張がまったくみられない、たおやかで流れるように美しい、テクニックもすぐれた、サン=サーンスのピアノコンチェルト。
終わるとソリストにそっくりの母親に、招待されたひとたちは、その曲だけ聴きにきたらしく、150点でしたよ、という褒め言葉を述べて去っていった。

このあとはプレッシャーだろうな、とわたしは孫娘を思いやって、神に祈った。どうか無事に務められますように…。(続く)


2017年10月 8日 (日)

『神々の黄昏』を観終わって

ワーグナーのオペラと聞いただけで、眉をひそめるひとは結構多くて、ましてや五時間という上演時間のリングシリーズを観に行くのは変人あつかいされたりする。

でもその『ニーベルングの指輪』四部作を無事観終った今、まだそれを観終る体力があるうちに、しっかり観られたことを幸いに思わずにはいられない。

『神々の黄昏』の二日目、新国立劇場はほぼ、満員だった。
一番驚いたのは、わたしが気に入っている二階のLと言う席から、見下ろす、オーケストラピットがおよそ百人を超そうかというほどの演奏者であふれていたことである。

ヴァイオリンの弓がふれあってしまうのではないか、と思われたが、その人数の効果は素晴らしかった。オーケストラはストーリーを雄弁に語っていた。
ジークフリートに裏切られた、ブリュンヒルデの悲しみを、ハーゲンの憎悪と欲望を、そして人間界に起こる否定的な感情のすべてを。Photo


指揮者飯森さんはオーケストラで始まり、最後もオーケストラのみでしめくくられる、これもまた円環(リング)であると語っているが、まことにうなずける解釈である。

舞台はどちらかというと抽象的な美術であったが、二幕目の、ブリュンヒルデが悲しみと怒りをみなぎらせてふりむいたままの静止の幕切れは、忘れられぬほど美しかった。
台本作家でもあったワーグナーが、ドラマと音楽をどちらも主役にするための、歌劇を楽劇に変えたという、音楽界での、役割は偉大だったのだということがうなずける観劇に終わった。

この十日間で五時間オペラを二度観るというのは、かなりきつかったが、居眠りが一度もでなかったのも不思議なことだ。階段や歩行距離もかなり長い、新国立劇場への往復も、へたりこむことなく、終えることができたのも、音楽に癒され、感動していたからだと思う。

2017年9月26日 (火)

バイエルンオペラ『タンホイザー』を観る

待ちに待っていたバイエルンオペラ『タンホイザー』、夏前の新国立のワーグナーオペラでは、体調が悪かったので、今回の五時間オペラ、耐えられるかと、不安だったのだけれど、すがすがしい秋晴れで、足の痛みもなく、オペラ友人のS子さんというお連れもあり、足取りも軽やかに出かけることができた。
ところが開演前、携帯がないことに気がつき、もしや場内に落としていて、あの、ワルキューレの受信音が鳴りひびくのではないかと、気が気ではないまま、一幕を観続けることになってしまった。休憩時間にS子さんの助けも借りて、スマホでたどり、タクシーの車内に落としていたことがわかり、まずはほっとした。上部が開いているバッグは気をつけなければと、つくづく悟った。

ペトレンコ指揮の音楽はまことに美しかった。これを聴くことができただけでも来た甲斐があったと思うくらい、毎日新聞評に、まれにみる音楽性と統率力、とあったが、抑制がきいていて、それでいて物語をおぎない語ろうとする、ワーグナーの意図を知り尽くしたように流れる音楽に耳を奪われていた。

お目当てのフォークト、今世紀のワーグナー歌手の、救世主のような彼のテノールはやはり独特、決して乱れることのない澄みきった声はこれ以上ないくらい的確に音をとらえ、表現し、聴く者の耳に吸い込ませてくれる。
今回は歌い上げる声ばかりではない、あの三幕の「ローマ語り」、涙をもさそう可哀そうな物語を、低めの悲劇性をよく表す声質におさえて表現した。
今回もう一人、大注目の歌手、マティアス・ゲルネは一幕では、さすが、と聴かせる朗々たるバリトンだったが、毎日評にもあったように、スタミナが失速、あの一番の聴かせどころの『夕星の歌』のアリアが、オケに負けていて、いまひとつ迫力不足、残念であった。
ゲルネ50歳、フォークト47歳、三歳の差はオペラ界では大きいのだろうか。Photo_2


演出はかなり奇抜、上半身半裸に見える衣装をまとった乙女二十人が的に見せかけた円形の画面の中の人間の目に矢を射る。目が真っ黒になるくらいの的中率である。あれはどこかの学校の弓道部の女子学生なのだろうか、それともなにかからくりがあるのか、それにしても彼女らが客席に向かって弓をかまえたときは、どきりとしたほどだった。Photo


ヴェーヌスブルクも、メトライブを観たときのイメージがまだ残っているので、それに比べると、シンプルすぎるくらいの舞台、ヌメヌメした感じの人体の山の上にヴェーヌスが鎮座し、そのままの姿勢で歌う。そのヌメヌメ人間は山海塾みたいに、その後も何度か集団であらわれ、身をくねらせる。舞台美術を省く傾向のドイツ系のオペラは、シンプルで歌手に集中できていい、と言えないことはないが、メトライブやパリで上演されたばかりのモンテカルロ歌劇場の舞台をYouTubeから見ると、総合芸術として仕上がっていて、やはり臨場感が違うだろうな、と想像できる。ホセ・クーラのタンホイザーは大成功だったそうだ。
指揮や演出、あちこち欲張りな彼、54歳でまだ、この役を演じきったとは、驚きである。
私も、もう少し若かったら聴きに行くのに。
初めてこの人を知って、リサイタルに行き、ファンになってからウイーンの『ドン・カルロ』まで聴いたのだけれど、デビュー当時の迫力が失せかけていて失望したのだった。

タンホイザー役の彼、見た目が、すっかり太めで、美貌度は減ったが、彼の復活はうれしいニュースだ。
 

2017年8月25日 (金)

オペレッタを観る

昨年、東京オペレッタ劇場の公演『天国と地獄』があまりにも楽しかったので、今年の『ボッカチオ』もさぞ、と期待しつつ、炎天下あとの夜、三田線の春日というところにある文化シャッターホールにでかけた。Photo

題名は『ボッカッチョ』となっているが、Boccaccioは昔からの題名どおり、イタリア語の発音からしてもボッカチオではないかというのがちょっと気になったけれど、劇の進行も、ピアノとヴァイオリンの伴奏も、歌唱も昨年と同じくやはり楽しめるものだった。
劇場も二百人程度を収容というこじんまり具合だし、肩の張らないくつろぎの中で、親しみやすいメロディが耳障りよく、流れていく。
あの有名な「ベアトリ姐ちゃん・・」という出だしのアリアは「鼻からちょうちん出して・・」などという訳だから、ふざけ過剰ものか、などと思っていたら、歌詞はまったく違った翻訳になっていて、格調が上がって聞こえた。ボッカチオ役も声量充分、恋人のフィアメッタ役の女性も清らかな美貌の持ち主で、「恋はやさし、野辺の花よ・・」の歌が似合っていた。
スッペの音楽は『軽騎兵』で有名だけれど、このオペレッタはとても美しく、楽しく、浅草オペラでもっとも人気のあった作品と言われたのももっともだ、と納得した。

秋には、ワーグナーオペラ二作品を見なければならない。なんとしてもそれまでは元気でいなければ、などと思ってしまう。その先駆けのこのオペレッタ、晩夏の清涼剤の役割を果たしてくれた。

オペラ友人のK子さんがお隣り合わせだったうれしさも手伝って、帰りの道は往きほど長く感じず、階段の多い春日の地下鉄のホームまでの通行も、さほど苦にならずに歩くことができた。

2017年6月 9日 (金)

新国立劇場『ジークフリート』を観る

前日教会の婦人会と六月に講義する学校への外出があったので、この日の五時間余のオペラは、万全の体調とは言いかねた。
少し風邪をひきかけていたのをおさえつつの観劇だった。

第一幕は舞台も森の中の鍛冶小屋の情景がリアルでしかもこれまでの物語がとても自然に語られるドラマ性が見事で引き込まれた。
でもジークフリード役のグールドの肥満すぎる腹部がどうしても、邪魔になる。
せめて少しカモフラージュできるような濃い色の衣装にすればまだごまかせるに、空色だからよけい目立つ。どう見ても若者というよりは太目のオジサンである。Photo

二幕目の半ばから鼻水が出てきた。
しかもこの第二幕、音楽もどちらかと言うと単調、ジークフリードが角笛を吹くところのオケの呼応は素晴らしかったけれど、舞台も右奥の窓みたいな長方形縦長のライトが気になって森のイメージが薄れる。
そして日本人ソプラノ扮する小鳥の衣装がひどすぎる。まるでバーレスクショーみたい。Photo_2


ワーグナーはこの二幕で十二年も中断したのももっともと思われるような、曲想の弱りを感じた。

三幕目はまたメロディーに力がよみがえって、見応えありだったが、なにしろ鼻水がひどくなったので、ブリュンヒルデと抱き合うのをやっとのことで見届けて、帰途を急いだ。


2017年3月 5日 (日)

オーディション

孫娘のオーディションを観に来ないか、という娘からの誘いの電話をもらった。
金管楽器のファイナリストのオーディションで、46人中5人の中に選ばれたのだという。
その中からたった一人が、オケと共演できて8万円の出演料をもらえるのだ、とか。
5人のうち、女性は孫娘だけで、あとは全部男性。
場所は川崎ミューザ。
トランペット、ユーフォニアム、テューバ、そしてトロンボーン二人、孫娘は最後の出番で、しかももう一人のトロンボーン奏者は彼女より2年下の芸大生である。
彼女は芸大入試に失敗、授業料全額無料といって招かれた私立の音大に通っている。
しかも、しかも、二人同じ曲を吹かされるのだ、こりゃ、もうダメ、さぞ、プレッシャーだろうと同情した。

休憩まえにトロンボーン以外が演奏、ユーフォニアムとテューバは大学院卒の、超大柄な男性、出る音も迫力だった。
娘が言った。このうちのどっちか、もう決まったようなものよ、と。

トロンボーンの芸大生もすごい太め、だから音はかなりの迫力だったけれど、このトマジの曲は、曲想がつかみにくい、楽しくもなんともないメロディ、このあとは大変だろう、と、ますます不安。

孫娘はぴったりした黒のパンツに、襟のあいた黒シャツという、すっきりした出で立ちで、大男ばっかりのあとだったので、すごく可憐に見えた。
こんな女の子に金管がふけるのか、と思われそう、でも始まりの音は澄んでいて美しかった。落ち着いて吹き切ったと思う。なにより、楽しくもなんともないメロディを、聴かせる魅力がそこにあった。
終ってから、「よかったよ、というタイトル、あなたの演奏には確かな音楽があった!!」とメールを送った。

そのあと一緒に食事をする約束だったので、エスカレーターを降りると、孫娘は同級生数人に囲まれていて泣き顔だった。「思うようにできてない、悔しい」と言ってまた涙ぐむ。
娘が言った。「泣くのは、まだ上昇志向が残ってる証拠、大丈夫」

もう、わたしの出番を必要としない、親子関係を見たという気がした。

2017年2月21日 (火)

オペレッタ『天国と地獄』を観る

オッフェンバックという作曲家が好きである。歌劇『ホフマン物語』を何度観たことか。

でも彼はオペレッタを作り出したひとである。今から160年まえのパリで、2百回以上上演されたという、その傑作『天国と地獄』をかねてから観たいと思っていた。

東京オペレッタ劇場が内幸町ホールでそれを上演することがわかって、チケットを早くから買い求めた。オペラとは格段に異なる安価な4000円、自由席、一体どういう舞台になるのだろう。音楽は?舞台美術は?衣装は?Photo


200席にも満たない多目的ホール、その日は満員だった。高齢者が多い。
音楽はピアノとヴァイオリンのみ、舞台美術はかなり斬新、最後の地獄の場面は片目をつむった真実の口が大きくかかげられていて、あっと驚く趣向。

ギリシャ悲劇『オルフェオとエウリディーチェ』をパロディー化したせりふの多い現代調。
芸達者な歌手たちである。脚本も意表をついていて、トランプや小池百合子まで登場させる思い切りのよさ。十分に笑わせてくれたあとで、登場人物の実力十分の歌唱のすごさに圧倒される、そのギャップが楽しい。

当時のフィガロ紙が「ともかくあかぬけている、気が利いている、聴衆を魅了してやまない、心地よく響くメロディ、楽しい」と大絶賛した言葉はそのまま、今日まで生きている仕上がりとなっていた。

オーケストラなどなくても、決して邪魔をせず、しかも見事なアンサンブルのピアノとヴァイオリンのデュオが、また素晴らしい。
こういう工夫に満ちた、親しみやすい舞台こそがオペレッタの身上。
あのあまりにも有名なフレンチカンカンのメロディのほかのも聞き惚れるアリアや二重唱、三重唱などがひっきりなしで、本当に満足した。

昔の浅草オペラというのはこういう作品の連続だったのではあるまいか。
肩の凝らないオペレッタこそ、今の日本が必要としているものなのかも。
八月公演の『ボッカチオ』が見逃せない。

2016年11月19日 (土)

サントリーホールで『ラインの黄金』を観る

数か月ぶりにサントリーホールに出かけた。
きょうの演目はワーグナーのホールオペラ『ラインの黄金』

六本木一丁目で降りて、サントリーホールへの矢印を進んでいたら、ガラス張りのビルの中に誘導されて、あわてた。サントリーホールに行くのだけれど、と二度ぐらい人を呼び止めて確かめ、進みながら、びっくりしていた。両側に食事どころや、青果店や、肉のかたまりをぶらさげた精肉店まであって、すごい変貌ぶりなのである。
六時半開演とあって、ひとりで外食をするのが億劫になり、家で済ましてきたのだが、こんなに、軽く入れそうな店があるのなら、とちょっと後悔していた。
商品の値段をみると、煎茶のティーバッグ入りの袋が千円以上していたり、けっこう、どれも高値である。だが以前より便利になったのは確かだ。

席は二階の前から十番目ぐらい、入りは七分ぐらいで、空いている前の席に移動したくなったが、だれもそんなことをしていないので、ぐっとこらえた。
きょうの主役はオーケストラ、新時代のカリスマ指揮者として名高いクリスチャン・ティーレマン、休憩なし、座りながら、およそ3時間余のぶっとおしの指揮。
後部の高いところに、歌舞伎の襖絵つきみたいな舞台ができていて、雪を頂く山山が描かれている。左わきは水を暗示するのか、ブルー、右は茶系の壁がある。その上方かなり高いところに字幕が出るのだけれど、わたしの席からはその字幕がしっかり読み取れない。視力が落ちているせいなのか、オペラグラス持参だったので、グラスをひざに下すことが少ないぐらい、ちょっと疲れる観劇だった。

オケの音は申し分なかったが、登場人物の衣装が超現代的、神々の王ヴォータンは黒のスーツに白いマフラー、あとの巨人族やニーベルン族もTシャツみたいなラフな出で立ちで、声はそろっていていいのだけれど、ちょっと、という感じ。

でもさすがワーグナー、クレッシェンドが迫力、人間の心理描写にぴったりの音で効果を出す。そして怒涛のような高鳴りの和音にまきこまれる高揚感、これがたまらなくて、わたしはまだ、これからもワーグナーを見続けると思う。

外に出たら、彩も美しいクリスマスツリーに目を奪われた。
1年が経つのは早いとつくづく思いながらシャッターを切った。Photo

2016年8月15日 (月)

メトライブ『フィガロの結婚』を観る

若い友人のK子さんと、モーツアルトのオペラに、なぜか感動したことがない、ということに大きく共感したばかりだったのだが、それでもきのう、メトライブの『フィガロの結婚』を観に出かけた。
このところの身体の不調で家に閉じこもりぎみだったので、なにか、あの脳天気に明るいメロディ満載のモーツアルトを大画面でガンガン聴きたくなってきたからだ。

あまり期待していなかったのに、これは大当たりであった。
演出が時代考証を、第二次世界大戦時におきかえた・・・つまり『ダウントン・アビー』のころの現代調になったせいで、物語が現実味を帯びてわかりやすくなり、しかも演出家と指揮者レヴァインの意気がぴったり合い、演技に重点がおかれたせいで、ゲラゲラ笑ってしまうようなユーモアも生きて、その上容姿よし、声よしの歌手勢揃いの迫力に圧倒されたからである。
何よりもケルビーノが美しかった。宝塚の男役も真っ青の美男ぶりである。Photo

大体宝塚の洋物は欧米人の顔立ちに近いスターが選ばれるわけだから、ましてや、本物の欧米人のきりっとした顔立ちの女性が男装すれば、まぎれもなさが増すわけで、本舞台のイザベル・レナードのハンサムぶりには息をのむばかり、あのアリア「ヴォイ・ケ・サペーテ・・」の美しさに酔いしれた。

舞台も回り舞台で、フィガロの部屋、伯爵夫人の部屋、まわりながら変化する楽しさの効果大であった。
けれども、三分の二ほどまでのテンポがあまりによすぎたので、スザンナと伯爵夫人が衣装を交換して男たちを翻弄する場面はちょっとだれ気味、このあたりがモーツアルトに疲れてしまう限界かな、と思ったりはした。

秋にウイーン国立歌劇場が『フィガロ・・』を引っ提げてやってくるが、数万円だすことに比べれば、このメトライブ3100円の『フィガロ…』必見の価値あり、だとわたしは思う。

東劇、9/1、2、 14:00. 9/21 19:00(まだ観るチャンスありです)

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