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カテゴリー「音楽」の70件の記事

2021年7月12日 (月)

新国立劇場『カルメン』を観る

『カルメン』は積極的に観たいオペラではなかった。悪女が主役のストーリーが好みでないし、聴きなれすぎている序曲のメロディも、うんざりだと思っていた。それなのに、行こうかという気になったのは、大野和士さんの音楽を期待したからである。

 

舞台一面を鉄パイプの足場の様なセットが組まれていて、その主要部分が上下して、内部でストーリーが展開するという、斬新な舞台美術。

 

いつもの一番気に入っている座席、Lの五番という、張り出した中二階の最前席、オーケストラピットの内部がよく見えるのがうれしい。

その効果が十分すぎるくらいの感激が生まれた。

 

悪女カルメンの魅力も歌唱力も今ひとつだったし、相手役のドンホセは背丈が足りず、テノールの声の伸びが十分とは言いがたかったし、エスカミリオも迫力不足ではあった。

けれども、60人以上がぎっしりつまったオケが発する強烈な音色が歌手力を補って余りある音楽をひびかせてくれたからである。Photo_20210712094701

 

ビゼーの音楽の美しさは、歌手の歌唱力に頼るものだけではなかったのだ、ということがわかった。オケが主役で、歌手たちと舞台はそれを支えるという効果は、あの特異な舞台装置で一層生かされていた、そういう大野さんのカルメンを、わたしは心から楽しみ、コロナ禍の中で与えられた癒しの音楽への感謝があふれたのである。

 

11日の夜九時、NHKEテレクラシック音楽館四人のマエストロという番組での大野和士さんの発言はこの日のオペラ体験を裏付けるものだった。指揮者は何をするひとか、という問いに彼は「音に命を与える…自分は音を出さないが、譜面を具体的にイメージして持っていく」とジェスチャーをしながら、熱く語ってくれたのである。

 

海外から歌手が来られないときが続いても、わたしは大野さんが新国立の芸術監督をされているかぎり、彼の音楽を聴きに行きたい。

9月の『清教徒』をまたあの、L席で予約をすませた。

2021年5月17日 (月)

東京ハルモニアのリスト、メレディクション(ピアノ、江口玲)

15日、この日の外出が可能となるかずっと心配だった。身体の突然の異変が消え、血液検査も、ほぼ正常とわかったので、元気は出てきたのだけれど、上野の東京文化会館までという遠出は三週間ぶりぐらいなので、足元がふらついて倒れたりしたら、どうしよう、などと不安がちらついていた。

でも、音楽が癒してくれる、きっと、と確信して出かける。

お天気もいい、電車もガラ空き、文化会館小ホールは五分の入り、中庭の見える広々としたロビーが気に入っている場所だ。

危なげなく、無事についた。

 

12人の弦楽器だけの室内オーケストラ、東京ハルモニアの定期演奏会を選んだのは、ドニゼッティ、リスト、ヴォルフ、レスピーギ、選曲に惹かれたこともあるが、何よりもリストを弾く、江口玲さんのピアノが聴きたかったからである。

それは正しく期待どおりであった。中央に据えられたローズウッド・スタインウェイ、それをハルモニアの奏者が囲むように位置につく。

初めて聴くメレディクション(呪い)という曲目、ピアノと管弦楽の第一楽章だけというリスト独特の想い入れ多い14曲の一つであるそうだが、これぞリストという最初のピアノのフォルテの和音にまず心をゆさぶられた。これを聴くためにわたしはここにいる、という感じにつつまれながら、ただただ、聴きほれる。江口さんの、この日の表現力は格別だったように思う。ラフマニノフも弾いたという歴史ある古いスタンウェイ、響きが独特の迫力で、リストの醸し出すメロディの妙がさえわたった。

合間をいろどるフォルテ、プレストのフレーズも忘れがたく美しかった。12人のハルモニア奏者はピアノを引き立て、包み込むような合奏の音の冴えを聴かせてくれた。

アンコールのシューマン=リストの「献呈」聴きなれた曲だが、江口さんのこの日の表現には今この時期、いろいろなことに耐えているわたしたちへの励ましが一音、一音にこめられているようで、涙があふれそうになった。

 

来てよかった、癒されたと心から満足したコンサートであった。

 

2020年8月31日 (月)

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を観る感激

若い友人の一人、A子さんは、読むべき本、観るべき映画作品などを次々教えてくれる有難い存在でもあり、私のブログの読者でもあり、ブリッジの大切なパートナーでもある。

 

彼女と先週、五反田のクラブでブリッジをプレイしたあと、ピザハウスでクランベリージュ一スを注文し、ピザを分けあいながらの、早めの夕食をともにしたとき、メトロポリタンオペラのライブビューイングに行く予定のことが話題になり、オペラを観る喜びを知ったのも、わたしのブログを読むようになったからだと、言ってくれて、感激したのだが、そのあと、彼女がワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に行くつもりだというのを知って、驚いた。五時間の超大作、今のこの時期、ちょっと冒険すぎるのではと、躊躇していたからだ。

夜の回ではなく、朝の十一時だから、行く気になったとも、言うのを聞いて、そうだ、それならわたしも、それに彼女がいるというだけで、心丈夫、何とか努力をしてみようと、決行する気になった。

中三日のうちに,出かけそこねていた健康診断をすまし、異常なしを確かめたあと、長時間留守にするだんどりを整えた。前の日までしっかり手作りの食事、当日は朝から玉子とサラミのサンドイッチを作って、飲み物も水とミルクティーの二種を用意していざ、出発。

 

会場はゆったり、一つ置きの席だったが、見回すとそれがほとんど埋まっていた。だれもが、わたしと同じ、音楽に飢えながら、この半年以上ずっと我慢をしていたのだろう。

第一幕のまえの前奏曲が始まる。あのあまりにも有名な旋律、パンパカパーンとよく歌っていた、金管と打楽器のフレーズを、レヴァインの力あふれる指揮ぶり、感動で胸せまりつつ聴き入る。そして美しいコーラスが続く教会のシーン、裕福なマイスターの一人娘エファと騎士ヴァルターとの出会い、ソプラノ、テノール、バリトンの歌声が飛び交う舞台にもう夢中。

ワグナー唯一の喜劇、と称されるこの作品、歴史に基づいていて、あらゆる職種で研鑽を積み試験に合格して親方となったマイスタージンガーたちは歌の技術も競いあっており、その歌合戦で、優勝者にはエファと財産をさずけられることになっていると知り、騎士ヴァルターは挑戦を試みる。「歌の規則」を全く知らない彼を応援する靴屋の親方ザックスと、それを邪魔しようとする書記官のベックメッサー、人間の悪意と善意が入り乱れる物語は最後のハッピーエンドまでその思いがけない展開に目が離せない。

レヴァインはインタビューの中で、これは喜劇といっても、wholehearted human story,

人間の心を見据えた深い物語ともいえる、と語っていた。

ワーグナーの音楽はときに美しく、哀しく、ときに激しく、聴く者の耳を打ち続ける。わたしは正味四時間半、まったく目を吸い寄せられ、耳を澄まし、少しも疲れも、眠気も感じなかった。

一幕の終わりのインタビューで、舞台技術についての質問のとき、階段のある町の情景の二幕目の場面づくりのために今百人あまりが働いているとの回答があって、その裏方の人たちがこのコロナ禍のため、全員が解雇になったという、数か月まえのニュースを思い出して、涙がでそうになった。

このオペラの主役はバリトンのザックス役である。今回のミヒャエル・フォレは代役で出たひとだというが、演技力もすぐれていて、歌声も美しく、カーテンコールのときはスタンディングオベーションと共に拍手が鳴りやまなかった。

ヴァルター役のテノールは容姿が、青年というにしては、あまりに肥満の中年で、エファが「ダヴィデの様な方」という形容をなんとか当てはめようとするのだが、ちょっと無理があった。でもさすが声はいい。やはりオペラは歌声さえよければ、の世界が生きており、とりわけ、この長丁場の作品には耐久力も必須だから、この肉付きのよさが生きた、と言えるのかもしれない。

 

あまりにも長時間のオペラ、今後いつ再演なるか疑問だ。決心して観にいき、これほどの感動を得た価値はあったと断言できる。Photo_20200831210001

 

 

 

 

2020年5月21日 (木)

『駅ピアノ』から

NHKBSの空港ピアノと駅ピアノを好んで観ている。

アマチュアでもミスタッチも少なく、よくこれだけ弾けると感心することが多いが、感動したのは、昨日の深夜放送、粒ぞろいのロンドン、セント・パンクラス駅のアップライト『駅ピアノ』。

 

通勤途中に必ず弾くというシステム・エンジニアの若い男性、七歳から弾いているだけあって、テクニックも見事、ボヘミアン・ラプソディなど、クイーンの二曲には多くの人が立ち止まり、スゴイ口笛と拍手。

いつかプロになりたいというピンクづくめの女性の弾き歌いは、最初の男性に比べると迫力は欠けるけれど、それなりに自分を主張していて、耳にやさしく、好ましい。

 

そしてラスト近く、ジャズ・シンガーだというフランス女性、いかにもパリの香り豊かな深紅のスカーフのあしらいもステキな彼女、かたわらにたたずむ白髪の男性に語りかけながら、『君住む町』を弾き歌いする。二人はここで知り合ったのだそうだ。

そして続いてその高齢の男性が『マイ・ウエイ』を弾きはじめる。

なんと一か月半まえに脳梗塞を患い、退院したばかりだというのに、あざやかな弾きぶり。

ピアノを弾く力は、病んだあとでも、健在しているということに勇気をもらった。

 

このところ、心の疲労も深くなったせいか、いつも身体がどんより重い。

そうだ、鍵盤楽器を取り出して、弾いてみよう。

今のこのとき、シューマンの『五月よ、五月…』を。

 

 

 

 

2019年12月 2日 (月)

『リナルド』のアリア

学生時代、母校でなにか儀式があるときには必ず歌わされていた『Oh Lord correct me…』が創立者の愛唱歌であることはわかっていたが、これがヘンデルのオペラのアリアに源を発しているということを知ったのは、ずっとあとになってからだった。

そのアリアが出てくるオペラを一度観たいものだと思いつつ、ヘンデルのオペラが上演されることが稀有であるため、チャンスがなかったが、きのう、王子の北トピア、さくらホールで上演された『リナルド』を観て願いがかなった。Photo_20191202221001

わたしにとってはオペラの先生役のお友達、kikukoさんのスケジュールをチェックしていて、チャンス到来となったのである。

二幕目、リナルドの恋人アルミネーラが囚われの身となって、「泣かせてください」のアリアを絶唱する。激しい感情のこもった歌声は美しくひびいて、聴きごたえがあった。

 

Oh Lord correct me…』の歌詞は、これぞ正しく旧約聖書のエレミヤ書1024節の引用、主よ、わたしを懲らしめてください、そのままである。これが教会などで、歌われる機会がないのは、なぜなのだろう。

英語の意味も正確には把握しないまま、歌詞だけはいまでもほとんど暗記しているなつかしい歌、kikukoさんがYouTubeから貼り付けして送ってくださった、レジネヴァの歌唱は『泣かせてください』を実に清らかに歌いこんでいて、聖書のほうの歌詞を連想させるものがあった。

十二月の最初の日に、長年の疑問が明らかになって、なにか胸がすきっとしたような晴れやかさを味わった。

 

2019年6月18日 (火)

サントリーホール、P席

コンサートの開始を告げる時を刻む音がひびき、正面の壁に仕込まれたパイプオルゴールの扉が開いて音楽が一斉に響き渡るときの感激、カラヤン広場と名づけられたゆかりの大指揮者カラヤンが「音の宝石箱のようだ」と褒めたたえたというサントリーホールは、一番好きなコンサートホールである。

 

これまで何度出かけたことだろう。いつもよい席を確保するために早めの予約を忘れなかったが、今回は違った。

 

音楽友だち二人がすでに、日フィルの名曲コンサートに出かけることになっていて、二人に会いたいがために急きょ、わたしが一週間前遅ればせのチケットを手配したのだ。

一階はS 席でも端っこしか残っていなかった。それでは、と思いついたのが、いつか座ってみたいと思っていた、あの、オーケストラを後ろから見る、というP席である。幸い一枚残っていて、なんでも一列34番、一番まえの端っこである。

 

ホールを半分ほどまわって内部の階段を一番下まで降りる。よくたどりついたと思うほどの距離を歩いたが、膝の痛みはなかった。

 

きょうのプログラムはシベリウスの「フィンランディア」とドヴォルジャークの「新世界より」の交響曲第9番、あいだにシベリウスのヴァイオリン協奏曲が入るが、聴きものは正しく前後の二つ。管楽器大活躍の大曲、管楽器はすべて後部に位置しているから、それはそれは、楽しく音の動きを聴きとることができた。

 

指揮者の表情もはっきり見える。真剣な表情、和んだ顔、そしてメロディの高まりに全身が染まっていくように高揚する表情。ピエタリ・インキネン氏の表情は美しかった。

 

新世界…の第二楽章の始まり、イングリッシュホルンの音がことのほかうっとりするほどに響いた。正面からでは感じ取れない、微妙なビブラートをこの席では感受できた。

 

女性のシンバル奏者はトライアングルを大事そうに持って、世にもかすかで印象的な音色を作り出した。それが全体のハーモニーに溶け込むのをしっかり聴き取ることもできた。

 

なんだかすべての音響が一度ホール全体に行きわたり、また戻ってくるようなスゴさを聴いた。

 

P席、3000円也、これはもう病み付きになりそう…でも、トイレに行くにもホール半周はちょっとつらいけど…

2019年3月29日 (金)

カロローザ第56回定期演奏会のこと

S004 先日、泳ぎに行こうと駅まで歩いていると,すれ違った人から思いがけず名前を呼ばれた。ウイメンズ・コンファレンスで知り合ったピアニストのまどかさん、美しい音色に魅せられフアンになり、交流がはじまっていたのだけれど、近々のコンサートを控えていて、歌手の方との伴奏リハーサルでその方の自宅に向かうところだとのこと。

そこが我が家と徒歩三分の距離、奥まった通路のしゃれた鉄製のくぐり戸の向こうにどんなお宅があるのかと気になっていた場所、一度練習、聴きにきませんか?とさそわれ、ぜひぜひと、感激しつつうなずく。

 

それがきのう実現した。わたしはレモンパイとフルーツケーキを焼き、持参する。

クリスマスローズが咲き乱れ、しだれ桃が満開のお庭、白い二階建ての瀟洒なお宅の客間で至福の時間を過ごすことができた。

 

歌唱担当の山代さんはナチュラルな魅力漂う女性だが、フォーレの宗教曲の最初の発声で、衝撃を受ける。なんとわたしが女性の声で一番好ましいと感じている、メゾソプラノ、声量ゆたかな、深く心に染み入る歌声、それを引き立てるまどかさんの抒情あふれるピアノの音色、フォーレはこんなにも美しく、神々しい歌をつくっていたのか、と、ピアノ曲しか知らなかった無知を恥じながら、お二人がかなでるこれ以上ないほどの楽興に酔いしれた。

 

桐朋学園出身のピアニストを中心に、子育てを終えて演奏を再開した人を含めた女性たちのグループ、カロローザの定期演奏会は4月6日、河口湖円形ホールと、4月21日、東京オペラシティリサイタルホールで開かれる。音楽だけに生きてきたのではなく、人生経験を経たあとだからこそ、かもしだせるより豊かな音色、それを必ずやこの場所で聴けることを確信する。

2019年3月22日 (金)

アンスネスのモーツアルト

久しぶりの東京文化会館、ベルリン放送交響楽団との協演でブラームスの協奏曲一番を聴けるはずだった。

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ところが精養軒で食事をしているとき、隣の話し声が耳に入った。「曲目変わったのよ」

入場して渡されたプログラムを見るとやはり曲目変更、「日本の皆さまへ」というアンスネスの詫び状がついていて、それによると昨年12月から右ひじの故障に悩まされており、大きな身体的負荷を要求される演奏を避けなければならなくなり、今回モーツアルトのピアノ協奏曲21番に変更したという、経緯が明らかにされていた。

アンスネスもデビュー以来、三十余年、身体的悩みをかかえるようになったのだと、世界的な名ピアニストの一人として名を連ねるようになった彼を、ずっと見守っていただけに、演奏家の人生が重なって深い思いを味わった。
アンスネスが訪日するときにはコンサートに欠かさず出かけ、友人のアンスネスフアンと一緒に彼が監督をつとめるノルウエー、リソールの音楽祭にも出かけて、一軒家を借り、一週間、小さな白い教会で奏でられる音楽の粋に酔いしれたこともある。

その日のモーツアルトは彼が述べていたように、美しさとユーモア、ソリストとオーケストラの間で交わされる気品に満ちた会話があふれた、演奏で、軽やかでかつ響きと迫力ある音に魅せられた。彼の演奏はいつも、登場するときの颯爽とした姿にふさわしい、期待を裏切らない、ピアニズム、何と言っても気負いのなさで聴くものをリラックスさせながら、しかも、ここぞというときに、満喫させてくれる引き入れられるようなド迫力のテクニックだろう。

どうか、養生されて、ブラームスを聴かせてもらえるように、再来日をのぞみたいものだ。

この日、レストランで食べた、「天使のえびと帆立貝のポアレ、キノコのリゾットそえ」は想像を絶する美味だった。野菜が少ないと思ってオーダーしたミニサラダもドレッシングとの相性がよかったし、リゾットはほんの少しだから、パンかライスがあったほうがいいと、アドバイスしてくれたウエーターさんに感謝したいほど、パンもおいしかった。
ここのメニューの写真はどれも大写しで、うわっつ、こんなに食べられそうもない、と思ってしまうのだが、実際に供されるものは小さ目で、クリームコロッケなども、高齢者が残さず食べられる上品な大きさになっている。あの、写真、換えればいいのに、などと思うのはお節介かもしれないが、これほどおいしいメニューを見つけたとなれば、上野は来やすいので、小ホールの好プログラムなども選んで、また出かけようという気になった。

2019年2月 9日 (土)

『椿姫』をぜひ、(2019メトロポリタンライブビューイング)

必見の『椿姫』である。これまで数回、このオペラを観たが、今回が最高、本場ヴェネチアまで出かけて、フェニーチェで観たイタリアの上演作より出演者も舞台美術も、演出も音楽もはるかにすぐれている。Photo


ヴィオレッタが美しく、ダムラウの演技が素晴らしい。第一幕はほとんど切れ間がないほど歌唱力を要するアリアが続くが、観る者を疲れさせない余裕の表現力である。
幕間にリハーサル風景が紹介されるが、指揮者ネガ=セガンが導き出す、歌唱力の見事さに圧倒された。すなわちピアニッシモに哀しみと秘めた病気のつらさを表せという解釈が生きているのである。

フローレスのアルフレードも至難のベルカントをこなしてきた彼にはいともたやすい、楽しめる役柄なのであろう。わたしにはロッシーニ歌劇より、ヴェルディを歌う彼のほうが好ましく感じた。アリアの質においてはこのオペラ、ヴィオレッタの数曲が突出しているが、今回フローレスはアルフレードのそれを、忘れがたい旋律に高めるほどの功績を遺したと思う。Tubakihime_2


そして、耳新しい名前なので、それほど期待していなかったクイン・ケルシーのジェルモン、二幕目登場最初の発声を聴いた途端、しびれた。のびやかで迫力あるバリトン、これぞ、「プロヴァンスの海と陸」のアリアを歌うにふさわしい声。このオペラで一番聴きたいのは、わたしにはヴィオレッタの数曲より、ジェルモンのこの一曲なのである。
そして彼はそれを切々と、心ふるわせる声音で歌いきった。
カーテンコールのときも彼があらわれたときはごお~っという歓声が一段と強まったのは、このアリアへの期待がそれほどに強い観客が大勢いるのをあらわしているのではと思われた。

ハワイ出身とのことだが、メトオペラは逸材を発掘するのが巧みだと思わないではいられなかった。

めずらしく、この初日のライブ、二子のシネコン、ほぼ満席で、三十分まえに行ったのに前から四番目の真ん中、これは疲れるぞ、と覚悟があったのだが、かえって画面にも音楽にもずっしり浸れ切れて、満足感が高まった。

一つだけ、難を言えば、二幕目の舞台が室内だけで、パリ郊外のヴィオレッタの屋敷という雰囲気が薄かったこと、数十年前シカゴのリリックオペラで観た庭園の緑が見える、恋人二人の憩いの場所の感が深まる舞台美術がなつかしく思われてならなかった。(二子シネコン18日まで、東劇21日まで)

すみません、東劇21日まででした!

2018年11月24日 (土)

コヴァルスキー…ファジョーリ

近頃、自分でコンサートを選ぶより、クラシック界の情報にくわしく、選択眼のすぐれた友人を頼りにすることが多い。
『メフィストーフェレ』もそうだったが、今回のカウンターテナー、ファジョーリも予備知識ゼロで、聴いて驚愕。
スキンヘッドに髭をたくえた、一見マッチョな風貌からは想像できぬほどの、音域のひろいメゾソプラノを聴かせるファジョーリ。Photo_2

三オクターブを行き来する声のトリル、音程は確かで、声量も並外れている。
名前から想像するとイタリア人だが、アルゼンチンの出身、あの高名なコロン劇場付属芸術校の逸材だった。

共演のヴェニス・バロックオーケストラが秀逸、ヴィヴァルディはこのオーケストラのためにあるというほどの音と格調の高さ、この共演だからこそ、ファジョーリの声が一段と冴えたという効果があったと思う。

オール・ヘンデルというプログラムだったが、これだけのヘンデル歌手は稀有ではないかと思うほどの完璧さで、ヘンデルのオペラが上演上の困難があるのも、歌手探しの問題があるのかもしれないと推測できた。
だが、最近はカストラート養成が盛んらしく、来年以降もカウンターテナーの来日は続く。
ほぼ満席の客席も男性客が多く、ブラボーの掛け声が多かった。

今から三十年まえ、ヨッヘン・コヴァルスキーというカウンターテナーのフアンになったことがある。どちらかと言えば、気障な二枚目で、立ち姿の美しい彼が醸し出す何ともいえないマジカルな魅力に心を奪われ、彼のオルロフスキー公爵が見たくて、『こうもり』も観に行ったりしたものだ。Photo


今回のファジョーリ、前から六番目の席で、オペラグラスを取り出し、声の出し具合も確かめたりしたのだが、この生々しい魅力は強烈すぎて、アンコールは一曲だけ聴き、帰りのバスの時間が不安になり、早々に帰途についた。
オペラシティは一時間以上、夜の往復は少々つらい。コンサートはもうサントリーだけにしたわ、という同年代の友人が言うのも、うなずける、と思った。

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