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カテゴリー「映画・テレビ」の80件の記事

2017年7月10日 (月)

COOL JAPAN 上野特集

久しぶりにCool Japanを観た。十年以上にもなる長寿番組だが、日曜の六時台は
いつも忙しいので、つい観るのを忘れてしまう。
この日は「上野」が特集、これはぜひ観たいと思い、録画しておいた。
中学生のころ、親友が池之端に住んでいて、よく泊まりにいったりしていたので、不忍池界隈は本当になつかしいところである。その友人はすでに三十代で急逝してしまったのだが・・・

司会の鴻上尚史さんの仕切りぶりがいい。外国人ばかりの出演者にうむを言わせぬ貫録がある。
外国人の選ぶ上野のベストファイブ、五位はなんと上野東照宮、以前出かけたときはいつも工事中で中まで入った覚えもない。ところが修復工事が完成したこの場所、日光にも引けを取らぬ素晴らしさである。色鮮やかな動植物の彫刻、まばゆい金箔をふんだんに使った装飾、これはぜひ一度行かなければ、と思うけれど、このごろは上野と聞いただけで、交通のことを思い、シンドイと感じてしまう、年齢相応の弱りようである。
イタリア人のフラビオさん、聖なる場所をふんだんに実感させてくれるところ、イタリアの世界遺産と共通するものを日本のいたるところで歴史の重みと共に感じると、語っていた。
四位と三位は不忍池と動物園、池の中程にまで動物を移動させる橋などがあり、シロクマが水中に潜って戯れるさまを見られるようになっていたり、サル山があったり、いかに動物が居心地良く過ごすか、思いやりあふれる施設が感動的だと口々に発言する外国人出演者の優しさがうれしかった。
二位は国立博物館、私を案内してくれた下町生まれの日本通の友人のことを想った。彼女にどれほど、日本の良さを教えてもらったことか。谷中や、根津周辺、のお寺散策、まだ足がまともだったころに、沢山歩けたことは幸いだったと思いたい。いまは美術館歩きも積極的にならなくなっている。
 
一位は意外にもアメ横であった。大学生のころ、アメ横は、アメリカからの輸入品の宝庫だった。化粧品や、靴、アクセサリーなどを友人と連れ立って買いに行った。
いまのアメ横はアジアの食べものや、居酒屋などもひしめく、多国籍風のマーケット、威勢のいい外国なまりの掛け声に活気づく場所、だれとでも友達になれる、と出演者たちは言う。
パイナップルやイチゴを串に刺して食べさせるところもあり、イギリス人は切った果物をこういう風に食べさせるところは自国にはない、と言って喜んでいた。

日本は静寂とカオスが隣り合っている不思議なところ、という感想をもらす外国人たちに
我が国の良さをあらためて教えてもらったような気がした。

2017年2月13日 (月)

『たかが世界の終わり』を観る

ユニオンチャーチのバイブルクラスで映画『沈黙』についてディスカッションすることになっていたので、みんな一緒に観に行くという六本木ヒルズはやめにして、きょう二子シネマに一人で出かけたのだが、時間を間違えてしまって、朝十時始まりのを見逃してしまった。
二度目のを、夕方まで待つのは、つらいし、あきらめようかと思ったら、先日孫息子が、これは絶対見逃せない、と力説していたグザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり』がちょうど始まるところだったので、急きょ方針を変えて、観ることにした。カンヌのグランプリをとり、アカデミー賞の外国映画賞も獲得したというのだから、大いに期待していたのだが、意表をつかれることばかりで、作品にのめりこめなかった。
不治の病をかかえた36歳の劇作家が家族に別れを告げるために。12年ぶりに帰郷するという物語。Photo


ともかく大写しの画面ばかり、それも語気荒い、本音だらけの、ののしりあいのせりふの連続で、疲れてしまう。伴奏の音楽もすさまじい音響で、難聴をわずらった友人が、これがひどいからシネコンにはいかないと言う気持ちをまさしく理解できた。
マリオン・コーティヤール、ヴァンサン・カッセル、名優揃いの大写しの一瞬、一瞬の表情の変化がすさまじく、これが満足というひともいるだろう。だが、しんみりとした胸にしみいるような場面が好きなわたしにとっては、内容のまったくない、わめきあいは不快でしかなかった。
だが、死病を患い、ほかのみんなは普通に生きていられるその生活感の差の中に歴然とあらわれる孤独を、ギャスパー・ウリエルはよく演じていたと思う。

高齢で死にゆくときも、みなから置き忘れられるような、孤独感を味わうに違いない。そのとき、饒舌になるのか、寡黙になるのか、わたしはどちらなのだろうか、などと思ってしまった。

エンドロールとともに歌われる「誰にも届かぬ心の叫び、ただ神のみが耳を傾ける」の言葉が心にひびいた。

2016年12月19日 (月)

『真田丸』終わる

『真田丸』が終った。一回も欠かさず、観ていた。
と、いうのも、冒頭の音楽に衝撃をうけるぐらい、魅せられたからだ。時代劇にヴァイオリンのソロを使うとは、何という発想力、それがしかも、血沸き胸躍らせるいいメロディである。これまでの大河ドラマの筆頭をいくぐらいの傑作だと思う。
左官のひとがつくったという題字もいかにも築城のイメージを彷彿とさせる効果があったし、合戦のすさまじさを象徴する動画もよかった。

とかく大河ドラマではナレーションが話題になるが、有働アナは耳障りのいい声音をときに張りつめて、ドラマの格調を高めることに貢献していた。俳優の演技だけでは表現しきれない、歴史の持つ重みを、彼女の声が語りつくしていたように思う。

どんなドラマが展開するのか、期待いっぱいで見始めたのだが、イメージしていたものとはかなり違った。真田幸村と言えば、配下にいたとされる忍びのものが想像されるが、それがさっぱり出てこない。わずかに疾風のごとくにスピード感あふれる登場をする「佐助」にその面影がある程度だ。
ともかく、毎度毎度、戦国時代の権謀術策のやりとりばかりなので、観終ると、またか、とフラストレーションがたまった。

これまでの大河ドラマでは父親役はすぐに死んでしまうものが多かったが、今回は違った。
長生きなのである。『真田太平記』で幸村を演じた草刈正雄が自ら望んでこの役を勝ち取ったと言うだけあって、なかなか渋い演技で好演していた。『・・太平記』のギラギラした丹波哲郎とは異なり、すっきりしたしぶとさいっぱいで演じきり、今回一番得をしたひとは、このひとではないだろうかと思われたほどだ。

ネットのレビューでは脚本をめぐって、かなり酷評があふれていた。わたしもそれにうなずくところもあった。

堺雅人というひと、なんとも優しい目をしている。だが、あの銀行ドラマの主役のときのように、ここぞというときには鋭い眼光がみなぎり、圧倒されるが、彼が、ようやくその魅力を発揮しはじめたのは、44話、真田丸が築かれたころからだ。

まだか、まだか、とじらしておいて、最後ちかくで幸村が、こうあってほしいというイメージぴったりの凛々しさをみなぎらせる、衝撃を、脚本家はねらっていたのではないか。

最終回は、そういう意味で、幸村の雄々しさ、あの時代の武士の美学をすべて見せてくれたことに、わたしは満足した。Photo

2016年9月30日 (金)

『ある天文学者の恋文』を観る

一作の映画を観たあとで、自分とまったく同じような感性でうけとめているひととの共感をわかちあう至福を、このブログを書いていることで得られるようになった、その友人、K子さんから面白そうな映画がくる、とおしえられて、共に観たジュセッペ・トルナトーレ監督の新作『ある天文学者の恋文』、最初から最後まで画面に目をすいよせられつつ、観終った122分だった。Photo


親子ほどに年の違う、老天文学教授とその教え子の恋物語である。
六十代後半のジュレミー・アイアンズ、往年の二枚目も、この年齢、大画面で老醜は隠しきれないのではないかいう懸念があったが、ギリギリセーフ。何といっても、折り紙つきの演技力だし、品格と知性ただよう風貌は、人生の最後までロマンスを全うできる役柄に、これほど打ってつけのひとはいない。
相手役のオルガ・キュリレンコ、ウクライナ出身の女優、魅力的だが、たくましいと言いたいほどの大柄である。
冒頭近く、場面が一転して、映画をまちがえたのではないかと思うほどのアクションシーンが展開、彼女は天文学専攻の博士課程に在籍しながら、スタントウーマンのバイトをしているのだった。
それが妙にハマッテいると思って経歴を調べたら、007のボンドガールだと、わかって、なるほど・・・
死と隣り合わせの、軽業のような仕事をなぜ、そこまでするか、だが、それには、この女性の封印されている謎の過去が関係している。
老教授は死病にとりつかれ、亡くなったと報道がありながら、嘆き悲しむ彼女のもとに、まるで彼女の行動をどこかで盗み見ているように思われるほどに、機を逸せず、カードや、メールや、プレゼントが届く。二人のやりとりはメール、携帯、スカイプ、ビデオメッセージという現代の通信技術の粋をきわめたものだ。そのスピード感に、どれがいつ、どうなってと推理が追いついていかぬほどの、展開でストーリーは進む。
だが、その恋文がただの通信手段に終わっておらず、観客の心に残る重みを保っているのは、この教授が現在の通信技術以前の書き言葉で相手の心をとらえる時代に生きていたからこそであろう。

めまぐるしさばかりではない。教授の別邸、オルタ湖上のサン・ジュリア島の風景画面はうっとりするほどのゆとりの美しさに酔わされる。Photo_2


二年まえのマッジョーレ湖上のペスカトーレ島のステイに思いを馳せ、なつかしさがこみあげる場面でもあった。

忘れがたい画面が目の奥に残っている。ヒロインが悲しみをこらえつつ、公園のベンチに座っているとき、一匹の犬が近づいてきて彼女に何かを訴えるように見つめるそのシーン、それと前後して一枚の枯葉が彼女の部屋の窓にはりついて、意味ありげにはためくシーン、トルナトーレ監督の真骨頂とも言える映像美の魔術だ。

あまりにも沢山の要素が入り混じる映画ではあるが、それでも納得しつつ見入ることができたのは、一人の人間の死を濃密にとらえて、描き切ったからだろう。

このところミステリー、サスペンスの世界で観客を魅了することを究めつつあるようなトルナトーレ監督はまだ六十歳、画面に人生観と映像美を混入する術も頂点まで達しそうな気がする。

強盗におそわれて頭部を怪我したりする災難があったらしいが、どうか長生きして私たちを楽しませてもらいたいものである。

2016年8月24日 (水)

題名負けの『グランドフィナーレ』

カンヌが、世界が<最高傑作>と絶賛!!
などと書かれたチラシにまどわされ、映画『グランドフィナーレ』とはスイスの高級リゾートホテルで繰り広げられる高齢VIPたちの壮大なドラマなのだろうと大いなる期待をもって出かけた下高井戸映画、めずらしく満員で立ち見まで出た場内。
シニアの多い客席を見回しながら、みな同じような期待感をもっていたのではと想像した。
ところが、いまに面白くなるか、なるか、という期待は宙ぶらりんに終わり、感動しないまま、なんだか、ばかされたような気分で終わってしまった。

一曲の大ヒットで一躍その名を知られた、引退大作曲家に女王陛下からの出演依頼がくる。同じホテルに滞在している友人の老映画監督はかつて名作を世に送り出したものの、今は鳴かず飛ばず、なんとかもう一花咲かそうと、次の作品の撮影に命をかけている。彼が大いなる期待をもって、ジェーン・フォンダ扮するかつての名女優に出演依頼をするのだが、その返事にあらわれた、彼女の演技が素晴らしかったと絶賛されたと言う割には、ものスゴイ厚化粧と大声の罵声の演技で、最後に監督の顔をなでようとするその手は、八十代の年齢を隠そうにも隠せず、ひどく血管の浮き出た、老婆の手だったことが心に焼きついた。

印象的なシーンもあるにはあった。牧場に放牧中のカウベルをつけた牛の群れを、老作曲家が指揮するように手を動かすと、自然の音楽がかなでられる場面。

ラストシーンが、これまたまったく感動なし。名曲と称せられる「シンプルソング」はこれぞ名曲なるぞ、とばかりに、力めば力むほどに、古代からの名曲を知り抜いている観客には美しいメロディとなって響いてこないのである。

だいたい、この題名、原題は“YOUTH”(若さ)という変哲もないものを、意訳きわまりないものにしたのが、成功したのかしないのか、観る方は煙にまかれてしまったというわけであった。

ちかごろ新聞、雑誌で批評家がほめる映画の期待はずれがあまりにも多い。彼らは自分たちの批評で興行成績が左右するのを恐れるあまり、本音を語らない傾向にあるのではなかろうか。
 
ネットを開いて一般の人々のレビューを読むほうがよほど面白いし、参考になるのである。


2016年4月23日 (土)

『とと姉ちゃん』にクレーム

今回のNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』が気に入っている。

主題歌がいい。「宇多田ヒカルはやっぱり凄かった」という記事を見つけたが、同感である。
思わず口ずさみ、花束をきみに、涙色の~を、花束をきみに・・・のところだけ覚えたが
中間を歌えるようになるのに、ひまがかかった。でもいいメロディである。
主人公の常子役、高畑充希も好きなタイプ、登場人物も芸達者が多く、これからが楽しみ。

なのに、あの祖母役の大地真央が何としても違和感である。
初めて出てきたとき、思わず「ええっつ、何これ!」と叫んでしまった。
まるで娘の木村多江のほうが年上に見える。なんであんな容貌にしているのだろう?メイクはどう見ても、三、四十代、それにあの髪型、どうみてもウイッグ、ウイッグしていて、とってつけたようなウエーブがヘンである。
あれは、本人の強い要望なのだろうか? 演技がド迫力なだけに、ますますの違和感だ。

それに比べて敵役の秋野ヨウ子(ヨウの字がクリックしても出ない)はメイクも見事だが、足がくたびれかけた歩き方といい、演技もすご味がある。
見直した。研鑽をつんでいたのだ。

先回の『あさが来た』の成澤泉もそうだが、NHKは視聴者の気持ちをそぐような変な人物像を登場させるのが腹立たしい。

2016年1月30日 (土)

母校創立者登場ー『あさが来た』

『あさが来た』を欠かさず観ている。と、いうのも、ヒロインのモデルとなった女性、広岡浅子女史が、私の母校創立に多大な貢献をしたひととして知られていたという親近感と同時に、国際婦人クラブCWAJに、広岡家直系子孫の女性がクラブ創立当時からの有力メンバーとして在籍したことがあり、交流もあったので、大きな関心を持たないではいられなかったのだ。

ドラマの始まりは快適なテンポで、楽しめたが、近頃は少々マンネリ化していたような気もしていた。
けれども、昨年、母校の元学長による広岡浅子の生涯に関する講演があったとき、このドラマに母校の創立者も登場することになっていて、初回の登場は一月三十日だという情報があったので、この日は見落としてはならないと、注目していた。

そして、きょう、ほんの一場面だったけれど、その人物が成澤泉という役名で登場し、わたしは、やっぱり、と思ってしまった。
演ずる俳優が、どちらかというと、アイドル系タレントだというのが、気になっていたのだけれど、あらわれた彼は「やっぱり」そのイメージだった。『テニスの王子様』や『仮面ライダー』で主演し、最近では『グレーテルのかまど』にも出ていた、あの彼である。
なにか、強いイメージで芸能界に入ったひとを、一般社会の真逆の有名人にするときは、人選に注意を払ってほしいと、このドラマで武田鉄矢が福沢諭吉を演じたときに、そう思ったけれど、近頃の視聴率獲得一辺倒のNHKにそういう繊細な配慮や感性を期待しても無理なのかもしれない。

創立者成瀬仁蔵は、牧師出身、アメリカでおよそ四年の留学を経て帰国し、女子教育の重要さを唱えたひとである。女性を「人として」「婦人として」「国民として」教育するという趣旨は、当時の男尊女卑で、服従とか忍従とかが美徳とされていた社会で、どれほど勇気ある発言であったかと想像できる。
しかも主婦業を尊び、それを、学問化して、家政学部を設け、料理の分野は食物科、住まいや衣服の分野は生活芸術科、育児の分野は児童学科として、構成するに至った経緯を思うとき、二十世紀になって起きた女性学の根本を成していたのだと今さらながら、感嘆してしまう。

一人の偉人のこういう背景を踏まえて、どのような演じ方をしてくれるか、脚本は視聴者の期待にどれほど応えてくれるか、いま結論を出すのは早計かもしれないけれど、今はどうか、この感想が思い込みの強さにすぎなかったというような展開になることを期待するほかはない。


2015年11月11日 (水)

『ノーサンガー・アベィ』のJJ・フィールド

ある日の午後、なにげなくイマジカBSにアクセスしたら、わたしがもっとも好む十九世紀のイギリスのドラマの一場面が映し出された。
好ましいヒロインとパートナー、もしやと思って検索するとやっぱりジェーン・オースティン作品、日本には未公開の『ノーサンガー・アベイ』、もう目が釘付けになって、最後まで見終わった。Photo

とりわけこの男性の主役が素晴らしい。目の大きな立派な顔立ち、響きのいいバリトン、美しいクイーンズ・イングリッシュに聞き惚れる。Photo_2

だれなんだ、一体?
検索したらJJ・フィールド、主役より脇役を好んで出演している俳優だとわかった。母親がアメリカ人、父親はイギリス人の学者で、のちのBBCのプレジデントという良家の育ちらしい、品の良さが演技のはしばしにあらわれる。Jj

何より目の表情が素晴らしい。じっと見つめる美しい凝視、上目使いのからかうような視線、怒りを潜めた迫力ある視線、そして屈託のない笑顔はなにか思いがけないプレゼントをもらったような爽やかな気持ちにさせられる。
観終って、録画し、またその眼が見たくて、十回ぐらい録画再生した。

この作品、実はオースティンの処女作、出版は後れたが、彼女の世界の魅力的な要素がすべて詰まっている。

聖職者の家に生まれたヒロインがバースの社交界にデビューし、富裕は家族の息子で聖職者のヘンリーと知り合い、恋に落ちる。彼の生家である、ノーサンガー・アベイという名の屋敷に招かれ、紆余曲折のストーリーが展開、最後はおなじみのハッピーエンドだが、当時流行ったゴシックロマンの風刺などもあり、物語の完成度にかけては『高慢と偏見』には及ばないが、華やかなストーリー展開は充分見応えがある。

自分の年齢を忘れて、恋の行方に見入ってしまう、ジェーン・オースティン作品の魅力は、現在の英国でも健在でジェーン・オースティンクラブというのがあって、雑誌も出版されているというから、年代を超えたフアンの存在感は確かなものなのだろう。

映画化されて、しかも肝心の男性の主役がかくも魅力的であるとなれば、この録画はもう永久保存ものになってくるというものだ。

2015年7月19日 (日)

長すぎる『0.5ミリ』

観たいと思いつつ、見逃していた映画『0.5ミリ』、読書、映画、多方面に目配りの利く、稀有な目を持つ若い友人J子さんから、飯田橋のギンレイで上映中という情報をもらって、11時半に間に合うよう、いそいそと出かけた。
いかにも昔の映画館という、この飯田橋ギンレイ、客席は飲み物を置く、くぼみ付きの椅子で、座り心地もいい。圧倒的に高齢者の多い列ができてウイークデイなのにほぼ七分の入り。
終るの、何時? と訊いたら、2時15分、ええっつ? 聞き間違いじゃないかと思ったほど、長いのである。3時間16分の大長編。Photo

場内は冷房が効きだして、スカーフやら七分袖の厚手のワンピースで武装してきたつもりでも、話が進むにつれ、冷え込んできた。

主人公は素性も、生い立ちもわからない、ヘルパー、高齢男性五人とのかかわりを描くのだが、ストーリーはオムニバスのように展開する。
寝たきり男性を抱き起こして排泄させようとして失敗する冒頭の画面は衝撃的、そのあと、介護にあたっていた娘から、老人と添い寝をしてやってほしいと頼まれ、そこから事件が起き、二人目の老人との出会い。一晩カラオケ店で過ごしたあとの別れまでは息もつかせぬ面白さ。
ところが、それからが、リズムがこわれる、長い、ともかく長いのである。
ヘルパーを演じる安藤サクラ、無表情、超自然体のスゴ味のある演技なのだが、老人たちを脅すときが、コワすぎて、弱いものいじめの、本性が出たみたいにみえる。
三人目のお笑い系,坂田利夫老人とは息が合っていないし、余分な画面が多すぎてダレ気味、四人目の津川雅彦老人は大きな目をむき、「戦争くらい馬鹿げたものはありません。亡くなったひとがお気の毒です・・」を繰り返すたびに、しら~っとしてくる。
一体、この脚本、監督はなにを言いたかったのか、長引けば長引くほど、焦点がぼやけてくる。
五人目、実生活でサクラさんのお舅さんの柄本明、このかかわりもよくわからない、冒頭の老人一家の暗い過去があらわになってくるらしいことは想像できるのだが、もうこの辺にくると、早くなんとか終わらせてほしいと思ってしまう。
それとこのヘルパー、料理が凄腕らしいのだが、老人家庭の食卓にまるでレストランみたいな皿が並ぶのは違和感がぬぐいきれなかった、母親安藤和津さんのフードスタイリスト的料理のように思えてならない。

四時間余のイタリア映画『輝ける青春』みたいに、語っているものが明確で、すがすがしく、史実もみごとに再現されていて、ああ、いいものを観たという満足感が得られたのとは違い、なんだかひどく疲れた三時間余だった。

帰宅してネットのレヴューを見る。絶賛が多かったが、長すぎるという意見も同じくらい多く、中には辛口の評も。
はっきりした主張が見えてこない。ぼやけた焦点のおかげで残尿感的なものが消えない、には実感があるだけに、言い得て妙と、笑ってしまった。


2015年6月 4日 (木)

映画がくれる至言

五月の多忙スケジュールのツケはぬぐいきれず、土曜から喉の痛み、咳、と疲れがたまったときの風邪症状に襲われ、日曜の約束キャンセル、三日間自宅休養。
じっと寝ていればいいものを、ついつい、撮りためていた録画のドラマや映画を観てしまう。
ドラマも映画も英国ものが圧倒的に面白い。『ダウントンアビー』も放映が終わってしまい、イマジカの『フォーサイト家・・』もエピローグ、さみしい。
イマジカで始まった、評判のドラマ『パレーズ・エンド』はカンバーバッチの主演だが、あまりにもストーリーの進行を急いでいて、エピソードの重厚さが欠け、整理が悪いので、見応えうすく、期待はずれ。
やはりダウントンのジュリアン・フェロウズは脚本がよかったし、演出もずば抜けていた。
『フォーサイト家・・』や『ブライズヘッド再び』もテンポがゆるやかなのに、人生を深く語るせりふも多く、構成が巧みだったと思う。

風邪は夫に伝染したのか、彼も喉の痛みをうったえ、咳がではじめ、臥せっている。
医者に行きたがらないので、仕方なく、これまでの薬を拾い集め、どれがどれやら、わかならなくなると、ネット開いて検索し、にわか自宅薬局で処方、きょうあたり、ようやく少し薬が効きはじめた。

きょう観た録画もアメリカ製作のイギリスもの、昔ヴィヴィアン・リーが主演した映画のリメイク『愛情は深い海のごとく』、時代設定が自分の若いときと一致するので、パブで合唱している「ユー・ビロング・トゥーミー」など、思わず声を出して歌ってしまう。

そのストーリー、年齢の違う裕福な夫と結婚した女性が同年齢の若い男性と恋におち、駆け落ちするというもの。ところがその相手は戦争から帰還したあとの後遺症で酒乱ぎみ、生活は破たんすることになる。
アパートの家主の女性は夫の介護中だが、その彼女のせりふが心に残る。
「本当の愛っていうのはね・・・粗相した尻をふき、シーツをかえてあげることよ・・・威厳を保ってあげれば、互いにやっていけるもの・・」
わたしたち高齢夫婦の行き末を思った。

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