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カテゴリー「映画・テレビ」の103件の記事

2020年6月18日 (木)

遅ればせに観た『シェイクスピアの庭』

三月上映中だった、『シェイクスピアの庭』が中断されてしまっていたのが、再開されたので、最終日まえの昨日、思い立って観にいくことにした。

文化村までは、渋谷駅から東急本店までの送迎バスで行けるとばかり思っていたのに、バスの乗り場も、ヒカリエ一階に移動していたうえに、そこまでたどり着いたら、現在は運行中止とのこと、仕方なくタクシーに乗る。

交通手段が不便になったせいか、前売りは容易く買え、時間は一時間以上あったので、デパート内の丸善の書店で、洋書を見る。孫娘が本腰入れて英語を習得したいと言っていたので、楽しんで読めるような作曲家の挿絵入りの伝記と、間違えやすい用語表現を絵入りの実用英会話集にした本と、音楽留学で役立つ会話50シーンなど三冊購入、文房具コーナーで消しゴム付きボールペン二本、現在、一番書きやすい手書きの手紙用のボールペンと万年筆が行方不明中なのでとりあえずの対策を。

 

映画は、座席の選択を失敗した。なんとなく中央がよいような気がしてしまったのだが、大画面を見るには少し首を背もたれにつけて仰向け気味にみることになってしまい、それでなくても四百年まえのローソクだけの照明しかないうすぐらい闇の多い、室内場面に、気持ちまでも暗くなり、おまけに激しい言い争いのせりふ多く、見入りながら疲れた。

 

なぜ中央部の席を選んでしまったのだろう。コンサートのときと取り違えてしまったのか、とっさの判断の誤りを悔いることしばし…。

 

グローブ座大火のあと、断筆したシェイクスピアは、二十年ぶりに故郷に帰ってくる。

ロンドンから、ストラットフォードまでのあの距離を馬に乗って戻ってくる、そのスピートの激しさに息を呑む。交通手段がほかになかったときのあの馬たちの働きぶり、そして今、馬はどれほど働きの場面を失っていることだろう。そんなことがつい頭をめぐってしまうので、集中力も失せて、名ぜりふの聴き逃しもあったかもしれない。

 

それでも、ケネス・ブラマーの激しく美しい英語のせりふまわしに魅せられた。とりわけ故郷の有力者の言葉に反論して、自分の優位さを声高に早口にまくしたてるときの見事さは忘れられない。

 

偉大な父に認められようと争う子供たち、夭逝した長男の謎の死をめぐって、それをおさめようとする年上の妻の努力、家族問題が大きければ大きいほど、シェイクスピアの作家としての筆は冴え、四世紀以上のときを経た今でさえ、名言の数々が脳裏に刻まれる奇跡が起きる。

その確かさを、わからせてくれる作品でもあった。

 

2020年3月29日 (日)

『スカーレット』終わる

 

毎朝観ていた。録画しておいて、朝食、リンゴと人参、キャベツをジューサーにかけ、レモンを絞り入れたジュースと、有機のシリアルにヨーグルトとミルクをかけたものをもって、テレビの前にすわる。食べながら観る十五分、一日の始まりをさわやかに感じさせてくれる満足の時間だった。

ヒロイン役戸田恵梨香の演技は自然で、陶芸にかける情熱がほとばしり、この実生活に即した芸術の魅力を納得させてくれた。このドラマのモデルである神山清子さんの作品が物言わぬ偉大な役割を果たしているのも見応えがあった。

最終回の、「ぎゅう、したる…」は息子を持つすべての母親がもっていて、なかなかかなわぬ気持ちである。ましてやまもなく死を迎える息子に対して、これほど言いえて妙のせりふはなかった。

 

我が家の息子は寡黙で共に食するテーブルでの会話はほとんどない。でも今この災厄が迫る時期、大きな買い物や、ゴミ出しなど、引き受けてくれる優しさを感謝したい。

三月は彼の誕生月、カレンダーの誕生日に二重丸しておいたのに、忘れてしまった。わたしはここ数年、誕生日には必ず彼に手紙を書くことにしている。わたしの背をはるかに越し、体重もある息子に「ぎゅう」は死ぬまでありえないことだと思うが、私が歩けなくなったときには背負うことは難なくしてくれるかもしれない。

 

『スカーレット』後半の出演者、稲垣吾郎の医師役がハマっていて魅力的、スマップの中では好感度トップだったので、楽しい発見だった。

 

前半の注目人物は大久保さん、生きることの基本と言いきった家庭料理習得の場面が忘れがたい。

 

四月からのドラマ予告にがっかり、演技に定評ある二人であるのは認めるが、毎朝さわやかにしてくれる容姿の二人とは言いかねる。今回はパス、になりそう。

 

今この世界的危機のとき、個性重視より、もっと目に優しいこころの和むタイプの主演俳優を選んでほしかったのに、NHKへの不満がまた一つ増えた。

 

 

 

 

2020年2月16日 (日)

映画『一粒の麦』とドラマ『重版出来』

教会の受付で映画のチラシを見つけた。 

『一粒の麦』荻野吟子の生涯、日本初の女性、社会運動家として、医師として、女性として、不屈の精神と大いなる愛に導かれたその生涯という紹介文があって、監督は山田火砂子という女性の作品だと知った。若村麻由美、山本耕史主演、助演陣も佐野史郎、賀来千香子など、豪華である。Photo_20200216164401 

ヴァレンタインの日、蒲田のアプリコの午前の部を観にいく。現代ぷろだくしょんという会社の制作で、いわゆる映画館ではなく、日本各地36か所で上映会を催す仕組み。

女性監督、88歳だそうで、杖をつきながら、挨拶にあらわれた。

よどみない紹介と宣伝だったが、若村麻由美が18歳から60歳までを演じ通すので、メイクがひまどり毎回二時間半も、待たされて大変だったという裏話が気になって、映画が始まってからも集中力を削ぐ。

エピソードがありすぎて、場面転換が唐突、急に姿を消す登場人物の説明も別の人物のセリフの中に収めてしまうので、ストーリーの盛り上がりが弱まっていたし、キリスト教徒となった夫妻の夫婦愛や信仰心がうまく描かれていなかった。

そのせいか、盛り上がるべき感動が味わえず、残念。

 

帰宅してから録画してあった『重版出来』をなにげなく見始めたら、やめられなくなるほど面白く、第十話完結まで突っ走って目がドライアイでショボショボしてくる。Photo_20200216164501

主演の黒木華の表情の豊かさに感情移入せざるをえないほどの魅力もさることながら、せりふがコミックワールドを見事に描き出すテンポの良さと、思ったようにうまく運ばない人生の切なさを、それこそコミックの絵の中に表現されているような鮮やかさで、観客の心をわしづかみにしてしまうテクニックにあふれているのだ。

ムロツヨシという俳優はあまり好みではなかったが、万年アシスタントのやるせなさをこれ以上ないくらいうまく演じていて、このドラマだけでファンになってしまった。それほどに俳優陣もこのドラマにはまっている快感が、見ている者をますます楽しくさせてくれる。

 

なんだろう?この二つの作品の差は?

 

いつかダスティン・ホフマンがインタビューで語っていたっけ。

「Detail is the art!!」いかに具体的に語るかで、名作になるかならぬかが決まる、ということなのだろうか?

2020年1月24日 (金)

ミス・マープルに夢中

夫がテレビで『鬼平犯科帳』を何度も観ているのを、趣味が相当かたよっている彼にはこれしか観るべきものがないのだろうと憐れんでいた。

でも最近のわたしも、現在放映されているテレビドラマは観る気がしなくて、これで数回目のミス・マープルに見入っているのだ。

もちろんミス・マープルを演じるならこのひと、と原作者のアガサ・クリスティーが絶賛したというジョーン・ヒクソン版である。Img_2553 

観る度ごとに新しい発見がある。ということは忘れかけている記憶の隙間を埋める楽しみにハマっているということだろうか。

そうやって今日観終わったのは、『予告殺人』。

ミス・マープルシリーズの中でも、とびぬけて面白いと思っている『パディントン発4時50分』『復讐の女神』に並ぶ、傑作である。

 

チッピンググレグホーンという小さな村の新聞に、予告殺人の広告が載る。『リトル・パドックス館で殺人が行われます』予告されたその日のその時間に館の女主人レティの友人たち、村人の7人が訪れ、館に同居している若者たち三人とレティの親友が加わって見守るうちに、謎の男が侵入、電気が消えてその男が殺されてしまう。

村の牧師館に滞在中だったミス・マープルが続いて起きる二つの殺人を含めた事件の顛末の謎解きをし、実は大富豪の遺産相続をめぐる大事件であったことを解き明かすのだが、一時間もののドラマが三つも続く、大長編スペクタクルで、見始めたら、目がはなせない。

 

テレビが普及して生活様式が一変する前の最後の良き時代が舞台となる、一見静かで穏やかな村の中に渦巻く人間のうらみや憎しみ、悪意と善意が交叉し、それが恐ろしく、忌まわしい事件の背景となるその経過に、惹き込まれていく、快感ともいえるスリリングな満足感、ジョーン・ヒクソンの人の心の奥を見通すような青い瞳に魅せられつつ、まだ終わらないで、と願いつつ、見終わり、終わるとまた次の事件を待つようになってしまう。

 

「人間は70歳の寿命しか割り当てられていないのよ」というセリフに思う。それを11年も超えてしまって生きている自分、この先、もう少し、まともに終わらせることに専念すべきだ、と思いつつも、神がモーセに召命を与えたときのモーセは80歳だったのだ、80はまだ終わりではないのかもしれない、と、私はまだ、迷いのなかをさまよっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月22日 (金)

アンを讃える「ソーイングビー」決勝戦

Congratulation,Ann!!Img_2504

見応え十分の決勝戦だった。最初の課題、四時間の男性用シャツ制作で、すでに勝敗の行方は決まっていたように思う。それほどにアンの仕事は美しく、見事に仕上がっていた。

無地の淡い色の生地だから余計、ミシンの針目そろいの美しさが際立つ。Img_2501

これほどの仕事に、終始沈着、仕事の段取りもあわてず、騒がず、整然と決めて、迷いがない。

二つ目の課題、手仕事。無地のバッグを飾る技。これもデザインがいい。交じり糸でまず大胆な曲線を描いて、そこに無地の一色の針目をアクセントに使うようにとり、最後に光る石を飾る。心憎いほど、格調高い、仕上がり。Img_2502

 

最後のドレス、フォーマルに必須のブラックとロイヤルブルー、黒のレース編みをかぶせて、袖の部分だけ、黒のレース地にするというデザインの巧みさ。

レースが動かないようにブルーの生地に慎重にとめつける作業を怠らない。彼女の言葉「どんな仕事にも退屈な部分があるけれど、それを省くと困ったことになるのよ」

料理でもそうだ、下ごしらえの下味、例えば人参、油揚げ、キュウリ、大根の酢の物のとき、人参と揚げの千切りを薄味でしっかり煮ておかないと、最後の酢、塩、すりごまの味が生きてこない。下ごしらえを入念に、はすべての家事の基本でもある。

 

もう一つ、ミシン仕事が主であっても、あえてミシンをかけず、手縫いにしたほうが仕上がりが美しいということもある。アンはファスナーを手縫いにしていた。お見事!!

お嬢さんがモデルとなって、このドレスは一層の着実な美をかもしだした。Img_2505

アンの着ていたーターが素晴らしかった。彼女のお手製ではなかろうか。いや、なにもかもお見事!!

あなたと同い年の81歳であることを誇りに思います、ありがとう。

 

ソーイングビーはまだ終わらない、次のシリーズが続くという予告編がうれしかった。

2019年11月19日 (火)

必見『ソーイングビー』

楽器のコンクールを密着取材する番組が人気を博しているが、これは英国BBCが2013年からシリーズで始めたという生活に即していて、しかもクリエーティブで夢のあるアマチュア洋裁師のバトル番組、真剣だが、会話もとびかう 楽しいドキュメンタリー、見始めてすぐとりこになった。さすがNHK,いいものを探してくれたと思う。

アマチュア洋裁マニアのバトル、チャンピオンが決まるまで、およそ12項目の試練を潜り抜けなければならない。Photo_20191119180401

これは2019年のシーズン5とあるが、挑戦者は二十代から八十代まで男女8人、やはり女性のほうが多く六人、ほとんどが主婦、男性は洋裁には関係のない仕事をしていて、大型トラックの整備士というひともいる。

第一次予選がAラインのスカート、ネックラインのリメイク、ワンピースで、一名脱落

二次予選はスラックス、既製服のスカートにポケットをつける技、そしてブラウス、二名脱落

準決勝、子供服のサマードレス、シンプルなワンピースのリメイク、ジャケット、一名脱落

決勝、シャツ、バッグを手芸で飾る技、イブニングドレス

現在三人が勝ち残っているが、だれがチャンピオンになるかはこの21日木曜日、21時、NHKEテレでオンエアー、すでにシャツとバッグのバトルは放送済みだが、三人の中で一番年長、81歳のアンが一歩抜きんでていて、わたしは同世代の彼女を応援している。

木曜には最後のイブニングドレスが優勝の行方を決めるのだろう。見逃せない。

 

このソーイングビーの語源はおよそ八十年前の戦時下で、現エリザベス女王の母君、皇太后陛下が洋裁のできる家庭の主婦を宮殿に集めて、兵士のために手製の衣類を縫い、戦地に送るというイベントを試みたことから発しているのだそうだ。Th

以後、ソーイングのサークルやグループは「ビー」という名前で呼ばれるようになったとか。

空襲や爆弾を浴びた英国、戦地の兵士を思う女性たちの気持ち、日本人の私たち世代の女性は素直に感情移入できる。

 

課題を発表とともに、型紙と作り方が印刷されているパターンを渡され、コンテスタントたちは生地やボタン、テープなどを自分で選ぶのだが、この選択にはこれまでの経験と思慮深さ、センスといったものが素地となるので、仕上がりの出来に影響を及ぼす。

最年長のアンは常に沈着、冷静、技量も安定している。サヴィル・ロウのデザイナーという審査員の一人の男性は、若くて美しい二十代のローレンがごひいきのようなのだが、その彼女は五歳から縫いものをしていたという、経験だけは立派なもので、しかも思い切った決断を実行してみせる勇気もあるから、この最後のイブニングドレスがどのような対決の映像を見せてくれるのか、胸がどきどきするほど期待が高まるのである。

 

2019年11月 9日 (土)

映画『蜜蜂と遠雷』

二子玉川のシネコンで『蜜蜂と遠雷』を観てきた。

内なるなにかに突き動かされるように言葉がほとばしっている原作、映像化は不可能と一読者としても思っていたのだが、映画もまた内なるなにかに突き動かされるように映像がほとばしっていて、実に見応えがあった。

ピアノコンクール、三次予選まであって、本選にのぞむという長丁場、507ページもの長編をいかに二時間の映像にまとめ上げるか、つまりエピソードの取捨選択をいかにするかで、作品の出来不出来が決まると思われるのだが、それが的確、登場人物の焦点を栄伝亜夜にしぼったのが、ストーリー展開が簡潔になり、成功のゆえんとなった気がする。

 

映画が上映されてからかなりの日数を経ている、平日の11時20分、それでもほとんど満席で、二度目三度目のひともいるのでは、と推量した。

それぐらい、音楽もよかったし、登場人物のキャスティングもぴったりの人選で、満足した。Photo_20191109211301

 

四人のピアニストの違いを、このコンクールの課題曲『春と修羅』のカデンツァで表現したのが効果的だった。

「人間は自然の音の中に音楽を聴いている…弾き手は曲を自然のほうに『還元』する」という、作者のこの名表現こそが最重要の主題と感じていたが、それを、亜夜と塵が窓から月を見上げながら二人でドビュッシーを連弾し、さらに楽曲を広げていくところはこの映画のクライマックスにも相当する、忘れられぬ、映像と音楽の結合美であった。

ピアニストは孤独の戦いだが、ピアノ連弾は楽しい。わたしも娘がピアノを始めたころよく連弾して、彼女はそれをとても楽しみ、音楽専攻への道に進んだ、ともいえると思う。

この映画には親子の連弾、ピアニスト同士の連弾、その場面が効果的な役目をはたしているのも、監督の鋭く、得難いセンスと言えそうである。

ポーランドの大学で演出を学んだという石川慶監督、撮影監督もポーランド人とタッグを組んでいることもこの映像美につながったのかもしれない。

この先も注目したい才能である。

2019年9月30日 (月)

『サギデカ』最終回

 

 

見応え十分の最終回だった。

タイムリーなテーマのドラマ、毎回楽しみに観ていた。Photo_20190930160301

実は我が家でもおよそ7.8年まえ、怪しい電話をもらったことがある。息子が海外出張中だというのに、「お宅の息子さんが品川駅で、痴漢の疑いで捕まっています」という内容だった。

そういう電話は後を絶たず、現在も広がりつつあるときこのドラマ、臨場感に圧倒される。

主役の女性刑事の表情が美しい。脚本の良さにほれこんで人物になりきっている高揚感が伝わってきて、見るほうも惹き込まれる。

とりわけ最後までもしや、という疑いを引き延ばされた、ベンチャー起業家との尋問のシーンは魅せた。

起業家を演じる青木 崇高というひと、「ちりとてちん」のときからのフアンである。

現、芸能界、美男(イケメンという言い方がきらい)が多すぎる。

このひとは美男ではないけれど、ごく自然体の魅力が好ましい。

それがいい演技とともに、この尋問シーンのときは、とてもよく表れていた。

 

悪役がまたすごい。「受け子」や「かけ子」がつかまっても、サギグループの、肝心のからくりをあやつるトップがつかまらなければ、この犯罪は終わらない。

それが、今回のドラマには臆のすく見事さで、表明されていた。だからこそすごみ満載の二人、長塚圭史、と田中泯というもったいないような配役で合点がいくのである。

ドラマの魅力は脚本できまる。このドラマの作者安達奈緒子さんに注目、これからも見続けたい。

女性の優秀な脚本家が多いのは喜ばしい。かつての『カーネーション』の渡辺あやさんはどうしているのだろう?

ネット検索したら、十二月に松田龍平扮する芥川龍之介のドラマ執筆とわかり、年末の楽しみがふえた。

 

 

 

 

 

2019年7月10日 (水)

秀作映画『マイ・ブックショップ』

下高井戸シネマは見逃した名画を見られる貴重な場所だ。でもそれがいつも、満足というわけではない。自宅から一時間以上もかけて出かけて損した、と思うこともある。

 

今回見た『マイ・ブックショップ』は期待に違わぬ秀作であった。Photo_20190710174901

 

第二次大戦で夫を亡くしたフローレンスは彼との約束、書店を経営するという夢を、イギリス東部の海辺の街で勇気を持って実現したのだが、その挑戦は、思いがけぬ悲喜劇を生むことになる。妨害しようとする町の有力者の夫人、身体を張ってまで応援しようとする年老いた守護者、そのあいだに立って言葉巧みに言い寄ろうとする、こずるい男性などが登場する一方、フローレンスはあえて手伝いにおしゃまではあるが、賢い少女のクリスティーンを雇うことにする。この縮れっ毛の女の子がのちに重要な役回りを担うことになるのだが、ストーリーの運びはおだやかで、ときに海の波のようなうねりと、吹きすさぶ風に呼応するような枯草のゆらぎにより、人生の試練を、美しい映像で暗示させて、作品を輝かせる。Photo_20190710175101

演出、脚本担当は女性監督、女性ならではの繊細な目配りが画面に崇高な香りを漂わせる。

これぞイングランドと言いたくなるような木々の緑、緑のトンネルが作る暗い洞穴の行く手、老紳士の館の調度、ティーカップ、ケーキ、書店での本の包装、フローレンスがパーティーに招かれたときの服装、彼女は胸開きの広い、赤いドレスを着るのだが、ブティックの女主人がアクセサリーをね、とその胸元を指さすのに、実際のときはそれをせず、ドレスの襟元にブローチをつけただけだったのが、見る者にはとても奥ゆかしく、似合っていると思われたのに、そのパーティーがあまりにも華美は服装の男女であふれていたので、フローレンスの異質さをあらわにしてしまった。そういう描写はまさに女性監督ならではでこそ可能にする印象深いシーンと思われた。Photo_20190710174902

 

1959年というこの時代、わたしが21歳のとき、ということは、成人女性になろうとする多感さゆえの、忘れられない英国へのあこがれや、想像があふれていた時を思い出す。

 

少女クリスティーンが最後に運ぼうとしたブルーフレームという灯油ストーブがなつかしい。まだエアコンなどが普及していなかったとき、このすこぶる出来のいい暖房器具を新家庭に購入したときの喜びを今もはっきり覚えているからだ。

 

ドレスの色についての会話、老紳士と名流夫人との丁々発止の会話に出てくる単語など、もっと英語を注意して聴き取るべきだったと、後悔にさいなまれる。

映画は今週あと二日で終わってしまうのだけれど…(7月12日まで17:15)

 

 

2019年5月10日 (金)

注目番組、二つ

朝から、デヴィ夫人のNHK朝の番組と檀ふみさんが登場する『徹子の部屋』を録画しておいた。

デヴィ夫人はどうしても好感が持てないのだけれど、厚化粧ではあるが、この年齢にはとても見えない若さを誇る、強気のキャラクターを好奇心で観てしまう。英語が上手と自分で認めるわりには発音がよくないと思ったが、ともかく怖いものなしで押し切ってしまうところは見事なものだ。

地震のニュースで番組がとぎれてしまったのは、さぞ悔しかったのではないだろうか。

 

檀ふみさんはかつて阿川佐和子さんと共著でベストセラー本を出版してから注目していた。二人で競うように文章を書きまくっていたが、檀さんの文章のほうが格調が高いと好ましく読んで、応援していた。

檀さんは元々演技ではずっとヴェテランなのに、『陸王』では阿川さんのほうがずっと目立ついい役で、皮肉な取り合わせだな、と思ったりした。そして今や、何から何まで恵まれた存在なのは阿川さんのほうだが、それに負けじとあせらない、檀さんに好感を持ち続けている。

きょうの大皿の話は大いにうなずくところがあった。我が家も義父母が健在のとき、親戚の集まりや、祝い事のときはいつも我が家だったので、大皿の出番は多く、もうそういう集まりはしようにも家が小さくなって、できなくなったこともあり、皿類は戸棚の奥にしまったままである。幸い、それをしまう場所も考慮に入れた設計だったので、おさまりどころはあるのだが、先日孫夫婦がきたとき、このお皿どお?と取り出して訊いてはみたのだが、お嫁さん、いいお皿ですね、と言ったものの、新婚アパートにしまい場所もないらしく、お客を招くという予定もないのか、欲しいとは言わずじまいだった。

 

近頃の若いひとたちは、外で集まることが多いのだろう。大皿の需要は少なくなるばかりなのではないだろうか。

 

今回、こんな場所にわざわざ大皿や大鉢を持ってきたのは、もしかすると、ぜひ、欲しいという奇特なひとがいるかもしれないという期待があったのではないかと、推量したりしている。

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