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カテゴリー「映画・テレビ」の94件の記事

2019年5月10日 (金)

注目番組、二つ

朝から、デヴィ夫人のNHK朝の番組と檀ふみさんが登場する『徹子の部屋』を録画しておいた。

デヴィ夫人はどうしても好感が持てないのだけれど、厚化粧ではあるが、この年齢にはとても見えない若さを誇る、強気のキャラクターを好奇心で観てしまう。英語が上手と自分で認めるわりには発音がよくないと思ったが、ともかく怖いものなしで押し切ってしまうところは見事なものだ。

地震のニュースで番組がとぎれてしまったのは、さぞ悔しかったのではないだろうか。

 

檀ふみさんはかつて阿川佐和子さんと共著でベストセラー本を出版してから注目していた。二人で競うように文章を書きまくっていたが、檀さんの文章のほうが格調が高いと好ましく読んで、応援していた。

檀さんは元々演技ではずっとヴェテランなのに、『陸王』では阿川さんのほうがずっと目立ついい役で、皮肉な取り合わせだな、と思ったりした。そして今や、何から何まで恵まれた存在なのは阿川さんのほうだが、それに負けじとあせらない、檀さんに好感を持ち続けている。

きょうの大皿の話は大いにうなずくところがあった。我が家も義父母が健在のとき、親戚の集まりや、祝い事のときはいつも我が家だったので、大皿の出番は多く、もうそういう集まりはしようにも家が小さくなって、できなくなったこともあり、皿類は戸棚の奥にしまったままである。幸い、それをしまう場所も考慮に入れた設計だったので、おさまりどころはあるのだが、先日孫夫婦がきたとき、このお皿どお?と取り出して訊いてはみたのだが、お嫁さん、いいお皿ですね、と言ったものの、新婚アパートにしまい場所もないらしく、お客を招くという予定もないのか、欲しいとは言わずじまいだった。

 

近頃の若いひとたちは、外で集まることが多いのだろう。大皿の需要は少なくなるばかりなのではないだろうか。

 

今回、こんな場所にわざわざ大皿や大鉢を持ってきたのは、もしかすると、ぜひ、欲しいという奇特なひとがいるかもしれないという期待があったのではないかと、推量したりしている。

2019年4月 1日 (月)

『まんぷく』終わる

毎日欠かさず観ていた。Photo_1

安藤サクラの演技は、最初の若い時は気負った感じで声もかん高く、はしゃぎ過ぎみたいな聞き苦しさがあったが、次第に安定して、細かい感情の機微を、表情に見事にあらわし、名演技になっていった。このひとは恵まれた家庭で育ち、名優の父と、マルチ的なタレント豊かな母の遺伝子を引き継ぎ、どのような役も演じこなせる才能があるけれど、日本が誇りにすべき、良家の家庭の主婦の演技のちょっとしたしぐさや、品の良さというものをあらわすときが、ごく自然で、好ましく、安心して見ていられる。

夫役の長谷川博巳も好きな俳優で、デビュー当時から注目していたのだが、だんだんと演技の幅がひろがり、夏目漱石を演じたときは、演劇出身の素養がにじみ出て、いいな、と思った。今回もこの人ならではの、役作りで見事に大役を演じきったと思う。

 

主役をとりまくひとたちのエピソードもかなり巧みに配置されていたが、ひとつだけ、吉乃が森本と岡という二人から慕われていたのに、どのようにして岡のほうに落ち着いたかが語られておらず(もしかして、その回を見落としたのだろうか?) 物足りなく思った。

 

カップヌードルは発売された当時、私たちは夫のアメリカ駐在が決まり、シカゴで暮らしていたが、義母は画期的な新製品が出たと、送ってきてくれて、義父の昼食を簡単にできて助かっているという手紙が添えてあった。味わってみて、想像したより、インスタント的な画一したスープの味と違う、コクのある風味に驚いた記憶がある。

 

エールフランス機に乗ると、食事の合間、ちょっと小腹がすいたときに、フォアイエでこれが供され、乗客は早い者勝ちで食べるという風景がある。こういう使われ方が独特の強みだな、と思っていた。

 

今回あのフリーズドライの彩の中身がどのようなものか、多少の誇張があるにしろ、丹念に語られ、明らかにされたので、あの肉の塊のようなものが何でできているかわかって、安心して味わえる実感を持った。

 

実際、毎回出演者たちがおいしそうにすするのを観ていると、自分も食べてみたいと言う気にさせられる、ラーメン効果大なるものがあったと確信する。

 

自分としては、このごろ、ミニのカップヌードルを、よく昼食に利用する。高齢者にあれがぴったりの容量で、いつも余分に買って保存している。

 

2019年1月17日 (木)

クイーンのドキュメンタリー映画

『ボヘミアン・ラプソディ』を一緒に観ない?と近隣に住む若い友人からさそわれたとき、わたしは胸がはずむほどうれしかった。観たいという気持ちはあったけれど、こんな年寄りが一人で行く映画ではなさそうに思い、気おくれがしていたのだ。Photo


息子が中学生のとき、聴いていたCDの音楽が洩れ聞こえてきて、ロックの旋律なのに、あまりにも美しいメロディに鳥肌だったのを記憶していた。
帰国子女となってアメリカから戻ったときに経験したいじめの影響で寡黙になってしまった息子だったが、私立の中学に入学してから音楽のことで関心を分かち合うことができる友人が持てて、CDを聴いていたのを、追求したりはせず、ようやく安堵した時期でもあった。

息子が聴いていたのは「ボヘミアン・ラプソディ」というタイトルで、わたしが衝撃を受けたあの、美しいメロディはその中のオペラパートだということが今日の映画を観て明らかになった。
ラストの「We are the champion」の訳詩には世代を超えて自分も含まれるのではないかと共感を持てる詩心があふれていて、涙がこみあげてきた。

帰宅してから、録画してあったNHKの『クローズアップ現代』に見入った。クイーンの生存者たち、ロジャーとブライアンが好ましい六十代になっていて、見事な解説を聴かせてくれた。
「どんなひとでも人はマイナリティー的な部分を持ち合わせている。それを共感し合うことで、力を得るんじゃないかな。フレディ―の歌詞には夢と失望と愛、そして自由が歌われている。彼にはロックスターでなく、”人間“としての魅力があるんだ。ぼくたちは音楽にハートをこめるから、それが、”empathy(相手の気持ちになれる心)“を呼び覚まし、togetherness(一体感)となる」

あの当時の息子はそれをクイーンの音楽から感じ取って癒されていたのだろう、と、観終ってから、解き明かされた事実を知った気がした。

2019年1月11日 (金)

『散り椿』を観る

朝八時半に家を出て、下高井戸シネマで『散り椿』を観てきた。Photo

『あれも観たい、これも聴きたい』ブログの久々の更新が『映画散り椿』で沢山の写真入り、とても褒めてあったので、そこだけ確かめ、あとは映画を観てからのお楽しみと、あまりしっかりは読まずに、まずきょうで終わり(と思いこんでいたのだが、18日まで上映と知った)を見逃すまい、と早起きして駆けつけた。

入りは半分、その少な目のゆったりとした観客席でコーヒーを飲みつつ見るこの映画、本当にしんみり、じっくり、しみじみと味わった。監督作これが三度目という木村大作監督は名撮影技師出身だけあって、すさまじく美しい映像をまことに効果的にちりばめる。
これぞ日本の自然美の粋とも言える、粉雪降りしきる冬、風に揺れる竹林、山山の間に沈みゆく夕日、城を背景にした満開の桜、木漏れ陽までまばゆくさせる紅葉、揺れる群生のススキ、そして、この題名どおりの、五色の絢爛たる花を着飾った「散り椿」という名の椿の大木…ため息しきりである。Photo_2


出演俳優はいずれも主役級がずらりと並ぶ豪華な顔ぶれ。岡田准一、西島秀俊、黒木 華、麻生久美子、緒方直人、富司純子、奥田瑛二、わたしのごひいき柳楽クンも出演していて、道場主という出番は少ないが効果的な役回り、満足した。
ちょっと解説が入るのだが、その声が映画にぴったり、どこかで聴いたことのある美声、と思ったら、やはり、豊川悦司だった。

藩の不正を訴え出てそれが認められず、故郷を出た主人公が、病に倒れた妻の遺言で再び藩に戻り、真相をつきとめようとする。ミステリアスな要素もあり、剣劇シーンもたっぷりあるのだが、その映像が美しい。新たな歴史を刻む「美しい時代劇」とうたっているだけのことはある。

こうなるだろうという予測は容易くできても、それでも日本の時代劇の極みを感じさせずにはおかない、筋運び、映像、出演者すべての好演で、お見事、と拍手したくなりながら、心地よい満足感に浸り、映画館を出た。


2018年12月23日 (日)

ようやく観られた『落語心中』最終回 3

このドラマの原作は賞を総なめにしたマンガだそうだが、このところ出来のよいドラマの原作はほとんどがマンガである。今やストーリーのしっかりした絵読み物としてのマンガは独特な文学の地位を築いているという感じがする。

よほど原作がよかったのだろう、それに惚れ込んだ脚本、演出の意気が合って、演じることを楽しんでいる出演陣の相乗効果が素晴らしい。中でも八雲のライバル助六を演じる山崎育三郎はあざやかなカリスマ噺家を絵にしていて見とれるばかりだ。このひと、ミュージカルのスターだそうで、道理で声の張りが違うとうなずけた。

八雲、助六あとの与太郎はビビるのではないか、などと思っていたら、どうして、どうして、この与太郎役の竜星涼という役者がまた負けていない、スゴさで、生きがよく立派に噺を聴かせる。これからもこの二人、目が離せない、先の楽しみがふえた。Photo


なんとしても見落とした三回を見なければならない。ひまができたら、TSUTAYAに行ってみなければ…。

そして久しぶりに落語を聴いてみようという気にもなった。最近の名人格といわれる、小朝、文珍、文枝の独演会にも出かけたことはあるが、満足感は少なかったので、しばらくご無沙汰なのだが、喬太郎師匠の落語を聴いてみたくて、ネット検索したら、どの公演も売り切れ続出、ようやく二月の紀伊国屋ホールの一枚を手に入れることができた。それにしても、落語っていま人気なのだなあ、とその現象をうれしく思った。(了)

2018年12月22日 (土)

ようやく観られた『落語心中』最終回 2

まだテレビがなかったころ、わたしはラジオにすがりつくようにして、落語を聴いていた。
当時の名人たち、志ん生、金馬、小さん、柳橋等をまだ覚えている。
正に聞かせる話芸に親しんでいたのだった。

それでも最初の出だしに笑わせる、いわゆる、「まくら」が楽しみで、ケラケラ笑いながら、もっと「まくら」が長ければいいのに、などとも思った。そういう大衆の反応をとらえて、まるで「まくら」ばかりの落語などを売り物にする噺家も出てきた。円鏡とか、三平はその一派である。
でも「まくら」ばかりでは物足りない。じっくり聴いたという感動が残らない。ひとりで語り、まるで大勢がいるように、語りに変化をあらわし、おどけて見せて笑いもとり、それは安っぽい笑いでなく、芸のかもしだすユーモアであるような真の噺家、それが名人なのだろう。

今思うと最後の真の噺家であった志ん朝や、関西の名人米朝の独演会に落語好きの下町育ちの友人とふたりで駆けつけ、聴き惚れたあのときがなつかしい。(続く)

2018年12月21日 (金)

ようやく観られた『落語心中』最終回 1

今秋のTVドラマは注目作ぞろいだったが、とびぬけた傑作はNHKの『昭和元禄落語心中』だ。

残念なことに、タイトルが奇妙だったので、最初は見ようとも思わず、偶然目にした四作目で、夢中になり、毎週録画の操作をしておいたのにもかかわらず、なぜか予約が重複したのが祟って、最終回が抜けてしまい、あせった。再放送の項目がなかなか見つからず、仕方なく、NHKオンデマンドという見出しに惹かれて、NHKがかかわっているとばかり思って契約したら、そうではなくて、それをダシにしている業者のサイトで、すぐに抜ける操作がまた厄介、ようやく深夜一時の再放送をみつけてしっかり録画、それを翌日の昼間に観たのだが、あらためて見惚れた。

ともかく岡田将生の演技が出色なのである。このひとは端正な容姿だが、口元にニヒルさがあり、二枚目の代表格ではあったけれど、これまでいまひとつ当たり役がなかったような気がするのだが、今回の落語名人八雲はこれほどの適役はいないというほどの、はまりようだった。どこか哀愁を帯びたような影がつきまとう、まなざしといい、めったに笑わないけれど、わずかにほころびるその口元が、あの独特のニヒルさが生きて素晴らしいのである。声もいい。かん高くよくひびく、ライバルの助六とは対照的に低めの落ち着いたバリトンが落語の語りの深みを伝える。

舞台の座布団にすわってからのお辞儀が美しい。あれは教えられたのか、彼独特の演技なのか、横からすべるように前に合わせる美しい動きが冴える。Photo


「心中…」にまつわる噺で、選ばれたのか、『死神』が何度も語られるのだが、この噺がうまく演じられるかどうかは、最初の方に何者かと訊かれて名乗る「死神だよ」のせりふまわしにかかっていると思った。

YouTubeで五代目圓楽、志らく、圓生等を聴きくらべたが、喬太郎が一番見事だった。ゆっくりと、念入りにしかも不気味さをあらわす「死神だよ」。その喬太郎師匠が今回の落語指導をつかさどっている。指導のよさが十二分にもあらわれている場面しきりであった。(続く)

2018年8月12日 (日)

クライブ・オーウェンを見続ける

ノロノロ台風に振り回された三日間だったが、閉じこもるまえ、備えのために電車で十分の蒲田に向かった。
三日分の献立はすでにたてていたので、その買い物をすまし、ツタヤに立ち寄る。
お目当てはクライブ・オーウェンの代表作三本、と『ホームランド』の新シーズン。

ケーブルテレビを何気なく検索していて、映画『エリザベス:ゴールデンエージ』に目が釘付けになった。ウォルター・ローリー役のクライブ・オーウェンに魅せられたのである。Photo


眉間に三本のしわを刻み、あまり笑顔がないニヒルで憂愁をたたえた風貌、けれども表情豊かな大きな瞳にみつめられると、エリザベス一世ならずとも、引き込まれる魅力があふれる。彼の声が好きだ。哀愁のこもった澄んだバリトン…

彼が英国アカデミー賞やゴールデングローブ賞を獲得してその地位を確かなものにしたという『クローサー』をまずは、アマゾンから購入したのだが、これはマイク・ニコルズ監督で、ジュード・ロウやジュリア・ロバーツが共演する、豪華配役のドラマにしては、会話でポルノに仕上げたような下品な中身で、がっかりした。

次こそはと、その日、ツタヤでレンタルしたのは『トゥモーロー・ワールド』『キラー・エリート』『ラスト・ナイツ』

『トゥモーロー・ワールド』はP・Dジェイムズの原作なので、期待したのに、何と近未来(と言ってもそれは2023年)のストーリーで、子供がほとんど生まれない時代となった英国が舞台、どこもかしこも薄汚れていて、難民や低所得層の紛争があり、安心して道が歩けないような街を、唯一出産をまじかに控えるアフリカ系の女性と出会い、彼女を守りながら逃げまどう役人のオーウェン、彼が出ていなかったら、観終ることはなかっただろう。

『キラー・エリート』は初めから最後まで撃ち合いと殴り合いのシーン満載の映画、ジェイソン・ステイサムと死闘を繰り広げるオーウェン、ロバート・デニーロまで出ている。これまたオーウェンが出ていなかったら、見たくない映画だった。

『ラスト・ナイツ』は紀里谷和明監督が五年の歳月をかけて、制作したという忠臣蔵を中世の舞台に置き換え、騎士を活躍させる作品、批評は芳しくなかったようだったが、大石内蔵助役のオーウェン、適役で、最後まで厭かせず見せた。オーウェンは時代劇が向いているのかな、という気もする。

でもこれであきらめない、まだ現代もの、『私が愛したヘミングウエイ』と『ザ・バンク』も見てみなければ、と思っている。

2018年8月 6日 (月)

『京都人の密かな愉しみ』に魅せられて

観光旅行では見えにくい、京都人の生活文化や習慣を、見事な映像と、ドラマをちりばめて製作されたNHKBSのドキュメンタリー『京都人の密かな愉しみ』が近頃、また不定期に再放送されはじめたので、録画予約して、楽しんで観ている。
見る度にため息の出る美しい映像ばかりで、ああ、京都に行きたいと思ってしまうのだが、実際に出かけてみれば、外国人も混じった観光客で一杯、ここに現れる人情味豊かな京都人には巡り会えず、したたかな商売術にのせられ、高額な費用ばかりを払われされそうになる現実がある。

このシリーズの雛祭りのころ、「祝う春」の映像は本当に素晴らしい。
梅まつりのあとの雛祭り、梅の名所の写真がちらと出るが、これがまた息をのむ美しさ、大覚寺の梅林にぜひ行ってみたい、とメモするのだが、実現しないだろう、という予測しながら、である。

料亭「萩坂」の女将役の高岡早紀が匂うばかりの美しさである。このひと、悪女やら、したたか女の役を演じるとあまりの名演で、実物もこんなひとかしら、とまで思えてくるのだが、『京都人…』の演出家,源孝志さんの、お気に入りなのだろう、このシリーズのドラマにも主役級で出演しているし、『平成細雪』でも主演のひとりだった。
このドキュメントに出演している俳優陣はみな、自分の役どころに惚れ込んでいるのだろう、いい表情、演技を見せてくれる。庭師見習いの、林遣都も、もともと演技派ではあるが、この『京都人…』のオムニバスドラマ、『桐たんすの恋文』のときもいい演技を見せていたが、「祝う春」では苔や、桜の根っこの手入れまで詳しくみせるこの庭師の仕事着のよく似合う彼、見惚れるばかりだ。この母親役の外国生活の長かったバーのマダムもいい。こんなバーに行ってみたいとつくづくと思わせられる、演出がにくい。Photo


あのすさまじく立派な骨董、ともいえる、雛飾りをしつらえて、美しい顔立ちのひな人形をとりそろえ、見るからにおいしそうな雛祭り膳を供する木屋町の料亭の名をぜひ知りたいと、女将、『松井薫』からつきとめた。料理そのものは目がとびでるほどは高額ではなかったけれど、二人以上からの予約のみ、ついでに配達可能なおせちの値段も見たら、すべて40000円以上、これもまた、したたかさのにじむ京都商売である。

日本の衣食住の粋とも言える、この京都のゆったりした、しきたりと、それを継承する庶民の生活、本当にそれは成り立っているのだろうか?
東京のあまりにもスピードばかりが優先してしまう日常と比較して、ともかく、ため息がまず出てしまうのだが…


2018年7月 8日 (日)

『万引き家族』観

そろそろパルムドール受賞の興奮もおさまったころではないかと、平日のシネコンに
『万引き家族』を観に出かけた。席についたころはちらほらだったが、わたしのような考えの人は多かったらしく、徐々に混み始めて八分くらいの入りとなる。Photo


まるでドキュメンタリーを見ているような前半の一時間、芸達者な出演者たちの演技合戦のようなせりふのやりとり、疑似家族の成り立ちが語られていないもどかしさを抱えながら、万引きのシーンや、風俗のバイトの場面、昼間からの主演二人のうすぎたないようなラブシーンに、日本の恥部がさらけだされているような気もして、うんざりしかけていたら、ある事件から家族がばらばらになってきて、深刻なドラマになり、身をのりだしたくなるような雰囲気に変わった。

あの前半はこの後半を盛り上げるためのものだったとしたら、その効果に、ヤラレタという感じである。

帰宅してからネットのレビューを見まくった。これがパルムドールかとあきれる、とか、演者に頼り過ぎている、とか、金を払って観に来る価値のないものだった、とかの酷評もあったけれど、ohassy というひとの「見えないふりをしてしまいがちの闇をとても見やすい形に作り上げているのは、是枝監督の手腕だ…」という表現に、ご名答だと、思った。

カンヌの女性審査員はこぞって、女優陣をほめたたえた、というのはうなずける。

こんな栄誉を得たのに、政府は賛辞を贈らなかったらしいが、オリンピックだとか、おもてなしだとか、エエカッコしいばかりやってる場合なのだろうか、日本の現実の真実はまだ知られざるかなたにあるような気がする。

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