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カテゴリー「映画・テレビ」の101件の記事

2020年2月16日 (日)

映画『一粒の麦』とドラマ『重版出来』

教会の受付で映画のチラシを見つけた。 

『一粒の麦』荻野吟子の生涯、日本初の女性、社会運動家として、医師として、女性として、不屈の精神と大いなる愛に導かれたその生涯という紹介文があって、監督は山田火砂子という女性の作品だと知った。若村麻由美、山本耕史主演、助演陣も佐野史郎、賀来千香子など、豪華である。Photo_20200216164401 

ヴァレンタインの日、蒲田のアプリコの午前の部を観にいく。現代ぷろだくしょんという会社の制作で、いわゆる映画館ではなく、日本各地36か所で上映会を催す仕組み。

女性監督、88歳だそうで、杖をつきながら、挨拶にあらわれた。

よどみない紹介と宣伝だったが、若村麻由美が18歳から60歳までを演じ通すので、メイクがひまどり毎回二時間半も、待たされて大変だったという裏話が気になって、映画が始まってからも集中力を削ぐ。

エピソードがありすぎて、場面転換が唐突、急に姿を消す登場人物の説明も別の人物のセリフの中に収めてしまうので、ストーリーの盛り上がりが弱まっていたし、キリスト教徒となった夫妻の夫婦愛や信仰心がうまく描かれていなかった。

そのせいか、盛り上がるべき感動が味わえず、残念。

 

帰宅してから録画してあった『重版出来』をなにげなく見始めたら、やめられなくなるほど面白く、第十話完結まで突っ走って目がドライアイでショボショボしてくる。Photo_20200216164501

主演の黒木華の表情の豊かさに感情移入せざるをえないほどの魅力もさることながら、せりふがコミックワールドを見事に描き出すテンポの良さと、思ったようにうまく運ばない人生の切なさを、それこそコミックの絵の中に表現されているような鮮やかさで、観客の心をわしづかみにしてしまうテクニックにあふれているのだ。

ムロツヨシという俳優はあまり好みではなかったが、万年アシスタントのやるせなさをこれ以上ないくらいうまく演じていて、このドラマだけでファンになってしまった。それほどに俳優陣もこのドラマにはまっている快感が、見ている者をますます楽しくさせてくれる。

 

なんだろう?この二つの作品の差は?

 

いつかダスティン・ホフマンがインタビューで語っていたっけ。

「Detail is the art!!」いかに具体的に語るかで、名作になるかならぬかが決まる、ということなのだろうか?

2020年1月24日 (金)

ミス・マープルに夢中

夫がテレビで『鬼平犯科帳』を何度も観ているのを、趣味が相当かたよっている彼にはこれしか観るべきものがないのだろうと憐れんでいた。

でも最近のわたしも、現在放映されているテレビドラマは観る気がしなくて、これで数回目のミス・マープルに見入っているのだ。

もちろんミス・マープルを演じるならこのひと、と原作者のアガサ・クリスティーが絶賛したというジョーン・ヒクソン版である。Img_2553 

観る度ごとに新しい発見がある。ということは忘れかけている記憶の隙間を埋める楽しみにハマっているということだろうか。

そうやって今日観終わったのは、『予告殺人』。

ミス・マープルシリーズの中でも、とびぬけて面白いと思っている『パディントン発4時50分』『復讐の女神』に並ぶ、傑作である。

 

チッピンググレグホーンという小さな村の新聞に、予告殺人の広告が載る。『リトル・パドックス館で殺人が行われます』予告されたその日のその時間に館の女主人レティの友人たち、村人の7人が訪れ、館に同居している若者たち三人とレティの親友が加わって見守るうちに、謎の男が侵入、電気が消えてその男が殺されてしまう。

村の牧師館に滞在中だったミス・マープルが続いて起きる二つの殺人を含めた事件の顛末の謎解きをし、実は大富豪の遺産相続をめぐる大事件であったことを解き明かすのだが、一時間もののドラマが三つも続く、大長編スペクタクルで、見始めたら、目がはなせない。

 

テレビが普及して生活様式が一変する前の最後の良き時代が舞台となる、一見静かで穏やかな村の中に渦巻く人間のうらみや憎しみ、悪意と善意が交叉し、それが恐ろしく、忌まわしい事件の背景となるその経過に、惹き込まれていく、快感ともいえるスリリングな満足感、ジョーン・ヒクソンの人の心の奥を見通すような青い瞳に魅せられつつ、まだ終わらないで、と願いつつ、見終わり、終わるとまた次の事件を待つようになってしまう。

 

「人間は70歳の寿命しか割り当てられていないのよ」というセリフに思う。それを11年も超えてしまって生きている自分、この先、もう少し、まともに終わらせることに専念すべきだ、と思いつつも、神がモーセに召命を与えたときのモーセは80歳だったのだ、80はまだ終わりではないのかもしれない、と、私はまだ、迷いのなかをさまよっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月22日 (金)

アンを讃える「ソーイングビー」決勝戦

Congratulation,Ann!!Img_2504

見応え十分の決勝戦だった。最初の課題、四時間の男性用シャツ制作で、すでに勝敗の行方は決まっていたように思う。それほどにアンの仕事は美しく、見事に仕上がっていた。

無地の淡い色の生地だから余計、ミシンの針目そろいの美しさが際立つ。Img_2501

これほどの仕事に、終始沈着、仕事の段取りもあわてず、騒がず、整然と決めて、迷いがない。

二つ目の課題、手仕事。無地のバッグを飾る技。これもデザインがいい。交じり糸でまず大胆な曲線を描いて、そこに無地の一色の針目をアクセントに使うようにとり、最後に光る石を飾る。心憎いほど、格調高い、仕上がり。Img_2502

 

最後のドレス、フォーマルに必須のブラックとロイヤルブルー、黒のレース編みをかぶせて、袖の部分だけ、黒のレース地にするというデザインの巧みさ。

レースが動かないようにブルーの生地に慎重にとめつける作業を怠らない。彼女の言葉「どんな仕事にも退屈な部分があるけれど、それを省くと困ったことになるのよ」

料理でもそうだ、下ごしらえの下味、例えば人参、油揚げ、キュウリ、大根の酢の物のとき、人参と揚げの千切りを薄味でしっかり煮ておかないと、最後の酢、塩、すりごまの味が生きてこない。下ごしらえを入念に、はすべての家事の基本でもある。

 

もう一つ、ミシン仕事が主であっても、あえてミシンをかけず、手縫いにしたほうが仕上がりが美しいということもある。アンはファスナーを手縫いにしていた。お見事!!

お嬢さんがモデルとなって、このドレスは一層の着実な美をかもしだした。Img_2505

アンの着ていたーターが素晴らしかった。彼女のお手製ではなかろうか。いや、なにもかもお見事!!

あなたと同い年の81歳であることを誇りに思います、ありがとう。

 

ソーイングビーはまだ終わらない、次のシリーズが続くという予告編がうれしかった。

2019年11月19日 (火)

必見『ソーイングビー』

楽器のコンクールを密着取材する番組が人気を博しているが、これは英国BBCが2013年からシリーズで始めたという生活に即していて、しかもクリエーティブで夢のあるアマチュア洋裁師のバトル番組、真剣だが、会話もとびかう 楽しいドキュメンタリー、見始めてすぐとりこになった。さすがNHK,いいものを探してくれたと思う。

アマチュア洋裁マニアのバトル、チャンピオンが決まるまで、およそ12項目の試練を潜り抜けなければならない。Photo_20191119180401

これは2019年のシーズン5とあるが、挑戦者は二十代から八十代まで男女8人、やはり女性のほうが多く六人、ほとんどが主婦、男性は洋裁には関係のない仕事をしていて、大型トラックの整備士というひともいる。

第一次予選がAラインのスカート、ネックラインのリメイク、ワンピースで、一名脱落

二次予選はスラックス、既製服のスカートにポケットをつける技、そしてブラウス、二名脱落

準決勝、子供服のサマードレス、シンプルなワンピースのリメイク、ジャケット、一名脱落

決勝、シャツ、バッグを手芸で飾る技、イブニングドレス

現在三人が勝ち残っているが、だれがチャンピオンになるかはこの21日木曜日、21時、NHKEテレでオンエアー、すでにシャツとバッグのバトルは放送済みだが、三人の中で一番年長、81歳のアンが一歩抜きんでていて、わたしは同世代の彼女を応援している。

木曜には最後のイブニングドレスが優勝の行方を決めるのだろう。見逃せない。

 

このソーイングビーの語源はおよそ八十年前の戦時下で、現エリザベス女王の母君、皇太后陛下が洋裁のできる家庭の主婦を宮殿に集めて、兵士のために手製の衣類を縫い、戦地に送るというイベントを試みたことから発しているのだそうだ。Th

以後、ソーイングのサークルやグループは「ビー」という名前で呼ばれるようになったとか。

空襲や爆弾を浴びた英国、戦地の兵士を思う女性たちの気持ち、日本人の私たち世代の女性は素直に感情移入できる。

 

課題を発表とともに、型紙と作り方が印刷されているパターンを渡され、コンテスタントたちは生地やボタン、テープなどを自分で選ぶのだが、この選択にはこれまでの経験と思慮深さ、センスといったものが素地となるので、仕上がりの出来に影響を及ぼす。

最年長のアンは常に沈着、冷静、技量も安定している。サヴィル・ロウのデザイナーという審査員の一人の男性は、若くて美しい二十代のローレンがごひいきのようなのだが、その彼女は五歳から縫いものをしていたという、経験だけは立派なもので、しかも思い切った決断を実行してみせる勇気もあるから、この最後のイブニングドレスがどのような対決の映像を見せてくれるのか、胸がどきどきするほど期待が高まるのである。

 

2019年11月 9日 (土)

映画『蜜蜂と遠雷』

二子玉川のシネコンで『蜜蜂と遠雷』を観てきた。

内なるなにかに突き動かされるように言葉がほとばしっている原作、映像化は不可能と一読者としても思っていたのだが、映画もまた内なるなにかに突き動かされるように映像がほとばしっていて、実に見応えがあった。

ピアノコンクール、三次予選まであって、本選にのぞむという長丁場、507ページもの長編をいかに二時間の映像にまとめ上げるか、つまりエピソードの取捨選択をいかにするかで、作品の出来不出来が決まると思われるのだが、それが的確、登場人物の焦点を栄伝亜夜にしぼったのが、ストーリー展開が簡潔になり、成功のゆえんとなった気がする。

 

映画が上映されてからかなりの日数を経ている、平日の11時20分、それでもほとんど満席で、二度目三度目のひともいるのでは、と推量した。

それぐらい、音楽もよかったし、登場人物のキャスティングもぴったりの人選で、満足した。Photo_20191109211301

 

四人のピアニストの違いを、このコンクールの課題曲『春と修羅』のカデンツァで表現したのが効果的だった。

「人間は自然の音の中に音楽を聴いている…弾き手は曲を自然のほうに『還元』する」という、作者のこの名表現こそが最重要の主題と感じていたが、それを、亜夜と塵が窓から月を見上げながら二人でドビュッシーを連弾し、さらに楽曲を広げていくところはこの映画のクライマックスにも相当する、忘れられぬ、映像と音楽の結合美であった。

ピアニストは孤独の戦いだが、ピアノ連弾は楽しい。わたしも娘がピアノを始めたころよく連弾して、彼女はそれをとても楽しみ、音楽専攻への道に進んだ、ともいえると思う。

この映画には親子の連弾、ピアニスト同士の連弾、その場面が効果的な役目をはたしているのも、監督の鋭く、得難いセンスと言えそうである。

ポーランドの大学で演出を学んだという石川慶監督、撮影監督もポーランド人とタッグを組んでいることもこの映像美につながったのかもしれない。

この先も注目したい才能である。

2019年9月30日 (月)

『サギデカ』最終回

 

 

見応え十分の最終回だった。

タイムリーなテーマのドラマ、毎回楽しみに観ていた。Photo_20190930160301

実は我が家でもおよそ7.8年まえ、怪しい電話をもらったことがある。息子が海外出張中だというのに、「お宅の息子さんが品川駅で、痴漢の疑いで捕まっています」という内容だった。

そういう電話は後を絶たず、現在も広がりつつあるときこのドラマ、臨場感に圧倒される。

主役の女性刑事の表情が美しい。脚本の良さにほれこんで人物になりきっている高揚感が伝わってきて、見るほうも惹き込まれる。

とりわけ最後までもしや、という疑いを引き延ばされた、ベンチャー起業家との尋問のシーンは魅せた。

起業家を演じる青木 崇高というひと、「ちりとてちん」のときからのフアンである。

現、芸能界、美男(イケメンという言い方がきらい)が多すぎる。

このひとは美男ではないけれど、ごく自然体の魅力が好ましい。

それがいい演技とともに、この尋問シーンのときは、とてもよく表れていた。

 

悪役がまたすごい。「受け子」や「かけ子」がつかまっても、サギグループの、肝心のからくりをあやつるトップがつかまらなければ、この犯罪は終わらない。

それが、今回のドラマには臆のすく見事さで、表明されていた。だからこそすごみ満載の二人、長塚圭史、と田中泯というもったいないような配役で合点がいくのである。

ドラマの魅力は脚本できまる。このドラマの作者安達奈緒子さんに注目、これからも見続けたい。

女性の優秀な脚本家が多いのは喜ばしい。かつての『カーネーション』の渡辺あやさんはどうしているのだろう?

ネット検索したら、十二月に松田龍平扮する芥川龍之介のドラマ執筆とわかり、年末の楽しみがふえた。

 

 

 

 

 

2019年7月10日 (水)

秀作映画『マイ・ブックショップ』

下高井戸シネマは見逃した名画を見られる貴重な場所だ。でもそれがいつも、満足というわけではない。自宅から一時間以上もかけて出かけて損した、と思うこともある。

 

今回見た『マイ・ブックショップ』は期待に違わぬ秀作であった。Photo_20190710174901

 

第二次大戦で夫を亡くしたフローレンスは彼との約束、書店を経営するという夢を、イギリス東部の海辺の街で勇気を持って実現したのだが、その挑戦は、思いがけぬ悲喜劇を生むことになる。妨害しようとする町の有力者の夫人、身体を張ってまで応援しようとする年老いた守護者、そのあいだに立って言葉巧みに言い寄ろうとする、こずるい男性などが登場する一方、フローレンスはあえて手伝いにおしゃまではあるが、賢い少女のクリスティーンを雇うことにする。この縮れっ毛の女の子がのちに重要な役回りを担うことになるのだが、ストーリーの運びはおだやかで、ときに海の波のようなうねりと、吹きすさぶ風に呼応するような枯草のゆらぎにより、人生の試練を、美しい映像で暗示させて、作品を輝かせる。Photo_20190710175101

演出、脚本担当は女性監督、女性ならではの繊細な目配りが画面に崇高な香りを漂わせる。

これぞイングランドと言いたくなるような木々の緑、緑のトンネルが作る暗い洞穴の行く手、老紳士の館の調度、ティーカップ、ケーキ、書店での本の包装、フローレンスがパーティーに招かれたときの服装、彼女は胸開きの広い、赤いドレスを着るのだが、ブティックの女主人がアクセサリーをね、とその胸元を指さすのに、実際のときはそれをせず、ドレスの襟元にブローチをつけただけだったのが、見る者にはとても奥ゆかしく、似合っていると思われたのに、そのパーティーがあまりにも華美は服装の男女であふれていたので、フローレンスの異質さをあらわにしてしまった。そういう描写はまさに女性監督ならではでこそ可能にする印象深いシーンと思われた。Photo_20190710174902

 

1959年というこの時代、わたしが21歳のとき、ということは、成人女性になろうとする多感さゆえの、忘れられない英国へのあこがれや、想像があふれていた時を思い出す。

 

少女クリスティーンが最後に運ぼうとしたブルーフレームという灯油ストーブがなつかしい。まだエアコンなどが普及していなかったとき、このすこぶる出来のいい暖房器具を新家庭に購入したときの喜びを今もはっきり覚えているからだ。

 

ドレスの色についての会話、老紳士と名流夫人との丁々発止の会話に出てくる単語など、もっと英語を注意して聴き取るべきだったと、後悔にさいなまれる。

映画は今週あと二日で終わってしまうのだけれど…(7月12日まで17:15)

 

 

2019年5月10日 (金)

注目番組、二つ

朝から、デヴィ夫人のNHK朝の番組と檀ふみさんが登場する『徹子の部屋』を録画しておいた。

デヴィ夫人はどうしても好感が持てないのだけれど、厚化粧ではあるが、この年齢にはとても見えない若さを誇る、強気のキャラクターを好奇心で観てしまう。英語が上手と自分で認めるわりには発音がよくないと思ったが、ともかく怖いものなしで押し切ってしまうところは見事なものだ。

地震のニュースで番組がとぎれてしまったのは、さぞ悔しかったのではないだろうか。

 

檀ふみさんはかつて阿川佐和子さんと共著でベストセラー本を出版してから注目していた。二人で競うように文章を書きまくっていたが、檀さんの文章のほうが格調が高いと好ましく読んで、応援していた。

檀さんは元々演技ではずっとヴェテランなのに、『陸王』では阿川さんのほうがずっと目立ついい役で、皮肉な取り合わせだな、と思ったりした。そして今や、何から何まで恵まれた存在なのは阿川さんのほうだが、それに負けじとあせらない、檀さんに好感を持ち続けている。

きょうの大皿の話は大いにうなずくところがあった。我が家も義父母が健在のとき、親戚の集まりや、祝い事のときはいつも我が家だったので、大皿の出番は多く、もうそういう集まりはしようにも家が小さくなって、できなくなったこともあり、皿類は戸棚の奥にしまったままである。幸い、それをしまう場所も考慮に入れた設計だったので、おさまりどころはあるのだが、先日孫夫婦がきたとき、このお皿どお?と取り出して訊いてはみたのだが、お嫁さん、いいお皿ですね、と言ったものの、新婚アパートにしまい場所もないらしく、お客を招くという予定もないのか、欲しいとは言わずじまいだった。

 

近頃の若いひとたちは、外で集まることが多いのだろう。大皿の需要は少なくなるばかりなのではないだろうか。

 

今回、こんな場所にわざわざ大皿や大鉢を持ってきたのは、もしかすると、ぜひ、欲しいという奇特なひとがいるかもしれないという期待があったのではないかと、推量したりしている。

2019年4月 1日 (月)

『まんぷく』終わる

毎日欠かさず観ていた。Photo_1

安藤サクラの演技は、最初の若い時は気負った感じで声もかん高く、はしゃぎ過ぎみたいな聞き苦しさがあったが、次第に安定して、細かい感情の機微を、表情に見事にあらわし、名演技になっていった。このひとは恵まれた家庭で育ち、名優の父と、マルチ的なタレント豊かな母の遺伝子を引き継ぎ、どのような役も演じこなせる才能があるけれど、日本が誇りにすべき、良家の家庭の主婦の演技のちょっとしたしぐさや、品の良さというものをあらわすときが、ごく自然で、好ましく、安心して見ていられる。

夫役の長谷川博巳も好きな俳優で、デビュー当時から注目していたのだが、だんだんと演技の幅がひろがり、夏目漱石を演じたときは、演劇出身の素養がにじみ出て、いいな、と思った。今回もこの人ならではの、役作りで見事に大役を演じきったと思う。

 

主役をとりまくひとたちのエピソードもかなり巧みに配置されていたが、ひとつだけ、吉乃が森本と岡という二人から慕われていたのに、どのようにして岡のほうに落ち着いたかが語られておらず(もしかして、その回を見落としたのだろうか?) 物足りなく思った。

 

カップヌードルは発売された当時、私たちは夫のアメリカ駐在が決まり、シカゴで暮らしていたが、義母は画期的な新製品が出たと、送ってきてくれて、義父の昼食を簡単にできて助かっているという手紙が添えてあった。味わってみて、想像したより、インスタント的な画一したスープの味と違う、コクのある風味に驚いた記憶がある。

 

エールフランス機に乗ると、食事の合間、ちょっと小腹がすいたときに、フォアイエでこれが供され、乗客は早い者勝ちで食べるという風景がある。こういう使われ方が独特の強みだな、と思っていた。

 

今回あのフリーズドライの彩の中身がどのようなものか、多少の誇張があるにしろ、丹念に語られ、明らかにされたので、あの肉の塊のようなものが何でできているかわかって、安心して味わえる実感を持った。

 

実際、毎回出演者たちがおいしそうにすするのを観ていると、自分も食べてみたいと言う気にさせられる、ラーメン効果大なるものがあったと確信する。

 

自分としては、このごろ、ミニのカップヌードルを、よく昼食に利用する。高齢者にあれがぴったりの容量で、いつも余分に買って保存している。

 

2019年1月17日 (木)

クイーンのドキュメンタリー映画

『ボヘミアン・ラプソディ』を一緒に観ない?と近隣に住む若い友人からさそわれたとき、わたしは胸がはずむほどうれしかった。観たいという気持ちはあったけれど、こんな年寄りが一人で行く映画ではなさそうに思い、気おくれがしていたのだ。Photo


息子が中学生のとき、聴いていたCDの音楽が洩れ聞こえてきて、ロックの旋律なのに、あまりにも美しいメロディに鳥肌だったのを記憶していた。
帰国子女となってアメリカから戻ったときに経験したいじめの影響で寡黙になってしまった息子だったが、私立の中学に入学してから音楽のことで関心を分かち合うことができる友人が持てて、CDを聴いていたのを、追求したりはせず、ようやく安堵した時期でもあった。

息子が聴いていたのは「ボヘミアン・ラプソディ」というタイトルで、わたしが衝撃を受けたあの、美しいメロディはその中のオペラパートだということが今日の映画を観て明らかになった。
ラストの「We are the champion」の訳詩には世代を超えて自分も含まれるのではないかと共感を持てる詩心があふれていて、涙がこみあげてきた。

帰宅してから、録画してあったNHKの『クローズアップ現代』に見入った。クイーンの生存者たち、ロジャーとブライアンが好ましい六十代になっていて、見事な解説を聴かせてくれた。
「どんなひとでも人はマイナリティー的な部分を持ち合わせている。それを共感し合うことで、力を得るんじゃないかな。フレディ―の歌詞には夢と失望と愛、そして自由が歌われている。彼にはロックスターでなく、”人間“としての魅力があるんだ。ぼくたちは音楽にハートをこめるから、それが、”empathy(相手の気持ちになれる心)“を呼び覚まし、togetherness(一体感)となる」

あの当時の息子はそれをクイーンの音楽から感じ取って癒されていたのだろう、と、観終ってから、解き明かされた事実を知った気がした。

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