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カテゴリー「映画・テレビ」の84件の記事

2018年5月21日 (月)

三度目の『眺めのいい部屋』

NHKBSのプレミアムシネマで『眺めのいい部屋』を観た。これが三度目である。Photo


一度目は三十年ほどまえ、封切からすぐ、映画館で。
ただただ感動していた。E.M.フォースターは英文科の学生時代に読んでいたので、小説の持つ格調たかい雰囲気を見事にかもしだした、ジェイムズ・アイヴォリーの映像技術に見入った。そして緑美しい英国の風景に魅せられ、英国人たちが魅せられているイタリアのほうにはあまり関心がなかった。
主役の二人の若手俳優が自分好みの美男美女でないのがちょっと不満だった。

二度目はそれから十数年たって、自宅のテレビで。
すでにフィレンツェを知っていたので、その映像のほうが、強烈に印象に残った。彫刻広場のようなシニョーリア広場、レプリカのダビデ像の本物もアカデミア美術館で見ていたし、ド迫力のメドゥーサの首を掲げたペルセウス像に、圧倒され、フィレンツエの旧市街で道に迷う、イギリス人たちに、やっぱりね、と感情移入していた。
そしてトスカーナの自然の中で踊りだす若者の気持ちが痛いほどわかった。
イタリアで人間は本来の自分を取り戻すということが理解できていた。

そして今回の三度目。小説の雰囲気をそのまま取り入れた、場面別のタイトル表示が美しい。アイヴォリー監督さすがである。
マギー・スミスの美しさに目を奪われた。このひと若い時こんなにきれいだったのだ。”Poor Charlotte!”と何度も言われる彼女「可哀そうな」というよりは「どうしようもない」という意味をこめた、生真面目さの故に上手にたちまわれずに、皆に苦笑されている場面がおかしい。このころから演技派だったのだな、と思った。
ダニエル・デイ=ルイスの高等遊民みたいな紳士ぶりの演技が素晴らしい。キスの場面の不器用さ、情熱をほとばしらせるあの若者のキスと何たる対照だろう。
あの主役の若い二人が美しく見えた。適役だとも思った。ヘレナ・ボナム=カーターの英語が美しい、ちょっとした表情が魅力的だ。
英国の池に素っ裸でとびこんではしゃいでしまう、あの牧師がいい。
そしてフィレンツェ、シニョーリア広場も、アルノ川にかかるポンテヴェッキオの眺めも三十年前と今もほとんど変わっていない。それを保たせているイタリアという国の努力を想った。

八十歳の見方はこうも変わるのだということを実感した時間だった。

2018年3月12日 (月)

『西郷どん』がおもしろい!!

前回の大河ドラマ『おんな城主直虎』を最後まで楽しんで観たので、西郷さん、と聞いて今回はパスしようかと思っていた。

西郷さんは上野の銅像の存在感だけでいい、あの薩長の、対立したり同盟つくったりのややこしい関係に興味はない。大体、もう西田敏行の主人公で一度ドラマ化したんじゃない?今度は一体だれがやるの?とブリッジのテーブルトークで質問したら、ほら、あの…と言ったまま応えたひとは名前が出てこなくなって、ほら、あの外語大出たひと、なんて言う。

エリートでギョロ目のそんな男優、いたっけ?

ようやくだれかが、鈴木亮平という名を思いだしたとき、ああ、あの『花子とアン』に出たひととわかって、あんなソフトなイメージのひと、似合わないじゃない、と思い込んでしまった。

ところが、である。初回の放送で、目をくぎ付けにされた。

全身で西郷を演じる彼に、魅せられてしまったのだ。ギョロ目じゃなくてもいい、これが西郷と思わせてくれる、ひたむきで好ましい演技がいい。語り手にまわったギョロ目の西田さんが控えめで心が入りきったいい語り、それに「まみむめも」の音の美しい薩摩弁が耳になじむ。脚本がすぐれているからだろう。45分が終ってしまうのが惜しいくらいだ。

冒頭の音楽も、タイトル表示も、あの薩摩の美を撮りつくしたような映像もいい。それにしても林真理子さんは大したひとだ。この原作も書き、いままた、日経に『愉楽にて』という連載小説を執筆中だが、これがまた読み進むごとにハマッテしまう面白さなのである。

島津斉彬に、これほどの適役はない、と思わせる、渡辺謙だが、あの不倫報道で苦労したのか、容貌に陰りがみえる。でもそれを、惜しいとみるか、それだからこそ斉彬のあの時代の苦労に臨場感をそえると思うか、それも物語の進行の興味の一つになるのかもしれない。

2018年1月19日 (金)

注目、『平成細雪』

『平成細雪』(BSプレミアム日22時)というタイトルを見たとき、平成はついているけど、また細雪なのか、と何度となく映像化あるいは舞台化されたものを見飽きているので、観たいとも思わなかったのだが、何気なくチャンネルサーチをしていたら、そのドラマ場面に遭遇して、目が釘付けになった。

場面転換がゆったりしていて、神戸言葉の耳障りがよく、舞台となる芦屋や神戸の映像が美しく、演出が素晴らしい。Photo


この雰囲気って、どこかで見たことがある、と思って、演出者を確かめたら、やっぱりね、と思った。『京都人の密かな愉しみ』の源孝志というひとなのである。

『京都人…』は何度となく観たくなってしまうほど魅せられた。京都をこれだけ魅力的に映し出した番組がほかにあろうか。とりわけ、組みこまれたドラマがいい。京都人の良さもあざとさも含めて、ため息が出るほどの、日本という国のひとの立ち居ふるまいの素晴らしさ見事さ、すべてを、映し出してみせている。

その『京都人…』のドラマに出ていた中村ゆりが末娘の妙子、あのときの二枚目の相手役、副士誠治がショウもなしの啓ぼん、演出家のお気に入りなのだろう。似合っている。Photo_2

わたしが好きだった伊藤歩という女優さん、雪子役が打ってつけ、美しい。Photo_3

ともかく、脚本、演出がいいから俳優みなが気合を入れた演技で息がぴったり合い、見せるのである。

柄本一家はあまり好きな一族ではないのだけれど、板倉役の柄本祐、第二話ではとてもいい味を出していて、見直した。

雪子は身体が硬くて、足の爪も切れない、なんて、原作にあったのだろうか。見合い相手がこれまた、芸達者がそろっていて、目を奪う。会話も面白い。

やはり原作がいいからではあるだろうけれど、この源孝志というひと、NHKはどうか厚遇してほしいと思う、逸材である。

2017年7月27日 (木)

『ダウントン・アビー』終わる

日曜の楽しみが消えた。『ダウントン・アビー』が終了したからだ。Photo

第二次世界大戦をはさみ、変わりゆく貴族社会とそれを支える使用人たちの人間模様を
手際よく、丁寧に描いた、制作者であり、脚本家のジュリアン・フェロウズはさすがだったと思う。映画『ゴズフォード・パーク』でこのひとを知った。彼はこの作品でアカデミー賞を獲得したが、『ダウントン・・』でもエミー賞を受賞している。

貴族社会の日常とそこに渦巻くエピソードをよくこれほど、細やかにしかも、品格あるタッチで描けるものと、感嘆していたのだが、彼自身が外交官の子息で、伯爵令嬢と結婚し、その女性の家に男子がいなかったために相続のゴタゴタを経験し、ついには伯爵令嬢待遇の男爵の爵位を得たという経歴があると知って、納得がいった。Photo_2


俳優歴もあるという、ケンブリッジ出の秀才であるが、この写真、おつむは薄いけれど、顔立ちはご立派。お人柄もよさそうな気がする。ダウントンの上の階の伯爵一家は誇り高くあっても、下の階の使用人のひとりひとりに気遣いのできるひとたちであった。せりふの端々に人生の深みを感じさせるものがあり、場面転換の見事さ、エピソードづくりの巧みさ、日本の朝ドラの作者も、少しは学んでほしいものだと、思いつつ、目の離せぬ展開を楽しんだ。

好きな登場人物はメアリーの最初の夫マシューの母親イザベル、彼女と伯爵の母ヴァイオレットとの友情はとりわけ美しく描かれていた。身分違いをお互い意識することはあっても、それを超えた教養や誇りを尊敬しあっていることが心を打つせりふにあらわれていた。
デイジーと、バロウが最後にどうなるのか、目を離せなかったが、めでたし、めでたし、で安心した。あまりにすべてがめでたし過ぎたという気もしないではないが、ドラマは長ければ長いほど、後味がよいのがうれしい。そういうこともフェロウズは心得ているのだろう。Photo_3


この作品、できれば原語で聴きたかった。いまその不満をおぎなってもらうように、見とれているのがイマジカの『ブライズヘッドふたたび』、これで観るのは三回目、人間わすれることがあるので、何度みても細部に見落としていた珠玉のせりふなどを見つけて、退屈することはない。これまたイギリスドラマ必見の名作、ジュレミー・アイアンズ、ローレンス・オリヴィエやクレア・ブルームが美しい英語をひびかせて楽しませてくれる。Photo_4

2017年7月10日 (月)

COOL JAPAN 上野特集

久しぶりにCool Japanを観た。十年以上にもなる長寿番組だが、日曜の六時台は
いつも忙しいので、つい観るのを忘れてしまう。
この日は「上野」が特集、これはぜひ観たいと思い、録画しておいた。
中学生のころ、親友が池之端に住んでいて、よく泊まりにいったりしていたので、不忍池界隈は本当になつかしいところである。その友人はすでに三十代で急逝してしまったのだが・・・

司会の鴻上尚史さんの仕切りぶりがいい。外国人ばかりの出演者にうむを言わせぬ貫録がある。
外国人の選ぶ上野のベストファイブ、五位はなんと上野東照宮、以前出かけたときはいつも工事中で中まで入った覚えもない。ところが修復工事が完成したこの場所、日光にも引けを取らぬ素晴らしさである。色鮮やかな動植物の彫刻、まばゆい金箔をふんだんに使った装飾、これはぜひ一度行かなければ、と思うけれど、このごろは上野と聞いただけで、交通のことを思い、シンドイと感じてしまう、年齢相応の弱りようである。
イタリア人のフラビオさん、聖なる場所をふんだんに実感させてくれるところ、イタリアの世界遺産と共通するものを日本のいたるところで歴史の重みと共に感じると、語っていた。
四位と三位は不忍池と動物園、池の中程にまで動物を移動させる橋などがあり、シロクマが水中に潜って戯れるさまを見られるようになっていたり、サル山があったり、いかに動物が居心地良く過ごすか、思いやりあふれる施設が感動的だと口々に発言する外国人出演者の優しさがうれしかった。
二位は国立博物館、私を案内してくれた下町生まれの日本通の友人のことを想った。彼女にどれほど、日本の良さを教えてもらったことか。谷中や、根津周辺、のお寺散策、まだ足がまともだったころに、沢山歩けたことは幸いだったと思いたい。いまは美術館歩きも積極的にならなくなっている。
 
一位は意外にもアメ横であった。大学生のころ、アメ横は、アメリカからの輸入品の宝庫だった。化粧品や、靴、アクセサリーなどを友人と連れ立って買いに行った。
いまのアメ横はアジアの食べものや、居酒屋などもひしめく、多国籍風のマーケット、威勢のいい外国なまりの掛け声に活気づく場所、だれとでも友達になれる、と出演者たちは言う。
パイナップルやイチゴを串に刺して食べさせるところもあり、イギリス人は切った果物をこういう風に食べさせるところは自国にはない、と言って喜んでいた。

日本は静寂とカオスが隣り合っている不思議なところ、という感想をもらす外国人たちに
我が国の良さをあらためて教えてもらったような気がした。

2017年2月13日 (月)

『たかが世界の終わり』を観る

ユニオンチャーチのバイブルクラスで映画『沈黙』についてディスカッションすることになっていたので、みんな一緒に観に行くという六本木ヒルズはやめにして、きょう二子シネマに一人で出かけたのだが、時間を間違えてしまって、朝十時始まりのを見逃してしまった。
二度目のを、夕方まで待つのは、つらいし、あきらめようかと思ったら、先日孫息子が、これは絶対見逃せない、と力説していたグザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり』がちょうど始まるところだったので、急きょ方針を変えて、観ることにした。カンヌのグランプリをとり、アカデミー賞の外国映画賞も獲得したというのだから、大いに期待していたのだが、意表をつかれることばかりで、作品にのめりこめなかった。
不治の病をかかえた36歳の劇作家が家族に別れを告げるために。12年ぶりに帰郷するという物語。Photo


ともかく大写しの画面ばかり、それも語気荒い、本音だらけの、ののしりあいのせりふの連続で、疲れてしまう。伴奏の音楽もすさまじい音響で、難聴をわずらった友人が、これがひどいからシネコンにはいかないと言う気持ちをまさしく理解できた。
マリオン・コーティヤール、ヴァンサン・カッセル、名優揃いの大写しの一瞬、一瞬の表情の変化がすさまじく、これが満足というひともいるだろう。だが、しんみりとした胸にしみいるような場面が好きなわたしにとっては、内容のまったくない、わめきあいは不快でしかなかった。
だが、死病を患い、ほかのみんなは普通に生きていられるその生活感の差の中に歴然とあらわれる孤独を、ギャスパー・ウリエルはよく演じていたと思う。

高齢で死にゆくときも、みなから置き忘れられるような、孤独感を味わうに違いない。そのとき、饒舌になるのか、寡黙になるのか、わたしはどちらなのだろうか、などと思ってしまった。

エンドロールとともに歌われる「誰にも届かぬ心の叫び、ただ神のみが耳を傾ける」の言葉が心にひびいた。

2016年12月19日 (月)

『真田丸』終わる

『真田丸』が終った。一回も欠かさず、観ていた。
と、いうのも、冒頭の音楽に衝撃をうけるぐらい、魅せられたからだ。時代劇にヴァイオリンのソロを使うとは、何という発想力、それがしかも、血沸き胸躍らせるいいメロディである。これまでの大河ドラマの筆頭をいくぐらいの傑作だと思う。
左官のひとがつくったという題字もいかにも築城のイメージを彷彿とさせる効果があったし、合戦のすさまじさを象徴する動画もよかった。

とかく大河ドラマではナレーションが話題になるが、有働アナは耳障りのいい声音をときに張りつめて、ドラマの格調を高めることに貢献していた。俳優の演技だけでは表現しきれない、歴史の持つ重みを、彼女の声が語りつくしていたように思う。

どんなドラマが展開するのか、期待いっぱいで見始めたのだが、イメージしていたものとはかなり違った。真田幸村と言えば、配下にいたとされる忍びのものが想像されるが、それがさっぱり出てこない。わずかに疾風のごとくにスピード感あふれる登場をする「佐助」にその面影がある程度だ。
ともかく、毎度毎度、戦国時代の権謀術策のやりとりばかりなので、観終ると、またか、とフラストレーションがたまった。

これまでの大河ドラマでは父親役はすぐに死んでしまうものが多かったが、今回は違った。
長生きなのである。『真田太平記』で幸村を演じた草刈正雄が自ら望んでこの役を勝ち取ったと言うだけあって、なかなか渋い演技で好演していた。『・・太平記』のギラギラした丹波哲郎とは異なり、すっきりしたしぶとさいっぱいで演じきり、今回一番得をしたひとは、このひとではないだろうかと思われたほどだ。

ネットのレビューでは脚本をめぐって、かなり酷評があふれていた。わたしもそれにうなずくところもあった。

堺雅人というひと、なんとも優しい目をしている。だが、あの銀行ドラマの主役のときのように、ここぞというときには鋭い眼光がみなぎり、圧倒されるが、彼が、ようやくその魅力を発揮しはじめたのは、44話、真田丸が築かれたころからだ。

まだか、まだか、とじらしておいて、最後ちかくで幸村が、こうあってほしいというイメージぴったりの凛々しさをみなぎらせる、衝撃を、脚本家はねらっていたのではないか。

最終回は、そういう意味で、幸村の雄々しさ、あの時代の武士の美学をすべて見せてくれたことに、わたしは満足した。Photo

2016年9月30日 (金)

『ある天文学者の恋文』を観る

一作の映画を観たあとで、自分とまったく同じような感性でうけとめているひととの共感をわかちあう至福を、このブログを書いていることで得られるようになった、その友人、K子さんから面白そうな映画がくる、とおしえられて、共に観たジュセッペ・トルナトーレ監督の新作『ある天文学者の恋文』、最初から最後まで画面に目をすいよせられつつ、観終った122分だった。Photo


親子ほどに年の違う、老天文学教授とその教え子の恋物語である。
六十代後半のジュレミー・アイアンズ、往年の二枚目も、この年齢、大画面で老醜は隠しきれないのではないかいう懸念があったが、ギリギリセーフ。何といっても、折り紙つきの演技力だし、品格と知性ただよう風貌は、人生の最後までロマンスを全うできる役柄に、これほど打ってつけのひとはいない。
相手役のオルガ・キュリレンコ、ウクライナ出身の女優、魅力的だが、たくましいと言いたいほどの大柄である。
冒頭近く、場面が一転して、映画をまちがえたのではないかと思うほどのアクションシーンが展開、彼女は天文学専攻の博士課程に在籍しながら、スタントウーマンのバイトをしているのだった。
それが妙にハマッテいると思って経歴を調べたら、007のボンドガールだと、わかって、なるほど・・・
死と隣り合わせの、軽業のような仕事をなぜ、そこまでするか、だが、それには、この女性の封印されている謎の過去が関係している。
老教授は死病にとりつかれ、亡くなったと報道がありながら、嘆き悲しむ彼女のもとに、まるで彼女の行動をどこかで盗み見ているように思われるほどに、機を逸せず、カードや、メールや、プレゼントが届く。二人のやりとりはメール、携帯、スカイプ、ビデオメッセージという現代の通信技術の粋をきわめたものだ。そのスピード感に、どれがいつ、どうなってと推理が追いついていかぬほどの、展開でストーリーは進む。
だが、その恋文がただの通信手段に終わっておらず、観客の心に残る重みを保っているのは、この教授が現在の通信技術以前の書き言葉で相手の心をとらえる時代に生きていたからこそであろう。

めまぐるしさばかりではない。教授の別邸、オルタ湖上のサン・ジュリア島の風景画面はうっとりするほどのゆとりの美しさに酔わされる。Photo_2


二年まえのマッジョーレ湖上のペスカトーレ島のステイに思いを馳せ、なつかしさがこみあげる場面でもあった。

忘れがたい画面が目の奥に残っている。ヒロインが悲しみをこらえつつ、公園のベンチに座っているとき、一匹の犬が近づいてきて彼女に何かを訴えるように見つめるそのシーン、それと前後して一枚の枯葉が彼女の部屋の窓にはりついて、意味ありげにはためくシーン、トルナトーレ監督の真骨頂とも言える映像美の魔術だ。

あまりにも沢山の要素が入り混じる映画ではあるが、それでも納得しつつ見入ることができたのは、一人の人間の死を濃密にとらえて、描き切ったからだろう。

このところミステリー、サスペンスの世界で観客を魅了することを究めつつあるようなトルナトーレ監督はまだ六十歳、画面に人生観と映像美を混入する術も頂点まで達しそうな気がする。

強盗におそわれて頭部を怪我したりする災難があったらしいが、どうか長生きして私たちを楽しませてもらいたいものである。

2016年8月24日 (水)

題名負けの『グランドフィナーレ』

カンヌが、世界が<最高傑作>と絶賛!!
などと書かれたチラシにまどわされ、映画『グランドフィナーレ』とはスイスの高級リゾートホテルで繰り広げられる高齢VIPたちの壮大なドラマなのだろうと大いなる期待をもって出かけた下高井戸映画、めずらしく満員で立ち見まで出た場内。
シニアの多い客席を見回しながら、みな同じような期待感をもっていたのではと想像した。
ところが、いまに面白くなるか、なるか、という期待は宙ぶらりんに終わり、感動しないまま、なんだか、ばかされたような気分で終わってしまった。

一曲の大ヒットで一躍その名を知られた、引退大作曲家に女王陛下からの出演依頼がくる。同じホテルに滞在している友人の老映画監督はかつて名作を世に送り出したものの、今は鳴かず飛ばず、なんとかもう一花咲かそうと、次の作品の撮影に命をかけている。彼が大いなる期待をもって、ジェーン・フォンダ扮するかつての名女優に出演依頼をするのだが、その返事にあらわれた、彼女の演技が素晴らしかったと絶賛されたと言う割には、ものスゴイ厚化粧と大声の罵声の演技で、最後に監督の顔をなでようとするその手は、八十代の年齢を隠そうにも隠せず、ひどく血管の浮き出た、老婆の手だったことが心に焼きついた。

印象的なシーンもあるにはあった。牧場に放牧中のカウベルをつけた牛の群れを、老作曲家が指揮するように手を動かすと、自然の音楽がかなでられる場面。

ラストシーンが、これまたまったく感動なし。名曲と称せられる「シンプルソング」はこれぞ名曲なるぞ、とばかりに、力めば力むほどに、古代からの名曲を知り抜いている観客には美しいメロディとなって響いてこないのである。

だいたい、この題名、原題は“YOUTH”(若さ)という変哲もないものを、意訳きわまりないものにしたのが、成功したのかしないのか、観る方は煙にまかれてしまったというわけであった。

ちかごろ新聞、雑誌で批評家がほめる映画の期待はずれがあまりにも多い。彼らは自分たちの批評で興行成績が左右するのを恐れるあまり、本音を語らない傾向にあるのではなかろうか。
 
ネットを開いて一般の人々のレビューを読むほうがよほど面白いし、参考になるのである。


2016年4月23日 (土)

『とと姉ちゃん』にクレーム

今回のNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』が気に入っている。

主題歌がいい。「宇多田ヒカルはやっぱり凄かった」という記事を見つけたが、同感である。
思わず口ずさみ、花束をきみに、涙色の~を、花束をきみに・・・のところだけ覚えたが
中間を歌えるようになるのに、ひまがかかった。でもいいメロディである。
主人公の常子役、高畑充希も好きなタイプ、登場人物も芸達者が多く、これからが楽しみ。

なのに、あの祖母役の大地真央が何としても違和感である。
初めて出てきたとき、思わず「ええっつ、何これ!」と叫んでしまった。
まるで娘の木村多江のほうが年上に見える。なんであんな容貌にしているのだろう?メイクはどう見ても、三、四十代、それにあの髪型、どうみてもウイッグ、ウイッグしていて、とってつけたようなウエーブがヘンである。
あれは、本人の強い要望なのだろうか? 演技がド迫力なだけに、ますますの違和感だ。

それに比べて敵役の秋野ヨウ子(ヨウの字がクリックしても出ない)はメイクも見事だが、足がくたびれかけた歩き方といい、演技もすご味がある。
見直した。研鑽をつんでいたのだ。

先回の『あさが来た』の成澤泉もそうだが、NHKは視聴者の気持ちをそぐような変な人物像を登場させるのが腹立たしい。

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