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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の370件の記事

2022年5月 1日 (日)

デイサービスのこと、2

ケアマネさんからの、情報二通がほどなく届いた。我が家から徒歩でも行ける場所だったので、そのうちの一軒に連絡し、さっそく見学。ちょうど昼食どきで、環八通りに面した場所だったが、およそ三十人ぐらいが参加していて、男性が四人食事しているテーブルのそばにいたのだが、まったく会話なし。係のひとはアジア系の外国人も加えた五人ぐらいで、とても行き届いた世話をしていたが、参加者があまりにも多く、団体活動が苦手の夫には、ここはちょっと無理だなという気がした。

聴力は落ちているが、認知能力は十分にあり、足は弱ってはいるものの、家の中では杖なしで、階段の上り下りもできる89歳、彼に最もふさわしいところがまだありそうに思われるのだが、どのように探したらいいのだろう? ケアマネさんに任せただけでは無理なのではないだろうか?

同じ89歳で、認知能力はかなり正常に近いけれども、方向感覚に障害を持っているご主人を介護している世田谷の同級生に電話して訊いてみた。

「ケアマネさんにだけ任せてるんじゃなくて、自分でもさがすのよ、驚くわよ、沢山あるんだから」

「ええ~っつ?」であった。

パソコンで、大田区のデイサービスと検索してみたら、なんと200件以上が出てくる。ところが、写真や、特徴などが書き込まれている紹介はほとんどなく、詳細を知るためには、ケアマネさんに頼むしかない、ということが判明。とりあえず我が家の隣町、に加えて雪が谷、北嶺町までの六軒ぐらいを選び、情報を調べてくれるように依頼した。

結果にびっくり、そのうちで現在経営しているのはわずか一軒のみだったのだ。 ということは、空いている不動産を、そういう目的に使用されることがいかに多いか、しかし、決まった人数が、毎日利用してくれなくては、経営成り立たず、ということではないのかと推量する。

隣の駅から徒歩五分の場所を再び見学する。マンションの一階、十人ぐらいで、男性二人、レクリエーションまで見学したのだが、お手玉が出てきたのには、びっくりした。頭の体操だというクイズも名産品を読みあげて、県の名前を当てたりするもの。男性はいずれも参加していなかった。中のインテリアも、今一つという感じである。

結局、もうそれ以上の検索はあきらめ、夫が最初のところでいいよ、としきりに言うので、とりあえず決定。週一、四回を無事経験した。

夫の感想、よく計画されていて、世話してくれるひとたちも感じがいい。でも同じ姿勢、座ったままでの八時間は疲れる。レクリエーションがちょっとつらい、一人だけ別のことをする、のがむずかしいらしい、と知り、なんとかならないか、と、お節介妻、はまた考えをめぐらし、来週、ケアマネさんとデイサービスのマネージャーが我が家を訪れ、話し合いをすることが決まっている。

 

 

2022年4月30日 (土)

デイサービスのこと 1.

夫はこの四月から、週一度デイサービスに行ってくれるようになった。要支援1の彼の外出は、もう三年ぐらい、徒歩距離の内科医のところか、同じ距離のコンビニ、スーパーなどに、二本杖でほしいものを買いに行くくらいで、一日かかるような遠出はまったくせず、「あなたが毎日在宅だから、友人も呼べない」と愚痴をぶつけたことがあったのだが、このところ、外食もままならず、自宅ごはんがふえているので、疲れが出やすい私の現状を目撃し続けている彼としては、行きたくない場所ではあるけれど、「利用者の家族の身体的及び精神的負担の軽減を図るため…」というデイサービスの目的の一つに注目してくれたらしいのである。

デイサービスの場所をどこにするかは、問題だった。あちこち見学するのは、夫にとって気がむかないことはよくわかっていたので、ふと、思いついて、数年まえ、わたしがデイケアに一年ほど通って膝の痛みがとれた、あのサービスが別の家で、一日のスケジュールで始めたというデイサービスはどうかなと、夫に話し、我が家からかなり近いところでもあるので、そこを一緒に見学しないか、と誘ってみた。さいわい、所在地の近くが、昔夫が大学の野球部に在籍していたとき、通ったグランドや、ランニングをした場所だという記憶がよみがえったらしく、とてもなつかしいと言い、思いのほか乗り気になってくれた。

見学したときは、ちょうど午後の、転倒予防体操の真っ最中で、十三人ぐらいの参加者のほとんどが女性、男性は三人ぐらいという、日本の男女の生存率の実態をまさに証明しているような情景で、指導者の号令で主に上半身を動かす体操をしていたが、男性はかなりの高齢の人も見受けられ、居眠りをしているひともいたので、この中に夫が加わるのは、似合わない、と思われたのだが、夫は早く立ち去りたいせいもあったのか、ここでいいよ、とほかの施設の見学はしないままに終わった。

でもわたしは、せめて自分だけでも、もう二、三軒、別の施設も見学してみた上で納得して決めたいと思い、ケアマネージャーに情報を依頼した。(続く)

 

 

2022年3月21日 (月)

古いものが愛おしい

十年ぐらい好んで履いていたワインカラーのブーツが、色も落ちたところがあり、靴底もくずれてきたので捨てるしかないかな、と気落ちしていた。

雪が谷に「リペアーズ」という靴の修繕を主にしている店を見つけて、相談してみた。底を張り替えるだけで、一万円以上もすると聞いて、予算オーバーなので、あきらめようか、と思ったとき、その男性が言った。靴の皮って、捨てようと思うくらいの年月が経ったときに、よくなってくるんですよね、ええっつ?

その言葉に考えが変わった。これと同じカラーの靴を見つけるのはむずかしいだろう、それに今のわたしは店を探して歩き回る気力も欠けている。修繕費用、13000円、修繕し終わったらまた十年は履けるというのを聞いて、元はとれると思ったし、およそ一か月を要する、ということはかなり念の入った仕事なのだろうと想像できた。支払いが先、不安もあったが、期待も大きく、じっと待った。

仕上がりは期待以上、色あせも消えており、履き心地はまえよりいいくらい、満足した。ワインカラーは、何の色の服装にも足元を飾る華やぎがある。生き返った靴、新品を買ったときより、うれしい日々である。

Kimg0589

 

アンティーク風のコーヒー沸かしは、今から53年まえ、イリノイ州エヴァンストン市に住みはじめてすぐ、中心街のしゃれた雑貨屋で買い求めた。帰国してからは、ガラスの飾り棚の中、目立つところに、入れたまま。

コーヒーマシンは使い果たして、どれも気に入らず、自分用なら、一人分ずつの簡易包装のもので済まして、沢山入れるということはしなくなっていた。

でも朝のうちにコーヒーを多めにつくっておきたいと、近頃になって思うようになり、思い立ってこの骨董品を使ってみたら、これがじつにぴったり役立つということを改めて発見。お湯が沸騰し、コーヒー色に変わるのがガラスのつまみに透けて見えてくるのがうれしい。

ちょうどいい味のコーヒーができあがる。これも満足である。

再訪したエヴァンストンでは、あの雑貨屋さんはとっくになくなって、街の雰囲気も変わってしまっていたのだが、でもあの、初めてアメリカ中西部のメインストリートをそぞろあるいたときの、興奮を、わたしは今も忘れられないのである。Kimg0587

2022年2月14日 (月)

事件

夫が通帳記帳をどうしても自分でしたいからと自由が丘に出かけて行った。それよりも書店をのぞくのが目的だとわかってはいたが、それだけの元気があるのだからと、見送った。その日はシルバーさんが掃除に来る日だったし、移動スーパーも食品を届けてくるので、在宅しなければならない。かすかな不安がよぎったが、夫が近距離のコンビニまで出かけるときも感じるかすかな反応、もういつものことになってしまっている。

タクシーで戻った夫は、言った。転んじゃってさ、ええっつ?

不安が本当になってしまった。

 

駅の近くで、あたりを見渡しているとき、ほんの一段の段差にすべったらしい。五、六人がかけつけてくれて、抱き起こしてくれたという。

 

足の甲のあたりがちょっと痛むというので、靴下をぬがせてみると、赤く腫れている個所があって、要注意のように思われた。近くの接骨院でとりあえず、処置をしてもらうことはできるが、やはりレントゲンでもしや骨折が見られないかどうか、検査が必要だと思った。ここだ、という病院を三軒電話したが、いずれも予約はとれない。レントゲンやMRIを設備がある個人病院の翌日三時の予約がようやくとれた。

 

十年ぶりのこの医院、設備もリハビリも整ってはいるが、医師が個人の家庭問題や、性格分析にまで及ぶ説教じみた診断が余計に思われて、足が向かなくなっていた。今回は触診がとても丁寧で、レントゲン診断も骨折箇所まったくなく、ただし、高齢ゆえの骨の弱りが顕著なので、骨折症状が後になって出ることもあるから、注意しながら治療していきましょう、ということだった。待合室で夫が言った。十年もたつと、ひとって変わるものなんだな、と。でも夫の聴力の弱りを、ちょっと、と言ってしまったら、医師はちょっとどころではありません、とても、以上です。と大きな声で訂正していた。

 

レントゲン室と診察室がとても近く、歩行に痛みを抱えている彼にとっては移動が楽だったし、帰りは頼めば、タクシーも呼んでくれるというサービスもあって、助かった。

三度目のワクチン接種は五日あとだが、果たして行けるだろうか。

蒲田の工学院の場所が今ひとつ定かではないが、まず無理だろうという気がした。

この程度で済んで幸いだったと思わなければならない。但し私自身の日常が倍ぐらい多忙になったのだけは確かである。

 

 

 

 

 

 

2022年1月28日 (金)

観梅検分のあとのワクチン予約

ご近所の紅梅がかなりほころんでいるので、北嶺町の梅の名所を観に行く気持ちになった。

我が家から徒歩十五分くらい、インソールのおかげで、長く歩いても大丈夫という安心があったので、遠出を苦にせず、出かけられた。

残念ながら、梅はまだ三分咲きぐらい、そういえば、梅が満開のころ、長久保庭園の事務所にお雛様が飾ってあったのを思い出す。二月の半ばぐらいが観ごろなのかもしれない。

久しぶり、二年ぶりぐらい、御嶽山の商店街を歩く。イーオンが新しくなって、初めてかもしれない。三階がお菓子、スイーツコーナーで、中央がカフェになっていて、ワインも飲めるというしゃれた場所。お菓子は文明堂や、帝国ホテルのものまで、しかも包装の小さい安価なものが並んでいるのにびっくり。榮太樓の最中が一個150円というのもあり、あんこと皮が別々になっていて、自分で最中をつくるというので、安いのである。

バレンタイン向けのチョコがぎっしり並んでいたが、プレゼント用は4,5百円からある。これはお値打ち、チョコ目当てにまた出向くことにしようと思った。

カフェでアップルパイとアイスティーを頼んだら、パイは温めてあり、アイスクリームがついていて、合計570円、とてもおいしかった。

 

いい気分で長い散歩を終えて、帰宅したら、ワクチンの接種券が配達されていた。

21日発送というのに、ずいぶんの後れである。

早速、PCで検索、ファイザーの徒歩距離はなんと、すでに二月は満の印、三月はずいぶんと先に感じられ、予約をするのを躊躇した、というのもかかりつけのクリニックもファイザーで、確実に予約できるだろうと思ったからである。ところが、検索してみるとすでに満の印、電話で確かめると、三月から先はワクチンが入るかどうかわからない、と言われ、にわかに、ビビった。これはともかく三月でも予約だけはしておかなければ、と先刻の徒歩距離の嶺町集会室をふたたび検索、夫と私の分二名予約、3月19日をゲット。

でもいかになんでも、先だなあ、という気がして、翌朝、今度は電話を試みた。12回目でようやく、通じ、その嶺町集会室の2月21日予約が確定した。

 

それにしても面倒な話である。高齢者を優先にするなら、せめて、場所と日にちと時間を設定してくれることはできなかったのだろうか。自分で検索したり、電話を何回もしたり、こんな生存競争みたいなことを、この年齢でさせられるなんて、腹立たしい。

でも今回は息子に頼まずに自分でやれたのだ。

夫は「きみは偉いよ」とほめてくれた。

 

2022年1月 1日 (土)

寅年でがんばろう

Happy New Year

暮れのクリスマス疲れも癒えぬうちに、おせち準備の買い物と料理の超多忙な数日が続く。27日までに、ともかく黒豆と田作り、昆布巻きと小さいきんとんくらいまでは買っておき、27日夜、黒豆一晩漬けておいて、28日の午前、目をはなさずやわらかくなるまで煮る。ミツにつけこみ、一晩おいて29日にミツを、さらにトロッとなるまで煮て、冷めてから漬け込む。29日に青果店から配達届き、野菜の多さに、それを使い切る料理の労力を思い、それだけで疲れを感じる。そのあいだにもあちこち小さい汚れが目につき、掃除もしたりするから、また疲れる。五目きんぴらはゴボウ、ニンジン、レンコン、干しシイタケ、シラタキの五種、シラタキの太さに千切りしするので、結構肩凝りがふえる。ここで大切なのはゴボウとレンコンのあく抜きをしっかりすること。

その大仕事を終えてから、この年最後のマッサージ、最後の買い物、大晦日はプレッセまで車エビの天ぷらを買いにいく。昨年気に入っていた小さいサイズのお餅を探したが、見当たらない。なお雪が谷まで足をのばしたが、見つからなかった。レモンを買い忘れていたので、一つほしいのに、どのスーパーも二つあるいは三つも袋に入ったものを買わせようとする商売根性に腹が立つ。大晦日は年越しそばの準備も。そのまえにフルーツケーキを焼く。

我ながらよく働き、来年この労働を果たしてできるだろうかと考え、すべてを辞めてしまおうか、とまで思った。腰も痛くなっていて、湿布薬を張り続けている。

年越しそばに黒豆ときんぴらをサイドディッシュにしたら、黒豆がちょっとかため、キンピラはあく抜きが足りなかったのが判明、落ち込む。夫はどれもいつもの味おいしいよと、慰めてはくれたが、七十代の味と比べると満足度が下がっているのが、悔しく、哀しい。

元日、娘がようやく最終予定を知らせてきた。それほどに孫息子夫婦は忙しいらしい。お客接待などは無理、と思ったけど、結局やってしまう。

おせちをお重にしっかり詰め、おでんの準備をし、彼らがたとえ食べなくてももって帰れるように、揚げ、シイタケ、人参の炊き込みご飯を炊く。一年ぶりで会う孫夫婦は仲むつまじく、孫息子はしっかり三十代に入れそうな容貌になっていたので、まずは安心、出したものを、おいしいおいしいと、すべて完食、お嫁さんはわたしの田作りがとりわけ気に入って、レシピをスマホで写していた。疲れたけれど、まずはちょっと安堵。

別の問題も発生。夫は部分入れ歯のささえが怪しくなっており、お餅がうまく食べられない。このところ、おかゆ、おじやなどで済ますことが多くなっている。すべてをやわらか食にしなければならない、危機がそこまできている新年である。

わたしは寅年うまれ、七回目の年女を迎えたわけだが、この年が我が肉体にはさらに厳しいものがあることは歴然としている。

 

2021年11月 4日 (木)

家庭の中の孤独感

二週間前ぐらいの、朝日新聞「声」欄に掲載された、「子や孫がいても、私は孤独だ」という投書が、こころに残った。長期間の引きこもりから認知症になられたご主人の介護をし、五年まえ、看取りをされてから、山林や畑の仕事をして、現在は独り暮らしのこの方はわたしと同じ83歳、お子さんがいても、気軽に物事を頼めない、親子のかかわり方が異なる現在を語っている。人に愚痴をこぼすわけにもいかない、と語る彼女は気丈な方なのだろう。「元気だね」とひとには言われても、心はいつも孤独だ、と締めくくられた言葉に共感をおぼえた。

数日前、めずらしくウナギを出前してもらうときがあり、娘が用事で立ち寄ると言ったので、いっしょに食べない、とさそい、久しぶりに四人一緒の食事となった。世間話に笑いもでる食後、夫は早々に二階の自室に去ったのだが、兄妹の会話ははずんでいて、わたしも中に入ろうとした。なんの話題だったか、具体的な記憶が抜け落ちているのだが、私の意見を、ひがみがあらわれている、というようなことを言われて二人が笑ったのに傷ついた。

よせばいいのに、あとで娘に電話したとき、そのことを話したら、世代の相違で、彼女たちは自分を貶めて、笑いにするのはしょっちゅうある、そんなことに傷つくようでは、世間話も気楽にできないと、ピシャリと答えて電話が切れた。

子供をたよりにし、しんみりとした話をしあえるのは、あの、小津映画の時代だ。いまはスマホとラインの世界、わたしが一番避けているSNSの世界も広がっている。

水瓶座は孤独を好む、それがわたしではないか。子供たちは頼りにせず、自分の世界を大事にすることだ。

幸い、ブログの世界で癒されることが多い。そして、聴力の弱った耳を一生懸命かたむけて、唯一私の話をじっくり聞くひと、きみはえらいよ、などと言ってくれる夫はまだ生きている。このひととの関係を大事にしなければ。

夫のところに月一、爪を切りにきてくれる看護師さんが、夫の部屋をじっくりながめて、このデスクは、物置と化しましたね、と感想をもらした、と夫は苦笑いしていた。

わたしが片づけるというと、そのときだけは、目をむき、ほっといてくれ、自分でやるから、と怒っていた彼。何を思ったか、数日かけて、ゴミ袋二杯、見事に片付けを終えた。そしてたまっていた文庫本もブックオフに出したいというので、オンラインから申し込み、取りにきてもらうように手続きした。物置から段ボールを出し、セットする。私も触発されて、およそ三十冊、とCD,DVDなどを入れ、あとは夫の本を入れるだけとなった。ネットから回収依頼をするのはこれで三度目、二階から文庫本をおろすのは、いつのまにか、彼が自分で済ませていた。

体調が安定した今、そろそろ断捨離に手をつけようと思う。そして、コロナ以後初めての温泉ひとり旅を実行すべく、手はずをととのえている。

それをなおも、力づけて、励ましてくれるのは、毎日、寒い日があっても雨の日があっても青の美を見せてくれる西洋朝顔ヘブンリーブルーである。

 

 

 

 

 

2021年9月23日 (木)

みじめな好奇心…

近くにスリランカの滞在歴が長いという女性が時々開く店がある。

シナモンロールが売りで、一時は行列ができたものだ。

わたしも試しに買ってみたことがあるが、十センチ四方くらいのロールが一個450円もするのに、びっくりした。それほどのおいしさではなく、ただやたらと甘いだけで、一度でやめてしまった。

 

これも近くの店、野菜の苗や、庭仕事の道具などを売っているところがカフェを開いていて、そのスイーツを手作りしている奥さんをわたしは応援しているのだが、彼女が焼く一個、270円のシナモンロールはカルダモンの香りたかく、スリランカ産よりよほどおいしい。

 

その、なんでも高めのスリランカクッキングの店はもう行列はできなくなったが、このごろ前より頻繁にオープンするようになって、中で、テーブルができて、午前中から、なにか食べているのに、わたしはまた、懲りずに興味を持った。女主人が、木曜にランチボックスを売ります、というので、1500円とは、また高めの値段だとは思ったが、スリランカのおいしいカレーと野菜がつきます、などというのに、さそわれて、うっかり予約をしてしまった。

 

きょう受け取ったそれは、おおきな葉っぱに包まれた、一見しておおざっぱなちらし寿司と見まがうような、粗く刻んだ野菜や、なんと小粒の煮干しまで入った、なんとも不思議な混ぜご飯風のもので、手羽元のチキンが添えてある。別入りの二色のふりかけのようなものを、食べるとき混ぜて、カリカリせんべいのようなものを砕いて振りかけてくださいと言われた。

夕食時、息子は外食にしてもらい、夫には冷やし蕎麦を用意し、さて、と楽しみに食べ始めたのだが、カレーと言われたのに、カレーの風味はまったくせず、ただ、唐辛子のピリ辛を感じるだけで、スパイスの香り一切せず、これはおいしいはずだと、自分に言い聞かせながら食するのだが、おいしくないのである。こんなものが1500円なんて、あのシナモンロールもだが、いい度胸しているな、と思いつつ、空しい食事を終えた。

 

また食べたくなる、というのがおいしさの基本だが、それはまったくなく、自分をアホだと思ったテイクアウトであった。

 

2021年8月31日 (火)

メモからノートへ

パソコンのまわりはメモだらけである。

整理するひまがないので、何をどれに書いたかわかなくなる。おまけに走り書きをするので自分で書いた字が読めない、という悲劇もつきまとう。

先日も、教会の友が手術をするとわかり、その住所を書いたメモがどうしても見つからず、また牧師館に問い合わせるという、恥ずかしいことをしてしまった。

 

まだ生き残っている数少ない賢い友に電話でそのことを話したら、わたしもそうだけどね、もうメモはやめたほうがいいのよ、ノートに変えて日付を書いて残しておくの、という忠告をもらった。

なるほど…ノートにするなら、何かを書きたくなるようなしゃれた、しっかりしたものが欲しい、そう思って探していたら、先日検診で元町のクリニックに行ったとき、元町をぶらぶらしていて、銀座の伊東屋の支店を見つけた。そこで目についた何とも言えないきれいな水色のこのノート、罫の幅もひろく、紙もしっかりしていて、100ページの余裕、ノートよりは小さ目、メモよりは大きめ程よいサイズ、値段は800数十円、ノートにしては高額だったけど、おうちごはんで倹約しているから、余裕の予算である。Kimg0344

買い求めて正解だった。

 

書き残していくのが、なんだかうれしい毎日。その日はまず、元町UNIONでシリアルを買おうと思ったのに、そのシリアルが口から出なくなってアワアワしたので、それを一番に書いた。

今朝の二時間でもう三つのメモ書きがある。

リスト、ヴェネチアとナポリ、ロッシーニ、老いの過ち、この二つはFMで流れてきた音楽の題名の書き写し、

それと、メモノート344,これはパソコンデスクトップに保存した、このメモノートの写真の番号である。

でも何のために書き写したのか、それを記さないといまにわからなくなるかも…

2021年6月19日 (土)

こだわりの赤い針が…1.

 12年まえに書いたエッセイである。

               こだわりの赤い針

 

 今から四十年前、夫のアメリカ駐在に伴い、イリノイ州エヴァンストンで三年八ヶ月の月日を過ごした。帰国するとき、アメリカのアンティーク掛け時計を買い求めた。毎日時を確かめに何度ものぞくことでアメリカの思い出と共に過ごしたいと思ったからだ。

 ところが船便の積荷に不手際があったのか、時計が動かない。修理の看板を出している近くの時計店に依頼したが、当時七千円も払ったのに、動いたかと思うとすぐ止まってしまうということが続き、とうとうあきらめたまま、その存在すら忘れかけ、時が過ぎてしまった。

 ある日、なにげなしにテレビをつけたら、散策番組をやっていて、時計の修理名人をインタビューする場面に眼が釘付けになった。頭の中で鐘が鳴りひびき、この人だ、この人にあの時計を頼まなければと、いてもたってもいられない気持になった。

 テレビ局に電話したが、連絡先はわからないという。でもお名前はわかるでしょう、とフルネームを聞きだし、ネットで検索した。すぐにサイトにつながり、修理依頼の理由を書いて提出するようにという項目があったので、四十年ぶりに時計を動かしてほしいという思いを切々とうったえてみた。とにかく実物を拝見しましょう、という返事が思いのほか早く届いた。

 約束の日は台風が来るという土砂降りの日だったが、夫に頼み込んで車を出してもらった。杉並の住宅地のかなり奥のほうのその家は路地の奥、住宅が密集したそのまた奥で、通りからケイタイで電話し、ご本人に表まで出てきてもらってようやくたどりついた。

 玄関先に大小さまざまな時計に囲まれるようにして、オフィスがあった。夫とあまり年が変わらないような高齢者のご本人は時計を見るなり、これは〇年の〇社のものですね、と言い当て、カレンダー時計ですね、この針は動きませんよ、と赤い針を指さした。振り子もダメです、でも本体の長針と短針は動くようになるということだったので、安心した。奥からメガネをかけた小学生の男子が出てきて、いらっしゃいませ、と挨拶してから、先生、これから塾に行ってまいります、と言ったのに驚いてしまった。お孫さんですか?とたずねるとそうですという返事、まあ、素晴らしい、先生と呼ばれるおじいちゃまなんて。

 三週間後、修理が終わったという葉書が届いたので、また一時間かけてあの路地まで出かけた。時計は動いていたので、感激したが、なにかが足りない。カレンダーの数字を示す赤い針がはずされていたのだった。あの針が好きで買い求めたのに、でも四十年まえと変わらない程度の値段で修理してもらえたのだ。不足を言っては悪い、そう思ってあきらめ、家に持ち帰った。

 だが居間の壁にかけてみると、やはり物足りない、自分が選んだ時計ではなくなってしまったような失意におそわれる。意を決して電話し、動かなくてもいいから、飾りとして赤い針をつけてほしいと頼んでみた。幸いにも依頼はすぐに受け入れられ、宅急便のやりとりで、思い通りの姿となった時計が戻ってきた。

 いまも順調に時を刻んでくれている時計を見ながら思う。アメリカの生活が私を変えたのだ。好奇心が旺盛になり、新しいことにも挑戦している。四十年前は想像もしなかったパソコンを操るようになり、未知のものにも検索でたどりつけるようになった。ケイタイも電話とメールを駆使するので約束の確認が正確、敏速になっている。でも変わらないもの、それは頑固なほどのこだわり、それは動かなくなった赤い針のように私の中にゆるぎなくいすわっているのである。(2009/10/23)

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