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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の323件の記事

2019年8月22日 (木)

思わず、ぞ、ぞっとして

早朝まだ涼しいうちに庭仕事を、とモッコウバラのシュート切りをする。左のほうに目をやると、アジサイの葉が枯れかかっているので、数枚を切って落とした。そのとき、何やら、低いブーンといううなり声が…これはもしやハチ?と見まわしたとき恐ろしいものを目にしてしまった。アジサイのとなりにキンモクセイが植わっているのだが、その葉っぱの重なりの奥に、不気味な波紋の柄の、楕円形が…これはもしや、もしやスズメバチの巣では?

あわてて、屋内にかけこんで、ネットを開く。今年はスズメバチの巣作りがスゴイらしい。

しかも今が真っ盛りだとか。駆除業者を頼むと、安くて8000円ぐらいもするようだが、大田区はスズメバチなら無料で駆除してくれると知った。

ただし、いまは一日五・六件仕事が混みあうとか、で、来てくれるのは翌日の午後なのだそうだ。

 

それにしても、よく、ブーンだけで済んだものだ。警告をくれたのは、ありがたかった。

放っておいたとして、十月末ごろから寒くなってくると自然消滅するらしい。

でも我が家はお隣さんも接近していることだし、その家にはお子さん二人もいる。やはり駆除という手段をせねばなるまい。

この建てこんでいる地域によく巣などをつくったものだと思った。

 

少々残っていた眠気がすっかり覚めてしまう出来事であった。

2019年8月 9日 (金)

新開拓の買い物

『ニトリ』という店には先入観があった。若いひと向けの安売り家具雑貨の店だと思っていたのである。

山形に住む孫娘のアパートの部屋はセンスのいい家具雑貨ですっきりしており、どこで?と訊いたら「ニトリ」と答えた。

娘の家にネコシッターに行くと、トイレブラシがとても使いよいので、訊いたら、これも「ニトリ」。彼女がいつか車で連れて行ってくれると言ったが、その「いつか」はいつになるかわからないので、ネット検索したら、目黒のアトレビルにあることがわかった。

我が家からは一番近い『ニトリ』場所だ。

 

行ってみて驚いた。色やデザインのセンスがいい。何より安いのである。

買ったのは、トイレマット、ふきとれるタイルのものと従来の化学繊維のもの、二点で1500円ちょっと、トイレブラシの種類がスゴイ、細身のを購入、925円、

タイルマットと細身トイレブラシは二階の男性たち用、これならマメにきれいにしてくれそう。万一夫がそそうなどしても、タイルマットは面倒なことにはならない。001_20190809095701

 

ランチョンマットにも驚いた。デザインも色彩もセンス抜群、100円からある。

色の中で一番好みのオリーブグリーンのマット三枚を購入。831円也。

 

こういう情報を我が友人たちは知っているのだろうか、と白金に住んでいる彼女にTELしたら、我が家の食器はすべてニトリよ、きょうも買い物に行ったわ。との返事。

伊万里だ九谷だという好みのひとだったのに、びっくり。わたしのほうが後れていたのであった。

2019年8月 6日 (火)

きのう、電車の中で

きのう、浜松のピアノコンクールで優勝したジャン・チャクムルのコンサートに行くために、五時前に家を出た。行く先はすみだトリフォニー・ホール、多摩川線に乗って蒲田に向かった。

この酷暑、夕方から外出するひとも多いらしく、車内は混雑していたが、優先席に座れた。右隣にいるご婦人が大きな荷物を背にしてすわっていて、右に隙間があるのに、詰めてくれないので、窮屈に感じていた。三つ目の駅で、左隣の高齢の男性が席を立ったので、よかった、と思って腰をずらして移動しようとしたら、立ち上がった男性がどういうわけか、わたしの顔のあたりにぶつかってきてメガネがずり落ちそうになったので、見上げると、そのひとは「こっちがちゃんと移動してから動けよ、このババア!」と怒鳴った。

 

座席が完全に空いたので腰をずらしただけなのに、なんという言い方!! 言い方がひどすきるじゃないか、このジジィ という言葉が胸の中でうずくのをのみこんで黙ってこらえていた。

 

外出まえまで読んでいたヒルティの本の言葉がよみがえった。「難事に際しては、その場合感謝に値することをまず求め、それに対して正直に感謝せよ。これは心情にいっそう安らかな気分を与えてくれるし、しかもその気分の中では他の事柄も一層耐えやすく思われてくる。このことは不断の訓練によって次第に良習となり、生活を非常に楽にする」今から七十年まえの訳だから、堅苦しく、文語的だが、適切な漢語のインパクトが大きい。

 

暴力沙汰になったわけでもなく、この程度で済んでよかった。みな暑さでイライラしているのだ。でも世界のあちこちで起きている不穏な状況が、我が国にはまだないだけでも恵まれている。

 

今月は物入りだったので、倹約して、サラミとルッコラの手製のサンドイッチ持参で出かけ、東武ホテルのベンチでライトサパーを済ます。

 

細身の長身、笑顔の美しいチャクムル、ショパン、メンデルスゾーン、バッハ、バルトークと曲想の異なるプログラムをみごとに弾きこなし、清々しい快感を味わせてくれた。日本のカワイのピアノがいい音を響かせていて、我が国の楽器の技術革新の偉大さを誇らしく感じた。

 

 

 

2019年8月 1日 (木)

娘とネコと....

これまで一度も忘れたことのなかった娘の誕生日を失念してしまった。

 

軽井沢行まえの一週間は自分の体調を気遣うことがあまりに多かったせいで、心の余裕がなさすぎた。我ながら情けないミスである。

娘はそれとなく、欲しかったものを要求してくれて、それはそれでよかったのだけれど、驚いたのは孫娘がママに贈ったプレゼントである。

娘のスマホに彼女のトロンボーンをかまえた四枚の写真がつながったものを見せてくれた。それをクリックするとハッピーバースデイのトロンボーン一人四重奏が流れるという仕掛け。

よくこんなややこしいことを考えついたものだ。在東京だったら、とてもこんなことはできないだろう、あのゆったり地方暮らしだからこそに違いない。

「わたしには出来すぎの娘」と喜んでいた。

 

娘のところの兄妹二匹のネコは順調に育っている。ネコシッターに行くと、ネコという動物がいくら小さいからとはいえ、あのリビングダイニング一間の暮らしは可哀そう、せめて三階まであるほかの部分も開放してやればいいのに、と思ってしまうのだが、それが伝わったのか、二階から三階までだけは開放したと言って、階段で座っているスナップを見せてくれた。Photo_20190801153001

このネコたち、一度もニャアーと言わないのである。

それだけ満足している、ということなのか。

 

そういえば、フィレンツェのジョヴァンナのところにいた二匹のネコの声も聴いたことがなかった。毎日、ネコ食用の肉を近くの精肉店に買いに行っていたジョヴァンナ、二匹とも素晴らしく美しい毛並で、高貴な容姿だった。

 

カリカリ食育ちの娘のネコたち、容貌は普通だけど、おっとりしているところが、なんとなく愛しい。

2019年7月28日 (日)

軽井沢に行くまで

今年も二泊三日の軽井沢での寮生活をするために、体調管理には随分と慎重だったのだが、二日ほど珍しく頭痛が続いて、お腹の具合も悪くなったので薬をもらいに、坂の下の老先生のところに出かけた。薬もそこで出してもらえるので、手間もはぶけたし、先生はカルテも手書きというような旧式なのだが、それだけに、こちらの要求がきちんと伝わるのを感じる。

 

頭痛薬はのみやすいもの、と言ったら、小カプセルにしてもらえたし、どれどれ、と言って肩をさわり、この張り具合じゃ、頭痛もするだろうと笑われて、帰りには駅前の整骨院を初体験してみたら、うつ伏せになるベッドの鼻が当たる部分が空洞になっている新式で、施術もとてもよかったし、保険で200円と超安価なので、八月からここにしばらく通おうと思ったりもした。

 

ホームドクターの先生はどうやら整形系の手術で長引いているらしく、八月も週二日だけの診療と限られるらしい。

 

 

2019年7月16日 (火)

冷夏の自由ヶ丘

冷夏が続いている。

農作物への影響が心配ではあるが、昨年、六月から猛暑が始まっていたのに比べれば、暑さにことのほか弱い私にとっては、体力の消耗が少なくて済むので、今のうちに家事の目配りをよくして、片づけなどに精を出そうという意欲も出るというもの。

 

とはいえ、自由が丘バーゲンがすさまじいので、このところ三回ぐらいぶらぶら歩きをして、収穫があった。肌触りがよく、カジュアル感最高の前あきブルー系柄物、半袖ブラウスを5000円でゲット、更に全品70パーセントオフの店で、綿ローンのネイビーロングジャケットを2600円の信じられない安値で買えて、これは、重ね着に最高の効果、手持ちのほとんどすべてのブラウスにも合うのでホクホクしている。

 

久しぶりに自由が丘の裏通りをくまなく歩いて、様変わりに気づいた。

老舗『タルボット』、『ローラアシュレイ』が無くなってしまった。正統派のよそ行きを売っている店でよく利用していたが、今は圧倒的にカジュアルものがよく売れる傾向だから、経営がむずかしくなったのだろうか…裏通りに格調を添えていた店の跡地に、若者ターゲットの軽食店がふえているのを目にし 寂寥感しきり。

 

その日の夕食は、男ども用にカレーを用意してきたので、わたしだけのテイクアウトは、久しぶりに自然食店『F&F』で購入、キヌアとヒジキのサラダと、もち麦おにぎり紅鮭塩昆布、この取り合わせは絶妙、この店独特の味が落ちていないのがうれしかった。

 

 

2019年6月23日 (日)

やってしまった!

57年間の主婦生活で一度もなかった失敗をやらかしてしまった。

 

その日は夫と息子の夕飯メニューとわたしが食べるものと違っていたので、お刺身と、春巻きを買ったものですまして、お米をとぎ、味噌汁は手作りにして、早めのごはんのスイッチを入れ、娘のうちにネコシッターに出かけたのだった。

 

二時間ほどシッターして、ピアノを弾き、ネコのトイレ掃除をして、一時間に一本のバスに乗った。

家でご飯を食べている男どものことに思いを馳せて、ふと気づいた。わたしお釜に水入れたかしら? そういえば入れたという定かな記憶がない。でも何かあったら、夫がTELしてくるはずだ。

帰宅してみると、ご飯の炊けかけている音がして湯気が出ている。そんなはずはない。二時間以上まえにスイッチ入れたのだから。…

 

夫が二階から降りてきて、言った。保温になってたから、ふた開けたら、水入ってなかったから、炊きなおしたんだ…

やっぱりやってしまった!!

それにしても利口なお釜だこと…こわれないで、保温になっていたなんて。

 

なにかを忘れる、ということがよくある。携帯を持って出るのを忘れたり、メイク用具を入れたポーチを忘れたり、きょうは教会で初めて知り合った人とランチを一緒にしたとき、先に支払う場所だったので、支払をすまし、席を確保して、テラスに目をやり、外のほうがいいかな、と思ったあと、名刺を渡すために財布をバッグから出そうとしたら、ないのだ。

 

そんなはずはない、さっきまで手に持っていたのだから、あやうく、ここがバッグからちょっと目を離したときに盗まれてしまうイタリアみたいな気がして、動転しそうになり、視線を落としたとき、見つけた。財布はつぼめた傘の中に落ちていたのだ。

 

生まれつきのせっかち、粗忽ではすまされないボケ的失敗もふえそうな、未来である。

2019年6月 9日 (日)

教会さまざま

所属教会は都内でも多くの信徒をかかえる大教会として名高く、礼拝は常時、百人を超す出席者で満席に近い。建物も美しく設備万全で環境も申し分のないところだが、わたしは受洗してから、この六年、礼拝で感動することが少ないのに悩んでいた。礼拝がともかく長い。二ページにもわたる、信仰告白、使徒信条を音読しなければならないし、月初めや、イースターその他のメイン行事に行う聖餐式も、“ご一緒に食しましょう”ということで、パンの細切れを手で持ったまま、百人に配り終るまで待って食し、杯のほうもみんなそろって飲み干すので、それが終ってからまた空のグラスを集めにくるという手間がかかり、長い、と感じてしまう。この二つはなんとか短くできるのではないか、と他教会の礼拝に参加してみて、実感したので、総会のときに提案してみたが、一般信徒の意見や提案など、問答無用という冷ややかな対応で、もうあきらめの境地になっていた。

 

週一度の礼拝は感謝と祈りをささげる場所として、音楽が美しいこと、説教の論旨が明確で心にうったえる内容であること、その二つが望ましいのは第一条件だが、無駄を省くという、合理性も、礼拝の進行がリズムよく速やかな運びになり、感動を増す。

 

わたしはきょう、バスで十分ほどの、しかも降車してから徒歩二分という、高齢者にとって望ましい立地条件に恵まれた小さな教会に行ってみて、感動した。パイプオルガンはなくても、CDを利用した音楽効果なのだろうか、美しいバッハの前奏に圧倒される。必要な交読文や唱和する祈りなどはすべてまとめて小冊子になっているわかりやすく合理的な配慮。奏楽者の伴奏もメリハリが響いて美しく、説教も論旨の強調するところが明確で心に浸みた。ペンテコステの聖餐式もパンは十字架のマークのついた丸いウエハース状のもの。配られてすぐ食し、祈りのくり返しが少ない。献金はこれにお入れください、と小さな封筒を渡されたのも好ましかった。礼拝後のビュッフェ形式の祝会にぜひ、とさそわれ、手製らしいおいしいサンドイッチや果物、デザートなどのお相伴をさせてもらう。

自分が異分子であるのを忘れてしまいそうなほど、問いかけをされ、話の輪に入れてもらったり、若い牧師夫妻のやさしい笑顔に心のなごみが増すひとときであった。

 

教会礼拝は、建物や設備よりも、何よりも内容、中身、初めての来訪者への心配りだとつくづく感じた。

 

バイブルクラスも旧約を読む会だそうで、日曜礼拝後にあるとか、またぜひ再訪したいと、思わせてくれる愛に満ちた教会体験であった。

2019年6月 4日 (火)

内村鑑三の至言

「人類は時代と共に進歩するとは、皮相な観察にすぎない。道徳のことも、信仰のこともとくに人道のことにおいては、時代と共に退歩する」という内村鑑三の言葉は、この百年以上もまえに思想家、聖書学者、伝道者、文学者として活躍したひとが、まさしく現代を言い当てている名言であると、驚き、惹きこまれた。

 

「人生の目的は…品性を完成させることである」「真理を証するものは三つあり、すなわち

天然、人、聖書」これらもまた、わたしの求めていた至言である。

 

「書を読まざる日は損失の日なり」耳の痛い言葉だ。

 

「一日は尊い一生、これを空費してはならない」というわけで、なおもネット検索をしていたら、内村鑑三の旧居住地が都立大学にあり、現在は内村鑑三記念今井館教友会となっていることを知り、さっそく出かけてみることにした。

都立大学下車左、線路にそって自由が丘方向に行き、最初の踏切右、すぐ左三ブロック先の右側、それを、都立大ならよく知っているとばかりに、左、右、左、とうろ覚えで、出かけたそこつが祟り、うっかり踏切を渡ってしまって、迷子になり、また駅まで逆戻り、駅員さんに訊いても知らないと言われ、交番に行ってくださいというので、探し当てて、オマワリさんに訊いたが、内村鑑三ってだれですか?と言われ、パソコンの前に座っているのに、インターネットできないと威張ってのたまい、あなた、スマホないの?と逆に居直られる始末。

仕方なく、しょぼしょぼ帰宅して、あらためてネットのぞき、今度は歩いた場所をおぼえているので、しっかりたどっていける自信がついた。月、水、金オープンなので、水、か金に再訪してみようと思う。

 

それにしてもわたしって、ほんと方向音痴…

 

2019年5月19日 (日)

きょう(5月19日)の日本経済新聞朝刊

橋田壽賀子さんの『私の履歴書』を毎日楽しみに読んでいる。93歳の橋田さん、これはご自分で書かれたものなのだろうか?それも聞き書きなのだろうか?達意の文、語られるエピソードはまさにドラマのクライマックスのような読みどころをとらえていて、目が離せない。

きょうの『となりの芝生』はわたしの注目ドラマだった。美しい芝生の庭がある家をうらやみたくなる傾向の自分にぴったりのタイトル、ドラマの展開が楽しみだった。

『時間ですよ』や、百恵ブームのドラマ『赤い…』シリーズの執筆の降板エピソード、ドラマづくりカナメの役どころの脚本家をないがしろにするような仕打ち、よくぞ、の抗議だったと思う。こういう裏事情的実録が正しく伝えられるこの履歴書の役割は大きい。

 

同じ紙面に飾られる芸術作品はいつも注目しているが、きょうの中林忠良先生の『待ちあぐむ光』、見とれた。モノクロームのお作品の多い中、こんな春らしい彩の一作があったなんて。

 

国際婦人クラブCWAJの版画展の企画委員に携わっていたころ、関連展示の依頼に関して芸大まで、アメリカ人の同僚委員と二人、お願いにうかがったことがある。すでに教授でいらっしゃった先生はにこやかに応対してくださった。お話も、もちろんだが、私たち二人はその魅力的なお姿に圧倒されてしまった。アメリカ人の彼女は目を丸くして、声もでなかったほどである。

先生が同世代でいらっしゃったことは、あとになってわかった。あれから四十年余、版画展でいつもお作品を見続け、個展のときに購入した大判の、壁に伝うブドウの房の腐食作品を自宅の階段踊り場正面に掲げて、毎日見とれている。

 

日本経済新聞の日曜THE STYLEはいつも注目している。美しい映像が多いからだ。きょうの一番は第16面、俵屋宗達画、本阿弥光悦書「鶴図下絵和歌巻」。ツルの群れのたたずむ姿、舞い上がる姿、なんと優美な!!グレイとベージュの和の色彩、そして光悦の品位あふれる書。

一介の町絵師を見込まれた後水尾天皇の慧眼を日本人として誇りに思い、この作品を見に、京都美術館に出かけたくなった。

 

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