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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の287件の記事

2018年5月28日 (月)

いいもの見つけた!!

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お昼にちょっと軽いものがほしくなる、近所のファミマ(ファミリーマーケット)をのぞいたら、新種のおにぎり、「枝豆こんぶ」が目についた。ごはん大麦入り、これが実にやさしく、いい味。正にこういう、おにぎりを望んでいたのだ。彩も、ほどよい握り方も、分量も高齢者のわたしみたいな味にうるさい者にぴったり、おすすめで~す。
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クラス会幹事のパートナーが打ち合わせのとき、おいしそうに食べてた、お弁当、紀ノ国屋で買ったというので、帰りに青山の本店に寄ったのだけど、見つからなかった。
きょう、また彼女と会ったとき、連れてってあげる、と言って案内された場所は、地下鉄『表参道』の改札を入った中の紀ノ国屋コーナー店。「一日の三分の一の緑黄色野菜弁当」という名称。雑穀入りごはんで、お赤飯みたいな色、とにかく彩豊か、味もいい、野菜中心だけど、真ん中にあっさりから揚げが二つ…紀ノ国屋もオツなものを作ったものだ。値段500円也。

2018年5月26日 (土)

母校を誇りに思うとき

小学校のクラス会が無事に終わった。その小学校、つまりわたしの出身大学の付属小学校には、六年のとき編入試験で入ったので、一年だけの在籍なのだけれど、このところなぜかその出席者たちとの心の通じ合いをとても好ましく感じている。
人との交流に必要な基本的なルールがしっかり身についている人たちとは、安心して付き合えるからだろうか。

クラス会の会場は同窓会館、最近になって、そこの松花堂弁当が非常にすぐれているという評判を聞き伝えたからだ。試食してみて驚いた。彩もよく、素材の選択の良さ、調理の巧みさ、分量も配分もまさに高齢者にもこれぞ、満足という味が調えられている。しかもコーヒー付きで3000円という手ごろな値段である。同窓会本部で長年の幹部だったひとの、地道な努力がまさに、実を結んだのだと思われた。006


同窓会が終ってから、創立百年を記念して建てられた、百年館の低層部分の屋上に庭園があるというのを知って、そこを訪ねることにした。決して華やかではないがハーブ類がいっぱいの癒しの場所であった。

こんなところが在学中にあったなら、友人たちとどれほど、ゆったりくつろいだ語らいを持てたことか、今は亡き親友たちの顔が浮かんで消えた。003
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同級生数人とゆっくり構内を散歩した。学食近くのクスノキの大木は昔のままでそのまわりにしゃれたベンチがいくつか配置されており、憩の場所は沢山あった。母校がハードもソフトもより好ましく変貌している現実をうれしく、誇らしく感じた。


2018年5月17日 (木)

不安がよぎる…

夫のつくったドライカレーに変調を見出して、わたしはショックを受けた。
我が家のドライカレー、それは、ジャガイモを針のようにほそく切ったものをカリカリに揚げ、牛ひき肉をガーリックの香りのついた油でいため、塩味に仕上げたものと共にごはんに混ぜて食べるフランスの家庭料理のレシピ、これを彼はマスターしていつのまにか私より巧みに料理するようになっていたのだけれど…。
それが、先日、揚げポテトはベトベト、ひき肉は味がなく、白御飯の水加減が間違ったのか、やわらかすぎて、ともかく、全部食べ終えられないほど、ひどい仕上がりだった。

そのあと、もう一つの彼の得意レシピ、スパニッシュオムレツも、ピーマンとトマトに塩味とタバスコを効かせて味付けしたものを中身にしてオムレツでくるむのだが、その味つけがまったくできておらず、オムレツも玉子がグジャグジャしていて、これまたショックだった。

ひいきのDeNAが連敗を続けていたせい、だけとは言えないほど、もうディナーのメニューを全面的に任せるのは無理ではないかという不安がつきまとっている。

しかもきのう、元の勤務先のOB同士でもう二十数年続いている昼の集まりに、その朝になって、どうにもしんどくて行けないからキャンセルすると言い、自分の携帯の具合がおかしいので、わたしにその手筈を頼んできた。今月のそのほかの集まりもついでにキャンセルしたいと言う。気の張る集まりにはもう行く気が失せたというのである。
そのくせ、マージャンの集まり二つは出るというので、少し安堵したが、お医者さんに行ったら?と盛んにすすめるわたしの忠告はふりきり、老衰だよ、老衰…とそればかりつぶやく。

そういうわたしもこれを書いていて、タバスコという名がどうしても思い出せず、今さっきキッチンの調味料入れのビンを探してようやく、思い出した始末…。
ああ…

2018年5月13日 (日)

My "Mother's Day"

娘が「何かほしいものない?」と尋ねてくれたとき、わたしは少々後ろめたい気持ちで、
ハンカチ、と答えた。

これまで何度も同じ答えをしては、母の日のプレゼントのハンカチを何度も失くしているからだ。

心をこめて選んだであろう、その好ましい柄を一枚一枚まだはっきり覚えているくらいなのに、どういうわけか、家の中にハンカチピットとかいう穴でもあって、落ち込んでしまっているか、と思うぐらい、消え失せてしまっている。

今年も彼女は、好ましくも美しいハンカチをくれた。一輪のカーネーションが添えられていたが、たった、一本で600円以上もしたと腹立たしそうに言いながら、でもこの日が花屋さんの稼ぎ時なのだろうから、仕方がないわ、ともつぶやいていた。
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愛想も素っ気もない娘だけれど、わたしの好みを知り尽くしている。わたしが生きているあいだはしんみりした会話があまりできなくても、わたしが死んだら、折にふれ、一番よく思い出して涙を浮かべるタイプだと思う。

2018年5月11日 (金)

電話連絡異聞

小学校のクラス会の幹事をしている。

先回の傘寿の祝いの会でもう終わりにしようというはずだったのだが、当日の出席者はまだ続けたいという人が多数を占めて、それでは幹事役の仕事をもっと楽にして、とりあえずは続けてみようということになった。楽に、というのは通信をハガキ印刷などにせず、出席者も今回のひとだけに限って、電話連絡にしたらどうか、という案を採用したのだ。

人数は十数名だったし、実際そのやり方を中学のクラス会で実行したひとが出席していたので、それを採用したのだが、個人情報を集めるのに、躊躇があったし、土壇場で決まったことではあったが、今にして思うと、携帯の電話番号を訊いておかなかったのは、手落ちだったという気がする。
固定電話の場合、一発で通じるということが少ない、都合のよい時間は人によって異なるので、二、三回はかけるということになってしまう。それと迷惑電話を予防するために録音しております、というメッセージを聞くことも多かった。

意外な事実がわかった。返事を保留にしていたひとがようやく連絡をしてきたのだが、わたしの電話番号が六年まえと変わったのに、彼女はその六年前の名簿の電話番号にかけてしまって、しかもそれが「現在使われておりません」というメッセージがなく、かかってしまうので、留守電に入れておいたのに返事がないのはおかしいとわかり、ようやく、現在の電話番号を探し当てて、かけてきた、というのである。
もう一人、間際になって欠席を知らせてきたひとも、古いほうにかけて、そのときは応答があって、わたしの名前をたずねて電話してくるひとがとても多いので、よろしく言ってくれ、と頼まれたということだった。

これは「ゆゆしきことだ」と、夫にてつだってもらって、なんどかけてもつながらないNTTにようやく通じて、わかったのは、以前の番号がほかのひとに使われているという事実である。個人情報になるので、そのひとの名前は教えられないが、不法な事実ではない、ということだった。
以前なら、考えられないことが起きていると思った。

そのひとに確実にかかるのはいまや携帯のほうが確かだということになるが、携帯での長話は電磁波が害になるという情報も聞いているので、できれば用件だけにしたい。

電話事情も変わってきたな、という思いである。

2018年4月30日 (月)

自作スワッグ

阿佐ヶ谷の生花店でつくってもらった、ミモザのスワッグが、勢いを失くしていたので、気になっていた。
上毛高原の川場マーケットにとても安価なドライフラワーが沢山あって、それを三種、500円くらいで買えたので、自分で作りなおしてみた。

中原街道沿いのケーキ店が引っ越したあとに、一見しゃれた生花店がオープンしたのだけれど、苗など、すべて一鉢300円以上、およそ華やかさに欠けるスワッグもいくつか飾ってあるのだが、どれも3000円、わたしは思わず問いかけてしまった。
阿佐ヶ谷にある花屋さんは、とてもセンスの良い苗やスワッグをおいているけど、お宅よりはずっと安いのよ。お宅はどれもずいぶん高価だけど、理由があるの? と。
答えは、このあたりはこのぐらいの値段じゃないか、と思って…だった。

こういう店で買うつもりはなくなった。

安い材料を使ったわりには、ましな、仕上がりだと、自負している。001_2


2018年4月27日 (金)

電話か、メールか、はたまた手紙か・・・?

学生時代に親しかった友人のご主人の訃報を知った。
しばらく交際がとぎれているけれど、彼女が結婚を決めたいきさつも、華やかな結婚式の記憶も失せていない。
お悔やみの気持ちをあらわすのは、本来なら手紙だけれど、哀しみから癒えていない彼女に返事を書かなくてはならないという気持ちを負わせることになる。メールアドレスは知らないし、つきとめたとしても、この場合にふさわしくない手軽さ、という気がした。
こういうときはその気持ちを正直に述べて、電話にしようと決意し、かけたら、すぐに彼女が出てきて、電話が一番ありがたい、と言ってくれた。「亡くなってみてつくづく思うのだけれど、わたしには過ぎた夫だったの…」で始まる、そのしみじみとした思いが伝わってきて、いまは哀しみをかかえながらも、しっかりと生きていく気持ちが声音からしのばれて、安堵した。

同年齢の友人の通信事情を知るのはあまり苦労がないが、年下の友人はそれぞれで、固定電話にすぐ出てくれるひとは少ない。すぐ出るのはゴキゲンななめなのでは?と思うような応答のご主人だったりして、戸惑ったりする。携帯にもすぐ出てもらえないときが多いので、もっぱら携帯のSMS機能で短いメッセージを入れることをよく試みる。

この年代のひとたちとは、長い電話は避けて、込み入った話はパソコンで長めのメールをすることにしている。
ところがパソコンを使わないひととは、ややこしくなる。SMS だけでは気持ちが十分に伝わらない、互いに好意は持っているのだけれど、すれちがいが多くて、その修正に手間がかかることも多い。

娘とは相変わらずツーカーとはいかない。このごろ携帯に電話すると、すぐ出てくれることはまずないのだけれど、それでもなにか異常が起きたのかと不安になるらしく、なにかあったの?と電話してくることはよくある。そのまえにメールしておいたのに、それは読まずに電話が先だったりもする。
こちらの用事が緊急でないと知ると、いとも無愛想にすぐ、切ってしまう。ともかくいつかけても忙しそう、わたしも彼女の年齢のときは実母にああいうふうに接していたのかもしれないのだけれど…

2018年4月10日 (火)

これが最後の邂逅かも・・・

従姉妹たちは無事到着した。ただし成田からのタクシーは、夕方の交通渋滞で遅々として進まず、予定よりかなり遅れ、従姉妹は車酔いでフラフラになりつつホテルに着いた。

ティーンの孫娘たちは、美しく成長して、グランマをしっかり支えている。今回の訪日計画を整えたという娘も、二年まえに離婚して、仕事もかわり、少し余裕ができたそうで、落ち着いた表情だった。

二階の彼女たちの部屋に行ってしばし歓談。八畳の和室に、広い二人用のベッドルーム、見事な坪庭もついた四人が十分ゆったりと過ごせる居室、三泊のステイは快適に過ごせそうだった。
持参した、稲荷ずしと手製の酢の物、ゆであずき入りのゼリーなど、孫娘たちはおいしそうに食べてくれた。四人分のパスモを渡す。翌日の月曜は上野の美術館、博物館は休館なので、別のプランに変えるようにアドヴァイス、従姉妹は疲労困憊の様子なので、最初の計画どおり、ホテルに残って私がつきそうことになり、急きょ、89歳の兄も合流するというニュースも報告。
二時間近く英語をしゃべっていたら、頭がすっかり疲れて、慣れてくるどころか、もうしゃべりたくもない、という状態になってきたので、早々に帰宅することにした。
帰りの三田線、芝公園駅は下りのエスカレーターもなく、階段を50段くらい降り、疲労が増す。

やっぱり年齢相応の身体の衰弱を意識した一日だった。

翌日、兄と落合い、タクシーでホテルへ行くことになったが、どこで待ち合わせるかが、難題。
新しいところは間違いそうなので、澁谷のハチ公で、ということにした。

兄とは思ったよりも容易く落ち合えた。一年半ぶりぐらいの出会いだったが、目つきはしっかりしていて、認知症など全く寄せ付けそうもない、溌溂さが残っていて安心。

従姉妹の娘たちとも引き合わせ、彼女たちの外出前に、記念撮影をする。

さて、お昼、何を食べようか、ということになったが、従姉妹が和食がいいというので、地階のレストランに行く。幸い、そばとかウナギ、天ぷら、トンカツなどの、一品料理を食べさせる店があったので、そこに入り、兄と私は天ぷらつきのそば、従姉妹はぜひウナギを、と注文。うな重がとても従姉妹ひとりでは食べきれぬほどの大盛りで、彼女は店員に、宿泊客だからと断って、半分残したものを部屋に持って帰りたいと言ったが、アメリカでは(ドギーバッグ)どこでもOKなのに、お持ち帰りは衛生上を考慮してお断りしております、と言われてしまって、早くもカルチャーショックを感じさせられたらしい。

80、87,89歳三人の会話はもっぱら、昔話、思い出話が多かったが、従姉妹の日本語力も少しずつ回復してきて、とぎれることなく続いた。


2018年4月 8日 (日)

多忙が続く

このところ、毎日出かけている。しかも気がかりもある。
アメリカに五十年住んでいて、もうほとんど日本語を忘れてしまっている、従姉妹が、今日から、一週間の駆け足旅行で訪日するからだ。娘とティーンの孫娘二人と一緒、その三人は日本が初めてという特殊事情。

彼女たちはプリンスパークタワーというホテルに三泊して京都に移るという旅程。従姉妹に国際電話すると英語と日本語チャンポンで、さっぱり要領を得なくなるので、娘のメールアドレスを聞き出し、英語のみのやりとりを始めて、彼女がオーガナイズしたしっかり女性だということに安心もし、ようやく意図している旅行形態もわかって、わたしがフリーである、今日と明日、アテンドすることに決定。

若い三人は上野に行って国立博物館に行きたいというので、案内しようかと思ったが、87歳で車ばかりの生活をしている従姉妹が果たして耐えられるか、心配だった。そこで、芝のホテルに出かけてみて、アクセスを確かめる。浜松町までホテル専用のバスが出ているが、降りてから駅接続が歩くし、上野からまた博物館まで、あの旧式の建物の中、くわしい友人が言うには、八十代にはとっても無理、という構造がわかったので、上野行きは若い三人で、を提唱、わたしと従姉妹がホテルに残って、歓談することにし、そこに89歳の兄まで加わることになった。

今日到着する四人にプレゼントを用意、食べ物の差し入れも考えたりして、きのうはブリッジの一日トーナメントがあったのだが、買い物などして帰宅したら、電話が鳴った。

「お待ちしております…」しまった!!大学の区支部同窓会の夜の集まりを失念してしまっていたのだ。
どうしよう?? 綿のように疲れているけど、力を振り絞った。タクシーで駆けつけ、30分遅れ、なんとか輪に入り込む。

自由が丘のいつものイタリアンレストラン、満員の喧騒の中、それでも話がはずんで、とりわけ若いひとたちのいまどきの生活情報、年中多忙の娘などからとても聴きだせない、美容院情報なども得られて、お隣には六歳上の大先輩とも打ち解けた話がはずみ、疲れが薄まっているのを感じた。

まだこういう離れ業がかろうじてできたけれど、一日に二つのことはこれからだんだん難しくなりそうである。


2018年4月 3日 (火)

今どきの傾向

緑ヶ丘のプールで泳いだかえり、ヤマダ電機をのぞいた。もう十数年使っている我が家のジューサー、部品が欠けてきたりして、買い替える時期に来たかと思われる状態なので、調べるのが目的。

リンゴのナマジュースを一年中欠かさない。リンゴにキャベツ、ニンジン、を加え、最後にレモンを少々絞りいれる、というものだが、近頃はリンゴ半分にミカンやグレープフルーツを加える、お手軽状況になったりしている。でも、八十にしてはしわがないとか、肌がすべすべしている、などと、ほめられたりするのは、このジュースを飲んでいるせいでは、と思うこともある。
今使っているナショナルのジューサーミキサーの新種はもうなかった。ジューサーとミキサーが別々になっていて、ジューサーの種類は極端にすくなく、大手メーカーのものはない。
ミキサーがすべてをこなす、と称する、高額なものがあるが、それを使ってできたジュースが果たして今飲んでいるようなジュース状であるかどうか、定かではない。
ジューサーが消えつつあるのは、後始末が厄介だからなのだそうで、ジュースは買って飲む若い人が圧倒的に多いからだ、と店員が言った。

ヤマダ電機をあとにして、その先のおしゃれな生花店をのぞいたら、そこは、ほとんど生花がなく、サボテン種ばかりおいている店だった。今もっともポピュラーなのだそうで、要は水やりをしなくていいからなのだという。

その店のはす向かいのDultonという、巨大雑貨店に入ってみる。これは、もう、全部外国という世界。なんだかここで買ったもので、我が家の雑貨の野暮ったさはすべて解消できそう、と思えるような品ぞろえ、ただし、かなり高価である。
それでも200円以下のサラダ用のガラス器などもあって、うれしくなって二つ買った。
ゴミ箱がスゴイ。しゃれたデザインだが、使い勝手はどうなのだろう、でもカッコいい、ゴミだしが楽しくなるかもしれない、買い替えたいなあと思ったが、そうなると我が家のあの巨大なゴミ箱は粗大ごみで出さなくてはならないのだろうか、とちょっと思って、通り過ぎた。最上階には飲食の場所もある。スナック類を少々購入。

若いひとたちの生活は変わりつつある。
でも高齢者でもこういう場所をのぞくと、ちょっと疲れた日常を忘れさせてくれるワクワク感に浸れるのは確かだ。

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