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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の272件の記事

2018年2月16日 (金)

今年はスゴイ!

去年は植木屋さんを頼まなかった。彼は町田に住んでいるので、ここまで遠いせいもあるし、もう高齢者になっているので、元気です、とは言っていたが、自分から電話をしてくることはない。わたしは何よりも、ミモザの手入れ時のことが気になっていて、切り時をあやまると、絶対咲かない、気難しいこの樹のことを、彼が果たしてどのぐらい知っているのか、一度蕾がいっぱいついているのに、それを切ってしまって、せめて室内で咲かせてください、と言ったときの、あの失望の気持ちを忘れられないので、頼む時期を逸してしまうことが多くなっているのである。

道を通るひとの迷惑になるぐらい、枝が広がったのを、一番気にしてくれたのは息子であった。彼も木の下に自転車をおいてあるので、邪魔になる枝を切りたいと思っていたのだろう。大きな植木ばさみを自腹で買って、かなり長時間をかけて、植木仕事をしてくれた。
それが良かったのか、今年は、蕾のつき方がスゴイ!!

今回の傘寿の祝いには参加してくれたけれど、母親の誕生日を祝ってくれることもないし、クリスマスプレゼントをくれることもなく、あいかわらず、母親には寡黙であるけれど、彼はときどき、わたしがこうしてほしいという、究極のときを実にうまくとらえるときがあって、それがわたしを深く感動させる。

もうあきらめていたミモザの花、今年は間違いなく満開になりそう、何よりの楽しみである。001

2018年2月14日 (水)

傘寿の祝い

還暦のときにはホームパーティで祝ってくれたのを覚えているのだが、古希と喜寿はプレゼントはもらったけれど、集まることもなく終わってしまったので、傘寿は、最後のチャンスになるかも知れず、ぜひ集まりたいと希望したのは当人のわたしであった。
食べたいものも、行きたい場所も指定して、夫に段取りを頼んだ。

東北と埼玉にいる孫たちは仕事で出てこられないけれど、息子と娘は出席できるという
12日の振り替え休日、徒歩十分のレストランで鉄板焼きのディナーを食べることとなる。

娘から思いがけないプレゼントがあった。皆の寄せ書きを孫娘がイラストを添えてまとめた色紙と、以前から欲しいと思っていたグリーンのキルティングのクッション、それとルームフレグランス.。002_2

徒歩十分のレストラン、自家製のスモークドサーモンや、ソーセージのオードブルもおいしく、目の前で焼かれていく、材料を吟味した野菜、最高のフィレ、サーロイン、こんなおいしい肉を食べたのは、十何年ぶりのような気がする。味にうるさい夫も残さず平らげていた。
ケーキも、スイーツも得意なレストランなので、ちょっと違う口当たりの良さだった。

母が亡くなった年齢八十八まで生きられるかどうかはわからないが、きょうの満足感で遺影用に最適のスナップが撮れたことは確かである。011

2018年2月11日 (日)

80歳になって

ちょうど一週間前、ウイメンズ・カンファレンス最終日に伊豆の天城山荘で80歳の誕生日を迎えたわたしは、大勢のひとから祝福を受けたのだけれど、面はゆいだけで、あまりうれしくなかった。
そして一週間、なんだか、気持ちは重たくなるばかりだ。
80年も生きるなんて思ってもみなかった、という思いを拭い去ることができず、いよいよいつ最後のときが訪れてもおかしくないのだという、緊張感も強くなっている。

実母や義母はこの年齢のとき、どうだったのか、と思いだそうとしても、それがいつごろだったのか、日記もつけていなかったし、具体的な思い出が浮かんでこない。夫に尋ねてみたのだが、覚えていない、とにべもない返事、兄に電話をして訊くつもりだったのだけれど、近況報告と、昔の思い出話や現在の心境、90歳近い彼を励まそうという努力などが先行して、母のことまで話題が及ばず、2時間近くの長話は終わってしまった。
男性はこういう感情移入的なことが苦手というか、自分と親とを見比べることへの関心が薄いのかも知れない。

朝コーヒー豆を挽くことから始まる朝食の準備や、2種の新聞を整理することや、ウッドデッキの小さな花の苗の育ち具合に目配りすることや、冷蔵庫の中にあるものを無駄の出ないように献立することなど、いつまで手際よくやれるものだろうか、近頃なにか始める時に億劫な気持ちが先に立ちそうになることが、危うさをかきたてる。

とりあえずは一番身近にいる人生の先輩、夫がこの80代の5年間をどのように過ごしたのか、まだ彼が元気なうちに、だいぶ聴力が弱くなっている彼との会話がまだ、成り立つうちに、沢山話を聞いておこうと決心した。


2018年2月 1日 (木)

きのうの皆既月食

「おい、始まるぞ」夫の声がかかった。友人との長電話を早々にきりあげ、二階の夫の部屋にいく。窓から居ながらにして皆既月食が眺められるのだ。
カメラに収めようとしたが、白くしか写らない。あきらめた。

月が欠け始め赤みをましたころ、もう二階からは見えなくなったので、コートを着て外で眺めた。地球が宇宙の一部なのだという、当たり前のことを、きょうほど実感したことはなかった。それも刻々とわからせてくれる変化が胸をドキドキさせる。Photo


早めに帰宅した息子も何度も外に出ていた。
仕事がすさまじく忙しいらしいのだが、まだ月を眺めようとする余裕があるのだと、少し安堵した。
宇宙の変化をまざまざとみても、いつもの黄色が赤く変化しても、わたしにはやっぱり「お月さま」である。

2018年1月25日 (木)

西部邁さんのこと

西部邁という人を注目していた。テレビの討論番組にあらわれると、いつも雰囲気がピンと張りつめたようになる存在感を持ち、ひとにおもねたり、妥協するということを許さない、主張をもつ説得力ある発言が魅力だった。Photo


その西部さん自死のニュースはそれだけでも衝撃だったのに、その場所が多摩川だったということが驚きを倍加した。しかも高齢には見えたけれども、同世代だったと知って、なおその事件が頭を離れなくなった。

惜しいひとを亡くした、そう思うひとはさぞ多かろうと察するのに、これは、という悼む言葉が見当たらない、一体どうなっているのだろう、と思っていた矢先、ようやく今日、朝日新聞に、これほどの文章はないというくらい見事な長文の追悼文が掲載された。

書き手は京大名誉教授佐伯啓思氏、十歳年下の傾倒者である。西部氏の死は「余人にはできぬ、その激しい生き方の延長上にある強い覚悟を持った死であった…どれほど高名な学者であれ、社会的な著名人であれ、その言動の根底に偽善やごまかしをみいだせば、西部さんは容赦なかった…過敏といってよいほどに繊細な感覚と激しい感情の持ち主であると同時に、冷めきったような理性と論理の持ち主であった…西部さんが歴史的な伝統から得たもっとも大事な価値は、義へ向けた精神であり、自立の矜持であり、節度であり、優れたものを前にした謙虚であり、逆にきらったものは、怯懦や欺瞞であり、虚栄であり、独善的な自己宣伝であった。そしてそうしたものの横行する戦後日本の大衆社会、とりわけ知識人を批判する舌鋒は誰よりも激しかった…」西部さんにわたしが惹かれたのはこういうところだったのか、と納得する分析であった。
西部さんが好んだというチェスタトンの言葉「一人の良い女性、一人の良い友、一つの良い思い出、一冊の良い書物」これさえあれば人生は満足なのだ、という。

チェスタトンを読みたくなってきた。


2018年1月24日 (水)

雪の日にいろいろと…

雪降りの予報の日は一日ゆっくりやすむつもりで、前の日に買い物をすませておいた。
ところが朝、たまっている新聞を整理しようと思って、戸棚を開き、整理箱から余分の新聞を取り出そうとしたら、その箱にアイロン台が闖入していて、わたしの頭の上に落ちてきた。ショックでしばらくじっとしながら、すばやく考えた。めまいはどうか、吐き気はないか……。頭のてっぺんはそれていたので、最悪ではなかったのかもしれないが不安はおさまらないので、保冷剤を当ててしばらく休んでから、ホームドクターのところに急いだ。
若い時だったら、イタ~ッツ、だけですんでいそうだが、高齢の身、そういう衝撃がなにを引き起こすかわからない。

前の日、夫にアイロンがけを頼んだので、いつもの場所でないところにアイロン台が闖入していたのが災難の原因である。彼をせめるつもりはなかった。戸棚の中の整理が滞っていたのが悪いのだ。

ドクターは目の奥をのぞき、血圧をはかり、頭部や手など触診をみごとにこなして、どこも異常はないから、一カ月ぐらいして何か出てきたら、来るようにと言われた。
メモを残しておいたので、夫は思い当たったのだろう。血相変えて、待合室で待っていた。
彼も二本杖なのに、下手すると共倒れになるじゃないの…
こういう災難はこれからもなきにしもあるずである。高齢者は共倒れが容易に起こり得るということだと思った。

帰宅してゆっくり朝食をすましてから、大丈夫そうなので、こうしてはいられないと思った。スノーブーツがないのである。トリノで買ったブーツを、孫娘に与えてしまったのだ。まだ雪が小降りのうちに蒲田に出かけた。幸い、ABCマートでぴったりのものが見つかった。

翌日は、福島の奨学生の選考委員会、それをはいて無事役目を果たす。長時間議論したあと、昼食会を終えて戻ると雪道を慎重に歩いたぐったりが加わり、疲れのよどみがとれそうもないので夕食後の7時半、30分のマッサージに出かけた。


2018年1月11日 (木)

風の冷たい日の出来事

「フランス風アップルパイを焼いたの、それとあなたに上げたいピンクの花の球根があるから…」というお誘いで、わたしは、自分もヒジキの煮つけを手土産に持って、バスで二停留所先の若い友人の家に出かけた。

広いお庭のあちこちに、そのピンクの花が繁殖している。彼女のフランス人の友人からもらったという、それらは、アガバンサスをもっと繊細にしたようなピンクの花弁、見回りながら、ふと視線を移したとき、縁側の踏み石にネコが丸くなって寝ているのを見つけた。

あら、ネコちゃん、寒いのにお昼寝かしら…とそのしっかり目をつむった安らかな表情の頭部に手をやって、はっとした。冷たいのである。ああ、あのチャイの最期のときにふれた、あの冷たさ…死んでいるのであった。
頻繁に訪れてきては、食べ物などをもらっていたらしい。
ネコは死ぬところを見せないというが、こういう死に方もあるのだと思って衝撃を受けた。

パイもおいしかったし、おしゃべりもいっぱいしたのだけれど、ピンクの花の球根を数個おみやげにもらい、それを抱えながら、球根が根付いて、花が咲いたとして、それを見るたびに、わたしはあのネコの姿を目に浮かべるだろう、と思い、胸の奥が疼いた。

せめてあたたかいネコの天国で安らかにね、と祈りながら、帰途についた。004


2018年1月 7日 (日)

風習どおりに

きょうは七草がゆの日。
そんなの、どうでもいいよ、と我が家の男どもは言うが、ちょうど胃が疲れてくるこの時期、よく考えられている昔からの風習は守りたい。

きょうは一日ブリッジトーナメントの日なので、前の晩、大根と厚揚げと生シイタケを例のシャトルシェフ鍋で煮ておいた。

例年、厚揚げではなくがんもを煮るのだが、近所の豆腐店が閉じてしまったので、仕方なく雪ヶ谷で買ったもの。がんもは売り切れてしまっていて、厚揚げしかなかったのだが、この厚揚げとてもしっかり揚がっていておいしい。でも油揚げもいっしょに買ったのだが、これはあの閉店した店のもののほうが薄手でカリッと揚がっていてずっといい。自慢にしていたわけが今になってわかる。

トーナメントの帰り、中目黒の東急に寄って、切り昆布の煮つけと玉子焼きとカボチャの煮物を買った。この東急ストア、中目黒のバス停、ツタヤを通り抜けた突き当りにあるのだが、入るとすぐ膨大な種類のおかずがずらりと並んでいて、とても買いやすい。
澁谷ののれん街よりいいぐらいだ。

おかゆは電気がまで炊いておいて、と夫に頼んであったのだが、米の分量の倍の水で炊いたというおかゆはやわらか御飯みたいだったので急遽、水を加えうすめた。でも塩加減もよし、とてもよく炊けたおかゆだった。わたしはよく土鍋で、おかゆをかなりの時間をかけて炊くのだけれど、電気がまで充分だと今回悟った。001


息子が正月休みに韓国に行って買ってきてくれた、本場のキムチが意外とおかゆのおかずに合っていた。

2018年1月 2日 (火)

明けましておめでとうございます

元旦の分厚い新聞の記事の中で、一番感動したのは、朝日新聞12版、『希望はどこに』の「おんな城主、直虎」の脚本家、森下佳子さんのオピニオン、「先回りをやめて、まずは右往左往して」である。001


おんな城主、というタイトルに尻込みして最初のほうはあまり熱心に観ていなかったドラマだったが、中程からすさまじく面白くなってきた。せりふがいい、人生を見据えたような心を動かす一言もあったし、魂と魂がふれあうような対話、(これは主演の柴咲コウさんの言葉だが)、に圧倒されるような場面が続出した。

その脚本家、森下さんは屈託ない美しい笑顔で、これまでの彼女の半生を語っていた。テレビ局に全部落ちて、リクルート社の『住宅情報』の編集部に入ったこと、原稿を直したり縮めたりする仕事をむしろ楽しんで従事し、脚本家の仕事もコンクールとからではなくプロットライターという現場の仕事から入り、自分の強みを生かせる隙間を探していたという。ものを調べたり、手早い原稿書きが強みとなって、なんらかの技術を持つことの大事さと、経験は裏切らない、なんでもやっておくべきだと悟ったそうだ。

「直虎」の龍雲党というのは彼女のオリジナルキャラクターだそうで、確かにどこにも仕えず自由に生きている龍雲丸は、わたしのごひいきの俳優が演じていたせいもあって、実に魅力的だった。どこでも生きていく力が自分の手の内にあるというのが、憧れと、彼女は語る。先行きに不安を感じても、それはまだ目に見えない、希望もやっと近づいてきてもまた消えたりする。右往左往しているうちに、ああ、こっちだとわかってくる。

そう、私ももうすぐ八十のこれまでの人生、それの連続だったな、という実感がしている。


2017年12月30日 (土)

大晦日をまえに

手作りおせちは黒豆、五目きんぴら、ナマス、田作りすべてできあがっていて、明日は雑煮を準備するだけになったので、気が楽になった。
きょうは鎌倉に墓参り、娘の運転で出掛ける。夫が助手席にすわり、ナヴィゲーターの役をしていたけれど、杖を持たずに出てきてしまうというハプニングがあり、あまり長く歩かせるのが不安だったので、墓参りを終えたあと、予定を変更して、パーキングを使わず、わたしがひとりで井上蒲鉾店での買い物をすました。
おでん種の種類がふえたようで、どれもおいしそう、京がんもまでそろっている。近所の豆腐店が閉店してしまったので、ここで買えたのは助かった。

きょうの鎌倉、人出は少な目だったが、いつも立ち寄る蕎麦店は十人ぐらい行列だったので、急きょ変更して逗子マリーナに行く。すっかり様がわりでパーキングそばにレストランなく、セレモニーホールらしきところのカフェでランチをとる。

帰宅したら、息子が何か手伝おうか、と言ってくれたので、ガラス拭きを頼んだ。わたしはやっぱり相当疲れていて、この辺で身体をいたわっておかなければ、と感じたので、30分マッサージをしてもらいに出かけた。

来年も忙しい。一月半ばごろに、福島の奨学生の選考委員会がある。候補者の資料を読まなければならない。それにこの年末になって、一月末の予定で、再び、待遇表現の講義の仕事の依頼が入った。
受講生は新しい人たちとのことだったが、授業内容はもう少し工夫が必要、その準備もしなければならない。

このところ人の名前が出てこないことが多い。隣組の人の名が急に出てこなくなって、確か木の多い名前だったと、ああでもない、こうでもない、といろいろ思案し、ようやく、そうそう、モリムラさんだった、と思いだすのに、15分ぐらいかかった。
授業は自分ばかりがしゃべらず、できるだけ受講生に意見を言ってもらう工夫をしなければ…

来年2月に80歳、こんなに長く生きるとは思わなかった。
身体の声をよく聴き、予定をなるべく減らして、ゆったりした日々を過ごせるようにこころがけたいと思う。
そういえば、去年もこんなことを書いたような気が…


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