一大変化
二月に我が家は全員コロナにかかった。まず最初の犠牲者はなんと夫で、高熱の彼のトイレの始末を全員でしたおかげで、わたし、娘,、息子の順に感染することになってしまった。
九十歳のコロナ患者は,当然隔離されることになり、その間夫が戻ってきたときの介護の形を考えておくことで、我が家は息子と娘が率先して、介護の形態をととのえることになった。まず夫を私の部屋で寝かせる。そのために私のベッドをこの際粗大ごみに捨てて、ダスキンから介護用のベッドを借りることにする。
毎日の料理は大変なので、一日おきに調理に来る人を雇う。あと、週二度、看護師と理学療法士が来る。身体を拭きに来る人も週一、訪れる。そして、デイサービスは、夫の様子をみて、およそ一日の予定で、わたしのために、出かけてもらうことにする、など、など。
介護体制はほぼ、ととのい、最初はわたしが夫のトイレをみるために、そばに寝ていたのだが、途中から、夜間はほとんど行かなくて済むので、私だけ、二階のベッドに移動してから、俄然、楽になった。
現在はかなり慣れて、買ってあったコンサートのチケットも、思い切って出かけられるほどになったが、やはり、楽に、というわけにはいかず、文化会館小ホールの夜に出かけたのだが、八人編成の美しい宗教音楽の合唱だったが、耐えられず、半分で出てきてしまった。すごく風の強い日で、途中で出たのは正解だったと思う。
まだ、しなければならないことに、集中すると、頭が重く、身体もだるい。その日は無事に来られたけれど、やはり一時間の行程はちょっとつらい。もう出かけるのに一時間かける外出は無理、ということがわかった。
今日、三月一日、銀行の通帳記入に、出かけたのだけれど、ようやく、疲れを感じずにすんだ。身体が元に戻ったのを感じる。
まだ、何とか生きていられるのを、自由が丘の、さっぱり進行していない、工事現場を見ながら、ありがたく感じていた。
最近のコメント