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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の341件の記事

2020年3月18日 (水)

近況報告

イタリア旅行情報サイトのメルマガがようやく届いた。当分更新の見込みなしという但し書きつきのメールであった。

3月8日のイタリア全国封鎖宣言から、厳しい外出制限が敢行されているイタリア、自宅近くに外出する際も自己申告書を携行しなければない。仕事、食品の買い出し、健康上の理由のいずれかでなければならないが、犬の散歩は許されているという。食料品店、スーパー,薬局、キオスク、タバコ店は営業しているが、青空市場、あのなつかしいメルカートは中止されているという。多くの食品をここで買い出しする人が多かったのに、市民はどれほどの寂寥をかかえているだろうか。

3月15日当時の感染者数24747、死者数1809人、その多くは悲しいことに、医療関係者であったという。過酷な条件の中、日夜を忘れ治療に専念していた人たちに感謝する垂れ幕や壁画などがミラノの街にあふれているというが、それから三日を経たきょうの感染者数、すでに3000人を上回っている、その数が恐怖を物語っている。目下ミラノ見本市会議場を600床を有する架設病院にする工事が猛スピードで進行中というが、イタリアの人たちがどうか、この危機をのりこえてくれるように、と祈るばかりだ。

 

東京ももちろん自宅待機のひとは多いけれど、近くの街には結構、マスクもしないひとたちがそぞろ歩きをしている。

一か月に一度会って話をしたり、食事をしたり、散歩を楽しむ近距離在住の友人二人と自由が丘で食事をしたあと、天気がよかったので、九品仏の浄真寺まで足をのばした。

娘がこの散歩をすでにしていて、近くにこれほど素晴らしいところがあるとは知らなかったと、感動を伝えていたからである。

線路際のスペイン料理でランチをしたあと、バスが通っていて、ピーコックがある自由通りに出てから環八方面を目指して歩き右側にある九品仏方面の遊歩道を進んだ。瀟洒な中小住宅が並んでいたり、しゃれた店がちらほら混じっていて、目の和む散歩道、十分ぐらいで十字路にぶつかり左へ、浄真寺の標識が出ていて、東門に到達、門をくぐって驚愕した。京都の寺社仏閣に匹敵、いやそれ以上かもしれないと思うぐらいの空間が広がっている。緑が美しい。まもなく仁王門をくぐる。仁王さまの表情が迫力である。桜の大木もあるから、ほどなく花見も楽しめるだろう。仏像も美しい。下品堂、中品堂、上品堂にはセルフサービスのおみくじが用意されていて、わたしたちはそれぞれ求めた。わたしは小吉、アメリカ人の友人は大吉に狂喜していた。Photo_20200319095901 

わたしが数十年前から記憶していた浄真寺は九品仏駅近くの総門だけで、我ながらあきれるのだが、中に入ったことはなかったのだ。帰りはその総門に出て、駅までたどった。

コロナの喧騒のなか、思いがけぬ癒しを得たひとときであった。

2020年3月13日 (金)

手抜きしながら

コロナ騒ぎで在宅が多いので、ほとんと毎日夕食をつくっている。

腕の痛みは薄くなってはきているが、動きによっては、まだ痛むので、料理の手抜きを工夫している。

肉じゃがなど、ジャガイモの生から調理しないで、ゆでて真空パックになっているのを使ってみたら、まったく違和感のない出来上がりになった。要はジャガイモが主役のもの、でなく、かなり濃い調味のものなら、落としぶたして、しっかり味さえつけてしまえば、ゆでじゃがで十分なのである。

きのうは久しぶりに、春巻きをつくった。本当は豚肉を千切りして中身をつくるのだが、代わりにひき肉にして、ニラとしめじともやしを入れ、酒,しょうゆ、塩少々で軽くあじつけしていため、カタクリふりかけたものを皮でつつむ。チャーハンは夫が出かけるというので、有名店のものを買ってきてもらうことにした。

チャーハンに青ネギなど、足りぬものをちょっとたしていためなおし、春巻きを、あたらしい油で揚げたら、夫がおいしいなあ~と、大きな声で感想を述べた。

                    

テレビは毎日観るけれど、日本の番組はどれも、マンネリ、ニュース番組ばかりを観たりしている。CNNにイタリアのボローニャの街が出てきた。マジョーレ広場は閑散としていたが、その裏側にあるマーケットの青果店は色とりどりの野菜がいっぱいで、元気そうなオバサンが政府はもっと大きな決断をすべき、などと言っていたし、精肉店も生々しい肉がぎっしり並んでいたので、ちょっと安心した。あの場所で、二十年まえ、語学校の授業を受けるまえに、パニーニのパンを一個買い、そこに切りたての生ハムをはさんでもらって、あの場所の青果店でルッコラを入れてもらい、ブラッドオレンジを買ってランチにしたのだった。

日本では各国の料理を色々食べるから主婦の献立はややこしく、面倒だが、イタリアはともかくパスタとズッパ(スープ)とリゾット、など、肉もフライか焼くか、ともかくイタリア料理だけつくっているのだから、こういう非常時でも、インスタント食品には頼らず、元気でいられるのではないだろうか、と、楽観したかったが、ミラノのスーパーに長い行列ができていて、行列ができると、必ずおしゃべりをし始めるイタリア人なのに、笑顔もない人たちが、前の人と間隔をあけた姿で立っているのを見て、衝撃を受けた。

 

2020年3月 7日 (土)

まだ咲いてる

ミモザが開花してから三週間になろうとしているが、花はまだ見事に咲き誇っている。Img_2583

植物が元気なのに反比例するみたいに、人間は不安の中にいて、やる気を失ってしまう。

ミモザの花のリースを作ってみようかと材料は仕入れたのだが、手を付ける気がしない。

 

山形はまだ感染者がゼロなのだそうだが、コンサートは中止になったとか、で、孫娘が予期せぬ休暇を過ごしに一週間上京している。いつもならばぁばのうちでご飯を食べたいと言ってくるのに、今回は若いひとたちについているかもしれない菌をうつすと大変だからと、ママがそれをやめさせているので、会えない。じゃあ、外食をいっしょにしない?とさそってみたのだけれど、友人たちと会う約束がいっぱいで、帰る日まで無理というのを、それでもなんとかしたいと、じゃあ、帰る日の当日、自由が丘でモーニングしない?ということが決まった。山形新聞に女性のトロンボーン奏者ということでインタビュー記事が載ったというのも知らされていたので、その新聞も渡されることになっている。

その朝は少し早めに起床して、彼女が新幹線の中で食べられるようにお弁当をつくった。来年、こんな元気が残っているとは限らない。わたしのつくる最後のお弁当になるかもしれない、などと思った。Img_2585 

 

このところ本当に未来がわからない。こんな日が来るとは思わなかった。でもあの子供時代に過ごした、毎日空襲のサイレンにおびえながら、白いご飯もままならない粗食の日に比べれば、食べたいものが食べられるだけでもましではある。

 

ミラノの友人とメールを交わした。無事でいるらしいが、65歳以上は外出を避けなければならない、という。友人たちと会えないことがつらいと書いてあった。現実の状況は政府の発表よりずっと深刻で、想像しえないほどの危機感をかかえているとも書いてあった。

 

具体的なことが書かれていないのでより深刻さがつたわってくる。私の知っている、あの陽気で生きていることが幸せだと感じさせてくれるイタリアは、なくなってしまっている。

 

日本もそれに近い状況だけれど、一日一日を無事に過ごせれば、感謝と思って過ごそうと思う。

 

2020年3月 1日 (日)

パンデミックが近づきませんように

今日行くはずだった、日本初演オペラ『シッラ』が中止になって、3月10日以降に払い戻しされることになった。

2月末日で、「おてんと」という近所のスーパーが閉店した。

新鮮な野菜や果物が安価で、店員の人たちも親切、お惣菜なども、夫の気に入るものが多く、頼りにしていたので、ショックである。

家にこもることが多くなって、ついついテレビをつけては、コロナウイルス関連の番組に見入ることになり、落ち込むというのを繰り返している。

夫が読むのを勧めたあのパニック小説『首都感染』、パンデミックはいくらなんでもフィクションの世界だけのこと、と思い込んでいたのに、今やそこに近づきつつある。

恐ろしい。

                      

それにしても驚愕した。イタリアの感染がすさまじいのである。

数日まえまで400を超したというのに驚いていたのにもう1000人以上とは、しかもミラノが州都であるロンバルディアがもっともひどいのだそうだ。

ジャパンイタリア・トラベルオンラインの情報によれば、発祥地はコドーニョ市で、多国籍企業に勤める三十代の男性が中国から帰国した友人と食事したことが発端、彼はスポーツマンで、サッカーやマラソンなどの競技にも参加、友人も多く、数回外食、教師をしている奥さんは妊娠していて仕事は休職中だったが、彼女やその両親も感染、検診に行ったクリニックの医師も含めて感染は広がったという。何しろ挨拶がハグしあって頬も触れ合うという濃厚接触だから、感染は深まるばかりなのだろう。

ヴェネト州の小さな町ヴォーの76歳男性は年金生活者で中国とは関係ないのに、感染し死亡。町のバールに毎日行くのがなにより楽しみだったというから、そこが温床となっての広がりが早いのは想像がつく。

ミラノは厳戒態勢、スカラ座公演中止、美術館、図書館、映画館休館、アルマーニのファッションショーは観客なしで映像発信となり、見本市も中止、『ミラノ・サローネ』は六月に延期、ともかく人と人との交流、接触をできるだけ避けるようにという、お達しが出ているということだから、友人の友人まで友人扱いするイタリア人にとって、どれほどの苦痛、さみしさかと想像がつく。

 

 

 

2020年2月18日 (火)

欠落していく記憶

 

 新しく知り合うひとの名前がさっぱり覚えられない。新しい教会には名簿というものがないので、もう入会して六か月近くにもなるのに、記憶は怪しいままである。森田さんのことを、松田さんと言ってしまったり、栗原さんのことを、松原さんと言ってしまったり…樹木に関する名だったということだけは覚えているらしいのだが、それがみんな松になってしまうところがアホである。

新しく出てきた品物の横文字の名称もこんがらがっている。

スカーフの輪になったものがスヌード、リースのかわりに、花束状にしてかざるスワッグが、どちらも「ス」がつくので、まぎらわしい。スヌードをやっとおぼえてすぐ出るようになったのに、今度はスワッグがすぐ出てこなくて、ス、ス、ス…とどもりながら、あとが続かず、へどもどしている。どちらも同時期におぼえたので、区別が怪しくなるのだろう。

俳優の名は顔だけ浮かんでいるのに、出てこない。でもそのひとの出演している作品の名を言えたり、前に出演したときの役名などは言えたりするので、まだましなのかもしれないが、会話する相手がなくなったら、記憶はますます薄らぐのだろう。

 

何が何だか分からなくなっちゃったの、と電話をかけてきた母の、あのときの年齢はいくつだったのだろう?兄とかけつけて、請求書や、重要書類を整理したあのころが迫っているような気がする。

 

わからなくなったことをわかっているのなら、まだマシかもしれない。わからなくなったことをわからなくなったまま、暮らしていたら、本当に大ごとなのである。

一番尊敬していた賢い先輩が、そういう状況になっていると知ったショックから、わたしはいまだにさめずに茫然としている。

 

2020年2月 8日 (土)

広がる憂慮

イタリア旅行情報サイトJITRAからメールが届いた。

イタリアは中国武漢からの帰国者は56名だったが、ウイルス検査では全員陰性だったそうだ。チヴィタヴェッキア港に入港した6000名のクルーズ船では2名が感染を疑われたが、検体検査の結果は陰性とわかって下船が可能となったそうである。現在ではイタリアのあらゆる空港で体温チェックが行われているという。

コロナウイルスによる感染被害はほとんどないとされていても、中国ビジネスの結びつきが深かったイタリア、現在中国からのショッピング顧客はほとんどなく、まもなく開催を待つ見本市の最大の顧客中国人が不在となっては、業界は厳しさをかみしめている、とのこと。

二月にフィレンツェを訪れたときに目にした満開のミモザの黄色を思い、旅行者にとっては、世界の危機的状況を恐れつつも、混雑の少ない時間を過ごせるのではないか、と想像する。

 

パニック小説を数多く読んでいる夫から、すごいぞ、読んでみろよ、と高島哲夫著『首都感染』を渡される。

WHOのメディカル・オフィサーだった感染症の専門医が主人公、中国で開かれているサッカーのワールドカップに世界32か国のファン40万人が詰めかけている中、強力な感染症が発生、アメリカ1000万人、EU2000万人の死者を出し、日本は218名ではあったが、都心部に機動隊と自衛隊を配置して東京の封鎖が始まるという、中ほどまで読み進んだ。

荒唐無稽なパニックとは、とても思えない、現在の日本、『船内疲弊』という朝日新聞の三面大見出しを目にしながら、さぞや、と胸が痛む。

乗り物乗り継ぎの外出を控え、栄養の行き届いた食事を心がけるのが、せめてもの主婦の仕事と、いつもより空白の多くなった二月のカレンダーを眺める。

 

2020年2月 5日 (水)

誕生日、82歳のその日

誕生日の二月四日を、夫はよく覚えていてくれて、カードと、わたしの大好物、田園調布『ローザ』のロールケーキをプレゼントしてくれた。

 

近くに住むR子さんから、お庭の河津桜が満開だから、見に来ない?というお誘い。では、最近オープンした二丁目バス停前のオーガニック野菜サラダ専門カフェ『アネトゥ』でランチをたべてから、お庭を観に行きましょう、ということになる。

 

『アネトゥ』の野菜だけのスープ、豆乳入りのポタージュ、あとビーツのサラダ、ムール貝の冷製、などをシェアしながら、塩気もほとんどない野菜の味だけの澄んだスープに配られた塩とオリーブをかけて食しつつ、野菜って、お肉より、豊かな味わいがあると、感じる。Img_2572 

 

R子さんはその心の優しさがお庭全体の木や草花に伝わっていると、はっきりわかるほど、花々も木々の緑も膨らみかけた蕾や芽吹きの鮮やかさはまばゆい。

老木になった白梅の枝が重くて、木が折れそうになっていたのを、植木屋さんが切ったその枝を、前面の池の中につけておいたら、花が咲いてきたのよ、と彼女うれしそう。

わたしもうれしくなる。

河津桜は優しいピンクで、美しかった。Img_2573 Img_2575

2020年1月15日 (水)

歯医者さんデート

夫はおもちが大好きだったのに、この正月は食べられなくなった。部分入れ歯がはずれそうで、おもちにくっついたまま、飲み込んだら大変という状態だったのである。

と、いうのも歯科であおむけになって、治療を受けるのが、つらいから、もう行きたくないという状況が続いていたまま、年を越してしまったからだ。

お餅が好きなひとだったのに、可哀そうだなと思っていた。

 

一週間ぐらいまえに、朝、歯が痛くて眠れなかった、と、ふらふらしながら起きてきたので、これは大変と、娘に電話したが、もう仕事に出てしまって、車はダメ、そこで二十回ぐらいタクシー手配に電話したが、全部ダメ、オレ、大丈夫出かけられる、と言って、結局、ひとりで出かけてしまった。

 

院長先生に神経抜いてもらった、と結構元気で帰宅して、次は14日予約、というので、わたしも14日よ、と時間を確かめたら、なんと、同じ時間なので、じゃ、治療をしたあと、自由が丘でおそばでも食べる?という歯科デートが決まった。

歯科のまえの珈琲館で待ち合わせ、治療を受ける。ほぼ同じ時間に終わって、電車で自由が丘へ。二本杖で歩みはのろいが、まだ歩けるだけでもありがたいと思った。

 

お蕎麦屋さんで、彼は狸そば、わたしは鶏せいろにした。こちらはもう食べ終わりそうなのに、彼のほうは、とみると、ちっとも減っていない。熱いのが歯にしみるとか、結局、半分くらい残して、レジの女性にあやまっていた。

食べはじめたときにも、トイレに行ったり、外食はもう無理だな、とつくづく感じたりもした。

家の食事が一番気楽で、安全という段階にきているようだ。

 

でももうすぐ米寿の彼、歯科医にひとりで出かけられるという状況だけでも、立派だと思う。

 

少しでもいいことを見つけて過ごさなければ…今年も、気がかりがふえそうな予感がする。

2019年12月31日 (火)

ベーカリー物語

徒歩三分ぐらいのところにベーカリーができたのは三年前のことである。

難しい場所だ、長続きはしないだろう、と言ったのは、五十年近くも営業している豆腐店の主だった。

 

パンを焼いているのは女性、このあたりの地主の長男のお嫁さんである。最初は行列ができるぐらいで、わたしも並んで買ったのだが、あまり自分好みではないとわかって、しばらく買わないでいた。ところが彼女はいろいろ工夫を重ね、イタリア風のパンまで焼くようになって、朝食用の種類が俄然おいしくなったので、再び買い始め、いまでは全粒粉の食パンを予約してまで買うようになっている。

とうとうオープンして以来三年が経過したのだが、最近になってしばしば、体調によって、営業は週三日、とかいう張り紙が出るようになり、えっつ?体でもこわしたのかと心配したが、実は、おめでたであることがわかった。

もう臨月というとき、顔を合わせるときがあったので、大変ね、頑張って、応援しているわ、と言ったのだが、ガラスケースをのぞくと、スープやらパスタなどのお惣菜も出ているのに驚き、あら、こんなものも?すごいじゃない?というと、いえ、これは彼が…といったので振り向くと、わたしが思っていた男性とはまったくの別人が笑っているではないか。理解に苦しむ、わたしを見てとったのか、彼女は言った。「あたし、いろいろあって再婚したんです、もちろんまだたずねていくこともあって、子供たちにも会いにいくんですけれど…」

へえ~~~~~~~~~~~っつ、三年のあいだにこんなドラマが起きていたとは!

お大事にね、くれぐれも、と店を出た。

 

そして三日前、店は開いていて、おなかが小さくなっている、彼女がいた。「男の子でした」と彼女は言った。母乳ですか?と聞くと、彼女はちょっと困ったような顔をして、「続けられないかも…よく出るんですけどね」と言ったので、わたしは思わず言ってしまった。「もったいない、うちは私も娘も二人の子供に母乳だったのよ。四人ともまったく大病しないでここまできたの」と。

あれから、ベーカーリーは閉まっている。余計なことを言ってしまったか。でも、自然の摂理で湧き出る神様のミルクの力は大きい。

 

どうか彼女が離乳のときまで、母乳をあげられるように、わたしは今、願っている。

 

 

2019年12月29日 (日)

寒さが身にしみる歳末

 

今年の年末はすごく寒く感じる。まるで二月の寒さのようだ。とりわけ夜が寒い。ふところも寒いせいだろうか。

なにもかも値上がりしている。一万円はわたしにはまだ大金なのだが、どんどん消えてなくなる。きんとんは作る腕は持っているのに、腕の痛みと、伝承に興味のない娘のせいで、買わなければならず、100グラム千円以上に驚きながら田園調布有明屋で買った。ところが新しい教会のそば、石川台の商店街では、手作りの甘さ控えめのきんとんが三百グラム1000円ちょっと。その手作りのお弁当とおそうざい店はこれからも勇んで利用したいと思うのだが、和洋、それぞれ品数も豊富、値段も手頃、ポテトサラダ100グラム100円がおいしい。これからも教会の帰りに買えると思うとうれしくなる。こういう情報は歩く足がなんとかなるからこそ得られるもの、まだ可能なうちにめぐりあえてよかった。

 今年はもう、息子と三人だけで、簡単に新年を祝うつもりだった。ところが孫息子夫婦がどうしても元日の夜、挨拶にくると言ってきて、娘と孫娘も合流する、もてなさなくていいからとは言ったが、それじゃあ、最後の腕をふるおうか、ということになっている。

おせちの五目きんぴらと田作り、なます、黒豆を作り、あと炊き込みご飯、おでん、肉っけが要ると思い、久しぶりに紅茶豚をつくるつもり。すべて二日もあれば余裕である。娘が生野菜ディップをもってくるので、野菜はそれで充分。

 

肩の痛みはずいぶんよくなってきているが、まだ油断はならない。刻むのはオレがするよ、と夫が言ってくれるので、ショップチャンネルでギザ刃加工包丁を買った。デモンストレーションほどの切れ味ではない、と思ったが、夫は、こりゃ、スゴイ、と言っていたのでまあ、失敗の買い物ではないだろう。切れすぎる日本包丁は、手がすべったりしたら、年寄にはコワい。

なるべく、手作りですます食卓、と思っていたのだが、思いがけず、肩の治療が長引き、この、二、三か月、夕食のあと一品ヘルプにずいぶん近所のおかず屋さんに助けてもらった。もと魚屋さんだったひとなので、魚料理が上手、サバの味噌煮や、アジや白身魚の南蛮漬けなどがおいしい。それとカボチャの煮物や、煮豆、あと切干大根、ひじき、おからなど、ときに小魚の天ぷらなども出てくるし、カキフライ、アジのフライなども予約すると揚げたてが買える。

あとは近所のパン屋さんが、おそうざいも売りだしていて、スープ、パスタ、ベーコン入りサラダなど、これも便利である。

 

予期せぬ痛みで炊事がつらくなり、頑張りは痛みを慢性にしてしまう。手作りは冬のあいだは手間のいらない鍋物を主にして弱りつつあり身体をなんとかもたそう。

 

もう買い物はほとんど済んでいるので、なんとか元気で新年を迎えたいと思う。

 

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