2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の290件の記事

2018年8月 9日 (木)

コリウス、コリウス…

001_2

カラフルな葉っぱの植物、コリウスが好きで、今の季節には必ず買う。今回もグリーンと赤を二鉢買っただけなのに、のびた先を摘んでコップの水につけておいたら、すぐに根が出て、それを鉢に植えていったら、こんなにふえて、ウッドデッキがにぎやかになった。

台風はいつくるのか、そのまえに恵みの水がいっぱい天から落ちできたおかげで、これほどの、鮮やかな色彩の広がりを見せてくれた。

2018年7月12日 (木)

ご無事を

西日本豪雨の被害は日を追って深刻さを増し、その映像は胸ふさがる衝撃を与える。

この炎天下に作業に従事する、自衛隊や、ボランティアの方々の疲労はどれほどのものだろう。そこに自分をおいてみて、想像してみても、泥水が乾いてこびりついた、家の中の惨状を元に戻そうとする被災者の方々の労働がどんなに辛く空しい作業であることか、持病をかかえている高齢者には、とても耐えられるものではないことが真に迫って感情移入できる。

あのたけり狂ったような土色の河の奔流と、見る見るうちに川幅が広がる恐ろしさは、忘れられぬ光景だった。

七月十日、参院ではカジノ法案の審議が行われるはずであったが、こんなときにギャンブルを討論するとはなにごとか、という野党の反論が相次ぎ、なかでも、山本太郎氏の質問、抗議は迫力もあり、数字を沢山示して、先の九州豪雨のときと、東北大震災の事例との比較はまことに説得力充分で迫力があった。
水害は二週間が勝負と言われるのに、政府が本腰を入れて対策本部を設定するのにひまがかかり、あまりにも後手後手にまわってしまったのではないか? 七月五日に気象庁が重大災害の予告をして、168700 世帯に避難勧告を出した時点で、その深刻さを悟るべきだったという指摘、現在50万人のボランティアを必要としているのに、その手続きが現地と最寄りの区域の役所をFAXでやりとりする煩雑さが、迅速な運びを妨げており、なんとか簡素化(これは実際に発言された言葉だが、正しくは簡易化ではないかと思う)すべきだとする意見、泥や流木、石などを撤去する自衛隊の車両はあまりにも大きいために、駐車する場所選びもむずかしい、もっとコンパクトなものを購入する予算なども考慮してほしいなど、具体的な提案もなるほどと思わせた。

地元の水道局も被災していて、水道が使えないための、トイレの悩み、洗濯ができない不便、不快など、察するにあまりある困難の続出である。なんとか政府や官庁の積極的なレスキュー案で解決できないものか。

今はただ、被災された方々と現地で復旧作業にあたっている方々のご健康とご無事を心より祈るものである。

2018年7月 1日 (日)

終わっていないひと

この六月で息子が定年退職した。
こんなことに自分が遭遇するとは想像もしていなかったので、つくづく歳をとったものだと実感している。

五年まえ彼の会社が大手から吸収合併されて、おそらく一年しかいられないだろう、と言っていたのが、五年いられたのだから、それだけでもよく勤めていたのだろう。毎朝六時前に出かけて、深夜帰宅という日々だった。その遅い帰宅は必ずしも仕事のためばかりではなく、自分の時間に使っていたのかもしれないのだが、何しろ寡黙なのでよくわからない。三十年間一度も大病したこともなく、本当にお疲れさま、よくやったね、と親ばかかもしれないが褒めてやりたい。

第一園芸でセンスのいい、小ぶりの花束を売っていたので、それにFOR YOUというカードをつけて、夫と寄せ書きをしてデスクの上においた。

きょうは彼の一番大好物のコロッケを久しぶりに作って食べさせた。
この手のかかる惣菜を作れるのも今のうちかも知れないと思いながら、汗をぬぐいつつこしらえたのであった。

結婚という選択はしなかったけれど、妹と仲がよく、姪とはよくメールなどしあっている。孤独ではなさそうだ、というよりは、私に似て、孤独を好むところもありそうである。

再就職は難しいかもしれないが、まだ五十五歳、「終わったひと」ではない。
「終わっていないひと」であることを祈っている。

2018年5月28日 (月)

いいもの見つけた!!

001

お昼にちょっと軽いものがほしくなる、近所のファミマ(ファミリーマーケット)をのぞいたら、新種のおにぎり、「枝豆こんぶ」が目についた。ごはん大麦入り、これが実にやさしく、いい味。正にこういう、おにぎりを望んでいたのだ。彩も、ほどよい握り方も、分量も高齢者のわたしみたいな味にうるさい者にぴったり、おすすめで~す。
001_2

クラス会幹事のパートナーが打ち合わせのとき、おいしそうに食べてた、お弁当、紀ノ国屋で買ったというので、帰りに青山の本店に寄ったのだけど、見つからなかった。
きょう、また彼女と会ったとき、連れてってあげる、と言って案内された場所は、地下鉄『表参道』の改札を入った中の紀ノ国屋コーナー店。「一日の三分の一の緑黄色野菜弁当」という名称。雑穀入りごはんで、お赤飯みたいな色、とにかく彩豊か、味もいい、野菜中心だけど、真ん中にあっさりから揚げが二つ…紀ノ国屋もオツなものを作ったものだ。値段500円也。

2018年5月26日 (土)

母校を誇りに思うとき

小学校のクラス会が無事に終わった。その小学校、つまりわたしの出身大学の付属小学校には、六年のとき編入試験で入ったので、一年だけの在籍なのだけれど、このところなぜかその出席者たちとの心の通じ合いをとても好ましく感じている。
人との交流に必要な基本的なルールがしっかり身についている人たちとは、安心して付き合えるからだろうか。

クラス会の会場は同窓会館、最近になって、そこの松花堂弁当が非常にすぐれているという評判を聞き伝えたからだ。試食してみて驚いた。彩もよく、素材の選択の良さ、調理の巧みさ、分量も配分もまさに高齢者にもこれぞ、満足という味が調えられている。しかもコーヒー付きで3000円という手ごろな値段である。同窓会本部で長年の幹部だったひとの、地道な努力がまさに、実を結んだのだと思われた。006


同窓会が終ってから、創立百年を記念して建てられた、百年館の低層部分の屋上に庭園があるというのを知って、そこを訪ねることにした。決して華やかではないがハーブ類がいっぱいの癒しの場所であった。

こんなところが在学中にあったなら、友人たちとどれほど、ゆったりくつろいだ語らいを持てたことか、今は亡き親友たちの顔が浮かんで消えた。003
008


009


同級生数人とゆっくり構内を散歩した。学食近くのクスノキの大木は昔のままでそのまわりにしゃれたベンチがいくつか配置されており、憩の場所は沢山あった。母校がハードもソフトもより好ましく変貌している現実をうれしく、誇らしく感じた。


2018年5月17日 (木)

不安がよぎる…

夫のつくったドライカレーに変調を見出して、わたしはショックを受けた。
我が家のドライカレー、それは、ジャガイモを針のようにほそく切ったものをカリカリに揚げ、牛ひき肉をガーリックの香りのついた油でいため、塩味に仕上げたものと共にごはんに混ぜて食べるフランスの家庭料理のレシピ、これを彼はマスターしていつのまにか私より巧みに料理するようになっていたのだけれど…。
それが、先日、揚げポテトはベトベト、ひき肉は味がなく、白御飯の水加減が間違ったのか、やわらかすぎて、ともかく、全部食べ終えられないほど、ひどい仕上がりだった。

そのあと、もう一つの彼の得意レシピ、スパニッシュオムレツも、ピーマンとトマトに塩味とタバスコを効かせて味付けしたものを中身にしてオムレツでくるむのだが、その味つけがまったくできておらず、オムレツも玉子がグジャグジャしていて、これまたショックだった。

ひいきのDeNAが連敗を続けていたせい、だけとは言えないほど、もうディナーのメニューを全面的に任せるのは無理ではないかという不安がつきまとっている。

しかもきのう、元の勤務先のOB同士でもう二十数年続いている昼の集まりに、その朝になって、どうにもしんどくて行けないからキャンセルすると言い、自分の携帯の具合がおかしいので、わたしにその手筈を頼んできた。今月のそのほかの集まりもついでにキャンセルしたいと言う。気の張る集まりにはもう行く気が失せたというのである。
そのくせ、マージャンの集まり二つは出るというので、少し安堵したが、お医者さんに行ったら?と盛んにすすめるわたしの忠告はふりきり、老衰だよ、老衰…とそればかりつぶやく。

そういうわたしもこれを書いていて、タバスコという名がどうしても思い出せず、今さっきキッチンの調味料入れのビンを探してようやく、思い出した始末…。
ああ…

2018年5月13日 (日)

My "Mother's Day"

娘が「何かほしいものない?」と尋ねてくれたとき、わたしは少々後ろめたい気持ちで、
ハンカチ、と答えた。

これまで何度も同じ答えをしては、母の日のプレゼントのハンカチを何度も失くしているからだ。

心をこめて選んだであろう、その好ましい柄を一枚一枚まだはっきり覚えているくらいなのに、どういうわけか、家の中にハンカチピットとかいう穴でもあって、落ち込んでしまっているか、と思うぐらい、消え失せてしまっている。

今年も彼女は、好ましくも美しいハンカチをくれた。一輪のカーネーションが添えられていたが、たった、一本で600円以上もしたと腹立たしそうに言いながら、でもこの日が花屋さんの稼ぎ時なのだろうから、仕方がないわ、ともつぶやいていた。
001

愛想も素っ気もない娘だけれど、わたしの好みを知り尽くしている。わたしが生きているあいだはしんみりした会話があまりできなくても、わたしが死んだら、折にふれ、一番よく思い出して涙を浮かべるタイプだと思う。

2018年5月11日 (金)

電話連絡異聞

小学校のクラス会の幹事をしている。

先回の傘寿の祝いの会でもう終わりにしようというはずだったのだが、当日の出席者はまだ続けたいという人が多数を占めて、それでは幹事役の仕事をもっと楽にして、とりあえずは続けてみようということになった。楽に、というのは通信をハガキ印刷などにせず、出席者も今回のひとだけに限って、電話連絡にしたらどうか、という案を採用したのだ。

人数は十数名だったし、実際そのやり方を中学のクラス会で実行したひとが出席していたので、それを採用したのだが、個人情報を集めるのに、躊躇があったし、土壇場で決まったことではあったが、今にして思うと、携帯の電話番号を訊いておかなかったのは、手落ちだったという気がする。
固定電話の場合、一発で通じるということが少ない、都合のよい時間は人によって異なるので、二、三回はかけるということになってしまう。それと迷惑電話を予防するために録音しております、というメッセージを聞くことも多かった。

意外な事実がわかった。返事を保留にしていたひとがようやく連絡をしてきたのだが、わたしの電話番号が六年まえと変わったのに、彼女はその六年前の名簿の電話番号にかけてしまって、しかもそれが「現在使われておりません」というメッセージがなく、かかってしまうので、留守電に入れておいたのに返事がないのはおかしいとわかり、ようやく、現在の電話番号を探し当てて、かけてきた、というのである。
もう一人、間際になって欠席を知らせてきたひとも、古いほうにかけて、そのときは応答があって、わたしの名前をたずねて電話してくるひとがとても多いので、よろしく言ってくれ、と頼まれたということだった。

これは「ゆゆしきことだ」と、夫にてつだってもらって、なんどかけてもつながらないNTTにようやく通じて、わかったのは、以前の番号がほかのひとに使われているという事実である。個人情報になるので、そのひとの名前は教えられないが、不法な事実ではない、ということだった。
以前なら、考えられないことが起きていると思った。

そのひとに確実にかかるのはいまや携帯のほうが確かだということになるが、携帯での長話は電磁波が害になるという情報も聞いているので、できれば用件だけにしたい。

電話事情も変わってきたな、という思いである。

2018年4月30日 (月)

自作スワッグ

阿佐ヶ谷の生花店でつくってもらった、ミモザのスワッグが、勢いを失くしていたので、気になっていた。
上毛高原の川場マーケットにとても安価なドライフラワーが沢山あって、それを三種、500円くらいで買えたので、自分で作りなおしてみた。

中原街道沿いのケーキ店が引っ越したあとに、一見しゃれた生花店がオープンしたのだけれど、苗など、すべて一鉢300円以上、およそ華やかさに欠けるスワッグもいくつか飾ってあるのだが、どれも3000円、わたしは思わず問いかけてしまった。
阿佐ヶ谷にある花屋さんは、とてもセンスの良い苗やスワッグをおいているけど、お宅よりはずっと安いのよ。お宅はどれもずいぶん高価だけど、理由があるの? と。
答えは、このあたりはこのぐらいの値段じゃないか、と思って…だった。

こういう店で買うつもりはなくなった。

安い材料を使ったわりには、ましな、仕上がりだと、自負している。001_2


2018年4月27日 (金)

電話か、メールか、はたまた手紙か・・・?

学生時代に親しかった友人のご主人の訃報を知った。
しばらく交際がとぎれているけれど、彼女が結婚を決めたいきさつも、華やかな結婚式の記憶も失せていない。
お悔やみの気持ちをあらわすのは、本来なら手紙だけれど、哀しみから癒えていない彼女に返事を書かなくてはならないという気持ちを負わせることになる。メールアドレスは知らないし、つきとめたとしても、この場合にふさわしくない手軽さ、という気がした。
こういうときはその気持ちを正直に述べて、電話にしようと決意し、かけたら、すぐに彼女が出てきて、電話が一番ありがたい、と言ってくれた。「亡くなってみてつくづく思うのだけれど、わたしには過ぎた夫だったの…」で始まる、そのしみじみとした思いが伝わってきて、いまは哀しみをかかえながらも、しっかりと生きていく気持ちが声音からしのばれて、安堵した。

同年齢の友人の通信事情を知るのはあまり苦労がないが、年下の友人はそれぞれで、固定電話にすぐ出てくれるひとは少ない。すぐ出るのはゴキゲンななめなのでは?と思うような応答のご主人だったりして、戸惑ったりする。携帯にもすぐ出てもらえないときが多いので、もっぱら携帯のSMS機能で短いメッセージを入れることをよく試みる。

この年代のひとたちとは、長い電話は避けて、込み入った話はパソコンで長めのメールをすることにしている。
ところがパソコンを使わないひととは、ややこしくなる。SMS だけでは気持ちが十分に伝わらない、互いに好意は持っているのだけれど、すれちがいが多くて、その修正に手間がかかることも多い。

娘とは相変わらずツーカーとはいかない。このごろ携帯に電話すると、すぐ出てくれることはまずないのだけれど、それでもなにか異常が起きたのかと不安になるらしく、なにかあったの?と電話してくることはよくある。そのまえにメールしておいたのに、それは読まずに電話が先だったりもする。
こちらの用事が緊急でないと知ると、いとも無愛想にすぐ、切ってしまう。ともかくいつかけても忙しそう、わたしも彼女の年齢のときは実母にああいうふうに接していたのかもしれないのだけれど…

より以前の記事一覧