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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の345件の記事

2020年6月 9日 (火)

メガネ店へ

この二か月、冷蔵庫に残っているものを利用するありあわせ手料理の夕食を多くしたせいかかなり貯金ができた。出かけるところはせいぜい自由が丘、無料パスで行けるから、電車賃も使わず、これもへそくり追加となる。

 

いつもはケチケチ買い物が多いわたしだが、この際、値の張る買い物をしようかと、出かけた先はメガネ店。読書用メガネを新調することにした。

 

ここ、数年使っていたのは、処方箋持参で作ってもらった安売りおしゃれメガネのJINS、の読書用と、そのまえに使っていた老舗眼鏡店の読書用二つを持参して、メガネ通の見立ても確か、視力測定、レンズの選択も確かな腕を持つ,雪ヶ谷の『丸石』に出かける。

 

これまでの経験なのだが、視力は眼科で測るより、しっかりした機械をもっている、メガネ店で測定するほうが確かで、はめ心地もいいメガネが得られるというもの。

 

持参のフレーム、JINSは見向きもされず、もう一個はさびが出てて使い物にならない、とにべもない返事で、ほかにもお宅にあるでしょう、と言われ、出直すことになる。

で、十年まえに買ったものだが、アムステルダムでかなり高価だったものを持っていったら、ようやく文句なしで、視力を二種の機械で、見事に測定、これよりはこちら、などを繰り返していたら、最初は15000円くらいと即答した値段が、あっという間に25000円にはねあがった。

 

ま、このご時世、乱視入りなので、仕方ないか、と納得する。

 

出来上がったメガネと、これまでのJINSと性能を比較。電気をつけない薄暗がりでも、JINSはぼやけだが、新メガネはくっきりと文庫本の小さい字が読めた。Img_2613 

 

 

 

2020年5月26日 (火)

岸恵子さんの『私の履歴書』

およそ一か月まえ、緊急ステイホームの延長宣言にため息をつきながら新聞をひらいたとき、日経の『私の履歴書』の次の執筆者が岸恵子さんだと知って、歓声をあげそうになった。

 

これで五月は毎朝、新聞を読む楽しみがふえると、思ったからだ。

 

期待は裏切られなかった。真っ先に開く日経の文化欄、そこには小説よりも、映画やドラマの名作にも勝る、わたし自身が生きた時代に重なる見事なドキュメンタリーが繰り広げられている。

映画が何よりの娯楽だったときに、その楽しみにどっぷり浸っていたわたしなので、岸さんのデビュー当時から主演映画はほとんど観ている。それまで日本人形型の美人顔一辺倒だった映画界に、個性的で美しく知性も秘めた彼女の美貌はまぶしいくらい、映画界を圧倒していたのだ。

その魅力は海外の監督の目にもとまり、名作中の名作を生みだしていたデヴィッド・リーン監督からまでも、出演依頼を受けた彼女のニュースはマスコミを一段とにぎわすことになった。

二人の間に何かがあったというゴシップもささやかれた。

 

その真相がどうであったのか、『履歴書』にはリーン監督から見つめられてミルクをこぼしてしまったエピソードと、彼女の家で浴衣を着せられて、くつろいでいるように見える監督との記念写真が提示され、すでに英国留学を果たし、勉学中に撮影中止の報を知らされ、衝撃を受けたという、短い記述がある。

今回の履歴書が口述筆記であるのかどうかはわからないが、彼女の語り口はエピソードの選び方、詳述の描写、すべてがすぐれていて、その場の映像が浮かび、ぐいぐいとせまってくるものがある。

リーン監督がのちに『戦場にかける橋』を撮ることになったときも、彼女に出演を依頼し、それがかなわぬと知ったときに、その場面を削除したというエピソードも語られているから、それが特別な感情を秘めたものであったかどうかは、知る由もないが、わたしの好奇心は大いに満足した。

身長160センチ以上という当時にしてはかなりの長身だったのに、初めて知らされた彼女の悩み、靴のサイズが21だという事実に驚かされた。フランス人は華奢なひとも多いけれど、足のサイズは別らしい。わたしは22・5でもはける靴を探す苦労を味わっているのでどれほどか、と想像できる。

 

離婚後の彼女の文筆家としての人生が、あと五日で語られるのだろうか。

彼女の小説はデビュー当時のものから、『わりなき恋』まで二冊ほど読んだが、正直いってあまり好みではない。

巧みな文章を書こうとする気負いが強く感じられて、ちょっとへきえき気味だった。

87歳でいまだにダウンのヘアスタイル、あれほどの容姿の彼女なら、年齢相応、後ろにまとめる、むしろ地味目のヘアーにしたら、さぞ、美貌が映えるのに、と思うことがある。

岸恵子さんは彼女の人生そのものが、一人の女性として輝かしい。

少し踊っているように美しい自筆の『私の履歴書』の文字がそれを伝えている。

 

今回の『履歴書』はまだ語り足りないくらいのエピソードが秘められているのではないか、また続編を書いてほしい、とまで思うくらい、それに一層好奇心をそそられている自分を発見している。

 

 

2020年5月 4日 (月)

街も変わる

近所の大きなスーパーが閉店して、不便になっていたが、なんと残存していたイーオン系の小スーパー『まいばすけっと』がそのあとに入ることになったという。つまりはスペースは倍以上だから、中身も充実するのではないかといろいろ質問してみるのだが、期待するような応えはかえってこない。

だが、このあたりも、今のこの時期のニーズに敏感になってきたような気がする。

生花店は珍しい種類の高価な花や、スワッグやリースなどが目立つ店だったが、ハーブ類をおくようになって、それがいい売れ行きらしい。わたしもバジルとオレガノを早速購入した。

 

二十人ぐらいの行列が必ずできる店が二軒ある。

週に三回ぐらいしか開けない、シナモンロールの店と、全粒粉の食パンが人気のベーカリーである。

 

野菜の苗や、ガーデニング用品を扱っている老舗がカフェを開いた。奥さんの手製のケーキが売りなのだが、宣伝がイマイチのせいか、客の入りが悪いので、椅子などは片づけてしまったが、ケーキの種類は増えて、味もよくなってきたし、一個150円なので、わたしは大いに応援して、シナモンやクローブ、ナツメッグもいれてみたら?など、お節介のアドヴァイスをしている。

 

便利屋のベンリーがなくなったあとに、セルフランドリーが開店した。ランドリーの古い店が近くにあるから、どうなのかしら、と思っていたけれど、それが大人気、毛布や布団があらえる機械をそなえているから、休日は家族連れで車を連ねたファミリーでにぎわっている。

毎日足りないものをおぎなうことが気軽にできる足の歩みを感謝しながら、こういう時期だからこそ、生活に、なにが必要なのかということを売り手も買い手も学んでいく、つまりは、生きることをを充実させつつある、ということなのかな、と納得するのである。

 

2020年4月13日 (月)

何を食べるか、何をするか

カレンダーは真っ白、予定なし、のこの忍耐の時期、問われるのは、一番大事なことを、逃げないでしっかりやること、すなわち食べることである。和、洋、中の献立をほぼ、交互につくっている。夫がその日食べたものをカレンダーに記していて、おいしかったものに二重丸をつけているので、主だったメニューが決まってきた。イタリアンはかなり得意なのだが、夫がリゾットやパスタ類をあまり好まないので、ともかく基本のトマトソースだけはしっかり作ってスパゲッティやスープなどに活用できるようにしている。

 

缶詰のホールトマトをボールにあけて、手でもみほぐし均等にする。鍋にオリーブオイルを熱し、にんにくの薄切りを色づくまで炒めて、そこにそのトマトを入れ、オレガノ、バジル、セージなどのスパイスを入れ塩少々を加えてぐつぐつと煮る。しばらくしてなじんだら、出来上がり。

 

トマト味のスパゲッティにも、トマト味のスープの仕上げにも、その他、ロールキャベツにかけるグレイビーの仕上げなどに役立つことこの上ない。

 

息子はわたしのつくるコロッケを何より好むのは知っているが、揚げものが、この年齢、粗相をしそうで、できればしたくないので、コロッケの中身を別にして、ジャガイモマッシュに生クリームなどを加えてなめらかにしたものをひき肉のいためたもののうえにのせて、溶けるチーズを散らしてオーブンで焼く、英国料理シェパーズパイをつくったら、跡形もないほど平らげられて、成功を確信した。

 

ステイホームの残りの時間は読書と、ネットのブリッジゲームBBOである。おしゃべりな世界中のプレイヤーも、このところあまりしゃべらない。でも、この世界て一番難しく、マスターすれば病みつきになるほど面白いこのゲームで、今こそ憂さ晴らしをしたいひとがどれほど多いのか、ここ最近、接続が一度でできたことがないほど、混雑している。

よく、チャオ、と声をかけてきたミラノのブリッジパートナーも名前はみかけるのだけれど、お互い沈黙のままである。それがこの先どれほど、長く続くのかは、考えないようにしている。

 

 

2020年3月18日 (水)

近況報告

イタリア旅行情報サイトのメルマガがようやく届いた。当分更新の見込みなしという但し書きつきのメールであった。

3月8日のイタリア全国封鎖宣言から、厳しい外出制限が敢行されているイタリア、自宅近くに外出する際も自己申告書を携行しなければない。仕事、食品の買い出し、健康上の理由のいずれかでなければならないが、犬の散歩は許されているという。食料品店、スーパー,薬局、キオスク、タバコ店は営業しているが、青空市場、あのなつかしいメルカートは中止されているという。多くの食品をここで買い出しする人が多かったのに、市民はどれほどの寂寥をかかえているだろうか。

3月15日当時の感染者数24747、死者数1809人、その多くは悲しいことに、医療関係者であったという。過酷な条件の中、日夜を忘れ治療に専念していた人たちに感謝する垂れ幕や壁画などがミラノの街にあふれているというが、それから三日を経たきょうの感染者数、すでに3000人を上回っている、その数が恐怖を物語っている。目下ミラノ見本市会議場を600床を有する架設病院にする工事が猛スピードで進行中というが、イタリアの人たちがどうか、この危機をのりこえてくれるように、と祈るばかりだ。

 

東京ももちろん自宅待機のひとは多いけれど、近くの街には結構、マスクもしないひとたちがそぞろ歩きをしている。

一か月に一度会って話をしたり、食事をしたり、散歩を楽しむ近距離在住の友人二人と自由が丘で食事をしたあと、天気がよかったので、九品仏の浄真寺まで足をのばした。

娘がこの散歩をすでにしていて、近くにこれほど素晴らしいところがあるとは知らなかったと、感動を伝えていたからである。

線路際のスペイン料理でランチをしたあと、バスが通っていて、ピーコックがある自由通りに出てから環八方面を目指して歩き右側にある九品仏方面の遊歩道を進んだ。瀟洒な中小住宅が並んでいたり、しゃれた店がちらほら混じっていて、目の和む散歩道、十分ぐらいで十字路にぶつかり左へ、浄真寺の標識が出ていて、東門に到達、門をくぐって驚愕した。京都の寺社仏閣に匹敵、いやそれ以上かもしれないと思うぐらいの空間が広がっている。緑が美しい。まもなく仁王門をくぐる。仁王さまの表情が迫力である。桜の大木もあるから、ほどなく花見も楽しめるだろう。仏像も美しい。下品堂、中品堂、上品堂にはセルフサービスのおみくじが用意されていて、わたしたちはそれぞれ求めた。わたしは小吉、アメリカ人の友人は大吉に狂喜していた。Photo_20200319095901 

わたしが数十年前から記憶していた浄真寺は九品仏駅近くの総門だけで、我ながらあきれるのだが、中に入ったことはなかったのだ。帰りはその総門に出て、駅までたどった。

コロナの喧騒のなか、思いがけぬ癒しを得たひとときであった。

2020年3月13日 (金)

手抜きしながら

コロナ騒ぎで在宅が多いので、ほとんと毎日夕食をつくっている。

腕の痛みは薄くなってはきているが、動きによっては、まだ痛むので、料理の手抜きを工夫している。

肉じゃがなど、ジャガイモの生から調理しないで、ゆでて真空パックになっているのを使ってみたら、まったく違和感のない出来上がりになった。要はジャガイモが主役のもの、でなく、かなり濃い調味のものなら、落としぶたして、しっかり味さえつけてしまえば、ゆでじゃがで十分なのである。

きのうは久しぶりに、春巻きをつくった。本当は豚肉を千切りして中身をつくるのだが、代わりにひき肉にして、ニラとしめじともやしを入れ、酒,しょうゆ、塩少々で軽くあじつけしていため、カタクリふりかけたものを皮でつつむ。チャーハンは夫が出かけるというので、有名店のものを買ってきてもらうことにした。

チャーハンに青ネギなど、足りぬものをちょっとたしていためなおし、春巻きを、あたらしい油で揚げたら、夫がおいしいなあ~と、大きな声で感想を述べた。

                    

テレビは毎日観るけれど、日本の番組はどれも、マンネリ、ニュース番組ばかりを観たりしている。CNNにイタリアのボローニャの街が出てきた。マジョーレ広場は閑散としていたが、その裏側にあるマーケットの青果店は色とりどりの野菜がいっぱいで、元気そうなオバサンが政府はもっと大きな決断をすべき、などと言っていたし、精肉店も生々しい肉がぎっしり並んでいたので、ちょっと安心した。あの場所で、二十年まえ、語学校の授業を受けるまえに、パニーニのパンを一個買い、そこに切りたての生ハムをはさんでもらって、あの場所の青果店でルッコラを入れてもらい、ブラッドオレンジを買ってランチにしたのだった。

日本では各国の料理を色々食べるから主婦の献立はややこしく、面倒だが、イタリアはともかくパスタとズッパ(スープ)とリゾット、など、肉もフライか焼くか、ともかくイタリア料理だけつくっているのだから、こういう非常時でも、インスタント食品には頼らず、元気でいられるのではないだろうか、と、楽観したかったが、ミラノのスーパーに長い行列ができていて、行列ができると、必ずおしゃべりをし始めるイタリア人なのに、笑顔もない人たちが、前の人と間隔をあけた姿で立っているのを見て、衝撃を受けた。

 

2020年3月 7日 (土)

まだ咲いてる

ミモザが開花してから三週間になろうとしているが、花はまだ見事に咲き誇っている。Img_2583

植物が元気なのに反比例するみたいに、人間は不安の中にいて、やる気を失ってしまう。

ミモザの花のリースを作ってみようかと材料は仕入れたのだが、手を付ける気がしない。

 

山形はまだ感染者がゼロなのだそうだが、コンサートは中止になったとか、で、孫娘が予期せぬ休暇を過ごしに一週間上京している。いつもならばぁばのうちでご飯を食べたいと言ってくるのに、今回は若いひとたちについているかもしれない菌をうつすと大変だからと、ママがそれをやめさせているので、会えない。じゃあ、外食をいっしょにしない?とさそってみたのだけれど、友人たちと会う約束がいっぱいで、帰る日まで無理というのを、それでもなんとかしたいと、じゃあ、帰る日の当日、自由が丘でモーニングしない?ということが決まった。山形新聞に女性のトロンボーン奏者ということでインタビュー記事が載ったというのも知らされていたので、その新聞も渡されることになっている。

その朝は少し早めに起床して、彼女が新幹線の中で食べられるようにお弁当をつくった。来年、こんな元気が残っているとは限らない。わたしのつくる最後のお弁当になるかもしれない、などと思った。Img_2585 

 

このところ本当に未来がわからない。こんな日が来るとは思わなかった。でもあの子供時代に過ごした、毎日空襲のサイレンにおびえながら、白いご飯もままならない粗食の日に比べれば、食べたいものが食べられるだけでもましではある。

 

ミラノの友人とメールを交わした。無事でいるらしいが、65歳以上は外出を避けなければならない、という。友人たちと会えないことがつらいと書いてあった。現実の状況は政府の発表よりずっと深刻で、想像しえないほどの危機感をかかえているとも書いてあった。

 

具体的なことが書かれていないのでより深刻さがつたわってくる。私の知っている、あの陽気で生きていることが幸せだと感じさせてくれるイタリアは、なくなってしまっている。

 

日本もそれに近い状況だけれど、一日一日を無事に過ごせれば、感謝と思って過ごそうと思う。

 

2020年3月 1日 (日)

パンデミックが近づきませんように

今日行くはずだった、日本初演オペラ『シッラ』が中止になって、3月10日以降に払い戻しされることになった。

2月末日で、「おてんと」という近所のスーパーが閉店した。

新鮮な野菜や果物が安価で、店員の人たちも親切、お惣菜なども、夫の気に入るものが多く、頼りにしていたので、ショックである。

家にこもることが多くなって、ついついテレビをつけては、コロナウイルス関連の番組に見入ることになり、落ち込むというのを繰り返している。

夫が読むのを勧めたあのパニック小説『首都感染』、パンデミックはいくらなんでもフィクションの世界だけのこと、と思い込んでいたのに、今やそこに近づきつつある。

恐ろしい。

                      

それにしても驚愕した。イタリアの感染がすさまじいのである。

数日まえまで400を超したというのに驚いていたのにもう1000人以上とは、しかもミラノが州都であるロンバルディアがもっともひどいのだそうだ。

ジャパンイタリア・トラベルオンラインの情報によれば、発祥地はコドーニョ市で、多国籍企業に勤める三十代の男性が中国から帰国した友人と食事したことが発端、彼はスポーツマンで、サッカーやマラソンなどの競技にも参加、友人も多く、数回外食、教師をしている奥さんは妊娠していて仕事は休職中だったが、彼女やその両親も感染、検診に行ったクリニックの医師も含めて感染は広がったという。何しろ挨拶がハグしあって頬も触れ合うという濃厚接触だから、感染は深まるばかりなのだろう。

ヴェネト州の小さな町ヴォーの76歳男性は年金生活者で中国とは関係ないのに、感染し死亡。町のバールに毎日行くのがなにより楽しみだったというから、そこが温床となっての広がりが早いのは想像がつく。

ミラノは厳戒態勢、スカラ座公演中止、美術館、図書館、映画館休館、アルマーニのファッションショーは観客なしで映像発信となり、見本市も中止、『ミラノ・サローネ』は六月に延期、ともかく人と人との交流、接触をできるだけ避けるようにという、お達しが出ているということだから、友人の友人まで友人扱いするイタリア人にとって、どれほどの苦痛、さみしさかと想像がつく。

 

 

 

2020年2月18日 (火)

欠落していく記憶

 

 新しく知り合うひとの名前がさっぱり覚えられない。新しい教会には名簿というものがないので、もう入会して六か月近くにもなるのに、記憶は怪しいままである。森田さんのことを、松田さんと言ってしまったり、栗原さんのことを、松原さんと言ってしまったり…樹木に関する名だったということだけは覚えているらしいのだが、それがみんな松になってしまうところがアホである。

新しく出てきた品物の横文字の名称もこんがらがっている。

スカーフの輪になったものがスヌード、リースのかわりに、花束状にしてかざるスワッグが、どちらも「ス」がつくので、まぎらわしい。スヌードをやっとおぼえてすぐ出るようになったのに、今度はスワッグがすぐ出てこなくて、ス、ス、ス…とどもりながら、あとが続かず、へどもどしている。どちらも同時期におぼえたので、区別が怪しくなるのだろう。

俳優の名は顔だけ浮かんでいるのに、出てこない。でもそのひとの出演している作品の名を言えたり、前に出演したときの役名などは言えたりするので、まだましなのかもしれないが、会話する相手がなくなったら、記憶はますます薄らぐのだろう。

 

何が何だか分からなくなっちゃったの、と電話をかけてきた母の、あのときの年齢はいくつだったのだろう?兄とかけつけて、請求書や、重要書類を整理したあのころが迫っているような気がする。

 

わからなくなったことをわかっているのなら、まだマシかもしれない。わからなくなったことをわからなくなったまま、暮らしていたら、本当に大ごとなのである。

一番尊敬していた賢い先輩が、そういう状況になっていると知ったショックから、わたしはいまだにさめずに茫然としている。

 

2020年2月 8日 (土)

広がる憂慮

イタリア旅行情報サイトJITRAからメールが届いた。

イタリアは中国武漢からの帰国者は56名だったが、ウイルス検査では全員陰性だったそうだ。チヴィタヴェッキア港に入港した6000名のクルーズ船では2名が感染を疑われたが、検体検査の結果は陰性とわかって下船が可能となったそうである。現在ではイタリアのあらゆる空港で体温チェックが行われているという。

コロナウイルスによる感染被害はほとんどないとされていても、中国ビジネスの結びつきが深かったイタリア、現在中国からのショッピング顧客はほとんどなく、まもなく開催を待つ見本市の最大の顧客中国人が不在となっては、業界は厳しさをかみしめている、とのこと。

二月にフィレンツェを訪れたときに目にした満開のミモザの黄色を思い、旅行者にとっては、世界の危機的状況を恐れつつも、混雑の少ない時間を過ごせるのではないか、と想像する。

 

パニック小説を数多く読んでいる夫から、すごいぞ、読んでみろよ、と高島哲夫著『首都感染』を渡される。

WHOのメディカル・オフィサーだった感染症の専門医が主人公、中国で開かれているサッカーのワールドカップに世界32か国のファン40万人が詰めかけている中、強力な感染症が発生、アメリカ1000万人、EU2000万人の死者を出し、日本は218名ではあったが、都心部に機動隊と自衛隊を配置して東京の封鎖が始まるという、中ほどまで読み進んだ。

荒唐無稽なパニックとは、とても思えない、現在の日本、『船内疲弊』という朝日新聞の三面大見出しを目にしながら、さぞや、と胸が痛む。

乗り物乗り継ぎの外出を控え、栄養の行き届いた食事を心がけるのが、せめてもの主婦の仕事と、いつもより空白の多くなった二月のカレンダーを眺める。

 

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