2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「旅行・地域」の109件の記事

2017年2月 3日 (金)

ご近所事情

我が家の右奥隣り、二か月まえから、トンカチの音が鳴り響いている。これまで三車体分の駐車場だったところなので、地ならしからが大変だった。段差をならすために盛り土がされ、コンクリートでかため、木造の枠組みがされる。住友林業が請け負っているので、手慣れた見事な手順であるが、片流れの屋根の三階建て、陽当たり風通しなどに影響大で、我が家の右通路に設置してあった、物干しはシーツなどの大きいものを干すだけにしていたが、よい乾燥は望めそうもない。
でも私の部屋のまえのウッドデッキは陽当たりに関しては影響なしで、去年植えたチューリップとムスカリは順調に発芽している。

四年まえは三軒だった一帯が、三十坪の小住宅十一軒と化してしまった。
ほとんどの住人は若く、逆に、我が家の左の隣組組織のほとんどが高齢者である。
右隣りの貸し家には、なんとアフリカ大使館の一家が越してきた。
中学生と小学生のインターナショナルスクールに通うお子さん三人がいるのに、物音や笑声もしない、すごく静かな家なのが不思議。そのうち、引越トラックが来て、家具など運び出しており、想像するにお子さんたちが帰国したらしい。ますますひっそり感が増した。
ゴミ出しのことで、相談されたことがあったが、その後は顔を合わせることはほとんどない。

東京の近所づきあいも変わってきている。以前は出入りするお米屋さんなどが近所の情報を熟知していたけれど、お米もスーパーで買うようになってからは、それもなくなってしまった。
先日戸籍調べなのか、お巡りさんがやってきたけれど、彼はわたしよりも知識がなさそうだった。
なにかが起きたときの連帯感というものには期待できず、個々に守りを固めるしかないのだろうか。

ともかく健康で暮らさなければ、とづくづく思う。

2017年1月31日 (火)

ウイメンズ・カンファレンス2017

一昨年、一人参加したときは、みぞれまじりの寒い日だった。そして去年は膝の故障のためにキャンセル、天城山荘の外気にさらされた長い渡り廊下を通ってチャペルまで行くことが不可能に思われたからだ。

今年は快晴、くっきり晴れた空を背景にそそり立つ、富士の威容が瞳の奥にきざまれる。
ユニオンチャーチのバイブルクラス仲間と一緒だったので、心細さはまったくなかった。
六十周年記念、赤いものを身につけてほしい、という要望があったので、赤いスカーフとブラウスを持参。
膝の痛みがあることを幹部に知らせておいたので、エレベーター付きの建物の一人部屋を与えられる。Wocon


ゲストスピーカー、スミスカレッジ、ハーバード出身の才媛の女性牧師、いきなり聖書の放蕩息子の例え話を朗読してから、そこに登場しない脇役たちを想像してセリフや、インタビューを試みるようにと、難題が出されて、たじろぐ。若いひとたちは難なく入り込み、演じ始めて、怖気づくばかり。苦手な部分をさらけ出すことになった。
休憩時間のスナックタイムが相変わらず楽しい。
手製のクッキーやケーキ、チーズやめずらしいルパーブのジャムまであって、それをつけてたべるパンにも手がのびる。初参加というひとたちとずいぶんしゃべった。
食事メニューは一昨年より、更においしくなったようだ。チキンのソティにニンジン、インゲン、コーンの付け合せ、ポテトグラタン、サラダ、野菜スープ、残さず完食。

二日目のワークショップは出席せず、昼寝に当てて部屋で休む。三時過ぎのバス送迎つき温泉に参加。
日帰り温泉の『湯の国会館』、湯ヶ島の山中に流れる河を見下ろす露天風呂は、薬草風呂もあって、満足感大。

最終日の夜、六十年をふりかえるヴィデオが紹介され、さすが海外の才女たちのすることは違うと感心しつつ鑑賞。日本人のピアニストの演奏やアメリカ人のギターの弾き歌いなどもあり、最後は六十周年の六、を代表する六人の女性が語るストーリーで締めくくられる。
翌朝、九時から礼拝、女性だけの礼拝だからこその細かい気配り、讃美歌の選択のよさに感動、パンをちぎり、ワインかグレープジュースに浸して口にする聖餐式、一年の最初を祝すのにふさわしい儀式は終わった。


2017年1月12日 (木)

ある日のランチ

自由が丘や、澁谷、まして銀座などで、1000円のおいしいランチが食べられるところを探すのは、まずむずかしいけれど、表参道から青山にかけてはそれが可能であることがわかった。

きのう、ユニオンチャーチのバイブルクラスのあと、仲良しの若いメンバー二人と一緒で、ランチをしようということになって、あちこち歩いた。どこも1000円、写真付きの立て看板を点検し、さらに中に入って、実際の料理を一瞥したりして、結局、クレヨンハウス近くのカフェに決める。

メインのチョイス、パエリャ、スパゲティナポリタン、タラコ味のチキンのどれか一皿に、野菜たっぷりのサラダバー、スープ、お代わり自由のドリンク付きで1000円というメニュー。若い人がターゲットだから、きっと盛りがいいだろうと推量して、一皿ずつ違うものをとって、シェアすることにした。
サラダバーは、レタス、キューリ、コーン、人参千切り、味付きもやし、豆腐などがあって、ドレッシングは和風、フレンチ、野菜などの三種、わたしは野菜というのをかけたのだが、これは当たりであった。ドリンクはコーヒー、紅茶、ウーロン茶、オレンジジュース。スープはコンソメ風野菜スープ。

推量どおり、メインを一皿同じものを食べたら、残したくなりそうな盛りのよさだったが、およそ合いそうもないたらことチキンが抜群の味、どれもチョイスに失敗なく、三人で分けたら、取り合わせも、量もちょうどよく、おしゃべりもはずみながら、おいしい、おいしい、の連発で終わった。

高齢になると一人で食べにいくのは、なんとなく気おくれするものだが、顧客獲得競争が盛んな、青山や麻布十番などには、値段も手ごろで、おいしく、しかも入りやすい店がいっぱいある。
こういう経験をすすんでしてみて、情報を確保するのも、ボケ防止になるのでは、と思った。

ともかく、食べることは人生最後までつきまとうものなのだから、楽しみでいられるような努力だけはあきらめないでいたいものである。

2016年11月28日 (月)

ひとり温泉

温泉大好き人間なので、こんどは日帰りでなく、一泊温泉を実行しようと、お気に入りの「泊まり」の項目には、十項目ぐらい調査済みの宿が登録してあった。
ようやく、今週になってひまができたので、さて、出かけようかと、空き室を検索したが、全く見つからない。「ゆこゆこ・・」とかいう空き室探し専門業者に助っ人を頼んでみたが、週の中日はどこもダメ。
ダメダメと知ると、なお、行きたくなる。
kiku子さんのブログで読んだ小涌谷の「水の音」という宿がよさそうだと、覚えていたので、直接電話して、空室のある日はいつ?と訊いてみたら、金曜に一室だけ空いてると、わかり、翌日は「いとこ会」という親戚の集まりがあって、ちょっとつらいな、と思ったが、これを逃すと当分むずかしそうなので、予約を決めた。Photo

長野や伊豆なども候補地だったのだけれど、近いのが何より、それも直行で行ける箱根がやはりいい。
路線で検索したら、出てくるのは小田原経由ばかりだったけれど、昔なつかしいロマンスカーにして、ネットからチケットを購入。
前日は雪でどうなることやら、だったが、そこは晴れ女の強み、当日はからりと晴れあがった。
車窓からの富士山が美しい。002


着いた箱根湯本はかなりの混雑、週末とあって、カップルが多い。昼食どころはどこも行列。梅干しで有名な村上二郎商店で、ゆかりとわさび漬けの土産ものを買い、おまんじゅうの老舗「月のうさぎ」の三階で二八そば食べようと列に並ぶこと三十分。
水ようかんみたいなデザートとお豆腐つきのおそばはおいしかったが、小涌谷に二時に着くはずが大幅に遅れ、しかも登山電車は満員。
車窓の景色は紅葉の赤が赤茶けていたけど、晩秋の景色に残雪がまじって、なかなか風情があった。010

宿は共立メンテナンスの運営するホテル、何度か宿泊した草津の『木の葉』の系列である。
そろいの作務衣に着替えて、過ごす湯めぐりの数時間。
部屋づきのサービスなしなので、かなり自立心がないと難しいステイ。四階のわたしの部屋の金庫が戸棚の一番下、かがまないと貴重品が入れられず、しかもまちがった操作方法が記されていて、さっそくフロントにTELしてクレイム。
大浴場に部屋のキーを入れる引出がついていて、そこに入れようと思えば、財布など入るのだが、その大きさをフロント係りはよく把握しておらず、説明しなかったので、これについてもクレイム。

夕食は治部煮風鍋つきの和食を選んだが、正解だった。どれもちょうどよい量で、ほとんど残さず食べられるほどの美味。とりわけぷりぷりのお造りは鮪、勘八、目鯛、つぶ貝、四種の刺身のつまがすべて異なるという気遣い、つぶ貝についたワカメエキス、海藻クリスタルと言う光った春雨のようなものが味もよく、効果的だった。005

温泉は、浴場までの行き方が複雑で、草津のほうがずっとすぐれていたが、お湯そのものはすばらしく、計四回、入る。
夕食が五時半だったので、九時過ぎには小腹がすいて、夜泣き蕎麦なる半玉のラーメンまで平らげる食欲。

翌日は十二時、神保町学士会館集合なので、九時四十五分のロマンスカーに乗るため、宿を八時半に出る。登山電車がきのうと違ってガラガラだったので、早朝の景色を楽しむことができた。

新宿に着いてからも都営新宿線までかなり歩き、帰りも夫と共に三田線でタクシーにも乗らず帰宅したが、足の痛みはまったくなし。
ただし、保養に出かけたというのに、身体はくたくたに疲れてしまった。


2015年11月21日 (土)

そのあと

ツアーを抜けて、もう一度家に電話してみた。夫は少し落ち着いた声音で、熱はない、大丈夫だから、急いで帰ることないよ、と言った。
それなら、ここまで来たのだ、やはり浅草にしかない、あの、買い物をしていこう、そう、日之出のおせんべい。
トイレに行ってから、タクシーに乗る。もともと、ツアーで浅草休憩一時間あると聞いていたので、そのとき、買いに行くつもりでいた。でもあの状況で待っていたのでは、休憩が短くなるのは必至である。無駄をしたようでも、そうではない、と自分の判断をよしとすることにした。
雷門まで行ってもらって、国際通り近くまで歩くこと十分余。日之出はオープンしていた。焼き立てを購入。店のひとに訊くとここはむしろ、浅草の手前の駅、田原町に近いとか・・教えられたとおりに歩く。
歩きながらスカイツリーで鬱積していた気分が晴れているのを感じた。そして思った。やはりわたしは一人旅が性に合っている、大勢に合わせて行動することが向かないのだ、と。

通り過ぎようとした裏通りの入り口近くにしゃれたウインドウが目に入った。飾ってあっためずらしい編み目のベージュのカーディガンが、どうしても試着したくなって中に入った。ほかにも色違いの製品が二、三あって、澄んだ目をした初老の女性が応対に出てきた。値段が一万円をはるかに切る安さだったので、驚きながら試着したあと、なおもラベルを調べていると、彼女が言った。「お客様の年齢の方はウール100%にこだわられるようですが、この製品のように、アクリルやナイロンが混じっているほうが、虫に食われる心配もないし、お洗濯も簡単、軽くて丈夫なので、いまのような突然暖かい日があるような時期にぴったりなのです」なるほど、わたしは目を覚まさせられたような気がして、このやりとりを貴重に感じ、この店員の自分の商品選択への自信と知恵に好感を持ち、買う気になった。

違う浅草を経験したのに心がはずんで、順調に帰宅、五時過ぎに着いた。夫は咳はひどかったが、階下まで降りてきて、腹がへった、と言い、自分でインスタントのお汁粉を作ろうとしていたので、おかゆを煮るつもりだったのだけれど、お餅を二つ焼き、それが夕食がわりになってしまった。野菜不足にならないように、キュウリの糠漬け、ベッタラ、京都のしば漬け、などいっぱい添える。
見ていたら、わたしも食べたくなったので、夕食は急きょ、お汁粉になってしまった。
我が家の夕食はますます手抜きになるこのごろである。

食べ終わって、日の出桟橋で一緒に写したスナップを添付し、ツアーに誘ってくれた友人へ、詫びをこめたサンキューメールを送信した。

2015年11月18日 (水)

一日ツアーでわかったこと

最寄りの駅バス乗り場集合の『築地のお寿司と隅田川ラインで行く浅草、東京スカイツリー』の一日ツアー、旬の情報キャッチにすぐれた友人にさそわれ、参加した。
新宿や東京駅じゃなくて、最寄りの駅バス乗り場集合が気に入ったからである。
お天気もよく、交通渋滞もなく、バスはすいすい進み、いまの東京風景の変貌も物珍しく、午前中は快調だった。
築地に着き、あまりの人混みにちょっとびっくり、ウイークデイなのに、歳末もどきである。あちこちで、隣国の言葉がとびかっていた。

隅田川ラインの日の出桟橋がすっかりモダンに美しく変身していた。002


行き交うボートも宇宙船みたいなものや、大型屋形船のようなものもある。ここのクルーズは初めてではない。
二十年まえは浅草にくわしい友人といっしょ、十年まえにはイタリア人をガイドして乗ったことがある。
今は隅田川まで美しくなったみたいで、河畔にあったホームレスのひとたちの青テントも消えていた。
下船したとき、家に電話してみた。夫が朝、喉がムズムズすると言っていたからだ。ひどい咳が聞こえて、帰りにアクエリアスを買ってきてほしいとかすれ声で頼まれた。
これは浅草あたりで、早めに帰った方がいいかもしれないという思いが頭をかすめた。005


そして着いたスカイツリー、入り口で茫然とした。人であふれかえっている。まず無理やり並ばされて記念写真をとらされ、一枚千円以上する予約券を渡される。
エレベーター乗り場は、四重ぐらいの行列、乗るのに三十分かかる。着いたのが五階、そこから天望回廊までわずか50秒が売りのエレベータに乗るまでがまた十数分、ようやく着いた回廊、上からの眺めは富士山も見えぬ、イマイチ展望で、帰りはエスカレーターでスムーズかと思ったのに、これがまた、人数制限ありの、のろのろ状態、ともかく人が多すぎて、往きはともかく、帰りの降下手段情報説明が十分ではなかったので、指定の集合時間に到底間に合わぬことにイライラドキドキ、結局、50秒で上がったところを、今度はエスカレーターとエレベーターで降りるので、やっと着いたところがまだ五階と言う具合、店をのぞくひまもなかった。009


集合時間を三十分過ぎても、参加者は戻って来ず、このままでは、もよりの駅に帰りつくのは当初の六時半をはるかに過ぎて七時を過ぎるのでは、と想像できたので、夫のことも心配だし、事情を添乗員に話して、一人抜けて帰ることにした。

スカイツリーが完成し開場してから三年も経ったいま、平日の入場がこれほど混むとは想像していなかった。それだけ都内の観光事情が激変しているということだ。
高齢者が東京名所に出かけるときは、そのことを考慮に入れて体調管理をすることだと、つくづく感じた一日であった。

2015年10月26日 (月)

裏磐梯の紅葉

ある時期付き合いが途絶えていたのだけれど、共通の趣味である、ブリッジゲームで再会した友、一緒に旅行しようという話になったのは、二人が中高一緒のクラスで過ごし、多感な時を共有している強い絆ゆえか、話しだすと、思い出話が尽きないのである。彼女は来年四人目のお孫ちゃんが生まれるとか、で、ゆっくり遊べるのはこの秋こそ、ならば、紅葉でも見に行く?という話になって、二人共行ったことがない場所を探し、裏磐梯に行くことになった。
ツアーだと、時期が時期だけに、たった一泊でも六万円以上、そんな!!高すぎ。
二人でプランする個人旅行ならずっと安く行ける、ということになって、わたしがホテル探し、彼女は交通担当、連携手配はうまくいって、ホテルはちょっと高級だけど、皇室のご利用で定評ある裏磐梯高原ホテル、東北新幹線8時56分発、郡山で磐越西線乗り換え、これが猪苗代まで一時間一本の接続の悪さだったけれど、11時30分、ホテルのシャトルが迎えにきて乗ること四十分で五色沼入口に到着。003

二時間で回れるという五色沼のトレッキングに挑戦。「大変じゃありません、ハイキングコース程度です」と聞いていたのだけれど、木道をたどったあと、やはり山坂の上り下りあって、休み休みはしたが、一度に一万歩以上、少々疲れ気味。007_2

エメラルドグリーンはあざやかだったが、五色区別できるほどの、色に差はない。「今年は黄色が目立っています」という紅葉のほうはこの日がまさに盛りと思われる美しさで、目が和んだ。005

017

そしてホテル到着、正面ロビーの総ガラスに広がる弥六沼の澄んだ水面、沼そのものをとりこんでしまったような中庭の風景、圧倒的な自然美に思わずため息。018

024

入れたてのコーヒーや紅茶、飲み物充実の図書室は蔵書の選択の良さに目を見張る。紅葉の時期のみならず、一年中利用客が絶えないという人気もうなずける。
夕食のフレンチもフルコースで多すぎないかと思ったが、量の配分も見事なもので、どれも味すこぶるつきのおいしさ、満足した。
美肌効果抜群というここの温泉、暑すぎず、ぬるすぎず、いつまでも浸かっていたいと思うほど、トレッキングの疲れは完全に抜けた。

翌日の和定食の朝食は残念ながらあまりおいしくなかった。凝り過ぎなのである。具だくさんの煮物やつくだ煮など、豆腐もゴマ豆腐のようなもの、干物には大根おろしなし、漬物がなかった。和の朝食は焼き海苔、玉子焼き、干物かシャケ、ヒジキやきんぴらなどの常備食、味噌汁、漬物という簡素だが、味を厳選したものであればいいのに。

その日は近くの檜原湖遊覧、030


そのあとはまたホテルバスで送ってもらって、猪苗代の駅で待ち時間二時間。せっかく来たのだから、猪苗代湖に行ってみることにした。
日本で四番目の大きな湖なのに、不思議なことにこれが電車から見えない。猪苗代の駅からバスもなし、タクシーで行くしかない。往復五千円もするのだけれど、二人ともどうしても湖が見たくなってしまったのだ。
着いた場所は土産物店もホテルも一軒だけ。さびれている場所。夏はそれでも、キャンプなどでにぎわうらしいが、駅の名前まであるのだから、もっと開発すればいいのに、と思ってしまう。038

湖は海のように大きい。砂浜もある。水鳥が泳いでいて、癒しの水辺である。ここまで行き着く手段がないなんて、ほんと残念、裏磐梯ではリゾート開発の才人星野氏が手掛けたホテルを見かけたけど、あまり混んでいるようではなかった。星野さん、猪苗代こそ開発すべき場所ではないですか、と言いたくなってしまった。


2015年10月 1日 (木)

帰国

帰路のフライトは後れもなく、ヒースロー到着だったので、私たちは、直ちにフォートナム&メイソンに向かい、日本では手に入らないといわれている今人気の紅茶、スモーキー・アールグレイを買い急いだ。
乗り継いだ羽田行の機内は往路ほど混んでおらず、私の席は窓際の列の通路側だったが、隣に巨漢のような男性二人がすわったので、これは出入りが大変と思い、イギリス人フライトアデンダントに、高齢で足も痛いので、もし空席があれば変わらせてほしい、と頼んだら、彼女は大きくうなずき、全員が乗り込んだあとで、すぐ後ろの中央列、通路側席に移動させてくれた。
イタリアでトラブルを沢山経験したあとだったので、イギリス人のこの思いがけない親切がとてもうれしかった。しかも隣が空席、そのまた隣の女性は娘ぐらいの年齢の日本人女性、着陸まであと数時間ぐらいのときに話すようになり、おしゃべりがはずんで時間の経つのが速く、エコノミー席の十時間余の大変さを意識せずに済んだ。
羽田には思いがけず、夫が迎えにきてくれていた。杖をかかげて合図してくれた、83歳にしては頼もしく見えたあの姿を、わたしはこの先もずっと忘れないだろうと思った。

これまでの二十回の旅はいつも一人旅で、同じ場所にゆっくり暮らすように滞在するものだったので、今回のように毎日出歩き、移動が数回もあるとう旅程は、楽ではなかった。
同行者の賢い旅行術に支えてもらってこなすことができたと言える。
二年まえのミラノはあれほど暑くなかったという記憶がある。温暖化のせいなのだろうか。そういえば、今回は一度もトリのさえずりを聞かなかった。ヴェネチアで見たハトも軒先にじっと停まったまま、疲れているように見えた。
イタリア人の友人たちは、皆、ヴェネチアを賛美する。ツアーで最初に訪れたときが雨だったので、魅力を感じなかったというと、ぜひ、ぜひ再訪するようにと、何度も言われたものだ。
今回の喧騒のヴェネチアにもいささかうんざりはしたが、汗をふきながら歩き垣間見た、路地の風景の美しさ、ひとけの少ない朝のラグーナの眺めは、やはり心に刻まれている。106

077

損保ジャパンに遅延項目の保険請求をしたのが認められ、あの一日に費やした費用が口座に振り込まれた。
歩きすぎたせいなのか、膝の裏側の痛みが強くなって、しゃがめないほどになり、この一カ月マッサージとプールに通い、ようやく痛みがおさまりかけている。

しゃがむ動作が少なくて済むように、衣類の収納場所の変更や、キッチンの引きだしの入れ替えなど、目下進行中である。

2015年9月28日 (月)

ミラノに戻って

ミラノ行列車の二人の座席は車両が異なっていたので、私たちはまたSMSで連絡し合った。
空いた席があったら、移動しようかと思っていたのだが、パドヴァ、ヴィチェンツァで乗客どんどん増え、それが叶わず、やはり、ヴァカンスシーズンはまだ終わっていないのだと感じた。
ミラノ無事到着、スーパーで買い物、ついでに昼食用の惣菜を買い込む。ミニコロッケやミニパイ、ライスサラダ、生ハム、フルーツサラダなど。別コーナーに寿司コーナーがあって、見かけも大層立派。数年まえに一つ二つだけ見かけた寿司もどきみたいなものとは大違い。いまやミラノ人も寿司大好き傾向にあるらしい。

ホテルで大スーツケースピックアップ、わたしはロストバゲージの保険遅延項目請求のため、何時にスーツケースが届いたかを、証明してもらおうと、手書きの書類を用意していたのだが、その日のフロントはインド人、この若い男性、実に横柄、頑固で、そんなものを証明する責任はない、と突っぱね続ける。わたしと保険会社とのやりとりに荷物が届いた時間の証明が必要なためで、ホテルに迷惑は一切かからないといくら言っても、応対は変わらないので、こちらも感情的になって、あなた、どうしてそんなに頑固で感じ悪いの?この事実を知ってるほかの人と変わって、などと言ってしまい、孤立無援でイタリア語混じりの英語でしゃべるのにくたびれ、もう少し別の言い方があったのではなかったかと自問自答しつつの孤立感に、自己嫌悪におちいりそうになる。騒ぎを聞きつけ、ようやくあのときパソコンでトレースしてくれた男性が出てきて、十一時と大きく手書きしたコピーを渡してくれ、その件はおさまった。
あともう一つ、スーツケース一個一泊、5ユーロ請求に対してクレーム、チェックインしたときにそのことは一言も聞いていない、もしそれがわかっていればミラノのイタリア人の友人のところに、預かってもらうこともできたのにと言ってねばる。
ヴェネチアのホテルフロント男性の「イタリアでは言いたいことを全て言わなければ・・・」という言葉が頭の中で鳴り響いていたからだ。
インド人、ついに妥協し、半額でいい、と言った。
思いは達したのに、わたしは疲労困憊しつつ、つくづく悟った。議論をすることが不得手な自分を。

タクシーで一路、リナーテ空港そばの、四つ星ホテルへ。同行の彼女が昨年宿泊したところ、翌日のフライトが早朝なので、この選択、これは正解。空港そばなのに、周囲は緑豊か、サーヴィスもよく、必要なときにすぐシャトルを出してくれる便利さ。インターネットチェックインも、パソコンそばについていてくれて、イタリア式のパソコン操作を教えてくれつつ完了。

イタリアの惣菜昼食はとてもおいしかった。パートナーの品目選択もよかったのだと思うが、駅スーパーの調理がかなり上質になっているのは確かだ。これは今後列車利用の旅行者たちのための朗報ではないだろうか。

2015年9月24日 (木)

ヴェネチア最後の日

到着早々、部屋のことで一悶着あったこのホテルだが、意外なことに、朝食はこれまでのうちで一番おいしいというのが私たち二人の一致した評価となった。
三種のフレッシュジュース、シリアル、ヨーグルト、生ハム、二種のソーセージ、サラミ、チーズ、キューリとトマトもついている。パンの種類も豊富でパンケーキまである。そしてブドウやアンズなどのフルーツに、味のよいマチェドニア(フルーツサラダ)。090


フロントシフトは日に三回ぐらいあるが、この日の朝のフロント男性は、彼の甥が最近日本に行ったあと、絶賛していたと話す、感じのよい男性だったので、このひとに疑問に思っていたことをぶつけてみた。
到着のとき、どうして、最初から、いまのトリプルに案内してもらえなかったのか?と。
イチャモンつけたあのフロントマンはマネージャーなのだそうで、彼は笑いながらフムフム、ありそうなことだとうなずき、あのモダンな部屋は改装したてで、まだ年一回の審査を受けていないからだとういう。そういえば、テレビの画面が調整されておらず、観るのをあきらめたのを思い出した。ライトも一か所つかないところがあった。
彼は言った。日本は違うだろうけど、ここイタリアは言いたいことをすべて言わないと、いいステイはのぞめない・・・なるほど・・・

午後には部屋を変わることになっているので、荷造りをすませて、外出する。目的地はティントレットの絵を見るための場所、サンロッコ同信会館、水上バスで二つ先のサントーマで下船。歩く距離は少しだったが、きょうも陽射しはきつい。九時半オープンの教会まえに待つのはわずか数人。少ないわけである。内部は冷房なし。092

ほのぐらいなかに、ティントレットのどちらかというと暗い色調の、迫力に満ちた群像画が目を奪うばかりに浮かびあがっている。速筆だったことで有名なティントレット、その勢いが十分に感じられる。圧巻は二階の天井画、それを写して見るための木枠つき鏡が用意されている。でも熱気が上昇していて、窓なし、風なし、むっとした空気のよどんだ内部に、鏡をかかげながら、じっくり鑑賞するのは到底無理で、わたしは早々に階段を下りた。094

せめて絵葉書を買おうと売店に入って出る時、段差につまずきそうになる。必死でこらえたが、右足のつま先近くに痛みが走ったような気がした。危うい・・・・

このあと島にでも行こうかと相談していたのだが、頭の中が忙しく動いた。これは警告だ。ほとんど休みもなく動き続けたこれまでの日々、年齢の限界を感じる。あと二時間以上も船に乗って見知らぬところを歩くことは耐えられない。
同行の彼女にことわって、ホテルに戻ることにした。

すでに荷物が運び込まれたトリプルの部屋はスペース十分、バスルームのすぐそばにシングルベッドがあったので、わたしはそこに寝ることにする。足に持参の湿布薬を張ったので、大事に至らずに済んだ。
おおきい梁で支えられた天井、窓の下は細い路地で向かいの窓に停まって動かないハトの姿がヴェネチアらしい情景に思われる。098

097

別行動するときのわたしたちはSMSを使う。これだと一通話100円、普通のメールだ1分につき280円もする。効率よく、連絡がつき、夕食は一緒に食べられることがわかり、安心する。

リアルト橋近くのバーカロに行きたかったのだが、今回は行けずじまいになってしまった。
結局、最初の日に食事したフェニーチェ劇場そばのレストランで、イカスミスパゲッティと、サーディンのマリネなどのアンティパストで、一応おいしく、ヴェネチア最後の夕食を終えた。


より以前の記事一覧