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カテゴリー「旅行・地域」の142件の記事

2021年11月20日 (土)

群馬県、四万温泉ひとり旅 3

宿で渡された上州四万温泉郷の絵図を見ると、この場所は温泉郷の入り口近くで、ここから二キロ近く温泉宿が立ち並び、バスの終点に一番大きな旅館があって、そこには東京駅までの直行バスの発着停留所にもなっているのがわかる。車で来ている人たちには魅力的な立ち寄り場所が一杯ありそうだが、わたしは、一時間に一台しか走らないローカルバスだけが頼りだから、あちこち見物するというよりは、温泉にゆっくり浸かるのが目的ということで、腰に危うさを感じたり、ひざのあたりや、足指などに痛みが出てくるのが不安だったりする現状では、見物してまわるという欲も失せている。

寝る前も、もう一度ゆっくり入浴して、いつもよりは早めに就寝した。でも枕が変わると寝つきが悪い、とよく義母が言っていたのを、わがままだな、などと思ったりしたが、今のわたしもそれがよくわかる年寄状況で、トイレにも二度起きたし、睡眠の質が非常によかったとは、言い難い。温泉宿の宿泊をあれほど望んでいたわたしだが、二泊したいとは思わない。一泊で十分だと思った。

 

朝食は八時半、和食と洋食、そしてブランチも提供できるというのに、感心した。ここは旅館なのに、ホテルのような旅プランの先端を実行しているな、と思ったからだ。

温泉街の中心で、カフェも開いていて、そこを前回も今回もすでに訪れているので、ブランチは選ばず、和食にした。

 

チェックアウトは12時なので、11時か、または12時47分のバスかを選択しなければならないのだが、後者のほうは、時間を持て余しそう、それよりちょっと気になる場所があったので、10時にチェックアウト、あと、ここのバス停の名前、清流の湯という名の場所が近くにあって、そこが日帰りの入浴場所になっているとわかったので、出かけてみることにしたのだった。そこは私の部屋のまどから、真正面に位置していて、遠目でも美しくととのえられた日本旅館の庭が見てとれたからである。

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2021年11月18日 (木)

群馬県、四万温泉ひとり旅 1

かつて十年ぐらいまえに、娘と二人で、一泊温泉旅行をした四万温泉の柏屋旅館はその後もずっとメルマガを送り続けてくれていた。

コロナ感染者も少なくなったことだし、夫の体調もこのところ安定していて、一泊ぐらいなら大丈夫、留守番できるから、行っといでよ、と言ってくれるので、行先を探していたところ、そのメルマガで、最近宿がリニューアルして、一人用の部屋が一階にでき、食事も少なめのライトミールというメニューがあると知り、これだ、と思った。以前は東京駅から直行バスというコースにしたのだけれど、三時間はかなりの距離、しかも帰りには都内の渋滞に一時間くらいの遅れがでて、とても疲れたのを覚えている。

ほかの行き方はないのだろうか?調べてみると、草津号という特急が出ていて、十時に乗ると、二時間弱で中之条というところに着き、そこから路線バスでおよそ三十分、バス停から一分の宿に着くと言うアクセスがあるのを知り、さっそく予約。

 

出発の日は晴天、でも温度差が東京からだと五度くらいあるというので、ヒートテックの下着で調節することにして、リュックで出発、旅館内は好みの浴衣と綿入れ半纏で過ごせるというので、中身も軽い。

車窓からの景色はいつまでたっても都会風、前橋を過ぎるとようやく山並みがあらわれ、渋川を出るとにわかにトンネル数個、そして中之条に到着。バス停は駅の真ん前と聞いてはいたが、なんと、階段の上り下りがあって、エレベーターはあったが、バスの出発まで五分しかないので、しかたなく、ひとの列に従って、あせって足を使ってしまった。

バスはほぼ満席、車窓の景色が次第に魅力的に。色は褪せ気味ではあるが、紅葉の名残りはまだ美しい。山中のなかの通りなので、それがずっと続くのだけれど、カメラでの景色はとらえにくい。

肉眼の映像を忘れまいと、写真にするのはあきらめることにする。

 

宿はレトロモダンの落ち着いた雰囲気、コーヒー、紅茶が無料でふるまわれる、図書室もあって、テレビなど観なくても、くつろげる場所である。

さっそく浴衣に着替えて、入浴。ステンドグラスもある雰囲気のいい大浴場、このほかに三か所露天風呂があるのだけれど、二階からさらに十段ぐらいの階段を上らなければならないので、転びでもしたら、おおごとだから、あきらめた。そういえば先回はまだ七十代だったが、やはり階段がこわくて、露天風呂は入らなかったことを思い出した。

筋肉痛や胃腸の不具合などに効果ありというお湯、少々熱めだったが、心地よかった。到着後すぐと、食事まえに、また入浴、好きだなあ、と我ながら思う。

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2020年9月10日 (木)

再生、イタリア

現在82歳の自分の人生をふりかえってみて、一番幸せだったのは、65歳から一年に二度ずつイタリアを一人旅したあの十年間である。

実母と義母の介護を終え、シングルマザーの未亡人となった娘と孫二人のサポートが一段落したあの年、身体は健康そのもので、すでに、ニューヨーク経由でカナダの紅葉を観にいく一人旅を終えたばかりだったが、夫と一緒に行くはずだった、イタリアへのツアー旅行に、彼の体調が万全でなく、一人参加をしてくれと、言われ、出かけることになったのが、そのあとの人生の生きがいを見つけるきっかけとなった。

イタリアの自然の中には創造神が生きているかのように感じた。

鳥たちは鳴いているのではなく歌っていたし、空は毎日、異なった美をかもしだした。まるで雲が別れてそのあいだから、ミケランジェロが描く神があらわれても、不思議ではないかのように。

木々も花々も、地上に育っていることの喜びをあふれるばかりにあらわしており、枝を広げ、咲きほこっていた。

そして、神を讃える豊かな文化遺産がくりひろげられる、美術館や礼拝堂、毎日食する食べものは、単純だが、自然の理にかなった、本来のおいしさを極めたものが多く、そしてそれを作る人々の心も、報酬はしっかりと取得するけれど、情があふれていてやさしい。

どうしてそんなに、イタリアが好きなのか、とたずねる現地人に、わたしの前世はイタリア人だったのかもしれないという答えは、一番彼らを喜ばせた。

 

コロナ禍で未曾有の感染者と死者を生ずることになったイタリアの今を伝える最新のニュースメールが送られてきた。

この9月5日、コロナ感染者第一号を出したロンバルディア州コドーニョ市で、各地から市長130人が集まって追悼記念行事が始まったそうである。

コドーニョ市は目下感染者ゼロ、午前には、追悼ミサ、午後には全国市長チームと、イタリア保護局及びイタリア赤十字ボランティアチーム、そしてコドーニョチーム、3チーム間のサッカー試合が行われた。そのコドーニョチームにはコロナ感染者第一号であったマッティアさんも選手の一人として参加していたという。

彼は二か月入院していたが、全快し、同時感染していた奥さんも無事女の赤ちゃんを出産、この数か月、仕事上のクライアント、多くの友人たちが絶えずそばにいて励まし、再出発の力を得ることができた、ことを新聞に家族写真と共に投稿し、Viva Italia!(イタリア万歳)というメッセージを残したそうである。

人生の過酷な試練ののち、イタリア万歳と言える彼の強さ、彼を避けるどころか支えて励ましたコドーニュの人たちに心を打たれた、と筆者は述べている。

 

これが日本だったら、こういうことが起こるかどうか、いま感染して病と闘っている人たちを孤独にしてはならない、日本ではコロナに感染することがあまりにもマイナスに扱われているのではないだろうか、励まし、力づける方向を探れないものだろうか、と思わないではいられなかった。

 

 

 

2019年12月10日 (火)

京都駅のトイレは〇☓方式

一泊旅行は翌日も列車に乗るギリギリまであちこち歩きまわって有効に過ごしてこそ、値打を増すものだが、この日はもう、その馬力がなくなっており、しかも目的は十分果たしたので、どうしようか、と迷っていたとき、テレビの声が耳に入った。関東で三日、12回もの地震が起きている、というのである。何かの異変の予兆かもしれない、これは不安それに土、日と予定満載、早めに帰ることにしよう、と決心がついた。

 

今回は食事を大倹約、きのうの夕食はホテル前の伊勢丹の地下で買ったお弁当ですましたし、朝は嵯峨のベーカリーのパンと部屋のコーヒーにするつもりである。朝食を早めにとって、12時近辺の列車にチケット変更して、せめて最後の京の味、「松葉」でにしんそばを食べよう、と決める。

 

京都駅はさほど混んでいなかった。

トイレで面白いことに気づく。ドアの上のほうに〇☓の印がついているので、☓印は使用不能なのか、と思ったら、そうではなく、使用中の意味だった。Img_2534

確かにドアが閉まっていると、使用中かそうでないかはドアのそばの印が赤かどうか見定めねばならず、これが見にくい場合がある。

〇☓をドア上にかかげて知らせてくれるのは、親切、かつ巧妙なアイディアだと感心した。

 

 

2019年11月25日 (月)

わたしのソーイングビー時代

五十年前のアメリカはソーイングビーの主婦が健在で、シンプリシティ、マッコール、ヴォーグなどの型紙が沢山販売されており、端切れのセールを年中している生地店や、高級な生地、珍しいボタンやテープなどをそろえている、郊外の街の中心地の店舗など、店ぞろいもすごかった。

ネイティブの主婦たちに比べて、小柄で、スリムな日本人駐在員妻のわたしたちは、デパートや衣類専門のブティックなどでも、自分のサイズに合う服を見つけることがむずかしかったので、情報を交換しあい、子供服や自分の服を縫い競った。

 

ハロウィンの衣装も手作り、赤ずきんのマント、ゴーストの衣裳など、すべて型紙どおり縫ったものである。

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娘とおそろいのワンピース、大人柄なのだけれど、娘はママと一緒を、とても喜んで着てくれた。

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帰国直前に、ライラックの花ざかりの公園にドライブしたときに着ているワンピースは、これ以後ワンピースなど縫うことなどなくなってしまったから、アメリカ駐在時代の最後を飾る難関のワンピース作品ということになるだろうか。

 

 

2019年9月25日 (水)

三軒茶屋へ

日曜に三軒茶屋の教会に行った。転会の報告をするためである。

牧師は日曜学校当時からの同級生だが、昨年のクリスマス前に大腿骨を骨折して入院手術、しかもインフルエンザも感染、これはもう一大事、果たして再帰できるかどうか、危ぶまれてならないほどだった。それでも一応回復したあとの彼と、転会の相談のために自由が丘で会えたのだったが、そのときも、松葉杖が離せぬ姿だったので、曲がりくねった階段のついた礼拝堂のことを思って、これはやはり容易ならざる危機だと感じてしまっていた。

 

それがどうだろう、この日はもう会堂の中をスタスタ歩いていて、大腿骨に入っていたボルト摘出の手術が終わったことを知らされたのだった。介護疲れで一時は転倒して回復が大変だったという牧師夫人もその日はさわやかな笑顔で、奏楽の名演奏を聴かせてくれた。

 

ああ、やはり神は必要なひとを守ってくださる、その実証をまざまざと目撃した思いだった。

 

帰りに通った表の三茶銀座通りはまたモダンなベーカリーがふえていて、わたしの娘時代から営業している懐かしい店は、今や園芸店と金物店と精肉店ぐらいになってしまったけれど、園芸店では、見渡したところ、コリウスと、ケイトウが自由が丘などと比べてとても品種もよく安価だったので、四鉢買った。〆て6百円ちょっと、当時店に出ていた跡取り息子のひとがとてもハンサムで、この店の前を通るのが楽しみだったことを、店員のひとに話したら、今年で三回忌になります、との返事。Img_2470

 

あの当時の母よりもずっと年上になって、ここをぶらついている今の自分がなんだか不思議な気がする。徒歩距離に兄一家が住んではいるが、ふいの訪問は迷惑だろうと考え、結局そちらのほうには足が向かぬまま、いろいろ昔のことを思い出しながら、かなりの道を歩いてようやくバス停にたどりついた。

 

2019年4月26日 (金)

山形花見旅4

前半のクラリネット協奏曲は超絶技巧を駆使した難曲中の難曲だそうだが、メイエは指揮ぶりも加えて、曲目解説にも書かれていたようなジャズ的は雰囲気とモーツアルト的な古典的要素をふんだんに出し切り、圧倒的効果を生み出した。

 

シューベルトの『ザ・グレート』はベートーベンを思わせるような壮大な曲想に満ちている。曲の雰囲気を重んじるためにあえて古楽器を使用させられたそうで、音を出すのがむずかしかったという孫娘の言葉がうなずけた。

 

総じて、楽団員がそれぞれの一番素晴らしい音を生み出すのに最大限の努力をしている統一感が見事で、定期演奏会は常に満席に近い聴衆を呼ぶのもうなずける感動に満ちた演奏会だった。

 

終演は九時を過ぎていたが、わずか十分足らずで帰宅できるので、疲れがたまらずに済む。ドライカレーをあたため、キャベツとリンゴのサラダを用意し、孫娘が市販のコーンスープを用意して、遅い夕食を終えた。孫娘はいつも一人で食べるから、手作りのこんなおいしい料理で幸せだった、と感想を述べた。

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翌朝は外で「モーニング」を。山形市はおいしいベーカリーが多いという。孫娘が選んで連れて行ってくれたのは『メリ・メロmeli-melo

わたしが選んだのは、ミルクパンと、フランスパンのホットドッグ、アップルジュース、コーヒー。なんだろう、このパンの焼き具合のおいしさは!!東京のパンにはない香ばしさ、山小屋のような二階の雰囲気もよく、満足した。

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駅まで送ってもらい10時数分発の新幹線に乗るのに三十分ぐらい余裕があったので、駅中の土産店で沢山買い物をする。

 

なんとか無事に済んだ山形訪問の旅だったが、危うさを感じたこともあった。温泉宿に着いたとき、入口の段差に躓いて危うく、顔面衝突をしそうになったのを踏みとどまったこと。孫娘のアパートで夜中トイレに起きたとき、廊下ですべりそうになって、玄関ドアに衝突しそうになったこと。

 

やはり以前より平衡感覚が弱ってきているのだろうか。山形行二度目は果たしてあるのだろうか、先の体調に、確信が持てそうにない。(了)

 

 

2019年4月24日 (水)

山形花見旅3

昼食におそばが食べたい、と言って、連れて行かれたところはひっきりなしに客が入ってくる大繁盛の店『すぎ』、

 なんとラーメンのメニューも沢山ある。私たちは鴨せいろを食べ、夫のみやげに、蕎麦かりんとうを買った。Photo_5

 

孫娘のアパートはそこから十分もしない距離のところ、真裏にコンビニがあるという至便の場所で、防音室つきの2LDK、ほとんどニトリでそろえたという、家具や日用品は色も使いよさも、なかなか選択眼のあるそろいようで、わたしが彼女の年頃のときは、嫁入り道具のほとんどを母にそろえてもらったことを思うと、隔世の感を抱かないではいられなかった。

 

夕方の外出に備えてすぐ料理にかかり、ドライカレーと筍の調理を終えた。筍は大きいものをゆで、タケノコご飯にも煮物にもできるような味付けにしておいた。孫娘は楽器を背負って早めにホールにでかけ、わたしは彼女が呼んでおいてくれたタクシーに乗って、開場時間の三十分まえに山形テルサに向かった。

 

その日は名実ともに世界のトップに立つというクラリネット奏者のポール・メイエが招かれていて、指揮者としてのキャリアも築いてきた活躍ぶりを披露するプログラムで、リゲティのルーマニア協奏曲とフランセのクラリネット協奏曲、そしてシューベルトの交響曲第八番「ザ・グレート」。孫娘の出番があるのはシューベルトのみである。トロンボーンという脇役の楽器は弦楽器や木管にくらべ、気楽でいられるのではないかと想像した。(続く)

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2019年4月23日 (火)

山形花見旅2

  翌朝チェックアウトの時間ぴったりに、孫娘が若葉マークの白い軽の車でピックアップしてくれた。ナビに合わせて走るハンドルさばきは堂に入っていて、意外にも安定感充分。

若葉マークはこの六月で卒業だというが、これだけあやつれるようになったのは、あまり交通量が多くない、ゆったりしたこの街が「天然」というあだ名の彼女にぴったりだからなのだろう。

 

今日からの週末の二日、彼女は定期演奏会の出番があるのだが、この日はわたしが手料理をふるまう約束をしたので、まずはスーパーへ、ドライカレーの材料と、筍を買う。東京と違って筍は大きいものばかり、値段も700円以上。産地でもある地方のスーパーにしては、野菜の値段は都内の大手とあまり変わらなかった。

 

そのあと、「ばぁばに、お花見させたい」と言って、ドライブしながらの花見に最適な名所、馬見ヶ崎さくらラインを走る。河に沿って、右に山、前に雪をかぶった奥羽山脈を視界に入れながら花のトンネルを行く極上のドライブ。Photo_3  

 

もう一か所見せたいところがある、と言って案内されたのが、旧市庁舎『文翔館』、022

彼女は駐車も空きのところをすばやく探して一発で入れる。021 019

大正時代の建造物だというが、豪族最上家伝統の豊かさが随所に現れた格調高い豪華さ、まわりの風景もまるでここだけヨーロッパという面影である。 026 033

 

 

 

2019年4月22日 (月)

山形花見旅1

12時発の山形新幹線、米沢を過ぎるあたりから車窓の風景が一変する。山肌にまだ雪が残り、木々は芽吹いた新芽の淡いグリーンに染まり、そして点在するサクラが開花している、四季の彩りが混じった日本独特の山岳情景が連なる。

 

かみのやま温泉駅はちょっとさびれた温泉街、車で五分の、娘に推薦されて選んだ宿『森の音』に到着。

ロビーは薪の炎が燃え立つ大きな暖炉をかこんでお茶とチーズケーキがふるまわれ、その後案内された個室のガラス戸には満開のサクラがあふれんばかり枝を広げている。005 004

 

夕食のメニューは山形の豊富な野菜を工夫した創作料理で、ほどよい量がうまく塩梅されていて、どれも美味。008_1 010 009

ダイニングルームのガラス窓もまばゆい夜桜で埋まっている。(続く)

 

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