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カテゴリー「旅行・地域」の117件の記事

2017年7月24日 (月)

旅の余話

帰途、健康村から上毛高原までの送迎サービスの車の中は、同年齢の女性の同乗者と二人だけだった。彼女はもう十数年、年に数回健康村を利用していて、いつも満足して帰ると話していた。
次の予約を紅葉の季節にしてきたので、わたしもこれからこの場所を訪れ続けるようになりそうだ、と思った。

個室にはトイレがないので、廊下を隔てて十数歩の場所まで歩かなければならなかったけれど、夜中に行くときもさほど不便を感じなかった。浴室は地下までエレベータまで降りて、そこから長廊下、ワンブロックぐらいの距離を歩いた先にあるのがちょっと遠いと感じたけれど、前回よりも膝の痛みは軽減していたのか、そういうことが苦にならずにいられたのは、こころが解放されている心地よさがあったからだと思う。朝風呂に入って髪をシャンプーする余裕も持てた。

旅の心地よさとは何なのだろう? 高級旅館やホテルに泊まりたいという気持ちは失せている。わたしの経済状態では一泊四、五万するような宿泊場所は自分が無理をしているという感じが否めないし、凝った料理に満足するかどうかも確かではなく、いかにも客サービスだけというマニュアル的親切は空しいだけである。
あるがままの自然が美しく、自分が無理をしないで溶け込める場所、それに加えて健康村の親切は心からのものだ。従業員の皆がここで働く喜びをいっぱいにして、対応してくれている。

川場村の道の駅、田園プラザでインゲンや、いまが旬のブルーベリーや、ラズベリー、フキノトウ入り味噌、シソジュースなどを買い込んだ。食生活が楽しくなってくるようなものを沢山、安価で求められる幸せもここにはある。ジュースは別便にしたけれど、あとのものはスーツケースに入れて、宅急便で送った。ほかに宿からユズ酒やリンゴ酒なども別便で送ってもらった。
スーツケースの宅急便が届いて、開けてみると、あら、大変、ラズベリーがドロドロになってしまって、汁がもれ、バジャマを汚し、次の敬語講義のために借りた図書館の本の表紙を染めてしまっていた。

衣類は漂白剤につけて、対処し、書籍は幸いビニールカバーがついていたので、ウエットティシュ―で消すことができたのだけれど、ブルーベリーは全く現物のままなのに、ラズベリーは冷凍ものだったのだろうか?
生の果実が一晩であんなにドロドロになるなんて、想像もしなかった自分をつくづく迂闊だったと悔やむばかりである。

2017年7月21日 (金)

世田谷健康村ふたたび

五月に予定を入れておいた世田谷健康村行き、夏の上毛高原はあまり涼しくないと聞いていたので、それほど期待せず、ただ三日間家事が休めれば、という程度で出掛けたのだけれど、よかった、来てみて。
涼しくはないが、空気はさわやか。遅咲きのアジサイが満開である。005

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今回はベッドの洋室があるという「なかのビレッジ」の方へ。内部のデザインがかなり凝っていて統一感が素晴らしく、エレベーター脇の窓から見える風景なども一番効果的なアングルをとらえていたりする。どちらの設計ですか?と訊いてみたら、坂倉設計事務所という応えに、やはり、と納得した。008

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着いたその日の夜、ホタルを見に行くプランがあるけど、参加しませんか、とさそわれ、二つ返事で、申込書に名前を記入。このまえホタルを見たのは三十年まえぐらいだろうか、アメリカの友人の庭に飛び交うホタル、あれ以来だ。010

で、そのホタル見物、参加者はわたしのほかに、大正生まれのご婦人二名、車で連れていかれた先は、十分ほどの田んぼの前、その晩は湿気が少なく風が吹いていたせいで、ホタルの数はすくなく、ぽつりぽつり、光り出した程度だったが、徐々に光り、飛ぶ姿を目で追うのにスリルがあり、あのアメリカの豪華版と対照的で、俳句が出てきそうないかにもはかなげな日本のホタル、の感動があった。

夕食は和食専門のシェフが限られた予算で川場の野菜をたっぷり使った自慢の料理が六品、お椀はなめこ汁だったり、とろろとキノコ汁だったり、それに夏目漱石糠漬けがつく、申し分のない味ばかり、一日目はゴマ豆腐、二日目はトマト豆腐、若鮎の塩焼きやビーフシチュー、ウナギ柳川鍋もおいしかった。028

川場のお米がいいので、朝食は和食にした。旅館のように凝り過ぎのものはなく、日本の朝食にこれだけは必要というものがこの味こそ、というつくりで出される満足がある。015


四季折々の花の寺としても有名な吉祥寺にも案内してもらった。本殿の庭には清流の滝も見られ、そこでお抹茶をいただいてしばし静寂に浸る。仏像がいろいろ保存されていたが、おだやかないいお顔の仏さまだった。016

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2017年7月 2日 (日)

きょうの選挙

今日が都議選の投票日だというのに、選挙公報が届いてないので、日本経済の新聞店に電話した。
我が家はチラシを断っているので、入れなかったという。「選挙公報はチラシじゃないでしょう。大事な情報ですよ。このまえも入れてくれなくて、催促の電話したのよ、忘れないように、黒板に書いておいてください。あなたのお名前は?」とまで言ってしまった。
このところ出かけて歩くことが多かったので、また膝の痛みがぶりかえしている。その鬱憤がこもってるみたいだ、と夫がコメントした。

届けられた広報を一覧したけれど、このひとだ、という直観がわかない。

選挙カーからの「お訴え」と称する叫びは声は大きいだけで、よく聴きとれず、なんのためにやってるのか、あれでは意味をなさない。もっと人柄がわかるプレゼンテーションはないのだろうか。

自分を語るという800字くらいの文を書かせてみてはどうなのだろう。文は人なり、というから、ただの経歴や似たような公約文よりは、判断材料になると思う。

二日後、教会の婦人会で「感話」と称する話を頼まれている。そのときまでに痛みをやわらげなければならないので、長歩きをなるべく避けて、きょうは礼拝に行かなかった。でも選挙には出かけようか、でも今まだ迷っている。

2017年5月30日 (火)

スザンナさ~ん

家事が一段落して、ソファーに座りこみ、テレビをつけたら、BS『一本の道“天空の城”古代ローマの道を行く』の途中だった。
あ、これ見覚えがある、と思ったら、「チヴィタ・・・」という名前が聞こえた。
やっぱり、チヴィタ・デイ・バーニョレッジョだ。ヴィテルボにホームステイしたとき、スザンナさん夫妻に案内してもらったところ。
番組で案内役をしているイタリア人女性は流暢な日本語を話している。でも、その声に聴き覚えがあるような気がした。もしや????
やがて、彼女が大写しになり、案内されている日本人アナウンサーが彼女の名前を呼んで、やっぱり!!!!
あのスザンナさんだった。あれから十年が経つ。
番組に映し出されたチヴィタはやはり「死にゆく街」と言われる通り、浸食が進んでいて、
わたしが見たときより、心なしか小さくなっているような気がした。

イタリア文化会館で見つけたステイの場所。スザンナさんはもと文化会館のイタリア語コースの講師、イタリアでは、「アラーキ」の通訳も果たしたことがある優秀なひと。ご主人のステファノさんも別のイタリア語学院の講師でオリーブオイルづくりにかかわっていたりしている、という状況での、イタリア語のレッスンつきのステイだった。
ヴィテルボの丘の上の家は見晴しも素晴らしく、スザンナさんは料理名人でもあって、ステイの条件は申し分なかった。
チヴィタや、ローマ郊外の怪物公園などに連れていってもらい、その合間にレッスン。006

スザンナさんは教師としても、わたしがこれまで習ったイタリア人のトップに連なる、名講師で満足した。
ただ、このステイがたった一度で終わってしまったのは、彼らの車に頼らなければ、自由な外出ができないことと、二週間というステイの半分はウイーンやオランダに行くコースが増えたので、主要都市のステイが多くなってしまったゆえだろうか。
でも忘れがたいステイ、彼女たちとは、クリスマスカードのやりとりは続いており、友人を紹介して喜ばれたりしたこともあった。

あれから彼女は二人のお子さんを育て、ママとして充実しているのだろう。いかにも、と想像ができるような落ち着いた美しさが増していた。

スザンナさ~ん、見てましたよ、とすぐメールしたかったのだが、近頃使わなくなっているイタリア語のメールがちょっと億劫なのと、あれほど日本語が流暢なのだから、日本語でもいいかな、と思うのに、ひらがなでいいのかローマ字にしたほうがいいのか、などと迷いもあって、まだ手をつけないでいる。

2017年4月28日 (金)

上毛高原行

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仕事の連絡はゴールデンウイーク後にくるというので、一応教案をたてておかねばならない。でも家にいては家事に手をとられて、さっぱり集中できないので、泊りがけでどこかに行きたいと探していたとき、このパンフレットをキャロットタワーで見つけた。温泉もついているし、写真がどれも好みの風景なので、娘が世田谷区民なのを頼みに、申込み、二泊三日の旅をしたのだった。
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群馬県上毛高原の名は初めて耳にしたのだが、東京から、上越新幹線でわずか一時間余、着いた場所は、まさに日本の原風景のようなのどかな高原。
施設もモダンな建物で、わたしの部屋から見える風景がこれ、ゆったりしながら、教案づくりの仕事がはかどり始めた。


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食堂から眺める、このふじやまビレッジ、もうひとつなかのビレッジもあって、そこは山小屋風とのことだた、温泉はない。
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小川のせせらぎ、フキノトウの花、マスとなった雑草の花まで美しく、目にうつる。
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山々のみどりの濃淡があざやか。正に癒しの風景である。
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夕食は季節の野菜をふんだんに使った、食べきれないほどの皿数、味も家庭的で、なじみやすく、食がすすむ。
朝食も和洋、ほかに麺類や、おかゆまで供される行き届いた献立。
一泊二食、五千円以下とは信じがたい。
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いわゆる道の駅の元祖的存在の「川場田園プラザ」はミート工房、ミルク工房、パン工房、ビール工房、ピザレストランもあり、東京ではとても得られない野菜を売るファーマーズマーケットもある。
ここで見つけた黒キャベツ、はわずか130円、このあたりはブルーベリー、リンゴの生産地でもあるので、加工品も多く、両手いっぱいの買い物となったが、送迎の車をこちらの都合に合わせて出してもらえて、まるで自家用車に乗っているような、幸運を味わった。

世田谷区というところは美術館やシアターもそうだが、文化施設が非常にすぐれていて、センスもいい。
こんな素晴らしいところ、しかもフロントも食堂も、働いている人たちの応対が最高で、また、ぜひ、訪れたいという
思いに駆られ、とりあえず7月の予約をすませたのだった。


2017年3月31日 (金)

続、続、あのときのこと

今回のフランチェスコ・ローマ教皇のミラノ訪問の詳細をもう少し知りたくて、グーグル・イタリアを検索してみたら、最初のリナーテ空港近くの団地の訪問先は、確かにあの団地の一角なのだが、老朽化しているアパートに居住し、高齢化や貧困、病気などの問題をかかえているイスラミック系の移民の家庭だとわかった。
欧州最大の問題の一つでもある難民受け入れと、テロ攻勢をけん制する目的も含まれているのではないかとも想像できる。Photo


そのあとはサン・ヴィットーレの刑務所で、百人の受刑者と50メートルもの長テーブルでランチを共にしたという。

社会的な弱者に寄り添うという教皇の強いメッセージが伝わってくる。

午後は近郊のモンツァ公園で一般市民100万人とミサを、そのあと、サッカー場では少年少女80000人を集めての集会。Photo_2


これまでとは異なる、親しみやすい、エネルギッシュな教皇のスケジュールであった。

2017年3月30日 (木)

続、あのときのこと

ミラノ、リナーテ空港には写真とそっくりの夫妻が笑顔で待っていてくれた。
日本が大変なときによく、無事に来てくれた、といってしっかりハグしてくれ、うれしかった。だが車でわずか五分ほど、着いた先は、送迎料70ユーロにしてはちょっと近すぎるという感じがした。

しかも、集合住宅地のようなゴミゴミした中をとおって、同じような一戸建てが沢山あるエリアのその一軒はかなり古びていて、中も雑然としている。古新聞が積み上がっていたり、クリスマスの飾りがまだぶらさがったままだったりしていた。

わたしの部屋としてあてがわれたのは、娘さんの部屋だったという二階の個室、ベッドは柔らかすぎて、寝心地はイマイチ、バスタブつきの浴室がそばだったが、ドアはしっかり閉まらない、かなり老朽化していた。

夫妻に感謝したのは、ピエモンテの別邸に行く途中、教会のミサに連れていってくれて、日本のために祈ってくれたことだ。あれほどイタリアの荘厳な教会での祈りの効果を実感したことはなかった。
もうひとつの感謝は、料理上手な奥さんのめずらしくておいしいメニューの数々、節約精神豊富で摘み草のサラダなども並ぶ。
けれどもキッチンの料理器具は何もかもが古びていて、包丁の切れ味もこれ以上ないほど悪く、ガスの火もなかなかつかない。

奥さんは元教師で、詩作もしているし、翻訳経験もあり、なにかの社会活動の役員もしているひとだったが、自分の自己実現に忙しくて、家の手入れや掃除にまで手がまわらないのだった。

ホームステイの応募者は数限りなくいたらしい。それをポケットマネーにしなくてはならないほど、経済状態は逼迫していたのか、知性維持が優先する、同年代のイタリア女性の暮らしの苦労を知った経験でもあった。(続く)

2017年3月29日 (水)

あのときのこと

今月のイタリア、ミラノ通信の最大ニュースはローマ教皇の訪問だった。就任以来初めてということでもあり、特別警戒態勢は大変なものだったようだ。テロの多い、昨今、ドゥオーモの大時計も万が一、爆破に使われたりしないように封印されたほどだったという。
教皇の最初の訪問先はリナーテ空港近くの、老朽化、環境悪化した団地だったという詳細ニュースにわたしはあっと声を上げそうになった。六年まえ、この団地内の一戸建ての家にホームステイしたことがあったからである。

すでに二十回近く経験しているイタリアでのホームステイは語学校の紹介であったり、イタリア文化会館の掲示板で見つけた情報だったりしたのだが、このときはネットに掲載されたイタリア在住の日本人女性からの情報だった。銀行の役員をしたあと、定年後はピエモンテの別邸にあるブドウ畑で収穫するブドウでワインをつくることを趣味としている夫妻の話、彼らはリグーリアの海岸沿いにも家をもっていて夏はそちらで休暇を過ごす。日本人のホームステイ客を歓迎するという情報で、上品で知的な風貌の夫妻の写真がついていた。

ミラノでのホームステイをまだ体験していなかったわたしはこの情報にとびついた。ステイ先との直接のやりとりがちょっとスムーズでなかったのは気になったが、仲介した女性はしっかりと取次をしてくれて出発の運びとなった。
ステイ先の夫人はまったくのアナログのひと、ご主人のPC経験もメールがやっとという状況であったのは、あとでわかった。

それが、災厄の日、3・11の一週間後のことである。
出発の日、羽田発のフライトは成田に移動し、韓国まわりとなって、ロンドン一泊が加わり、ヒースロー空港そばのホテルへの移動は預けたはずの大のスーツケースを受け取ることが加わり、ホテルに到着したのが深夜、およそ十時間以上の遅延、危惧はあったが、天変地異の影響は想像以上に大きかった。(続く、旅の詳細は本ブログ、旅行・地域、2011旅立ち、ミラノまで、を)


2017年2月 3日 (金)

ご近所事情

我が家の右奥隣り、二か月まえから、トンカチの音が鳴り響いている。これまで三車体分の駐車場だったところなので、地ならしからが大変だった。段差をならすために盛り土がされ、コンクリートでかため、木造の枠組みがされる。住友林業が請け負っているので、手慣れた見事な手順であるが、片流れの屋根の三階建て、陽当たり風通しなどに影響大で、我が家の右通路に設置してあった、物干しはシーツなどの大きいものを干すだけにしていたが、よい乾燥は望めそうもない。
でも私の部屋のまえのウッドデッキは陽当たりに関しては影響なしで、去年植えたチューリップとムスカリは順調に発芽している。

四年まえは三軒だった一帯が、三十坪の小住宅十一軒と化してしまった。
ほとんどの住人は若く、逆に、我が家の左の隣組組織のほとんどが高齢者である。
右隣りの貸し家には、なんとアフリカ大使館の一家が越してきた。
中学生と小学生のインターナショナルスクールに通うお子さん三人がいるのに、物音や笑声もしない、すごく静かな家なのが不思議。そのうち、引越トラックが来て、家具など運び出しており、想像するにお子さんたちが帰国したらしい。ますますひっそり感が増した。
ゴミ出しのことで、相談されたことがあったが、その後は顔を合わせることはほとんどない。

東京の近所づきあいも変わってきている。以前は出入りするお米屋さんなどが近所の情報を熟知していたけれど、お米もスーパーで買うようになってからは、それもなくなってしまった。
先日戸籍調べなのか、お巡りさんがやってきたけれど、彼はわたしよりも知識がなさそうだった。
なにかが起きたときの連帯感というものには期待できず、個々に守りを固めるしかないのだろうか。

ともかく健康で暮らさなければ、とづくづく思う。

2017年1月31日 (火)

ウイメンズ・カンファレンス2017

一昨年、一人参加したときは、みぞれまじりの寒い日だった。そして去年は膝の故障のためにキャンセル、天城山荘の外気にさらされた長い渡り廊下を通ってチャペルまで行くことが不可能に思われたからだ。

今年は快晴、くっきり晴れた空を背景にそそり立つ、富士の威容が瞳の奥にきざまれる。
ユニオンチャーチのバイブルクラス仲間と一緒だったので、心細さはまったくなかった。
六十周年記念、赤いものを身につけてほしい、という要望があったので、赤いスカーフとブラウスを持参。
膝の痛みがあることを幹部に知らせておいたので、エレベーター付きの建物の一人部屋を与えられる。Wocon


ゲストスピーカー、スミスカレッジ、ハーバード出身の才媛の女性牧師、いきなり聖書の放蕩息子の例え話を朗読してから、そこに登場しない脇役たちを想像してセリフや、インタビューを試みるようにと、難題が出されて、たじろぐ。若いひとたちは難なく入り込み、演じ始めて、怖気づくばかり。苦手な部分をさらけ出すことになった。
休憩時間のスナックタイムが相変わらず楽しい。
手製のクッキーやケーキ、チーズやめずらしいルパーブのジャムまであって、それをつけてたべるパンにも手がのびる。初参加というひとたちとずいぶんしゃべった。
食事メニューは一昨年より、更においしくなったようだ。チキンのソティにニンジン、インゲン、コーンの付け合せ、ポテトグラタン、サラダ、野菜スープ、残さず完食。

二日目のワークショップは出席せず、昼寝に当てて部屋で休む。三時過ぎのバス送迎つき温泉に参加。
日帰り温泉の『湯の国会館』、湯ヶ島の山中に流れる河を見下ろす露天風呂は、薬草風呂もあって、満足感大。

最終日の夜、六十年をふりかえるヴィデオが紹介され、さすが海外の才女たちのすることは違うと感心しつつ鑑賞。日本人のピアニストの演奏やアメリカ人のギターの弾き歌いなどもあり、最後は六十周年の六、を代表する六人の女性が語るストーリーで締めくくられる。
翌朝、九時から礼拝、女性だけの礼拝だからこその細かい気配り、讃美歌の選択のよさに感動、パンをちぎり、ワインかグレープジュースに浸して口にする聖餐式、一年の最初を祝すのにふさわしい儀式は終わった。


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