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カテゴリー「旅行・地域」の122件の記事

2017年11月10日 (金)

上毛高原で静養

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これで三度目、定宿化してきた世田谷区民健康村、今回は温泉つきのフジヤマビレジに二泊。紅葉まっさかり、というのを当てにして予約を入れておいたのだが、寒波の訪れが早かったせいで、盛りは過ぎて、紅葉の紅は赤茶けていた。花見のピークどきをとらえるのがむずかしいのと同様、紅葉の見ごろを当てるの容易くはないことがわかった。017_4

それでも絶景の名残りは明らかである。024_3


英国の旅行家、イザベラ・バードはかつて明治初年に日本の奥地を歩き、日本は山と森と水の国であり、それらが複雑でおそろしいほど変化に富んだ表情を見せる、と言ったそうであるが、その日本の原風景のような上毛高原にも、まさしく山と森と水があることを実感した。023_3


筋肉痛、関節痛、神経痛にとりわけ効果あり、という温泉に七回ぐらい入浴した効果は明らかで、膝の裏側に痛みは出なくなり、和室に敷いた布団での寝起きだったが、夜中にトイレに起きる時も、何にもつかまらずに、立ち上がれるようになっていたのがうれしかった。

2017年10月 2日 (月)

伊豆高原クラフトの森フェスティバル

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大室山のさくらの里でフェスタがあります、泊りがけでいらっしゃい、と刺し子の吉浦先生からお招きがあって、生徒の三人いそいそと出かけた。

見るだけでなんとも癒される、なだらかな大室山の曲線、ふもとのさくらの里にクラフト作家の出店が並んでいる。

入口に一番近い陶芸作品に早くも、買いたいものが見つかった。夫用の御飯茶碗、織部風の色合いのわたし用マグカップ、おはし、備前風の小皿、合計でも3000円以下、東京ではこれほどのセンスのよい作品がとてもこんな値段では買えない。018_4

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刺し子のお作品の鑑賞に堪能したあとのお手作りの夕食のメニューは驚くばかり、カワハギのお刺身、シャケと玉ねぎの南蛮漬け、トウガンの煮物、栗ごはん、根菜たっぷりのお汁。、

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翌日の午前中、織糸でする刺し子コースターをお習いする。
ランチの煮ソーメンのおどんぶり、おんだ焼がぴったりで一段とおいしさが増した。
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お宅の廊下に珍しい木製の小物干しがぶらさげてあった。何とも言えない風格の品なので、どこのですか?と伺ったら、アーミッシュのものです、というお答えに感動。主婦の買い物の楽しみと奥行きはここまで広がるのだな、と思った。


2017年9月15日 (金)

麻布十番あれこれ

麻布十番はいうところは、今から40年まえ、アメリカでの駐在員生活を終えて帰国して以後ずっと、縁の深い場所になっている。

そもそも、日本語を外国人に教える仕事にさそわれて、現在の『国際日本語普及協会』が『西尾グループ』として活動を始めたころ、麻布二の橋の金物屋の二階に事務所があって、そこに通うようになった。その後、事務所は転々として、どんどん大きくなり、教室を持つ場所にまでなっていったが、最初のころは十番内を移動していたので、それぞれの商店が個性を発揮して、輝いている変遷をみつめながら、通っていた記憶が鮮やかなのである。

同じころ、所属して国際婦人クラブも奨学生の選考の場所に国際文化会館をよく利用したので、そこから坂を下ったところに位置する十番を通って渋谷方面のバスに乗る、ということが多くなった。まだ地下鉄南北線が通っていない頃の話である。

現在も十番の有名店『豆源』は当時から流行っていた。商店街中ほどの『永坂更科』の蕎麦店も有名だったが、現在は一の橋のほうの永坂本店のほうが味が繊細でおいしい。
そして当時国際婦人クラブの会員でもあった、エイミー加藤さんがオープンした『ブルーエンドホワイト』はこれまで日本人の発想にはなかったセンス抜群の、藍のブルーと白だけを使った服飾雑貨の店として、精彩をはなちつつ、長続きしている。

七年まえからその店のウインドに飾られていた刺し子作品に魅せられその作者吉浦和子先生のレッスンに通うようになった。ところが五年目に膝を傷めて、体調管理がむずかしく、針仕事が手につかなくなってしまって、挫折状態である。

『ブルーエンドホワイト』店が閉めると言うのを聞いて、もう無くなってしまうのかと残念に思っていたら、隣のピーコックがイオン経営のオーガニックスーパー『ビオ・セボン』とフランスの冷凍食品『ピカール』をオープン、その二階に移転したというので先日、国際婦人クラブの例会の帰りに立ち寄ってみた。Photo


一緒に行った友人は日本語教師時代からのお付き合い、十番は私以上にくわしいひと、ブルーエンドホワイトは建物二階、エスカレート付き、ずっと広く明るくなって見事なリニューアルを果たしていた。Photo_2

下のスーパーも大きなテーブルがあって、まわりで購入したものを食することができるコーナーが便利、隣の『ピカール』には洗練されたおいしそうな冷凍食材が満載、私はとりあえずグリンピースの冷凍の大袋を買う。グリンピースはフレッシュなものより、輸入ものの冷凍のほうが緑が美しく、手早く料理できて重宝するのである。友人はその晩の夕食用にカナッペを選んだ。
その晩、感想を知らせてくれると言っていた彼女が電話してきて、オーブンで六分、仕上がりも美しく、美味だったと、おしえてくれた。

東京もどんどん、グローバルに変貌する。近々、もう一度、この便利で、胸のときめく場所を再訪したいと思っている。


2017年9月 8日 (金)

小さな不都合つきイタリア

イタリア旅行情報専門サイトJITRAのメールマガジンは、もうイタリア旅行を辞めてしまった私には、関心のうすいものになっているのだけれど、冒頭のエッセイだけは読むことにしている。
その書き手の編集者はミラノ在住、いつもイタリアと日本を行き来する際の比較などを面白く綴っているからだ。

最新号で、彼女は日本からミラノに戻ったときのことを書いている。なんでもマルペンサ空港に夜遅く到着した際、着陸はしたものの、地上に降りる準備がととのっていないというアナウンスがあって、十五分くらい機内で待たされたという。当然降り立ってからは、みなトイレに駆け込み、そのトイレが四か所しかないので、長い行列のあとにつくことになる。
次に預けた荷物をピックアップするのだが、十台ぐらいあるベルトコンベアのどこに行っていいやら、『手荷物ご案内』用の表示もなく、探すのに時間がかかった。
市内に行くマルペンサ・エクスプレスの切符売り場はもう閉まっていて、自動販売機しかない。この販売機が問題、うまく機能しなかったり、つり銭が出てこなかったり、というトラブルの多い代物、幸い、運よくチケットは買えたけれども、彼女はつくづく思ったそうだ。トイレの数が十分で、手荷物受取の表示が大きく出ていて、自動販売機には何のトラブルもない成田が、何と素晴らしいことか、と。
それでも電車を降りてからタクシーに乗り、窓からライトアップされた神々しいまでに美しいドゥオーモを見て、胸が熱くなるほど感動し、イタリアと言う国は比類のないほど美しいものが存在しているけれど、それと同時に多くの小さな不都合に遭遇することにもなる。居住する者にとってはそれらを丸ごとうけとめなければならない、と締めくくっていた。

そう、過去二十一回の私のイタリア一人旅でどれほどこの小さな不都合を経験したことだろう。到着時、荷物に両手をとられる不自由なときに、トラブルにまきこまれることを、とりわけ用心し、迎えを頼むことが多かった。
ローマ、テルミニ駅からオルヴィエートに直行するという旅のときのこと。
迎えはローマ在住のRさん、列車探しを手伝ってもらう。イタリア語ベラベラの彼女に訊いてもらったのだが、駅員のだれもが違う答えをする。まさに発車まぎわにやっと目当ての列車にたどりつくことができた。ところが乗ってから、こんどは停まる駅名の表示には次の駅が記されていないので、不安になる。オルヴィエートの前の駅名が知りたい、あといくつ駅があるのだろうか・・・ちょうど検察にやってきた鼻ピアスの男性乗務員に尋ねてみた。
ところがわからないから調べてくると言ってどこかに行ってしまった。我が国のJRでは考えられない事態である。

列車チケットの自動販売機や、道路に面しているATMはトラブルの話をよく聞かされていたので、利用したことはない。

メルマガの編集者はミラノ在住でイタリア人同様の生活者であっても、やはり不都合を経験しているということを今回知って、所詮、旅人に過ぎないからかという意識のもたらす劣等感が薄まったような気がした。

旅をしていたときは、そういう不都合を経験し、それが新たな活力の源となり、この次からは大丈夫、という勇気が出たのだけれど、それはどんなに長く歩いても、痛みが出ない足と、安定した体調を保持していられたからだ。
いまはそれがもう失われつつある。
旅に終わりを告げるときが来たのだった。

2017年9月 4日 (月)

玉電は楽し

きのうの朝日新聞の『玉電好きです、時代を超え』という記事を読み、ああ、やっぱり、わたしだけではなかったのだ、と思った。
現在残存している、三軒茶屋から下高井戸までの世田谷線は、戦後二年ほどして、三軒茶屋の奥、太子堂というところに居を定めてから、何度も利用していたので、なつかしさもひとしおなのである。

世田谷線のちょうど真ん中あたりの駅「世田谷」というところに、表千家の茶道を習いに通っていた。その先生はとてもお料理上手な方で、お茶菓子も乏しい時代、サツマイモからつくるお手製の茶巾絞りを出されたりするほどで、およそ、十年、大学を卒業するくらいまで、おけいこに通い続けた。ところが、そういう、利休のわび、さびをそのままあらわしているような茶道様式が徐々に変化し、お弟子さんも代議士夫人が多くなって、とうとう、お茶会で使う御道具に金の風呂釜などを使われるようになり、何かそういう変化がうとましくなって、辞めてしまった。そのころから時代や、人心の変貌を受け入れがたく思うようなところが、わたしには、あった。

太子堂にはまだ兄一家が住んでいるが、三軒茶屋、三茶から十分ぐらい歩くので、そこは素通りして、近頃わたしが、よく世田谷線を利用するのは、下高井戸の映画に行くためである。
見損なったわたし好みの映画を、ひろい集めて上映してくれるような小さな映画館、チケット売り場まで階段があって、膝が痛いときにはつらかったけれど、通ううちにその階段でひざの調子がよくなっているのをわかるようにもなっている。

下高井戸にはユニークなマーケットもあり、素晴らしく鮮度のいいむき海老を売っている店を目当てに、買い物も楽しい。またいまどき珍しい、雰囲気のあるコーヒー専門店も二軒ぐらいあって、軽食もOKなので、映画の帰りに立ち寄ったりする。ネコがいっぱいいる喫茶室も魅力なのだが、まだそこには入ったことがない。この先の楽しみである。

沿線の景色は変わった。昔は樹木が多く、畑などもあったが、今は中小住宅がぎっしり並んでいる。それでも終点までわずか十五分ほどの車内の時間は縦長の配置の椅子にゆったり腰かけ、過ぎ去った時間を取り戻せるような錯覚を可能にしてくれる。

三茶も変わった。個人商店はがんばっていたが、あまりあかぬけない街だったのに、今やしゃれたデザインのカフェや国際色豊かなレストランなども立ち並ぶ、若者に人気の場所に様変わり。
わたしが通っていた教会には同級生の彼が牧師をしているので、近々の日曜、キリスト教関係の友人と、所属教会の礼拝を失礼して、二人で訪問しようと約束している。

2017年7月24日 (月)

旅の余話

帰途、健康村から上毛高原までの送迎サービスの車の中は、同年齢の女性の同乗者と二人だけだった。彼女はもう十数年、年に数回健康村を利用していて、いつも満足して帰ると話していた。
次の予約を紅葉の季節にしてきたので、わたしもこれからこの場所を訪れ続けるようになりそうだ、と思った。

個室にはトイレがないので、廊下を隔てて十数歩の場所まで歩かなければならなかったけれど、夜中に行くときもさほど不便を感じなかった。浴室は地下までエレベータまで降りて、そこから長廊下、ワンブロックぐらいの距離を歩いた先にあるのがちょっと遠いと感じたけれど、前回よりも膝の痛みは軽減していたのか、そういうことが苦にならずにいられたのは、こころが解放されている心地よさがあったからだと思う。朝風呂に入って髪をシャンプーする余裕も持てた。

旅の心地よさとは何なのだろう? 高級旅館やホテルに泊まりたいという気持ちは失せている。わたしの経済状態では一泊四、五万するような宿泊場所は自分が無理をしているという感じが否めないし、凝った料理に満足するかどうかも確かではなく、いかにも客サービスだけというマニュアル的親切は空しいだけである。
あるがままの自然が美しく、自分が無理をしないで溶け込める場所、それに加えて健康村の親切は心からのものだ。従業員の皆がここで働く喜びをいっぱいにして、対応してくれている。

川場村の道の駅、田園プラザでインゲンや、いまが旬のブルーベリーや、ラズベリー、フキノトウ入り味噌、シソジュースなどを買い込んだ。食生活が楽しくなってくるようなものを沢山、安価で求められる幸せもここにはある。ジュースは別便にしたけれど、あとのものはスーツケースに入れて、宅急便で送った。ほかに宿からユズ酒やリンゴ酒なども別便で送ってもらった。
スーツケースの宅急便が届いて、開けてみると、あら、大変、ラズベリーがドロドロになってしまって、汁がもれ、バジャマを汚し、次の敬語講義のために借りた図書館の本の表紙を染めてしまっていた。

衣類は漂白剤につけて、対処し、書籍は幸いビニールカバーがついていたので、ウエットティシュ―で消すことができたのだけれど、ブルーベリーは全く現物のままなのに、ラズベリーは冷凍ものだったのだろうか?
生の果実が一晩であんなにドロドロになるなんて、想像もしなかった自分をつくづく迂闊だったと悔やむばかりである。

2017年7月21日 (金)

世田谷健康村ふたたび

五月に予定を入れておいた世田谷健康村行き、夏の上毛高原はあまり涼しくないと聞いていたので、それほど期待せず、ただ三日間家事が休めれば、という程度で出掛けたのだけれど、よかった、来てみて。
涼しくはないが、空気はさわやか。遅咲きのアジサイが満開である。005

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今回はベッドの洋室があるという「なかのビレッジ」の方へ。内部のデザインがかなり凝っていて統一感が素晴らしく、エレベーター脇の窓から見える風景なども一番効果的なアングルをとらえていたりする。どちらの設計ですか?と訊いてみたら、坂倉設計事務所という応えに、やはり、と納得した。008

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着いたその日の夜、ホタルを見に行くプランがあるけど、参加しませんか、とさそわれ、二つ返事で、申込書に名前を記入。このまえホタルを見たのは三十年まえぐらいだろうか、アメリカの友人の庭に飛び交うホタル、あれ以来だ。010

で、そのホタル見物、参加者はわたしのほかに、大正生まれのご婦人二名、車で連れていかれた先は、十分ほどの田んぼの前、その晩は湿気が少なく風が吹いていたせいで、ホタルの数はすくなく、ぽつりぽつり、光り出した程度だったが、徐々に光り、飛ぶ姿を目で追うのにスリルがあり、あのアメリカの豪華版と対照的で、俳句が出てきそうないかにもはかなげな日本のホタル、の感動があった。

夕食は和食専門のシェフが限られた予算で川場の野菜をたっぷり使った自慢の料理が六品、お椀はなめこ汁だったり、とろろとキノコ汁だったり、それに夏目漱石糠漬けがつく、申し分のない味ばかり、一日目はゴマ豆腐、二日目はトマト豆腐、若鮎の塩焼きやビーフシチュー、ウナギ柳川鍋もおいしかった。028

川場のお米がいいので、朝食は和食にした。旅館のように凝り過ぎのものはなく、日本の朝食にこれだけは必要というものがこの味こそ、というつくりで出される満足がある。015


四季折々の花の寺としても有名な吉祥寺にも案内してもらった。本殿の庭には清流の滝も見られ、そこでお抹茶をいただいてしばし静寂に浸る。仏像がいろいろ保存されていたが、おだやかないいお顔の仏さまだった。016

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2017年7月 2日 (日)

きょうの選挙

今日が都議選の投票日だというのに、選挙公報が届いてないので、日本経済の新聞店に電話した。
我が家はチラシを断っているので、入れなかったという。「選挙公報はチラシじゃないでしょう。大事な情報ですよ。このまえも入れてくれなくて、催促の電話したのよ、忘れないように、黒板に書いておいてください。あなたのお名前は?」とまで言ってしまった。
このところ出かけて歩くことが多かったので、また膝の痛みがぶりかえしている。その鬱憤がこもってるみたいだ、と夫がコメントした。

届けられた広報を一覧したけれど、このひとだ、という直観がわかない。

選挙カーからの「お訴え」と称する叫びは声は大きいだけで、よく聴きとれず、なんのためにやってるのか、あれでは意味をなさない。もっと人柄がわかるプレゼンテーションはないのだろうか。

自分を語るという800字くらいの文を書かせてみてはどうなのだろう。文は人なり、というから、ただの経歴や似たような公約文よりは、判断材料になると思う。

二日後、教会の婦人会で「感話」と称する話を頼まれている。そのときまでに痛みをやわらげなければならないので、長歩きをなるべく避けて、きょうは礼拝に行かなかった。でも選挙には出かけようか、でも今まだ迷っている。

2017年5月30日 (火)

スザンナさ~ん

家事が一段落して、ソファーに座りこみ、テレビをつけたら、BS『一本の道“天空の城”古代ローマの道を行く』の途中だった。
あ、これ見覚えがある、と思ったら、「チヴィタ・・・」という名前が聞こえた。
やっぱり、チヴィタ・デイ・バーニョレッジョだ。ヴィテルボにホームステイしたとき、スザンナさん夫妻に案内してもらったところ。
番組で案内役をしているイタリア人女性は流暢な日本語を話している。でも、その声に聴き覚えがあるような気がした。もしや????
やがて、彼女が大写しになり、案内されている日本人アナウンサーが彼女の名前を呼んで、やっぱり!!!!
あのスザンナさんだった。あれから十年が経つ。
番組に映し出されたチヴィタはやはり「死にゆく街」と言われる通り、浸食が進んでいて、
わたしが見たときより、心なしか小さくなっているような気がした。

イタリア文化会館で見つけたステイの場所。スザンナさんはもと文化会館のイタリア語コースの講師、イタリアでは、「アラーキ」の通訳も果たしたことがある優秀なひと。ご主人のステファノさんも別のイタリア語学院の講師でオリーブオイルづくりにかかわっていたりしている、という状況での、イタリア語のレッスンつきのステイだった。
ヴィテルボの丘の上の家は見晴しも素晴らしく、スザンナさんは料理名人でもあって、ステイの条件は申し分なかった。
チヴィタや、ローマ郊外の怪物公園などに連れていってもらい、その合間にレッスン。006

スザンナさんは教師としても、わたしがこれまで習ったイタリア人のトップに連なる、名講師で満足した。
ただ、このステイがたった一度で終わってしまったのは、彼らの車に頼らなければ、自由な外出ができないことと、二週間というステイの半分はウイーンやオランダに行くコースが増えたので、主要都市のステイが多くなってしまったゆえだろうか。
でも忘れがたいステイ、彼女たちとは、クリスマスカードのやりとりは続いており、友人を紹介して喜ばれたりしたこともあった。

あれから彼女は二人のお子さんを育て、ママとして充実しているのだろう。いかにも、と想像ができるような落ち着いた美しさが増していた。

スザンナさ~ん、見てましたよ、とすぐメールしたかったのだが、近頃使わなくなっているイタリア語のメールがちょっと億劫なのと、あれほど日本語が流暢なのだから、日本語でもいいかな、と思うのに、ひらがなでいいのかローマ字にしたほうがいいのか、などと迷いもあって、まだ手をつけないでいる。

2017年4月28日 (金)

上毛高原行

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仕事の連絡はゴールデンウイーク後にくるというので、一応教案をたてておかねばならない。でも家にいては家事に手をとられて、さっぱり集中できないので、泊りがけでどこかに行きたいと探していたとき、このパンフレットをキャロットタワーで見つけた。温泉もついているし、写真がどれも好みの風景なので、娘が世田谷区民なのを頼みに、申込み、二泊三日の旅をしたのだった。
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群馬県上毛高原の名は初めて耳にしたのだが、東京から、上越新幹線でわずか一時間余、着いた場所は、まさに日本の原風景のようなのどかな高原。
施設もモダンな建物で、わたしの部屋から見える風景がこれ、ゆったりしながら、教案づくりの仕事がはかどり始めた。


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食堂から眺める、このふじやまビレッジ、もうひとつなかのビレッジもあって、そこは山小屋風とのことだた、温泉はない。
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小川のせせらぎ、フキノトウの花、マスとなった雑草の花まで美しく、目にうつる。
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山々のみどりの濃淡があざやか。正に癒しの風景である。
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夕食は季節の野菜をふんだんに使った、食べきれないほどの皿数、味も家庭的で、なじみやすく、食がすすむ。
朝食も和洋、ほかに麺類や、おかゆまで供される行き届いた献立。
一泊二食、五千円以下とは信じがたい。
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いわゆる道の駅の元祖的存在の「川場田園プラザ」はミート工房、ミルク工房、パン工房、ビール工房、ピザレストランもあり、東京ではとても得られない野菜を売るファーマーズマーケットもある。
ここで見つけた黒キャベツ、はわずか130円、このあたりはブルーベリー、リンゴの生産地でもあるので、加工品も多く、両手いっぱいの買い物となったが、送迎の車をこちらの都合に合わせて出してもらえて、まるで自家用車に乗っているような、幸運を味わった。

世田谷区というところは美術館やシアターもそうだが、文化施設が非常にすぐれていて、センスもいい。
こんな素晴らしいところ、しかもフロントも食堂も、働いている人たちの応対が最高で、また、ぜひ、訪れたいという
思いに駆られ、とりあえず7月の予約をすませたのだった。


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