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カテゴリー「旅行・地域」の113件の記事

2017年4月28日 (金)

上毛高原行

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仕事の連絡はゴールデンウイーク後にくるというので、一応教案をたてておかねばならない。でも家にいては家事に手をとられて、さっぱり集中できないので、泊りがけでどこかに行きたいと探していたとき、このパンフレットをキャロットタワーで見つけた。温泉もついているし、写真がどれも好みの風景なので、娘が世田谷区民なのを頼みに、申込み、二泊三日の旅をしたのだった。
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群馬県上毛高原の名は初めて耳にしたのだが、東京から、上越新幹線でわずか一時間余、着いた場所は、まさに日本の原風景のようなのどかな高原。
施設もモダンな建物で、わたしの部屋から見える風景がこれ、ゆったりしながら、教案づくりの仕事がはかどり始めた。


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食堂から眺める、このふじやまビレッジ、もうひとつなかのビレッジもあって、そこは山小屋風とのことだた、温泉はない。
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小川のせせらぎ、フキノトウの花、マスとなった雑草の花まで美しく、目にうつる。
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山々のみどりの濃淡があざやか。正に癒しの風景である。
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夕食は季節の野菜をふんだんに使った、食べきれないほどの皿数、味も家庭的で、なじみやすく、食がすすむ。
朝食も和洋、ほかに麺類や、おかゆまで供される行き届いた献立。
一泊二食、五千円以下とは信じがたい。
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いわゆる道の駅の元祖的存在の「川場田園プラザ」はミート工房、ミルク工房、パン工房、ビール工房、ピザレストランもあり、東京ではとても得られない野菜を売るファーマーズマーケットもある。
ここで見つけた黒キャベツ、はわずか130円、このあたりはブルーベリー、リンゴの生産地でもあるので、加工品も多く、両手いっぱいの買い物となったが、送迎の車をこちらの都合に合わせて出してもらえて、まるで自家用車に乗っているような、幸運を味わった。

世田谷区というところは美術館やシアターもそうだが、文化施設が非常にすぐれていて、センスもいい。
こんな素晴らしいところ、しかもフロントも食堂も、働いている人たちの応対が最高で、また、ぜひ、訪れたいという
思いに駆られ、とりあえず7月の予約をすませたのだった。


2017年3月31日 (金)

続、続、あのときのこと

今回のフランチェスコ・ローマ教皇のミラノ訪問の詳細をもう少し知りたくて、グーグル・イタリアを検索してみたら、最初のリナーテ空港近くの団地の訪問先は、確かにあの団地の一角なのだが、老朽化しているアパートに居住し、高齢化や貧困、病気などの問題をかかえているイスラミック系の移民の家庭だとわかった。
欧州最大の問題の一つでもある難民受け入れと、テロ攻勢をけん制する目的も含まれているのではないかとも想像できる。Photo


そのあとはサン・ヴィットーレの刑務所で、百人の受刑者と50メートルもの長テーブルでランチを共にしたという。

社会的な弱者に寄り添うという教皇の強いメッセージが伝わってくる。

午後は近郊のモンツァ公園で一般市民100万人とミサを、そのあと、サッカー場では少年少女80000人を集めての集会。Photo_2


これまでとは異なる、親しみやすい、エネルギッシュな教皇のスケジュールであった。

2017年3月30日 (木)

続、あのときのこと

ミラノ、リナーテ空港には写真とそっくりの夫妻が笑顔で待っていてくれた。
日本が大変なときによく、無事に来てくれた、といってしっかりハグしてくれ、うれしかった。だが車でわずか五分ほど、着いた先は、送迎料70ユーロにしてはちょっと近すぎるという感じがした。

しかも、集合住宅地のようなゴミゴミした中をとおって、同じような一戸建てが沢山あるエリアのその一軒はかなり古びていて、中も雑然としている。古新聞が積み上がっていたり、クリスマスの飾りがまだぶらさがったままだったりしていた。

わたしの部屋としてあてがわれたのは、娘さんの部屋だったという二階の個室、ベッドは柔らかすぎて、寝心地はイマイチ、バスタブつきの浴室がそばだったが、ドアはしっかり閉まらない、かなり老朽化していた。

夫妻に感謝したのは、ピエモンテの別邸に行く途中、教会のミサに連れていってくれて、日本のために祈ってくれたことだ。あれほどイタリアの荘厳な教会での祈りの効果を実感したことはなかった。
もうひとつの感謝は、料理上手な奥さんのめずらしくておいしいメニューの数々、節約精神豊富で摘み草のサラダなども並ぶ。
けれどもキッチンの料理器具は何もかもが古びていて、包丁の切れ味もこれ以上ないほど悪く、ガスの火もなかなかつかない。

奥さんは元教師で、詩作もしているし、翻訳経験もあり、なにかの社会活動の役員もしているひとだったが、自分の自己実現に忙しくて、家の手入れや掃除にまで手がまわらないのだった。

ホームステイの応募者は数限りなくいたらしい。それをポケットマネーにしなくてはならないほど、経済状態は逼迫していたのか、知性維持が優先する、同年代のイタリア女性の暮らしの苦労を知った経験でもあった。(続く)

2017年3月29日 (水)

あのときのこと

今月のイタリア、ミラノ通信の最大ニュースはローマ教皇の訪問だった。就任以来初めてということでもあり、特別警戒態勢は大変なものだったようだ。テロの多い、昨今、ドゥオーモの大時計も万が一、爆破に使われたりしないように封印されたほどだったという。
教皇の最初の訪問先はリナーテ空港近くの、老朽化、環境悪化した団地だったという詳細ニュースにわたしはあっと声を上げそうになった。六年まえ、この団地内の一戸建ての家にホームステイしたことがあったからである。

すでに二十回近く経験しているイタリアでのホームステイは語学校の紹介であったり、イタリア文化会館の掲示板で見つけた情報だったりしたのだが、このときはネットに掲載されたイタリア在住の日本人女性からの情報だった。銀行の役員をしたあと、定年後はピエモンテの別邸にあるブドウ畑で収穫するブドウでワインをつくることを趣味としている夫妻の話、彼らはリグーリアの海岸沿いにも家をもっていて夏はそちらで休暇を過ごす。日本人のホームステイ客を歓迎するという情報で、上品で知的な風貌の夫妻の写真がついていた。

ミラノでのホームステイをまだ体験していなかったわたしはこの情報にとびついた。ステイ先との直接のやりとりがちょっとスムーズでなかったのは気になったが、仲介した女性はしっかりと取次をしてくれて出発の運びとなった。
ステイ先の夫人はまったくのアナログのひと、ご主人のPC経験もメールがやっとという状況であったのは、あとでわかった。

それが、災厄の日、3・11の一週間後のことである。
出発の日、羽田発のフライトは成田に移動し、韓国まわりとなって、ロンドン一泊が加わり、ヒースロー空港そばのホテルへの移動は預けたはずの大のスーツケースを受け取ることが加わり、ホテルに到着したのが深夜、およそ十時間以上の遅延、危惧はあったが、天変地異の影響は想像以上に大きかった。(続く、旅の詳細は本ブログ、旅行・地域、2011旅立ち、ミラノまで、を)


2017年2月 3日 (金)

ご近所事情

我が家の右奥隣り、二か月まえから、トンカチの音が鳴り響いている。これまで三車体分の駐車場だったところなので、地ならしからが大変だった。段差をならすために盛り土がされ、コンクリートでかため、木造の枠組みがされる。住友林業が請け負っているので、手慣れた見事な手順であるが、片流れの屋根の三階建て、陽当たり風通しなどに影響大で、我が家の右通路に設置してあった、物干しはシーツなどの大きいものを干すだけにしていたが、よい乾燥は望めそうもない。
でも私の部屋のまえのウッドデッキは陽当たりに関しては影響なしで、去年植えたチューリップとムスカリは順調に発芽している。

四年まえは三軒だった一帯が、三十坪の小住宅十一軒と化してしまった。
ほとんどの住人は若く、逆に、我が家の左の隣組組織のほとんどが高齢者である。
右隣りの貸し家には、なんとアフリカ大使館の一家が越してきた。
中学生と小学生のインターナショナルスクールに通うお子さん三人がいるのに、物音や笑声もしない、すごく静かな家なのが不思議。そのうち、引越トラックが来て、家具など運び出しており、想像するにお子さんたちが帰国したらしい。ますますひっそり感が増した。
ゴミ出しのことで、相談されたことがあったが、その後は顔を合わせることはほとんどない。

東京の近所づきあいも変わってきている。以前は出入りするお米屋さんなどが近所の情報を熟知していたけれど、お米もスーパーで買うようになってからは、それもなくなってしまった。
先日戸籍調べなのか、お巡りさんがやってきたけれど、彼はわたしよりも知識がなさそうだった。
なにかが起きたときの連帯感というものには期待できず、個々に守りを固めるしかないのだろうか。

ともかく健康で暮らさなければ、とづくづく思う。

2017年1月31日 (火)

ウイメンズ・カンファレンス2017

一昨年、一人参加したときは、みぞれまじりの寒い日だった。そして去年は膝の故障のためにキャンセル、天城山荘の外気にさらされた長い渡り廊下を通ってチャペルまで行くことが不可能に思われたからだ。

今年は快晴、くっきり晴れた空を背景にそそり立つ、富士の威容が瞳の奥にきざまれる。
ユニオンチャーチのバイブルクラス仲間と一緒だったので、心細さはまったくなかった。
六十周年記念、赤いものを身につけてほしい、という要望があったので、赤いスカーフとブラウスを持参。
膝の痛みがあることを幹部に知らせておいたので、エレベーター付きの建物の一人部屋を与えられる。Wocon


ゲストスピーカー、スミスカレッジ、ハーバード出身の才媛の女性牧師、いきなり聖書の放蕩息子の例え話を朗読してから、そこに登場しない脇役たちを想像してセリフや、インタビューを試みるようにと、難題が出されて、たじろぐ。若いひとたちは難なく入り込み、演じ始めて、怖気づくばかり。苦手な部分をさらけ出すことになった。
休憩時間のスナックタイムが相変わらず楽しい。
手製のクッキーやケーキ、チーズやめずらしいルパーブのジャムまであって、それをつけてたべるパンにも手がのびる。初参加というひとたちとずいぶんしゃべった。
食事メニューは一昨年より、更においしくなったようだ。チキンのソティにニンジン、インゲン、コーンの付け合せ、ポテトグラタン、サラダ、野菜スープ、残さず完食。

二日目のワークショップは出席せず、昼寝に当てて部屋で休む。三時過ぎのバス送迎つき温泉に参加。
日帰り温泉の『湯の国会館』、湯ヶ島の山中に流れる河を見下ろす露天風呂は、薬草風呂もあって、満足感大。

最終日の夜、六十年をふりかえるヴィデオが紹介され、さすが海外の才女たちのすることは違うと感心しつつ鑑賞。日本人のピアニストの演奏やアメリカ人のギターの弾き歌いなどもあり、最後は六十周年の六、を代表する六人の女性が語るストーリーで締めくくられる。
翌朝、九時から礼拝、女性だけの礼拝だからこその細かい気配り、讃美歌の選択のよさに感動、パンをちぎり、ワインかグレープジュースに浸して口にする聖餐式、一年の最初を祝すのにふさわしい儀式は終わった。


2017年1月12日 (木)

ある日のランチ

自由が丘や、澁谷、まして銀座などで、1000円のおいしいランチが食べられるところを探すのは、まずむずかしいけれど、表参道から青山にかけてはそれが可能であることがわかった。

きのう、ユニオンチャーチのバイブルクラスのあと、仲良しの若いメンバー二人と一緒で、ランチをしようということになって、あちこち歩いた。どこも1000円、写真付きの立て看板を点検し、さらに中に入って、実際の料理を一瞥したりして、結局、クレヨンハウス近くのカフェに決める。

メインのチョイス、パエリャ、スパゲティナポリタン、タラコ味のチキンのどれか一皿に、野菜たっぷりのサラダバー、スープ、お代わり自由のドリンク付きで1000円というメニュー。若い人がターゲットだから、きっと盛りがいいだろうと推量して、一皿ずつ違うものをとって、シェアすることにした。
サラダバーは、レタス、キューリ、コーン、人参千切り、味付きもやし、豆腐などがあって、ドレッシングは和風、フレンチ、野菜などの三種、わたしは野菜というのをかけたのだが、これは当たりであった。ドリンクはコーヒー、紅茶、ウーロン茶、オレンジジュース。スープはコンソメ風野菜スープ。

推量どおり、メインを一皿同じものを食べたら、残したくなりそうな盛りのよさだったが、およそ合いそうもないたらことチキンが抜群の味、どれもチョイスに失敗なく、三人で分けたら、取り合わせも、量もちょうどよく、おしゃべりもはずみながら、おいしい、おいしい、の連発で終わった。

高齢になると一人で食べにいくのは、なんとなく気おくれするものだが、顧客獲得競争が盛んな、青山や麻布十番などには、値段も手ごろで、おいしく、しかも入りやすい店がいっぱいある。
こういう経験をすすんでしてみて、情報を確保するのも、ボケ防止になるのでは、と思った。

ともかく、食べることは人生最後までつきまとうものなのだから、楽しみでいられるような努力だけはあきらめないでいたいものである。

2016年11月28日 (月)

ひとり温泉

温泉大好き人間なので、こんどは日帰りでなく、一泊温泉を実行しようと、お気に入りの「泊まり」の項目には、十項目ぐらい調査済みの宿が登録してあった。
ようやく、今週になってひまができたので、さて、出かけようかと、空き室を検索したが、全く見つからない。「ゆこゆこ・・」とかいう空き室探し専門業者に助っ人を頼んでみたが、週の中日はどこもダメ。
ダメダメと知ると、なお、行きたくなる。
kiku子さんのブログで読んだ小涌谷の「水の音」という宿がよさそうだと、覚えていたので、直接電話して、空室のある日はいつ?と訊いてみたら、金曜に一室だけ空いてると、わかり、翌日は「いとこ会」という親戚の集まりがあって、ちょっとつらいな、と思ったが、これを逃すと当分むずかしそうなので、予約を決めた。Photo

長野や伊豆なども候補地だったのだけれど、近いのが何より、それも直行で行ける箱根がやはりいい。
路線で検索したら、出てくるのは小田原経由ばかりだったけれど、昔なつかしいロマンスカーにして、ネットからチケットを購入。
前日は雪でどうなることやら、だったが、そこは晴れ女の強み、当日はからりと晴れあがった。
車窓からの富士山が美しい。002


着いた箱根湯本はかなりの混雑、週末とあって、カップルが多い。昼食どころはどこも行列。梅干しで有名な村上二郎商店で、ゆかりとわさび漬けの土産ものを買い、おまんじゅうの老舗「月のうさぎ」の三階で二八そば食べようと列に並ぶこと三十分。
水ようかんみたいなデザートとお豆腐つきのおそばはおいしかったが、小涌谷に二時に着くはずが大幅に遅れ、しかも登山電車は満員。
車窓の景色は紅葉の赤が赤茶けていたけど、晩秋の景色に残雪がまじって、なかなか風情があった。010

宿は共立メンテナンスの運営するホテル、何度か宿泊した草津の『木の葉』の系列である。
そろいの作務衣に着替えて、過ごす湯めぐりの数時間。
部屋づきのサービスなしなので、かなり自立心がないと難しいステイ。四階のわたしの部屋の金庫が戸棚の一番下、かがまないと貴重品が入れられず、しかもまちがった操作方法が記されていて、さっそくフロントにTELしてクレイム。
大浴場に部屋のキーを入れる引出がついていて、そこに入れようと思えば、財布など入るのだが、その大きさをフロント係りはよく把握しておらず、説明しなかったので、これについてもクレイム。

夕食は治部煮風鍋つきの和食を選んだが、正解だった。どれもちょうどよい量で、ほとんど残さず食べられるほどの美味。とりわけぷりぷりのお造りは鮪、勘八、目鯛、つぶ貝、四種の刺身のつまがすべて異なるという気遣い、つぶ貝についたワカメエキス、海藻クリスタルと言う光った春雨のようなものが味もよく、効果的だった。005

温泉は、浴場までの行き方が複雑で、草津のほうがずっとすぐれていたが、お湯そのものはすばらしく、計四回、入る。
夕食が五時半だったので、九時過ぎには小腹がすいて、夜泣き蕎麦なる半玉のラーメンまで平らげる食欲。

翌日は十二時、神保町学士会館集合なので、九時四十五分のロマンスカーに乗るため、宿を八時半に出る。登山電車がきのうと違ってガラガラだったので、早朝の景色を楽しむことができた。

新宿に着いてからも都営新宿線までかなり歩き、帰りも夫と共に三田線でタクシーにも乗らず帰宅したが、足の痛みはまったくなし。
ただし、保養に出かけたというのに、身体はくたくたに疲れてしまった。


2015年11月21日 (土)

そのあと

ツアーを抜けて、もう一度家に電話してみた。夫は少し落ち着いた声音で、熱はない、大丈夫だから、急いで帰ることないよ、と言った。
それなら、ここまで来たのだ、やはり浅草にしかない、あの、買い物をしていこう、そう、日之出のおせんべい。
トイレに行ってから、タクシーに乗る。もともと、ツアーで浅草休憩一時間あると聞いていたので、そのとき、買いに行くつもりでいた。でもあの状況で待っていたのでは、休憩が短くなるのは必至である。無駄をしたようでも、そうではない、と自分の判断をよしとすることにした。
雷門まで行ってもらって、国際通り近くまで歩くこと十分余。日之出はオープンしていた。焼き立てを購入。店のひとに訊くとここはむしろ、浅草の手前の駅、田原町に近いとか・・教えられたとおりに歩く。
歩きながらスカイツリーで鬱積していた気分が晴れているのを感じた。そして思った。やはりわたしは一人旅が性に合っている、大勢に合わせて行動することが向かないのだ、と。

通り過ぎようとした裏通りの入り口近くにしゃれたウインドウが目に入った。飾ってあっためずらしい編み目のベージュのカーディガンが、どうしても試着したくなって中に入った。ほかにも色違いの製品が二、三あって、澄んだ目をした初老の女性が応対に出てきた。値段が一万円をはるかに切る安さだったので、驚きながら試着したあと、なおもラベルを調べていると、彼女が言った。「お客様の年齢の方はウール100%にこだわられるようですが、この製品のように、アクリルやナイロンが混じっているほうが、虫に食われる心配もないし、お洗濯も簡単、軽くて丈夫なので、いまのような突然暖かい日があるような時期にぴったりなのです」なるほど、わたしは目を覚まさせられたような気がして、このやりとりを貴重に感じ、この店員の自分の商品選択への自信と知恵に好感を持ち、買う気になった。

違う浅草を経験したのに心がはずんで、順調に帰宅、五時過ぎに着いた。夫は咳はひどかったが、階下まで降りてきて、腹がへった、と言い、自分でインスタントのお汁粉を作ろうとしていたので、おかゆを煮るつもりだったのだけれど、お餅を二つ焼き、それが夕食がわりになってしまった。野菜不足にならないように、キュウリの糠漬け、ベッタラ、京都のしば漬け、などいっぱい添える。
見ていたら、わたしも食べたくなったので、夕食は急きょ、お汁粉になってしまった。
我が家の夕食はますます手抜きになるこのごろである。

食べ終わって、日の出桟橋で一緒に写したスナップを添付し、ツアーに誘ってくれた友人へ、詫びをこめたサンキューメールを送信した。

2015年11月18日 (水)

一日ツアーでわかったこと

最寄りの駅バス乗り場集合の『築地のお寿司と隅田川ラインで行く浅草、東京スカイツリー』の一日ツアー、旬の情報キャッチにすぐれた友人にさそわれ、参加した。
新宿や東京駅じゃなくて、最寄りの駅バス乗り場集合が気に入ったからである。
お天気もよく、交通渋滞もなく、バスはすいすい進み、いまの東京風景の変貌も物珍しく、午前中は快調だった。
築地に着き、あまりの人混みにちょっとびっくり、ウイークデイなのに、歳末もどきである。あちこちで、隣国の言葉がとびかっていた。

隅田川ラインの日の出桟橋がすっかりモダンに美しく変身していた。002


行き交うボートも宇宙船みたいなものや、大型屋形船のようなものもある。ここのクルーズは初めてではない。
二十年まえは浅草にくわしい友人といっしょ、十年まえにはイタリア人をガイドして乗ったことがある。
今は隅田川まで美しくなったみたいで、河畔にあったホームレスのひとたちの青テントも消えていた。
下船したとき、家に電話してみた。夫が朝、喉がムズムズすると言っていたからだ。ひどい咳が聞こえて、帰りにアクエリアスを買ってきてほしいとかすれ声で頼まれた。
これは浅草あたりで、早めに帰った方がいいかもしれないという思いが頭をかすめた。005


そして着いたスカイツリー、入り口で茫然とした。人であふれかえっている。まず無理やり並ばされて記念写真をとらされ、一枚千円以上する予約券を渡される。
エレベーター乗り場は、四重ぐらいの行列、乗るのに三十分かかる。着いたのが五階、そこから天望回廊までわずか50秒が売りのエレベータに乗るまでがまた十数分、ようやく着いた回廊、上からの眺めは富士山も見えぬ、イマイチ展望で、帰りはエスカレーターでスムーズかと思ったのに、これがまた、人数制限ありの、のろのろ状態、ともかく人が多すぎて、往きはともかく、帰りの降下手段情報説明が十分ではなかったので、指定の集合時間に到底間に合わぬことにイライラドキドキ、結局、50秒で上がったところを、今度はエスカレーターとエレベーターで降りるので、やっと着いたところがまだ五階と言う具合、店をのぞくひまもなかった。009


集合時間を三十分過ぎても、参加者は戻って来ず、このままでは、もよりの駅に帰りつくのは当初の六時半をはるかに過ぎて七時を過ぎるのでは、と想像できたので、夫のことも心配だし、事情を添乗員に話して、一人抜けて帰ることにした。

スカイツリーが完成し開場してから三年も経ったいま、平日の入場がこれほど混むとは想像していなかった。それだけ都内の観光事情が激変しているということだ。
高齢者が東京名所に出かけるときは、そのことを考慮に入れて体調管理をすることだと、つくづく感じた一日であった。

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