2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「文化・芸術」の23件の記事

2020年6月12日 (金)

必見ドキュメント『疑惑のカラヴァッジョ』

 今日、六月十二日のNHKEテレの午後10時からの『ドキュランドへようこそ』は必見である。

今のこの時期、ドラマやトークショーなどに魅力あるものが見られないとあって、わたしはNHKBS1の、世界ドキュメントばかりを好んで観ていた、そのうちのとびぬけた一作がこれ、「疑惑のカラヴァッジョ」だ。

 

フランス、トゥルーズの民家の屋根裏部屋から見つかったほこりにまみれた絵画作品がカラヴァッジョのものだという、フランスの画商とそれに反論する美術史家や鑑定家との対立、ついにはブレラ美術館で、カラヴァッジョの複製と並んで展示されるという出来事まで起き、オークションを経てどうなったかを追うドキュメント。

 

いかにもフランス人、スマートではあるがしたたかそうな美術商テュルカンと、イタリア美術史家の意見が対立、旧約聖書外典のユディト記を描く、『ユディトとホルフェルネス』ユディトがホルフェネスの首を切ろうとしていて、侍女がその首を入れる袋をもって待ち構えている、なんとも残酷な図。細部にわたって間違いなくカラヴァッジョの筆跡があると主張するとテュルカンと、いや、カラヴァッジョにしてはグロテスクすぎると、冷静に言い切るイタリアの美術史家、わたしはそちらの意見にうなずいていた。

 

ボルゲーゼ美術館で圧倒されたカラヴァッジョの部屋、静物画も混じったその部屋に並んだ宗教画、そのテーマが残酷でもグロテスクなものは一つも見当たらなった。

フィレンツェのウフィツィ美術館にあるメデューサでさえ、不気味だけと言いきれない、神秘的な美しさ、格調ともいえる、カラヴァッジョの美術性、を思い出していたからだ。

 

日曜美術館で耳にした言葉、絵画の名作は心を慰撫するものがある、然り、それこそがカラヴァッジョの作品をあらわすものと合点がいく。

この実録がどういう結末になるのか、これはまさに実在したミステリー、ドキュメンタリーならではのド迫力の傑作である。

2020年1月18日 (土)

北鎌倉の林アメリー作品展

  比較的おだやかな天気だった木曜日、北鎌倉の古民家ミュージアムでこの26日まで開催中の林アメリー作品展を観に出かけた。Photo_20200118120201

武蔵小杉で、横須賀線に乗り換え、七つ目、というとすご~く近くなったような気がするが、その横須賀線ホームに到達するまで、歩く、歩く、遠いのである。

東横線を降りて、改札口を出、エスカレーター上がってJRの改札口を抜け、右側の二番ホームに降り立ち、右方向、ホームの端まで歩き、そこからまたエスカレーター、動く歩道二つと、これまで来た道と同じぐらいの距離を、歩き、ようやく横須賀線ホームに到着、夫が、遠いぞ、もう二度と行きたくないくらいだ、などというのも、もっともだと思ってしまうほど、歩いた。

 

何年ぶりの北鎌倉、これぞ鎌倉、という落ち着いた古都の住宅街というたたずまいはちっとも変っていない。

徒歩一分、古民家の中は華やかに飾られていた。

 

林アメリーさんは1933年生まれというから、私より五歳上、かなり高齢だと思うがトークショー何度かこなされたらしい。ディオールやギ・ラロッシュなどのオートクチュールのアトリエで活躍され、70年建築家の林氏と結婚、ご自身のアトリエで創作活動を続けられている。

日本の着物地に魅了され、著書のなかで、すべての布は居場所がある、という言葉がある通り、日本的なデザインの中にも、西洋的感覚のデザインの中にも、洋と和との調和が美しく、格調が高く、センスあふれる展開に魅せられる。Img_2563 Img_2561 Img_2555   Img_2558 Img_2560

展示作品の中でもキルトのフランスの地図、ブランドのラベルをあしらったものなど、に目を見張った。   

作品の中には赤い〇がついていたものが多かったので、受けつけで訊いたら、売約済みの印なのだそうで、大きいキルトなどは30万円くらいだという。その人気がうかがい知れる。

 

さて、お昼は何をたべよう、と久しぶりの北鎌倉を歩く。やはり鎌倉らしい和食、と言えば、『鉢の木』、セットメニューの中で一番安い、半月点心、いつも小食のわたしだから、これで十分。久々に完璧においしい和の味に舌鼓を打った。Img_2564

2019年11月15日 (金)

『リルケの庭』購入

今年のCWAJの版画展で、岩切裕子さんの木版画『リルケの庭』を買った。Photo_20191115225901

版画購入は、十数年ぶりである。三十坪の隠居所めいた小さい家の壁はほとんど好みの版画で埋まっていて、わずかに自室のベッドの真向かいの壁面が空いているだけだ。そこにこの作品をかけて、毎日眺めていたい、そう強く思った。

岩切さんの作品が初めて版画展に登場したときから、目が離せなくなった。色使いは地味だが、実によく選ばれたセンスのよい独特の配色である。風景画がほとんどだが、その中に物語がある。それがわたしには強く訴えかけてくるのである。しかも日本の誇るべき伝統技術、木版であるところにも強く惹かれるものがあった。

もう一つ、注目したのは彼女の苗字、岩切というかなりめずらしいその名は、かつてのわたしの親友の姓名でもあった。

そのひと、岩切千種さんは、中学からの親友だったが、今から、五十年ほどまえ、早世してしまった。岩切というのは嫁ぎ先の名であるが、裕子さんはお嬢さんではないことは、名前からわかったのだが、もしや、縁続きの方ではないか、ということをわたしは知りたく思っている。

千種さんとはどれだけ思春期の友情を交わしただろうか。おそろいの服を着て、『風と共に去りぬ』を観に行き、レッド・バトラーよりアシュレが好きというのも共通していたのだが、映画館を出てからも感激のあまり、しばし茫然としながら、無言のまま駅まで歩いたことが未だに忘れられない。

 

この作品のリルケの詩を、千種さんは愛していた。そのことも偶然とは思われない不思議さである。

 

何とも言えない、渋いグリーンの色の濃淡が美しい。じっと見ていていたい色である。

 

多くの親しい友人との別れがあったが、女の子の多感な成長時代に、こころから打ち解けて、それぞれのよいところを認め合い、自分の悩みなども打ち明けて、励ましてもらった友情を、『リルケの庭』は思い出させてくれるのである。

2019年7月 5日 (金)

不安な出来事

昨日はアジア会館というところでブリッジの一日トーナメントがあったのだが、最寄りの駅の青山一丁目というところは渋谷から銀座線の接続がややこしいので、とても行きにくいところになっている。乗り換えをなるべく簡単にしたくて、二子までバスで行き、半蔵門線で行くことにしたのだが、青山一丁目に着くと、改札口に出るまで何度も階段を上り下りしなければならず、往生した。おまけに雨が急に吹き降りになって、外に出たとたん、ひどいビル風で傘が危うく飛ばされそうになり、おちょこになってしまった。

結局さすのをあきらめて、濡れてしまったのだが、こういう吹き降りの日はイギリス式の頑丈なカサにすればよかったと後悔したり、それよりフードつきの防水のきいたパーカーでしのいだほうが、高齢者にはカサに体をとられることがなくて安全なのではないか、などと思ったりもした。

幸い、欠席者もなく、開始されたのだけれど、ギリギリに来たひとたちは、青山一丁目の複雑な経路を考えると、なるべくなら、もう来たくないなどと言っているひともいて、みな同じような経験をしたのだな、と思った。

 

きょうは朝から一カ月ぶりでホームドクターのところにコレステロールの薬を処方してもらいに出かけた。ところがクリニックはシャッターが閉まっていて、7月1日から一カ月休診、との張り紙があり、びっくりした。

一カ月休診とはただならぬこと、先生急病なのかしら?と患者数の多さゆえの、ご多忙ぶりを察していたので、心配になった。

急遽、数年まえに通ったことがある老先生(と言ってもわたしくらいのお歳かしらと思うのだが)の診療所に行った。こういうわけできましたと、看護婦さんに話したら、T先生、長い休診なのですってね、ともうとっくに伝わっていて、そのせいか、待合室の席は高齢者で埋まっている。

患者より先に医師が入院ということもあり得る、開業医の先生の多忙ぶり、今は診察や往診のほかにコンピューターの管理が加わるから、昔より医師はずっと、疲労が重なるのではないか、などと今という時代の生き方の苦労を思わないではいられなかった。

 

 

2019年2月27日 (水)

柳家喬太郎プロデュース、とみん特選寄席、堪能

昨年末からチケット購入して、楽しみにしていた柳家喬太郎師匠の落語、しかも彼がプロデュース「とみん特選落語」を聴きに、紀伊国屋ホールに行く。Photo

伊勢丹前の大通りも変わった。三越もなくなり、新しいビルばかり、古色蒼然の紀伊国屋ビルはそのまま、四階のホールは客席まで階段、これはちょっと避けたい観劇状況だが、客席内部はそういう階段苦手の高齢者で満員、でも若者観客数もかなり。大したものである。
前座を含め若手の落語四人は、いずれも達者に口は動くが、字の読めない店員が届け先を人に訊いてそれをくり返していく、いまどき考えられない想定の内容や、釣り禁止の場所で大量に釣り上げた魚の言い訳をする二人、など、クスッとも笑えぬ内容多々、懸命に面白くしようと表情まじえて努力すればするほど、しらけてしまう。

間に入った、ギター漫談、期待していなかったのに、この、八十は過ぎているという高齢芸人、ペペ桜井というひとの舞台が前半、一番面白くて笑ってしまった。ギターの腕が達者、長調と短調の差を演奏してみせて、シャープを会社名ともじってシャレでユーモアにして笑わせてくれたり、客席が初めて湧いた。芸にこのひとの人生が詰まっているのを感じさせたからだと思う。

意外だったのは、一龍齋貞橘の講談、よどみない語り、張り扇叩きの迫力、カタいばかりでなく、ユーモアもあったりして、引き込まれて聴いた。

さて、喬太郎師匠、登場するなり歓声がとび、掛け声しきり。それにしっかりこたえるマクラの笑、すでに観客を自分のものにしている。『品川心中』お女郎さんの悲劇なのに、おかしい、所作、せりふまわし、どれをとってみても、完璧、ごく自然で、昔を今におきかえて笑いにさせる天才的な芸、声の調子も、ゆったりした緩急自在の表現力。日本の話芸のなんと素晴らしいことか。
なかなか羽織を脱がない、いつか、と見守るうち、お女郎が白装束に着がえるまえに、それをする。そこまで、観客を集中させる実力、心中という悲劇をいかに落語にするか、いや、もう、お見事でした。

平成の名人誕生、もっと聴きたい、追っかけになろうと思って、ネットから5月14日、春風亭一乃輔と桃月庵白酒の三人会を予約。

師匠、もっともチケットが取りにくいひとなのだとか、これはもう大変。

2018年11月 1日 (木)

ポピーの輝き

幼なじみの友の芸術への芽生えをずっと見守ってきたという実感がある。
カナ子ちゃんは家が近かったこともあり、母親同士が親しかったし、ピアノの先生がずっとおなじだったので、結婚するまで交流が続いていた。
女子大の付属で学校も一緒だったが、彼女は国文学を専攻したのだけれど、結婚後、子育ての手が離れたころから木版を始めたということは、展示会の案内をもらって初めて知った。
木版界の長老と言われる船坂芳助氏に師事するグループに属していて、注目される存在になっていたのである。
CWAJの現代版画展に入選することは今や、版画家として世に認められる登竜門とさえ言われるようになっているが、カナ子ちゃんはもう二十年以上前から入選を果たしている。
草花の好きな彼女がテーマをポピー絞ってからは、順調だった成長ぶりがちょっと中断して、作品に迷いが見られ、花の表情が怖いようなときがあったと記憶している。
この数年CWAJの入選は確実になって、昨年のポピーの花はもう明確にある境地に到達したという華やかで独特の魅力を放つものになっていた。008

版画展での彼女の作品はすべての枚数を売り切り、カード化された製品も売り切れとなって海外からも注文が寄せられたと聞いた。
今年も彼女の新しいポピー作品は入選、すでにポストカードの一枚目を飾っている。002

003

第62回CWAJ現代版画展(展示、即売)は現在代官山のヒルサイドフォーラムで11月4日まで開かれているが、体調が回復したので、きょう、友人と訪れ、彼女のポピーをこの目で確認した。60x90の大型作品、ポピーの花は一段とあざやかに、華やかに輝いていた。
昼食を終えて、ボランティアの仕事も一段落したとき、今回の運営に携わる主要メンバーがわざわざ私を呼び止め、カナ子ちゃんが探していると知らせてくれ、私たちは一年ぶりの再会を果たした。

彼女の師の船坂先生が日本の伝統である木版の技術を伝える作家の活躍を望むというその期待が現実となった喜びをCWAJの在籍年数の最古参のメンバーの一人として、こころから共有するものである。

2018年6月20日 (水)

柚木沙弥郎さんの世界 2.

ともかく、どうしても柚木さんの作品展を、この目で見て、素晴らしさを実感しなければ、と思った。24日まで駒場の日本民芸館で開催されている。

昨日はめずらしく梅雨の晴れ間の日だったので、民芸館なら何度も行ったことがあるから、大丈夫と思ってでかけたのだが、澁谷経由の井の頭線には乗りたくない、一番長く複雑に歩かされるから…と、ちょうど二子玉川行のバスが来ていたので、それに乗って、田園都市線から井の頭線への接続がいいのではないかと期待したのが、大間違い、降りてからも結構歩き、駒場東大前の西口からが、また結構歩き、着いた民芸館は、わたし同様、ウイークデイの梅雨の晴れ間をねらってきた人でいっぱいで、靴を脱いで上がらなければならず、その靴を各自、ビニール袋に入れて持ち歩かなければならないので、いろいろ疲れた。001
002


それでも作品はどれも、目が吸い寄せられるほどの色彩と形の調和美の極致、とりわけ緑と紺色のものが何とも言えないほどの印象を刻み込む。
1976年作の注染雲文着物は忘れられぬ強烈な美しさだ。
そのそばにあった1998年作の型染草文のれんも、対照的な繊細さに満ちた作品だった。Photo


ちょうどお昼すぎだったので、駅そばで食事を、と思ったのだが、このあたりはおよそ入りたいという店はなく、そうかといってまた渋谷に戻る気はしなくなって、かつて何度も通った下北沢に出て、バス、バス接続で戻ることにした。

下北沢でよくランチを食べたイタリアレストランに入ったのだが、味が以前とまったく変わっていてがっかり、駒場の民芸館も、下北沢ももう、もう一度来たい場所ではなくなってしまったことを寂しく感じた。

帰宅してもう一度、録画しておいたあの日曜美術館の映像に浸った。
柚木さんもご立派だが、あの染職人のひとの支えが素晴らしい。六十年以上持続している二人の合作が作品により力を与えている。

柚木さんは芹沢銈介氏と師弟の間柄と知ったが、師より十年近くも長生きして、形と色の染の美を完璧に究める境地にまで達せられたのではないか、そう思った。

2018年6月19日 (火)

柚木沙弥郎さんの世界 1.

ロリポップ(棒つきアメ)をしゃぶりながら、うれしくなくちゃだめだ、と語る95歳の染色工芸作家、柚木沙弥郎さんを特集した日曜美術館を観たとき、わたしは彼の存在感に圧倒された。

染色作品の色といい、デザインといい、配色も形も、全体のバランスも、一度見たら忘れられない、魅力をたたえているが、染色だけにとどまらず、人形作りや、版画も多数の作品がすでにあると知り、ぜひ鑑賞したいものだと思った。
最後のほうで、いま、これが面白くてやめられないと言いながら、糊を塗りたくる作業が映された貼り絵、コラージュは作品としても本当に見事で、これもぜひ、どこかで展示してほしいと願わずにはいられなかった。

形というものはいずれは消え去る宿命だが、そのものが持っている物語、その形の命を感じるかどうかが肝心で、自分の命と形の命とが相互作用で呼応することで、よい作品が生まれるという言葉は忘れがたい。こういう形の命を感じることは家庭生活で家事をしている場合にも、料理の素材や、それを盛り付ける器、縫い物と生地の関係、それらをどこかで見たという形の持つ物語、衣食住すべてに、その観念は存在する。Photo


それを感じ取りながら、家事をすることは、生活への愛着を深めるのではないか、と思った。(続く)

2018年3月31日 (土)

江森ミツコさんの絵画

東銀座、ギャルリーヴィヴァンで開かれている江森ミツコ展、「さくらどき」を見に行く。
二十年前、イタリア語初級のクラスメート、イタリア語が片言のうちから、イタリア人のアートの友人を招いたり、招かれたり、言葉の理解より、彼女の絵に惹かれるものがあって、言葉以上のコミュニケーションが可能だったのだろう、と今になってわかる、それほどの何かをその作品の中に沢山みつける。
自分から求めなくても、個展をしてくださいと、頼まれるというのはそのせいだろう。

ずっと眺めていたいと思われる作品ばかりだった。彼女のお気に入りの清澄庭園の樹木が多いのだけれど、見る者に語りかけてくる力に満ちている。油彩も水彩も、そしてパステル画も…(4月1日最終日17時まで)
001_4
002_3
009_2
012_2
011_3


004_2


2017年7月 8日 (土)

購読新聞異聞 2

六日夕刊、九州豪雨の朝日の写真は衝撃的だった。二面のページ半分ほどを覆う、土砂崩れの壮絶さ、撮影者の名前入りのショットが三枚、一面にも一枚、惨状が一目で伝わってくる。
日本経済は白黒の小さな写真のみ、テレビの映像は一瞬のものだが、新聞はそれを何度も目にすることができるからこそ、天災の恐ろしさが心に刻まれる。

日本経済の「私の履歴書」は愛読している。このところ、私と同年齢のひとたちが続いているので、自分の育ったころの世情が、よみがえってきて興味がつきない。高田賢三氏のときは、彼がレナート・カステラーニ監督の『ロミオとジュリエット』を観て、ロミオ役のローレンス・ハーヴェイに夢中になって、ファンレターまで出したという記述に「あっつ!」と思った。私もどれほど熱をあげたかを思い出したからである。現在、日本ガイシ特別顧問の柴田昌治氏が執筆中だが、「非常に気難しく気位の高い祖母がいた」との一文に、我が家とそっくり、とうなずいたのだった。
こういう一カ月という時間をかけての連載ものは朝日にはない。しかも自叙伝でありながら、ドキュメンタリーのように当時の世相も伝えるものなので、読みごたえする。

朝日の声欄は一般人のオピニオン、投稿記事である。これが面白い。数日前の「日本語教師の報酬がいかに少ないか・・・」には経験者として大きくうなずくものがあったし、きょうの財務省の理財局長が国税庁長官に就任について、悪い人事ではという見出し、同感と叫びたくなった。この理財局長、国会答弁のとき「承知してございません」などというおかしな日本語を発したひとだったからだ。
大胆な正論を投稿するひとの勇気を称えたいし、これを掲載した朝日にも拍手したい気持ちになった。

新聞を二つ購読するのはちょっと贅沢だけれど、テレビや雑誌からは得られない、「今」をしっかり把握できる時間が長くなって、朝の充実感も増している。