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カテゴリー「文化・芸術」の17件の記事

2018年6月20日 (水)

柚木沙弥郎さんの世界 2.

ともかく、どうしても柚木さんの作品展を、この目で見て、素晴らしさを実感しなければ、と思った。24日まで駒場の日本民芸館で開催されている。

昨日はめずらしく梅雨の晴れ間の日だったので、民芸館なら何度も行ったことがあるから、大丈夫と思ってでかけたのだが、澁谷経由の井の頭線には乗りたくない、一番長く複雑に歩かされるから…と、ちょうど二子玉川行のバスが来ていたので、それに乗って、田園都市線から井の頭線への接続がいいのではないかと期待したのが、大間違い、降りてからも結構歩き、駒場東大前の西口からが、また結構歩き、着いた民芸館は、わたし同様、ウイークデイの梅雨の晴れ間をねらってきた人でいっぱいで、靴を脱いで上がらなければならず、その靴を各自、ビニール袋に入れて持ち歩かなければならないので、いろいろ疲れた。001
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それでも作品はどれも、目が吸い寄せられるほどの色彩と形の調和美の極致、とりわけ緑と紺色のものが何とも言えないほどの印象を刻み込む。
1976年作の注染雲文着物は忘れられぬ強烈な美しさだ。
そのそばにあった1998年作の型染草文のれんも、対照的な繊細さに満ちた作品だった。Photo


ちょうどお昼すぎだったので、駅そばで食事を、と思ったのだが、このあたりはおよそ入りたいという店はなく、そうかといってまた渋谷に戻る気はしなくなって、かつて何度も通った下北沢に出て、バス、バス接続で戻ることにした。

下北沢でよくランチを食べたイタリアレストランに入ったのだが、味が以前とまったく変わっていてがっかり、駒場の民芸館も、下北沢ももう、もう一度来たい場所ではなくなってしまったことを寂しく感じた。

帰宅してもう一度、録画しておいたあの日曜美術館の映像に浸った。
柚木さんもご立派だが、あの染職人のひとの支えが素晴らしい。六十年以上持続している二人の合作が作品により力を与えている。

柚木さんは芹沢銈介氏と師弟の間柄と知ったが、師より十年近くも長生きして、形と色の染の美を完璧に究める境地にまで達せられたのではないか、そう思った。

2018年6月19日 (火)

柚木沙弥郎さんの世界 1.

ロリポップ(棒つきアメ)をしゃぶりながら、うれしくなくちゃだめだ、と語る95歳の染色工芸作家、柚木沙弥郎さんを特集した日曜美術館を観たとき、わたしは彼の存在感に圧倒された。

染色作品の色といい、デザインといい、配色も形も、全体のバランスも、一度見たら忘れられない、魅力をたたえているが、染色だけにとどまらず、人形作りや、版画も多数の作品がすでにあると知り、ぜひ鑑賞したいものだと思った。
最後のほうで、いま、これが面白くてやめられないと言いながら、糊を塗りたくる作業が映された貼り絵、コラージュは作品としても本当に見事で、これもぜひ、どこかで展示してほしいと願わずにはいられなかった。

形というものはいずれは消え去る宿命だが、そのものが持っている物語、その形の命を感じるかどうかが肝心で、自分の命と形の命とが相互作用で呼応することで、よい作品が生まれるという言葉は忘れがたい。こういう形の命を感じることは家庭生活で家事をしている場合にも、料理の素材や、それを盛り付ける器、縫い物と生地の関係、それらをどこかで見たという形の持つ物語、衣食住すべてに、その観念は存在する。Photo


それを感じ取りながら、家事をすることは、生活への愛着を深めるのではないか、と思った。(続く)

2018年3月31日 (土)

江森ミツコさんの絵画

東銀座、ギャルリーヴィヴァンで開かれている江森ミツコ展、「さくらどき」を見に行く。
二十年前、イタリア語初級のクラスメート、イタリア語が片言のうちから、イタリア人のアートの友人を招いたり、招かれたり、言葉の理解より、彼女の絵に惹かれるものがあって、言葉以上のコミュニケーションが可能だったのだろう、と今になってわかる、それほどの何かをその作品の中に沢山みつける。
自分から求めなくても、個展をしてくださいと、頼まれるというのはそのせいだろう。

ずっと眺めていたいと思われる作品ばかりだった。彼女のお気に入りの清澄庭園の樹木が多いのだけれど、見る者に語りかけてくる力に満ちている。油彩も水彩も、そしてパステル画も…(4月1日最終日17時まで)
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2017年7月 8日 (土)

購読新聞異聞 2

六日夕刊、九州豪雨の朝日の写真は衝撃的だった。二面のページ半分ほどを覆う、土砂崩れの壮絶さ、撮影者の名前入りのショットが三枚、一面にも一枚、惨状が一目で伝わってくる。
日本経済は白黒の小さな写真のみ、テレビの映像は一瞬のものだが、新聞はそれを何度も目にすることができるからこそ、天災の恐ろしさが心に刻まれる。

日本経済の「私の履歴書」は愛読している。このところ、私と同年齢のひとたちが続いているので、自分の育ったころの世情が、よみがえってきて興味がつきない。高田賢三氏のときは、彼がレナート・カステラーニ監督の『ロミオとジュリエット』を観て、ロミオ役のローレンス・ハーヴェイに夢中になって、ファンレターまで出したという記述に「あっつ!」と思った。私もどれほど熱をあげたかを思い出したからである。現在、日本ガイシ特別顧問の柴田昌治氏が執筆中だが、「非常に気難しく気位の高い祖母がいた」との一文に、我が家とそっくり、とうなずいたのだった。
こういう一カ月という時間をかけての連載ものは朝日にはない。しかも自叙伝でありながら、ドキュメンタリーのように当時の世相も伝えるものなので、読みごたえする。

朝日の声欄は一般人のオピニオン、投稿記事である。これが面白い。数日前の「日本語教師の報酬がいかに少ないか・・・」には経験者として大きくうなずくものがあったし、きょうの財務省の理財局長が国税庁長官に就任について、悪い人事ではという見出し、同感と叫びたくなった。この理財局長、国会答弁のとき「承知してございません」などというおかしな日本語を発したひとだったからだ。
大胆な正論を投稿するひとの勇気を称えたいし、これを掲載した朝日にも拍手したい気持ちになった。

新聞を二つ購読するのはちょっと贅沢だけれど、テレビや雑誌からは得られない、「今」をしっかり把握できる時間が長くなって、朝の充実感も増している。


2017年7月 6日 (木)

購読新聞異聞 1

朝日新聞の無料お試しキャンペーンを、お願いします、と、学生の勧誘員が来たので、わたしは、新聞は朝日だと思ってずっと購読していたのに、あのスキャンダルで失望し、今はあちこち試した上で日本経済に落ち着いていて満足しているからいいわ、と、言ったのだけれど、彼がもっともだというふうにうなずき、どれほど改良したかぜひこの機会に読んでみてくださいと言うので、アンケートつきのこのキャンペーン、引き受けてみる気になった。

整骨院の待ち時間のときに、ときどき目を通すのだけれど、確かに目を惹きつけられる記事が多いと、感じていたこともあったからだ。

そう、確かに改良されている。日本経済には読者の投稿欄がないので、一般の人が今、何に関心を抱いているかを、新聞からじかに知ることができないのが物足りない。それに天気予報が、三面記事の場所なので、いちいちめくらなければならないのが不便、それと、テレビ番組の一押し紹介がないのが物足りない。朝日は、それらすべてを満足させてくれるし、あの零落した当時の弱弱しさが消え、勢いがついているように見えた。得意の文芸欄はまだ書き手が残っていたのか、ニュースや紹介記事もいい文章の、読ませるものがふえている。

わたしは六時半起床で三十分をベッドに半身を起こした姿勢で、新聞を読みふける。その一週間は視点の異なる新聞の読み比べが楽しく、早朝の目覚めは充実した気分だった。

先月末、朝日新聞がおずおずという感じで、感想を訊きに来たとき、わたしはインターネットのブリッジゲームに参加しており、夫が応対したのだが、朝日は嫌いだからいらない、と言っている声がしたので、わたしはゲームの途中だったけれど、購読することに決めたからと、大声で知らせた。勧誘員の歓喜の声が聞こえて、あのときの勧誘員は奨学生だったから、さぞ喜ぶだろうと言ったので、いいことをしたような気がしてほっとした。夫がなんだか悪いみたいだね、とかなんとか応えていたので、なんのことかわからなくて、ゲームが終って見に行ったら、驚いた。魚沼のコシヒカリ5キロと、夫の好みの缶ビール、「のどごし」2ダースがおいてあるのだ。

こんな大盤振る舞いで新聞店大丈夫かしら、と思ってしまう。お米もビールも一度にこれほど沢山買ったことはないので、収納場所に困り、まだ玄関先においたままになっている。(続く)

2016年4月11日 (月)

ジョルジョ・モランディ展に想う

このところ記憶力の衰退で、著名な欧米人の名をとみに忘れがちであるが、ジョルジョ・モランディの名だけは、鮮明に覚えている。
いまから12年まえ、三度目のイタリア一人旅、ボローニャに一週間ホームステイしたとき、到着後ほどなく訪れたときの、モランディ美術館の鮮烈な感動がそれほどに大きかったからである。

今回、東京丸の内のステーション・ギャラリーで開催されたジョルジョ・モランディ・終わりなき変奏と題された美術展に、あのときの感動をよみがえらせたくて、膝の危うさをかかえながら、訪れたのだったが、よりすぐりの作品が並んでいた現地の美術館の展示の鮮烈な印象には及ばず、物足りない思いを抱いてしまった。

2004年、当時のモランディ美術館はオレンジ色の市庁舎の建物の三階にあったが、ブラマンテが設計したという、優美な階段から直接上がれるようになっており、着いたところはまた中世の素晴らしい天井画のある大広間で、ガラス戸を入ると、一転して近代絵画の粋とも言えるモランディ芸術が広がるという、構成にまず度肝を抜かれた感じがあった。011

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色調は地味だが、一度見たら忘れられない、静物像の静寂の美、とりわけ、なつかしさを覚えながら、惹かれたのは、花をモチーフにしたデッサン、と水彩の風景画、というのも、画家志望をあきらめ、銀行員になった私の実父が水彩画を趣味にしていて、静物や風景のデッサンや色の好みに、共通するものがあるように思われたからだ。001

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父が生きているあいだに、このボローニャのモランディ美術館に連れてきたかった、と思ったら、ふいに涙がとまらなくなって、感傷にふけりながらの、鑑賞は、より感動を大きくすることになったのだった。

2012年、モランディ美術館は移転して新しくなったという。圧倒的にマリア像や宗教画を主とする、文化遺産を展示する美術館の多いイタリアという国に、近代絵画の至宝のような存在であるモランディをボローニャ市がいかに重んじているかを、示す事実ではあるが、それでも私は、あの市庁舎の中にあったモランディ美術館の存在美が忘れがたいのである。

2014年3月 6日 (木)

続、一刀彫のミニ雛

三月三日のアクセスが460を超えたのに、驚いています。一刀彫のミニ雛に関心を持った方が多かったのではないかと、ひとりよがりの解釈をし、この際、個々の写真もご披露することにしました。

右から大きい順に並べます。
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背丈、順に、6.5センチ、だるま、4.5セン、立ち雛(一対)6.5センチ、小内裏、3.5センチ、小立雛3.5センチ

2014年3月 3日 (月)

我が家のお雛さま

実母はお人形づくりが大好きで、木目込みのお雛さまと玉子の殻でつくったお雛さま一式をわたしにプレゼントしてくれた。
木目込みのほうはアメリカ生活四年を過ごすときに持っていって、現地の婦人会で披露した。

その後、彼女のお雛様へのこだわりはやまず、最後に買い求めたのが、一刀彫のミニびな。
これ、宝物みたいに大切にしてね、と言い残して、亡くなった。滅多とない逸品なのだという。
二度の引越し、新居に落ち着くのに時間がかかり、このところ二年ぐらいこの一刀彫びなを出していない。
今年はやっと雛祭りの当日、ブログにお披露目することにして飾った。
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あと、実母の自作の余り布でつくったミニびなもある。貼物が好きだった母、飾り台や屏風も手作り。002_3


手芸が好きなあまり、身体を動かすことを怠り、晩年、足が弱ったのが命とりとなった。

2014年2月13日 (木)

芸術鑑賞と散策の日

不世出の天才陶芸家、板谷波山の名を知ったのは、数年前、K子と一緒に笠間を訪れたときだった。ちょうど特別展を開催中だったのだが、陶芸にくわしいK子が説明役になってくれて、わたしはすぐに、陶器と呼ぶにはもったいないほどの芸術性に満ちた美しい作品群に魅了された。

出光美術館で開催中の今回の回顧展、K子に声をかけたら、行く、行くとはずんだ返事をもらえて、風のないおだやかなある日、うちそろってでかけた。素描も混ぜておよそ300点、いずれも、生涯「光」を追及したというそのテーマを立証するまばゆいほどの、傑作ぞろい、アールヌーボー的なやわらかい色彩のものから、彫刻の技を駆使した浮彫の力強さに満ち満ちたもの、あわい色彩から、バーナード・リーチ的なブラウンカラー一色のものまで、ただただ、目を奪われる。008

波山の全作品1000点のうち280を出光美術館が所蔵しているという。「無垢なるものを一心に追及した波山の陶芸が、実業の世界で闘ってきた男を優しくいやしたのではなかろうか」と評した産経新聞の記事はただの技術的解説に終わった朝日新聞を超越していたように思われる。

その帰り、丸亀製麺で会社員たちが昼食に好むという讃岐うどんを食べ、三菱一号館そばのベーカリー、ロブションでパンを買ってから、東京の名所に強い、K子に解説してもらいながら東京駅に出た。改札口付近の天井が芸術的。005

中央郵便局がユニークなショッピングビルに変貌、展望テラスから見た東京駅復元の光景の美しかったこと、そこからさらに、八重洲口に出て、ちょっと珍しい生垣に目を見張り、さらなる変化をとげようとするこの周辺を見回る楽しみを体得004_2


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あとはブリジストン美術館ものぞき、ティーパーラーでお茶して、満足な散策を終えた。

2013年10月23日 (水)

CWAJ PRINT SHOW 神戸展

神戸外国倶楽部はちょっと広めの個人の屋敷のような外観だったが、建物内部は、左手にカフェのコーナー、ダイニングルームが仕切られた内部にあって、正面にギャラリーに十分なスペースが広がっており、東京の版画展がそのまま見事に再現されていた。

再現と一口に言うのは簡単だが、ここまでにこぎつけるのに、どれほど多くのメンバーの努力があったか、計り知れない。188もの作品の移動、ディスプレーに関する段取り、受け入れ側との打ち合わせ、東京展と同じような効果を生むための工夫など、数え切れぬ難問を切り抜けての三度目の神戸展実現、一時は存続さえ危ぶまれた、ボランティア団体が法人化を可能にし、発展しつづけていることの意義を思わずにはいられなかった。

およそ四十年まえ、アメリカに四年暮らしたとき、主婦の単純な家庭生活が英語を使うことで一変した。スーパーのレジの列に並びながら、前のひとがどのような英語を話すか、聴き耳を立て、巨大なオーブンを使いこなす料理の出来具合に一喜一憂し、初めて耳にするe.e.cominngsの詩に、英文科の授業では決して持てなかった感動を味わっていた。
主婦の仕事の創造性は限りなくある。
帰国してこういう体験を活かせる自己実現が可能になったのが、CWAJという国際婦人クラブ活動だった。
最初の大仕事は英語圏の国に駐在が決まった家庭の主婦をサポートするプログラムの責任者、四十人という定員が集まるかどうか、神経をすりへらしながら、広報に努力したものだ。

今回の神戸展、プロの美術展企画にかかわる人々も訪れていて、よくボランティアでこれほどのことができたものだと、大層感じ入ってくれたらしい。
裏方の仕事は結構忙しく、朝10時から午後7時まで、持ち場をゆっくり離れることもできぬほどではあったが、メンバー同士の親交が深まるという楽しみを味わうことができた。

終了後の会食では、住吉地区の元豪邸だったというレストランで、美食に舌鼓を打ちながら、おしゃべりに花が咲いた。隣席のひとはメロンパンまで自宅で焼くという料理人、そのまえに座ったメンバー、六年ロンドンに暮らしたそうで、日本のパンはお菓子みたいでパンじゃない、と声をあげ、わたしも賛同した。その朝のホテルの朝食もパンの種類は多かったが、もちもちの食感、バターたっぷりのものばかりだった。もっとパンとは本来どういう味でなければならないかを研究してほしいのよ、という意見に、ほんと、そう、とうなずきながら、メンバーのだれもが仕事もエキスパートだが、主婦業もそれを上回る腕の持ち主なのだと、つくづくと感じたのだった。