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カテゴリー「心と体」の105件の記事

2018年7月18日 (水)

難聴経過

突発性難聴は完治した。

けれども発病後一週目の聴力検査の結果は快方に向かってはいるが、念のために、MRIの検査をしておいたほうがいいという診断で、荏原病院の紹介状をもらって、検査をした。三週目で聴力は回復したのだけれど、MRIの報告には、脳には全く異常がないが、内耳の奥に腫瘍が見つかっていた。それを脳神経外科で診断結果を訊くようにと、耳鼻科医師に言われ、きょう、荏原病院に出かけた。
おそらく良性だとは言われていたのだけれど、本当に専門医の口からそれを知らされるまでは不安がつきまとう。

耳鼻科医師が信頼できる担当医の曜日を選んでくれただけあって、その腫瘍なるものがどんなものかを人間の脳内部の模型を指さしながらの説得力ある診断がもらえた。結果は正しく良性ではあるが、大きくなっていくようだと、脳内部に影響を及ぶす危険もあるので、一年に一度くらい検査をしたほうがいい、ということだった。
もしも大きくなった場合、その治療は?という問いにも誠実な解答がもらえた。高齢なので、手術はなし。腫瘍内部の液体をとることが試みられるが、抽出も二泊ぐらいの入院でできて、苦痛も危険もまったくないとのことで、安堵した。

今回耳鼻科で処方された薬は、ビタミン剤や、血液の流れを良くする漢方薬などだったので、聴力に直接作用する療法はなにかないかと思って、ネットを探し、耳たぶやその周囲を軽くマッサージするやり方を覚え、それを実践してきたのは効果があったように思う。
八十になってつくづく思うのは、やはり人間、血液の流れをよくすることが一番大切なのではないか、ということだ。

三週目ぐらいのとき、粉薬がのどにはりついて、息ができなくなって咳き込んでしまうということが起こった。それが恐ろしくなってしばらく、飲み薬をさぼったので、それでも聴力が回復したのは、やはり、マッサージや、クラシック音楽を沢山聴いたことがよかったのではないかと思う。

暗雲が晴れたので、病院からタクシーでプールに行き、三十分、クロールとバックで泳ぎ、身体全体の血流もよくしたので、酷暑があまり気にならず、すっきりした気分で帰宅した。

2018年6月15日 (金)

難聴さわぎ 3.

難聴のほうの耳をおさえていい方の耳で聞いた音声と難聴の左耳だけで聴いた音声は明らかに違っていた。それでも電話の受話器はしっかり耳にくっつけて聴いているせいか、あまり聞き落としがなかった。
まずい薬を大量に飲み続けるのはかなり苦痛だった。それもどの程度効き目があるのか、半信半疑なので、余計まずさにうちのめされる。薬でストレスが増しそうだった。

そうしながらも私は敬語授業のテキストの改訂作業に勤しんだ。ございます表現などの追加事項とそれに関する、練習問題、CNNニュースの気になる表現、キャサリン妃の出産、ハリー王子の結婚、そして今回の北朝鮮との合議など最新のニュースの通訳表現の気になる部分、王室の方々への敬語不足や、あらたまった表現の和訳語選びのまずさなどを指摘させるための例題などをかなりの数、追加することになった。
その作業が終わった、服用五日目ごろから、難聴がうすらいでいるのを感じた。

そして七日目、検査結果の折れ線グラフは右左の赤、青二本がかなり接近していて、快方に向かっている、と医師も診たてを述べた。

薬を少しへらしてもいいと言ってもらえたので、あの水薬はやめてもらった。その一錠なしの三錠をまた一週間服用して結果を聞きに行かなければならない。

八十代の友人の今をどれほど知ったことだろう。鼓膜に水がたまったひと、耳の中にヘルペスができたひと、私自身の難聴同様、すべてストレスが原因だという。いつもより疲労を感じるのは自分だけではなかった。

夜寝つきが悪くて、毎日睡眠を深くするために誘眠剤をのむと言ったひとに励まされて、わたしは薬をのむことの拒否反応を少なくしていこうと思う。

2018年6月14日 (木)

難聴さわぎ 2.

難聴が起きた原因はストレスだと思う。このところ、教会の証し、その原稿提出、同窓会新聞の記事の原稿提出、数回のややこしい校正のやりとり、クラス会幹事のパソコン仕事など、疲れる仕事が重なり、ストレス過剰になっていた。
医師も私のケースはめまいもなく、ウイルス性のものでないと判断して、ステロイド使用を積極的にすすめなかったのだと思う。

ネットから、耳の血流をよくする耳たぶマッサージの効果を知ることができたので早速一日に二度試みている。
クラシック音楽治療もあるらしい。悪い方の耳は、むしろ使ったほうがいいらしいので、電話はそちらの耳で聞くのが習性になっているのを、そのままにした。そのときの聞こえ方で、聴力の回復判断もできるからである。

友人に片耳の聴力が弱くなっているひとが多いので、そのひとたちに電話して、こちらの症状を話し、彼女たちの経験を聞かせてもらった。

ひとりは十年以上も聴力が弱っていて、大勢の中で話すときには補聴器をつけることにしているという。スエーデン製のものが性能抜群なのだそうだ。和製ドラマを観ていても、字幕に直すときもあると聞かされ、わたしたち八十代はもうそういうときにきているのだと再認識した。

もうひとりのわたしより数歳年下の彼女、二十代から片方の耳だけ聴力が失せ始めていたのだと言った。わたしが耳鳴りがなかなかとれない、と嘆いたら、「わたしなんか、何十年耳鳴りしてるけど、こうして生きてるんだから、大丈夫よ」と励ましてくれた。

友人たちから、勇気をもらって、まずい薬をがんばって飲み続ける気力がでてきた。

幸いこの一週間なノースケジュールである。月末の敬語講義のテキスト見直しに専念できそうだ。家事の見落としもチェックし、夫と二人の食事メニューを充実させる心の余裕も出てきた。(続く)

2018年6月12日 (火)

難聴さわぎ 1.

気づいたのは、クラス会幹事の引き継ぎで、新宿のホテルレストランで会話しているときだった。
五人で話していたのだが、左端の友人の語尾がまったく聞き取れない。周囲がとくに騒がしいというわけでもないのに、これはおかしいと思った。かすかに耳鳴りもしている。

近所で名医という評判の耳鼻科は予約制になっていて、その日はもう締め切られていたので、翌日、国際婦人クラブの昼食会だったのだが、昼食が始まるときに脱け出して、午後の予約をとった。十二時からの予約受付で少し過ぎに電話したのにすでに15番。
その昼食会でも左隣りの後輩の声が、かなり早口のひとではあったのだけれど、完全に聴きとれていないのを感じた。

耳鼻科ですぐ聴力検査をした。医師は七年まえの、折れ線グラフを見せ、赤と青がぴたりと合っているのと、きょうの一センチほどずれてしまっているのを比べて指さしながら、言った。「左の耳が突発性難聴になっています。ステロイドはなるべく使いたくないので、これから処方する薬をしっかり一日に三度、一週間のみ続けて、また診せてください」
とても飲みにくいという、水薬一袋と、顆粒の薬二袋と錠剤一錠、四種、七日分、かなり重い包みを抱え、暗澹たる気持ちに浸りながら帰途についた。

毎日観ている『半分、青い』の主人公や、左耳が聞こえないというブリッジパートナーが急に身近になった気がしていた。(続く)

2017年12月26日 (火)

デイケアでの出来事

今年、初体験したことで、一番よかったと思うのは、デイケアに行き始めたことである。
お仲間たちはほとんどの方が外出困難をかかえている。その中では一番元気でいられることが、初めのうちはなにか申し訳ないような居心地の悪さを感じたりしていたのだが、今は違う。
参加するのが楽しみになってきたのだ。

何よりも、腰かけたまま、一時間かけて、身体のあらゆる部分を動かし、ストレッチする転倒予防体操と呼ばれる運動がいい。みなで合唱するように掛け声をかけるから、気分も高揚してくる。ボールを使う項目もあって、瞬発力も刺激してくれるし、更にハードな段階を求めるなら、マット体操もある。

わたしの膝はデイケアに行き始めてから確実によくなっているという実感がある。

きょうはまもなく百歳という女性の参加があって、しっかりしたお話ぶりにびっくりしてしまった。わたしはなるべく年上の方と話すようにしている。人生の先輩との会話は学ぶことも多く、励みになる。

体操のあと、きょうは更に、オイルによるハンドマッサージの指導があったのだが、そこで驚くべき出来事があった。大病を患ったあと、身体の節々が硬くなってしまったの、と85歳の参加者が握れなくなっている手を見せたのを、皆は目撃していた。
マッサージの指導者はとても巧みに、優しく、ひとりひとりの手をさわり、マッサージを施してくれながら、マスターできるように教えてくれた。
オイルはドイツ製のヴェレダアルニカ、徐々にオイルがしみこんで、手をふかなくてもいいくらい、十分にマッサージがいきわたったと思われたとき、手が握れなかったひとが声をあげた。
あ、握れる~!!2017122612390000


そのしっかりした握りこぶしに、皆がみとれ、まさに感動の声をあげたひとときでだった。

2017年8月29日 (火)

デイケアに通う

カーブスは辞めてしまったものの、定期的な運動が必要であることは感じていた。プールに通おうかと思ってはいたのだが、家事を手早く片づけることが苦手になっている昨今、一時間に一本のバスを見逃すことも多く、思うように実行できない。

そんなことから、夫のケアマネージャーさんに相談して介護保険適用の通所のデイケアで体操をさせてもらうようになって、一カ月が経過している。それでなくても運動ぎらいのわたしにとって、ドア・トゥー・ドアのお迎えつきというのは、気が向かないことへの億劫さを取り去ってくれるので、ありがたい。

坂の多いこのあたりの高台の頂上付近の住宅地、晴れた日は遠くの山山や富士山までくっきり見渡せる、外国人が居住していたという洋館でのデイケア、午前の部の転倒予防体操は椅子に腰かけたまま、手足をあらゆる方向に動かすという、非常によく考案された運動、みなが号令に声を合わせ、高揚感を高めつつ、励む一時間、これもよかったのだが、午後の部には階上でもう少しハードな、マット運動がある、と聞いて、この二度ほどそちらをためしている。
きのうは女性参加者三人、わたしのほかに、大正生まれの方と、八十五歳の方であったが、かなり厳しい前屈運動をみごとにこなされていた。これも身体のひねり、前屈のヴァリエーション多数、最後は仰向けとうつ伏せで足を屈伸、十分すぎるほど身体を柔軟にする一時間だった。

熱いお茶や、冷たいポカリスエットのサービスがあって、部屋のほぼ中央にある螺旋階段の上り下りには目の行き届いたサポートがあり、ヘルパーさんたちの優しさに感謝する。
運動のまえには、血圧と体温の計測があり、集中力を高めるための、イラストの中の間違い探し、などもして、終わったあとはしばし歓談のあと、マージャンを一時間、階下では、歩行に困難を抱えている方たちが、書道や、塗り絵などをされていたけれど、お仲間と同じことをするという時間を共有する、ゆとりと、抑制、節度が感じられて、認知度のトラブルなどは全くあらわれていなかった。

わたしはこの中で一番若く、ノーマルに近いと感じることは多いのだけれど、いずれは通うことになるかもしれない場所を早めに体験できて、得をしているのではないかとも思う。

足腰に痛みが出るようになって、それまで当たり前にできていた生活がむずかしくなってきたとき、いつも在宅でいなければならないのは、ストレスが生じるものだ。

デイケアのこれからの役割、在り方を十分に考慮していると思われるこの施設には、感動する場面が少なからずある。2017081411490001
(サギ草の鉢植えー初めて見る花、清楚で美しい)


2017年8月22日 (火)

ある消息

同い年の親しい友人に、暑中見舞い代わりの電話をしてみた。

夏風邪をひいたあとが、よくなくて、食欲不振になっているという。
咳がひどくて、夜、横になるととまらないので、ずっと座っていたときもあったそうだ。
夏風邪のひどさは、感情移入できた。わたしも十日前、喉が怪しくなり、マッサージをしてもらって、応急処置しようと思ったのだけれど、予約がとれず、仕方なく、熱いシャワーを喉の痛みの鬼門の場所、背中の肩甲骨の間の上部に当て、そのあと、大判の湿布薬を貼るということを繰り返して、なんとか立ち直ったばかりだったからである。

料理上手なひとなのに、なにもする気がしないで、初めてインスタント食品をいくつか試したと話してくれた。具だくさんの野菜スープにおかゆを入れたら、意外とおいしかったとか、エビワンタンにもおかゆを入れてみたとか・・・
奥沢にスープのおいしい店があると話してみたのだけれど、外食をする気になれない、夜のコンサートも行くのをやめた、というのを聞いて、心配になってきた。

自宅での介護が困難になって、ご主人がホームに入居し、毎日通うのが日課になっている、というのを聞いていたので、食欲不振はストレスからくるものじゃない?と言ったら、ドクターからもそう言われたと語った。

お互い、七十を越すのが大変よね、と、この半年のことを共感しながら、しばらく話し合い、わたしにできることなら、なんでも言ってね、といって電話を切った。

2017年5月16日 (火)

カーブス退会

カーブスにはこの数か月間、月に一、二度出かけるだけで、必要度が少なくなっていた。

膝はよくなったというわけではないけれど、歩くことに支障はないし、要は無理をしないように、すればいいという程度の現状維持状態である。
あのように機械に頼る筋トレで、体重をコントロールすることを目標にしている若い顧客層と異なり、膝、腰を気遣わなければならない高齢者にどの程度効果があるかについての情報をくれるわけではないので、いまひとつ、はっきりしないところに不安がただよいがちである。

そんなとき、わたしの膝をいつも触診して、状態を熟知してくれている、接骨院の医師の、機械に頼る筋トレはコントロールがむずかしく、負担になりやすいからすすめない、という言葉をもっともだと思うようになり、このところ、カーブスに行かなくても体調が安定していることから、このへんが辞めどきかなと達観できるようになった。

今回、単発ではあるが仕事を続ける事態になったし、カーブスへ、すすんで行きたいという気持ちはますます減ると確信したので、きょう、退会の手続きに出向いた。

わたしが、膝や腰に問題があるひとたちへの、情報がほとんどない、と言ったら、店長はちょっと目をそらして、返事をさけ、筋トレしたからこそ、しっかりした部分が、やめることで、またすぐ、元に戻ってしまう、などと脅しめいたことを言ったのだが、わたしはひるまなかった。
カーブスで教えられたストレッチは習慣づけてやってるのよ、と笑顔で応えつつ、手続きをすませる。

それにしても、顧客の一人一人の名前をあれほど、間違えずに覚えられる記憶力は、どういう技からくるのか、それを明らかにならぬまま、一年間が終ってしまったのが少々残念・・・

2017年4月14日 (金)

続、おくる日に

「いいお式だったわね」教会員の友人と話しあいながら帰途についた。住まいが徒歩距離のそのひとと別れたとき、うしろから一人の女性が追いついた。いつか折があったら、ゆっくり話をしたいと思っていた、大学の二年先輩のひとだった。礼拝にはいつもご主人が一緒だったので、話しかけにくかったのだ。

彼女の妹さんとは中高が一緒で大学の科は別だったが、いろいろ接点があった。その妹さんは二年まえ急逝してしまった。そのことについても話したかったのだが、わたしの中学からの大親友だったひとがお嬢ちゃんを附属の幼稚園に入園させてまもなく急逝してしまったとき、さっき追いついたその彼女のお嬢ちゃんも同じ幼稚園だったことから、車での送り迎えをずっと援助されていたことを、聞いていたので、そのことにも、感謝の気持ちをあらわしたかったのだ。

わたしたちは、どちらから言いだしたのでもなく、しぜんに、お昼を一緒にしましょうということになって、駅中のベーカリーに入った。
そういえば、その場所は故人のお気に入りの場所でもあった。最後に見かけたときの彼女は、教会のお葬式が重なったので、婦人会長として、義務を果たさなければならず、本当に疲れたと言っていた。あのときのこわばった表情は今でも目に焼き付いている。

わたしたちはいろいろなことを話した。お互いの共通の話題には、不思議と必ず故人が登場した。大学生活のこと、親戚のうちから通っていた故人は薪でお風呂をわかすような生活をしていて、苦労もあったが、いつもほがらかで、教会生活や、自ら選んでかちとった就職先の日常などが、本人以外の人の口から語られる今だからこそ、よりあざやかに浮かびあがった。

わたしたちのお互いのことも飾らず、ありのままの自分のことが話せる雰囲気のままに、教会生活で出会う困難のことも語ることができて、話し合ったあとは、なんとも言えない心の安らぎを感じた。

「これも彼女のお引き合わせなのでしょう」それが共通の感想だった。

生前、そのひとのことを知りたかったのに、そのチャンスに恵まれなくても、そのひととかかわったひとの生活を知ることから、直接本人と語りあうよりもっと、強烈に故人のイメージが描かれることもある、そのことを、まるで故人がプランしてそうさせたような巡りあわせを、実感した忘れがたいひとときであった。

2017年4月13日 (木)

おくる日に

願わくは、花の下にて、春死なむ、という西行のうたを実現したような、友の訃報であった。
前日教会の婦人会で会ったばかりだったので、すべての会員に衝撃が走ったと思う。

大学の同窓であると知ったのは四年前、洗礼を受けたあとのことで、大学時代は科も違うので、出会ったこともなく、未知のひとだった。
彼女はすでにこの教会員として五十数年、多くのひとの信望も厚く、まぶしい存在であって、羨望を感じた。
独身を通した彼女はキリスト教系の団体でキャリアを得、外国にも歴訪し、楽器を弾く趣味もあり、恵まれたホーム暮らしをしていた。
死因は誤飲からくるものだったらしいが、同い年のわたしも近頃、よくむせたり、なにも食べていないときでも、長電話の途中で突然咳き込んだりする。自分に同じようなことが起きても不思議ではない、同年齢なのである。

訃報を聞いてすぐに思ったのは、大学の同級生に知らせたほうがいいのではないか、ということだった。婦人会の幹事に了解を得て、大学の名簿をたどり、名前を憶えていた附属出身のひとに電話した。「そのひと、知らないから・・」という応えに、驚きもしたが、卒業後六十年近くでは、そういうこともあろうかとも思い、次のひとへ・・・「うち、今大変なの、夫が胃がんで、娘が乳がんで・・」という返事で、また次のひとへ。今度は「確かに承りました。責任をもってお知らせします」という応えにようやく安堵。

葬儀の日は久しぶりの晴天で、教会近くの桜並木は見事に名残りの花を咲かせていた。
礼拝堂が満員になるほどの参列者、讃美歌の選択もよく、パイプオルガンが美しく鳴り響いた。お説教も故人とのエピソードが語られ、感動をさそった。

大学の同級生は十人近くが来てくれていて、みなわたしを探し、手をとって「よく知らせてくださいました」と言ってくれた。
「棺にお花を供える最後のお別れがあります」と言ったのだが、「いいわ、可哀そうだから、見るのがつらい・・・」と応えたひとの気持に同感するものがあった。
ご主人とお嬢さんが癌をわずらっている、と言った同級生まで来ていて、事情を説明してくれた。
なんだか、大学魂がよりそった気がした。(続く)

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