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カテゴリー「心と体」の100件の記事

2017年8月29日 (火)

デイケアに通う

カーブスは辞めてしまったものの、定期的な運動が必要であることは感じていた。プールに通おうかと思ってはいたのだが、家事を手早く片づけることが苦手になっている昨今、一時間に一本のバスを見逃すことも多く、思うように実行できない。

そんなことから、夫のケアマネージャーさんに相談して介護保険適用の通所のデイケアで体操をさせてもらうようになって、一カ月が経過している。それでなくても運動ぎらいのわたしにとって、ドア・トゥー・ドアのお迎えつきというのは、気が向かないことへの億劫さを取り去ってくれるので、ありがたい。

坂の多いこのあたりの高台の頂上付近の住宅地、晴れた日は遠くの山山や富士山までくっきり見渡せる、外国人が居住していたという洋館でのデイケア、午前の部の転倒予防体操は椅子に腰かけたまま、手足をあらゆる方向に動かすという、非常によく考案された運動、みなが号令に声を合わせ、高揚感を高めつつ、励む一時間、これもよかったのだが、午後の部には階上でもう少しハードな、マット運動がある、と聞いて、この二度ほどそちらをためしている。
きのうは女性参加者三人、わたしのほかに、大正生まれの方と、八十五歳の方であったが、かなり厳しい前屈運動をみごとにこなされていた。これも身体のひねり、前屈のヴァリエーション多数、最後は仰向けとうつ伏せで足を屈伸、十分すぎるほど身体を柔軟にする一時間だった。

熱いお茶や、冷たいポカリスエットのサービスがあって、部屋のほぼ中央にある螺旋階段の上り下りには目の行き届いたサポートがあり、ヘルパーさんたちの優しさに感謝する。
運動のまえには、血圧と体温の計測があり、集中力を高めるための、イラストの中の間違い探し、などもして、終わったあとはしばし歓談のあと、マージャンを一時間、階下では、歩行に困難を抱えている方たちが、書道や、塗り絵などをされていたけれど、お仲間と同じことをするという時間を共有する、ゆとりと、抑制、節度が感じられて、認知度のトラブルなどは全くあらわれていなかった。

わたしはこの中で一番若く、ノーマルに近いと感じることは多いのだけれど、いずれは通うことになるかもしれない場所を早めに体験できて、得をしているのではないかとも思う。

足腰に痛みが出るようになって、それまで当たり前にできていた生活がむずかしくなってきたとき、いつも在宅でいなければならないのは、ストレスが生じるものだ。

デイケアのこれからの役割、在り方を十分に考慮していると思われるこの施設には、感動する場面が少なからずある。2017081411490001
(サギ草の鉢植えー初めて見る花、清楚で美しい)


2017年8月22日 (火)

ある消息

同い年の親しい友人に、暑中見舞い代わりの電話をしてみた。

夏風邪をひいたあとが、よくなくて、食欲不振になっているという。
咳がひどくて、夜、横になるととまらないので、ずっと座っていたときもあったそうだ。
夏風邪のひどさは、感情移入できた。わたしも十日前、喉が怪しくなり、マッサージをしてもらって、応急処置しようと思ったのだけれど、予約がとれず、仕方なく、熱いシャワーを喉の痛みの鬼門の場所、背中の肩甲骨の間の上部に当て、そのあと、大判の湿布薬を貼るということを繰り返して、なんとか立ち直ったばかりだったからである。

料理上手なひとなのに、なにもする気がしないで、初めてインスタント食品をいくつか試したと話してくれた。具だくさんの野菜スープにおかゆを入れたら、意外とおいしかったとか、エビワンタンにもおかゆを入れてみたとか・・・
奥沢にスープのおいしい店があると話してみたのだけれど、外食をする気になれない、夜のコンサートも行くのをやめた、というのを聞いて、心配になってきた。

自宅での介護が困難になって、ご主人がホームに入居し、毎日通うのが日課になっている、というのを聞いていたので、食欲不振はストレスからくるものじゃない?と言ったら、ドクターからもそう言われたと語った。

お互い、七十を越すのが大変よね、と、この半年のことを共感しながら、しばらく話し合い、わたしにできることなら、なんでも言ってね、といって電話を切った。

2017年5月16日 (火)

カーブス退会

カーブスにはこの数か月間、月に一、二度出かけるだけで、必要度が少なくなっていた。

膝はよくなったというわけではないけれど、歩くことに支障はないし、要は無理をしないように、すればいいという程度の現状維持状態である。
あのように機械に頼る筋トレで、体重をコントロールすることを目標にしている若い顧客層と異なり、膝、腰を気遣わなければならない高齢者にどの程度効果があるかについての情報をくれるわけではないので、いまひとつ、はっきりしないところに不安がただよいがちである。

そんなとき、わたしの膝をいつも触診して、状態を熟知してくれている、接骨院の医師の、機械に頼る筋トレはコントロールがむずかしく、負担になりやすいからすすめない、という言葉をもっともだと思うようになり、このところ、カーブスに行かなくても体調が安定していることから、このへんが辞めどきかなと達観できるようになった。

今回、単発ではあるが仕事を続ける事態になったし、カーブスへ、すすんで行きたいという気持ちはますます減ると確信したので、きょう、退会の手続きに出向いた。

わたしが、膝や腰に問題があるひとたちへの、情報がほとんどない、と言ったら、店長はちょっと目をそらして、返事をさけ、筋トレしたからこそ、しっかりした部分が、やめることで、またすぐ、元に戻ってしまう、などと脅しめいたことを言ったのだが、わたしはひるまなかった。
カーブスで教えられたストレッチは習慣づけてやってるのよ、と笑顔で応えつつ、手続きをすませる。

それにしても、顧客の一人一人の名前をあれほど、間違えずに覚えられる記憶力は、どういう技からくるのか、それを明らかにならぬまま、一年間が終ってしまったのが少々残念・・・

2017年4月14日 (金)

続、おくる日に

「いいお式だったわね」教会員の友人と話しあいながら帰途についた。住まいが徒歩距離のそのひとと別れたとき、うしろから一人の女性が追いついた。いつか折があったら、ゆっくり話をしたいと思っていた、大学の二年先輩のひとだった。礼拝にはいつもご主人が一緒だったので、話しかけにくかったのだ。

彼女の妹さんとは中高が一緒で大学の科は別だったが、いろいろ接点があった。その妹さんは二年まえ急逝してしまった。そのことについても話したかったのだが、わたしの中学からの大親友だったひとがお嬢ちゃんを附属の幼稚園に入園させてまもなく急逝してしまったとき、さっき追いついたその彼女のお嬢ちゃんも同じ幼稚園だったことから、車での送り迎えをずっと援助されていたことを、聞いていたので、そのことにも、感謝の気持ちをあらわしたかったのだ。

わたしたちは、どちらから言いだしたのでもなく、しぜんに、お昼を一緒にしましょうということになって、駅中のベーカリーに入った。
そういえば、その場所は故人のお気に入りの場所でもあった。最後に見かけたときの彼女は、教会のお葬式が重なったので、婦人会長として、義務を果たさなければならず、本当に疲れたと言っていた。あのときのこわばった表情は今でも目に焼き付いている。

わたしたちはいろいろなことを話した。お互いの共通の話題には、不思議と必ず故人が登場した。大学生活のこと、親戚のうちから通っていた故人は薪でお風呂をわかすような生活をしていて、苦労もあったが、いつもほがらかで、教会生活や、自ら選んでかちとった就職先の日常などが、本人以外の人の口から語られる今だからこそ、よりあざやかに浮かびあがった。

わたしたちのお互いのことも飾らず、ありのままの自分のことが話せる雰囲気のままに、教会生活で出会う困難のことも語ることができて、話し合ったあとは、なんとも言えない心の安らぎを感じた。

「これも彼女のお引き合わせなのでしょう」それが共通の感想だった。

生前、そのひとのことを知りたかったのに、そのチャンスに恵まれなくても、そのひととかかわったひとの生活を知ることから、直接本人と語りあうよりもっと、強烈に故人のイメージが描かれることもある、そのことを、まるで故人がプランしてそうさせたような巡りあわせを、実感した忘れがたいひとときであった。

2017年4月13日 (木)

おくる日に

願わくは、花の下にて、春死なむ、という西行のうたを実現したような、友の訃報であった。
前日教会の婦人会で会ったばかりだったので、すべての会員に衝撃が走ったと思う。

大学の同窓であると知ったのは四年前、洗礼を受けたあとのことで、大学時代は科も違うので、出会ったこともなく、未知のひとだった。
彼女はすでにこの教会員として五十数年、多くのひとの信望も厚く、まぶしい存在であって、羨望を感じた。
独身を通した彼女はキリスト教系の団体でキャリアを得、外国にも歴訪し、楽器を弾く趣味もあり、恵まれたホーム暮らしをしていた。
死因は誤飲からくるものだったらしいが、同い年のわたしも近頃、よくむせたり、なにも食べていないときでも、長電話の途中で突然咳き込んだりする。自分に同じようなことが起きても不思議ではない、同年齢なのである。

訃報を聞いてすぐに思ったのは、大学の同級生に知らせたほうがいいのではないか、ということだった。婦人会の幹事に了解を得て、大学の名簿をたどり、名前を憶えていた附属出身のひとに電話した。「そのひと、知らないから・・」という応えに、驚きもしたが、卒業後六十年近くでは、そういうこともあろうかとも思い、次のひとへ・・・「うち、今大変なの、夫が胃がんで、娘が乳がんで・・」という返事で、また次のひとへ。今度は「確かに承りました。責任をもってお知らせします」という応えにようやく安堵。

葬儀の日は久しぶりの晴天で、教会近くの桜並木は見事に名残りの花を咲かせていた。
礼拝堂が満員になるほどの参列者、讃美歌の選択もよく、パイプオルガンが美しく鳴り響いた。お説教も故人とのエピソードが語られ、感動をさそった。

大学の同級生は十人近くが来てくれていて、みなわたしを探し、手をとって「よく知らせてくださいました」と言ってくれた。
「棺にお花を供える最後のお別れがあります」と言ったのだが、「いいわ、可哀そうだから、見るのがつらい・・・」と応えたひとの気持に同感するものがあった。
ご主人とお嬢さんが癌をわずらっている、と言った同級生まで来ていて、事情を説明してくれた。
なんだか、大学魂がよりそった気がした。(続く)

2017年4月 3日 (月)

二本杖の効用

夫の『ポールウオーキング』の日はあいにく雨ふりで、文化センターの体育館に50名集合、太田区長や消防署長なども招かれているというイベントであったという。

・・来賓の話が長くってさ、そのあいだ、立たされてるわけだろう? 疲れちゃったよ・・それでやっと始まったはいいけど、延々と歩かされて、ただ歩いてるだけじゃ、つまらないから、シリトリしましょう、なんて言われてさ、スズメ、メガネなんて言いながら、歩いてたら、もうやんなっちゃってさ・・・
シリトリ言わされながら慣れない歩きをさせられている夫を想像して、吹き出しそうになったが、わたしは心から同情した。

参加者は圧倒的に六十代と七十代だそうだから、夫などは最年長だったのだろう。
ポールを使うのは歩きにくいことがわかったとかで、彼はこれまでの杖とわたしがアマゾンで買った杖との二本を使用するようになった。安定感の良さは実感したということだろうか。

そして、もう一つ新しく買ったものがバックパック、蒲田で着脱が楽な紐の細い、とても形のよいリュックを買ってきて近頃その出で立ちで、図書館などに出かけている。

もうポールウオーキングのイベントにはいかないと言っているが、ケアマネージャーさんのすすめもあって、出かけたことは、ともかくも、よい変化をもたらしたように思う。

2017年3月21日 (火)

デパートの効用

最近、起床したときに、膝はもちろんだが、腰や股関節にまで違和感があるのが気になっていて、接骨院で相談したら、ベッドのマットレスの上に体圧を分散させるマットを敷いてみては、と提案され、早速購入することにきめた。

こればかりは実際に寝てみて実感してみたいと思い、二子玉川にでかけた。RISEに、寝具の店もあるのだが、そこでは横になって体験させてもらえなかったので、高島屋のSCに確か、西川があったのを思い出し、行ってみたのだが、見つからない。
結局高島屋の寝具売り場で、実際に寝てみてください、と体験させてもらえて、二枚のうちの一枚が格段に寝心地がいいのを背中がキャッチしたので、これって、どこの?と訊いたら、なんと西川の商品だったのである。SCの店が閉めたあと、高島屋が販売をすることになったらしい。
わたしの予算以上、三万円を超す高い買い物だったが、残された余生の三分の一以上を越す睡眠時間を快適にするためなら、安いと思うことにして、購入を決めた。

二週間後のいま、寝つきの悪さがまったくなくなり、朝は膝以外の違和感はまったくなくなった。
膝もいったん起きだしてしまえば、スタスタとあるける。あとは調子に乗らないで、無茶な外出を少なくすることだろう。ま、年相応の状況なのではないか。

もうひとつ、久しぶりのデパートで収穫があった。「味百選」という催事があって、そこで京都「なり田」の漬物の中にフキノトウを見つけたのだ。京都の漬物店は二店出ていたが、試食して比べて、ここに決めた。ちょうど、お礼をしたいと思っていた同年齢の友人二人にも、しば漬けと、フキノトウをセットにして送ることにした。そこの店員、親切で、ここから送るより、郵便局で送ったら、ずっと安く済むよ、などと教えてくれるのである。

友人二人からは狂喜のような礼状がすぐに来た。やはりわたしたち世代は旬ということに、ことのほか敏感であるのを共有しているのだ。


2017年1月19日 (木)

尾籠な話

新年半ばにしてトイレ籠りの一日、これまで三日目には出るべきものが出るというのが通例だったのに、なぜか四日目でもだめ、その道にかけては大いなる経験者の夫にうったえると、そんなの、普通さ、いざとなりゃ、これのめば一発、と、スルーなんとかいうピンクの錠剤をくれた。
でも、ネットで検索すると薬に頼るのは絶対よくない、とある。

難産の末、破片状ものものを少し排出したので、報告すると、彼いわく、フタがとれりゃ、いいのさ、あと中ブタ、そしてご開通だよ。
その彼、去年の年末、わたしと同じ悩みが五日も続いて、腹痛もあり、あいにく、愛用のスルーなんとかが切れていて、ホームドクターに相談すると、病院で浣腸が一番だけど、とりあえず、ともかく薬とりにくるように、ということで氷雨の中、わたしがとってきて、座薬とのみぐくすりを与えたものの、一晩では効かず、往生したことがあった。

入院には至らなかったけれど、わたしは両母親の摘便なるものを経験しているので、こういう状況になるのが怖い。

不安をかかえたまま、近所の同年齢三人の女子会へ。二人に訊いてみようと、それとなく、夫の状況レポートから、始めてみたら、そのうちの一人、もうコーラックというのを、十年近くのんでいるのだが、最近の検診で、やはり、大腸検査をした方がいいと言われ、予約したという話をしてくれた。その大腸検査の経験者のもう一人が、あれが大変なのよ、と話しだして、話題が違う方向になったけれど、貴重な情報が得られて、ちょっとほっとする。

ほっとしたせいか、帰宅したら、中ブタ、ご開通と順調なコースがたどれて、やれやれ。

わたしはせっかちでそれを身体にも要求してしまうのだけれど、身体は待て待て、というように、諭してくれる。

夫の助言もありがたく、友人の経験談もありがたく、そして身体にも感謝の一日であった。

2016年8月 8日 (月)

近況報告

食欲不振はまだ完治していない。
パン類が食べたくなくなった。ご飯のおかずの醤油味がいやだったりする。コーヒーも飲みたくない。
まるでつわり状態。
朝食は、バナナにミルクかけてシナモンふり、それだけ、という日もあった。
間食というのもまったくしなくなった。甘いものが食べたいと思わない。
ダイエットをして体重を落とすのはむずかしいが、いまの状態、自然に減量できてニキロ減った。ひざは喜んでいるだろうと思う。
でもなんだか気分が高揚しない。
やはり食べ物がおいしくなければ、生きている喜びがない。
ビールも枝豆もお呼びではなく夏の楽しみにもそっぽである。
一体、なんなんだろうこれは?
くわしい血液検査の結果は悪くなかった。水分をたっぷりとって、疲れることをしないように。と医師に言われる。
自分の好きじゃないことを自分に課している。筋トレ、週二回、水泳一回、身体を動かすこと大嫌いなのに、ウツみたいになっているのかも・・などとも思う。

同世代の友人たちに暑中お見舞い代わりと称して電話で長話。ずいぶん、情報を得た。
一年ぐらい、わたしと同じような状況が続いたという同級生。
>栄養取らなきゃダメだからね。あたしが好んで食べたのは鯛茶、いいタイの刺身少しだけ買ってきて、ゴマふって、三つ葉散らしてお出汁かけて、かきこむのよ。そしてそのあと、小カップ汁粉食べて、御抹茶飲む、これって合うよぉ~。
なるほど、これなら食べられそうだけどまだ実行していない。

夏は大の苦手という避暑名人の友人は、やはり食べ物まったく受け付けないときがあったそうで、
>その症状はね、たぶん、機能性ディスペプシアだわ。
ネット検索したら、高齢者のよく陥る症状、その項目はどれもがわたしのとピッタリ同じ。
でも、ま、時期がくれば治るらしいので、ちょっと安心。

やはりパンやサンドイッチが食べたくなくなっていると話してくれた、七つ年下の友人、
>朝、パンが食べたくなくなったので、ご飯炊いて玉子かけ御飯にしたら、食べられました・・・
なるほど、これはよさそう、と膝を打ったのだけど、彼女のイタリア旅行のお土産のチーズとアプリコットジャムがあまりにおいしいので、なんとパンが食べられるようになってきて、玉子かけごはんの出番はまだない。

2016年7月12日 (火)

スイミングスクール跡地が病院に

多摩川の東急スイミングスクールが移転し、旧施設の解体工事がおよそ半年かかって終了、跡地に、田園調布中央病院が建つことが正式に提示された。

跡地には二子玉川行と国立医療センター行き発着のバス停があり、バスや多摩川の駅は頻繁に利用するわたしは、その工事の一部始終をずっと見守ってきたという思いがある。
いかに老朽化したとはいえ、鉄筋の建物を解体するのにどれほどの労力を要するものか、如実に実感した。ガレキになったものを更に砕き、その砕いた破片にひそむ鉄線まで抜き取るという作業を機械がするとはいえ、運搬の気配り、作業の目配り、費やされた労力のすごさは並大抵ではなかった。ガレキが撤去されたあとも、プールのあった、凹凸の激しい場所だから、盛り土など、整地にも相当な人力と時間を要した。
きれいに更地となった4600平方メートル以上の広大な場所を眺めるたびに、かかわった人々一人一人にねぎらいの言葉をかけたくなってくる。

地盤が整えられるということは当然だとされ、一番目立つ、設計家のプランや建築工事の仕上がりより、評価はされないのかもしれないが、実はこの整地の作業が一番認められてしかるべきものではないか、と、そんなことさえ感じたりした。

東急スイミングスクールでわたしは泳ぎを習得した。いまから三十年以上も前のことだ。
大病もせず、ここまで生きてこられたのは、水泳の効果大だったと思う。

田園調布中央病院にもずいぶんお世話になっている。十年まえ、左足の甲を骨折したとき、整形にかかったし、眼科にはいまも通院している。胃カメラの技術には定評があるので、これも三度ぐらい経験した。

人生で一番大切な健康面を助けられた二つの施設の場所がいま、合致したことに、感慨ひとしおである。

地上四階地下一階の建坪2000余平方メートルの病院が完成するのは二年先、どのように病院が建ちあがっていくのか、また通りすがりに見守っていけるように、それまで元気で生きていたいと願う。


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