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カテゴリー「心と体」の132件の記事

2022年12月11日 (日)

耳石はおさまったのか?

11月はとうとう一度も泳がなかった。そのせいか、めまいのリハビリ体操がキツイことも加わってか、肩凝りがひどくなり、マッサージをしてもらっても、楽にならず、すぐまた凝りが出てくる。やはり、泳がなくてはだめだ、と思った。まだ六十代のとき、八十の人が泳いでいるのを知って、なにそれ!、そんなおばあさんが?と思ったのに、わたしは今、そんなバアサンなのである。緑が丘プールが工事中だから、碑文谷のプールに行くことにした。洗足から渋谷行きのバスに乗って四つ目、円融寺前、というところから徒歩4分、碑小学校隣接の建物の四階、立派なプールである。水深も1.1メートルだから、水量も多く、泳ぎがいがるというものだ。30分、歩きとクロールと、バックを繰り返し、めまいも起きず、耐えられた。

でもあのすさまじいめまいの経験は忘れられない。それがまた襲ってきたら、大変だから、リハビリ体操を続けている。そうするとまた肩が凝ってくる。

12月はコンサート予定が続いていて、ついに、アムランのピアノの前は、パソコンの文字がゆらゆらしてきて、危うい感じがしてきた。薬をのみ、出かける寸前もリハビリをして万全の用意、なんとか大丈夫だった。音楽は癒しである。アムランのその日の曲目、葬送行進曲はちょっと不吉な予感がしたけれど、彼の演奏は短調から長調への変換がこの上なく美しく、強く響かせてくれるので、不幸は起こらないよ、と励ましてくれるよう気がした。

きょうはバッハのカンタータ、これも大田区の小さなホールであったのだが、超満員、アドベントの時期ぴったりの曲目、歌手も、メゾソプラノとテノールとバスバリトンが著しく抜きんでて、満足した。音楽は本当に癒しである。あと来週、『ドンジョバンニ』が控えている。またリハビリに励まなければ…でも最悪の事態は過ぎたような気がする。耳石はおさまってくれたのかもしれない。

ブリッジの昔のパートナーが、クリスマスにやらない?と誘ってくれたのだが、残念ながら、とめまいのことを話した。なんと、彼女もつい最近までフアフアめまいの症状があって、ずっとリハビリ体操をしていたのだそうで、『めまいは自分で治せる』という本をぜひ読むようにとすすめてくれた。さっそくアマゾンで購入、まず衝撃的だったのは、めまい専門医が圧倒的に不足している現状と、耳鼻科医でもめまいを勉強したひとは非常に少ないという事実で、その意味では、セカンドオピニオンで良性発作性頭位めまい症を言い当て、リハビリ療法の詳細を示してくれた医師とめぐりあったことはとてもラッキーであり、しかも、そこにたどり着いた自分も、賢明であったといえよう。

あの忘れられない異変はリハビリを始めると一時的に増悪する症状がでるのはごく普通の、通り抜けなければならない山道のような行程であったとわかり、納得もいったのであった。

2022年11月26日 (土)

その後10日間が過ぎ…

あの強烈なめまいと吐き気に襲われた日から、三種の運動療法に励んだ。

  • 身体全体でゆっくりと左右にねがえりをうち、寝返った位置で一呼吸とめるをくりかえす。
  • ベッドに寝て起き上がる動作を繰り返す。寝起きの際、二、三秒そのままの位置でとまる。
  • 床を向く、天井を向く運動を、身体全体を使ってゆっくり繰り返す。床や天井をみるとき、ひと呼吸とめる。

このセットを一日に数回以上試みた結果、現在めまいも吐き気も起きていない。

でも体操疲れなのか、だるさのベールにが身体全体を覆っているかのような違和感を感じることが頻繁になったので、いつも出掛けるマッサージより、ちょっと高価な一対一の完全予約マッサージを二度ほど、受けた。私の話を聞くなり、施術師のひとが、そういう人多いみたいですね、四人いましたよ、と言った。

 

きのうの午後は久しぶりに、ブリッジゲームに出かけたのだが、途中で発作が起きたら大変なので、薬をのもうか、どうしようか、と迷った。薬を飲んで、モウロウとして、ゲームに影響がでたら、困るので、薬局に電話して確かめた。薬剤師のひとはブリッジなど知らないので、状況説明に困ったのだが、彼女は外出のときは朝、昼、晩と飲まれている人が多いですよ、と言うので、ともかく一錠ポケットに忍ばせ、水を持参し、なんとなく、ぼんやりしてきたときに、思い切って服用した。幸い、上級パートナーがつきあってくれたおかげで、二位になれて、高揚感が得られたせいか、集中力を消耗した後遺症はなく、やれやれの一日であった。

 

晩御飯は手抜きで、夫にはローソンのカツどん、わたしは前の晩のチヂミの残りと、納豆ごはん、でもデザートにケーキは昼間焼いてあったので、夫はゴキゲンで、不平はなかった。

2022年11月20日 (日)

異変が…

私だけの日の最後は、翌日帰ってくる夫のために彼の好みのケーキを焼き、ブログの記事を更新し、録画してあった、今一番ハマっているデンマークのドラマ「フォロー・ザ・マネー」を観て満足し、久しぶりにカリフラワー、キューリ、人参のピクルスもつくった。

昨日の耳鼻科でもらった資料に記されていた体操もしてみたが、慣れれば、それほど苦になるものではないとわかり、ちょっと安心した。

夜は十六雑穀米入りごはんと、自家製豚汁、人材センター派遣のNさんがいつもお掃除のときにもってきてくれる手作りの煮物をおかずに、食べたのだが、あんまりおいしいので、珍しくご飯をお代わりしてしまってちょっと食べすぎたかな、という不安はよぎった。

 

異変が、九時過ぎ突然襲った。

吐き気のような気分の悪さがあって、ベッドに横になる、だがそれが次第に強くなってトイレに向かおうとしたのだが、天井が揺れるような激しいめまいで、こけつまろびつ状態、やっとのことでトイレにたどり着き、便器にすがる。

何年ぶりかの激しい嘔吐だった。

一度ベッドによろめくように戻ったが、ふたたび、悪心強く、またトイレに二度目の嘔吐、よくこれほどのすさまじさで、食べたものの逆流が起きるものだと、頭の奥で思いつつ、発作に耐えていた。これは尋常ではない、死期に向かっているのかもしれないとも思った。

息子は三日間ごはんいらないよ、と出かけたきりだし、娘は仕事、スマホのところにもたどりつけない。緊急を知らせるのがこれほど難しいとは…

ともかく、昨日もらった、錠剤をのまなければ、けれどもすべての薬を入れているバスケットまで到達不能なほどに、すさまじいめまいはおさまらないままだった。

ようやく吐き気はおさまったので、薬の場所にたどり着き、いつもそばにおいてある水のいれものから、水を含んで、何とか一錠のむ。

目が覚めたときは、まだ夜で、キッチンから音がしていたので、思わず、息子の名を呼びながら、助けて~と叫んだ。「もう、一時半だよ」と言いながらも、彼は手早く後始末をしてくれた。

 

翌日耳鼻科に電話した。医師はそんなのは当たり前のような返事をして、吐き気もめまいの可能性もまだ残っているから、ともかく毎日体操すること、それによっては一週間で治ることもある、これまで同じ姿勢ですることをあまりにも多くしていたツケが来ているものを覚悟して、励んでください、と言われてしまった。

 

2022年11月 8日 (火)

耳つまみのこと

数年前、突発性難聴になったとき、ネットで検索した、耳のマッサージを実行して聴力を取り戻した、と思い込んでいたのだが、その時印刷したコピーを探していたのがようやく見つかり、実際にはマッサージではなく、「耳つまみのやり方」であったことが判明した。

耳鳴りを招くメニエール病、突発性難聴が「耳つまみ」で改善すると耳鼻科医も推奨、という見出しである。

「耳つまみ」のやり方でネット検索すると、まだこの記事が出てくるので、興味のある方はそれをご覧になればいいと思うのだが、ここで簡単にそのつまみ方をご紹介したいと思う。

1.耳たぶの後ろをつまむ。耳たぶの後方にある骨の出っ張りの下部分(少しへこんでいるところ)の皮膚を、親指と人差し指で軽く10回ぐらい、二秒ずつ、つまみ、放すを続ける。

2.人差し指の第一関節の半分ぐらいを耳の穴に入れ、親指で耳の外側を挟むようにして、軽く五回引っ張り、戻しを繰り返す。

3.耳の前側(顔に近いところ)上、中、下を三か所つまみ、放すを、五回ぐらいくりかえす。

4.耳を3方向に引っ張る。とがっている頂点、耳穴の高さ、耳たぶの後方の三か所を親指と人差し指でつまみ、三回引っ張る。

聴力が飲み薬で治るはずがない。大切なのは、血流をよくすることだ、と信じて続けた耳つまみであった。

あと一週間後に、予約がある。それまでに、聴力が回復しているように、とは願うが、今回は左の聴力が衰えているのを感じつつ、このつまみをあまり実行していなかった、怠惰な自分を意識している。

夫のショートステイが決まった今、ストレスはかなり軽減している。何とかもう一度元の自分に戻れるだろうか、あきらめ半分の自分もある。

 

2022年8月29日 (月)

メガネ騒動

久しぶりに読書をしていた。文庫本ではなく、単行本だったので、字も大きく,改行も多い、読みやすい本だったのだが、どういうわけか、二ページに一度ぐらい、字がぼやける。

これはただ事ではない。

夏前に眼科の定期検査を受けたときは、白内障の心配はまったくない、と言われたのだが、字がぼやけるのは白内障の特徴である。夏の暑さに弱いわたし、今年の暑さは湿度もひどく、耐えがたい日が続いた。身体の衰弱度が増しているのは自覚していたが、いよいよ来るときが来たのか?

ドキドキしながら眼科に行った。かれこれ三十年以上もお世話になっている医師の診断は?

症状を述べ、宣告を待つ覚悟で恐る恐る首を上げると、先生はいつもと変わらぬ声音で静かに言われた。ぼやけるのはレンズの問題でしょう。

えっつ?そういえば、読書用メガネだからと、安心しきって、レンズはもう数年以上変えていない。よかった!手術という文字を今の時期、すご~くコワがる単純細胞の、不安はあっけないほど瞬時に消え去った。

翌日、いつもの眼鏡店を目指す。そこで購入したメガネ、取り落としたせいでゆがんでしまったのをついでに直してもらうつもりでケースに入れ、遠近はほかの眼鏡店で新調した赤いメガネをかけ、読書用と、念のためパソコン用もケースに詰め、ぼやけ具合を証明するために単行本までも入れた重たいリュックをしょって、雪が谷に向かった。ほかの美容院でカットしたときに感じるやましさと似たような気分で、あのあまり愛想のよくない、それでいてレンズの調整が抜群に上手な店主と顔を合わせるバツの悪さを想像しつつ店に着いた。

 ドアが閉まっており、張り紙がしてあった…当分休業します。

 いつ出かけても客の少ないのが気がかりではあった。もしかして閉店するのかも…

さて、どうしよう?この店を見つけるまえに利用していたもう一軒の老舗に行ってみた。そこも張り紙がしてあって、休業日、木曜日、なんとツイていない日だ。これで今日の歩数は400歩ぐらい増えた。

 それでもあきらめられなかった。あとは表通りのチェーン店「メガネスーパー」、ここを一度レンズ交換で利用したことがある。レンズ交換だけだから、少しでも安いところを、と思って、値段を確かめたら、思ったほど安くなかった。それでも頼むことにしたのは接客が確かだったからである。記憶のよみがえり方が遅くなったのは、あれから数年たっているからだ。店員は女性一人だけで、うっすらとだが、見覚えがあった。あのときのひとだ。

 まず曲がってしまったメガネの調整は、細い金属がもしかすると折れてしまう懸念もある、それを承知で頼まれますか?と念をおされてから、十分ぐらい待たされたあと、汚れていたメガネはピカピカになって、ゆがみは見事に直っていた。現在読書用にしているメガネのフレームのほうがむしろ危ういというのが彼女の見立て、正しい。そのフレームは十数年まえ、アムステルダムで買ったもの、年数からいって、ゆがみを直してもらったほうが新しく、しっかりしているのは確か、結局それを使って読書用にすることが決まった。

単行本を持ってきたのは正解だった。そのページをめくりレンズを数種類以上、交換する作業が見事だった。ここにたどり着いてよかった、注文を終え、帰宅してから、「メガネスーパー」の評判をネットで調べた。

 「安売り」と決別しても廃業しなかったのは接客が磨かれているからである、シニアの固定客の支持が多い云々、私は今日、それを実感できた。

2022年7月16日 (土)

変化する食事情

食いしん坊のわたしは、おいしいものは自分の料理と自信を持っていたし、樋口恵子さんが「老いの福袋」の中で主張されているような、料理が面倒になったら「調理定年」を、というような状況はまだ先だとたかをくくっていたのだが、このところ状況が変わってきた。偏食の夫と、偏食なしの息子と私の三人が美味しいと食べられるメニューを考えるのがしんどくなってきているのである。

この二、三日は涼しい日が続いているが、酷暑の日はもう何もするのもいや、叫びだしたくなるくらい億劫、それをじっとこらえて、一番手のかからない、目をつぶってもできるようなものをつくったのに、いつもの自分の味にならない、というような事件が起きてからは、生活に関する全自信を失いそうになっている。

ポークボールトマト煮は、豚ひきに、ミルクに浸したパン粉少々、玉子一つ、パプリカパウダー、塩コショウでよくこね、小ボールにまとめて、小麦粉をまぶし、オリーブオイルで焼く。そこまでをしておいて、あと付け合わせのマッシュポテト、コーンとグリーンピースの、バター炒めなど用意したところで、予約したマッサージに出かけた。息するのも苦しいくらい肩パンパン、それを30分ほぐしてもらい、ベーカリーに立ち寄り、大きめクロアッサンとゴボウサラダ買って帰宅。六時過ぎていたので、ポークボールにもう一度火を通して、ブイヨンとトマトペーストを混ぜて、その中で煮る。味見したら、何かが違う。スープに酸味が出ていてまろやかでない。いつもの私の味ではないのだ。そうか、ワインを入れればいいんだ、と赤ワインとちょっぴりシェリーまで加えた。それでも、よし、とうなずける味にならない。ワインはミートボールを焼いているときに加えるか、こねているときに加えるかした方がよかったか、または、すでに煮込んでからマッサージに行くべきだったか、とも思ったりしたが、すでに遅しである。

夫はおいしかったよ、と言ってくれたし、息子も少々多すぎるのでは、と思ったほどの残りをきれいに完食していたが、わたし自身は、以前の味と違ったような後味が、寂しく思われた。

デイサービスで夫の体重値が少し下降しかけているというので、高齢者の体重減少というのを調べてみたら、カロリー過剰や、偏食にこだわるより、ともかく何かで寝付いてしまうことが起きても、筋力や体力があれば、回復が早く、危ぶむことが少なくなるので、カロリーの高いもの、たとえば、ハンバーグとかアンドーナツとかを積極的に食べさせたほうがいい、という医師の談話を読んで、これだ、と思った。

ハンバーグは以前得意だったが、いまは苦手になってしまった。息子に冷凍食で、なにかいいもの探してくれない?と相談してみたら、その晩は雨で、もう十時を過ぎていたのに、パーカーを羽織ってさっと自転車に乗って30分ほどして帰り、トップバリューというシリーズのおかずセット付、ハンバーグを二種類買ってきてくれた。なんでも二つ駅の先のイーオンまで行ったという。その冷凍食はレンジ解凍も簡単で、見た目も美しく、夫は美味しいと喜んで食べたので、このところ重宝するようになった。

天ぷらやかき揚げ好きの夫向きに、東急ストアにあるチンだけでおいしく出来上がる天ぷらそばも助かっている。

週に二、三度、夫だけ簡単ごはんをして、わたしは自分の好物で何より得意だと思っている炊き込みご飯などを食べるのだが、この炊き込みも、以前よりおいしくなくなったような気がして、失意が大きい。

年下の友人に打ち明けたら、それは味覚の変化、あるいは、味覚の衰えがあらわれてきているのかもしれない、と言われて、つくづく84年の食歴も変わる年月の長さを、思ったのであった。

 

 

 

2022年6月26日 (日)

聖書と共に

一訪問者として教会を訪れるのと、洗礼を受けて教会員になるのとでは、天と地ほどの差があることに気づくのは、教会という組織の中にどっぷりつかってからのことである。

ましてや、75歳にもなって、ほぼ人生での越し方ができあがってしまっている状況からのおよそ十年、まだ教会員とならないときに得た常識があまりにも通用しないことに、心が打ちくだかれそうになる。

 

わたしはそれをいやというほど、経験して、大教会を去り、十分の一ぐらいの人数で、礼拝も余分なことを削ぎ落したように整った小教会に転会して、三年余が経った。

 

個人情報を避ける意味なのか、名簿もないので、会員の名前も覚えられていないうちに、このコロナ禍に見舞われた。会合は全てなくなり、礼拝後の会話なども禁止されているので、名簿がないのはともかく、会員の名前だけでも、プリントしていただきたいと、願い出てみたが叶えられなかった。

礼拝堂の入り口のそばに、飲み水を入れた魔法瓶と紙コップがおかれてあったのに、長老会はそれがコロナ菌を呼び込むことになるかも、怖い怖い、ということで、取り除かれた。でも炎天下の夏の通りを歩き、教会にたどりつくわたしのような高齢者は、水を一口飲みたいと思う。他教会状況を調べてみると、すべて、水分配慮は申し分なくととのえられていて、ペットボトルを渡されるところもあるという。

これまでなかったものを、置いてくださいというのではなく、以前そなえられていたものを、再び戻す、というわけにはいかないのだろうか?と、リクエストしてみたが、これもノーであった。

 

六月になって一年一度の総会が開かれた。礼拝の見事な整いかたとは、異なり、式次第がはっきりせず、長老選挙の段取りがよくわからなかった。今年は長老の若返りを期待するらしく、すでに三人の名が推挙されたプリントを配られていたが、そのひとが誰なのかわからない。お名前とお顔が一致しないので、お立ちいただけないのでしょうか?と私はまた余計なことを言ったらしく、牧師が緊張した顔で走り寄ってきて、そんな様式はこれまでないので、みたいなことを耳元でささやいた。会が終わって、外に出たとき、初めて会う一人の婦人が近づき、言った。「私はここに十年以上もいるのですが、まだ誰が誰だかわからないんですよ、よく、ご紹介のことを言ってくださいましたね」と。

 

次の週の日曜日、無事に選ばれた新長老三名の認証式が礼拝中にあった。会衆に背を向けた三人が宣誓の言葉を合唱し、その後ろで会衆が認証の言葉を、呼応し、新長老は振り向きもせず、牧師は改めて紹介もせず、そのままに終わった。

 

翌週の日曜の朝、わたしは早めに教会に行き、牧師にちょっとお話が、と言って許可を得た。四十歳も年上の私の言葉を、これは「諭し」の一つだと思って聞いていただきたいのだが、と前置きして、認証式のあとはやはり、新長老の紹介をしていただきたかった、と希望を述べた。牧師は不快を浮かべた表情で、「うちのやり方を変えるつもりはありません。ほかの教会はそれぞれです、うちはうちです」と応えた。

わたしは、引き下がらなかった。「旧約聖書の箴言に記されていますね。諭しをなおざりにする者は、魂を無視する者…」と。「高慢と不遜は神が一番厭われることだ」ということも。

その日の献金と、六月分の会費の袋を、祭壇の前の献金袋に入れ、わたしは荷物をまとめて、教会をあとにした。牧師夫人が追いかけてきて、引き留め役をされたが、私の心は変わらなかった。

十歳下で、わたしの教会生活を気にかけてくれている別教会の友人に報告した。彼女が暗記しているという詩編、121編を教えてくれた。なにも怖れることはない、この言葉があれば、教会はいらない、わたしはいつでもあなたの味方よ、という言葉もそえてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月 1日 (金)

言ってしまって悔やむ言葉

新幹線の復旧がまだなので、車で山形から戻った孫が、我が家のパーキングスペースに車を残し、コンサートで贈呈されたという巨大な花束を、ばぁば、もらってくれる?と置いていった。

カスミソウに囲まれた中に黄色と赤のバラ十本、大輪のユリ六本、カーネーションの大小、白、ピンク、オレンジ十本、ガーベラ6本、名前のわからぬクリーム色の花七本、どういうセンスでこういう取り合わせになるかというそれを見ながら、この花々の整理と、これが入っていた大きな、カタい箱の始末がシンドイと思った。とりあえず、生前黄色いバラが何より好きだった義母のために仏前にそなえ、ユリをひとまとめにして玄関にかざり、赤いバラとクリーム色の花を私の部屋の窓辺に飾り、カスミソウとガーベラをキッチンの窓辺に飾ったら、ありったけの花瓶を使い果たしてしまった。残りは、お掃除に来てくれた花好きのSさんが喜んでもらってくれたので助かったが、へとへとになって、しばらくベッドに横になっていた。

巨大な箱はそのまま玄関に置きっぱなしにしておいたらいつのまにか、息子がたたんで小さくまとめてくれてあった。

孫からの、またばぁばのご飯食べに行くね、というメールを見て、十数年まえから告げられるこの言葉に、いつでもおいでと返事をしていたのだが、今は違う、と思った。置きっぱなしの車のバッテリーが上がってしまうのではないかと不安がっている夫の言葉を伝えるために電話をして、そのとき、今は毎日家事をするのがやっとで、ご馳走するごはんがつくれそうもない、昔のばぁばとは違っていることを話した。

もう少し伝え方があったのではないか、と悔やむ心があって、マッサージに行ったとき、いつもの施術士の女性にそのことを話した。「奥さんは声がはっきりして元気そうだから、安心してしまうかもしれないけれど、マッサージしているわたしは、ぎりぎりだということが、よくわかります。お孫さんにおっしゃって正解ですよ」と言ってくれた。

このところの楽しみは録画しておいた「三日間まるごと刑事フォイル」を毎日一回か二回、観ること。アンソニー・ホロウイッツの脚本は圧巻で見始めたら、目を離すことができない。戦時下の英国、食糧難、空襲の恐怖、家族同士の軋轢、戦後の復興への困難、変化についていけない家族と、戦争という恐怖の体験の心に与える影響、それがどれほど人の心をむしばむかが、ホロウイッツの表現では「心の火傷」という言葉にもあらわれているのだが、私の七十年まえの経験のような直接的なものではないとしても、毎日テレビに映し出される映像は平静な気持ちで観てはいられないし、それに加えてコロナ禍はまだ終わってはいないのだから、私たちすべては、心の火傷を共有している。

そういうときに口から出てしまう言葉に、どれほど悔いが残るか、朝ドラの「カムカム…」もラストが近いが、やはり、これがドラマの芯になっていると、うなずきたくなってくる。

 

 

2021年12月29日 (水)

8020表彰状

秋ごろ、区報を見ていて、ふと目がとまった。歯科医師会が八十を過ぎて自分の歯が二十本以上あるひと表彰するという記事が載っていたのだ。

この二十数年以上、三か月に一度、口腔内の掃除と衛生指導を受けに行くことを続けているが、一度も治療をしないですんでいるし、義歯をいれたこともない。奥のほうに金属をかぶせた歯はあるけれど、全部自分の歯である。表彰というのはちょっと大げさだけれど、83歳までずっと自分の歯で食べていたこの身体をほめる機会を逃したくない、と思った。

歯科医の証明が必要と言われたので、電話すると、担当歯科医師に言われた。あなたはまだ長生きしそうだから、もう少し先でもいいのではないですか?

今年経験した思いがけない身体の不調、もういつなにが起きても不思議ではない年齢なのだ。チャンスをとらえたときに、受けられるものを得たい、そうねばって、無事この表彰状が届いた。タオルセットと歯磨きチューブもついていた。

考えてみると、身体のほかの部分は薬品で治すということができるが、歯だけは、日に三度以上も噛むという激しい使用を続けることによる、不具合が生じたとき、それを治すのは一重に歯科医の技術にかかっている。いまの名医ともいえる、医師とのラッキーな出会いは夫の調査力で得た幸運であった。夫はほかの医師には六十代で総入れ歯だと言われたのに、今の先生にかかってからは、部分入れ歯で済んでいる。

表彰状が無事に届いた感謝をあらわすために、それを持ってにっこり笑っている私の写真を夫に撮ってもらって、PCから印刷し、その余白に、人間は毎日食べなければ生きていけないけれど、そのためには歯の力を維持しなければならず、それをこの年齢まで大病もせずに可能にしてきたのは一重に治療と衛生を完璧にしてくださった先生ご夫妻のおかげですという、お礼状にしたのだった。

歯科通いでこのようなやりとりをする機会はなかなかないが、思いがけない8020表彰という機会をとらえることができて、医師と患者のコミュニケーションが深いものに変わったように思う。Img_2926

 

 

2021年12月14日 (火)

歩行の痛み、ほぼ解決

よそいき用の黒い靴をはき、靴型の異なる気に入りのメレルの普段靴の片方も持参し、奥沢の整骨院に行った。

女性院長のTさんが、いろいろななサイズのインソールが入ったバスケットを取り出して、アーチの部分に貼りつけるテープつきの支えも各種選び、何度も歩行させて、これだ、というピッタリ感を感じるまでためさせてくれて、おかげで足指カバーなしでも、痛みのない歩行が可能になった。

支払い、わずか千数百円、整足院のあまりにも高額な支払い、しかも八年まえの至誠会病院での十倍ぐらいの値段に比べ、信じられないくらい低額に驚く。庶民の味方のこの整骨院を愛してやまない夫の勧めだったが、あらためて、ありがたい存在価値を悟った。

整足院の高額テープ処理とカバー、あれはあれで、一週間足指を鍛えたからこそ、この安定を得たのかもしれないと思うことにしよう。

洗足池一周の散歩も、インソールをほかの靴にフィットさせて、歩いたのだが、痛みなしだった。

歳末のストレスが軽減した安堵感を得ている。

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