耳石はおさまったのか?
11月はとうとう一度も泳がなかった。そのせいか、めまいのリハビリ体操がキツイことも加わってか、肩凝りがひどくなり、マッサージをしてもらっても、楽にならず、すぐまた凝りが出てくる。やはり、泳がなくてはだめだ、と思った。まだ六十代のとき、八十の人が泳いでいるのを知って、なにそれ!、そんなおばあさんが?と思ったのに、わたしは今、そんなバアサンなのである。緑が丘プールが工事中だから、碑文谷のプールに行くことにした。洗足から渋谷行きのバスに乗って四つ目、円融寺前、というところから徒歩4分、碑小学校隣接の建物の四階、立派なプールである。水深も1.1メートルだから、水量も多く、泳ぎがいがるというものだ。30分、歩きとクロールと、バックを繰り返し、めまいも起きず、耐えられた。
でもあのすさまじいめまいの経験は忘れられない。それがまた襲ってきたら、大変だから、リハビリ体操を続けている。そうするとまた肩が凝ってくる。
12月はコンサート予定が続いていて、ついに、アムランのピアノの前は、パソコンの文字がゆらゆらしてきて、危うい感じがしてきた。薬をのみ、出かける寸前もリハビリをして万全の用意、なんとか大丈夫だった。音楽は癒しである。アムランのその日の曲目、葬送行進曲はちょっと不吉な予感がしたけれど、彼の演奏は短調から長調への変換がこの上なく美しく、強く響かせてくれるので、不幸は起こらないよ、と励ましてくれるよう気がした。
きょうはバッハのカンタータ、これも大田区の小さなホールであったのだが、超満員、アドベントの時期ぴったりの曲目、歌手も、メゾソプラノとテノールとバスバリトンが著しく抜きんでて、満足した。音楽は本当に癒しである。あと来週、『ドンジョバンニ』が控えている。またリハビリに励まなければ…でも最悪の事態は過ぎたような気がする。耳石はおさまってくれたのかもしれない。
ブリッジの昔のパートナーが、クリスマスにやらない?と誘ってくれたのだが、残念ながら、とめまいのことを話した。なんと、彼女もつい最近までフアフアめまいの症状があって、ずっとリハビリ体操をしていたのだそうで、『めまいは自分で治せる』という本をぜひ読むようにとすすめてくれた。さっそくアマゾンで購入、まず衝撃的だったのは、めまい専門医が圧倒的に不足している現状と、耳鼻科医でもめまいを勉強したひとは非常に少ないという事実で、その意味では、セカンドオピニオンで良性発作性頭位めまい症を言い当て、リハビリ療法の詳細を示してくれた医師とめぐりあったことはとてもラッキーであり、しかも、そこにたどり着いた自分も、賢明であったといえよう。
あの忘れられない異変はリハビリを始めると一時的に増悪する症状がでるのはごく普通の、通り抜けなければならない山道のような行程であったとわかり、納得もいったのであった。
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