2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「学問・資格」の13件の記事

2017年6月25日 (日)

久方ぶりの講師体験 4

講義の日の十日前、風邪をひいてしまった。鼻かぜが三日も続き、薬を一日に九錠も服用することとなる。胃まで傷めてしまうと困るので胃薬も併用するから、まさに薬漬け。
ようやくおさまったかと思ったら、今度は咳がでてきて、更に薬攻めの日が四日も続く。

夫にはずいぶん助けてもらった。洗い物はすべて引き受けてくれ、料理も何度かまかせることになってしまう。こんな状況でうまくいくかしら、としょげ込むわたしを、絶対うまくやれるよ、オレが保証する、など励ましてもらった。

自室に閉じこもって、声を出して講義の予行演習をしてみたら、思いのほか、よどみなく言葉がでてきて、時間配分の見当もついたので、それは安堵したのだが、練習問題の体裁をよくしようと、テキストに添付することにして、自分でワードにうちこんだら、それが、かなり疲れる作業で、肩がパンパン、マッサージにも通うことになった。
ともかく、この年齢で報酬が支払われる仕事をするのは健康管理の気配りも加わり、途中で投げ出す迷惑だけは避けなければならないので、本当に大変とつくづく思った。

さて、当日、現役で仕事をしているひとたちが受講者なので、夜7時からの二時間授業である。
8時ごろはいつも居眠りをしている時間だから、大丈夫か、なども心配だったが、風邪も全快、目はぱっちりして度胸も出てきた。
受講者は思いのほか多くて八名、みな目をキラキラさせて、練習問題はほぼ満点、敬語の誤りの実例や、英語と日本語との敬意表現の違いなど、討論形式にしてみたら、いろいろな意見や質問がとびだし、テーブルは活気づいた。笑い声も何度かひろがり、教務のひとまで見学に入ってきた。

授業内容は二時間でぴたりとおさまったので、やれやれだったが、受講者たちの関心の高さは驚くばかりだった。
あとまで残って質問をするひともいたりして、十年ぶりの講義が不安でならなかった部分はまずは、杞憂に終わり、疲れを忘れて足取りも軽やかに帰途につくことができた。(了)

2017年6月23日 (金)

久方ぶりの講師体験 3

今回この仕事に私を推薦してくれたのは、同級生のSさんである。現在トップ同時通訳者の最高齢のひとりだと思うが、彼女はこれまでも、何度となく翻訳関係や、日本語教師の仕事を紹介してくれた。私の娘が夫を亡くし、三歳と一歳の孫のサポートを手伝うことになったときも、“あなたはこういうときこそ、外に出る口実をもっていたほうがいい”と言ってくれて、オーストラリア人の会社重役に日本語をおしえる仕事の話をもってきてくれた。

その彼女と数年ぶりに会うことになって、自由が丘のカフェで待ちあわせたとき、彼女は相変わらずのすらりとした足にヒールの靴をはき、スマホを片手に、グーグルに案内してもらったわ、と颯爽とあらわれた。一週間後ILOの仕事に出かけるのだという。
私が、授業見学三回の話をして、ああいう優秀なひとたちに、敬語概論なんか必要なのか、幼稚すぎるのではないか、と問いかけると、「そんなことはない、実地で感じるけれど、いまの若いひとたちには絶対に必要だから、自信をもってなさい。私たちは安心して敬語の多い通訳を任せられる最後の世代とよくいわれるのよ」と言う言葉をもらった。

いろいろな日本語関係、敬語本を読んで改めて悟った。確かに、家庭で両親の電話のやりとりを身近で聴いていた私たちの世代はまるでスピードラーニングみたいに、自然と日常の敬語を耳に入れていたわけで、なんの抵抗もなく、尊敬語も謙譲語も口に出てくる最後の世代なのかもしれない、と。

彼女がまだ仕事をしている、という、写真入りの年賀状を見る度に、もう引退の年齢なのでは、と思ったりしたけれど、今回でわかった。彼女は正しく「余人をもって代え難し」の逸材なのである。(続く)


2017年6月22日 (木)

久方ぶりの講師体験 2

CNNのニュースの通訳の日本語チェックも頻繁にし、一般のTVチャンネルのトーク番組などものぞいて、いまの日本語を確かめることもしてきたのだが、そこから見えてきたものに、少なからず驚愕した。いかに敬意表現が軽視されているかを知ったからである。

若者のあいだにはタメ語「ウッソー、マジ、メッチャ、ヤバイなど」が定着し、「です、ます」形が敬語だと思っている連中もいる。敬語では親しみがあらわせないから使いたくないという発言もある。

相手や場面に配慮し使いわける相互尊重の自己表現として尊重されるべき敬語が軽視されるようになった背景も推量がつくようになった。

敬語に関する文化庁の答申は過去に三度、戦後まもなく1952年の『これからの敬語』は、私、あなた、れる、られる、です、ます形を敬語としようという、簡略、かつ、おそまつな改革で、それがおよそ五十年以上も放っておかれ、ようやく2003年に『現代社会における敬意表現』が発表されたが、すでに混乱はますます激しくなっているので、とりわけむずかしい謙譲語を二つに分けると言う改良作を打ち出したのが2006年の答申『敬語の指針』だった。

このところ、あちらこちらから攻撃されている文科省は、大切な日本語教育を重視してこなかったのではないか、と疑いたくもなってくるし、受信料を徴取しているNHKにも、しっかりしたチェッカーは消えてしまったか、に見える。それほど、ドラマやインタビューなどに、二重敬語の「おっしゃられる」や謙譲語の「あげる、くれる、もらう」の通称「やりもらい」表現の誤りが氾濫しているからである。(続く)

2017年6月20日 (火)

久方ぶりの講師体験 1,

敬語の授業が終わった。

以前、イタリアのホームステイに関する本を出版したとき、請われて講座の講師をつとめてからおよそ十年以上を経ている。

都内に三十年続いている、同時通訳者、翻訳者の養成学校で、すでに現役で仕事をしている人たち向けの、特別授業ということで、希望者を募っての二時間授業だった。

どういう授業形式なのか、受講生はどういう人たちなのかを知るために、三度、見学をした。
一度目はある大手企業の決算報告を見ながら、億だの兆だのがとびかう数字を英語にする聞き取り授業、二度目はパネルディスカッションのヴィデオを見ながらの同時通訳授業、聴き取り苦手のわたしには、おおまかな内容は把握できても、一語一語は到底キャッチできず、受講生ほぼ全員の能力に脱帽していた。そして三度目は現役トップの同時通訳者の一人であり、この学校の経営者でもある校長自らの授業、ヒラリー・クリントンが母校ウェルズリー大学の卒業式で述べたスピーチが教材だった。
生徒数は四名から七名前後、長方形の大きなテーブルを囲んでの授業である。

これなら教壇に立つよりはゆったりしていられるが、それだけにテキストと話の材料を充実させてどんな質問にもこたえられるように、自分に自信をつけ、皆に話しかけるような余裕を持たなければ、と思った。

準備期間は二か月近くあり、すでにテキストはできていたので、知識をふやすために図書館通い、アマゾンでもこれはという参考書を買い足し、十冊ぐらいの待遇表現本を読んで、付箋をはりめぐらし、さらにそれに番号をつけて、テキストのどこに組み入れるかをプラン。最後は自作の練習問題と、敬語の教本からの問題を組み合わせて、テキストの項目ごとに、ふりわけ、現実に起きている敬語のあやまりの実例などの逸話を持ち出し、受講生の意見なども訊きながら、退屈することのないよう、緊張感を持続させながらの授業になるような配慮をほどこす。(続く)

2017年4月25日 (火)

I am still useful......?

思いがけぬ仕事の依頼がきた。
ある学校で、日本語の待遇表現の講義をしてほしい、というのである。
体調やら、足の具合やら、そのときになって何が起きるか怪しいのだけれど、あなただから、できる仕事とおだてられて、重い腰をあげそうになっている。

捨てずにとってあった、三十年まえの手作りテキストを取り出してみたのだが、内容は実にしっかりしているものの、手書きのものが混じっているし、いかにも古めかしいので、以前所属していた日本語学校にもっと改良された出版物が出来上がっているのではないかと問い合わせてみたら、そういうものは存在していなかった。敬語表現教授の依頼もなくなっていて、外国人から敬語をおしえてほしいという依頼が時たまあるくらいだという。
その担当者が、文化庁が出している『敬語の指針』を読むべきだとおしえてくれたので、とりよせてみた。

そこでわかったことは、待遇表現はいまや会社、あるいは団体で、マニュアル化したものをおぼえるだけになったらしく、基礎練習ができていない、という事実である。

だからテレビの出演者や、アナウンサーの間違い敬語、公共の場でのアナウンスや、国会の質疑応答にまでおかしな待遇表現が続出するのだろう。

いまから四十数年まえ、アメリカで暮らしたときに、知り合いになったタフト大統領の姪にあたるというスタッフォード夫人は、あのころ七十代だったと思うが、文才もあって、料理も上手、質の高い暮らしをしていたひとだった。彼女がよく言った言葉”I am still useful” 、わたしもそれが言えるかどうか、まだそのときになってみないとわからない。


2016年8月 1日 (月)

続  平塚らいてうを知りたくて

らいてうの同窓生、国文学部の田村俊子は、『青鞜』創刊号で『生血』という処女性を問題にした小説を発表している。また短歌でも「夫あれど夫し思はず自らの作りし恋の幻を追う」という大胆な、一夫一婦制への反逆をあらわす作品も掲載している。

ここに始まった貞操論争はのちに、堕胎論争にまで発展し、第五号で、らいてうは、堕胎や避妊を女性の性と生殖における自己決定権の問題として論じる必要性を主張している。

らいてうがこれほどまでに自己にめざめ、当時の新しい女性としてあがめられるようになったのは、もとはといえば、日本女子大の創立者成瀬仁蔵の『女子教育』を読んだことに始まると推察されている。

お茶の水高等女学校の「官学的な押し付け教育に息づまるような思いでいた」らいてうの心をつかんだのが成瀬仁蔵の女子教育に対する根本理念:
1. 女子を人として教育すること
2. 女子を婦人として教育すること
3. 女子を国民として教育すること
であり、自伝の中で、「女子大へ入学した当座はすべて感激の連続でした・・・成瀬先生の実践倫理の時間は、若いわたくしたちの魂をゆり動かし、突きあげるような迫力にあふれたものでした・・成瀬先生の熱弁を聴いていると、いままでのお茶の水の教育に対する不満を、どう表現してよいかわからずにいた自分のもどかしい気持ちがすっかりとけてゆく思いでした」と述べている。

女性の「真の自由解放」とは女性の取り巻く現実の社会的、政治問題解決にとどまるのではなく、それらを手段として実現する「自主自由の人」である自分はすべて自己責任のもとに行動する、行き詰ったときの打開策は「自奮」であり「我れ自らの努力」であって、最終的には「各自の天職を全うする」ことをめざすのだ、というのが、らいてうのもっとも言いたかったことなのだ、と倉田姉は結論づけられた。

翻って、これまでの我が人生を振り返るとき、転機に立って、迷いや困難を感じたとき、いつも救われてきたのは、この「自奮」にあったことを思いだす。
やはり十余年、この学校で培われた信念は生き続けていたのだと、あらためて実感し、なにかすがすがしい想いに包まれたのだった。


2016年7月30日 (土)

平塚らいてうを知りたくて

「元始、女性は実に太陽であった・・・」のあとにどういう言葉が続くのか、『青鞜』の内容をもっと知りたいと思っていた。

母校の夏季学寮、軽井沢の三泉寮で、『成瀬仁蔵と平塚らいてう』と題する講演があると知って、この機会を逸してはならないと、申し込んだ。寮の宿泊の締め切りが過ぎていたので、担当者には迷惑をかけてしまったが、二泊三日の滞在も決まった。
ところが、出発二日前から、就寝時の身体のほてりや、食欲不振にみまわれ、出かけるのが危ぶまれるほどとなり、ホームドクターに薬を処方してもらって、なんとか出発した。

当日は土砂降りの雨、洗われた軽井沢の緑はまばゆく美しく、澄んだ空気に、体調が好転する予感をおぼえたが、何しろ二時間以上の長時間の講演、会場の食堂はよりかかる椅子ではなく木製のベンチなので、もしも中座するような場合のことを考え、あえて最後部の端に座る。

講師、日本女子大学名誉教授倉田宏子姉は、豊富な資料と、よく整理された論点満載の内容をゆったりと、落ち着いた語り口で解き明かし、最後まで耳を十分に傾けて聞き入ることができた。

午後には必ず眠気をもよおすのに、この日はまったくそれが起きず集中できたのも不思議だった。

『青鞜』発刊の辞、元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のように蒼白い顔の月である・・・・という言葉が続く。激しい憤懣と、今のままではならないという決意と励ましの主観的な鋭い言葉が羅列する。これが今から百年前の日本女性の言葉であるとは、驚きである。しかも母校出身の女性であったことをあらためて誇らしく感じた。
四十数年まえ、アメリカ中西部に四年暮らしたとき、ベティ・フリーダンを中心とする女性解放運動の影響を受け、女性学を学んだ経験がある。そのときより半世紀以上も前に、日本ではすでにフェミニズムが台頭していたのだ。日本のこのころの女性の底力を感じた。

創刊号の表紙絵はらいてうの同窓生長沼智恵子、のちの高村光太郎夫人、である。西洋の女性の立像であるが、周りを囲んでいるのは日本の着物で、西洋の女性のように自由に自立していきたいと言う、熱い想いを表現していると講師は語っていた。Photo


創刊号執筆者の筆頭に与謝野晶子の名があり、『そぞろごと』という詩が掲載されている。

山の動く日来る。
かくつたえども人われを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ。
・・・・・・・
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。
・・・・・・・
額にも肩にも
わが髪ぞほつるる。
しをたれて湯滝に打たるるこころもち。

ほとつくため息は火のごとくかつ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた誹るらん。

十二人の子を育てつつ、創作をしていた晶子の苦悩ののじむ行間、文語表現の美しさに魅せられる。

文明の発達した現在、女性が働くのが当たり前のようになっているが、女性であるがゆえの悩みは終わっていないように思う。
専業主婦となって、報われることの少ない家事を究めれば、究めるほど、別の憤懣も生まれるし、それを語りたがらない同性の中で孤独を感じることもあるのではないか、女性であるが故の幸せは同時に、苦悩がつきまとうことを感じつつ、この資料に目を通していた。(続く)

2016年6月23日 (木)

二重敬語の誤り

教会で若い伝道師が祈祷の言葉をのべたとき、神様はこの世界をわたしたちのためにお創りになられました、というのを聞いて、平静ではいられなくなった。
二重敬語の誤りである。

巷には、この種の誤りが氾濫している。

動詞、創るを敬語にするには「お~になる」を当てはめればよい。その語尾の「なる」、を更に尊敬語のなられるにしてしまうと二重敬語となってしまう。敬語を二つ重ねたからといって、尊敬が増すわけではない。聞き苦しい誤りに過ぎない。
電車の中では、「車いすをお使いになられる方・・・」などというアナウンス、テレビのインタビューで、スターやタレントが「おっしゃられて・・・」などの二重敬語を発する。
おっしゃるは「言う」という動詞の不規則敬語、おっしゃって、だけで十分敬語なのに、なぜか「お~になる」づくりと混同するのか、この間違いを発する人は多い。

『真田丸』のせりふにまで「お館さまが馬にお乗りになられる・・・」というのが出てきたときは、耳を疑った。
NHKには、もはや敬語をチェックするひとは、いなくなったのであろうか。

いまから四十年まえ、四年間のアメリカ生活を経験して帰国したあと、日本語教師となって十年ほど働いた。各国の大使や、外資系の会社の役員に教えたり、クラス授業を受け持ったりしたが、日本人に日本語を教える仕事もした。つまり、敬語の教師である。
デパートや、大手会社の秘書課、ホテルなどにおもむき二日から三日をついやす講習にたずさわった。
生徒はみな新入社員、敬語の作り方や、場面をしつらえて実技練習など、彼らはまるで外国語を習うかのように、戸惑っていたのが不思議だった。
敬語は幼いときから、家族が目上のひとや他人に話すときの正しいやりとりをよく耳にしていないと、成人してからの講習だけではなかなか身につかないものである。

説教が仕事となる伝道師にはきれいな、正しい日本語を話してほしい、と、思い切って電話し、気づいたことを話したのだが、とても素直な納得を得たうえに、感謝してもらえて、ほっと胸をなでおろしたのだった。

2012年11月 5日 (月)

イタリア語、いま

10月から高田馬場のリンガビーバでイタリア語を学び始めた。すでに六か月分の授業料を払い込んである。
コースをどれにするか決断するまえに二つの上級コースを見学したのだが、驚いたのは、難関の講読のクラスに七人も生徒がいて、全員高齢者だったことである。毎回7,8ページの予習をしなければならない。すごいなあ、よく続けていられるなあ、と感心するばかりだ。わたしはまだ語彙不足なので、辞書引きがハンパでなく、とりあえずは敬遠することにした。
六ヶ月のあいだに一度はコース変更可能なので、最終的には挑戦したいと思っているのだが、まずは読み、聞き、話す、を平均して学べる一般コースを受講。このクラスも高齢者ばかり、五人。クラスメートが同年齢であることはとても居心地がいい。
休憩をいれて二時間授業、トリノ、ヴェネチア、ナポリ出身の三人の教師が担当するのでその教え方もそれぞれ個性豊かで、変化があって楽しい。
どんどん名指しで意見を言わされる。授業と言うのはやはり、こういう緊張感が必要だとつくづく実感した。即答できなかったり、あせったりすることで、学びが強まるのである。

イタリア文化会館で知り合った若い友人が電話してきた。教え方の一番上手な人気の先生のクラスでラッキーと言っていたひとだ。
―それがね、あの先生、慶応や上智で教えるようになってから、このごろ態度が変わってきたんですよ。わたしたちを馬鹿にしたり、日本の悪口言ったりする、なんだかいやになっちゃって… 
それにクラスメートの若いひとのマナーが悪い、平気で遅刻するし…オジサンの生徒が一人いるんですけどね、このひとが問題、ときどき怒りだしたり、怒鳴ったりする。
こういうときって、本当は先生が上手に対応するべきじゃないですかね。それをしないんですよ、あの先生。
―困ったわね~。事務のひとに言ってみたら?
―でもね、不親切でしょ、あそこの事務。だからだれも言おうとしないんです。

わたしもこういうことは経験ずみで、学校を変わってきたのだ。
彼女はなおも言った。
―なんだかイタリアの景気の悪さがどんどん反映してきているみたいに、イベントもお粗末になってます…


2012年10月 3日 (水)

イタリア語その後のその後

イタリア語のレッスンをとり続けるかはこの夏の課題だった。これまでのクラスを辞めることは決めていたが、そのあと、続けるとしたら、どこにするか?
ワンステップアップを試み、リンガビーバの夏季特別講座を受講。ヴィデオの聴きとりのコースである。この学校は教師の質がいいと定評があるのだが、それを実感できるかどうか。
夜の二時間授業四日連続。教材の映像はミラノの朝日新聞みたいなコリエレ・デラ・セーラの記事ヴィデオ版。
テーマはフィレンツェのジェラート祭り、電子書籍、新宅配業、最新国際ニュース、と幅広く、教師は男女2人、生徒にしゃべらせることを主眼にした授業内容。
身近で関心多いテーマばかりだったので、満足したが、わが身の聞き取り力のなさを痛感した。
なにを語っているかはわかるのだが、言葉をピックアップして、それを正しく書き、前後の文に当てはめて、質問に答える段になると、追いつかない。記憶力が作動しないのだ。
六十代の男女三人のクラスメートはツワモノぞろい。正しく聴きとってスラスラ書くのである。
休み時間に、イタリア旅行歴を訊いたら、隣の女性は一度も行ったことがない、飛行機嫌いなので、の応えにグワ~ン!
何年ぐらい勉強を?には、もう忘れた、十年以上、の応えにそれはそうでしょう、と少し安心したが、それにしてもそんなに長いあいだ在籍させるこの学校の把握力と、この生徒さんの持続力にも感嘆したのであった。

プロフィールの写真:アッシジ駅の受胎告知像

より以前の記事一覧