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カテゴリー「学問・資格」の8件の記事

2016年8月 1日 (月)

続  平塚らいてうを知りたくて

らいてうの同窓生、国文学部の田村俊子は、『青鞜』創刊号で『生血』という処女性を問題にした小説を発表している。また短歌でも「夫あれど夫し思はず自らの作りし恋の幻を追う」という大胆な、一夫一婦制への反逆をあらわす作品も掲載している。

ここに始まった貞操論争はのちに、堕胎論争にまで発展し、第五号で、らいてうは、堕胎や避妊を女性の性と生殖における自己決定権の問題として論じる必要性を主張している。

らいてうがこれほどまでに自己にめざめ、当時の新しい女性としてあがめられるようになったのは、もとはといえば、日本女子大の創立者成瀬仁蔵の『女子教育』を読んだことに始まると推察されている。

お茶の水高等女学校の「官学的な押し付け教育に息づまるような思いでいた」らいてうの心をつかんだのが成瀬仁蔵の女子教育に対する根本理念:
1. 女子を人として教育すること
2. 女子を婦人として教育すること
3. 女子を国民として教育すること
であり、自伝の中で、「女子大へ入学した当座はすべて感激の連続でした・・・成瀬先生の実践倫理の時間は、若いわたくしたちの魂をゆり動かし、突きあげるような迫力にあふれたものでした・・成瀬先生の熱弁を聴いていると、いままでのお茶の水の教育に対する不満を、どう表現してよいかわからずにいた自分のもどかしい気持ちがすっかりとけてゆく思いでした」と述べている。

女性の「真の自由解放」とは女性の取り巻く現実の社会的、政治問題解決にとどまるのではなく、それらを手段として実現する「自主自由の人」である自分はすべて自己責任のもとに行動する、行き詰ったときの打開策は「自奮」であり「我れ自らの努力」であって、最終的には「各自の天職を全うする」ことをめざすのだ、というのが、らいてうのもっとも言いたかったことなのだ、と倉田姉は結論づけられた。

翻って、これまでの我が人生を振り返るとき、転機に立って、迷いや困難を感じたとき、いつも救われてきたのは、この「自奮」にあったことを思いだす。
やはり十余年、この学校で培われた信念は生き続けていたのだと、あらためて実感し、なにかすがすがしい想いに包まれたのだった。


2016年7月30日 (土)

平塚らいてうを知りたくて

「元始、女性は実に太陽であった・・・」のあとにどういう言葉が続くのか、『青鞜』の内容をもっと知りたいと思っていた。

母校の夏季学寮、軽井沢の三泉寮で、『成瀬仁蔵と平塚らいてう』と題する講演があると知って、この機会を逸してはならないと、申し込んだ。寮の宿泊の締め切りが過ぎていたので、担当者には迷惑をかけてしまったが、二泊三日の滞在も決まった。
ところが、出発二日前から、就寝時の身体のほてりや、食欲不振にみまわれ、出かけるのが危ぶまれるほどとなり、ホームドクターに薬を処方してもらって、なんとか出発した。

当日は土砂降りの雨、洗われた軽井沢の緑はまばゆく美しく、澄んだ空気に、体調が好転する予感をおぼえたが、何しろ二時間以上の長時間の講演、会場の食堂はよりかかる椅子ではなく木製のベンチなので、もしも中座するような場合のことを考え、あえて最後部の端に座る。

講師、日本女子大学名誉教授倉田宏子姉は、豊富な資料と、よく整理された論点満載の内容をゆったりと、落ち着いた語り口で解き明かし、最後まで耳を十分に傾けて聞き入ることができた。

午後には必ず眠気をもよおすのに、この日はまったくそれが起きず集中できたのも不思議だった。

『青鞜』発刊の辞、元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のように蒼白い顔の月である・・・・という言葉が続く。激しい憤懣と、今のままではならないという決意と励ましの主観的な鋭い言葉が羅列する。これが今から百年前の日本女性の言葉であるとは、驚きである。しかも母校出身の女性であったことをあらためて誇らしく感じた。
四十数年まえ、アメリカ中西部に四年暮らしたとき、ベティ・フリーダンを中心とする女性解放運動の影響を受け、女性学を学んだ経験がある。そのときより半世紀以上も前に、日本ではすでにフェミニズムが台頭していたのだ。日本のこのころの女性の底力を感じた。

創刊号の表紙絵はらいてうの同窓生長沼智恵子、のちの高村光太郎夫人、である。西洋の女性の立像であるが、周りを囲んでいるのは日本の着物で、西洋の女性のように自由に自立していきたいと言う、熱い想いを表現していると講師は語っていた。Photo


創刊号執筆者の筆頭に与謝野晶子の名があり、『そぞろごと』という詩が掲載されている。

山の動く日来る。
かくつたえども人われを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ。
・・・・・・・
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。
・・・・・・・
額にも肩にも
わが髪ぞほつるる。
しをたれて湯滝に打たるるこころもち。

ほとつくため息は火のごとくかつ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた誹るらん。

十二人の子を育てつつ、創作をしていた晶子の苦悩ののじむ行間、文語表現の美しさに魅せられる。

文明の発達した現在、女性が働くのが当たり前のようになっているが、女性であるがゆえの悩みは終わっていないように思う。
専業主婦となって、報われることの少ない家事を究めれば、究めるほど、別の憤懣も生まれるし、それを語りたがらない同性の中で孤独を感じることもあるのではないか、女性であるが故の幸せは同時に、苦悩がつきまとうことを感じつつ、この資料に目を通していた。(続く)

2016年6月23日 (木)

二重敬語の誤り

教会で若い伝道師が祈祷の言葉をのべたとき、神様はこの世界をわたしたちのためにお創りになられました、というのを聞いて、平静ではいられなくなった。
二重敬語の誤りである。

巷には、この種の誤りが氾濫している。

動詞、創るを敬語にするには「お~になる」を当てはめればよい。その語尾の「なる」、を更に尊敬語のなられるにしてしまうと二重敬語となってしまう。敬語を二つ重ねたからといって、尊敬が増すわけではない。聞き苦しい誤りに過ぎない。
電車の中では、「車いすをお使いになられる方・・・」などというアナウンス、テレビのインタビューで、スターやタレントが「おっしゃられて・・・」などの二重敬語を発する。
おっしゃるは「言う」という動詞の不規則敬語、おっしゃって、だけで十分敬語なのに、なぜか「お~になる」づくりと混同するのか、この間違いを発する人は多い。

『真田丸』のせりふにまで「お館さまが馬にお乗りになられる・・・」というのが出てきたときは、耳を疑った。
NHKには、もはや敬語をチェックするひとは、いなくなったのであろうか。

いまから四十年まえ、四年間のアメリカ生活を経験して帰国したあと、日本語教師となって十年ほど働いた。各国の大使や、外資系の会社の役員に教えたり、クラス授業を受け持ったりしたが、日本人に日本語を教える仕事もした。つまり、敬語の教師である。
デパートや、大手会社の秘書課、ホテルなどにおもむき二日から三日をついやす講習にたずさわった。
生徒はみな新入社員、敬語の作り方や、場面をしつらえて実技練習など、彼らはまるで外国語を習うかのように、戸惑っていたのが不思議だった。
敬語は幼いときから、家族が目上のひとや他人に話すときの正しいやりとりをよく耳にしていないと、成人してからの講習だけではなかなか身につかないものである。

説教が仕事となる伝道師にはきれいな、正しい日本語を話してほしい、と、思い切って電話し、気づいたことを話したのだが、とても素直な納得を得たうえに、感謝してもらえて、ほっと胸をなでおろしたのだった。

2012年11月 5日 (月)

イタリア語、いま

10月から高田馬場のリンガビーバでイタリア語を学び始めた。すでに六か月分の授業料を払い込んである。
コースをどれにするか決断するまえに二つの上級コースを見学したのだが、驚いたのは、難関の講読のクラスに七人も生徒がいて、全員高齢者だったことである。毎回7,8ページの予習をしなければならない。すごいなあ、よく続けていられるなあ、と感心するばかりだ。わたしはまだ語彙不足なので、辞書引きがハンパでなく、とりあえずは敬遠することにした。
六ヶ月のあいだに一度はコース変更可能なので、最終的には挑戦したいと思っているのだが、まずは読み、聞き、話す、を平均して学べる一般コースを受講。このクラスも高齢者ばかり、五人。クラスメートが同年齢であることはとても居心地がいい。
休憩をいれて二時間授業、トリノ、ヴェネチア、ナポリ出身の三人の教師が担当するのでその教え方もそれぞれ個性豊かで、変化があって楽しい。
どんどん名指しで意見を言わされる。授業と言うのはやはり、こういう緊張感が必要だとつくづく実感した。即答できなかったり、あせったりすることで、学びが強まるのである。

イタリア文化会館で知り合った若い友人が電話してきた。教え方の一番上手な人気の先生のクラスでラッキーと言っていたひとだ。
―それがね、あの先生、慶応や上智で教えるようになってから、このごろ態度が変わってきたんですよ。わたしたちを馬鹿にしたり、日本の悪口言ったりする、なんだかいやになっちゃって… 
それにクラスメートの若いひとのマナーが悪い、平気で遅刻するし…オジサンの生徒が一人いるんですけどね、このひとが問題、ときどき怒りだしたり、怒鳴ったりする。
こういうときって、本当は先生が上手に対応するべきじゃないですかね。それをしないんですよ、あの先生。
―困ったわね~。事務のひとに言ってみたら?
―でもね、不親切でしょ、あそこの事務。だからだれも言おうとしないんです。

わたしもこういうことは経験ずみで、学校を変わってきたのだ。
彼女はなおも言った。
―なんだかイタリアの景気の悪さがどんどん反映してきているみたいに、イベントもお粗末になってます…


2012年10月 3日 (水)

イタリア語その後のその後

イタリア語のレッスンをとり続けるかはこの夏の課題だった。これまでのクラスを辞めることは決めていたが、そのあと、続けるとしたら、どこにするか?
ワンステップアップを試み、リンガビーバの夏季特別講座を受講。ヴィデオの聴きとりのコースである。この学校は教師の質がいいと定評があるのだが、それを実感できるかどうか。
夜の二時間授業四日連続。教材の映像はミラノの朝日新聞みたいなコリエレ・デラ・セーラの記事ヴィデオ版。
テーマはフィレンツェのジェラート祭り、電子書籍、新宅配業、最新国際ニュース、と幅広く、教師は男女2人、生徒にしゃべらせることを主眼にした授業内容。
身近で関心多いテーマばかりだったので、満足したが、わが身の聞き取り力のなさを痛感した。
なにを語っているかはわかるのだが、言葉をピックアップして、それを正しく書き、前後の文に当てはめて、質問に答える段になると、追いつかない。記憶力が作動しないのだ。
六十代の男女三人のクラスメートはツワモノぞろい。正しく聴きとってスラスラ書くのである。
休み時間に、イタリア旅行歴を訊いたら、隣の女性は一度も行ったことがない、飛行機嫌いなので、の応えにグワ~ン!
何年ぐらい勉強を?には、もう忘れた、十年以上、の応えにそれはそうでしょう、と少し安心したが、それにしてもそんなに長いあいだ在籍させるこの学校の把握力と、この生徒さんの持続力にも感嘆したのであった。

プロフィールの写真:アッシジ駅の受胎告知像

2012年6月18日 (月)

イタリア語、授業エピソード

イタリアの小説家、スザンナ・タマーロのベストセラー小説『心のおもむくままに』の中には忘れがたい文章がちりばめられている。
  「愛のいちばんの特質は強さである…しかし強くあるには自分自身を愛さなければならず、自分を愛すには自身をふかいところまで知り、奥底にかくれている受けいれがたいことをふくめて、自分のすべてを知る必要がある」
それをしないで娘を死に追いやり、孫娘をひきとって育てなければならなくなった祖母が、のちに孫娘との別れのあとで、死期を悟り、置き手紙を書く。
「逝ったものが胸にのしかかるのは、いなくなったためというより、おたがいに言わなかったことがあるためなのだ」という思いから。

この小説を愛読し、できればイタリア語で読みたいと思った。
イタリア文化会館の語学コースでこの小説の講読のクラスが開かれると知り、わたしはとびついた。数年まえのことである。
すでにこのコースの常連四人の生徒がいて、わたしともう一人かなり高齢の女性が新入りだった。講師はジェノヴァ出身、高校教師を長くしていたという、三十代のおしゃれな女性。
作者の紹介は丹念にされたが、それからが驚愕の授業だった。猛スピードで音読させるのである。そのあと、質問は? その繰り返し。
タマーロの文章をゆっくり味わい、イタリア語的表現の解釈があり、意見を交換しあう、などと想像していたのとは大違い、しかもタマーロの原文はかなりくせのある文章で難解、すらすらとは到底読めない。
二度目の授業のあと、わたしは講師に直談判した。あまりにも期待したものと違う。ほかで講読の授業を受けたことがあるが、全く違った。これではとてもついていけない、その、ほかでの授業の講師の名まであえて、出して、うったえてみた。
講師はちょっと動揺したようだったが、次の授業のとき、常連の生徒に、こういう意見が出たけど、どう思うか?と尋ねた。彼女たちは、今までどおりでいい、と笑顔で応えた。新入りの高齢の女性だけはわたしの意見に賛成してくれた。
その日の授業は、あっと驚くほどのゆったりとした解説の行き届いた内容で、こういう授業もできるひとだったのだな、と安堵し、これが続くようにと願った。

ところがである。翌週の授業のまえ、わたしは教務主任というイタリア人女性から呼びだされたのだ。
文化会館の講読はあのやり方で当然だ、なぜならlettura(講読)だからだ、あなたの求めるのはletteratura(文芸)だろう、気に入らないなら、今ならほかのクラスに変われるけど、どうする?と詰問口調。
わたしは、でもあれは母国語の高校の授業みたいだ、わたしたちは外国人でしかも大人である。いくらなんでもあんな授業は失礼だ、とまで言ってみたのだが、イタリア語とあって、ぺらぺらとはいかないので、その女性は薄ら笑いを浮かべ、英語にしたら、などと言うのである。
だがあまり思いがけなかったので、わたしはすっかり混乱して英語の頭になれなかった。悔しさと、腹立たしさで、言葉に窮しながら、このときほど、自分の無力を思い知ったことはなかった。

授業モードも前に戻り、コース終了を待ちかねたほどだった。大好きなタマーロも遠くにいってしまった気がした。

ひとつ救いだったのは、新入りのもう一人の高齢女性が「あなた、よく言ってくださった、あんなのは授業じゃない、わたしも言いたかったけど言えなかった」と言葉をかけてくれたことである。

2012年6月15日 (金)

イタリア語、その後

よせばいいのに、またやってしまった。
イタリア語授業に「もの申す」を、である。
去年の九月のブログを開いてみると、高齢者だけの居心地よいクラス、難易度はちょっと低いけれど、教科書中心、文法解読の授業を復習のつもりで続けるという意思を記している。
だが、90分の授業、テキストの問題のみをやり、答え合わせをして、質問があるなら、どうぞ、というだけの授業、およそ、二年、惰性で続いているような、その物足りなさが積もり積もって、爆発しそうになってきた。

英語教師、日本語教師、十年以上を経験している。教授法習得のときには語学教師はどうあるべきか、を叩きこまれた。教科書を教えるのではない、教科書で教えるのだ、すなわち、教科書を道具として語学を教えるということ。
つまり、その日のテーマを明白にしてから、文型練習、主語、目的語、シチュエーションを変えて運用、活用を十分してから、教科書を開かせるということ。

イタリアという国は好きだが、イタリア語の教師は二十数人出会ったうちで、好ましいひとは少なかった。教授法をしっかりマスターしていないひとのほうが多かったから。
日本に来ているひとも、いわゆる出稼ぎみたいなひともいるのでその傾向が強い。
ともかくよくしゃべる民族だから、生徒にしゃべらせるより、教師がしゃべるほうが多い。それでは語学の授業とは言えない。語彙の少ない生徒にいかにしゃべらせるか、それを創意工夫してくれなくては。

『Espresso 2』というテキストが終わり、いよいよ最上級に近い『Espresso 3』に入るに当たって、クラスメートもこのままではいけないということで合意、教師に復習を依頼した。その際、よせばいいのに、わたしの意思でクラスメートと協議したことに自分の意見も加えて、授業のやり方を再考してほしいと依頼項目を添えた手紙を出したのだ。
 
それがどう受け取られたか、教師の態度がちょっとこわばったものに変わった。
今、わたしは白い目で見られているという気がしている。


2011年9月 1日 (木)

イタリア語のこと

イタリア語関連、人気ナンバーワンブログAmo l'italiano!を必ず覗くようにしている。目黒区で受講していたイタリア語クラスが二ヶ月休みなので、このイタリア語と日本語で書かれたブログのイタリア語部分を、声を出して読むことが,わたしにとってのネット上のレッスンなのだ。
写真が豊富で、語りもユーモアに満ち、工夫が凝らされていて、クリスマス時には星が、花見どきにはサクラが散ったりもする。
現在仙台に在住のイタリア語学習歴二十数年のこの作者、東京にいたときにはイタリア語学校の事務をしていたことがわかり、好奇心からその学校をつきとめた。
ちょうど開講中の八月だけの夏期講座を受講する事に決め、レベルチェックをしてもらいに出かけたのだが、教師に会って、思わず、あっつ!!
日伊協会で受講したとき、あまりにも生徒まかせの授業だったので、文句をつけたその人。
イタリア人らしく気さくにBenvenutii(久しぶり、ようこそ)なんて言ってもらえ、彼の上級クラスに入る。
生徒は四、五人、彼らの話では、ともかくイタリア語は続けていないと忘れてしまうので、来ている。いつも旬の話題を提供してくれるところがいい、とのこと。
その日のトピックもイタリアのバカンス主流のクルーズ。教師のしゃべりが圧倒的に多いこのクラス、聞きもらすまいとする緊張感は貴重だが、やはり続けるとしたら、同年代のシニアばかりの目黒のクラスだと思った。
教科書中心、文法指導が多く、レベルは少々低いのだが、語学は忘れているのを復習しなおし、後戻りしては前に進むのを繰り返すことが肝心なのを思うと、わたしには居心地のいい場所だからである。