ご冥福を…
カトリック教徒だったH子さんのために、ご遺族は神父さまをお宅にお招きし、ご家族だけの葬儀をされたそうで、このオミクロン感染の急増も重なり、友人たちは、お別れができずじまいだった。
彼女とのお付き合いは四十年以上にもなる。国際婦人クラブで知り合い、二歳年上の彼女の仕事上の有能さと、服装のセンスの良さや、すぐれた主婦ぶりに、圧倒されるほどに惹きつけられ、親しい交友が続いた。彼女の手料理を何度およばれしたことだろう。外国人を交えて数人のランチを見事なメニューと器選びで、もてなし、何種もの大皿料理を供されるあざやかな手際に、見とれるばかりだった。
とりわけ彼女の腕の冴えが輝いたのは、インテリアデザインで、その後のご主人のアルゼンチン駐在で、その才能に一層の磨きがかかったように思う。
帰国後インテリアデザイナーの資格を取得したのは六十歳を超えたころで、わたしはちょうど古ぼけた築後四十年の我が家を、なんとか模様替えしたいと思っていたので、彼女にリフォームのデザインを依頼した。居間からの行き来ができる和室への引き戸、そして二つのドアを、一つの出入り口に集約して、白いしゃれたデザインのドアでアクセントをつけるという思い切った試みは、彼女ならではで、それは見事に成功した。
やがて十数年が経過して、生活を縮小、三十坪の新築をするとき、私の好みをすべて知ってくれている彼女に、設計のアドヴァイスも兼ねたインテリアデザインを再び依頼するというちょっと大仕事を、引き受けてもらった喜びを今でも忘れない。
選択という仕事に疲れ果てた、体力不足の私の代わりに、選ぶという役目も引き受けてくれてくれた彼女は実に正確で、思いやりのある、見事な完成度の高いインテリアを実現してくれた。普通は13段の二階への階段をあえて、蹴上げを低くした17段にしてくれたので、夫はフレイルがひどくなっても階段を日に十数回上り下りすることで、体力を維持できているし、わたしなどは一息で登れる楽な階段を上がるたびに、彼女にありがとうと、言いたくなる毎日である。
家のあちこちに、彼女ならではの、チョイスをみつける。そして下の写真の中、トランプ模様の大皿は、彼女がフランス旅行をしたお土産プレゼント、ブリッジ好きのあなたのことを想って…と手渡された、眺めると涙が出そうなステキな一枚なのである。
お別れはできなかったけれど、このデザイン群や思い出の品を眺めながら、彼女を想うとき、ご供養になるのを祈る毎日である。
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