兄ネコのジミーが去勢手術をする時期がきて、一泊入院、エリザベスカラーをつけて退院してきた。
それほど嫌がって暴れたりもしない、妹ネコは心配そうにそばにより、兄ネコのからだをなめたりしている、とのこと。
娘が朝から一日留守という日、シッターに行ってきた。透明なプラスティックのカラーをつけた姿は見るも不憫、でも、思ったより、平然としていて、観念しているようにも見える。
だいぶ私にも慣れてきたので、ひざに抱き寄せ、もうすぐとれるから、がまんしてね、と言い聞かす。紐で結んであるあたりが痒いらしいので、やさしく掻いて、のどをさすったら、ゴロゴロいう音が聞こえてきた。
妹ネコはちょっと心配そうに、絶えず、兄ネコのほうに視線をおくる。
帰宅してから、カラーではなく、なにか別の手段はないのか、とネット検索したら、手術後の術後服なるものが売り出されていた。注文してみようかと、娘にメール送ったら、カラーがはずせるのはもうすぐだし、水も飲めるし、エサも食べられているから、心配ない、という返事だったが、あの姿はやっぱり不憫でならない。
毎週一回は娘の家に出かけて、ネコシッターしながら、遊ぶのを楽しんでいる。
確かに可愛くて楽しいのではあるが、これから育っていく生命力に圧倒されて、じゃらしながら、とても疲れる自分も実感する。こちらは身体は大きくても終わりに近づいている身であることを意識したりもする。
写真をとると、いつもピンボケ、以下の三枚は娘がスマホで撮ったものを送ってもらった。
グレイが兄ネコ、白トラが妹ネコ、二匹は喧嘩したりせず、兄ネコのほうが運動能力抜群、妹ネコは少し退き気味だが、兄を慕っているようにも見える。
明日12月7日が孫息子の結婚式、いま孫娘が休暇をとって母親の家に泊まっているので、今週はシッター役、休みである。
再びネコを飼うという決心がつきかねている私の危うさを見てとったのか、娘は兄妹ネコを二匹飼う決心をし、その環境を見事に整えた。二階建てでハンモックもついている大きなケージ、リビングのコーナーに天井まで届くキャットタワーがそびえている。
リビングダイニングなので、炊事の場所はシンクもガス台もふたができるようになっていて、驚いたことに、テレビやパソコンのコードにはすべてプラスチックのカバーがほどこされていた。
すでに三度シッターに出かけたのだが、、最初はパソコン台の下の狭い隙間に隠れていた二匹は今やダイニングの娘の椅子にのっかって肩寄せあって寝ている。じゃれあいながら、追っかけっこしながら、日に日に、元気に育っているようだ。
十畳ほどのリビングは結構、物であふれているのだけれど、危ないところは全くないワンダーランドで、いい環境をととのえたと思う。
シッターに行っても、私の仕事はない。二匹を孤独にさせまいという、こういう訪問者もいるよ、ということを知らしめる役目、もっぱら、豊富にととのえている、玩具でじゃらして、満足させている。
ケージの中はトイレと噴水のように常に出ている水の入れ物と、餌の皿ですでに一杯。二匹はトイレも一度もしくじらず、爪とぎもちゃんと専用の板にするし、手がかからない。先回、めずらしく鳴き声がしたので、見たら、トイレに排便の場所が見つけにくい、といってクレイムしているらしかった。お利口チャンなのである。
キャットタワーを巧みに出入りする二匹をカメラにおさめようと、何度も試みたが、その瞬間をとらえようとすると、手がふるえるのか、ピンボケばかり。
岩合さんの偉大さをあらためて実感した。
ネコを飼わないかという話がきている。
そもそもは二人の子供たちが独立して、一人住まいとなった娘がネコを飼う決心をしたと言っていたのだが、彼女の友人が仔猫三匹の飼い主を探しているひとがいるという情報をくれたからである。スマホからの写真がメール転送されてきた。それは二匹のものだけで、グレイと白の混じりの一匹と、キジトラと白の混じりの一匹、二匹ともなかなかの器量よしだ。
ともかく一度見にいってみよう、ということになって、娘の運転で辻堂の奥というその家に出かけた。カーナビで藤沢近辺まではスイスイと到達したのだが、ひとつ大通りをはずれてから、道を誤ったらしく、かなり迂回して、娘はついにはスマホを片手にグーグル案内を頼りながら、町中をはずれた路地の奥のその家に着くのに二時間を要した。
かなり大きな二階家で、玄関までいろいろな花が乱雑に植わっている。ドアを開けてびっくりした。大きいケージが置かれていて、中に三匹の仔猫がいる。玄関まわりには足の踏み場がないほど、ネコ飼料、砂などいろいろなものが積んであって、その家が飼っているネコ二匹も出てきた。迎えてくれたのは七十代初めぐらいとみえる奥さん、同年配らしいご主人もあらわれた。
仔猫は写真通りの可愛さで、あとの一匹は黒白の混じりで、口のあたりに黒い筋がいくつかあるので、見た目損をしているのが、ちょっと可哀そう。
この子猫たちは外ネコの子どもで、この家の奥さんが哀れになって、こうして飼い主を探すことをしているらしい。しばらくして、わたしは二時間余のドライブのあと、どうしてもトイレに行きたくなり、拝借したのだが、トイレにおむつらしきものが積んであって、もしやご主人の介護もあるのではないか、と思った。そうだとして、それでも仔猫を世話しようとしている、この家の奥さんの優しさを想った。
二匹をもらうことを約束して帰途についたが、わたしは、生後二か月のネコをまた育てて飼う決心がつきかねている。自分の身体の不安が増すこれから、仔猫の世話ができるだろうか。何よりも夫が不賛成らしさを表明しているので、迷いが増す。以前は「ネコ飼おうよ」と積極的だった息子も、次の仕事がきまらない今、ネコへの執着心が弱まっていそうなのも気になる。そういう彼にこそ、癒しのネコ必要だ、と娘は主張するのだが…
目下、同い年で、やはり定年寸前の一人息子と九十歳の夫との三人暮らしで、しかもかなりヤンチャなネコを飼っている友人の意見をもらおうとしているのだが…
とりあえずはネコ二匹を娘に飼ってもらって、しばらくしてから、引き取ることにしたいという交渉をとりつけた。というのも、迷いネコ、十年間飼い主となり、最近一戸建てからマンションにすさまじく大変な引越をすませた、ブリッジパートナーに、ネコはね、兄弟の二匹を飼いはじめると、それは楽よ、というアドヴァイスをもらったばかりだからである。
今年の我が家の重大ニュースは、なんといっても愛猫チャイの死である。
毎日写真に向かって、会いたいよう、と言ってしまう。喪に服したいくらいだ。
一カ月ぐらいまえ、夫と我が家にいてくれた二匹のネコ、チナコもチャイも本当にいいネコだったね、としみじみと話していたら、ガラス戸の外で、ニャオという声がしたような気がして、見ると、なんと、真っ白いチナコの身体にチャイの顔がのっかったようなネコがすわっているのを見て、血の気ひくぐらいびっくりした。
近づいても逃げないし、甘えてくるし、毛並をつやつやしているので、野良猫ではなさそう、チャイのエサが残っていたので、やってみたら、がつがつと食べた。
むやみと餌付けをしないように、と新聞などでも書かれているのを思い出して、何十年とネコを飼っていて、野良猫情報にもくわしいネコ博士の友人に訊いてみたら、外で餌付けをするのは問題だけど、家の庭でする分には、こちらの責任でやってるんだから、いいのよ、と言われてなるほど。
毎日来るとちょっと困るかな、と思っていたら、行き場所はいっぱいあるのか、それとも飼い猫が一時的に訪問しただけなのか、数日に一度姿を見せるようになった。
別のネコ好きの友人にそのことを話したら、あなたね、それって、チャイちゃんがあなたたちが寂しがっているから、行ってやってくれ、とよこしたのよ、きっと、などと言うのである。
この一週間ぐらい来なかったのだが、きょう、ガラス戸の外、少し脇のほうに黙って啼きもせず、座っていたので、エサをやった。いつもなら甘えてくるのに、さわろうとすると逃げる。白が薄汚れているようでもあるし、心なしかやせたようでもある。寒風吹きすさぶ朝、野良になったのだとしたら、これからが難儀なことだろう。
食べたら、さっさと姿を消してしまったけれど、どうか温かい、寝場所があって、冬をのりきってくれますように。
この日が近いことは予想していたが、チャイの急激な衰弱はここ数日間に起こった。
階段を降りられなくなったのは六月、七月になると、部屋の中もあまり移動はしなくなり、トイレにだけは、コブのある前足をひじまで折り曲げてヒョコタン、ヒョコタンと歩きながらなんとか中に入り、粗相はせずに用を足していた。
八月、食欲が細り、17年食べ続けたドライフードをまったく食べなくなったので、スープ入りのすり身やポタージュなどを少量食べ、水はもう蛇口から飲むことができなくなり、カップから、数口飲むだけになった。
そして三日前、二種類の魚介のポタージュを数口のんだのが最後の食事、それでも夫がいつものように、抱き上げてひざにのせると、しばらくそのままで座っていた。やがて降りたがったので下すと横たわって移動しなくなった。
一昨日、なぜか啼き声がするので、行ってみると、トイレのそばに横たわり、下半身が濡れていたので、トイレに入れなくて、粗相をしたのだとわかった。身体をふいてやって、新聞紙を敷き、タオルを広げて、そこに寝かせた。そのまままったくおかれたままの姿勢で、翌朝まで。
そして昨日、呼吸が速くなり、目がうつろになったまま、寝ているので、これは、いよいよかと、覚悟をきめつつ、付き添っていた。この段階で獣医さんに来てもらったほうがいい、と夫に言ったのだが、もう最後が近いのがわかっているから、いいんじゃないか、と乗り気にならない。でもわたしはやはり、この状態をしっかり診てもらったほうがいいと、主張して、チャイがうちに来たときからお世話になった、いまは引退されてしまった等々力の先生に電話をした。看護師さんは往診はできないから、連れてきてください、と要求したのだけれど、うちのネコは二代続けてお世話になっているのだからと、と頼みこんだ。電話を切ってしばらくすると、大先生に連絡がつき、ご自分から行こうとおっしゃったという返事をもらえた。
先生は大きな診察箱を持ちながら、二階まで上がってくださり、感慨深げに、19年ですか、よくここまで生きたなあ、とおっしゃった。もう意識はないから、苦しんではいない、との診断にちょっと安堵する。もう夜までもつかどうか、注射はやめておきましょう、それにしてもがんばったなあ、この筋肉の減り方、どうですか、使い果たして、生き続けたんですよ。
頑張り屋さんだったチャイが認められて、胸がせまった。
娘と孫娘がかけつけ、チャイをこよなく愛する皆に見守られながら、夜七時半、チャイの呼吸はとまった。
アメリカで買って大切にしている、ネコ天使のブローチがある。チャイはネコ天使になってわたしを見守ってくれるかもしれない。
まだときどきあの澄んだ啼き声が聞こえるような気がしてならない。
我が家の愛猫チャイは18年生きている。人間の歳に換算すると90歳くらい、すっかり肉が落ちて、さわると骨がごつごつしている。でもその生涯、医師にかかったのは数えるほど、それも尿路結石、捻挫、皮膚病ぐらいの軽いものばかりで、費用も大したことはなく、飼い主孝行だった。老猫は目やになど出るものだが、チャイは今でも目はくっきり、眼光もまだ鋭い。なかなかの男前なのである。
娘と孫娘はチャイの大フアンで、ねえ、チャイに会いにいってもいい?とやってきては、ふたりでスマホをとりまくり、あ、この写真傑作!などと競い合っている。
チャイは自分の寝場所を夫の部屋ときめていて、ほかの部屋では絶対寝ない。拾われたとき、夫のあごひげにふれてから、夫をママだと思ってしまったのである。
夫の部屋は二階だから、ツメがフローリングにふれるかすかな、カツカツという音をさせて、階段を下りてくる。
近頃その降り立つ姿がちょっといびつなような気がして、異常がないか、さわってみたら、前の右足付け根に、大きなコブができているのがわかった。でもさわっても痛がらないし、怒ったりもしない。獣医さんに診せたら、悪性ではなさそうだが、このまま大きくなって苦しむようなら、安楽死も考えなければならない、と言われた。
かわいそうにね、チャイ、こぶとり爺さんになっちゃったね。
でも人間でも百歳を超えたある有名女性の首におおきなこぶを見たことがある。
百歳以上がんばれるかもしれない。
日向ぼっこしてるチャイはこの上なく幸せそう、自然の移り変わりの喜びを享受している姿から、忘れがちなことを教えられる気がする毎日である。
「おい、チャイがびっこひいてるぞ」と気がついたのは夫のほうが先だった。
明け方、外に出たいといった我が家の老猫チャイ、出してから、しばらくして戻ったときは気が付かなかったのだけれど、よく見ると、確かに、右の後ろ足を持ち上げてそろそろと歩いている。
チャイは家に来てもう17年、ほとんど病気もせず、二度の引越にも耐え、その都度新しい家にも慣れ、世話のかからないネコだったのだが・・・
その日は木曜、あいにく近所のかかりつけの獣医さんの休診日、これは困った。翌日は夫が朝から留守、わたしだけでは対応無理、今日じゅうに何とかしなければ。
そこで、もう十年以上ご無沙汰なのだけれど、チャイが家に来たばかりのときに、しばらく診てもらっていた、ここから車で三十分ぐらいの等々力の先生に、思い切って電話する。
折り返し電話があって、ああ、あのシッポの先が切れちゃったネコですね、と覚えていてくれた。
怪我の場合は必ずなめるし、骨折とかだとさわっただけでも痛がるから、そうでなければ、捻挫だろう、ということだったが、一応往診してもらう。
先生も六十代後半、息子さんが代替わりしたのだそうだが、さすが診断は確か、念のための注射をしてもらったのだが、目にもとまらぬ早業だったせいか、チャイはあばれなかった。
十七年はネコ歳では、八十以上、夫と同じくらいの高齢。逝くのはオレとどっちが先かな、などと夫は言うけれど、いまではネコトイレも食事のトレイも自室において、チャイとの共同生活を維持していてくれる。
チャイは三日ほど、外出せず、もしや、これが元で衰弱死ということもあろうかと、不安だったのだが、よく耐え、また元通りに歩けるようになった。
すっかり肉が落ちて、がりがりの身体のいま、ネコ道の塀から飛び降りたときに捻挫したのかも知れない。
でもまだ回復力はあるのだ。よく治ったね、チャイ、えらかったよ。
セブンイレブンで見つけたネコカップで、我が家の飼いネコ、チャイの食難も解決したかに見えたのだが、甘かった。
ちょうど人間がコンビニおにぎりに厭きがくるように、突如拒否状態始まる。
但し、まったく何も食べないというほどではない。これまでの習性がわずかに残っているのか、高齢ネコ用のドライフードに花カツオをかけてやると少しは食べるので、それでしばらくしのいでいた。
それにしても、もっとほかに何かありそうなものだ、と、また別のコンビニのネコ食を物色してみたら、見つかったのだ。
『土佐清水港直送焼かつお』、しかも緑茶消臭成分配合、1本100円也。
これが、またまたチャイの大気に入りとなり、一ヶ月ぐらいは持続している。先代の雌ネコ、チナコがハフハフと言いながら食べていた、あの、なまりの保存食用、便利品である。
しかしそれも、ここにきて厭きがきたらしく、食べ残しがめだつようになってきた。
きのうの土曜日、わたしはブリッジトーナメントに持っていくためのおにぎり弁当をつくって、卵焼きの熱をとるため、食堂のテーブルに広げて出しておいた。
自室で着替えをして戻ってみると、おにぎりが一つ消えているではないか。おぼろ昆布をまぶしたものと海苔を巻いたものと二つあったのに、海苔のほうがないのだ。
なに~っつ?これ、なくなるわけないのに、と全く腑に落ちないまま、あたりを見回していたら、テーブルの足元に海苔のはずれたおにぎりが転がっていた。
そういえばチャイが啼いていたっけ。ええっつ、ノリ食べたの?アイツ?
仕方がない、もう一個にぎりなおし、ためしに焼き海苔一枚出して、チャイのところに持っていったら、なんと、くわっと目見開き、ガツガツ食べはじめた。
ネコが焼き海苔を好きだなんて!!
そろそろ、人生ならぬ猫生の終わりが近づいているカレ、間に合ううちにと、この世のおいしいもの、探しているのだろうか。
最近のコメント