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カテゴリー「スポーツ」の15件の記事

2021年7月24日 (土)

第32回夏季オリンピック大会開会式を観る

オリンピック開催には反対だった。ワクチン接種も終了しておらず、感染は増え続けるこんな中で強行するなんて、と。

おまけに間際になって、演出や音楽担当の主要メンバーの辞任や解雇など発生、一体どうなっているのかと、不快と不安は強まるばかり。

それでも開会式だけは、見届けようと最初から見始めた三時間半だったが、一度も終了ボタンを押すことなく、見続けてしまった。

 

お見事、よくやった、ご苦労様、お疲れ様、素晴らしかった、という感想である。

日本の底力、が湧き出ているのを感じた。

 

木やりもよかったし、真矢みきさんの棟梁ぶりも美しかった。箱を組み立て、動かしながらオリンピックマークを組みたてていく動きも少しも無駄なくスムーズで安心してみていられた。

選手入場もこれまで各国で行われた閉会式のくつろいだ感じをそのままあらわしていて、選手たちのありのままの感情によりそっている雰囲気が好ましかった。

アメリカとフランスが最後のほうだったので、まだ出ない、まだ、と見続け、腰が痛くなっていた。

総勢6000人以上、この大群を、このようにまとめ、引き受けているなんて、スゴイなあ、と思った。

この人たちが全部入場し終わって、それでも、六万人を収容できるというこの会場はまだ余裕のスペースが十分に残っている。真上の空所から色とりどりの花火が何度も放たれて華やかさを広げる。隈研吾氏の設計は本当に素晴らしい、まざまざと実感した。

 

橋本会長のスピーチは声が美しく、内容もよかった。バッハさんのは長すぎた。全部を聴かず、おソーメン夕食の洗い物とゴミの始末に充てた。

 

一番感動したのは、ドローンで組みたてたという地球である。小さなもの、という思い込みだったので、あれほどの大きさに集合したというウソみたいな現実にびっくりし、その美しさと技術の進歩に感動していた。

Photo_20210724114201

お家芸が出ないな、と思っていたら、海老蔵さんが成田屋の見栄を見せ、今一番のジャズピアノも聴けたし、それなのに聖火入場がまだ終わっていない、という意識につきまとわれながら、見続け、ああいう風に持っていくか、と、若い人も高齢者も、今、一番多忙であるべき医師と看護師の組みあわせで、最後は大坂なおみさん、いや、おそれ入りました、この構成と運び、大成功であった。

 

観てよかった、勇気をもらった、これなら何が起きても、なんとかちゃんと対処できる国、我が国、日本である。

2019年8月19日 (月)

プールでもらった情報

久しぶりに自由が丘の「ラテグラフィック」でモーニングを食べて、九時過ぎ、緑ヶ丘のプールに向かった。

バックストロークで右腕を伸ばすのが不安だったが、それほど痛みはなくて、およそ三十分、ウオーキングとクロール、バックの泳ぎをくり返す。

五分休憩のとき、ベンチの隣に、すわった高齢の婦人の足元が気になって声をかけてみた。赤い色の指先開放の履物である。「これね、アクアランっていうのよ。ウオーキングですべらないように、裏にすべりどめもついてるの、ほらね」と言ってゴム製の履物の裏も見せてくれた。

ウオーキングが流行っているのは知っていたが、こんなグッズが出回っているのは知らなかった。Photo_20190819210001

ご年齢をうかがうと、わたしより二つ下、いいなあ、まだ七十代なんて、「アマゾンで頼んだの」とおっしゃるので、「スマホもなさるの?」とわたしが慣れるのにひまがかかるだろうと躊躇していることを告げると、「大丈夫、この歳でも二か月あればOKよ」と励まされて、ちょっといいニュースをもらった気がした。

 

身体のほうは、軽くなったけれど、モーニングが食べ過ぎで、胃が重たい感じ。

やっぱり朝食は軽いのがいい。この次は「エクセルシオール」かどこかで、シンプルにしよう。

2018年11月16日 (金)

プール事情

定期的に通っていた緑ヶ丘のプールが改装のため、来年一月初めまで休館となり、困っている。なで肩で、肩こりがたまりやすいので、週一、マッサージを受けてなんとかなだめていたのだが、旅行疲れやパソコン疲れがかさなり、きのうなど、このままだと、体調が最悪になって風邪をひきそう、という状況になって、これは何とかしなければ、と近くの薬セイジョーに駆け付け、精力剤みたいな飲み薬で、この背中のよどみを消す方法はないのか、と相談したら、そういうことに詳しいと言う男性が出てきて、「エスモン」とかいう高麗ニンジンなどが入っている漢方的な即効薬をおしえてくれた。
これが期待以上の効き目を発揮し、背中のよどみはとれたのだけれど、やはり泳げる場所を探しておかなければ、とネット検索にはげむ。

大田区のプールは一番近いところ、東調布公園プールがあるが、ここは一般開放が少ないのと、シャンプーが使えないという難点がある。
東急スイミングスクールに、プールの一般開放はないのかと電話してみたのだが、そういう試みはなく、成人向けのクラスに入ってみたら、と提案された。でも二種目教師つきだそうで、クロールとバックで充分と思っているわたしには今さら、また指導を受けるのはシンドイ。
それに八千円以上の費用もかかる。それまでして、と思ってしまう。

最後に近くのスポーツクラブにTEL.。単発の入場券は二千百円だという。但し、5900円払うと四回券でお得とのこと。ジャグジーもロッカー使用もロビーも充実しているのは以前会員だったから知っているし、これをその四回券で12月までのりきるのが一番適当かな、と割り切って、きょう第一回を実行してきた。

プールは五コース、二コースはクラス使用とあとの二コースが自由水泳、一コースがウオーキング用、いずれも20メートルと、緑ヶ丘より短く、水泳用は方向が一定方向ではないので、下手すると、まっすぐ泳げないひとと、正面衝突しかねない。
ジャグジーなしでもコースの設定に関しては、シニア券わずか200円の緑ヶ丘のほうがずっとよかったと思いつつ、三十分泳いできた。

2018年2月26日 (月)

平昌オリンピックの感動

今回の冬季五輪、北朝鮮から美女軍団が応援に来るというのを知って、もう見る気がしなくなっていたのだが、彼女たちが早々に消えてから、俄然目が離せなくなるほどの日本選手の活躍ぶりだった。

足の怪我は致命傷かと危ぶまれた羽生選手が見惚れるほどの技を見せて金メダル、しかも右足首に感謝、という言葉に感動、そして小平選手の「怒ったネコ」の姿を目指すというその美しいフォームでの金メダル、「与えられるものは有限だが、自ら求めるものは無限」という哲学的な表現にまた感動。

もうこれで充分、と満足しきっていたのに、プログラム最終が近づいての女子スピードスケート、パシュートの快挙、初めて開眼した追い抜きゲームの面白さ、三人、一糸乱れぬ団結力とプランニングの妙で風の抵抗と体力温存を計算しきった美しい走りの素晴らしさ、しかも私が一番感動したのは、マススタートの高木菜那選手の素晴らしい計画力による会心のレースである。

準決勝でもここぞ、というときに躍り出て、高得点をとり難なく決勝進出、そして決勝では、エストニアの選手が抜きんでて一周ぐらいの差をつけていたにもかかわらず、大柄のオランダ選手を風よけにして、体力を温存、出るべき時をねらい、あの、小柄なのに最後に力を爆発させるようにして飛び出しトップに立った、まさしく叫びたくなるほどの感動シーン…いや、素晴らしいシーンを沢山見せてもらいました、見ているわたしたちに生き抜く勇気を与えてくれた日々であった。

2017年10月25日 (水)

よく戦った、DeNAベイスターズ、そしてありがとう!

まさか、これほどの躍進を果たすとは、ファンでさえも、想像外だったのではないだろうか。

夫は大洋ホエールズ時代からのファンなのだが、1998年に優勝してからは、名前が変わり、監督が代わっても、成績はさっぱりよくならず、内川、谷繁、村田など、これという名選手はほとんど引き抜かれて、この先望みはなさそうだから、もう応援するのやめなさいよ、と何度も言うぐらい、鳴かず飛ばずの試合ぶりにしょげかえることが多かった。

それでも、ひいきの熱情が娘一家にのりうつり、彼女たちが我が家を訪れると、わたしは置いてきぼりで、野球の話に熱中する。それがせめてもの幸いか、と思っていた。

今回もリーグ戦の始まりは相変わらずの勢いのなさで、わたしは元々野球が特に好きというわけではないから、ともかく、夫が鬱にでもならないように、時折励ますことはしていたけれども、期待は全くしていなかった。

ところがどうだろう、三位からまさかのCS出場、キャプテン筒香はタイガースとカープを破ってかならずここに戻ります、などと無茶な宣言をして、と思ったのに、それが本当になってしまったなんて。

敵の本拠地で闘う四戦、三勝目のわずか一点の差、わたしも祈る思いで見届け、守り切ったときには夫と抱き合ってしまった。そして一昨日、マシンガン打線が復活したような勢い、ラミレス監督のお立ち台の最初の一声、神に感謝するという言葉に、まず感動。これぞ、野球の面白さ、を見せてくれながら、夫を元気にさせてくれて、ありがとう!!ベイスターズ!

夫はきょう理髪店に行って、生気が戻り、若返ったようだ。
まだ、もしかしたら一週間も野球が楽しめるかも…と言いながら、笑顔になっている。

2016年8月13日 (土)

リオ五輪、体操内村選手、水泳金藤選手の感動

スポーツ番組をあまりすすんで観るほうではないし、加えて、今回のリオ五輪は、それでなくても日本からの飛行時間二十数時間という遠距離の場所、政情不安、選手村環境劣悪などの前評判、選手はベストコンディションで臨めるのだろうか、と心配で、関心を持つまでに至らなかった。
ところが、どうだろう、体操日本の名声、トビウオとまで言われた水泳日本の名を一層高める記録続出である。

あの、体操内村選手の個人総合の最後を、出先から帰ってチャンネルを押したら、まさに間に合って、観戦することができた。鉄棒種目まえまで、なんと、ウクライナに負けている。もしかしたら、危ないのではないか、と不安になった。だが、彼の一番得意な鉄棒なのである。希望はある、そして・・・何という演技だ!!落ち着いて、少しの乱れもなく、最後の着地を決める。
わたしは鉄棒の小野の時代を知っている。あのころより、演技の技術は軽業と言いたいほどにレベルが上がっていて、目を奪うばかりだ。鉄棒から手を放し、一瞬のあいだに身体をひねるなど、すさまじいばかりである。
内村選手は姿が美しい。自信にあふれ、たくましく、技術力を究めた、最高の演技だったと思う。
優勝が決まったときのガッツポーズ、思わず胸がせまって、嗚咽がもれた。これこそ感動の涙。「何も出ないところまで出しきった・・・」というインタビューの言葉、まさに王者の風格だった。

そして、水泳平泳ぎの金藤選手、最初はちょっと遅れ気味、それが徐々に速力を増し、トップに踊り出て、他者の追従をゆるさず、抜きんでて泳ぐ姿を見届ける快感。素晴らしい感動をもらった。
過去二度の五輪で成績ふるわず、これではならぬと奮起した二十七歳、しかも今回の記録はかつて十代の岩崎選手が出した金メダルのあの時の数字を超える快挙である。
コーチをほめたたえる言葉、その努力、これこそ、日本人ここにあり、であった。

2014年2月22日 (土)

真央ちゃんがくれたもの

浅田真央ちゃんはわたしの一番お気に入りのスケーターである。ジュニアの頃から注目していたが、なんの屈託もなく、危なげもなく、いつもトップに輝いていたころと比べて、成人女性となった彼女に、順調に成長しているこその、このスポーツの一発勝負で結果を出すことへの悩みが見えてきているのを、近頃感じていた。

大体メダル、メダルとそれしか目的がないように、いじましく追い立てる、マスコミ、連盟がひどい、体調調整も大変だったろうに、団体、ショートと大舞台が続き、さぞやプレッシャーと闘っているのだろう、と想像していた。しかもショートの順番が可哀そうに、一番ストレスのかかる最終なのだ。
中継まで起きていられなかったので、見なかったのだが、結果はやはり・・・

どれほどの失意と闘っているだろうか。感情移入で胸がいっぱいになりながら、フリーも観ないで寝てしまった。それでも気になって起きたのが4時半、アナウンサーが真央ちゃん素晴らしかったですね、と言っているのを聴き、安心して二度寝。
起床してすぐ、リモコンを入力すると録画が放映されていた。

ああ、なんと、なんと素晴らしく、美しく、持っている実力を100パーセント出した演技であったことか。からだがふるえるほどの涙がこみあげ、これが真の感動というものだと意識するほどの感情に大きく揺り動かされていた。
しかもロシアの誇る大作曲家、ラフマニノフの二番、こよなくただよう悲愴感あふれるメロデイにのって流れるように滑る動きの美しさ。ロシアの人たちだってきっと感動をわかちあってくれたのではないだろうか。

真央ちゃんはメダルなんか問題じゃない、感動をくれた。一人の人間が失意に負けず、立ち直ることの見事さをこの上ない表現で見せてくれたのだ。

こんどのソチオリンピック一番のハイライトだったと思う。

2013年5月31日 (金)

泳ぐ

欧米女性の泳ぎは圧倒的に平泳ぎなのだろうか? 映画で見る限り、ほとんどそうだ、と、たまたまムーヴィー・プラスで『スイミング・プール』という映画を見ながら思った。キャップもかぶらず、ゴーグルもつけず、しかも顔を出したまま、すいすいと泳ぐ。
宿泊したホテルのプールでも見かけるのは平泳ぎばかりだった。
わたしは五十過ぎてから水泳を習い始めたのだが、クロールとバックができるようになると、それ以上はもういい、と平泳ぎに挑戦するのをやめてしまった。ひとつには腰に悪いと言われていたからだ。
クロールとバックを交互にすると、ちょうど、身体の裏表を鍛えたという感じで、平均がとれ、効果もいいように思われたのである。
でもカッコイイのは確かに平泳ぎ、くやしいけど。

夏に海外にいくことはこれまで滅多になかったので、海外で泳いだことは数えるほど、香港、ヴェトナム、ハワイなど。

イタリアに行くようになってからは、イタリア一週間ステイの帰り、ウイーンに寄り、郊外のバーデンで泳いだことがある。このときはローマの語学留学一週間がかなりハードでとても疲れていたので、バーデンの温泉に入るつもりでいたのである。ところが出かけてみると、温泉とはつまりぬるま湯のプールだとわかり、がっかりするやら、驚くやら、でもここで泳いだおかげで、ローマの疲れは消えた。このとき水着が要るとわかって、急遽、ウイーンで購入。黒の単純な形なのだが、身体に吸い付くようでいて、欠点が隠れる。係りの女性がとても丁寧に選択を手伝ってくれたおかげで、よい買い物ができた。六年も前のものだが、未だに着用する事が多い。
イタリアで泳いだことはただの一度、イタリアンリヴィエラの海ではなく、プール。ジェノヴァ近くのキアヴァリというところにホームステイしたとき、朝、シャワーが使えなくなって、急遽、近くのプールに連れていってもらった。ところがこのプール、ダイビングもできるとあって、なんと二メートルの深さ。足がつかぬまま、泳ぐのはとても不安、高齢者のひとたちもいて、つかまる場所がある、一番端で泳いでいるのに気がつくまで、しばらくかかり、日本の高齢女性イタリアのプールで溺死などという、新聞の見出しが頭によぎりながら、三十分を過ごし、語学校の一時間目に遅刻したのだが、肩こりはすっきり解消していた。

この夏にステイするホテルにもプールがある。水着を持参するつもりではあるが、またもやその深さが今からちょっと不安である。

2012年8月13日 (月)

オリンピック終わる

朝九時過ぎにテレビをつけたら、オリンピックの閉会式をやっていた。ロイヤルブルーの光の中で、展開する余興の数々、ついつい見入ってしまったが、ファッションショーからサーカスの軽業のようなものまで、ちょっとやりすぎじゃない? 見ていて、もう結構という感じ、新旧の歌手も総動員、この際芸能界にも売り込もうとしているのだろうか。
閉会式なのだ、もう少しいさぎよく、きっぱり、さっぱり終わってほしいのに。

それにしても北海道から帰京して、朝晩チャンネルをまわさずにはいられず、わたしのドライアイがますますひどくなった一週間であった。
日本選手団、期待以上のめざましい活躍ぶりだったと思う。毎日、新聞に何かしらの競技のメダル獲得ニュース。震災という試練のあと、各々が言うに言われぬ、意識をみなぎらせて、がんばれたような頼もしさ。

とりわけ、見入ってしまったのが、卓球女子、これまで期待を一身に背負っていたのに、思うような結果の出なかった、愛ちゃん。
団体準々決勝試合、ドイツのカットマンとの戦いは素晴らしかった。その名も恐ろしいイバンカン、182センチのがっちり大女オバサン、愛ちゃんとは大人と子供みたいな体格の差。グイッツ、グイッツとカットされて、受けるのに必死になるうち、すかさず、打ち込まれる。その手にはまって、第一ゲームはやっぱり負け。もう、これまでかと思ったが、第二ゲームから愛ちゃんはコツをしっかりつかんで立ち直り、落ち着いたプレイ、見事に勝ちをつかんだ。

四十代から五十代にかけて卓球をしていたときがある。カットマンとの対決ぐらいやりにくいものはなかった。こちらのあせりを待っているようなこにくらしい技。だから愛ちゃんの、がんばりを素直に称えられる。

よくやった、卓球女子。
中国戦は仕方がない、十二億の国民からよりすぐった人材集めて、モーレツ訓練しているのだもの。あのチーム、どうみても女子に見えない。

ともかくお疲れさま。楽しませてもらいました。
選手団の皆さん、ありがとう。

2011年10月10日 (月)

身体の声を聴くこと

連休、二日連続のブリッジトーナメント、それほど、疲れを感じず、むしろほどよい興奮に心が高揚した。
カードを切り混ぜたり、傍らの箱からビッドのカードを抜き取ったりする動作に、もう痛みがない。腕が元どおりに治癒したというよりは、別の収まり方で年齢相応の身体になってきたのかもしれない。

パートナーは二歳下、小柄だが、歩行困難もなく、頭も冴えていて、せっかちで不注意なわたしはたしなめられることも多い。
どこも悪いところないの?と訊くと、スポーツクラブに行って身体をととのえているからなんとか大丈夫、と言うので、近頃、ジム系になっているわたしとしては興味が湧いてきて、さらにつっこんで聞きだした。
ともかく、骨盤をしっかりするのが大切みたい、ああ、やっぱりね。
自宅にバランスボールと、ストレッチポールも購入して、鍛錬しているのだそうだ。

先日クラブの<コアリラックス>というプログラムに参加したときのことを思い出した。片隅でプライベートレッスンをとっている人がマッサージまでしてもらっているのを横目で見ていたら、後ろに並んでいたオバサンが言った。
あたしもやってもらったけど、プロの指導なんて、講釈ばかり多くて、さっぱり参考にならない、自分でなにが必要か悟らなきゃだめよ。
ほんとにそうなのだ、バランスボールとストレッチポール、これはもしかしたら今のわたしの必需品かも。

それにしてもバランスボールは昔、四十年前のアメリカで、子どもたちの遊び道具だった。
<ヒピティ・ホップ・ボール>カラフルで丈夫な持ち手がついていて、息子や娘がとりあいでぴょんぴょん跳ねて遊んでいた。
ああ、それが今ではバアサンたちのジム用品になるなんて!

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