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2024年7月に作成された記事

2024年7月31日 (水)

茨木のり子さんの詩 (続)

茨木のり子さんの言葉の選び方には、育ちの良さがあらわれている。そしてそれはその時にふさわしい雰囲気をかもしだす唯一の表現である。

たとえば「女の子のマーチ」

男の子をいじめるのが好き

男の子をキイキイいわせるのは大好き

・・・・・・・・・・・

パパはいう お医者のパパはいう

女の子は暴れちゃいけない

身体の中には大事な部屋があるんだから。

静かにしておいで やさしくしておいで

・・・・・・・・・・・

おばあちゃまは怒る 梅干ばあちゃま

魚をきれいに食べない子は追い出されます

・・・・・・・・・・・

工藤直子さん曰く、茨木さんの詩はキリリと真面目で、格調高い世界と。

それでも読みながら、笑ってしまう。読みながら気楽にしてくれるものを持っている。どんなに長いものでも最後まで読ませてしまうものを。

2024年7月30日 (火)

茨木のり子さんの詩

恥ずかしいことだが、この歳になるまで、彼女のことを知らなかった。大写しになっている彼女の写真で始まる別冊太陽をぱらぱらとめくって、「わたしが一番きれいだったとき」という詩を見つけた。

この題に惹きつけられて詠み始めた一ページにわたる詩、それは題名から想像するロマンティックなものでなかった。

わたしが一番きれいだったとき

わたしの國は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた。

・・・・・・

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だからきめた できれば長生きすることに

年とってからも美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように

                  ね

左パージは目のさめるように美しい着物姿の彼女がうつっている。彼女の詩にひかれた。そして最後の「ね」の位置にひかれた。

それ以来、この一冊は私の友人のようになり、彼女が料理上手だったことから、彼女の料理本一冊も手にいれて、毎日読んでいる。

わたしはこの詩のたたずまいに惹かれ、すっかり彼女のとりこになった。

2024年7月27日 (土)

みんな大変

夫の介護が長く続いていたわたしは、こういう運が悪いのは、自分だけだと思ってあきらめていた。ただ、夫の状況がどんどん悪くなってついにみとらなければならなくなったとき、慰めてくれる友人たちも、それぞれ、その人なりの苦しみをかかえており、それがこの年齢の持つ宿命のようなものだということがわかった。

今わたしはそこから抜け出し、毎日医者通いをして、自分の体がまだなんとか、持つ状況だということを確かめた。この猛暑のなか、内科の医師を変えて、自分の体に悪いところはないか確かめ、それを知ったのだった。

ありがたいことだ。あと三、四年は大丈夫らしい。

この酷暑のなかでは、出かけると燃えてしまいそうに暑いので、外出は夕方からにしている。

2024年7月17日 (水)

丑の日

うなぎが食べたいと、思ったら、テレビでやたらとうなぎの広告がでてくる。そうなのだ、今日は丑の日だった。夫がなくなって以来うなぎをたべていない。ウナギが好きな人だった。きょうは息子も外食だし、私一人で、外に食べに行くことはできる。でもなんだかそういう気持ちになれない。上着だけ着替えてみたけれど、もうそれ以上手が動かなくなって、やめてしまった。八月の丑の日に食べることにしよう。

昼食の時に買ってきたスープがまた残っているので、一人分のピラフを作って、出かけないことにする。外食をする、などはしゃいだ気持ちになれない。それに、夕食時にちょうど疲れてきていて、外に出る気がしない。友人から電話をもらったので、その話をしたら、夫恋しやっていう気持ちなのかな、と言われた。そういえば、スマホの写真を追いかけていて、夫が映っているのを四枚ぐらい見つけた。その顔にどことなく淋しさを見出し、もう、予期していたのだろうか、などと考えると、胸がいっぱいになる。そして、私が死ぬとき、夫の墓に入らないのは、たまらないだろう、などと考えてしまう。宗教はどうでもいい、その時自分がしたいようにしたらいい、と思うようになった。

 

 

 

 

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