四十九日の日
前の晩から、支度をととのえて、翌日に備えていた。車を運転するのは、行きも帰りも娘、かなりのスピードを出していたが、安心して乗っていられる。でも鎌倉は遠い。
片道およそ一時間、わたしには三年ぶりの、遠乗りであった。
四十九日の日。鎌倉では一、二を争う名寺であるが、十年ぶりぐらいに再訪する身としては、入ったとたん、お寺が荒れている、という感じがした。本堂の近くの日本間に通されたのだが、迎えてくれた奥さまが、かなりお年をとられたという感じだったし、水やりが足らずしおれた花が飾ってあり、なんとなく、手が足りていないという感じなのである。
和尚さまは、義母がなくなって以来の対面だから、あれから二十年ぐらいたっている。なんでも鎌倉円覚寺の優等生だった人だという、ちょっときつい感じのひとだったが、今日のそのひとは全体に丸みが出てコワい感じではなかった。お経はさすがにご住職らしい格があって声がよくひびき、しかも聴かせるものがある。つかっている木魚や、太鼓が古さとその長い年月を感じさせる、重みのようなものが私たちを圧していた。
それから墓地に移動して、納骨。夫の歳と、院のついた名前が記されている札を息子が見て、五月が、三月になっていると丁寧に訂正した。和尚様はありゃ、と叫んだが、ちょっと緊張感が取れた瞬間であった。
みんな年取っている、と思った。お墓の奥はかなり深く、まだまだ、何名でも、入りそうてある。こんなときだから、お墓の底まで見ることができた。
もどってきたとき、出されたお薄とお菓子はさすがのお味、食べ方だけは、茶の湯を習っていたわたしだけが知っていた。
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