ベートーヴェンを知る
今、毎日ベートーヴェンのピアノソナタを聴いている。弾き手はアルゲリッチの元ご主人、この人の名をカタカナにしようとしても、今有名でないのか、出てこない。でも、強弱見事で、弾ききっている。一日に一枚ずつ、途中でやめても、またそこから聴けるので、ベートーヴェンの世界に浸れる。
それぞれのフレーズに、感情が出ていて、ベートーヴェンに癒される。この弾き手がスゴイので、一層小さな曲でさえ、うっとりしてしまう。なんと素晴らしい曲集だろうか。
一体どういうときに書かれたものなのか、ベートーヴェンの生涯なるものを知りたい、と思い、図書館でベートーヴェンと言うタイトルの本を借りてきた。ところが、これは生誕250年の特集の本で、いろいろな人がベートーヴェンについて書いているのである。でもその生涯を語っているものもあるので勉強になった。
いわゆる評論家の語りは面白くない。いちばんわかりやすかったのは、野村あらえびす(胡堂)氏のヒストリカル評論、感動したのは、荻 昌弘氏の『絶対という課題』、彼は映画評論家として有名だが、文章の達人だから、どれほどベートーヴェンに感動するかを、身をもって語り、うん、うんとうなづきながら読み進んでしまった。二百年まえに生まれたあのひとがウイーンという街でどうしてあれほど個の課題をつきつめたのか、という疑問はスゴイと思った。
このあとに書く人はつらいだろう、と思ったら、評論家の福永楊一郎氏だったが、それを正直に語っていたから、やっぱり、と思った。
みなが、ベートーヴェンを素晴らしいとほめている。ほめくらべである。フルトヴェングラーはベートーヴェンを彼のベートーヴェンにした、と言うのが、どんな風に?と思って、聴いてみたくなった。
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