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2024年5月に作成された記事

2024年5月30日 (木)

かみ隠し

お墓にお骨を収めてやれやれと、思っていたのに、今度は大きな荷物が配達されて、それがなんとお花なのである。いろいろアレンジされたものであったり、ランが一種類だったり、下さる方は心をこめてとお気持ちはわかるのだが、いただくほうは荷物をほどくのが大ごとである。そのたびに息子に頼むのだが、一人住まいだったら、さぞ、と思ってしまう。いま、夫は三種の花に囲まれている。胡蝶ラン、洋花のアレンジ、今日、もう一種大きなランが届いた。これは植木鉢で、白いランであった。お花騒ぎはまだ続いている。

それに引き続いて起きたのが,大事なはずの、物のあり場所。いろいろものがなくなって出てこない。小さながま口状の入れ物に入っている,私の印鑑。何十年まえにわたしの名前だけを印鑑登録をしたのだが、それをとりあえず、必要なところに押してしまったので、そのあと、どこにしまったのか記憶は消え失せ、必死に探そうにも思いだせない。いまは、腕時計が消えている。最後に外したのはどこだったのか、その日はいつだったのか、そういう普通の記憶があまりにもいろいろなことを記憶しなければならないので、どこかに消えてしまった。その記憶を整理しようにも、次から次へと覚えておかねばならないのが、ふえていて、どれがどれやら、わからない。いまは香典やお花のもらったところを覚えていて書いたものから礼状を整理するところまではできているのだが、まだ、どんどん後に続くのでそちらに集中すると、以前のがどこかに行ってしまう。

パパが寂しがって、邪魔してるんだよ、と子供たちは言うが、そういえばだれも留守で私一人夜寝ようとすると、どことなく音が聞こえたり、なんとなく薄気味悪い感じがする、と思うときはもう眠くなっていて、また翌日がくる。

私の状況がどんななのか、電話をくれる友人がいる。同じような体験をした、決して異常ではない、そういうものなのだ、ましてや八十六になる歳、当たり前よ、と慰めてくれる。

新しい印鑑を息子がつくってくれた。自分のものも一緒に頼んだのだそうだ。無くなったものを考えるのはよそう、と言う。

有難いことである。

 

 

 

 

2024年5月18日 (土)

四十九日の日

前の晩から、支度をととのえて、翌日に備えていた。車を運転するのは、行きも帰りも娘、かなりのスピードを出していたが、安心して乗っていられる。でも鎌倉は遠い。

片道およそ一時間、わたしには三年ぶりの、遠乗りであった。

四十九日の日。鎌倉では一、二を争う名寺であるが、十年ぶりぐらいに再訪する身としては、入ったとたん、お寺が荒れている、という感じがした。本堂の近くの日本間に通されたのだが、迎えてくれた奥さまが、かなりお年をとられたという感じだったし、水やりが足らずしおれた花が飾ってあり、なんとなく、手が足りていないという感じなのである。

和尚さまは、義母がなくなって以来の対面だから、あれから二十年ぐらいたっている。なんでも鎌倉円覚寺の優等生だった人だという、ちょっときつい感じのひとだったが、今日のそのひとは全体に丸みが出てコワい感じではなかった。お経はさすがにご住職らしい格があって声がよくひびき、しかも聴かせるものがある。つかっている木魚や、太鼓が古さとその長い年月を感じさせる、重みのようなものが私たちを圧していた。

それから墓地に移動して、納骨。夫の歳と、院のついた名前が記されている札を息子が見て、五月が、三月になっていると丁寧に訂正した。和尚様はありゃ、と叫んだが、ちょっと緊張感が取れた瞬間であった。

みんな年取っている、と思った。お墓の奥はかなり深く、まだまだ、何名でも、入りそうてある。こんなときだから、お墓の底まで見ることができた。

もどってきたとき、出されたお薄とお菓子はさすがのお味、食べ方だけは、茶の湯を習っていたわたしだけが知っていた。

 

2024年5月 9日 (木)

ベートーヴェンを知る

今、毎日ベートーヴェンのピアノソナタを聴いている。弾き手はアルゲリッチの元ご主人、この人の名をカタカナにしようとしても、今有名でないのか、出てこない。でも、強弱見事で、弾ききっている。一日に一枚ずつ、途中でやめても、またそこから聴けるので、ベートーヴェンの世界に浸れる。

それぞれのフレーズに、感情が出ていて、ベートーヴェンに癒される。この弾き手がスゴイので、一層小さな曲でさえ、うっとりしてしまう。なんと素晴らしい曲集だろうか。

一体どういうときに書かれたものなのか、ベートーヴェンの生涯なるものを知りたい、と思い、図書館でベートーヴェンと言うタイトルの本を借りてきた。ところが、これは生誕250年の特集の本で、いろいろな人がベートーヴェンについて書いているのである。でもその生涯を語っているものもあるので勉強になった。

いわゆる評論家の語りは面白くない。いちばんわかりやすかったのは、野村あらえびす(胡堂)氏のヒストリカル評論、感動したのは、荻 昌弘氏の『絶対という課題』、彼は映画評論家として有名だが、文章の達人だから、どれほどベートーヴェンに感動するかを、身をもって語り、うん、うんとうなづきながら読み進んでしまった。二百年まえに生まれたあのひとがウイーンという街でどうしてあれほど個の課題をつきつめたのか、という疑問はスゴイと思った。

このあとに書く人はつらいだろう、と思ったら、評論家の福永楊一郎氏だったが、それを正直に語っていたから、やっぱり、と思った。

みなが、ベートーヴェンを素晴らしいとほめている。ほめくらべである。フルトヴェングラーはベートーヴェンを彼のベートーヴェンにした、と言うのが、どんな風に?と思って、聴いてみたくなった。

2024年5月 1日 (水)

夫の遺影

十年ぐらいまえの野球部のユニフォーム姿である。本人が喜んで着ている姿だからか、良く似合っている。

少し笑みを含んでいるような顔。わたしが外出から戻ってくるとまず目がいく。お帰り、と笑顔になっているのがわかる。

彼の眼は最後まではっきりしていた。酸素吸入していたときも、もう半分くらい向こうに行き掛けていたのに、目だけは、しっかり何かを見つめていた。そんなに苦しそうに息をしないで、いやだったら、やめていいのに、真面目なのだ、それがつらい。病院で決められたことを、しっかりしていこうというのはまじめな証拠だ。どこにいっても、困らせる患者ではなかった。それがつらかった。

もうすぐ四十九日の法要がある。一日五十万と言う値段に驚いたが、それに見合う生命保険がきちんとかけられていた。ここしばらくは保険と死の直前にもらった二か月分の年金でやっていける。

ありがとう、あなた。

 

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