クリスマスはひとりで、オペラシティへ、アヴェ・マリアをテーマのウイーン・アマデウス・ゾリステン。ロシアとウクライナ出身の美女二人が次々と衣裳を変えつつ、登場する。指揮者もヴァイオリンの名手でテーマを素晴らしく演奏、聴きごたえがあった。
三日まえにもしや、と『マエストロ』に予約をしてみたら、なんと受けてもらえた。帰りに寄る。カラスミをあえた烏賊のスパゲティとデザートにはフルーツがいっぱい入ったアイスクリーム、早めに来たコーヒーがおいしく、満足の味だった。十年以上もマエストロの味は変わっていない。格式をおもんじ、それでいて、いつもかわらぬもてなしの精神、見事である。
クリスマスの翌日、怖れていたことが起きた。洗濯機が十年たって動かなくなった。日立のひとがきてもうダメ、と宣言、新品を買うことにする。娘がすべて近くのヤマダ電機で買ってくれた。全く同じ機種の新品、でも慣れが必要。音がほとんどしない。古いのはいままでよく動いていたものだ。ご苦労さまといいたい。
そういうわけでおせちづくりが遅れる。二日かかる、黒豆煮、ほかにナマス、田作り、スモークサーモンと玉ねぎの私独自のサラダ、など数点ですます。キントン、かまぼこなど買いに走る。
年越しそばは息子が選んでコンビニのを買ってきてくれた。
毎日お雑煮とおせちで過ごした。夫はもともとおせちなど嫌いなので、おかゆなどで済ます。客はなし。つくづく思うのだが、おせちとは実によく考えられている食べ物だ。マメが良く煮えていると、すべてがおいしい。雑煮とは雑でいいのだ。元の煮汁がしっかりしていれば、すべてがおいしい。わたしはひとり、おせち料理を平らげ、四日はすでに空っぽになったお屠蘇の入れ物を満足しつつ、しまった。
二日に息子と娘と私の三者会議を。夫のこの先の過ごし方、数種の資料を手に息子がまわることになる。ユーモア混じりの話し合い。先行きは暗くない。
私の手はあまり傷まない。歳相応に傷んでいるのだから仕方がない。
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