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2023年12月に作成された記事

2023年12月15日 (金)

結果がはっきりわかるまで(了)

翌週の月曜日、息子は朝九時まえに家を出た。

戻ったのは12時過ぎ、MRIの写しと、診断書が入った袋を、渡して、結果を話してくれた。

四本ある腱の一本が切れていること、手術は一時間くらいかかる。結果がでるのに時間がかかるので、脳梗塞が軽いものであっても、耐えられる身体かどうかわからない。

やはり、残り三本が補っているのだ。私は安心した。なるべく右手を使うことはしないようにしている。ひじから先は関係ないので料理などはできるが、思い鍋などを持ってゆすったりすることは、避けなければならない。いつも意識の中に右手のことがある。しんどいことだ。

それが八十五と言う年齢なのだろう。

半年以上、心地よい泳ぎをできたことを感謝しなければ、腱がほかを補って泳ぎを完成させてくれた。そして、警告も出してくれた。

まだひどくならないうちに、間にあうことができた。

良いことを想って感謝、感謝。

 

 

 

 

2023年12月13日 (水)

結果がはっきりわかるまで(2)

私は何でも一人でできると思っていたので、私と言う人間を知らない医師が、一年まえに脳梗塞をしたことがある患者を身体の経歴だけで診たてをするということを、考えていなかった。そうだ、年齢から言えば、付き添いがついてくるのが当然なのだ。

帰宅して、息子に相談した。三時すぎだったが、今から行ってみようと息子が言った。まず、診断書を書いてもらえるか、電話で訊いてみること、今からでは無理だが、次の医師の診察日、月曜に来てほしい、とのことだった。

一週間待たねばならない。ほかの病院に行くことも考えた。だが、大田区で肩の専門の医師がいるところは見つからなかった。

息子がふいに言った。アオキさんに行ったら? 以前最初の見立てが確かだと言ってたじゃない?

そうか、頭を殴られたように感じた。コロナのまえから、ご無沙汰なのだが、駅前の整骨院の先生、何でも相談できて、私のすべてを知っているひと。

介護のこと、病気のこと、そのまえからずっと五年くらい、ご無沙汰だった。

訪ねたとき、先生はひとりで、病室はあいかわらず、時間がとまったように変わっていなかった。

先生は前と変わらぬ笑顔で、すべてを聞いてくれて、大丈夫ですよ、腱が一本だけでがんばっているってわけじゃないんだから。残ってるのがその役目を果たすように手伝う、人間のからだってそういうものです。

やっぱりきてよかった。腕の痛みはほとんどない。それほどひどくないということか。

その日は来たついでに、電気をかけてもらって、ウオーターベッドで仕上げをして、帰宅した。(続く)

 

 

2023年12月11日 (月)

結果がはっきりわかるまで

このところ、毎週泳ぐことで、生き返るような、経験をしていたので、安心しすぎていた。

もしかしたら、急に泳ぎをやめなくてはならないことがあるかも知れない、とかすかに思うことがあったが、それでもそれはまだまだ後のことだと思っていた。

ところがそれは、ふいに来たのだ。

バックストロークで思い切り右手をのばしたとき、かすかな痛みをおぼえた。それが二度続いたので、不安になった。

思い切って、田園調布中央病院の整形に出かけたときも、不安よりも、ちょっとした腕の曲がりそこない、程度に、思おうとしていた。

 

医師は眉をよせ、ウゥム、キレてるぞ、これは、と言った。レントゲンをとり、MRIがないので、池上の松井病院というところまで取りに行って、結果をきかず、翌日の水曜まで待つことになった。

結果はやはり、腱が断絶。

ショックだった。医師はそれ以上自ら説明しようとしなかった。この人、付き添いは?と看護人に尋ねた。

わたしは手術が可能なのか、成功するのか、どの程度の手術なのかを聞いた。一時間、成功するとはかぎらないとのこと。

あとのことは煩わしそうな感じなので、キレている図を書いてもらって、出直すことにした。(続く)

 

 

 

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