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2023年10月に作成された記事

2023年10月28日 (土)

アンスネスとリソール

七年ぶりに見るアンスネスは正に王者の風格、彼の理解するシューベルトも、初めて紹介されたドヴォルザークの作品も、最初に登場した二十年まえ耳を奪われてから、ずっと、ピアニストが成長し続けるのちに体得した音を、聴き手が完全に受け入れる素晴らしさを心の底から感じられる表現力に、満足しきってうなずいた。私はこの人の醸し出す音ををずっと聴き続けてきたのだ、と。

今から16年まえ、わたしは、アンスネスが監督する、リソールでの音楽祭に友人三人と共に、出かけたのであった。

ノルウェーへの旅は簡単なものではなかった。大きな荷物をかかえながら、二つのバスを乗り継いで、ようやく着いた先の家は凸凹のすごく急な二十段の階段付きの家、但し家の中は若い新婚夫婦でも住みそうなインテリア、広いバルコニーもある。急階段は予想していなかったが、今更すべてを変えるほどの気力もないほど疲れていたので、妥協する。  

リソールはきれいなところだ。室内楽がよく似合う街。店も贅沢ではないが、センスがあってしゃれている。但し、すべての表示に英語が少なく、ノルウェー語ばかりなので疲れる。それでも、階段に慣れ、それなりに居心地よくなってきた。あとの三人(夫妻とその親友の女性一人)は外食を好んだが、わたしはこの時とばかりにひとりでスーパーで買い物をし、お米を探し、沢山の種類の中から美味しい小さな袋のものを選び、買ってみた。帰ってから、一人でご飯をたき、ピラフをつくり、フィノッキオという野菜を入れたピラフにして、デザートにイチゴを食べて満足する。

そのあと、コンサートの情報をえようと出かけたとき、バスに乗らずに帰る方法を若い男性から教えてもらえたのはラッキーだった。

オープニングナイトの日は一日じゅう雨、会場は中心部の教会、長蛇の列に並んで、後ろの端の方の席がやっととれた。室内楽が正にピッタリのスペースに、chamber music が美しく響き渡り、正に小さい部屋で音楽を分かち合っているという、思いを深める。休憩のとき、帰りの交通情報を教えてくれた男性がカメラを片手に近づいてきて、新聞記者のクリスチャンだと名乗り、四人の写真を新聞にのせたい、と言ってきた。アンスネスとの写真もとり、あなたを追いかけて日本からやってきた,という話をすることができた。

二回目のコンサートは良い席に座れず、思い切って舞台の後ろの方に座る。アンスネスが若い才能を紹介する場にしているのを感じる。若い人のすぐ後で彼が弾く現代音楽、ソレンセン、響き渡るように、美しい音色、やはり実力の差を感じた。

新聞が出る。大きく四人の写真もよくとれて、記事もわたしたちの言ったことがはっきり発表されていて、皆大喜び。

夜のコンサート、最前列、アンスネスの独奏曲、ベートーベンの歌曲も、リスト編曲があるあのメロディーで、私の大好きな曲が聴けてうれしかった。

グリークの日、前列、左端の席、教会のベンチに長時間座る辛さがこたえる。アンスネスと、トルペスキの連弾が聴きものだった。息もぴったり、胸にずしんとくる響き、ハーモニーに魅せられ、CDを買い求める。

最終日、早めに出て、思っていたことを行動に移す。この一週間いつも座席が不満だった。一時間以上前に行ってもよい席にはすわれない。近隣の人たちの条件にくらべ、日本からはるばるやってきて老人四人、最後の最後くらい良い席を手配してもらえないだろうか?と。席の手配のエリックというひとに話そうと言ってもらえた。

そして夜22時からのコンサートでは、指定席がもらえて、初めてゆったりと音楽の中に埋没することができた。休憩のあと、アメリカ人の男性が英語でこの音楽祭の主旨を説明した。longingーあこがれー今更ながらにうなづける言葉だった。

最後のアンスネス、ラクリンのショスタコーヴィチメロディー、アンスネスの硬質で響きのある音を、いつまでも胸にきざみつつ、この夜を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

2023年10月19日 (木)

メイ・サートン『総決算のとき』をスゴイ速さで読む

図書館で借りた、あと二冊のうちの、『総決算のとき』はもうパラパラとめくって終わりにしたいと思った。

それほどに前に読んだ二冊が重く、読み終わるのが大変だった。

ところがパラパラとはいかないほどに、三冊目が正に知りたい主題であったのだ。

総決算とは、人生の総決算で、主人公のローラは肺に二つの癌をわずらっていて、あと一年ももたない命と宣言されてしまうのである。

症状は徐々にひどくなったくる。その過程が医学的にも実にくわしく、述べられていて、目が離せない。しかも、彼女の病気を知ったひとが次々に現れてかわされる、会話が具体的で、心理の動きがまざまざと伝わってくる。

結局、以前の二冊は読み終わるのに、一週間ぐらいかかったのに、この本は三日で読み終えた。

母親はかつて社交界の花のような存在であったが、今は一人で老人ホームに入っている。母親より先にこの世を去らねばならないことを、娘だと認識できない母に知らせる。

母の姉妹たちに、真実を語り、彼女らの素性も明らかになるような設定、一番最後は自分の娘、女の子は男の子に比べてはるかに育てにくい。娘と母親との間に存在するあの緊張は何なのだろう、という疑問が語られるが、それが事実だとうなずいた。

死を前にした恐怖の原因は死そのものではなく、死んでいく過程なのだということを、わからせてくれる。

こういう主題に取り組み、それをいかに具体的に述べるか、物語的にも、語りが雄弁で、読者の心をわしずかみにするコツのようなものを、このひとは心得ている、それを随所に感じながら、読み進んだのであった。

2023年10月11日 (水)

メイ・サートンの小説『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』を読む

主人公は最愛の夫が亡くなってから、詩人になり、遅いデビューを果たした女性、成功した彼女に男女二人のインタビューアーが訪ねてくる。

記憶がよみがえり、夫を亡くした当時の、失意のあまり、入院していた時に彼女を再びよみがえらせた、ハロウェル博士とのエピソードは、胸を打つ。

「詩を目的にしたまえ、人間ではなく」と命じられる場面は忘れられない。

家に帰宅したとき、大量の手紙から一通を選びとって、たった一人、文通が続いていた級友からのもの、庭がナメクジで荒らされている、孫は白血病…会いたい、話がしたい、死んで会えなくなる前に…

誰も幸せなひとはいない、自分の現在は幸せなのだろうか、と問うところが印象的だった。

インタビューアーは孤独とさびしさの定義をしてほしいと、彼女に言う。「さびしさは自己の貧しさで、孤独は自己の豊かさよ」と言う答え。

サートンが「自己創造の天才」なのであって、絶えざる自己との闘いのあげくに開花する。

孤独を克服して生きる女は、死を超克して生きる女であるという、翻訳者の最後の言葉がこの物語をより豊かにしているように思った。

2023年10月 3日 (火)

メイ・サートンの世界

随分まえにメイ・サートンの世界を知らずにすましていたのは、小説の中に同性愛を告白したという部分に、衝撃を受け、それを知ろうとしないで読むのをやめてしまった。

今回「独り居の日記」を読むつもりになったのは、わたしのブログのコメントにメイ・サートンの文字を見つけて、このひとを読む気にさせるなら、と、図書館で見つけてもらった。

「独り居の日記」は素晴らしかった。独り、のことを書いているのに、背後に大勢との付き合いがある。その友人がまた魅力的で、個性的で、サートンの独りの生活を華やかなものにしていて、日記の広がりを大きくさせている。

同性愛など、気にならない。

もっと早く読めばよかった。でもまだ、間に合ったのは、コメントをくれた、sizuさんのおかげだ。

三十ぐらいの、ポストイットがはさんである。自分の感想も書いてあるのに、自分の字が読めない。病気の後、字が下手になった。感動して書くのだが、あとで読むと、何が書いてあるかわからない。

図書館の本だから、傍線は引けない。これは何とかして、本を手に入れなければ。

息子が熱を出して寝ている。その騒ぎで、すべてのことが遅れている。

サートンの日記には、女性が一人で暮らすということが、孤独を深めることにもなり、またそれを、自己を知らしめるチャンスにもしていて、日記の詳細さはその迫力になっている。

独り暮らしの気楽さと、孤独との両方が書かれてあり、ときには孤独に泣く日もあるとか。

彼女は文学形態の中では、詩を一番愛しており、全力で詩が書けるとわかったときの、幸福感はほかに比べようがない、という。そして書かれた詩はあまり本書にはない。詩として発行されたものへの、効果を図ったのか。

私個人としては、彼女の日記の文章が一番心に残った。あまりにも正直で、彼女が一番愛していた自然を育む心がそこここにあふれている、それが迫力となって、心に残る。

女性は毎日の仕事に終わりを自分で探して、宣言する。一つのことに専念するのがむずかしい。

大きくうなずくところである。

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