うな重恋しや
わが家の近くの鰻屋さんは何十年お世話になったが、ご主人が身体をこわされて、休店となってしまった。
うなぎが食べたい、よその店をためしたりしたが、形を成しているものの、味が十分ではなかったり、つけあわせの漬物、澄まし汁の味が物足りなかったり、あの店がどれほど、我が家に向いていたか、ほくほくの焼き立てのうな重を、黙々と食べ始めるときの静けさ、満足しきってため息をつき、お重を洗う。もうああいう時はないのだ。
先日チラシが目についた。お寿司、天ぷら、うな重が並んでいる。それがいかにも美味しそうなので、その日は何も作る気もしないほど、疲れてもいたので、うな重を二つ頼んでみた。息子にひとつ、夫と私は半分こでちょうどよい。
漬物はついているのかしら?電話してきいてみた。奈良漬けがついている、とのことだった。うな重に奈良漬けのは、おかしな取り合わせだったが、なしよりはいい。私はキュウリと大根のすのものを、作って待った。
やがて、それは来た。運んできたひとは実直そのもの、湯気の立った二つの入れ物、プラスチックのまがいの入れ物だったが、渡して帰った。
ふたを開けて、写真と似ても似つかぬものに驚いた。うな重の顔が違う。たれの色が変な赤さで、味もうな重の自然な醤油の味ではない。ごはんのたれの浸み方もなく、空しい思いでともかく食べた。漬物は一切れだけ、ごはんの端のほうにあった。ひどいうな重だった。
写真とは、似ても似つかず、うな重に似せた、偽物だった。
うなぎを焼くということがどれほど大変で修行が要るのだということを、悟ったひとときでもあった。
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