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2023年8月に作成された記事

2023年8月26日 (土)

心からのお悔やみを

名前が異なる二人の女性からの手紙を受けとった。

五十年になる付き合いの、女性の死を告げる手紙であった。

いつものように「おやすみ」と言って去ったまま、翌朝なくなっていたという。

安らかな寝顔で声をかければ目を覚ましそうだった、とのことであった。

一年に一度くらい電話をする。必ず彼女が出て、ひとしきりおしゃべりが始まる。今年は三度ぐらい電話をしたのだが、それはかなわなかった。

もしかしたら、と思ったのであったのだが、それが本当になってしまった。

医学部長の名秘書とうたわれたひとで、何か困ったことが起きても彼女と言う解決者がいるのが安心だった。

彼女にはお孫さんがいない。三匹の犬を世話しながら、夕飯を作って仕事をする主婦であるお嬢さんの家庭を守る、ということをしていた。

この酷暑の夏を過ごすのは大変だったのであろう。

消息のないひとからの便り、それはもしや、の予測を語る一通になりかねない。

今年になって二通目の手紙、哀しみと淋しさにしばし耐える夏である。

 

2023年8月15日 (火)

猫たちの記憶力

娘のネコたちと、三年以上も会っていない。コロナのせいで、会いに行くことをやめていた。

そんな暇もなかったのだ。マスクをしながら、家にこもり、次第に大変になる夫との暮らしに追われていた。

そして病気になって半年、娘の世話になり、ネコたちのことを話題にすることはあったが、自分からは、あの二階にあがる大変さを想像しただけで、もう行くことはないだろう、などと思っていた。

このお盆の時期に、娘が最後の休みの日を一晩どまりで、山形へ行くと聞いたとき、わたしは、それがちょうど夫がデイサービスでいないときだと知って、出かけてみようという気になった。

さいわい暑い日ではなかった。夕方五時ごろ、久しぶりに、娘の家まで、電車で出かけた。そういう元気が出たのだという気がした。

こんにちは、と言って、中に入ると娘のベッドの上に妹ネコのグミがいて、わたしを見て逃げ出さずにいたので、いい子だね、と私の得意のネコの波長で声をかけ、指で喉をなでてやると、気持ちよさそうに目をつむった。お兄ちゃんは?と訊くと二階にいるのか、出てこないので、わたしはあがってみることにした。急階段はそれほど、キツイ感じではなかった。こんにちはと、誰に言うつもりもなく言って娘専用の安楽椅子に腰をかけた。音もなく近づき、そばの爪みがきで、爪をといで、お兄ちゃんネコのジミーが近づいてきた。いい子だね、と言って指をだすと、のどを撫ででもらうようなしぐさをして、甘えてきた。二人とも、覚えていてくれたのだ。

人間同士でも三年以上は長い。顔も忘れるほどなのに、ネコたちはわたしをしっかり見つめて、甘えてきた。

うれしかった。

おもちゃでじゃれる年齢ではなくなったらしい。遊びたいというよりは撫でてもらって喜ぶというような時期らしく、うでを出すと、噛みついてきたりするけれど、本気ではない、親愛を示すやりかた、頃合いをわかっている。少ない人間関係しかないのに、どの程度にするかを心得ている。

ネコたちは、不思議な動物なのだ。

二時間ぐらいいて、帰ることにした。もっといてくれ、と言う風でも、なかったから、帰りやすかった。

ネコたちも成長している。あんなに狭いところに暮らしているのに、そこで満足している。

元気でいるのがうれしかった。

また会いにいこう、と思う自分がわかって安心してもいた。

2023年8月10日 (木)

うな重恋しや

わが家の近くの鰻屋さんは何十年お世話になったが、ご主人が身体をこわされて、休店となってしまった。

うなぎが食べたい、よその店をためしたりしたが、形を成しているものの、味が十分ではなかったり、つけあわせの漬物、澄まし汁の味が物足りなかったり、あの店がどれほど、我が家に向いていたか、ほくほくの焼き立てのうな重を、黙々と食べ始めるときの静けさ、満足しきってため息をつき、お重を洗う。もうああいう時はないのだ。

先日チラシが目についた。お寿司、天ぷら、うな重が並んでいる。それがいかにも美味しそうなので、その日は何も作る気もしないほど、疲れてもいたので、うな重を二つ頼んでみた。息子にひとつ、夫と私は半分こでちょうどよい。

漬物はついているのかしら?電話してきいてみた。奈良漬けがついている、とのことだった。うな重に奈良漬けのは、おかしな取り合わせだったが、なしよりはいい。私はキュウリと大根のすのものを、作って待った。

やがて、それは来た。運んできたひとは実直そのもの、湯気の立った二つの入れ物、プラスチックのまがいの入れ物だったが、渡して帰った。

ふたを開けて、写真と似ても似つかぬものに驚いた。うな重の顔が違う。たれの色が変な赤さで、味もうな重の自然な醤油の味ではない。ごはんのたれの浸み方もなく、空しい思いでともかく食べた。漬物は一切れだけ、ごはんの端のほうにあった。ひどいうな重だった。

写真とは、似ても似つかず、うな重に似せた、偽物だった。

うなぎを焼くということがどれほど大変で修行が要るのだということを、悟ったひとときでもあった。

 

 

2023年8月 4日 (金)

反田さんと務川さん、そして藤木さんのカウンターテナー

きょうのこの日を楽しみにしていた。みなとみらいアコースティックスと称された意味も考えず、二人のピアノ、それに歌唱が入る、程度に考えていた。

事実はカウンターテナーの藤木さんが主体、二人のピアノは独奏が一曲ずつ、あとは伴奏としてのピアノだったのだが、伴奏と言うにはデュオに近いピアノの実力が明らかになる見事さ、歌のほうはどうでもいい、ピアノの音に聴き入った。

但し、席が二階の一番前だったのだが、柵ができていて、横線の二本が視界をじゃまする。長四角に彼らの顔を入れるのが、持参のオペラグラスでもむずかしく、腹立たしかった。同じような席のサントリーやオペラハウスからは一度も感じたことのない邪魔、ホールの作りが悪い。

もう、ここに来ることはないだろう。

但し儲けものがひとつ、二十分の休憩時間に突然花火が見られたのだ。大輪の大写し、最後のほうだったのか、豪華版の彩りと迫力に圧倒された。

みなとみらいのお祭りが重なったのはこういうことだったのか、そういえば今どきの浴衣姿の競演、みんな和服を洋服風に着ていたりして、若さがまぶしい。そのひとたちの行列に並び、早めの待ちに疲れた。

帰りは最後まで見届けず、ラストが舞台から去ると同時に、立ち上がり、劇場を出た。早めの退出にもかかわらず、電車は満員、それでも特急に乗って、横浜で座れ、小杉で乗り換えて、車にも乗らず、十時に戻った。やれやれの外出。

夜のコンサートはもう終わりのつもりだったのに。もしや、のつもりで、電話したのに、奇跡的につながり、チケットが買えたのだった。

無事に戻ったのは感謝である。

ピアニスト二人の実力もわかった。夜の外出は、もうこれきりで終わりにする。

 

 

 

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