娘のネコたちと、三年以上も会っていない。コロナのせいで、会いに行くことをやめていた。
そんな暇もなかったのだ。マスクをしながら、家にこもり、次第に大変になる夫との暮らしに追われていた。
そして病気になって半年、娘の世話になり、ネコたちのことを話題にすることはあったが、自分からは、あの二階にあがる大変さを想像しただけで、もう行くことはないだろう、などと思っていた。
このお盆の時期に、娘が最後の休みの日を一晩どまりで、山形へ行くと聞いたとき、わたしは、それがちょうど夫がデイサービスでいないときだと知って、出かけてみようという気になった。
さいわい暑い日ではなかった。夕方五時ごろ、久しぶりに、娘の家まで、電車で出かけた。そういう元気が出たのだという気がした。
こんにちは、と言って、中に入ると娘のベッドの上に妹ネコのグミがいて、わたしを見て逃げ出さずにいたので、いい子だね、と私の得意のネコの波長で声をかけ、指で喉をなでてやると、気持ちよさそうに目をつむった。お兄ちゃんは?と訊くと二階にいるのか、出てこないので、わたしはあがってみることにした。急階段はそれほど、キツイ感じではなかった。こんにちはと、誰に言うつもりもなく言って娘専用の安楽椅子に腰をかけた。音もなく近づき、そばの爪みがきで、爪をといで、お兄ちゃんネコのジミーが近づいてきた。いい子だね、と言って指をだすと、のどを撫ででもらうようなしぐさをして、甘えてきた。二人とも、覚えていてくれたのだ。
人間同士でも三年以上は長い。顔も忘れるほどなのに、ネコたちはわたしをしっかり見つめて、甘えてきた。
うれしかった。
おもちゃでじゃれる年齢ではなくなったらしい。遊びたいというよりは撫でてもらって喜ぶというような時期らしく、うでを出すと、噛みついてきたりするけれど、本気ではない、親愛を示すやりかた、頃合いをわかっている。少ない人間関係しかないのに、どの程度にするかを心得ている。
ネコたちは、不思議な動物なのだ。
二時間ぐらいいて、帰ることにした。もっといてくれ、と言う風でも、なかったから、帰りやすかった。
ネコたちも成長している。あんなに狭いところに暮らしているのに、そこで満足している。
元気でいるのがうれしかった。
また会いにいこう、と思う自分がわかって安心してもいた。
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