続、吉田秀和氏の言葉
三週間たっても、返事がないので、こちらから図書館に電話してみた。吉田さんの『文学のとき』と言う本が白水社から出ているという知らせをもらったからである。
図書館側が言うには、単行本が出ているという話はなく、全集から見つけるほかはない。それにはすごく時間がかかるという話だったからだ。なんだか、図書館の仕事がすごく時間がかかっているという、気がしていた。
留守中にかかってきたのは図書館の男性からで、希望図書五冊がそろったと言うことだった。早速とりにいくと、なんと、『文学のとき』が入っている。物々しいビニールの表紙があって、汚さないようにという但し書きがついていた。
ともかく、本は見つかったのだ。ヤマネコさん、ありがとうございました。
抜粋は『「東欧」からの便り』という一文からで、わたしが期待したものとは、少々違っていた。吉田さんは全集を読んでいるとわかってくるのだが、まだ今のように海外で音楽を聴くことができない頃に、多くの國で多くの演奏者を聴き、感性あふれる文を書いて読むものを感動させる。この『文学のとき』の一文も音楽や芸術についての文章の中からの抜粋と思ったのだが、ちょっと違った。
この文のまえに大事な一文がある。~個人の感じ方、考え方生き方から離れないで、社会の在り方と大きな動きにつながり、普遍的な意味を持つ仕事をする人。私はそれが芸術家であり、文学者であると信じる~
吉田さんは深く、深く世の中を生き、ご自分の思いを文にされているのだろう。
今の私には知り得ぬ世界も含めて、この文集はちょっと理解しにくいものであった。
コメント