誰のための料理
いま料理のサポートのためと称して、男性と女性が一名ずつ、来てくれている。
とてもよくやってくれるのだが、一日おき、週二日、何にするかを決めるのが、少々億劫になってきている。私は大体、その日になってから、献立を立てることが多く、前もって立てておくのが苦手である。おなかの事情が、あれが食べたいと叫ぶようになることが多く、前もって用意しておくのがむずかしい。
残り物の野菜の始末をすることも多く、人に作ってもらうとなると、あらかじめ、かなり用意しておかなければならない。億劫なのだ。
出来上がってみると、とてもみばがよく、美味しそうなのだが、なんだか、味が違うものもある。
もう二か月、かなり親しくなったので、今お別れするのは、申し訳ない。あちらの責任のようになるのが、困る。
どうしよう。
でも食べることって本当に微妙、息子も夫も、あれってママの味じゃないよね、なんていうので、余計気がもめるのである。
一つには、おかず屋さんのKさんが、復活した。昔懐かしい、切干や、煮豆や、玉子焼き、彼が得意の魚の揚げ物など、全部手作りで、三年ぶり建て替えられたモダンな構えのお店、お味も、一段と、よくなって、楽しみである。彼は引っ越しで奥さんを失くされた。その悲しみを料理にこめて、がんばっている。
わたしは自分勝手な客で、週一しか出かけないことも多い。でも買うときは1000円を超す分量を買う。とても便利なのである。週一になると恋しくなるおかず屋さん、三年ぶり、続いてほしい。
日々の買い物は、いままで軽蔑していた、マイバスケット、イーオン、である。置いてあるものにセンスがない、と思っていたが、よく見ると、毎日使うものは、すべてそろっている。それもよく整理されて。贅沢をいわなければ、日々のおかずは、たいがい間に合う。
遠くにいくのが苦手になってきたわたしは、現在、マイバスケットで、満足している。
さて、お料理の二人とお別れするのは、どうしよう、まだ迷っている。
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