苦情を語る
同い年で息子さんが一緒に暮らしている。慶応の中等部に入ったときはうらやましかった。我が家は海外から帰ったばかりで、私立の中学に入っただけだったが、彼女のところは、中等部をめざし、福沢氏のお墓参りまで済ませる完璧さ。めでたし、めでたしだったのである。けれども、目下は同じ状況、ご主人は95歳でお元気、彼女のご飯がいいのだろう、週一回のデイケアが楽しみ、わたしは水曜の女と申しております、水曜にお誘いをどうぞ、と言う具合、彼女はともかく明るい、わたしの悲観さはない。
わたしの悲観さを話し合えるひと、電話をかけると一時間は切らない、話のテンポが合う。わたしが病気で二か月、電話しないうちに、消えてしまった。ご主人を突然なくして、広い家に一人、ボケがすすんでいたのが、気になっていたのだが…
もう一人、突如あらわれた、同じ状況のひと、クラス会の幹事を一緒にしたひと、何年ぶりかのお電話で、ご主人が脳梗塞の三回目の発作のあと、入院、一か月もうすぐかえってくる、大変、と言うお電話、ご主人のお年は97歳、発作で半身がご不自由、どんなに介護が大変か、ゆっくり聞かせてもらった。
ときどき電話で苦情を話し合う、そういうときは必要である。それにしても、介護態勢がいいと、男性は生き延びる、それはそれで素晴らしい事なのだが、奥さんはやせ細る、それもこれも、運命なのだろう。
このところ、未亡人が大勢、と言う話は聞かず、介護のつらさを訊くことが多い。
90を過ぎても、生きる男性が多いからである。
ブログを更新してくださって、有難いと思っています。なんと申し上げていいか、言葉が見つからなくて、時を過ごしてしまいました。身内も友人も同じ世代の人は、なにかと問題を抱えていて、ひたすら、皆様のご無事を祈っています。
投稿: kikuko | 2023年4月15日 (土) 14時04分