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2023年4月に作成された記事

2023年4月27日 (木)

吉田秀和氏の言葉

「芸術は生活を飾る花、余裕があってはじめて生まれるものと考えてる人が多いけれど、それは逆。芸術は生活の根なのです」吉田秀和

朝日新聞の4月13日の折々の言葉で読み、これの出ている『文学のとき』の全文を読んでみたいと思った。

図書館に行ってそう言ったら、簡単には探せなくて、大変なのである。吉田さんの本は単行本は少なく、全集の中に入っていることが多いので、探さなければならず、いまだにどこだかわからない。ともかく、全集の一部を借りてきて、読み始めているのだが、探してくれると、言った図書館のひとからは、1週間たつけれど、まだ知らせはない。

吉田さんはもう、知る人も少ない稀有な存在なのか、探すのが大変で、時間がかかっているのか、わからない。

ベートーベンを聴きたいという、ラジオ番組から流れてきたヴァイオリンとピアノの名曲、クロイツェルを聴きながら心からこの言葉の真意を感じた。

でもおかげで、深い吉田さんの思いを知ることにはなったのだけれど。

 

2023年4月24日 (月)

再会

病気になったとき、話をしていた相手のひととは、メールを交わす程度だったのだが、我が家の近くに、哲学のコースが開かれるというのを、彼女に知らせて、わたしは病気になって辞めてしまったのだが、彼女は続けていて、その報告もしたいというので、半年ぶり、我が家に寄ってもらうことにした。

本当をいうと、会うのはちょっとコワい気持ちがした。あのときのように、言葉が出てこなかったら、どうしよう、何を話していいのかわからなくなったあのとき、思いだしてしまいそうだ。

上がってもらって、ゆっくり話すのには、二階のほうがいい。人を迎える支度ができているわけではないが、ゆったりとスペースがあるだけでもいいと思い、椅子を手配した。

会ってしまえば、どういうことでもない、自然に言葉がでてくる。あの時のうろたえは、すっかり忘れて、話をしていた。そういうことなのだ。意識をもたずに、自然と言葉がでてくる。病気の経過のことも、ごく自然に、話ができていた。

もう、前と変わらないわね、と言う感想だった。

ただ、現在活躍しているひと、と、介護に携わっている者との、相違を意識しながら、以前とは違っているということを感じてはいた。私より十歳年下のひととは、決定的に異なる何かがある。それを、うらやましいとは、思わず、違うところで、違う何かをしているということ、それぞれが違うのだということが明らかだった。

私のことを気にしてくれていた、今どういう風かということを、教えることは、躊躇がなかった。ありのままでいいのだ。

彼女は安心したらしい。

わたしも、安心したのであった。

 

 

2023年4月17日 (月)

泳いでみる

思い切って泳いでみることにした。夫を八時過ぎに、送り出し、ベッドメイクだけして、家を出る。

行先はとりあえず、モーニングを「せせらぎ」のレストランで。

以前はトーストだけだったのに、近頃、ホットケーキセットが加わった。

ホットケーキに、茹でた玉子と、ポテトフライがついていて、面白い取り合わせ、パクパクいただく。

 

久しぶりのプール、ゴーグルを失くしてしまったので不安だったが、二千円で売っていたので、一安心。

泳ぐのは半年ぶり、身体はおぼえていた。

歩く時の方が不安で、足が滑るような気がする。

でもクロールも、バックも大丈夫だった。三十分、ゆっくり、十分に泳いだ。

何とも言えぬ後味、これを味わいたかったのだ。

 

お昼に近い。自由が丘ブラをして、何を食べるか決めた。

「いちばんや」のラーメン。なんと今月限りだという。味にこだわったのに、もうそれが無理になったという。

お客は女性が多い。男性が多くなければ、ダメなのだろう。でもここのラーメン女性的なのだ。

隣りの女性はスープを全部飲んでいた。一つ一つに心がこもっている。すべておいしい。

お気に入りの店はこうしてまた一つ、消える。ここが開いたとき、新しい味として、試した第一号だったのに。

 

帰りは雨に降られて濡れてしまった。でも近いところだったので、それほど疲れは出ない。

まだ泳げる自分を知った。

有難いと思う。

2023年4月 9日 (日)

苦情を語る

同い年で息子さんが一緒に暮らしている。慶応の中等部に入ったときはうらやましかった。我が家は海外から帰ったばかりで、私立の中学に入っただけだったが、彼女のところは、中等部をめざし、福沢氏のお墓参りまで済ませる完璧さ。めでたし、めでたしだったのである。けれども、目下は同じ状況、ご主人は95歳でお元気、彼女のご飯がいいのだろう、週一回のデイケアが楽しみ、わたしは水曜の女と申しております、水曜にお誘いをどうぞ、と言う具合、彼女はともかく明るい、わたしの悲観さはない。

わたしの悲観さを話し合えるひと、電話をかけると一時間は切らない、話のテンポが合う。わたしが病気で二か月、電話しないうちに、消えてしまった。ご主人を突然なくして、広い家に一人、ボケがすすんでいたのが、気になっていたのだが…

もう一人、突如あらわれた、同じ状況のひと、クラス会の幹事を一緒にしたひと、何年ぶりかのお電話で、ご主人が脳梗塞の三回目の発作のあと、入院、一か月もうすぐかえってくる、大変、と言うお電話、ご主人のお年は97歳、発作で半身がご不自由、どんなに介護が大変か、ゆっくり聞かせてもらった。

ときどき電話で苦情を話し合う、そういうときは必要である。それにしても、介護態勢がいいと、男性は生き延びる、それはそれで素晴らしい事なのだが、奥さんはやせ細る、それもこれも、運命なのだろう。

このところ、未亡人が大勢、と言う話は聞かず、介護のつらさを訊くことが多い。

90を過ぎても、生きる男性が多いからである。

2023年4月 3日 (月)

ウンのつき

我が家の前は通学路である、と書いたのだが、休みの日にはなぜか連れだったカップルが大勢往き来する道に変わる。二人連れは大層幸せそうで、楽しそうである。それを窓から眺めている家が、介護態勢の見本のよう状態だとは、想像もしていないだろう。

介護態勢にしたのは、娘と息子である。二人はなぜか気が合って、よく連絡を取り合っている。

わたしが、病気になって治りはしたが、前ほどしっかりしていないことを知っているからかもしれない。

夫が夜中に転び、とても痛がるので、もしや、折れているのでは、と二人が相談し、奥沢病院に運んだ。幸い骨折はなかったが、動かすのはとても大変で大仕事だった。

簡易トイレで用を足すのを、夫はとりわけ嫌がらず済ませてくれるのはありがたいのだが、難は「大」の方である。もう、五日も出ておらず、毎日酸化マグネシウムの効果を待っていたのだが、今日、初めてその気配があった。ところが、かたくなったものがフタをしているらしく、出ない。

簡易トイレに20分、がんばったが、効果なし。

その日は毎週身体を拭きにくる女性が来る日で、話を聞いて、わたしがやりましょうと、にっこり笑った。夫を寝かし横から出したらしい。明日、残りがでますよ、明るい声で言う。おしぼりを電子レンジであたため、すべては終わった。

こんなことも、してくれる。しかも明るい声でよくある話だと言ってくれる。

以前には考えられないこと、わたしは驚き、ほっとしたのであった。

 

 

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