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2022年12月に作成された記事

2022年12月31日 (土)

軽い脳梗塞が。2

ちょうど、我が家に立ち寄った娘が事を知って、明日一緒に来る、と言った。どうもその話を聞いておかしい、というのである。

私も一部始終がおかしい、それよりも、この話を聞いた友人が、三年ほど前に字が書けなくなったとき、大変なことになると言われてその通りに従いそうになり、危うく、やめてよかった、そこと同じ先生だとわかったのであえて、注意すると教えてくれた。

すでに薬を飲み始めていたが、それが全く効かず、三度目は全くのひどい状況で、死ぬかと思うひどさで、途中でやめてしまった。

翌日点滴、そのあと、娘と一緒に会うと、彼は、娘を見て遺伝だから、やはり、先はこうなるなどと、訳の分からぬことを言い、まったく 話にならない。娘は自分にまかせてほしいと、言い、セコンドオピニオンを通すので、やめるべきとして、無事に書類をもらい、縁を切ることができた。

結局、どうなるのかと思っていたけど、娘のコネで、二十九日に最後の日を開けてくださった第一クリニックの先生に診察でき、無事に薬を処が処方されたのだった。

今回は小さな梗塞がおきている。なにか複雑な処方は、説明がうまくつたわらない。自分の説明が不安でならない。

夫は先日のところが空いていたので、とりあえず二十日、入ってもらった。二十日で治るだろうか。

娘はすべてを投げうって、介護に向かっている。

わたしは今、普段やっていることは、何でもできるので、普通に行動している。

ただ、説明やら、応答やら、ややこしくなると、わからない。 

おせちも簡単なものなら、できるので、田作りだけ引き受けた。

娘のおかげで、すべてが、スムーズにおこなわれている。危うく大変なことになろうとしたことも、新年ぎりぎりにおさまった。

きょう娘親子が二人、最後の墓参りに出かけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年12月29日 (木)

軽い脳梗塞が,

久しぶりに会う若い友人と、話していた。なんだか会話についていけない。何とか話をまとめようとするのだが、支離滅裂になってしまう。

ついに、言ってみた。きょうのわたし、変。何を話しているのかわからない。

そう、変、と彼女が真剣な顔をしていった。今までで一番変よ、すぐお医者さんに行ったほうがいい。

わたしはそそくさと彼女に別れを告げた。自分でもそういいながら、そんなに真剣なことではないような気がしていた。

翌日、ついに医者に行った。先生は、見たことがない人で、わたしのことを聞くなり、顔色を変えて言った。すぐ一番近くの脳神経科に言ったほうがいいです。できるだけ早く。

言われた医者は御嶽山でタクシーでないと無理なところだった。ちょうど通りかかったタクシーに乗り、すぐ見ただけでは、医者とわからないくらいのところで、中に扉の色が異なるところがあって、ようやくMRIのドアと分かった。まずMRIを図り、点滴をする。

運がよかった、一人だけやってくれると医者が言い、わたしを連れて外に出る。なんでも一人だけ空きがあったということで、そこからしばらく乗って荏原病院に行く。終わったら、タクシーが一杯並んでいるので、乗って帰ってください、うちにですよ、と言い終えた。わたしはまた、MRIを取った。沢山の音を聴き、それに耐えた。ようやくそれも終わり、支払いをしようとしたら、何かがおかしいらしく、いつまでたっても終わらない、およそ、三十分も待っただろうか、長い待ち時間だった。やっと外に出たら、タクシーは一台も待っておらず私はどうしてよいかわからなかった。

タクシーは来ない。結局、待つのをやめて、歩くしかないかと思い、大通りに向かって歩きだしてしばらくすると、向こうから車がくるではないか、思いがけず車を前からとめて、御嶽山と言う言葉を絞り出すようにして言いながら、車に乗った。

ドアを開けると、多くの患者がいた。また長い時間を待つ。最後に部屋に入るとようやくこれまでの経過を話し、沢山の薬を飲むことを告げる。

長い一日、大変な一日、それをすぎて、夫に話しをする時間がきた。わたしにとっては、ちょっと大変な時間であった。

 

2022年12月16日 (金)

目にも耳にも美しい『ドン・ジョヴァンニ』?

舞台美術は美しかった。モダンでなく、クラシックな色彩豊かで、幾重にも重なるカーテンに曲線を描いた樹木が描かれている森の場面とか、ヴェネチアみたいな水辺の広がりに、照明が当たり何かが起きている部屋に届く階段があらわれる効果的な最初の幕開け、これはしっかり作られている、さすがイタリア人的確かな美のセンス、と感激したが、歌唱は非があるというのではないが、ドン・ジョヴァンニが無難すぎて、ちょっとがっかり、もっと少々オーバーでも演技の細やかさ、と目を引きつけてやまない、悪の魅力が、欲しかった。あの、待ちに待った、「お手をどうぞ」のアリアもあっさりと、あっという間に終わってしまった。もっとしつこく、歌ってほしかったのに。容姿は恵まれている彼ではあるが、演技が普通なのである。マリウス・クヴィエチェンがこの新国立でドン・ジョヴァンニを演じたとき、あまりにも魅力的で、三日も通い詰めてしまったという友人を知っている。今回は私の期待が大きすぎたのだろうか。

席は一番のお気に入り、張り出した二階のLと言う席、後ろに高齢男性三人、私の両側も高齢男性、前に高齢カップル、私以外の高齢者はすやすやとおやすみが多かったらしく、アリアの拍手はわたしだけという、空しい音がひびくこと度々。

オペラはおしゃれな服装を見るのも楽しみだったのに、今回はセーター姿が多かった。サントリーホールでもリュック姿を何人も見かけたけれど、この三年、世の中は変わったのだ。まだ当分元には戻らないだろう。

飲食禁止で、舞台は3時間25分、空腹をかかえたので、マエストロの予約をした。ホールからレストランに近道で行けると知らされていたのに、うっかりエレベーターに乗ってしまって、ぐるぐるまわり、ちょっと、めまいが出そうでドキドキ。

各種ハムと小さな野菜サラダの前菜、久しぶりのイタリアのハム類、おいしかった。お酒は敬遠し、サンペルグリーノ水にする。鱈とミニトマトのアーリオ、オーリオがこれまた、ほっぺたが落ちそうなおいしさ。女性一人だけはわたしのほかに、二席もあり、心強かった。デザートはバスク風チーズケーキ、あいだにパンを供されたが、それがまた、くせのない、正にイタリアの、あのパン。

オペラへのちょっと不満は、このディナーのおいしさで消えてしまった。

 

2022年12月11日 (日)

耳石はおさまったのか?

11月はとうとう一度も泳がなかった。そのせいか、めまいのリハビリ体操がキツイことも加わってか、肩凝りがひどくなり、マッサージをしてもらっても、楽にならず、すぐまた凝りが出てくる。やはり、泳がなくてはだめだ、と思った。まだ六十代のとき、八十の人が泳いでいるのを知って、なにそれ!、そんなおばあさんが?と思ったのに、わたしは今、そんなバアサンなのである。緑が丘プールが工事中だから、碑文谷のプールに行くことにした。洗足から渋谷行きのバスに乗って四つ目、円融寺前、というところから徒歩4分、碑小学校隣接の建物の四階、立派なプールである。水深も1.1メートルだから、水量も多く、泳ぎがいがるというものだ。30分、歩きとクロールと、バックを繰り返し、めまいも起きず、耐えられた。

でもあのすさまじいめまいの経験は忘れられない。それがまた襲ってきたら、大変だから、リハビリ体操を続けている。そうするとまた肩が凝ってくる。

12月はコンサート予定が続いていて、ついに、アムランのピアノの前は、パソコンの文字がゆらゆらしてきて、危うい感じがしてきた。薬をのみ、出かける寸前もリハビリをして万全の用意、なんとか大丈夫だった。音楽は癒しである。アムランのその日の曲目、葬送行進曲はちょっと不吉な予感がしたけれど、彼の演奏は短調から長調への変換がこの上なく美しく、強く響かせてくれるので、不幸は起こらないよ、と励ましてくれるよう気がした。

きょうはバッハのカンタータ、これも大田区の小さなホールであったのだが、超満員、アドベントの時期ぴったりの曲目、歌手も、メゾソプラノとテノールとバスバリトンが著しく抜きんでて、満足した。音楽は本当に癒しである。あと来週、『ドンジョバンニ』が控えている。またリハビリに励まなければ…でも最悪の事態は過ぎたような気がする。耳石はおさまってくれたのかもしれない。

ブリッジの昔のパートナーが、クリスマスにやらない?と誘ってくれたのだが、残念ながら、とめまいのことを話した。なんと、彼女もつい最近までフアフアめまいの症状があって、ずっとリハビリ体操をしていたのだそうで、『めまいは自分で治せる』という本をぜひ読むようにとすすめてくれた。さっそくアマゾンで購入、まず衝撃的だったのは、めまい専門医が圧倒的に不足している現状と、耳鼻科医でもめまいを勉強したひとは非常に少ないという事実で、その意味では、セカンドオピニオンで良性発作性頭位めまい症を言い当て、リハビリ療法の詳細を示してくれた医師とめぐりあったことはとてもラッキーであり、しかも、そこにたどり着いた自分も、賢明であったといえよう。

あの忘れられない異変はリハビリを始めると一時的に増悪する症状がでるのはごく普通の、通り抜けなければならない山道のような行程であったとわかり、納得もいったのであった。

2022年12月 4日 (日)

久しぶりの一人外食

体操の効力なのか、めまいは起きていない。またあの高円寺の耳鼻科を再訪すれば、その後の症状の診断がはっきりするのかもしれないが、電車に乗って出かける気がしない。なんとなく一年の疲れが、じわじわと出てくる、12月なのである。

 自室にこもって録画しておいたBSプレミアムの『天井桟敷の人々』を観ることにした。フランス映画華やかなりしころ、集大成のようなこの大長編傑作を観て、感動したのを覚えている。ジャン・ルイ・バロウのパントマイムにどれほど魅せられたことか、でも、それから二、三十年の月日が経って、二度目に観たときは、なんだか古色蒼然とした印象しか残らなかった。さて、三度目のアルレッティは若さ不足、年増のきれいな女性という印象、だが、後編の伯爵の愛人となってからの、凛とした美しさはさすがで、いよいよガランスとバティストの再会の場面となる直前、夫が部屋に侵入してきて、「今夜のごはんは?」と訊くので、わたしはキレて叫んでしまった。自分で考えなさいよ!

 でもそれは無理な話なのはわかっている。息子も帰宅しているので、なにか作らなくては。買ったばかりの牛肉が冷蔵庫にあったので、シラタキと玉ねぎの薄切りを加えて、牛丼をつくり、夕べの味噌汁に青ネギを刻んだのを加え、あっためて、二人分のご飯を炊き、キレた勢いで一人外食する元気が出てきた。

なんだかむしょうに、日本蕎麦が食べたい、情報誌SALUSで見つけた、都立大『柿ノ木』に行くことにする。

都立大駅を出て左に曲がり、イルミネーションもきれいな遊歩道を進み、右ハナマサのはす向かいのビル二階、大きなガラス窓が開放的、窓際の席に座る。上から見る青いイルミネーションの遊歩道も目に優しい風景。一度食べると病みつきになる、と言う「自家製ラー油せいろ」を注文。

打ち立てのそばが歯ごたえがありすごくおいしい、ピリリと辛いラー油の汁がよく合う。つけ汁に刻みネギが入っていて、おや、と思ったのだが、薬味は別に注文できる。デザートに栗のシャーベットを食べた。栗の風味がラー油入りツユの後によくマッチして正解。自由が丘のさらしんが店を閉じて、気に入り蕎麦店を探していたところだった。休日の少ない営業も好ましい。これからもふらりと来られるところが見つかってうれしかった。

ハナマサに寄って100円以下という三つ葉とか野菜とヨーグルトなど、買い、向かいの超モダンな100円ショップで、鍋つかみやタオルなど仕入れる。駅前でタクシーに乗り癒された一人外食は終了。夫に笑顔を見せる余裕ができた。

 

 

 

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