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2022年11月に作成された記事

2022年11月26日 (土)

その後10日間が過ぎ…

あの強烈なめまいと吐き気に襲われた日から、三種の運動療法に励んだ。

  • 身体全体でゆっくりと左右にねがえりをうち、寝返った位置で一呼吸とめるをくりかえす。
  • ベッドに寝て起き上がる動作を繰り返す。寝起きの際、二、三秒そのままの位置でとまる。
  • 床を向く、天井を向く運動を、身体全体を使ってゆっくり繰り返す。床や天井をみるとき、ひと呼吸とめる。

このセットを一日に数回以上試みた結果、現在めまいも吐き気も起きていない。

でも体操疲れなのか、だるさのベールにが身体全体を覆っているかのような違和感を感じることが頻繁になったので、いつも出掛けるマッサージより、ちょっと高価な一対一の完全予約マッサージを二度ほど、受けた。私の話を聞くなり、施術師のひとが、そういう人多いみたいですね、四人いましたよ、と言った。

 

きのうの午後は久しぶりに、ブリッジゲームに出かけたのだが、途中で発作が起きたら大変なので、薬をのもうか、どうしようか、と迷った。薬を飲んで、モウロウとして、ゲームに影響がでたら、困るので、薬局に電話して確かめた。薬剤師のひとはブリッジなど知らないので、状況説明に困ったのだが、彼女は外出のときは朝、昼、晩と飲まれている人が多いですよ、と言うので、ともかく一錠ポケットに忍ばせ、水を持参し、なんとなく、ぼんやりしてきたときに、思い切って服用した。幸い、上級パートナーがつきあってくれたおかげで、二位になれて、高揚感が得られたせいか、集中力を消耗した後遺症はなく、やれやれの一日であった。

 

晩御飯は手抜きで、夫にはローソンのカツどん、わたしは前の晩のチヂミの残りと、納豆ごはん、でもデザートにケーキは昼間焼いてあったので、夫はゴキゲンで、不平はなかった。

2022年11月20日 (日)

異変が…

私だけの日の最後は、翌日帰ってくる夫のために彼の好みのケーキを焼き、ブログの記事を更新し、録画してあった、今一番ハマっているデンマークのドラマ「フォロー・ザ・マネー」を観て満足し、久しぶりにカリフラワー、キューリ、人参のピクルスもつくった。

昨日の耳鼻科でもらった資料に記されていた体操もしてみたが、慣れれば、それほど苦になるものではないとわかり、ちょっと安心した。

夜は十六雑穀米入りごはんと、自家製豚汁、人材センター派遣のNさんがいつもお掃除のときにもってきてくれる手作りの煮物をおかずに、食べたのだが、あんまりおいしいので、珍しくご飯をお代わりしてしまってちょっと食べすぎたかな、という不安はよぎった。

 

異変が、九時過ぎ突然襲った。

吐き気のような気分の悪さがあって、ベッドに横になる、だがそれが次第に強くなってトイレに向かおうとしたのだが、天井が揺れるような激しいめまいで、こけつまろびつ状態、やっとのことでトイレにたどり着き、便器にすがる。

何年ぶりかの激しい嘔吐だった。

一度ベッドによろめくように戻ったが、ふたたび、悪心強く、またトイレに二度目の嘔吐、よくこれほどのすさまじさで、食べたものの逆流が起きるものだと、頭の奥で思いつつ、発作に耐えていた。これは尋常ではない、死期に向かっているのかもしれないとも思った。

息子は三日間ごはんいらないよ、と出かけたきりだし、娘は仕事、スマホのところにもたどりつけない。緊急を知らせるのがこれほど難しいとは…

ともかく、昨日もらった、錠剤をのまなければ、けれどもすべての薬を入れているバスケットまで到達不能なほどに、すさまじいめまいはおさまらないままだった。

ようやく吐き気はおさまったので、薬の場所にたどり着き、いつもそばにおいてある水のいれものから、水を含んで、何とか一錠のむ。

目が覚めたときは、まだ夜で、キッチンから音がしていたので、思わず、息子の名を呼びながら、助けて~と叫んだ。「もう、一時半だよ」と言いながらも、彼は手早く後始末をしてくれた。

 

翌日耳鼻科に電話した。医師はそんなのは当たり前のような返事をして、吐き気もめまいの可能性もまだ残っているから、ともかく毎日体操すること、それによっては一週間で治ることもある、これまで同じ姿勢ですることをあまりにも多くしていたツケが来ているものを覚悟して、励んでください、と言われてしまった。

 

2022年11月18日 (金)

メニエールではなく…セカンドオピニオン

わたしだけの自由の日、第一日にしたことは、めまいに関するセカンドオピニオンを訊きに出かけることだった。予約はとってある。あえて自分の住んでいる大田区は避けた。数十年開業しているあの医師を知らない、全く別の区に住んでいる医師、ネットの、メニエールに関する意見でこれはと思った杉並の医師のところに行くのだ。

大田区のあの医師からは、めまいを完全にとるために、またあの四種の薬を服用するようにと言われていた。でもあんなに副作用の多い薬を再び、一日三回も一週間以上のみつづけるなんて、ひどすぎる。弱っている胃腸をより悪くするあの薬、絶対間違っている、という気がしていた。

セカンドオピニオンの医師は女性で、私の娘より若い年齢と思われるひとだったが、会うなり、私が年齢よりずっと若く見えるが、なにか、仕事をしていたのか、どういう仕事か教えてほしいと丁寧な口調で言われたので、びっくりした。初診でこんなことを言われるのは、初めてである。

聴力検査は、大田区の医師のより、ずっと、詳しい計り方のように思われた。そして、これまでのめまいの出方などの問診のあと、特殊なメガネを装着した眼振検査も行われた。

結果を告げられるまえに、六ページ分に綴じられた診断書が渡され、これをまず読んでおくようにと、看護師に言われた。

診断名はメニエールではなく、「良性発作性頭位めまい症」

内耳の障害が原因で生じるめまいの一種で、内耳の中にある耳石が、浮遊耳石となって三半規管の中に入り込んでしまうことによっておこる障害、長時間、頭を動かさずに同じ姿勢でいる人がなりやすいという。女性が多い、私の過去の仕事についての質問があったのはそのせいだったのだ。

治すには三種の運動療法、改善と予防のためにできる範囲でがんばることだとして、絵入りで記されていた。これまでの投薬は無駄だったということも知らされた。

どこかに出かけるときのめまいを予防するための小粒の錠剤も処方してくれた。

無駄な薬を身体に入れてしまったことは、本当に悔しいが、自分の努力で、病いの根拠をつきとめたことには、達成感があった。

 

久しぶりに食欲が出てきたのを感じた。駅のそばのマクドナルドに、思い切って入って、チーズバーガーとフライドポテトにかぶりつき、やっぱりマックは焼き立てじゃなくちゃ、と思ったのだった。

 

 

2022年11月15日 (火)

夫のショートステイ

ショートステイ実現までの手順はかなり面倒であった。健康診断書をととのえるのも、ホーム側が必要としている項目が、夫が受けた項目には欠けていて、近くに医院で昨年受けたものを補ってもらわなければならず、私がまた出向くことになり、そういう細かい手間がかかることが疲れを増した。書類の書き込みも半端なく詳細を極めていて、一日に行動することを、どれほど自分でやれるか、書き入れなければならない。朝起きて顔をあらうときに手助けがいるかとか、着替えはどうか、とか…だとか、排泄のときの手助けは?とか、結果、夫はほとんどを「自分で」していることがわかり、90歳でこれほどは立派だと、ほめてみたりしたが、聞こえていたかどうか、わからない。

 

ステイの場所は今回、有料ホームのショートステイが来年の一月まで割引になっていて、一泊5500円という破格の値段なので、幸い義姉が最後ホスピスに入るまで入居していた場所には私たち二人が何度も通って助力したこともあるので、あそこなら、知っているだけで「慣れ」が短縮できると思って、決めたのだった。

 

書類提出が終わってからも、あと、一週間の朝晩の体温を書き入れなければならず、前日までずっと36度台だったのに、前々日になって37度を越したときは、もしや?でパニックになりそうになった。娘がコロナは37度から始まってどんどん上がるというから、もう覚悟して熱さましを用意しておいた方がいいと言って、夜届けてくれたりした。

最近コロナ経験をした若い友人からはもしものためにと、検査のできる場所とか、ファーマシーなどの電話番号とかをメールしてくれたり、という親切も頂戴した。

そして最後の日、早朝体温は再び36度台に戻ったときのうれしさ、安堵は大きかった。

 

出発の日は月曜だったが、タクシーの予約も簡単ではなかった。地元のタクシー会社は最近、予約がとてもむずかしくなっている。高齢者の利用が増えに増えているというか、一週間まえでも、もう、月曜の午前中はまず無理というときが多い。我が家はそれを想像して、息子に「GO」というアプリから予約してもらった。一体どんな車が来るのかと思ったら、なんと日本交通のきちんとした一台で、こういうところも、参加しているのだな、とわかった。

 

夫を施設に残し、一人家に帰ったときは、正直、ほっとした。この日はだれのことも考えないでいい、ただ、自分ひとりのことだけ考えればいい一日、それはやはり、旅行も行かずにいた二年半ぶりの、完全な自由で、正直、何とも言えぬ解放感に、メニエールや難聴への不安も消し飛び、キッチン仕事が少しもいやでなく、鼻歌などを歌いながら、過ごした夜でもあった。

 

2022年11月 8日 (火)

耳つまみのこと

数年前、突発性難聴になったとき、ネットで検索した、耳のマッサージを実行して聴力を取り戻した、と思い込んでいたのだが、その時印刷したコピーを探していたのがようやく見つかり、実際にはマッサージではなく、「耳つまみのやり方」であったことが判明した。

耳鳴りを招くメニエール病、突発性難聴が「耳つまみ」で改善すると耳鼻科医も推奨、という見出しである。

「耳つまみ」のやり方でネット検索すると、まだこの記事が出てくるので、興味のある方はそれをご覧になればいいと思うのだが、ここで簡単にそのつまみ方をご紹介したいと思う。

1.耳たぶの後ろをつまむ。耳たぶの後方にある骨の出っ張りの下部分(少しへこんでいるところ)の皮膚を、親指と人差し指で軽く10回ぐらい、二秒ずつ、つまみ、放すを続ける。

2.人差し指の第一関節の半分ぐらいを耳の穴に入れ、親指で耳の外側を挟むようにして、軽く五回引っ張り、戻しを繰り返す。

3.耳の前側(顔に近いところ)上、中、下を三か所つまみ、放すを、五回ぐらいくりかえす。

4.耳を3方向に引っ張る。とがっている頂点、耳穴の高さ、耳たぶの後方の三か所を親指と人差し指でつまみ、三回引っ張る。

聴力が飲み薬で治るはずがない。大切なのは、血流をよくすることだ、と信じて続けた耳つまみであった。

あと一週間後に、予約がある。それまでに、聴力が回復しているように、とは願うが、今回は左の聴力が衰えているのを感じつつ、このつまみをあまり実行していなかった、怠惰な自分を意識している。

夫のショートステイが決まった今、ストレスはかなり軽減している。何とかもう一度元の自分に戻れるだろうか、あきらめ半分の自分もある。

 

2022年11月 3日 (木)

やっと過ごしたその後

8日分の服薬は完了した。服用の注意書きに書いてある副作用の症状、気分の悪さ、食欲不振、頻繁のトイレなど、すべて経験し、それに肩凝りも加わって、生きる意欲が減っていくような気がした。テレビのチャンネル変えても、見続ける気がなくなってしまう。出演している笑顔の人々すべてが、わたしよりは幸せだと思った。

 

次の予約がある日の、朝いちばん、医院までの徒歩15分の道の途中、大学で下級生だった人の家の前で、偶然彼女と出会った。「痩せられましたね」と話しかけられて、事情をちょっと話したら、「うちの主人、その薬をすべて拒否して、聴力失いました」とちょっと寂しそうな笑顔を見せた。

わかる、それほどの薬だったのだ。

 

聴力検査は我ながら、先回よりも、完璧で、結果もいいだろうと期待したのだが、左はやはり、完璧には右のグラフの値と重なっていなかった。本当なのだろうか、先回よりはずっと聞けたと思ったのに…。もう、薬のめません、とはっきり言ってみた。医師はせめて錠剤と粉薬一種だけは続けてほしい、と次の予約を決めた。あの、超まずい液体薬がメニエールに効くのだそうだが、あれから、めまいは出ていないから、ま、様子をみましょう、とのこと。

 

聴力検査の折れ線グラフはよくなくても、あのとき聴くのがむずかしかった電話の声が、左でも聞こえるようになった。テレビの音量も、27ぐらいに減っている。

律儀に薬をのみはじめると、私の弱った胃や十二指腸が悲鳴をあげそうだ。血流のマッサージを続けつつ、自己流で様子を見ようと思う。

 

今回の事件が介護関係では、効果を得たのか、包括主任とケアマネさん二人が訪問してくれて、ショートステイに関する、完璧な情報をくれた。介護の区分変更も実施してくれるという。この件に関してはもう言うことなし、わたしは素直に頭を下げた。

娘はがんばった甲斐があったね、と言ってくれた。Photo_20221103151901

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