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2022年6月に作成された記事

2022年6月26日 (日)

聖書と共に

一訪問者として教会を訪れるのと、洗礼を受けて教会員になるのとでは、天と地ほどの差があることに気づくのは、教会という組織の中にどっぷりつかってからのことである。

ましてや、75歳にもなって、ほぼ人生での越し方ができあがってしまっている状況からのおよそ十年、まだ教会員とならないときに得た常識があまりにも通用しないことに、心が打ちくだかれそうになる。

 

わたしはそれをいやというほど、経験して、大教会を去り、十分の一ぐらいの人数で、礼拝も余分なことを削ぎ落したように整った小教会に転会して、三年余が経った。

 

個人情報を避ける意味なのか、名簿もないので、会員の名前も覚えられていないうちに、このコロナ禍に見舞われた。会合は全てなくなり、礼拝後の会話なども禁止されているので、名簿がないのはともかく、会員の名前だけでも、プリントしていただきたいと、願い出てみたが叶えられなかった。

礼拝堂の入り口のそばに、飲み水を入れた魔法瓶と紙コップがおかれてあったのに、長老会はそれがコロナ菌を呼び込むことになるかも、怖い怖い、ということで、取り除かれた。でも炎天下の夏の通りを歩き、教会にたどりつくわたしのような高齢者は、水を一口飲みたいと思う。他教会状況を調べてみると、すべて、水分配慮は申し分なくととのえられていて、ペットボトルを渡されるところもあるという。

これまでなかったものを、置いてくださいというのではなく、以前そなえられていたものを、再び戻す、というわけにはいかないのだろうか?と、リクエストしてみたが、これもノーであった。

 

六月になって一年一度の総会が開かれた。礼拝の見事な整いかたとは、異なり、式次第がはっきりせず、長老選挙の段取りがよくわからなかった。今年は長老の若返りを期待するらしく、すでに三人の名が推挙されたプリントを配られていたが、そのひとが誰なのかわからない。お名前とお顔が一致しないので、お立ちいただけないのでしょうか?と私はまた余計なことを言ったらしく、牧師が緊張した顔で走り寄ってきて、そんな様式はこれまでないので、みたいなことを耳元でささやいた。会が終わって、外に出たとき、初めて会う一人の婦人が近づき、言った。「私はここに十年以上もいるのですが、まだ誰が誰だかわからないんですよ、よく、ご紹介のことを言ってくださいましたね」と。

 

次の週の日曜日、無事に選ばれた新長老三名の認証式が礼拝中にあった。会衆に背を向けた三人が宣誓の言葉を合唱し、その後ろで会衆が認証の言葉を、呼応し、新長老は振り向きもせず、牧師は改めて紹介もせず、そのままに終わった。

 

翌週の日曜の朝、わたしは早めに教会に行き、牧師にちょっとお話が、と言って許可を得た。四十歳も年上の私の言葉を、これは「諭し」の一つだと思って聞いていただきたいのだが、と前置きして、認証式のあとはやはり、新長老の紹介をしていただきたかった、と希望を述べた。牧師は不快を浮かべた表情で、「うちのやり方を変えるつもりはありません。ほかの教会はそれぞれです、うちはうちです」と応えた。

わたしは、引き下がらなかった。「旧約聖書の箴言に記されていますね。諭しをなおざりにする者は、魂を無視する者…」と。「高慢と不遜は神が一番厭われることだ」ということも。

その日の献金と、六月分の会費の袋を、祭壇の前の献金袋に入れ、わたしは荷物をまとめて、教会をあとにした。牧師夫人が追いかけてきて、引き留め役をされたが、私の心は変わらなかった。

十歳下で、わたしの教会生活を気にかけてくれている別教会の友人に報告した。彼女が暗記しているという詩編、121編を教えてくれた。なにも怖れることはない、この言葉があれば、教会はいらない、わたしはいつでもあなたの味方よ、という言葉もそえてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月17日 (金)

手抜き赤飯セットの一皿

時々、無性にお赤飯が食べたくなる。自分で炊くのはそれほど、苦にならない。

二十年まえから使っているシャトルシェフという二重鍋があるからだ。

小豆を使う分だけ内鍋に入れて、一度沸騰させ、ゆでこぼし、再び水を入れて沸騰させ、そのまま内鍋を外鍋に入れて20~25分くらい保温すると、小豆色に染まった汁と、程よくゆだった小豆が出来上がるので、それをもち米と普通米を、私の場合は半々にしたものに加え、電気釜のおこわというスイッチで炊くだけで、素晴らしくおいしい赤飯ができあがる。

 

赤飯だけでご馳走だから、そえもののおかずは買ったものでもいい。

きょうはカツ煮とチンジャオロースーをおかず屋さんの「ブリーズ」で買い、あと、ナスのシギ焼きだけつくって、大皿に盛った。

 

このお皿は結婚したときお仲人さんからプレゼントされた洋食セット、もう60年も割れないでもっていてアンティークになりかけている。Kimg0674

2022年6月15日 (水)

手作り握り

週に二度訪れる、移動スーパーの「とくし丸」はカタログがあるわけではなく、肉類や生鮮食品は指定して前日までに頼まなくてはならないので、メニューをあらかじめきておかなければならない手間が面倒で、週に二度ではなく、週一月曜だけ来てもらうことにしている。

その日は霜降り牛の薄切りを頼んでいたのだが、等級が少し下がるものしかないということで、一応みてください、と言われたのだが、やはり思ったような肉には思われず、それはやめて、思いのほか上質なマグロと真鯛の刺身を購入することにした。

確か、先回買った稲荷ずし用のお揚げが一組だけ残っているから、この刺身を握って、急遽お寿司にしよう、と考えたのだが、息子が食べるとなると、分量が足りない。

さて、とまたあれこれ考えて、イタリア製のサラミがあるから、農家の自家栽培の立派なしその葉もあるので、刻んでまぜ、マスタードの入った洋風のすし酢で混ぜたサラダ寿司の、洋風にぎりを付け合わせたら、分量が収まるのではないかと、思いつく。

それと人吉のすこぶるおいしい生みそのお味噌汁、刻んだお揚げに、京都の九条ネギの刻みを入れれば、出来上がり。

Kimg0672

きょう、自由が丘のいつものブティックにセールの値段になっているというブラウスジャケットを買いに出かけた。毎日の料理が疲れると愚痴をきいてもらって、ついでにおいしいオカズ売ってないかしら?と主のKさんに訊いてみたら、首をおおきくふり、おいしいものはありません、テイクアウトで満足することはほとんどなくて…というので、前の日の苦心の握りメニューのスマホ写真を見せたら、仰天されて、まあ、なんておいしそう!!、それはもう、シェフがつくるものより、何十年も手作りされている主婦の方の腕に叶う味はありませんよ、という思いがけない感想を聞いて、このところ、何を作っても疲れが先で、落胆が大きかった悩みがス~うっと消えていくのを感じながら、元気をもらったのであった。

 

2022年6月 9日 (木)

オタフクナンテン

二度目の植木仕事は梅雨入りのまえ、晴れた日の三時間足らずで、済ませてもらうことができた。

カリフォルニアジャスミンを抜いたあとどうするかは、近所のマンションのまわりを囲んでいる赤い葉の混ざった低木と同じものをと、わたしが決めた。現物を見てきた若い植木職のKさんは即座に、オタフクナンテンだ、と言い当てた。おかしな名前だと思ったが、漢字にしてみたら、お多福、だから、縁起がいいかもしれない。Photo_20220609180001

 

カリフォルニアジャスミンがなくなったあと、全貌を見せたアジサイの枝は思いのほか細くて、ジャスミンをしのぐ強さを持っているほどとは見えず、実は低木に支えられていたのだという実情をあらわにした。植物の世界にも、支え合いはあったのだ。

 

蕾が開き、二十数個が咲きそろったアジサイの上部は重そうで梅雨の大雨にも耐えられるように、Kさんは、ジャスミンの列のそろえに使われていた短い棒を組み合わせて、新たな支えをつくってくれた。

 

モッコウバラはシュートが次々伸びて、切り取るのが大変だったが、短くすっきりと刈りこまれたので、その手数がしばしなくなった。

 

その代わりに夏の終わりまで、オタフクナンテンに水やりをするという仕事が生じている。梅雨のあいだ、できるだけ雨の日が多い事を望む。Photo_20220609180301

5年ぐらいで、灌木の形はしっかりするそうなので、なんとかそれまで長生きできれば、と、いまは願っている。

2022年6月 4日 (土)

アルゲリッチを聴く

アルゲリッチ&フレンズ、イヴリー・ギトリスへのオマージュ、というコンサートのチケットを手に入れたのは、KAJIMOTOへのネット入力が遅れて、かなり間際になってからだった。

ひとつにはすみだトリフォニーホールという場所が、我が家からは遠くて不便なので、できることなら避けたかったからである。

今回はいろいろ検索して、田園都市線だと二子玉川から40分以上はかかるけれど、乗り換えなしで行けるとわかったので、徒歩距離で近い二子行きのバスで15分乗り、直通電車に乗るという思いのほか楽な行程で、錦糸町に到着した。

 

会場はアルゲリッチフアンがいかに多いかを証明するようにほぼ、満員。

アルゲリッチはYouTubeでもよく見かける、お気に入りらしい、黒白模様のスカートに胸開きのおおきな黒のトップであらわれ、機嫌もよさそうだった。彼女にとっては、おそらく孫ぐらいの年齢の日本人の若い二人にとても気を使っているのがわかった。

 

私の席は前から三番目の右端だったが、オペラグラスなしで、彼女の歩き方や、表情もよく見え、鍵盤上の指の動きさえも目にすることができた。

圧巻だったのは、最初のフランクのヴァイオリンソナタイ長調、伴奏というよりはデュオと言いたい、ピアノの聴かせどころが多い名曲、堪能した。但し、ヴァイオリニスト、音はきれいなのだが、繊細過ぎて、わたしには迫力がちょっと、と思われた。パガニーニの無伴奏のときに、とりわけ、それを感じた。

 

残念だったのは、せっかくのアルゲリッチのギトリスについてのトーク。マイクの使い方や調節を、通訳も、フレンズの一人、ピアニストも十分にしてあげないので、声がよく聞きとれなかったこと。彼女は饒舌なひとではない、と、あのアルゲリッチの映画で語られていたが、ギトリスをどんな人が語ってほしいという問いが、コンサートホールに例えたら?とか、色でいえば?とか、抽象的すぎて、彼女が考え込んでしまっていたこと、言語は英語だったが、たとえ彼女が一番使い慣れているフランス語でもいいから、通訳と二人だけで、十分語ってもらってからの、日本語通訳のほうがうれしかったのに、と思った。

 

でも”マエストラ”アルゲリッチ、上機嫌で、体調もよかったらしく、思いがけず、独奏のプレゼントがもらえた。楽譜を見ながらだったけれど、曲目の発表はされなかったが、わたしの一番好きな、リストのタランテラの中の、舞曲、だったような気がする。

ピアニストと二人の連弾のアンコールもあった。

 

終わったのは九時半近く、帰りがちょっと不安だった。田園都市線は一本で便利だが、二子の十時過ぎは乗り物がちょっと不安、渋谷乗り換えは、東横線まですごく歩かされるので、足が不安、ホールからより近い、JRにしたため、思いがけぬ問題に直面、逗子行きの急行にのりこんだら、いつまでたっても発車しない、やがてアナウンス、横須賀で事故らしきものが起きているらしい、夫にとりあえず、電話する。隣りに座っていた私よりは若そうな男性高齢者が、すぐ立ち上がったので、そのひとについていくことにした。エスカレーターを降りて、中央線の鈍行に乗り込む。でもこれだと新宿に連れていかれる、どうしようと、そばにいた若い、親切そうな顔つきの若者に、すみません、品川に行きたいんですけど、どうしたら?と言ったら、秋葉原で乗り換えればいいですよ、と即答してくれた。

秋葉原はエスカレーターもエレベーターも見当たらなかったが、階段の段数が短く、降りたら、京浜東北のホームですぐ横浜方面に乗れた。蒲田で降り、これもちょっとコワかったが、タクシーに乗る。西口に降りたら真ん前がタクシー乗り場、ずらりと並んでいて、すぐ乗れた。

やれやれ、10時半過ぎ、夫は寝ないで起きていて、秋葉原がいいよ、と電話しようと思ってたんだ、見事な判断だったよ、とほめてくれた。

 

 

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