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2022年5月に作成された記事

2022年5月26日 (木)

英語を話す

近くの文化センターには、介護の包括センターの事務所もあるので、そこを訪ねたときに、ロビーの壁を埋めている会員募集のポスターが目について、眺めていたら、英語を話しませんか?という見出しに注目、シニア歓迎の文字が心に残り、連絡先をスマホに残した。

 

電話して詳しい内容を訊くと、七十代の女性が四人、教師役はウエールズ出身の六十代の男性という情報を得た。こちらの略歴を訊かれたので、話すと、それはレベルがあまりにも違う、がっかりなさるかも、と言われてしまったのだが、レベルは関係なく、ともかく英語を話すチャンスを探しているのだと、納得してもらって入会して、もう二か月を経ている。

ウエールズ出身の教師は独特のアクセントで早口、しかもマスク越しだから、ヒアリングが大変、ほかの四人はそれぞれとても知的な人たちだとわかってきたが、英語が専門でないため、あまり積極的にはしゃべらない。沈黙が漂うと、時間がもったいないと思ってしまうので、指名はされないのにしゃべるのは差し出がましいが、質問という形にしようと挙手し、疑問に思っていることを話すチャンスにした。

教師はとびきりの料理上手らしく、料理の話になると、しゃべりがとまらなくなるほど、ウエールズ独特のケーキなどもスマホにレシピを入れたものを見せてくれたので、先日トミーズで購入したわけである。

早速作ってみた。ドライフルーツ二袋分ぐらいに砂糖をまぶし、紅茶に浸して冷蔵庫に一晩ねかし、ベーキングパウダーとスパイス入りの粉に玉子一個分を混ぜて加え、およそ60分オーブンで焼く、というレシピ、出来上がったものはかなりカタいケーキで、日持ちはしそうだが、甘すぎて、おいし~い、という代物ではなかった。

きょうはそれを一口ずつくらいに切って持参してそれぞれの意見を訊いた。教師は砂糖をへらし、ヨーグルトなどを加えたほうがいい、という感想、それを早く言ってほしかったのに…夫が、わたしがいつも作るケーキに勝るものはない、と言ったということは、公表しなかった。

でも、食べ物を口にしたことでお互いの親密さが増したような気がする。

テキストも以前はハイスクールレベルの、アメリカ風、あくどいイラスト入りのものだったが、せっかくイギリス英語が聴けるのだから、英国製のテキストが望ましい、と希望を述べたのを覚えていてくれたのか、とても上質のテキストに変わり、レッスンは大いにレベルアップした。

このところ、いろいろな記憶がうすれがちなので、週一度二時間、緊張して学ぶのは、とても貴重な場であることを実感する。

 

 

2022年5月19日 (木)

若い植木屋さんに大感謝

ミモザの刈りこみは難しいのに、彼は見事にやってのけた。そして伸びに伸びたローレルの樹も短く刈りこみ、赤芽の生垣もさっぱりと見とれるばかりに切りそろえられ、たまりにたまっていた落ち葉も掃除してくれて、毎日目をやるたびに、うれしくなる樹々のたたずまい、となった。

近くに来ているのに、声もかけてくれない、などと、文句を言いたくなったりした、狭量の自分をつくづく反省している。

そして、このあともう一度モッコウバラを切りそろえに来てもらうことを頼んでいるのだが、その際、思い切って表の灌木、カリフォルニアジャスミンを取り去ってしまうことを相談したら、そのあとに植える候補をいくつも写真入りの情報をくれて、これも感激した。

この十年間、この灌木のツルの始末は本当に面倒で、いつか通りかかった人が私がツルを切っているのに声をかけて、これは本当に大変な植物です。うちは全部取り去りました、と言われて、驚いたことがあったのだ。

幸い、このジャスミンのあいだに植えたアジサイが、十年の年月のあいだに見事な成長を見せて、今年などは三十も蕾をつけ、もうジャスミンを超す勢いとなったので、安堵を得たのである。

このアジサイをプレゼントしてくれた同い年の友人は「グリーンサム、緑の指」の持ち主で、彼女がさわるだけで、植物が勢いをつけるというひとなのだ。

このところ毎日アジサイを眺めずにはいられない。そして彼女のことを想う。Kimg0647

全部の蕾が咲ききったら、どれほどの見応えを感じるだろう、楽しみはつきない。

2022年5月15日 (日)

スマホは何処?

英国のウエールズのフルーツケーキが簡単に作れておいしいと聞いたので、ぜひ試してみたいと、田園調布のトミーズにドライフルーツを買いに出かけた。ついでにベーキングパウダーとオールスパイスも買ったので、計五点、セルフレジなので、バーコードを登録して音が鳴るまで待って最後に現金を払うという、ややこしいことをし終えるのに神経を使い、そのあと、プレッセに立ち寄って、春巻きの皮を買う。中身は家にあるもので間に合う。あとはブロッコリーがめずらしく安かったので、それに豆腐ドレッシングをかけてたべようと木綿豆腐の小を買う。レジで私の前のひとは一万円ぐらい払っていたが、わたしは千円でお釣りが来た。こういう風におうちごはんをしているから、近頃貯金がたまっている。

夕飯の支度は三時過ぎから始めて、あらかた下準備ができたころ、スマホが鳴っているような気がした。わたしのは誰からか、名前を読み上げてベルが鳴るシステムに登録してある。その音をかすかに聞いたような気がしたので、スマホを探したのだが、見つからない。固定電話で呼びだしてみたのだが、電源が入っていないのかお出になりません、とアナウンスが答える。これはおかしい。電源を切っていないのは記憶していたからだ。あちこち探したが、どこにもない。あせりつつも、よ~く考えて、答が出た。考えられることはトミーズで、バーコードを登録したときだ。あそこに置き忘れたに相違ない。ケーキを作る材料を確かめるためにアルバムをクリックしたのを覚えていたからだ。トミーズに電話する。やはり、そうだった、ただし、店員がそれを東急の管理事務所に預けてしまったのだという。東急の事務所は夜までやっている。さあ、大変、とるものもとりあえず、出かけた。

よかった!!スマホは無事だった。東急の管理事務所はバスロータリーのそばにあって、私の身分証明のマイナンバーカードを見せたのち、渡してもらえた。「トミーズはバーコード入力がややこしくて大変なんですよ、そっちに頭がいきすぎてついつい忘れちゃって」と言い訳すると、事務所のひとが「そういう方多いんですよ」と笑顔で答えてくれて、せわしかった気分がちょっと和んだ。さすが東急、この九月に無事100周年を迎えるだけのことはある、と思った。

帰り、もうクタクタで揚げ物はする気がしなくなって、またプレッセに行き、できたおかずを買う。

結局、春巻きは出来合いのコロッケにかわり、豆腐ドレッシングのための豆腐は味噌汁の実になり、千切り春キャベツにブロッコリーを付け合わせて、夕飯を完成。

 

それにしても、あの空耳できこえた、呼び出しのスマホ音、不思議だ。あれがなければ、夜になってもスマホは引き取れなかっただろう。

神に感謝の祈りをささげた。

2022年5月 8日 (日)

『捨てない生きかた』我が意を得たり

「断捨離」というこの三個の漢字はなにか我が身を急き立てるような強い響きを持つ。今年の誕生日に「1日5分からの断捨離」という本をプレゼントしてもらい、読んでみようと試みるのだが、どうしても引き込まれない。総計500万部を売ったミリオンセラーの著者の優雅な新居の写真満載の手引きは心を打たないのである。

そんなとき、近くのクリニックの待合室の書棚にイチオシの新刊として飾ってあった五木寛之著「捨てない生きかた」のページをめくり、そのおだやかでいてしかも説得力に満ちた文章に吸い寄せられるように魅了され、あっという間に三分の一まで読んでしまった。

 

断捨離を始めようとはしたのだった。先日せめてアルバムから必要な写真だけを選んであとは捨てよう、と決心したのに、いざアルバムをめくりだしたら、一枚も捨てられなかった。少女時代のわたし、母の優しい表情、友人たちの笑顔、あの頃、愛情に守られていた戦後の穏やかな日々の記憶がまざまざとよみがえりだしたからだ。

 

五木氏は語る。「古い本…服や、靴、バッグすべてを手離したとしても生活には支障はなく、…生きていくことにも何の差支えもない…でも…箱三杯分ほどある思い出の写真、これを簡単に捨てることができるだろうか…モノに執着するのは生活の問題ではなく、心の問題、その執着はどこからくるのか、それは生きているからではないのか。私たちが生きている限り、執着は消えない、それが真実…」

そうなのだ、私はアルバムをめくりながら、生きていることを実感できた!

 

なおも続く、これこそという彼の言葉、「人生百年という時代…先に逝く友人知人が増え…孤独という問題が立ちはだかる…孤独を癒す、よすがとなるのがモノに囲まれて暮らすということではないのか…モノに囲まれているということは、じつは記憶と共に生きているということ…自分自身の記憶、自分が生きてきた時間というのは、間違いなくかけがえのない終生の友」大きくうなずきたくなった。

 

この本を書店で求めて、これはという箇所に鉛筆で傍線を引き、二重丸をつけ、著者と同い年の夫の感想を聞きたくて、手渡した。夫は正しく同感したくなることが見事に表現されていて、しかもここは、という箇所に鉛筆の二重丸がついていたことに感動したと言った。

 

近頃、聴力の衰えた彼との会話は言い争いで終わることも多いのだが、この本のおかげで、ひととき、同じ価値観を分かち合い、高齢夫婦のきずなが深められたのだった。

2022年5月 1日 (日)

デイサービスのこと、2

ケアマネさんからの、情報二通がほどなく届いた。我が家から徒歩でも行ける場所だったので、そのうちの一軒に連絡し、さっそく見学。ちょうど昼食どきで、環八通りに面した場所だったが、およそ三十人ぐらいが参加していて、男性が四人食事しているテーブルのそばにいたのだが、まったく会話なし。係のひとはアジア系の外国人も加えた五人ぐらいで、とても行き届いた世話をしていたが、参加者があまりにも多く、団体活動が苦手の夫には、ここはちょっと無理だなという気がした。

聴力は落ちているが、認知能力は十分にあり、足は弱ってはいるものの、家の中では杖なしで、階段の上り下りもできる89歳、彼に最もふさわしいところがまだありそうに思われるのだが、どのように探したらいいのだろう? ケアマネさんに任せただけでは無理なのではないだろうか?

同じ89歳で、認知能力はかなり正常に近いけれども、方向感覚に障害を持っているご主人を介護している世田谷の同級生に電話して訊いてみた。

「ケアマネさんにだけ任せてるんじゃなくて、自分でもさがすのよ、驚くわよ、沢山あるんだから」

「ええ~っつ?」であった。

パソコンで、大田区のデイサービスと検索してみたら、なんと200件以上が出てくる。ところが、写真や、特徴などが書き込まれている紹介はほとんどなく、詳細を知るためには、ケアマネさんに頼むしかない、ということが判明。とりあえず我が家の隣町、に加えて雪が谷、北嶺町までの六軒ぐらいを選び、情報を調べてくれるように依頼した。

結果にびっくり、そのうちで現在経営しているのはわずか一軒のみだったのだ。 ということは、空いている不動産を、そういう目的に使用されることがいかに多いか、しかし、決まった人数が、毎日利用してくれなくては、経営成り立たず、ということではないのかと推量する。

隣の駅から徒歩五分の場所を再び見学する。マンションの一階、十人ぐらいで、男性二人、レクリエーションまで見学したのだが、お手玉が出てきたのには、びっくりした。頭の体操だというクイズも名産品を読みあげて、県の名前を当てたりするもの。男性はいずれも参加していなかった。中のインテリアも、今一つという感じである。

結局、もうそれ以上の検索はあきらめ、夫が最初のところでいいよ、としきりに言うので、とりあえず決定。週一、四回を無事経験した。

夫の感想、よく計画されていて、世話してくれるひとたちも感じがいい。でも同じ姿勢、座ったままでの八時間は疲れる。レクリエーションがちょっとつらい、一人だけ別のことをする、のがむずかしいらしい、と知り、なんとかならないか、と、お節介妻、はまた考えをめぐらし、来週、ケアマネさんとデイサービスのマネージャーが我が家を訪れ、話し合いをすることが決まっている。

 

 

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