ミモザはまだ…
今年のミモザの蕾は早くて、師走ぐらいからつきはじめていた。雪に耐え、雨や風にも耐えて重い枝をゆらしながら、蕾は増え始め、今までで一番と言えるほどの花が期待できそうだ。
通行人がカメラを向けている姿を時々見かける。
西嶺町の梅は有名だけれど、わたしはその通りを抜けたモダンな家の玄関先を飾るミモザの黄色を見るのを楽しみにしていた。見続けていたのは、四、五年で、いつのまにか家はあるのに、ミモザの樹は消えていた。多摩堤通りにも、我が家と同じころミモザを咲かせていた家があって、バスで通過するたびに、その花の付き具合を確かめるのを楽しみにしていた。でもそこもいつのまにか樹はなくなってしまった。それほどにこの樹の手入れが難しいのかもしれない。
我が家のミモザもまるで樹が喜んでいるような咲きっぷりを見せ始めたのは、植えてから、四年ぐらい経ってからだ。花が咲き終わったすぐあとに、ミモザの生育のことにくわしいひとに短く刈ってもらわなければ、翌年の花は望めない。その切り時がむずかしいのである。
我が家の樹木医ともいうべきヤマダさんのおかげで、ミモザは花を咲かせてくれる。最初のころ彼はお得意先が多くて、なかなか番が回ってこなくて、樹の切り時がずれていた。
今は彼も仕事を減らしていて、比較的楽な切り場所である、我が家を覚えていてくれるのが幸いしている。
きのう、ミモザの蕾の付き具合を報告し、三月中に来てもらえるように、予約をしたところである。
自ら、樹木医、一級造園技能士という肩書を名刺に印刷している若い人に二度、モッコウバラの手入れを頼んだことがある。技術は確かそうではあるが、驚くほど短く切ってしまって、なかなか新芽が出てこないので不安になったことがあった。電話をしたら、大丈夫です、とは答えたのだが、すぐ前の家の庭の手入れに来ていたりするのに、どうでしたか?とのぞくことをしてくれず、お得意になるかもしれない家を訪ねてくれるような心配りは、今の人に求めても無理なのかも、と思った。
ヤマダさんの存在は大きい。彼の樹を愛する気持ちと、気配りは今のような時代、尊いとさえ、思ってしまう。
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