半年ぶりに
思い立って決行した。
半年ぶりのプールである。腹ごしらえは、「せせらぎ館」でモーニングを。
自由が丘から歩いて緑が丘のプールに行った。かなり歩いたのに、遠いと思わなかった。
体調がそれなりに回復したのだろう。
プールは水中エクササイズを三レーン使ってやっていたので、残りの広いところで、およそ四人が歩いたり、それぞれのフォームで泳いでいたりだったが、私の身体は、さあ、泳ぐぞ、と勢いをつけるより先に、身体が水を求めているように、動きだした。身体の声を聴くとはこういうことか、と思うほど、身体が水の中で動くことを求めているのを感じた。
クロールと水中ウオーキング、そして背泳、交互におよそ三十分、あまり疲れも感じずに、続けられた。
クロールのときも、バックのときも、精一杯手をのばしたけれど、腕の痛みも感じなかった。これまでいつもあった痛みがなくなっていたのは消えたのではなく、それなりに治まったということに違いない。
高齢となっていろいろ痛みは出現するけれど、意識して手当をしていれば、ある時点で必ずおさまる。そういうことを何度も経験しているのに、新しい痛みに出遭うと、やはりオタオタして、もうこれが永遠に続くのではないかと悲観的になる。老年とはそういうことの繰り返しだ。
表に出て、なんとさわやかな、というあの体の細胞がパッと開いて息をふきかえしたような実感を覚えはしたものの、夕飯を頑張って全部手作りするほどの、やる気はおきず、チャーハンはつくるとして、主菜的な肉っけのものは買うことにきめていた。昨日買って食べ残したシューマイが三つ残っているので、あとは肉団子を五つ買ってそこに野菜入れに、残っているブロッコリーとトマトを付け合わせるという、簡略さである。
明日はシルバーセンターのお掃除の人が来るので、自分の部屋もととのえておかねばならない。本もだらしなく積みあがっているし、いろいろな書類が不ぞろいに散らばっている。文房具の入った引き出しが、まだ出しっぱなしかもしれない。
片付けが本当に面倒くさい。せっかく身体の悩みが消えたのだから、終活に取り組もうか、とも思うのだが、思いはよぎるだけで、部屋はそれどころではないのである。
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プールに行こうという意思、行った後の快感、すばらしいことですね。
私はプールとは本当に長く縁がありません。カーブスもやめて今は
意識的に動くようにしているだけです。暑さにめっぽう弱い私です。
庭仕事が結構な運動量になりますが、体の痛める箇所は決まっていて、
なだめすかしながらやっています。
ところで写真のキンモクセイはご自宅の花ですか?
香りが届いてきそうです。
我が家の木には1個だにつぼみを見ません。香りのない秋です。
投稿: ちゃぐまま | 2021年10月 8日 (金) 15時30分
私はなで肩で高校ぐらいから肩凝りに悩んでいて、しかも仕事は小説の翻訳を十年ぐらいしていたので、常に肩凝りの解消に悩まされていました。マッサージもどれだけいろいろ各種通ったか知れません。それが解消したのは、泳げる人に連れられてプールに行き、彼女の泳ぎを見てからです。東急のスクールに通い、まずはバックができるようになり、クロールは息つぎができるようになるまで一年ぐらいかかりました。水泳は独りでできるスポーツ、高齢になっても可能で、本当に体のためになります。今からでもおすすめします。
キンモクセイ、やっと満開となりました。今年は不思議、香りがいまひとつ、マスクをしているせいもありますが、道でもあまり香ってきませんね。
お庭仕事あれだけ見事だと、さぞ大変でしょう。以前の庭は大変でしたが今は数分以下の水やりですみます。
カーブスは皆、ある時点でやめていますね。あれは若いひとのものだと、つくづく思います。、
投稿: ばぁば | 2021年10月 9日 (土) 11時50分