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2021年10月に作成された記事

2021年10月29日 (金)

マツタケ騒動

先週の土曜日、アメリカの松茸です、という、小型の小包が配達された。

送り主は?と訊くと、なんと、私の名前なのである。私が私へ松茸を?!

これはおかしい。悪意のある詐欺かもしれない、それに今アメリカの郵便事情は予測不可能な疑問がいっぱいある。

送り主が納得いかない配達物は受け取りたくない、と配達人に言ったら、返したほうがいいですよ、と賛成してくれたので、それには安心したが、自分が何かの標的になっているような気がして、不安の黒雲が湧いてきた。

そのあと、日通フーズというところから、メールが届き、送り主をもう一度確かめてほしい、品物はそれがはっきりするまで預かっておくという文面だった。

日通フーズを検索すると、松茸の写真も出てきた。日本の松茸とはちょっと異なり、マッシュルームを大きくしたような白っぽいシロモノで、締め切り前に完売、という表示があった。

ともかく、検索を続け、日通商事をつきとめ電話する。時差があるので、二、三日お待ちください、ということで、不安をかかえたままその日が過ぎた。

一日おいて日通フーズから再びメールがあり、送り主がシアトルの従姉からだということがわかった。日通フーズの商品の写真を検索したときに、チェリーの写真があったので、毎年従姉から送られてくるのを思い出して、もしや?という疑問がよぎったのだったが、それなら電話か、メールの予告があるだろう、とその疑問を打ち消していたのだった。

さて、従妹に電話をしなければならない。それが問題だった。90歳になる彼女、先回も一方的に電話してきて、入院していたけれど、元気になったからとしゃべりまくった電話だった。こちらは体調がわるいのに、元気?とも訊きもしない。ともかくもう六十年近くもアメリカにいるので、日本語があやしい。こちらも英語にするべきか、日本語にするか、いつも迷うが、今回は言うべきことをはっきり言える英語のほうがいいか、と思い、つい、かなり強い調子ではっきりと、アメリカのマッシュルームは欲しくない、送ってくれる気持ちはうれしいが、それとこれとは別で、なにか送ってくれるときはこちらが欲しがっているかどうか訊いてからにしてほしい。と言ったのだが、なんだかよくわかっていないみたいで、じゃあ、もう送らないからとか言って切ってしまった。

後日、松茸が届いた。中型のものが八個入っていて、これなら持て余すほどではないとわかった。偶然、アメリカ生活が長かった友人から電話があったので、そのことを話したら、あなたね、シアトルの松茸は有名なのよ、風味は日本ほどではないけど、味はおいしい、何度も食べたわ、いうのを聴いて気持ちが変わった。

まずは天ぷら、そして、あとはフォイル焼き、いずれもとても美味で、新鮮だった。

また、従妹に電話、今度は素直にありがとう、おいしかった、と言ったのだが、もう送らないから、と言うだけで、なんだか会話がおかしい。

そのあと、何を言ってるかわからない、よく、聞こえない、と言うので、耳が遠いのがわかった。一方的にしゃべるのはそのせいなのだ。

メールするからね、と言って切り、これまでの経過を長文の英語メールにしたのだが、本人は宛名をまちがえたこともわかっていないので、こちらがどれほど困ったかは、わかっていないらしく、気分を害したままなのだろう、まだ返事はこない。

勘違いバアサンと、せっかちバアサンが、自国語でしゃべらない、妙な会話をしたままの、珍事に終わってしまって、後味がわるい。

こうなったら、THANK YOUカードで手書きの手紙を送るしかないかな、と思うのだが、シンドイのである。

 

 

 

 

2021年10月24日 (日)

チケット、ゲット!!

午前10時、電話とネット登録、両方からトライしようと、待ち構えてまずは電話を。いつまでたっても話し中。ネット登録はなぜかパスワードがOKされず、あきらめる。二十分を過ぎたころ、小休止して、洗濯ものを干し、そのあと試みたら、奇跡的に通じた。S席、いい場所はほとんど売れていて、一階後部と二階前から三番目ぐらい、彼の手の動きが見たいので、二階にする。

ラッキーだった。kikukoさんに知らせていただいたおかげだ。まさか、こんなに早くコンサートが開催されるとは、想像もしなかった。コンクール終わって、わずか三週間足らずで、来日とは!コロナ関係の隔離期間などはないのだろうか?

YouTubeに彼の画面がいっぱいある。インタビューで、来年2月までスケジュール一杯だと、その試練を楽しそうに語っていた。黒鍵のエチュードの演奏画像がスゴい。あんな黒鍵、聴いたことない。右の黒鍵が、正しく黒の部分だけのメロディを、実に細密に奏でていて、それを左の和音が雄々しく飾る。

彼の師匠のダン・タイソン教授も、カリスマ演奏に驚嘆するばかりだ、と語っていた。今回のコンクールの「ブルース・リー」とまで言われていたとか。

YouTubeはありがたい。観たい画面がまだいっぱいある。モントリオールコンサーヴァトリーはいまや、コンクール入賞者を育てる名門校と化した。なつかしい、シャルル・リシャール・アムランが、教授となって貢献している姿も映し出された。

コンクールの余韻はまだ続いている。

 

 

 

 

 

2021年10月23日 (土)

ショパンとリストとドン・ジョヴァンニ

ショパンコンクール、入賞者発表の前日、NHKFMのクラシックカフェから、妙なる調べが響いてきた。ドン・ジョヴァンニのアリアを主題にしたピアノ曲である。題名が知りたい、と最後まで耳を傾け、リスト作曲「ドン・ジョヴァンニの回想」であると知った。

その日は銀座に出かけたので、ヤマハでCDを買おうと調べてもらったが、見つからないとのことだった。事業を縮小しているので、と言われたが、CD売り場の客は極端に少なかった。

 

そして優勝者の発表のあと、彼の三次予選の最終曲が、ドン・ジョヴァンニの、「お手をどうぞ」を主題とした変奏曲だと知って驚く。リストとショパン、作曲はどちらが先にしているのが知りたくなって、ネットを検索した。ショパン1827年、リスト1841年、ショパンとリストは同時期パリに滞在し、友人付き合いをしていた。ショパンはリストの派手な演奏形式を好まなかったらしいが、リストはひたすらショパンを敬愛していたのだそうだ。

だが二人ともが、モーツアルトの数ある作品から、このドン・ジョヴァンニを選び、同じテーマ曲を変奏曲にしている偶然に興味がつきない。

 

優勝者ブルース・シャオユ・リウは珍しい変奏曲を選び効果的に最後を飾った。

 

コンサートでは最近、あまりにも聴きなれた曲ばかりが選ばれる。訪日する機会があるなら、彼なら聴衆を驚かせるようなプログラム作りをしてくれるかもしれない。

 

それが実現するのを、楽しみに待ちたいと思う。

 

2021年10月22日 (金)

ショパンコンクールの優勝者に驚愕

今朝の朝日新聞の記述を借りると、今回は「オンライン配信され、世界中に「観客」と「審査員」が生まれた」とあるが、正しく、にわか観客と審査員のワクワク状況でGoogleとYouTubeを何度も行き来してクリックを繰り返していた。

反田さんと小林さんの演奏は聴き逃すことはなかったが、目疲れと耳疲れで、この二人の演奏順から遠いひとまでは聴かずに終わっていた。反田さんと小林さんは間違いなく、入賞はするだろう、でも優勝者はべつにいるかもしれない、それを確かめるほどの気力はないまま、発表を聴いた。

ダン・タイソンの愛弟子、ブルース・シャオユ・リウという優勝者の演奏を、ファイナルから逆に聴き返して、驚愕した。ほかのだれとも違う弾き方、〆の音がすべて、そうあるべきという音で説得してくれている。

客席は審査員同様、正しい判断で、スタンディングオベーションはこれまでで、一番多かった。

三次予選の選曲がスゴい!ラストに、これまでだれも弾かなかった、ヴァリエーション、ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」のテーマの変奏曲を弾いたのだ。あのだれもが口ずさまずにはいられない、優美なテーマをショパンは縦横に美しい和音で変じてみせる。酔いしれたのはわたしだけではない、聴衆のゴォ~っという歓声がひびいた。

今回のコンクールは甲乙つけがたい精鋭ぞろいだったが、やはり突出した人は存在していた。

予定をはるかに過ぎた長い審査だったが、たずさわった人々の耳はそれを聴き逃さなかったことに深く納得した。

 

 

2021年10月19日 (火)

本選の完成度

朝起きて、本選出場の反田さんの、協奏曲1番に聴き入った。雑念が入る余地なく、集中して音楽の中に入り切らせてくれるほど完成度が高い演奏だった。一貫した音の美しさ、自分を目立たせることなく、ショパンの音を、オーケストラと一体になって高めている。

二次、三次と、沢山の独奏曲の演奏を聴いてきて、この協奏曲はそれらの行程を完成する、究極のむずかしさを秘めているのを感じた。ショパン自身がたどった人生をも表現する責任がこもっている、重要な試練だ。反田さんは、自らポーランドに留学し、寝る間も惜しんで、ピアノに向かった。

その高みがこの、美しさとなって表現されている、日本人魂だと思ったら、涙が出てきた。

終わって割れるような拍手と、歓声と、スタンディングオベーションもかなり見られた聴衆の反応は正直にその賛辞をあらわしていたと思う。

NHKで「ショパンコンクールのレジェンドたち」という好番組を見た。ブーニンの軽わざのような演奏は当時、すさまじい、反響を呼んだが、彼は結果的に、演奏者としての力量は長く続かなかった。

ショパンの曲の演奏は人間わざとは思われないほどの、演奏術が目立ち、それが話題をさらうけれども、総合的には、ショパンが何を語りたいのか、真摯にたどるのが、正しいのだと思う。

ちょうど人生を生きていくのも、そのことが大事であると同様に。

審査の結果はどうなるだろう?

もうプロの演奏者として成功を収めているひとに、また栄誉を足すだろうか?

それともこれからという、未知数を秘めた才能のほうに、賞を与えるだろうか?

コンクールは最後まで興味を引きずってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月16日 (土)

ショパンコンクール2021、ファイナリストは確実の二人

三次予選合格者の中でまだその演奏を聴いていないカナダのコンテスタントの配信をクリックしてみたら、これこそ、突出した才能ではないかという音を聴くことになった。

 J J Jun Li Biu, アジア系風貌の、なんとコンテスタント中最年少の17歳、大柄で、がっしりしていて手も大きい。風貌はよく見ると、少年の面影を残してはいるが、演奏している時の顔つきは、むしろ老成しているかのように曲の中にのめりこんでいる。

二次予選で演奏したのは、ヴァリエーション、ファンタジー、ワルツ、華麗なる大ポロネーズだったが、選曲もよく、美しいテーマの多い曲ばかりだったから、弾むような音色が効果的にひびき、弾き終わると大歓声と拍手に包まれた。

もう一度聴いてみたい、と三次予選の配信で最初に聴いたのが、またこのひと、彼は日本のカワイのピアノを弾いている。バラード、マズルカ四曲、マズルカ風ロンド、そしてソナタ3番、また選曲がいい。マズルカをワルツのように弾かず、民族的テーマを十分に表現する、余裕ある演奏、ソナタは美しいテーマが三度、異なる音程で繰り返されるが、この大曲を、華麗に、雄大に十分すぎるほど表現していた。演奏が素晴らしいと、聴衆は聴いているというよりはピアノと一緒に歌っているような錯覚をおぼえる。この若者は私たちをそういう境地に連れていってくれるひとだと思った。

終わって、立ち上がりピアノから去るときには、青年になりかけの少年の表情がくっきりと浮かんでいた。

そして、もう一度ぜひ聴きたいと思ったのは、進藤美優さんだ。マスコミはあまりにも反田さんと、角野さんに注目するが、実は今回これほどの才能に出遭えるとは思いがけなかった。このひとは素晴らしい、海外のひとのコメントもそれを証明している。

彼女はまるでダ・ヴィンチの適格さで、キャンバスにペイントするように曲を繰り広げる。聴衆は彼女と共に歌う、審査員たちはどうかこの小さな手の持ち主が、これほどの歌を奏でてくれているのを見逃さず、ファイナリストに選んでほしいと祈る、とまで言わせている。彼女はマズルカをワルツの様な弾き方にしなかった稀有な弾き手だ、と語っているひともいた。

マズルカ四曲、マズルカ風ロンド、ソナタ三番、弾き終わったときの拍手と歓声はJ Jさんと同程度に思われた。

この二人の後で、聴いた反田さんと、角野さんは、ちょっと印象が薄いように、わたしには思われた。

 

 

2021年10月11日 (月)

ショパンコンクール2021二次予選を聴きまくる

ポーランドの実況放送を、日本にいながらにしてYouTubeで聴くことができるなんて、夢のようである。でも、目も耳も疲れた。

中国のHao Raoからの7人を、聴きまくる。大曲が多い、聴かせどころにあふれたスケルツォ2番、バラード一番、そして、私が一番好みの華麗なる大ポロネーズはほとんど全員が演奏した。

音をはずさず、速いフレーズを難なく弾きこなす超人的テクニックはすべてのコンテスタントたちは持ち合わせている。それに違いが出るのは何なのだろう。音楽性の差か?つまり聴かせどころの高みの頂点の音を十分に出し切ってくれること、そこまでに達するあいだにある、音がなぜ、それなのか、その意味を理解して無駄にせず、クライマックスの感激性を増してくれること、聴衆にとっての満足感はそれによって、異なるのを感じた。高い音ばかりではない、ワルツの5番には、低めにも、感動の音がひかえている。左手の鳴り方が大事だ。

沢田さんは、上述のそれらを作り出す感激度がうすかったようだ。本人も認めていた。香港のShamは、Hao Raoより洗練された、満足感をくれたと思う。今回の日本人コンテスタントの注目度は圧倒的に、反田さんと角野さんだが、女性群がどうして、どうしてスゴイと思った。進藤さんは聴かせどころのフォルテをこの上なく響かせ、曲に酔っている彼女のすごみが伝わってきた。

あと超ハンサムなアメリカ人Talonクンはガンガン弾きまくるタイプではないが、大写しに耐えうるととのった美形の迫力もあって、最後にもっていった、大ポロネーズは彼の容姿にふさわしい麗しい出来栄えで、ブラボーの声がとんでいた。

そして反田さん、プロとしてすでに成功を収めている余裕で、曲の配置は見事だった。最初にワルツ3番を、いとも軽やかに弾きこなし、ちょっと珍しいマズルカ風ロンドを、変化に富んだ表現力で聴かせる。そしてバラード2番、さすがのテクニック、最後にほとんど全員が弾いた大ポロネーズ、少しの気負いもなく、まいりました、とこちらに言わせる、満足感にあふれた演奏、聴衆の歓声が響いた、ラストだった。

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2021年10月 9日 (土)

ようやく咲いたヘブンリーブルー

7月末に買ったヘブンリーブルーの苗、元気に伸びて、竹の囲いを越し、計画通り、モッコウバラの中に入ってツルを伸ばした。

だがツルは元気にのびるのだが、蕾らしき姿が見えない。せっかちのわたしはハイポネックスの肥料などをやりながら、もしかすると、今年はこのままかも、などとあせっていた。

九月の末だろうか、ようやく小さい蕾らしきものがあらわれはじめて、まずは安心、それからの成長著しく、きのう第一輪が咲いたのが見え、歓声をあげる。でもお隣さんの方を向いているので、写真がうまくとれない。

ようやく、きょう三輪の姿をとらえることができた。ブルーの色は、去年とかわらぬ淡い色、バラの枝の中をもぐっているうちに精魂はててしまうのだろうか?もう少し、心くばりが必要だったのかもしれないが、なにしろ、主のわたしの体調、イマイチだったので、残念だった。Img_2867

でもこの色は好みである。やっと咲いたよ、の気持ちがあらわれているようで、愛しい。

下のウッドデッキを彩っているのは、コリウスの葉っぱ群。Img_2868

植物好きのお隣さんのご夫妻、朝雨戸をあけるたびに、目を楽しませていただいてます、とうれしい感想をいただく。

 

2021年10月 6日 (水)

半年ぶりに

思い立って決行した。

半年ぶりのプールである。腹ごしらえは、「せせらぎ館」でモーニングを。

自由が丘から歩いて緑が丘のプールに行った。かなり歩いたのに、遠いと思わなかった。

体調がそれなりに回復したのだろう。

プールは水中エクササイズを三レーン使ってやっていたので、残りの広いところで、およそ四人が歩いたり、それぞれのフォームで泳いでいたりだったが、私の身体は、さあ、泳ぐぞ、と勢いをつけるより先に、身体が水を求めているように、動きだした。身体の声を聴くとはこういうことか、と思うほど、身体が水の中で動くことを求めているのを感じた。

クロールと水中ウオーキング、そして背泳、交互におよそ三十分、あまり疲れも感じずに、続けられた。

クロールのときも、バックのときも、精一杯手をのばしたけれど、腕の痛みも感じなかった。これまでいつもあった痛みがなくなっていたのは消えたのではなく、それなりに治まったということに違いない。

高齢となっていろいろ痛みは出現するけれど、意識して手当をしていれば、ある時点で必ずおさまる。そういうことを何度も経験しているのに、新しい痛みに出遭うと、やはりオタオタして、もうこれが永遠に続くのではないかと悲観的になる。老年とはそういうことの繰り返しだ。

表に出て、なんとさわやかな、というあの体の細胞がパッと開いて息をふきかえしたような実感を覚えはしたものの、夕飯を頑張って全部手作りするほどの、やる気はおきず、チャーハンはつくるとして、主菜的な肉っけのものは買うことにきめていた。昨日買って食べ残したシューマイが三つ残っているので、あとは肉団子を五つ買ってそこに野菜入れに、残っているブロッコリーとトマトを付け合わせるという、簡略さである。

明日はシルバーセンターのお掃除の人が来るので、自分の部屋もととのえておかねばならない。本もだらしなく積みあがっているし、いろいろな書類が不ぞろいに散らばっている。文房具の入った引き出しが、まだ出しっぱなしかもしれない。

片付けが本当に面倒くさい。せっかく身体の悩みが消えたのだから、終活に取り組もうか、とも思うのだが、思いはよぎるだけで、部屋はそれどころではないのである。

 

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