メモからノートへ
パソコンのまわりはメモだらけである。
整理するひまがないので、何をどれに書いたかわかなくなる。おまけに走り書きをするので自分で書いた字が読めない、という悲劇もつきまとう。
先日も、教会の友が手術をするとわかり、その住所を書いたメモがどうしても見つからず、また牧師館に問い合わせるという、恥ずかしいことをしてしまった。
まだ生き残っている数少ない賢い友に電話でそのことを話したら、わたしもそうだけどね、もうメモはやめたほうがいいのよ、ノートに変えて日付を書いて残しておくの、という忠告をもらった。
なるほど…ノートにするなら、何かを書きたくなるようなしゃれた、しっかりしたものが欲しい、そう思って探していたら、先日検診で元町のクリニックに行ったとき、元町をぶらぶらしていて、銀座の伊東屋の支店を見つけた。そこで目についた何とも言えないきれいな水色のこのノート、罫の幅もひろく、紙もしっかりしていて、100ページの余裕、ノートよりは小さ目、メモよりは大きめ程よいサイズ、値段は800数十円、ノートにしては高額だったけど、おうちごはんで倹約しているから、余裕の予算である。
買い求めて正解だった。
書き残していくのが、なんだかうれしい毎日。その日はまず、元町UNIONでシリアルを買おうと思ったのに、そのシリアルが口から出なくなってアワアワしたので、それを一番に書いた。
今朝の二時間でもう三つのメモ書きがある。
リスト、ヴェネチアとナポリ、ロッシーニ、老いの過ち、この二つはFMで流れてきた音楽の題名の書き写し、
それと、メモノート344,これはパソコンデスクトップに保存した、このメモノートの写真の番号である。
でも何のために書き写したのか、それを記さないといまにわからなくなるかも…
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思いついた時、新しい言葉を耳にした時など知らないことは調べなくてはと思いメモをとっいました。解読できない文字もあり大変でした。反省して私もノートに記すことにしました。いつの間にやらページ数が増え驚きます。すぐに一冊は完了します。すべて記憶されればいいのですが、残念ながら頭の中は簡単に空っぽになります。情けないです。めげないで頑張ろうと自分を励ましています。これを継続させることが価値があると思うことにしました。
投稿: Tacchan | 2021年9月 2日 (木) 11時30分
Tacchanさま
すでにノートを採用していらっしゃったのですね。
新しい習慣をつくるのは、なかなか難しいものです。スマホのメモ帳も使っているので、ますますややこしくなりつつありますが。自分をはげまして、目配りよく、暮らさなければなりません。
こんな今が待っているとは知らず、数十年まえのゆったり、のんびりしていた昔が懐かしく思われることがあります。
投稿: ばぁば | 2021年9月 3日 (金) 07時59分