「辻仁成の春のパリごはん」のこと
61歳の辻さんは、パリの街を歩いていたり、車を運転しているときはとても、その年齢には見えない。半分ぐらいの歳に見える若さ、溌剌さをたたえている。
それだけ外国で暮らす、緊張感はあるけれど、その場所が好きであるなら、なんともいえない高揚感を持ち続けていられるからであろう。
でも自宅で書斎に入り、作家の顔に戻るときは、年齢相応の表情になる。
彼がこのコロナ禍の生活で悟ったことを語ったときの表情はとても好ましく、語りの内容に大きな共感を持った。
世界がそのドアを閉ざし、今までのやり方では通用しない、スケジュールできない、予測のつかない状況になったとき、日常こそが、自分を幸せにしてくれる根本の問題だと悟ったという言葉である。
夕食の買い物がうまくいき、献立が成功して、食べた家族も美味しいと言い、自分のメニューの選択と作った味に満足したときの、充実感、幸せ感、それを大切にしなければ、とわたしも、日々思うからだ。
辻さんの料理はずいぶんとワイルドである。スパイスの入れ方でわかる。でも何を入れるべきかをわかっている彼のコック力はスゴイのだろう。ナツメッグをけずったり、クミンやカルダモンを加えたりする。あの、クスクスは絶対おいしいと思った。
美味しいものを食べさせておけば、安心、という言葉もジンときた。我が家の孫二人が三歳一歳で父親を失ったとき、わたしはともかく、その母親も加えて三人に美味しいものを食べさせなければ、と思いつつ、およそ十年の月日を援助した。
人間は毎日食べなければならない。その根本に手を抜かなければ、人生は生き抜くことができると確信するからだ。
アドリアン氏はもっと崩れた感じの人か、と思ったらそうではなかった。皮コートをまとった、哲学者の風貌、辻さんのとつとつ仏語をウイ、ウイと励ますように返事しながら聴いている。ますますファンになった。
辻さんの購入した海に近い家はステキだ。彼の家に対するセンスは女性もかなわぬものがある。あの窓を持つ小さな書斎で、彼はまた傑作を書けると期待する。
観光客のいないパリはコロナ禍の緊張が伝わるというよりは、街元来の美が戻ったという感じの方が強かった。住んでいるひともそれを感じとる余裕があるのだろう。
ドキュメンタリーの構成は見応えあったし、特派員には真似のできぬほどの、パリの今が伝わってきて、目が離せぬ一時間だった。
但し、彼のロックの才能はスゴイのだろうけれど、シャンソンはしゃがれ声ではなく、しみじみした語りの優雅さが欲しい。
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引き込まれてみました。6月8日 ”なぜ、生きているのかと、考えてみるのが、今かも知れない”を読んだばかりでした。2020年2月1日から6月18日までの日記です。弱気になった辻さんに対し、息子さんが”いいんだよ、人間なんだから”という言葉に救われたそうです。
投稿: 井上ミヨ子 | 2021年6月23日 (水) 22時09分
辻さんの本お読みになったのですね。
本の中では息子さんはかなり雄弁でしたが、ドキュメンタリーでは「は~い」の短い返事だけでした。親とはあまり話したくない年齢に、成長したということなのでしょう。
あの本を若い友人に紹介しましたら、今では彼女の方が辻さんの多くの著書を読破するようになって、今度会うときに、彼の「白仏」を借りることになっています。
投稿: ばぁば | 2021年6月24日 (木) 21時28分