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2021年6月に作成された記事

2021年6月30日 (水)

二度目のワクチンをひかえ…

きょう、30日が二回目ワクチンなので、きのうはその準備に忙しかった。

火曜日でも開いている美容院、Iwasakiに朝出かける。カットとヘアマニュキア手早く、とてもいい形に仕上がった。ヘアマニュキアで待っているとき、隣で天眼鏡をかざしながらスマホ入力をしている好感度抜群のご婦人と話をする。二度目のワクチンをする話をしたら、今もらったニュースなんですけど、ポカリスエットを飲むといいそうです、と知らされたので、コンビニで仕入れる。

それから翌日寝込むことも考え、夫用の食料を仕入れに、武蔵小杉の紀ノ国屋へ。おでん、パック入りハンバーグと、サンドパン、クッキーなど仕入れる。ついでに今日の夕食も、ミニカツどんなど。あと東急ストアで私用おにぎり、インスタント豚汁、ルッコラ、リーフサラダなど購入。小杉でタクシー乗り場がわからず、荷物は二つの袋にパンパン、よろけそうになりながら、帰宅。

料理せずの日、昼小杉で食べた、ベジタリアンベーグルがよくなかったのか、久しぶりに下痢をして、食欲無し、ビオフェルミン服用し、早めに休む。

 

夜、娘と電話、買い出し荷物が重かったと話したら、パパも好き嫌いが多いから、ママは大変だと思う、と同情してくれた。

 

キリスト教と、辻本読書、元ブリッジパートナー、同じ町内の住人という共通点を持つ友人が、朝夕の祈りの言葉をプリントしてプレゼントしてくれた。

外出がめっきり少なくなり、足が弱り、食事中かならず咳き込み、という気がかり多い夫への気遣いに疲れて、反省しきりのわたしをいさめるような祈りの言葉、

 

…・今日一日、わたしを支えてくれた多くの人たちに、たくさんの恵みをお与えください。

  私の想い、言葉、行い、怠りによって、あなたを悲しませたことがあれば、どうぞおゆるしください。

、 明日はもっと良く生きることができますように。…・わたしが幸福の中にあっても、困っている人たちのことを

  忘れることがありませんように。アーメン

        

 

とかく自分中心になりがちのわたし、この祈り心の底からほとばしり出るようになるには、まだちょっと時間がかかりそう。

 

 

2021年6月27日 (日)

今夜はお弁当

きょうは何にしよう、久しぶりに「握り」が食べたい、となって、自分で握ることにした。東急ストアの魚売り場に、ハマチと、鯛のサクがあって、中トロの上等な切り身も三人分あったので、〆て2000円也を購入、足りないところは京樽のゴマいなりでおぎなう。

 

ところがサクが少々余ってしまって、捨てるのはもったいないし、何か活用法はないかとネット検索。これがベストというのが見つかった。

 

醤油、みりん大さじ1ずつとすり生姜をパックに入れ、その生の切り身を入れ、10分マリネ、カタクリをまぶして揚げるというもの。

翌日、例の高級玄米があまっていたので、小豆を入れてお赤飯を炊き、「カマタ」のおかず屋さんで玉子焼きとナスの田楽を足して、お弁当を作ったものがこれ、大層好評であった。

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2021年6月26日 (土)

ソーイングビー(3)準々決勝と準決勝

準々決勝では二つもの、テイラーの腕を要求する課題が出た。

リネンのカジュアルジャケットと、ウールのコートである。

リネンのジャケットはカジュアルと言ってもパトリックがつくった型紙で14枚のパーツからできているのだから、やはり難題、袖をつけ違えたメンバーが二人も出てしまった。

ウールのコートは一枚仕立てだけでもむずかしい厚地なのに、しかも裏付きなのである。ジャネットが縫い代の始末を自分流にして裏なしにしたのが裏目に出て、コンテストを去ることになったのは皮肉な結果である。

美しいドレスは上手だが、かっちりした服、つまりテイラー仕上げの様な課題が苦手だ、といみじくもパトリックは批評していた。

だけど、とわたしは思ってしまう。アマチュアの、洋裁自慢にテイラーの仕事は、きびしすぎるのでは?一枚仕立てのコートならともかく、裏付きなんて…

ジェンはどれも危なげなくこなし、リネンのジャケットはずば抜けた一位、彼女はやはり優勝候補である。

 

デッキチェアとテントの厚地で作る、リメイクの課題、こういうときには細身で小柄なリアが個性的で見事なセンスを発揮する。彼女はかっちりした課題をほとんど失敗しているのに、目の覚めるような独創性が買われて、まだ勝ち残っている。

ウールのコートはリカルド一位、このひとはセンスもいいし、かっちりものにも、仕上げる腕を持っている。エズメ女史も言うように、腕を上げてきているのだ。

 

そしていよいよ準決勝、プリーツ32本のインドのパンツ、これもミシンのワザの差があらわれる。しかも型紙だけで作り方が示されていないという難関。ジェンだけは、難なくこなし、型紙のややこしさを、ライバルたちに教える余裕を示していた。

今回一番驚いたのは、エズメ女史のネックレス、ブルーのドレスに大きな爬虫類が首から下がっている。気味悪さのほうが勝ってしまった三十分。

 

アフリカのドレス、ダシーチが主題のリメイク、これもまた、リアがいいセンスを発揮していたけれど、結果は次回に持ち越し…

 

2021年6月23日 (水)

「辻仁成の春のパリごはん」のこと

61歳の辻さんは、パリの街を歩いていたり、車を運転しているときはとても、その年齢には見えない。半分ぐらいの歳に見える若さ、溌剌さをたたえている。

それだけ外国で暮らす、緊張感はあるけれど、その場所が好きであるなら、なんともいえない高揚感を持ち続けていられるからであろう。

でも自宅で書斎に入り、作家の顔に戻るときは、年齢相応の表情になる。

彼がこのコロナ禍の生活で悟ったことを語ったときの表情はとても好ましく、語りの内容に大きな共感を持った。

世界がそのドアを閉ざし、今までのやり方では通用しない、スケジュールできない、予測のつかない状況になったとき、日常こそが、自分を幸せにしてくれる根本の問題だと悟ったという言葉である。

夕食の買い物がうまくいき、献立が成功して、食べた家族も美味しいと言い、自分のメニューの選択と作った味に満足したときの、充実感、幸せ感、それを大切にしなければ、とわたしも、日々思うからだ。

 

辻さんの料理はずいぶんとワイルドである。スパイスの入れ方でわかる。でも何を入れるべきかをわかっている彼のコック力はスゴイのだろう。ナツメッグをけずったり、クミンやカルダモンを加えたりする。あの、クスクスは絶対おいしいと思った。

美味しいものを食べさせておけば、安心、という言葉もジンときた。我が家の孫二人が三歳一歳で父親を失ったとき、わたしはともかく、その母親も加えて三人に美味しいものを食べさせなければ、と思いつつ、およそ十年の月日を援助した。

人間は毎日食べなければならない。その根本に手を抜かなければ、人生は生き抜くことができると確信するからだ。

 

アドリアン氏はもっと崩れた感じの人か、と思ったらそうではなかった。皮コートをまとった、哲学者の風貌、辻さんのとつとつ仏語をウイ、ウイと励ますように返事しながら聴いている。ますますファンになった。

 

辻さんの購入した海に近い家はステキだ。彼の家に対するセンスは女性もかなわぬものがある。あの窓を持つ小さな書斎で、彼はまた傑作を書けると期待する。

 

観光客のいないパリはコロナ禍の緊張が伝わるというよりは、街元来の美が戻ったという感じの方が強かった。住んでいるひともそれを感じとる余裕があるのだろう。

ドキュメンタリーの構成は見応えあったし、特派員には真似のできぬほどの、パリの今が伝わってきて、目が離せぬ一時間だった。

 

但し、彼のロックの才能はスゴイのだろうけれど、シャンソンはしゃがれ声ではなく、しみじみした語りの優雅さが欲しい。

 

 

 

2021年6月20日 (日)

こだわりの赤い針が…2.

外が暗くなっているのに、ダイニングの掛け時計が六時で止まっているのに気づいて、電池が切れているとわかった。

電池を替えるのはいつも夫の役目、でも今の彼にできるだろうか。

この数日、外に出るのがシンドイと言って、籠っている。

でもこれまでの十年以上、あのドライブ以後、レトロ掛け時計を動かすことに成功した一部始終を共有してくれているのは彼しかいない。

二階に上がってドアをノックする。

電池を替えてみよう、と彼は言った。

時計を抱きかかえるようにして慎重にはずす。電池がなかなか外れない、と言って格闘しているので、イタリア製の細いドライバーを手渡す。

しばらく任せて、私は自室にいて、戻ってきたら、時計は壁の元の位置におさまっていた。

長針は動いている。でも短針が動かない、気づいたのはしばらく後。

もう一度、夫を呼ぶ。触ってみると短針はぶらぶらしていて、取れそう。そこで気づいた。

貼り付けてあった、赤い針がない!!

もしや、下に落ちているのではないかと探したけれども、見つからなかった。

 

もう一度、奇跡は起こらないかと、ネットで掛け時計の修理を検索した。掛け時計、柱時計修理相談室、と言う項目があったので、電話してみた。

くわしいことは実物を見ないとわからないが、修理費用は最低15000円から、という回答だった。検索している途中、掛け時計のリストが並んでいて、修理費用の三分の一ぐらいで、とてもしゃれた、北欧時計があるのが記憶に残った。

 

夫は言う。装飾品としてぶら下げておけばいいじゃないか。

でも料理しながら、目がいくのはあの時計の場所なのだ。正確な時間を知りたい、生きている証として。

 

短針がブラブラしていて、長針だけがかろうじて動く、なんだか私たち夫婦の状況を象徴しているみたいで、哀しい。しかもこだわりの赤い針は、紛失してしまった。

 

アメリカのレトロ掛け時計は、役目を終えたのだ…

 

午後、一年ぶりぐらい、目黒のニトリに出かけた。キッチン用品、まな板と三角コーナーを買い替え、コードレスアイロン、布団カバーなど購入。

帰宅して、移動スーパーで買った五等級の牛肉で牛丼をつくる。付け合わせはキュウリと春雨の和えもの、買い物がうまくいったので、さほど疲れなかった。

気分も変わった。

今は時計を買い替えるほうに気持ちが移行しつつある。

 

2021年6月19日 (土)

こだわりの赤い針が…1.

 12年まえに書いたエッセイである。

               こだわりの赤い針

 

 今から四十年前、夫のアメリカ駐在に伴い、イリノイ州エヴァンストンで三年八ヶ月の月日を過ごした。帰国するとき、アメリカのアンティーク掛け時計を買い求めた。毎日時を確かめに何度ものぞくことでアメリカの思い出と共に過ごしたいと思ったからだ。

 ところが船便の積荷に不手際があったのか、時計が動かない。修理の看板を出している近くの時計店に依頼したが、当時七千円も払ったのに、動いたかと思うとすぐ止まってしまうということが続き、とうとうあきらめたまま、その存在すら忘れかけ、時が過ぎてしまった。

 ある日、なにげなしにテレビをつけたら、散策番組をやっていて、時計の修理名人をインタビューする場面に眼が釘付けになった。頭の中で鐘が鳴りひびき、この人だ、この人にあの時計を頼まなければと、いてもたってもいられない気持になった。

 テレビ局に電話したが、連絡先はわからないという。でもお名前はわかるでしょう、とフルネームを聞きだし、ネットで検索した。すぐにサイトにつながり、修理依頼の理由を書いて提出するようにという項目があったので、四十年ぶりに時計を動かしてほしいという思いを切々とうったえてみた。とにかく実物を拝見しましょう、という返事が思いのほか早く届いた。

 約束の日は台風が来るという土砂降りの日だったが、夫に頼み込んで車を出してもらった。杉並の住宅地のかなり奥のほうのその家は路地の奥、住宅が密集したそのまた奥で、通りからケイタイで電話し、ご本人に表まで出てきてもらってようやくたどりついた。

 玄関先に大小さまざまな時計に囲まれるようにして、オフィスがあった。夫とあまり年が変わらないような高齢者のご本人は時計を見るなり、これは〇年の〇社のものですね、と言い当て、カレンダー時計ですね、この針は動きませんよ、と赤い針を指さした。振り子もダメです、でも本体の長針と短針は動くようになるということだったので、安心した。奥からメガネをかけた小学生の男子が出てきて、いらっしゃいませ、と挨拶してから、先生、これから塾に行ってまいります、と言ったのに驚いてしまった。お孫さんですか?とたずねるとそうですという返事、まあ、素晴らしい、先生と呼ばれるおじいちゃまなんて。

 三週間後、修理が終わったという葉書が届いたので、また一時間かけてあの路地まで出かけた。時計は動いていたので、感激したが、なにかが足りない。カレンダーの数字を示す赤い針がはずされていたのだった。あの針が好きで買い求めたのに、でも四十年まえと変わらない程度の値段で修理してもらえたのだ。不足を言っては悪い、そう思ってあきらめ、家に持ち帰った。

 だが居間の壁にかけてみると、やはり物足りない、自分が選んだ時計ではなくなってしまったような失意におそわれる。意を決して電話し、動かなくてもいいから、飾りとして赤い針をつけてほしいと頼んでみた。幸いにも依頼はすぐに受け入れられ、宅急便のやりとりで、思い通りの姿となった時計が戻ってきた。

 いまも順調に時を刻んでくれている時計を見ながら思う。アメリカの生活が私を変えたのだ。好奇心が旺盛になり、新しいことにも挑戦している。四十年前は想像もしなかったパソコンを操るようになり、未知のものにも検索でたどりつけるようになった。ケイタイも電話とメールを駆使するので約束の確認が正確、敏速になっている。でも変わらないもの、それは頑固なほどのこだわり、それは動かなくなった赤い針のように私の中にゆるぎなくいすわっているのである。(2009/10/23)

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2021年6月14日 (月)

「名もなき家事」のこと

今朝、何の気なしにテレビをつけたら、「名もなき家事」が話題になっていた。

料理、洗濯、掃除というメインのほかに、排水溝の掃除とか調味料の補充とか、洗濯ものを干し、取り入れたり,たたんだりという、メインの家事を補充するのに絶対必要な小さな作業、でもあまりやりたくないものも含まれている、ゆえに、名もなき家事の集積で心が壊れる、などという恐ろしい結末まで起こっているらしいのである。

 

わたしは大きくうなずき、今の時期、みんな悩みは同じなのだな、とちょっと安心して、俄然元気になり、気になっていた床掃除をクリーナーでしたあと、スプレーをふりまき、ダスキンのマットで拭き清める勇気まで出てきた。

 

わたしは腕、肩が痛み、今はどういうわけか左の中指が強く曲げると痛むというマイナーな痛みもかかえているので、炊事のあと、汁気や食材のかけらの飛び散ったレンジ付近をぬぐい、盛り上がったぬれた食器を布きんで拭き終わって、片付け、バスケットの下にたまってこびりついた汚れなど、こまめにふき取ることをしていると、もうこれは、明日休まないと、続かないというパニックにおそわれることもしばしばあるので、あの急な高血圧もこういうことの集積の結果などでは、と思い当たったりもしているのである。

 

「ああ、もう、いや!!」などと叫んだ結果、夫が「オレ、やるから」と言ってくれて、三度に一度は片づけ最後のシンク掃除とゴミ始末をやってくれるようになった。

 

疲れているときにシンクの排水溝にたまったドロドロを掃除するのは、かなり気の滅入る仕事である。しかもブラシで汚れは落ちでも、そこにかぶせるふたや、かごにこびりついた頑固な汚れにも、マメに毎日力を込めて掃除していないツケもすぐあらわれるので、ウンザリ度も増してくるのだ。

 

こういう仕事に少しでもやりがいを与えようという効果を予想してか、以前スエーデン旅行がえりのK子さんからおみやげに、まさにシンク掃除にぴったりのブラシをいただいたことがある。こういう気の利いた道具はまだ日本には見かけない。もっとも引きこもりで探すひまもないからなのかもしれないけれど、もっと自由に出かけられるようになったら、名もなき家事を楽しくする道具や工夫が、一杯あふれている売り場になっているようにと、今は願うばかりである。

2021年6月11日 (金)

カタい身体でも…

今日の朝日新聞の「ひと」欄に、通称「タキミカ」さんという90歳のフィットネスインストラクターが紹介されていた。美しい開脚姿しかも頭を床につけられる柔らかなからだをお持ちなのである。65歳でスポーツジムに入会、70歳で泳げるようになり、85歳からインストラクターに、という経歴、お見事、と言いたい。

 

わたしは体育が一番苦手な科目で、中学時代からこの授業の花形でバレリーナだった同級生は、いつも「身体カタいね」とあきれていた。そのひとは二十年もまえにこの世を去ったが、わたしはまだ生きている。

 

昔のわたしなら、この記事を読んで、自分はとってもこんな技はできない、と自分のダメさを恥じただろう。

 

でも83歳のいまのわたしは、身体が柔らかいか、カタいかなんて、関係ない。わたしはこれまで大病一つしないで、生きてきたんだから、と胸を張って言うことができる。

但し、「タキミカ」さんもマスターされた水泳はわたしが55歳でマスターした、勲章のようなものである。実に健康にいいからである。スポーツジムは高いクラブフィーを払わなければならないが、公共プールは高齢者の入場料200円也で事足りる。

今年は二月に行ったきりで、身体の不調があり、プールにでかけていないが、ワクチンの一回目も無事すんだので、また出かけたいと思っている。

 

食事は大事だ。リンゴのフレッシュジュースをかかさず飲んでいることは、お肌ぴんぴん、とほめられる所以かもしれない。シリアルにヨーグルト、ミルク、ハチミツ少々とで、朝食を終え、昼に、残りの朝食めいたもの、トースト、卵料理、サラダ、コーヒーを食す。

そして好奇心を持ち続け、知りたいことはいつもネット調べて、満足することを絶やさない。

ネット検索は画面の大きなパソコンでする。去年から使い始めたスマホではネット検索はしないが、後の機能はほぼ使えるようになったので、今の人たちがしていることを理解できるようになった。

 

そういう、身体のカタかった83歳、でも「タキミカ」さんのように90歳まで生きられるかどうかは、疑問であるけれど

2021年6月 6日 (日)

ソーインビー(3)8.9.10から、優勝予測

パトリック氏が言うように、J の付く名前の三人が目立ってきた。それに続く、男性ただ一人の生き残り、リカルド、この四人の決戦になりそうだと、予測している。

 

縫製の技術はイマイチだが、リアの色彩、デザインセンスは好みである。

背丈157センチが自分と同じなので、一段と応援したくなる。大きい人たちの中でよく奮闘している、勝ち残っている、と拍手を贈りたくなる。でもあとの四人は縫製に危なげ、まったくなしだから、追い越すのはむりだろう。よくがんばったと、大拍手ではあるけれど…

リサイクル、リユースばやりだから、と言って、テント生地から犬のレインコートを、という課題には、ここまでやるか、という感じだったが、ジェンの優秀作品はポケットまでついた、実用性デザイン性すべて秀でた仕上がりで、見応えあり、彼女の真の実力があふれでた一幕であったと思う。

古い布製品、カーテンやテーブルクロスの再利用のワンピース、自分で型紙まで探してきたリカルドの格調高い美を醸し出す作品は、さすがイタリア出身とうなずいたのであった。

ジュリエットのレースのワンピースは胸のふくらみがはだけそうなのを、エズメ女性はいみじくも指摘、だからこそ、この課題ではリカルドに花を持たせたかった。パトリックもリカルド作品の格調高さをほめちぎっていたのに、どうして???

 

ハギレ利用はジャネットが抜きんでていた。でもリアの子供服の美しさはまだ記憶から抜けきらない。二人一位でもいいじゃないの、と思うくらい、だったのだけれど。

 

ベルボトムのパンツ、トレーニングウェア上下、非常に難度の高い縫製技術を要する課題での一位、ジェンは見事だった。スコットランド独特の、落ち着いた色彩やデザインが他を圧倒するように、と、わたし個人としてはこのひとの優勝を期待しているのだが…、

 

2021年6月 2日 (水)

テレビ通販体験

テレビの通販は,大げさすぎる宣伝のようで、じっくり見ることもなく、ましてや購入したりすることもなかったのだが、ステイホームになってから、なんと二点も購入して、しかも満足している。

一つはギザ包丁、持ち手が大きく安全でよく切れる。もうひとつは、女性が開発したという、ネイチャークラブのシャンプー、かゆみが全くでなくなり、使用後がさわやかで、サラサラ、というのが気に入っている。

 

そこで最近目にとまったのが、立ったまま、ハンガーにかけた衣服にスチームアイロンをかけられるというスチームプラス。ちょっと重めのブラシのような持ち手の長い形のアイロンは、しわをみるみる伸ばし、セーターはふわふわ、カシミヤのしわくちゃコートでさえ、毛の繊維がよみがえったうつくしい形に仕上げてしまう魔法のような仕上がりに目を奪われ、即断で注文してしまった。

ところが品物が到着して、使い方を説明するDVDもじっくり見たのだが、どうしても使う気が起きない。

 

火傷に注意と書かれた一行が気になって、試す気が起こらないのである。

 

と、いうのも、品物が到着する直前に雑誌の占いを読み、わたしの生年月日の一行、火傷に注意が脳裏をよぎるからだ。

 

製造元に電話して、スチームを出さずにアイロンとしてどの程度機能するのか、質問してみたのだが、確答は得られなかった。まったく電気を通していないので、引き取って返金してもらえないか、尋ねたら、発送して8日以上過ぎてはいるけれど、部品を元通り包装して送れば、発送の代金を差し引いた金額をかえすことはできると言ってもらえた。

 

ニトリで見かけた同様の簡易アイロンで、もっと小型のほうが、使いやすそうだ、という記憶がよみがえったせいもあるのだけれど、占いのことがどうしても脳裏から消えない自分が、不思議で、愚かで、なんともやりきれない体験に終わってしまったのだった。

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