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2021年5月に作成された記事

2021年5月27日 (木)

ちょっとうれしかった日

ワクチン予約がととのったので、体調もよくなり、モーレツ本が読みたくなってきた。久しぶりに図書館に行って借りてきた本六冊。

『冷静と情熱のあいだ』辻仁成

『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』辻仁成

『世界は幻なんかじゃない』辻仁成

『それでもこの世は悪くなかった』佐藤愛子

『人生の退き際』曽野綾子

『生きて愛するために』辻邦生

どれもパラパラめくって中身をしっかり確かめた。

夢中で読めそう。

スメタナや、ベートーベンのCDをかけながら、読みふけろうと思う。

 

きのう武蔵小杉に行ったかえり、JR改札口そばの紀ノ国屋に立ち寄った。

ちょうどよいサイズのお弁当や、おかず、いずれもおいしそう、食べたいという気持ちにさせてくれる。パンもそろっている。そしておつまみ、駄菓子がすごい、100円から食べたいものがみつかるなんて、嬉しい場所だ。さすが百年以上、食品をあつかっている歴史ある店舗だけのことはある。客にどう食べたいと思わせるかを知っている。食べ物をみてワクワクさせてくれる店、元気が出てきた。

しかもここで買った一人用のおでん、玉子、大根、こんにゃく、焼きちくわ、野菜天、がんもどき、結び昆布が入っていて、焼きあご出汁ブレンド、これを夫が大層気にいり、全部平らげ、出汁がたまらなくおいしいなどと言いながら、喜んで食べてくれたので、手間いらずのおかずを見つけた喜びも加わった一日であった。

2021年5月26日 (水)

個別接種の予約

夫の個別接種医療機関の受付は六月一日と記されているが、念のため、大田区役所のワクチン関連の番号に電話してみた。してよかったと思う。

医療機関にもよるので、直接電話して確かめてみるように言われたからだ。

早速コールしてみると、もう予約用の受付が設けられていて、6月10日、11時がとれたのである。

 

先代の大先生のころからかかっているので、かれこれ五十年来のかかりつけ患者である。優先されたのかもしれない。

 

ひとまず予定がはっきりして、すっきりとなったので、武蔵小杉のAUにスマホのQRコードの読み取りと接続の仕方を確かめに出かけた。

教え方のとても巧みなHさんがいつものように、わかりやすく教えてくれて、それを順序よく、きれいな筆跡でメモってくれたので、自信がついた。

 

彼女はスマホ名人だからさぞ、高齢の親族を助けたのだろう、と訊いてみると、結構大変だったのだとわかった。なんでも90歳近い祖父母のためにスマホで予約をとることを引き受けたのだが、その二人を車で送る70代のおばさんの予約もとらなければならなくなり、同じ日にとれるとは限らないので、結局電話での予約ということになり、数え切れぬほどのコールをしたのだそうだ。

 

だれもがみな、少なからず苦労の予約なのであった。

 

 

2021年5月25日 (火)

二度目で予約確定

今日25日、二度目のワクチン予約の日、息子に頼んで、8時半きっかり、太田プラザの6月9日が取れて、二回目予約30日、なんとか六月いっぱいでわずらわしいことが終わる予定となった。

 

あと、夫のかかりつけ医院の予約が残っているが、夫は取れなきゃ、やらなくたっていいさ、などと、かなり投げやり、私たち女性高齢者は電話をすれば、かならずワクチンいつ?の話題になるのに、ずいぶんと異なる心境である。

 

五月は風さわやか、緑の美しい、一番過ごしやすいときだったのは、もう昔のことで陽ざしのきつい、けだるい日が始まっている。

 

ワクチン騒ぎで、すっかり疲れてしまって、どこも出かけたくない。

夫から佐伯時代小説の新刊を買ってきてほしいと頼まれたので、自由が丘まで出かけようかとは思うのだが、店歩きをする楽しさも浮かばない。おしゃれもありあわせで何とかなっているし、とりわけ買いたいものもないのである。

 

こころも緊急事態になりかけている。

2021年5月21日 (金)

予約当日、ああ…

21日、8時半に備えて、前の晩は誘眠剤を服用してぐっすり眠り、朝早めに起きて洗髪し、ドライヤーでかわかし、化粧をすまし、PCの前に座ってGoogle Chromeから大田区接種会場予約を呼び出し、8時半と同時にログインした。うまく入れて、番号、誕生日の暗証番号と、電話番号を入力する。そこまではよかったのだが、接種会場を選択すると、嶺町集会室にフリガナの項目と住所の項目があったので、それを律儀に入れたのが間違い!!

接種会場の項目をクリックすれば選択すべき項目がすべて出てきたのに、その遅れで、カレンダーが出たときには五月、六月すべてが☓印、これは大変と次に近い下丸子の太田区民プラザを検索したが、ここもほとんど☓印、ここで悲鳴をあげ、息子にすがった。

悠然とあらわれ悠然と検索し、タッチすこぶる早く、もう一か所の近い会場、雪谷の調布地域庁舎というところで、6月20日、10時をゲット、二回目の7月25日もOKとなった。

ああ、初めから彼に頼むべきだった。PC慣れしている自分を過信していたのが愚かだった。こういう役所の申し込みのような項目を素早くタッチする機転のようなものが、欠けている自分を忘れていたのだった。

 

ともかく予約はとれはしたが、なぜあのように早くもすべてが☓印になっているかが、おかしい。コネを優先しているのではないか、などと疑いたくもなる。

高齢者をこれほど、ストレスフルにしないで済む方法はなかったのだろうか? 電話のひとはどれほど大変だっただろう。

 

腹立たしく、後味の悪い時間を持ったことで、疲れた一日は終わった。

 

25日にもう一度チャンスがあるが、これをまた息子に頼んでもう一度トライするかどうか、わたしはまだ迷っている。

2021年5月20日 (木)

ワクチン予約状況

19日夕方、ようやくオレンジ色の封書が届いた。夫は基礎疾患の項目のところを読み、きょう、20日再びかかりつけのクリニックに確かめに行き、そこで六月確実に予約がとれるとわかったので、21日からの予約はとらない、というので、問題はわたしだけということになった。

わたしのほうは、せっかく徒歩距離の会場があるのだから、あすの8時半からパソコンでトライしようと思うのだが、電話は8時半から17時15分と明記してあるが、ネット予約の時間が書いてないので、大田区役所にTELした。始まりは8時半だが、ネット予約のほうは24時間なのだそうで、翌日からもこちらの起床時間にあわせていつでもトライできることがわかった。

わざわざ電話で問いあわせしないでもいいように、そういうことも明記してくれればいいのに、21日だけ赤いアンダーラインがしてあるので、21日だけなのかと誤解しそうになる。

なんだかメディアも、役所もすべて情報が十分でなく、確実かつ明瞭性に乏しい。

その電話でついでに予約手続きの中身の詳細も教えてもらって、ようやく安堵できた。

 

友人たちの情報が次々知らされる。品川区のひとは、電話でトライしたら、通話の容量がなくなるまでかけ続けて、ついに、あきらめ、そのあと息子さんがトライしたら、一発目で予約完了となったとか。きょうは彼にステーキ奮発するわ、とのこと。

世田谷区の彼女はパソコンで、かなり夜遅くまで自分でトライ、成功したのだそうだ。

 

それにしてもきょうのテレビでは大手町の大規模接種会場が、予約はとりやすいらしいが、行きつくのが大変らしい、やっぱり、と思った。大手町の駅は一番行きたくない場所だというのは経験ずみ。沢山の地下鉄が乗り入れているので、乗り換えもややこしいし、すごく歩かされる、イヤなところなのだ。

周辺ホテルが一泊プランを打ち出しているそうだから、そうまでしても早い摂取をと、政府のやり口に踊らされてしまうのが癪にさわる。

 

明日は午後ブリッジゲームがあるので、それまでにとれなかったら、息子にバトンタッチで手伝ってもらうことにしようと思う。

 

2021年5月17日 (月)

東京ハルモニアのリスト、メレディクション(ピアノ、江口玲)

15日、この日の外出が可能となるかずっと心配だった。身体の突然の異変が消え、血液検査も、ほぼ正常とわかったので、元気は出てきたのだけれど、上野の東京文化会館までという遠出は三週間ぶりぐらいなので、足元がふらついて倒れたりしたら、どうしよう、などと不安がちらついていた。

でも、音楽が癒してくれる、きっと、と確信して出かける。

お天気もいい、電車もガラ空き、文化会館小ホールは五分の入り、中庭の見える広々としたロビーが気に入っている場所だ。

危なげなく、無事についた。

 

12人の弦楽器だけの室内オーケストラ、東京ハルモニアの定期演奏会を選んだのは、ドニゼッティ、リスト、ヴォルフ、レスピーギ、選曲に惹かれたこともあるが、何よりもリストを弾く、江口玲さんのピアノが聴きたかったからである。

それは正しく期待どおりであった。中央に据えられたローズウッド・スタインウェイ、それをハルモニアの奏者が囲むように位置につく。

初めて聴くメレディクション(呪い)という曲目、ピアノと管弦楽の第一楽章だけというリスト独特の想い入れ多い14曲の一つであるそうだが、これぞリストという最初のピアノのフォルテの和音にまず心をゆさぶられた。これを聴くためにわたしはここにいる、という感じにつつまれながら、ただただ、聴きほれる。江口さんの、この日の表現力は格別だったように思う。ラフマニノフも弾いたという歴史ある古いスタンウェイ、響きが独特の迫力で、リストの醸し出すメロディの妙がさえわたった。

合間をいろどるフォルテ、プレストのフレーズも忘れがたく美しかった。12人のハルモニア奏者はピアノを引き立て、包み込むような合奏の音の冴えを聴かせてくれた。

アンコールのシューマン=リストの「献呈」聴きなれた曲だが、江口さんのこの日の表現には今この時期、いろいろなことに耐えているわたしたちへの励ましが一音、一音にこめられているようで、涙があふれそうになった。

 

来てよかった、癒されたと心から満足したコンサートであった。

 

2021年5月12日 (水)

ソーイングビー3(4)(5)(6)が佳境に

ソーイングビー3も中盤にさしかかって、それぞれの実力がはっきり表れてきた。

縫製の技術が自由で、デザインのセンスが光る、子供用コスプレの課題では、優劣つけがたいほど、ユニークな作品が並んだ。よくこんなことを思いつくというほど創造力があふれていて、ジェンのトリの帽子も美しかったが、ベンのアリの衣裳はとりわけ目をみはるものがあった。今回、その彼が落伍したのは、残念というほかない。デザインも自作、マッシュルームの柄なども自分で染め、子供服の生地も工夫を凝らす。それなのに、縫製技術の基礎がそなわっていないのが、惜しかった。でも今後の彼はデザインの才能で評価される場を必ず見つけると思う。

 

男性はあと二人となったが、イタリー系のリカルドはパンク衣裳がさすがだった。はじけているのに、美もそなわっていて、抜きんでていた。

 

アレクセイは病身でもあるのにがんばっている。マキシの裏付きの衣裳は本当に美しかった。袖の広がりが優雅で、わたしとしては、一番好みだった。

 

メルセデスもマキシで優勝、縫製技術も備わった実力者であることが明らかになった。彼女のハサミのネックレスがいい。お守り的な役を果たしているのだろう。

 

ネックレスと言えば、エズメ女史はめずらしく抑えたおしゃれ、細かいヒョウ柄のブラウスに白い蝶のネックレス、おそらく彼女のデザインのジュエリーなのだろうが、さすが、という感じである。Img_2853

 

リアというひとはイギリス人にしてはパリジェンヌの雰囲気のあるしゃれたセンスの持ち主だ。バレリーナの子供服は一位になっただけのことはある。色使いは地味なのに、何とも言えぬ優雅なデザインのセンスがある。大失敗は最初だけで、見事に勝ち残っている。がんばってほしい。

2021年5月 8日 (土)

『なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」を読む。3.

大ヒットした「オーシャンゼリゼ」のメロディが鳴っているような、フランスの象徴、世界中の人々のあこがれだった大通りはゴーストタウンのようになり、文明の終焉を想像させるような光景にと変わったという。

 

ロックダウンで自宅に引きこもっている人々の日常は、家庭料理をしているかぎり、それほどの不自由さはないらしいが、具体的な暮らしの描写と共に、何度もあらわれる価値観という文字、過去のような日常は消え去り、価値観が変化することを著者は何度も指摘する。アフターコロナの時代を生き残るためには、新しい価値観に対応できるだけの、心の準備をしておくことが大事だと言い切っている。

 

海外に長期間居住するには、安全な地域を選ぶことが大事だが、著者の居住場所は昔のフランス映画華やかなりしときに映された善良で人情が厚い人々が住んでいる場所だと、たやすく想像できるような会話がとびかう。

 

一日一度一時間以内の散歩で、建物の窓辺から声が呼び止め、呼応するように向かい側の窓が開く。音楽関係の仕事のピエールと、南アフリカ出身の哲学者アドリアンのコロナ観は一致している。「いま、神は僕らに考え直す時間を与えているんだ」とピエール、「怠惰から目覚めさせてくれる神からのギフト」がアドリアン。わたしも、大きくうなずきたくなった。救いが期待できるような気がするからだ。

著者は言う。このウイルスの正体は人間を引き裂く悪魔なのだ、と。わずか3~4か月で、この世界の価値観を変えてしまった新型コロナ、人間本来の輝きが、負のエネルギーに包み隠されてしまった、と。

 

16歳の愛息は将来の選択を父親に相談する。二時間余にもおよぶ二人の会話、父親は何よりも大切なのは、自分を大事にすることだ、と言い切る。生活者として、立派に生きていけるように、子供を育て上げたシングルファーザーと、父親の生き方を心から信頼しているけなげな息子との、具体的な会話のやりとりから、静かな感動が生まれる。(了)

 

 

 

2021年5月 7日 (金)

『なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない』を読む 2.

人間七十年か八十年生きてきて、ようやく人生とはこういうものなんだと悟るようなことを、この作家はもう六十年で体得し、それを著書の中で堂々と述べる、ということをしている。それはきっと、シングルファーザーとして過ごした数年の孤独感のなかで、勝ち得た実感の集積があるからなのに違いない。海外で長期間一人の生活を経験すると、自分がよりはっきり見えてくる。外国人の中にいる日本人としての自分がどうであるか、それはまた人間とは、生きている意味は?ということにつながってくる。

 

彼はセーヌ川の川辺を散策し、癒されることを悟る。

 

川の流れは永遠だけれども、川面は瞬間瞬間で入れ替わっている。流れは時に優しく、時に非情だと、彼は語る。プライベートでは自分を他者に合わせないようにするのがいい、

人付き合いに疲れたとき、川面を見つけ、流すことを試みる。「流す」という概念は人生に疲れないための鉄則、流れることを由として、心をそらさず、気にせず、無理をせず、流しつつ、流されつつ、人は流れていくのがいい、という表現に魅了された。

 

十年間、イタリアにホームステイしながら過ごしたとき、川のある街が好きだった。アルノ川のあるフィレンツェ、ポー川のあるトリノ、ステイ先で思わぬトラブルに遭ったとき、わたしは川辺によく行った。そして癒されたのはそのせいだったのか、と今になって思った。

 

現在、徒歩距離に多摩川があるのに、ほとんど見にいかない。今こそ、川の流れを見にいくときではないか、と思ったりもした。(続く)

 

2021年5月 6日 (木)

『なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない』を読む 1.

身体不調の数日間、テレビよりは読書を優先した。とりわけ読みふけったのは、辻仁成著のこの長いタイトルの本、よく長電話を楽しむ、同い年の友人から教えられてアマゾン経由で買い求めた一冊。

わたしが一番知りたかったのは、コロナ禍の海外の日本人生活者の暮らしだったのだが、それがとても丁寧に書かれていて、最初の20ページは息もつかせぬ迫力だった。まだマスク不足にあえいでいた日本の描写で始まるから一年以上の時間のズレはあるのだけれど、この六十代の作家の文章はとても心地よく頭に吸い込むのに、それでいて、人がどう生きるかを真剣なまなざしで問うているのがひしひしと伝わってくるので、すぐさま心をわしずかみにされた。

まず豚まんを手作りするパリの暮らし、そう、五十年前イリノイ州エヴァンストンに私たち家族が住み始めたときも、ビスケットミックスという粉が、豚まんの皮にピッタリの代物で、日本で食べた肉まんより、数段上品で、味のよい出来上がりを狂喜した覚えがある。

あの何とも言えない食につながる喜びを、男性、とりわけこの人のように、いつも言葉を模索しているひとは、子供とこれほどの会話の喜びを分かつことができるのだな、と感じ入ってしまった。

彼の愛息のママはかの有名女優さんだが、そのことには一切ふれていない。12歳の少年と二人で暮らすようになった日々の記述で満ちている日記ブログ風の読み物、「寒い日の朝に、子供を起こし、着替えさせて、朝ご飯を食べさせ、学校まで送る…自分は志半ばだけれど、これまで好き勝手に生きてきたのだから、せめてこの子をしっかりと育てて世の中に送りださなきゃ、となぜか思うようになった」とある。「ある日、研いでいる米や、たたんでいる洗濯ものや、…スーパーの列に並んでいる時に、思うことがあった。これが生きるということじゃないのか、と」私もよく思う、生きるということを、このコロナ禍で外出を制限されているときに、日常の暮らしのはしばしに、しみじみと思う。(続く)

 

 

 

2021年5月 4日 (火)

突然の異変 2.

五月四日、血圧139・79,薬で下がっているのかもしれないが、気分はずいぶんよくなって、食欲もでてきた。昨日は移動スーパーが来たので、男二人にはメンチカツを、わたしは三個入りの稲荷ずしを買ったのだけれどこれがとてもおいしかった。おいしいと感じられるのは正常に近づいている証拠だ。

 

今朝は夫と二人久しぶりにパンケーキを食べる。サラダはつくらず、ナポリのうすいサラミとピクルス、むらなくきれいにパンケーキを焼くワザは知っているのに、ひっくり返すのが下手で、形が悪い。手が以前のように器用に動かないのも、これも年齢のせいなのだろう。夫はすごくおいしかったと満面の笑みだったが…

 

五日ぶりに徒歩五分のマイバスケットに行く。ついでにコンビニで、ゆうちょ銀行からお金を引き出す。コンビニでこういうことができるのを初めて知った。今夜も手作りをする元気は残っている。

 

ただし、久しぶりに外を歩いたら、なんだか足がふらついて、まっすぐしっかり歩けない。杖が必要なほどではないが、この足つきで電車には乗れない気がした。まだこのへんが全快とは言えないところなのだろう。

 

ゆうべは寝る前に腰のちょっと上のほうに、鈍い痛みがあり、夫に湿布薬を張ってもらった。背中の鈍い痛みと、食欲欠如は膵臓が悪い恐れがある。と「家庭の医学」に書いてあったので、心配になった。でもそれが今朝になったら痛みは消え、食欲も出てきたので、やれやれである。

 

キリスト教的に考えると、私に宿っている聖霊が身体の危機を自覚させてくれて、危ういところを逃れた気がしている。これまでも何度かそういうことがあった。身の程知らずなことをせず、精神が喜ぶことより、まずは身体が喜ぶことを大事にしなければ、とつくづく思う。

2021年5月 3日 (月)

突然の異変 1.

29日の午前中、こめかみのあたりがしめつけられるような気がして気分が悪くなってきた。この感じは覚えがある。血圧だ。測定してみると185・90の数字、測りなおしても変わらない高血圧、休日なのでクリニックには行けない、しかもぼうっとしてきて、外に出たくなくなってきた。

 

数年まえにいきなり200という数値が出て、以前のクリニックにとんでいったが、一過性のものだという診断、すぐにおさまったことがあった。

 

今回もそうかも知れないと期待したのだが、午後になっても下がらない。

思い当たることはあった。パソコンに向かうことが多かったし、ブリッジや麻雀までゲームをずいぶんしていた。肩がすごく凝っていたのに、ここ二週間以上、マッサージに行っていない。しかも寝るのはいつも12時過ぎ、その悪条件が伴い、コロナストレスがついに爆発したのでは?と思った。この日は休日診療のクリニックの連絡先も調べてあったが、出かける気がしないのでともかく早寝をして翌日に備えた。

 

30日の朝も高血圧は189までになり、食欲まったくなく、歩くとふらふらするので、

往診を頼んだ。ノートパソコンを抱えた先生、駆けつけてくださり、あざやかな指さばきでキイをたたきながら、私の報告を入力、ご自分の血圧計で測り、これは高いですね、と言われる。

でもわたしの報告の言葉を聴きながら、言語や思考に影響が出ている様子はまったくないから、肩凝りや体の疲れ、ストレスのせいかもしれない、一番マイルドな薬を処方しておきます、一日一錠のんでくださいということだった。普段の血圧が低めなので、油断していたのかもしれないが、やはり、私の年齢では、毎日血圧を測り、血圧ノートに記録したほうがいいという忠告があった。夫の体調をご存知の先生はクリニックのそばの薬局に処方箋を渡されて、薬局のひとが届けてくれるという配慮もあって、夫は出かけずに済みありがたかった。

 

薬の効果絶大、夜には148に下がり、さらに翌朝には124にまでなった。でも食欲なし、胃がむかむかしている。心配してかけつけてくれた娘が夫と息子のためにドライカレーをつくってくれたが、そのカレーの臭いをかぐのがつらかった。あいかわらず、足もとが怪しい。

 

五月一日の土曜朝、思いついて、訪問マッサージを依頼した。以前夫が通っていた奥沢の接骨院のベテラン女性、しかも若くてキビキビしたひと、夫が大お気に入りだけあって、三十分の施術でからだは軽くなった。

昨日のご飯があまっていたので、夜はケチャップライスをわたしがつくって、夫にオムライスにしてもらう。わたしは相変わらずツワリ状態なので、トースト一枚を何とか食べるという状況、何かするとすぐベッドにもぐりこみたくなるだるさで、テレビも十分も観ていられないほど、このまま治らなかったらどうなるのだろう?まさかこのわたしが、と元気自慢だったけれど、もしかすると最期が近づいているのかもしれないと思ったりした。

 

五月二日、日曜だけど、教会には行けない状態。足もとに自信がない。どこかで転びでもしたら大変。血圧は117に安定しているが、食欲はまだ回復していない。バナナを切ってシナモンパウダーをふりかけ、ミルクをかけて食べる。洗濯をして干すことはできたけど、急な雨でとりこむのが大変。干すときに夫がずいぶん助けてくれたけど、急な雨で取り込むところまで気がまわらないらしい。洗濯をすると、いつも取り込むことを、女性は考えるが、男性はにわか雨に注意もはらわないし、洗濯したことを忘れているみたいだ。

娘が電話してきて、なにか買い物ある?と訊いたので、きょうはシャケと豚汁にしたけど、パパは気に入らないみたい、と言ったら、面倒なひとだね、と我が家の状況のややこしさがわかったような返事をした。

彼の好物、酢豚を買ってきてくれると言い、ほかには?と訊くので、お菓子がなくなったというと言うと、ママは何が食べたい?と訊くので、私は食欲ないからお菓子どこじゃないけど、パパが甘いものが要るのよ、どんなもの?そこで説明しようとするのだが、失語症に陥っているので、自由が丘でよく買う単純なお菓子の説明がよくできない。

ともかくウエストのパイなら絶対好きと言ったら、うわ~、ほんと面倒。

とは言ってたけど、わざわざ二子まで行って、酢豚とウエストのパイを買ってきてくれた。

夜はすこ~し、食べられそうな気がしたので、冷凍してあった玄米ごはんにこの間のハンバーグ屋さんのふりかけかけて、豚汁少々とで食べる。

二階まで上がれるようになった。ともかく五日にクリニックが開くので、その日にはなんとか出かけられるようになっていたい。

 

 

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