師走も暮れて
27日ごろから、おせち料理、これだけは自分の味で食べたいというものを毎日一品ずつつくり、そのあとは買い出しという暮らしである。
街で感じるのは、皆が何か買い急いでいるということだ。27日に、老舗の佃煮店がおせちを売り出すのをのぞきに行ったら、その日のうちにもう、その店の自慢のきんとんが売り切れになっているにびっくりした。予約も今年は恐ろしく早かったらしい。
二十九日の日には必要な正月用品と食料をほとんどそろったが、あ、忘れていた、大変と思って探しまわったのが、お屠蘇である。石川台の商店街にもなく、我が家の近辺にもなく、一番古くからある自然食品店にも、そんなものあるわけないじゃないか、という冷ややかな反応、もしや薬局なら、と馴染みの店に行ったが、そこにもなかった。店主初め薬剤師さんもみな女性なので、皆さんはどうなさるのですか?と訊いてみたら、ちょっと顔をそむける人たちもいて、店主の彼女がいまはもうお屠蘇飲まないお宅が多いようで…と答えたのにびっくりした。
帰宅してインターネットを開いてみると、お屠蘇がどこにも売ってません、どうしたらいいでしょう?とわたしみたいに、困惑している声もいっぱいある。
アマゾンや楽天では売っているが、これ単品はお断り、そうだろう、二百数十円のもの一品だけをすぐ配達するわけがない。
結局、祈るような気持ちで田園調布のプレッセに行って、レジの人に聞いたら、中ほどの正月用品が山になってるところに、あります、という返事に歓声をあげそうになった。さすがプレッセである。
だが、驚いたのは同年代の友人たちの中にも、お屠蘇はのまない、嫌いなの、と言う人たちが結構いたことだ。
わたしはあの日本のハーブとでも言うべき香りが好きで、薬草入りお酒で、まずはこれから食するご馳走に耐えられるようにする、という昔のひとの知恵に感動しているのだけれど…
黒豆はかみしめる張りがほんのり残った渾身の出来栄え、オーブンで焼いた田作りもいい味付けと焼き具合にしあがり、五目きんぴらも今年はゴボウとレンコンのあく抜きを完璧にしたので、美しく仕上がっている。
お餅は半分サイズにカットした「小さめの切り餅」というのを買ったら、これがちょっと小腹がすいたときにぴったりで、夫などはたいそう喜んで食べてくれた。
明日の年越しそばもプレッセで各地選り抜きのものがそろった中から、迷わず、孫娘のいる山形のものを選んだ。
今年はほとんど毎日、腕、肩の痛みに効くというリハビリに通い、それなりの効果が出て、治ったとは言いきれないが、少なくとも、まずは痛みがおさまった状態になっている。
旅行は一度もしなかった。温泉にも浸かれなかった。でもそれじゃ、コロナおさまり、もう行けると言う状況になったとしても、どうか、と言えば、出かけるのは億劫な気がする。
いつもなら、悪夢のような十二月なのに、さほどにも感じなかったのは、何に力をそそぎ、何を省いて、身体をいたわるかが、わかりかけたからだと思う。
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