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2019年12月に作成された記事

2019年12月31日 (火)

ベーカリー物語

徒歩三分ぐらいのところにベーカリーができたのは三年前のことである。

難しい場所だ、長続きはしないだろう、と言ったのは、五十年近くも営業している豆腐店の主だった。

 

パンを焼いているのは女性、このあたりの地主の長男のお嫁さんである。最初は行列ができるぐらいで、わたしも並んで買ったのだが、あまり自分好みではないとわかって、しばらく買わないでいた。ところが彼女はいろいろ工夫を重ね、イタリア風のパンまで焼くようになって、朝食用の種類が俄然おいしくなったので、再び買い始め、いまでは全粒粉の食パンを予約してまで買うようになっている。

とうとうオープンして以来三年が経過したのだが、最近になってしばしば、体調によって、営業は週三日、とかいう張り紙が出るようになり、えっつ?体でもこわしたのかと心配したが、実は、おめでたであることがわかった。

もう臨月というとき、顔を合わせるときがあったので、大変ね、頑張って、応援しているわ、と言ったのだが、ガラスケースをのぞくと、スープやらパスタなどのお惣菜も出ているのに驚き、あら、こんなものも?すごいじゃない?というと、いえ、これは彼が…といったので振り向くと、わたしが思っていた男性とはまったくの別人が笑っているではないか。理解に苦しむ、わたしを見てとったのか、彼女は言った。「あたし、いろいろあって再婚したんです、もちろんまだたずねていくこともあって、子供たちにも会いにいくんですけれど…」

へえ~~~~~~~~~~~っつ、三年のあいだにこんなドラマが起きていたとは!

お大事にね、くれぐれも、と店を出た。

 

そして三日前、店は開いていて、おなかが小さくなっている、彼女がいた。「男の子でした」と彼女は言った。母乳ですか?と聞くと、彼女はちょっと困ったような顔をして、「続けられないかも…よく出るんですけどね」と言ったので、わたしは思わず言ってしまった。「もったいない、うちは私も娘も二人の子供に母乳だったのよ。四人ともまったく大病しないでここまできたの」と。

あれから、ベーカーリーは閉まっている。余計なことを言ってしまったか。でも、自然の摂理で湧き出る神様のミルクの力は大きい。

 

どうか彼女が離乳のときまで、母乳をあげられるように、わたしは今、願っている。

 

 

2019年12月29日 (日)

寒さが身にしみる歳末

 

今年の年末はすごく寒く感じる。まるで二月の寒さのようだ。とりわけ夜が寒い。ふところも寒いせいだろうか。

なにもかも値上がりしている。一万円はわたしにはまだ大金なのだが、どんどん消えてなくなる。きんとんは作る腕は持っているのに、腕の痛みと、伝承に興味のない娘のせいで、買わなければならず、100グラム千円以上に驚きながら田園調布有明屋で買った。ところが新しい教会のそば、石川台の商店街では、手作りの甘さ控えめのきんとんが三百グラム1000円ちょっと。その手作りのお弁当とおそうざい店はこれからも勇んで利用したいと思うのだが、和洋、それぞれ品数も豊富、値段も手頃、ポテトサラダ100グラム100円がおいしい。これからも教会の帰りに買えると思うとうれしくなる。こういう情報は歩く足がなんとかなるからこそ得られるもの、まだ可能なうちにめぐりあえてよかった。

 今年はもう、息子と三人だけで、簡単に新年を祝うつもりだった。ところが孫息子夫婦がどうしても元日の夜、挨拶にくると言ってきて、娘と孫娘も合流する、もてなさなくていいからとは言ったが、それじゃあ、最後の腕をふるおうか、ということになっている。

おせちの五目きんぴらと田作り、なます、黒豆を作り、あと炊き込みご飯、おでん、肉っけが要ると思い、久しぶりに紅茶豚をつくるつもり。すべて二日もあれば余裕である。娘が生野菜ディップをもってくるので、野菜はそれで充分。

 

肩の痛みはずいぶんよくなってきているが、まだ油断はならない。刻むのはオレがするよ、と夫が言ってくれるので、ショップチャンネルでギザ刃加工包丁を買った。デモンストレーションほどの切れ味ではない、と思ったが、夫は、こりゃ、スゴイ、と言っていたのでまあ、失敗の買い物ではないだろう。切れすぎる日本包丁は、手がすべったりしたら、年寄にはコワい。

なるべく、手作りですます食卓、と思っていたのだが、思いがけず、肩の治療が長引き、この、二、三か月、夕食のあと一品ヘルプにずいぶん近所のおかず屋さんに助けてもらった。もと魚屋さんだったひとなので、魚料理が上手、サバの味噌煮や、アジや白身魚の南蛮漬けなどがおいしい。それとカボチャの煮物や、煮豆、あと切干大根、ひじき、おからなど、ときに小魚の天ぷらなども出てくるし、カキフライ、アジのフライなども予約すると揚げたてが買える。

あとは近所のパン屋さんが、おそうざいも売りだしていて、スープ、パスタ、ベーコン入りサラダなど、これも便利である。

 

予期せぬ痛みで炊事がつらくなり、頑張りは痛みを慢性にしてしまう。手作りは冬のあいだは手間のいらない鍋物を主にして弱りつつあり身体をなんとかもたそう。

 

もう買い物はほとんど済んでいるので、なんとか元気で新年を迎えたいと思う。

 

2019年12月22日 (日)

クリスマス礼拝と会食

きょうは転会した教会での初めてのクリスマス礼拝、ビュッフェ式の会食のためにできればなにか一品を、という項目があって、チョイスに思案していた。主食と飲み物は教会側で用意されるというので、副菜にしようかと迷ったが、一度経験してみないと、取り合わせがわからないので、無難なもの、作りなれているものがいい、と決め、フルーツケーキにすることにした。それと、余裕があれば、クリスマスクッキーも焼いてみたい、計画しているときは楽にできそうに思われたのだったが、右肩の痛みがまだ癒えていないので実際にとりかかってみると、そうたやすくはいかなかった。

 

型ぬきのクッキーが思ったよりむずかしい。土台が柔らかすぎたのか、突起した部分がきれいに出ず、抜くときが難儀だった。しかもアイシングをパウダーシュガーとレモンジュースでお手軽にしたので、思い通りの形にならず、失敗作多く、意気消沈した。Simg_2545

 

フルーツケーキのほうは、いつもの倍以上の分量をまぜることになったので、ハンドミキサーをまわすのを、夫に手伝ってもらって、なんとか完成。ケーキ型に入れず、四角い平たい型で焼き上げ、およそ三十六個に切り分け、仕上げた。

Img_2543

当日、教会側からは、フランスパンのサンドイッチと、お赤飯などが用意されたが、副菜はローストポークやら、手製のハム、稲荷ずし、中国風やインド風の春巻き、サラダ、グラタン、キッシュなど、見事なヴァライエティーで、わたしは二度ぐらいお替りしてガツガツいただいた。

 

デザート類もすごい。シフォンケーキ、シナモンロール、シュトーレンなど、自分のフルーツケーキが果たして、食べてもらえるものか、と不安になっていたが、最後は見事に空っぽ。

 

一週間前は礼拝堂を飾るリースの手作り会が催され、肩の痛みが不安だったが、リースづくりのプロの指導者がみえて、教え方が見事なので、作業も楽しく、痛みの自覚もなく、十人ぐらいが二時間弱でノルマを達成した。Simg_2547_20191222214701

 

クリスマスの本当の意義と、み言葉の解き明かしのお説教を聴き入り、キリスト降誕の賛美歌を高らかに歌って、聖餐式を終え、これこそが本来のクリスマスの祝いであると実感を強く覚えた一日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月16日 (月)

あったかファッション

イタリア旅行情報専門サイトJITRAからのメールマガジンが届いた。

もうイタリアには行かなくなってしまったので、詳細を読みはしないのだけれど、

冒頭の編集部のミラノ情報をいつも興味深く目を通している。

 

12月7日はスカラ座の初日で、今年もその様子がテレビで放送されたが、筆者が注目したのは、セレブの女性たちの一人も毛皮のコートを着ていなかったことだという。

ミラノの街を歩く女性たちのコートもほとんどがダウン、というから、ファッションも変化を遂げたものだ。

 

だが、この日本では、さらなる変化がある。ユニクロ製品だ。

もう分厚いコートを着なくても、極暖の下着やインナーで大丈夫、わたしの極暖のブルーとワインカラーのインナーがどれほど役立ったことか。

四、五年着ているから、そろそろ買い替えようかと、ネット検索してみて、驚いた。

極暖の上、超極暖というのがもう出回っていたから、思わず笑ってしまった。

 

早速自由が丘のピーコックの二階のユニクロに行く。

黒とグレイの超極暖製品はハイネックのものまであって、1500円也。インナーで十分通用する。

黒のハイネックを購入、ちょっとした集まりにヒートテックの下着を着てその上にこの超極暖のハイネックインナーを重ね、おしゃれなヴェストを合わせたら、立派な外出着となった。しかもあったかい。分厚いコートも必要なく、一番気に入っている、一枚仕立ての軽いウールのコートで十分だったのがうれしかった。

 

コートは新調しないで済む。その分スカーフやマフラーの新調には奮発して、この冬は安上りのおしゃれで済まそうと思う。

 

 

 

 

 

 

2019年12月13日 (金)

肩が痛い

 

京都からの帰りにスーパーに立ち寄り、夕飯用の買い物をして、それを右手に下げながら戻ったら、すでにときどき感じていた肩の痛みがひどくなって、翌日から接骨院通いが一週間近く続いている。

なんでも肩の腱が傷ついてしまっているのだそうで、日常のかなりの動作を禁じられてしまった。ともかく腕が宙に浮く状態を避けるということ、たとえばパソコンのキイをうつときには腕に枕をあてて、固定すべき、など。この枕は麻布十番で見つけた、飛行機で使う枕を分厚くしたような代物、朝、ベッドで新聞を読むときも腕を支えるすぐれもの。

 

ケーキ作りなど、かきまわす動作は避けるべし、というのだけれど、この時期、クリスマス用のフルーツケーキ作りを、まもなく始めなければならない、と話すと、先生、ハンドミキサーを使えば、と、しばらく使っていない、道具の存在を思い出させてくれた。

アメリカ駐在のときの、五十年まえの器具、まだ動くだろうか、と、もうしまった場所のこともうろ覚えで、あちこち探して、床下の貯蔵庫からようやく見つける。

それが立派に動いた。サンビーム製、大したものだ。ケーキの仕上がりもいい。

 

そういえば、近頃キッチンなどの小さな汚れがやたら気になって、百円ショップで買ってきた場所別用の汚れ落としティッシューでふきまくっていたのも肩の負担になっていたのだろう。

 

接骨院の先生は二代目、先代は慶応の野球部の面倒をひきうけていた名人級、二代目の診療は主に電気治療だが、骨の模型を片手に、悪くなっている場所をしっかり説明して納得させてくれる。

 

私の膝がパンク状態になったときも、駆け込んだのはここだった。右腕を下げているだけで負担が加わるから、できればポケットに入れて支えるという意識が必要、など、忠告を聴きつつ、患部はテーピングされ、湿布を当ててもらって帰る毎日、痛みはだいぶおさまってきている。

 

 

 

 

2019年12月10日 (火)

京都駅のトイレは〇☓方式

一泊旅行は翌日も列車に乗るギリギリまであちこち歩きまわって有効に過ごしてこそ、値打を増すものだが、この日はもう、その馬力がなくなっており、しかも目的は十分果たしたので、どうしようか、と迷っていたとき、テレビの声が耳に入った。関東で三日、12回もの地震が起きている、というのである。何かの異変の予兆かもしれない、これは不安それに土、日と予定満載、早めに帰ることにしよう、と決心がついた。

 

今回は食事を大倹約、きのうの夕食はホテル前の伊勢丹の地下で買ったお弁当ですましたし、朝は嵯峨のベーカリーのパンと部屋のコーヒーにするつもりである。朝食を早めにとって、12時近辺の列車にチケット変更して、せめて最後の京の味、「松葉」でにしんそばを食べよう、と決める。

 

京都駅はさほど混んでいなかった。

トイレで面白いことに気づく。ドアの上のほうに〇☓の印がついているので、☓印は使用不能なのか、と思ったら、そうではなく、使用中の意味だった。Img_2534

確かにドアが閉まっていると、使用中かそうでないかはドアのそばの印が赤かどうか見定めねばならず、これが見にくい場合がある。

〇☓をドア上にかかげて知らせてくれるのは、親切、かつ巧妙なアイディアだと感心した。

 

 

2019年12月 8日 (日)

紅葉を観に京都一泊旅行 2

紅葉を堪能したあと、モーレツ甘いものが食べたくなってきた。

そう、京都のお抹茶とねりきりのお菓子。

それをかなえてくれるところがバス通り角の店、名前もうるわしい甘春堂、たたずまいも内部のウインドウの菓子も配列も申し分のない京都風。

お抹茶には落雁の小さい干菓子もついて、ねりきりもおいしく、お薄の点て方にも満足。

土産用に紅葉をかたどった金玉風小ゼリーと、野菜せんべい、夫用にあんこの入った餅菓子などを買う。ついでに、このあとの京都までの帰り方も訊く。Simg_2536

 

京都で買いたいものはもう一つあった。『もり』の漬物、去年、松尾大社で買って以来の気に入り、取り寄せもしていたのだが、配送料が高い、せっかく新幹線使ってやってきたのだから、もう一度松尾大社に行こうと明日の予定にしていた。それがここまでくる道のバスの車窓で嵐山にも店を出しているのを目にしたのである。

だからそこまで戻って、もう少し早い京都までの戻り方、電車の行き方を訊いたら、徒歩十分ぐらいとわかった。

 

もう一度、28番に乗って四つ目のバス停、嵐山天竜寺で下車、『もり』で自分用、進物用の漬物調達、電車への道筋も訊く。この先右に曲がって突き当りを左へ、十分ぐらい歩くとわかる。左に天竜寺、ここは過去に娘と訪れた。近くにもう一か所紅葉の名所、宝巌院があるのだが、このときはそのことが思い浮かばず、ともかく言われた通りの道をたどる。

 

この歩きがまた思いがけず、とてもよかった。京都人の生活の通り、おかず店あり、ちょっとしたブティックあり、お茶の店やベーカリーなども、そして目がとまった入りたくなる書店、『London Books』中古書店だが、その品ぞろいのこだわり、写真集、雑誌類、文庫本など、京都に関するもの多く、店主の並々ならぬセンスの良さが伝わってくる。Simg_2533

ぱらぱらとめくって「兼好のふるさとは京都である」に惹かれ、『徒然草の京都を歩く』を購入、大好きな徒然草を研究しながら、歩くことをしてみたいと思いながら…

 

お惣菜の店で手作りのちりめん山椒ふりかけを買う、500円は安い。

JRの駅は「嵯峨嵐山」京都には15分くらいで到着。これはいい、この行き方をしっかり覚えておかなければ、あの通りにぜひ再訪問してみたい、とも思った。

 

 

 

2019年12月 6日 (金)

紅葉を観に京都一泊旅行 1.

 

京都在住のYさんのブログは読むものの心をふるわす魅力に満ちている。

彼女が詩人だからだろうか。京都人しか知りえない京都の日常、さりげない言葉でつづる四季の変化や、人との語りに加えて、詩心いっぱいの写真のワンショットのとらえに、ため息の毎日。そんな彼女のここはと紹介する紅葉の穴場の名所に行ってみたくてたまらなくなっていた。

たまたま、5日6日の木、金は空いているのだ。それとなくネットで京都駅構内のホテルに空きがないか調べてみたら、見事にヒット、予約ができてしまった。ついでに新幹線は?と検索したら、今宣伝まっさかりの、スマートEXにも登録できて、これも窓際の席がゲット。

「そうだ、京都に行こう」が現実になった。

 

夫に事後承諾めいてはいたが、お願い、いい?とおずおず風に尋ねると、いいよ、いいよ、とうなずいてくれて、朝九時半過ぎの列車に乗る。

 

リュック一つだったが、それは預けて、コンシェルジェにくわしい行き方を訊く。前回のホテルより、検索のスピード感はなかったが、付き添ってバス停まで送ってくれる行き届いた親切がうれしかった。目的地、宝筐院は28番のバスで「嵯峨釈迦堂前」で下車五分、名刹清凉寺の先ということだったが、バスの運転手さんは首をかしげて、一時間近くかかりますよ、電車のほうが早いかと…などと言う。現時刻午後一時、これでは、このあと大覚寺まで行くつもりだったが、到底無理、とわかった。京都の寺社仏閣は四時半くらいで閉めてしまうから、バスは乗り換えなしで簡単そうだけど、時間食いなのである。

バスは京都人の足なのだろう、頻繁にバス停があり、去年尋ねた梅宮大社を過ぎ、松尾大社も過ぎ、なんと嵐山渡月橋を過ぎ、天竜寺を過ぎでようやく下車。

手前にある清凉寺の紅葉の赤がまだあざやか、よし、これなら、今年最後の紅葉はまだ健在だろうと希望が出た。宝筐院、ちょっとさびれたお寺という感じ、チケットも券売機である。料金は五百円、入口で四季の庭四枚入った絵葉書を渡すひとに、中から出てきた男性は、素晴らしいものを見せていただき、感動しました、とあいさつしていた。

その通り、くぐり戸の先に赤とオレンジと黄色の天国が展開し、わたしは思わず、わあ~っつと叫んでしまった。

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 手前にそびえる清凉寺の建築物もなかなかのもの、紅葉の紅が一段と映える。

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2019年12月 2日 (月)

『リナルド』のアリア

学生時代、母校でなにか儀式があるときには必ず歌わされていた『Oh Lord correct me…』が創立者の愛唱歌であることはわかっていたが、これがヘンデルのオペラのアリアに源を発しているということを知ったのは、ずっとあとになってからだった。

そのアリアが出てくるオペラを一度観たいものだと思いつつ、ヘンデルのオペラが上演されることが稀有であるため、チャンスがなかったが、きのう、王子の北トピア、さくらホールで上演された『リナルド』を観て願いがかなった。Photo_20191202221001

わたしにとってはオペラの先生役のお友達、kikukoさんのスケジュールをチェックしていて、チャンス到来となったのである。

二幕目、リナルドの恋人アルミネーラが囚われの身となって、「泣かせてください」のアリアを絶唱する。激しい感情のこもった歌声は美しくひびいて、聴きごたえがあった。

 

Oh Lord correct me…』の歌詞は、これぞ正しく旧約聖書のエレミヤ書1024節の引用、主よ、わたしを懲らしめてください、そのままである。これが教会などで、歌われる機会がないのは、なぜなのだろう。

英語の意味も正確には把握しないまま、歌詞だけはいまでもほとんど暗記しているなつかしい歌、kikukoさんがYouTubeから貼り付けして送ってくださった、レジネヴァの歌唱は『泣かせてください』を実に清らかに歌いこんでいて、聖書のほうの歌詞を連想させるものがあった。

十二月の最初の日に、長年の疑問が明らかになって、なにか胸がすきっとしたような晴れやかさを味わった。

 

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