映画『蜜蜂と遠雷』
二子玉川のシネコンで『蜜蜂と遠雷』を観てきた。
内なるなにかに突き動かされるように言葉がほとばしっている原作、映像化は不可能と一読者としても思っていたのだが、映画もまた内なるなにかに突き動かされるように映像がほとばしっていて、実に見応えがあった。
ピアノコンクール、三次予選まであって、本選にのぞむという長丁場、507ページもの長編をいかに二時間の映像にまとめ上げるか、つまりエピソードの取捨選択をいかにするかで、作品の出来不出来が決まると思われるのだが、それが的確、登場人物の焦点を栄伝亜夜にしぼったのが、ストーリー展開が簡潔になり、成功のゆえんとなった気がする。
映画が上映されてからかなりの日数を経ている、平日の11時20分、それでもほとんど満席で、二度目三度目のひともいるのでは、と推量した。
それぐらい、音楽もよかったし、登場人物のキャスティングもぴったりの人選で、満足した。
四人のピアニストの違いを、このコンクールの課題曲『春と修羅』のカデンツァで表現したのが効果的だった。
「人間は自然の音の中に音楽を聴いている…弾き手は曲を自然のほうに『還元』する」という、作者のこの名表現こそが最重要の主題と感じていたが、それを、亜夜と塵が窓から月を見上げながら二人でドビュッシーを連弾し、さらに楽曲を広げていくところはこの映画のクライマックスにも相当する、忘れられぬ、映像と音楽の結合美であった。
ピアニストは孤独の戦いだが、ピアノ連弾は楽しい。わたしも娘がピアノを始めたころよく連弾して、彼女はそれをとても楽しみ、音楽専攻への道に進んだ、ともいえると思う。
この映画には親子の連弾、ピアニスト同士の連弾、その場面が効果的な役目をはたしているのも、監督の鋭く、得難いセンスと言えそうである。
ポーランドの大学で演出を学んだという石川慶監督、撮影監督もポーランド人とタッグを組んでいることもこの映像美につながったのかもしれない。
この先も注目したい才能である。
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原作を読んでいた者としては、あの内容をどのように映像化出来るのかと危惧した面もありましたが、映画を観て心を奪われました。納得できました。ばあば様のご指摘の通り、ピアニストとは、楽器をピアノに選んだ時点から孤独との戦いであると思います。私がピアニスト及びピアノ曲に惹かれるのも、その点であるかもしれません。映像美も伝わってきました。そうですか、監督はポーランドで演出を学んだ人だったのですね。よけいに納得しました。
投稿: aiai | 2019年11月10日 (日) 11時09分
aiaiさま
映画を劇場で観に行っても滅多にプログラムは買わないのですが、今回は迷わず、売店に向かって購入しました。思いは同じと思われる同年代の女性が三人もいました。
プロコフィエフとバルトークのさわりの部分が効果的に演奏されていましたね。
この部分、もう一度聴いてみたい、と思います。二度観てみたいという映画ですね。
aiaiさまはポーランドと聞くと、おおいにうなずけるものがおありでしょう。
うらやましいです。
投稿: ばぁば | 2019年11月11日 (月) 07時54分
本を読んでいたので、あの話がどういう映画になるのか?
そんなことも関心がありました。 本とは又違った感じもありながら
でも、物足りなさとか感じず十分楽しめました。
観終わって後日知ったことでしたが、一番若い彼、何と、
我が子供たちも通った近所の中学を出た、地元出身者なんだって!!
朝ドラにも出ているのです! 一層身近に感じられます。
私反田恭平さんのファンでもあり、その辺もこの映画に惹かれた動機でした。
投稿: tomoko | 2019年11月16日 (土) 09時30分
tomokoさま
塵に扮した鈴鹿央士という、まさに新人のひと、好演でしたね。演奏者の藤田真央のピアノがすごかったです。このひとのモーツアルトを聴いたとき、のけぞりそうになりました。コンサートに行ってみたいと、検索したら、すべて完売でした。
最近の若手ピアニストの活躍ぶりは驚くべきものがあります。日本人の底力を感じますね。
投稿: ばぁば | 2019年11月17日 (日) 09時17分