夫のクラス会の付き添い
近頃、高齢男性のクラス会に付き添い歓迎がふえていると聞く。夫が二本杖になってからは、歩みもとみにのろくなり、会合に欠席が多くなった。出席そのものがしたくないというのではなくて、道中がシンドイということらしいので、よかったら、いっしょに行くわよ、と何度も申し出ていたのだが、いいよ、の一点張りだった。
それがどういうわけか、この秋の小、中学校のクラス会二つに、もう最後にするから、できれば付き添ってほしいと、自分から言い出したのだ。
そしてきのう、その一つ、天津淡路小中学校の会に付き添った。
わたしの六歳上、87歳のクラス会は生存者も少なくなっていて、この学校は海外でもあり、在籍者のうち、東京在住の人たちをつきとめるのも、むずかしかったらしく、現在二十人ぐらいのひとたちのうち、今回の出席者は9人。
会場は新宿歌舞伎町、中国の寄せ鍋料理、火鍋子の店。東口ハトバス乗り場で集まってから、いっしょに歩いていくとのことだったが、夫にはちょっと危うさを感じた。
思ったとおり、新宿駅はまだ工事中で、東口にたどりつくのが結構大変、そこからハトバス乗り場に行くのもエレベーターを探すのがまた厄介で、その点わたしは役に立ったと思う。男性出席者は夫より年上に見えるような人たちが多かったが、足は杖なしで動けるので、夫は負けている。全員集まるのを待つあいだも、自分で座る場所を見つけて腰かけていた。
女性はもう一人付き添いの人入れて、四人。北海道から上京した男性メンバー、これが最後と自ら重病宣言するひとを囲む会でもあったのだが、会場へは、結局そのひとと女性一人と私たち夫婦は一区間タクシー利用となった。
場所はビルの六階、かなり広く、鍋はテーブルに埋め込まれている。二つに分かれていて、香辛料入りのとそうでないプレーンなものと区別されている。そこに野菜や肉や春雨の太いものや、白身魚、貝類、ソーセージ、キクラゲなどが盛られた皿が運ばれ、一応食べられる状態になるまで、店員が煮込んでくれた。醤油味とゴマダレ風のソースの皿が運ばれてくる。
夫はもうすっかり疲れてしまったらしく、あまり積極的に話そうとしないので、わたしが両隣のひとと話す努力をした。個室ではなく、一般席のテーブルを囲みながら懐かしい話をするのは無理で、幹事のひとが、天津時代の地図のコピーをくばったり、写真集をまわしたりしてくれたが、あまり盛り上がるという雰囲気ではなかった。それでもこのホーコーズという中国の寄せ鍋の味はだれもが忘れられぬ当時のご馳走だったのだろう。こういうところを良かれと判断して、企画してくれた幹事さんの努力と配慮とを思った。
この日のホーコーズは四川料理だったので、辛みが強く、天津時代の料理はどちらかといえば、北京風だっただろうから、全員懐かしさいっぱいで箸を動かすというふうでもなく、87歳という年齢は食欲旺盛とはいかないのだな、とつくづく思った。
でもこの年齢になると子供の時に食べた美味しいものをまた食べてみたいという情熱だけは、大きくふくらんだりする。昔の中国料理は変わりつつあるのかもしれない。幹事のひとが当時食べたシャオピンという北京風のタコスのようなものが、食べたくて、7000円もする会席料理を食べにいったが、最後に出てきたものは小型のせんべいのような似ても似つかぬものでがっかりした、という話をしたのが印象に残った。
夫はいつも昼食抜きなので、あまり食べなかったし、本当に疲れた様子で、帰りは皆と早々に別れてタクシーを拾った。帰宅してから、きょうは本当に助かったよ、オレひとりだったら、無事に帰れたかどうかわからなかった、と言ったので、付き添いの役は果たせたようだなと、安堵した。
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