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2019年4月に作成された記事

2019年4月30日 (火)

わたしの平成最後の日

わたしの平成最後の日はブリッジ一日トーナメントで過ごした。結果はいつも上位の席にいたにもかかわらず、入賞を逃すという、はかばかしくない終り方だったが、それを癒すために立ち寄った、奥沢の『ポタージュ』店で、身も心も晴れ晴れとして帰宅することができた。Photo_9

五時過ぎごろ行くと、たいてい客はわたし一人、オーナー兼シェフの、息子ぐらいの年齢の彼と旅の話や、食材の話、調理の味付けのこととか、スパイス、メニューのことなど、話題はつきず、そして選んだきょうのポタージュ、緑野菜のそれと、甘めの自家製パン、キャベツにクミンシードの入ったコールスローにカブのおまけもついていて、飲み物はリンゴジュース、きょうは夕べのマカナイの残りという麻婆豆腐にパクチーのきざんだものまでが添えられており、正に「おいし~いっ」と叫んでしまう味の連続なのだが、そういう発声はなかなか聞かれないのだそうで、彼のうれしそうな表情にこちらも喜びと満足感が加わり、一口ごとについつい声を上げてしまう。Potage

 

「手に職」を持ったひとの強みを、植木屋さん、コックさん、美容師さんなど、つくづくと感じることが多い。

 

息子の再就職はまだ果たされていない。アルバイト口は見つけて、けっこう、精神的には安定している様子だが、これまで歯科医にも定期的にかかるということが不可能だったせいか、インプラントの請求書を見つけて、愕然とし、夫とわたしがこの二十数年通っている、良心的な名医のところに行くようにと説得し、そこで、ようやくまともな治療が得られたのだが、わたしの定期健診のとき、息子の歯形の写真を見せられて、黒い場所が歴然とあらわれているそれを正視できないほど茫然としてしまった。

 

医師はわたしの失意に同情したのか、いまの若い方たちは、みんなこういう状況と言えるくらいなんです、と言ってなぐさめてくれたが、それにしても超多忙のサラリーマンの現実は本当に厳しいものがある。

 

ポタージュの彼のフランス料理修行時代、その後あちこちと不安定な仕事の遍歴、聞かせてもらって、それでも自分が好きな仕事についているという幸せにあふれているその姿を見ながら、有名校に入るために、ただただ勉強勉強を追い立てるまえに、親は知るべきことはこれではないかとつくづく思ったのだった。

 

人間は死ぬまで食べなければならない。自分の好きなものを自分の手でつくることができる幸せ、もしかしたら、親が子に教えるべき第一はこのことなのではないだろうか。

 

2019年4月28日 (日)

「優先席」に思う

きのう、新しい発見をした。

JRの優先席シートの背の部分が、赤で、はっきり優先席の文字が染め分けられているのである。

これで、少しは若者たちが座るのをためらわせるのではないか?

事実、空席になっているシートが、きのうは多かったように思う。

 

わたしは髪を黒くヘアマニュキアしているせいか、友人たちはお世辞かもしれないが、到底81歳には見えない、60代でもおかしくない、などと言ってくれたりするのだが、あまり席を譲られることがない。夫やある友人は、自分はいつも譲られる、と誇らしげに言い、譲られぬことは、こちらに非があるかのような感じで、それを聴くたびにムカつくのだが、81歳は優先席に座る権利があるのだから、それを主張してもいいと思う。

だから、近頃、堂々と、優先席なので、ゆずってくださいませんか?と頼むことにしている。

 

きのう、JRは往きも帰りも座れた。でも副都心線は、いかにも元気溌溂とした若者が席を占めていて、スマホをいじくっているので、わたしはこの言葉を発し、ひとりがすぐさま立ってくれたので、ありがとうございます、と言って座った。

 

若い女性が座っていることも多いが、彼女たちはまず譲らない。それにあの、妊娠マークの札を持っているかも知れないので、頼むときはいつも男性に言うことにしている。

 

正義感が強く、プライドが高いという自分の性格を、イヤだと思ったこともあった。でもこれは80を過ぎても治らない。自分の個性でもあるのだ。いつもニコニコしていて寛容なひとをうらやんだこともあったが、最近読んだジョイス・マイヤーの言葉に救われた。

「他人によってあなたの価値を決めてはならない。あなたはあなた一人であり、一秒たりとも自分自身から逃れることはできない。自分自身を楽しむことができなければ、貴女の人生は悲しみの道をたどる。神は意図的に一人一人を少しずつ異なるようにおつくりになった。その多様性を楽しまれているのである。あなたらしく生き、ありのままの自分を楽しむべきである」

2019年4月26日 (金)

山形花見旅4

前半のクラリネット協奏曲は超絶技巧を駆使した難曲中の難曲だそうだが、メイエは指揮ぶりも加えて、曲目解説にも書かれていたようなジャズ的は雰囲気とモーツアルト的な古典的要素をふんだんに出し切り、圧倒的効果を生み出した。

 

シューベルトの『ザ・グレート』はベートーベンを思わせるような壮大な曲想に満ちている。曲の雰囲気を重んじるためにあえて古楽器を使用させられたそうで、音を出すのがむずかしかったという孫娘の言葉がうなずけた。

 

総じて、楽団員がそれぞれの一番素晴らしい音を生み出すのに最大限の努力をしている統一感が見事で、定期演奏会は常に満席に近い聴衆を呼ぶのもうなずける感動に満ちた演奏会だった。

 

終演は九時を過ぎていたが、わずか十分足らずで帰宅できるので、疲れがたまらずに済む。ドライカレーをあたため、キャベツとリンゴのサラダを用意し、孫娘が市販のコーンスープを用意して、遅い夕食を終えた。孫娘はいつも一人で食べるから、手作りのこんなおいしい料理で幸せだった、と感想を述べた。

S035_1

翌朝は外で「モーニング」を。山形市はおいしいベーカリーが多いという。孫娘が選んで連れて行ってくれたのは『メリ・メロmeli-melo

わたしが選んだのは、ミルクパンと、フランスパンのホットドッグ、アップルジュース、コーヒー。なんだろう、このパンの焼き具合のおいしさは!!東京のパンにはない香ばしさ、山小屋のような二階の雰囲気もよく、満足した。

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駅まで送ってもらい10時数分発の新幹線に乗るのに三十分ぐらい余裕があったので、駅中の土産店で沢山買い物をする。

 

なんとか無事に済んだ山形訪問の旅だったが、危うさを感じたこともあった。温泉宿に着いたとき、入口の段差に躓いて危うく、顔面衝突をしそうになったのを踏みとどまったこと。孫娘のアパートで夜中トイレに起きたとき、廊下ですべりそうになって、玄関ドアに衝突しそうになったこと。

 

やはり以前より平衡感覚が弱ってきているのだろうか。山形行二度目は果たしてあるのだろうか、先の体調に、確信が持てそうにない。(了)

 

 

2019年4月24日 (水)

山形花見旅3

昼食におそばが食べたい、と言って、連れて行かれたところはひっきりなしに客が入ってくる大繁盛の店『すぎ』、

 なんとラーメンのメニューも沢山ある。私たちは鴨せいろを食べ、夫のみやげに、蕎麦かりんとうを買った。Photo_5

 

孫娘のアパートはそこから十分もしない距離のところ、真裏にコンビニがあるという至便の場所で、防音室つきの2LDK、ほとんどニトリでそろえたという、家具や日用品は色も使いよさも、なかなか選択眼のあるそろいようで、わたしが彼女の年頃のときは、嫁入り道具のほとんどを母にそろえてもらったことを思うと、隔世の感を抱かないではいられなかった。

 

夕方の外出に備えてすぐ料理にかかり、ドライカレーと筍の調理を終えた。筍は大きいものをゆで、タケノコご飯にも煮物にもできるような味付けにしておいた。孫娘は楽器を背負って早めにホールにでかけ、わたしは彼女が呼んでおいてくれたタクシーに乗って、開場時間の三十分まえに山形テルサに向かった。

 

その日は名実ともに世界のトップに立つというクラリネット奏者のポール・メイエが招かれていて、指揮者としてのキャリアも築いてきた活躍ぶりを披露するプログラムで、リゲティのルーマニア協奏曲とフランセのクラリネット協奏曲、そしてシューベルトの交響曲第八番「ザ・グレート」。孫娘の出番があるのはシューベルトのみである。トロンボーンという脇役の楽器は弦楽器や木管にくらべ、気楽でいられるのではないかと想像した。(続く)

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2019年4月23日 (火)

山形花見旅2

  翌朝チェックアウトの時間ぴったりに、孫娘が若葉マークの白い軽の車でピックアップしてくれた。ナビに合わせて走るハンドルさばきは堂に入っていて、意外にも安定感充分。

若葉マークはこの六月で卒業だというが、これだけあやつれるようになったのは、あまり交通量が多くない、ゆったりしたこの街が「天然」というあだ名の彼女にぴったりだからなのだろう。

 

今日からの週末の二日、彼女は定期演奏会の出番があるのだが、この日はわたしが手料理をふるまう約束をしたので、まずはスーパーへ、ドライカレーの材料と、筍を買う。東京と違って筍は大きいものばかり、値段も700円以上。産地でもある地方のスーパーにしては、野菜の値段は都内の大手とあまり変わらなかった。

 

そのあと、「ばぁばに、お花見させたい」と言って、ドライブしながらの花見に最適な名所、馬見ヶ崎さくらラインを走る。河に沿って、右に山、前に雪をかぶった奥羽山脈を視界に入れながら花のトンネルを行く極上のドライブ。Photo_3  

 

もう一か所見せたいところがある、と言って案内されたのが、旧市庁舎『文翔館』、022

彼女は駐車も空きのところをすばやく探して一発で入れる。021 019

大正時代の建造物だというが、豪族最上家伝統の豊かさが随所に現れた格調高い豪華さ、まわりの風景もまるでここだけヨーロッパという面影である。 026 033

 

 

 

2019年4月22日 (月)

山形花見旅1

12時発の山形新幹線、米沢を過ぎるあたりから車窓の風景が一変する。山肌にまだ雪が残り、木々は芽吹いた新芽の淡いグリーンに染まり、そして点在するサクラが開花している、四季の彩りが混じった日本独特の山岳情景が連なる。

 

かみのやま温泉駅はちょっとさびれた温泉街、車で五分の、娘に推薦されて選んだ宿『森の音』に到着。

ロビーは薪の炎が燃え立つ大きな暖炉をかこんでお茶とチーズケーキがふるまわれ、その後案内された個室のガラス戸には満開のサクラがあふれんばかり枝を広げている。005 004

 

夕食のメニューは山形の豊富な野菜を工夫した創作料理で、ほどよい量がうまく塩梅されていて、どれも美味。008_1 010 009

ダイニングルームのガラス窓もまばゆい夜桜で埋まっている。(続く)

 

2019年4月18日 (木)

満足度イマイチの外出のあとで

明日から、孫娘が暮らしている山形に二泊三日の旅をする。

それに備えて、身体を休ませるどころか、きのう、一昨日と外出の日が続いた。

 

おとといは柳家喬太郎の落語を聴きに浜離宮朝日ホールまで出かける。しかも時間を夜昼勘違いして昼の部に一時間遅れでタクシーに乗ってかけつけるという失敗をやらかす。

八重桜と花ミズキの花見もできたので、チケット以上の散財をしてしまったことは、いいとするか、と思っていたのだが、師匠のとりの落語で満足しようと思っていたのに、なんと、また先回と同じ『品川心中』が演目だったのには、本当にがっかりした。

落語の場合は演目がその日にならなければ知らされないものらしい。

わたしの運が悪かったのか、それとも彼の出番があまりにも多いので、楽な演目に落ち着くことが多いのか、今この落語ブームに荒稼ぎさせようという、マネージメントの執念にも思われて、あと一回五月のチケットを買ってあるのだが、もうこれでやめようとさえ、思っている。

二回目のこの噺、さすがに、二度目であっても見事な語りようではあったが、浜離宮朝日ホールは帰りの大江戸線の下り階段が長くて、つらく、もうここにも二度と来たくないと思ってしまった。

 

きのうはドイツの神童ピアニスト姉弟の協奏曲三曲、王子ホールで、専属の弦楽室内オーケストラの東京シンフォニアとの協演である。姉のレティシャが15歳、弟のフィリップは9歳、姉がシューマンとベートーベンの三番、弟がベートーベンの二番、テクニックは申し分なく、音楽性も備わっているのだが、オーケストラの迫力がちょっと物足りないと言う気がしてしまった。この三曲はフルオーケストラあっての名曲、それなのに、楽曲の長さはそのままだから、協奏曲三曲はどう考えても長い、疲れた。

 

わたしの年齢でコンサートを選ぶときは、中身をより吟味して決めるべきだとつくづく思った夜の外出であった。

2019年4月15日 (月)

ご近所の花とミモザの名残り

藤の花がもう咲いているので驚いた。このお宅は以前藤棚があって、その満開ぶりが見事で立ち止まって見入ったものだが、いまは樹も老木となり、藤棚は取り去られてしまい、わずかに垣を彩るのみになった。S001

 

このお宅のシャクナゲも随分早い開花である。隣に今、ビルのような個人住宅が建ちつつあって、陽当たりはずいぶん影響があるのではないかと思う。外国人が住むらしいのだが、数十年続いている隣組も様変わりだ。S002_1

 

ミモザをドライフラワーにして、スワッグを作った。枝ぶりと花が必ずしもよいものばかりではなく、かなり苦心して、仕上がりはイマイチ、でもドライの仕上がりはよいらしく、あまり散ったりしていない。S004_2

2019年4月12日 (金)

黄色の次も黄色

ミモザの花がすべて散ってから、また来年咲いてもらうために、いま、このときに樹をととのえておかねば、と、植木職の山田さんに電話した。

もう二十数年のお付き合いである。以前の庭のときは三日がかりだったが、いまでは、午後の三時ぐらいに終了するほどの、庭というほどの場所ではないけれど、ミモザを初めとして、ローリエ、花ミズキ二本、垣根がわりのアカメ、あとはモッコウバラとカリフォルニアジャスミン、仕事は簡単ではなさそうなのに、彼はあいかわらずの名人ぶり、手順よく、手際よく、たまった枯葉まで片づけて、樹木たちは美しく散髪したようになった。S003_1

お得意さんを絞って、混んだ仕事はしないので、楽になりました、との言葉。

 

「あなたの鋏を待っている樹が、ここを切ってと言うのがわかるのでしょう」と言うと、その通りというように、彼は笑った。

 

「立派なお仕事ね」とため息が出る。

 

それにしても、ミモザはいい樹に育ちましたね、それにここは理想的な場所です、という言葉に驚いた。南向きじゃなくて、樹がかわいそうと思ったりしていたからだ。

陽当たりが良すぎるのもよくないんです、と彼は教えてくれた。

 

来年も必ず咲いてくれるだろう、ミモザは。

 

いまミモザの次に、カリフォルニアジャスミン、そしてモッコウバラ、なぜかみな黄色なのである。S004_1 S005

2019年4月 9日 (火)

ココログリニューアル後、再びトラブル

ココログのリニューアルトラブルはまだ続いている。

新形式をどうやら把握して、写真入りの記事を更新できるようなったと安堵していたら、また写真が入らなくなった。アップロードしても、バツ印つきの小さな画像が出るだけで、本文に入らないのである。

あれこれ試して三十分、ストレスと肩こりで断念。

今朝、NIFTYまかせて365TEL.

担当が一度電話を切ってから、丁寧に調べてくれて、結局、ココログ側がいま対応中で解決されていないので、しばらく、待ってほしい、との返事。

 

ココログ管理場面を開くと、ユーザー側の怒りがすさまじい。「恥を知れ!」などのののしりまで、とんでいる。

 

今回のリニューアルは管理側本位で、実際に使っているユーザーの使い勝手は二の次のようだ、と思わないではいられない。

 

写真に重点をおいているブロガーのいらだちが伝わってくる。

 

この写真挿入のテクニックは慣れるまでかなり面倒だった。サイズの調整、配置の考慮など、メカに弱いわたしは、手順を覚えるのに大変だった。

 

自分の不得意なことに挑戦するのは、今のわたしにはストレス過剰、脳溢血になりかねない。

 

ココログ管理側がどうか善処してくれるように、とせっかち心をおさえて、願っている。

2019年4月 4日 (木)

さくら、桜

ようやく花見日和になった。

寒の戻りのような天候の中の桜は白々していて、覇気がない。

緑ヶ丘の緑道を歩いていたら、幹にアクセサリーのような桜花が開いているのが目についた。2019040213280001

何と呼ぶのだろう、こういう花のことを。

ネットで調べたら「胴吹き(どうぶき)」と称し、

古木に見られる現象だという。2019040213280000

 

信号待ちしていたら、派手なバスが通りかかった。オリンピック年に先駆けたおもてなし

デザインなのだろうか。2019040213260000

2019年4月 1日 (月)

『まんぷく』終わる

毎日欠かさず観ていた。Photo_1

安藤サクラの演技は、最初の若い時は気負った感じで声もかん高く、はしゃぎ過ぎみたいな聞き苦しさがあったが、次第に安定して、細かい感情の機微を、表情に見事にあらわし、名演技になっていった。このひとは恵まれた家庭で育ち、名優の父と、マルチ的なタレント豊かな母の遺伝子を引き継ぎ、どのような役も演じこなせる才能があるけれど、日本が誇りにすべき、良家の家庭の主婦の演技のちょっとしたしぐさや、品の良さというものをあらわすときが、ごく自然で、好ましく、安心して見ていられる。

夫役の長谷川博巳も好きな俳優で、デビュー当時から注目していたのだが、だんだんと演技の幅がひろがり、夏目漱石を演じたときは、演劇出身の素養がにじみ出て、いいな、と思った。今回もこの人ならではの、役作りで見事に大役を演じきったと思う。

 

主役をとりまくひとたちのエピソードもかなり巧みに配置されていたが、ひとつだけ、吉乃が森本と岡という二人から慕われていたのに、どのようにして岡のほうに落ち着いたかが語られておらず(もしかして、その回を見落としたのだろうか?) 物足りなく思った。

 

カップヌードルは発売された当時、私たちは夫のアメリカ駐在が決まり、シカゴで暮らしていたが、義母は画期的な新製品が出たと、送ってきてくれて、義父の昼食を簡単にできて助かっているという手紙が添えてあった。味わってみて、想像したより、インスタント的な画一したスープの味と違う、コクのある風味に驚いた記憶がある。

 

エールフランス機に乗ると、食事の合間、ちょっと小腹がすいたときに、フォアイエでこれが供され、乗客は早い者勝ちで食べるという風景がある。こういう使われ方が独特の強みだな、と思っていた。

 

今回あのフリーズドライの彩の中身がどのようなものか、多少の誇張があるにしろ、丹念に語られ、明らかにされたので、あの肉の塊のようなものが何でできているかわかって、安心して味わえる実感を持った。

 

実際、毎回出演者たちがおいしそうにすするのを観ていると、自分も食べてみたいと言う気にさせられる、ラーメン効果大なるものがあったと確信する。

 

自分としては、このごろ、ミニのカップヌードルを、よく昼食に利用する。高齢者にあれがぴったりの容量で、いつも余分に買って保存している。

 

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