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2019年1月に作成された記事

2019年1月29日 (火)

安堵の日

きのうはとてもうれしい日だった。義姉の葬儀からおよそ、七年間、音信不通になっていた甥から、去年の暮、電話があり、年が明けたら会いにくるという約束をしたのだが、それが実現したのである。

かれも60歳、初老の紳士という風格をたたえ、笑みを絶やさず、よい会話ができた。
私大の教授で、アメリカ住まいなので、四人の子どもの父親役、義姉の介護、往ったり来たりの生活は難儀だっただろうと思う。人とのかかわりがいかに大切か、この年齢でしみじみ悟ったといいつつ、無沙汰の詫びの言葉と合わせて、語られる口調はおだやかで、我が家の息子の一番尊敬する従兄弟のオニイチャンだった昔の面影が彷彿とした。

この数日めまいに悩まされている夫は、オレももう長くはないな、などと言ってわたしを脅かすのだけれど、甥とのことは気がかりだったらしく、およそ二時間弱の会話でそれがすっかり解消して、うれしそうだった。

電車で来て、電車で帰ると言う彼、家が三軒分だったところに十一軒も建てこんでしまった変貌ぶりには驚いたようだが、それでも以前の家の、そのまた前の古い家で幼少時代を過ごした思い出が一番懐かしいと言い、ゆっくり散歩しながら、帰ります、と言いながら、また必ず来ますからね、と念をおすことを忘れなかった。

2019年1月27日 (日)

平常心

今朝の朝日新聞の天声人語に、大坂選手が「平常心」を保とうとしていた、という一文があった。英語で「インナーピース」を筆者が訳した言葉であるが、さすが名訳だと思った。
それを逆にして、平常心を英語にしようとしたら、このインナーピースに辿りつけるだろうか。心おだやかに、と言う意味だが、実にいい英語だ。覚えていて使いたい、とも思った。

彼女のプレイにはめったに焦りが見られない。だからこそ、偉業を成し遂げられたのであろう。それはそこまで技の自信があるからこそだろうけれども、平常心はスポーツの勝負にも、ブリッジのようなカードゲームのトーナメントにも、通じる心の保ち方だと思われる。

実はこの記事を読むまえから、このごろ、トーナメントに出るときは、密かに「平常心」という言葉を唱えることにしていた。
それが焦りや闘争心をなだめて、心おだやかにしてくれるという効果が出て、そのせいか入賞、ときには優勝をもたらすことが多くなったからである。

『徒然草』にもよい言葉がある。
「勝たんとして打つべからず、負けじと打つべきなり」
勝ちたいというのは焦りと闘争心につながる。負けじと、というのは負けまいとする熟慮につながるから、余裕がでて、こころをおだやかにする。

これをもっとまえに悟るべきだった。十数年まえまでの、いそいそとゲームに出ていくのに、いつも帰りはシオシオとしていた、未熟で焦りばかりの愚かな自分が恥ずかしく、迷惑をかけていたパートナーに、いまさら何と詫びを言ったとて、遅すぎることではあるのだが、この年齢になると、過去のことも妙に透明感を帯びて明らかになってくるのである。

2019年1月22日 (火)

我が家の花たち

S005

一昨年買ったガーデンシクラメンが二年越しに蕾をつけているのを見つけて、感動した。早く花となるのを見たいと水をやり毎日気にかけていたのだが、なかなか開かない。これは何とかしなくては、と屋内に入れて、もっと陽のあたるところ、自然のぬくもりがあるところを、と探し、夫の部屋のバルコニーの近くにおいてもらった。
一週間近くたって、もうそのことを忘れかけていたころ、夫が「咲いたよ、ほら」と言って鉢を持ってきてくれた。うれしかった。白い蕾だったのに、開いた花がきれいなピンクだったのに喜びが増した。
S009

我が家のシンボルツリー、ミモザはついに時を得た世話が実り、花つきがよくなった。
今年も満開の幸せをくれるだろう。
日本と寒さは変わらないが、イタリアの陽光は格別なのかもしれない。ボーボリ庭園のミモザが一月の寒気のなか、まばゆいほどの黄色に染まっていたのをこの季節になると思い出す。
あれほどとは言わなくても、必ず開く蕾の群生を見るのは、とかく寒さにしぼみがちの心に勇気と希望を与えてくれる。

2019年1月17日 (木)

クイーンのドキュメンタリー映画

『ボヘミアン・ラプソディ』を一緒に観ない?と近隣に住む若い友人からさそわれたとき、わたしは胸がはずむほどうれしかった。観たいという気持ちはあったけれど、こんな年寄りが一人で行く映画ではなさそうに思い、気おくれがしていたのだ。Photo


息子が中学生のとき、聴いていたCDの音楽が洩れ聞こえてきて、ロックの旋律なのに、あまりにも美しいメロディに鳥肌だったのを記憶していた。
帰国子女となってアメリカから戻ったときに経験したいじめの影響で寡黙になってしまった息子だったが、私立の中学に入学してから音楽のことで関心を分かち合うことができる友人が持てて、CDを聴いていたのを、追求したりはせず、ようやく安堵した時期でもあった。

息子が聴いていたのは「ボヘミアン・ラプソディ」というタイトルで、わたしが衝撃を受けたあの、美しいメロディはその中のオペラパートだということが今日の映画を観て明らかになった。
ラストの「We are the champion」の訳詩には世代を超えて自分も含まれるのではないかと共感を持てる詩心があふれていて、涙がこみあげてきた。

帰宅してから、録画してあったNHKの『クローズアップ現代』に見入った。クイーンの生存者たち、ロジャーとブライアンが好ましい六十代になっていて、見事な解説を聴かせてくれた。
「どんなひとでも人はマイナリティー的な部分を持ち合わせている。それを共感し合うことで、力を得るんじゃないかな。フレディ―の歌詞には夢と失望と愛、そして自由が歌われている。彼にはロックスターでなく、”人間“としての魅力があるんだ。ぼくたちは音楽にハートをこめるから、それが、”empathy(相手の気持ちになれる心)“を呼び覚まし、togetherness(一体感)となる」

あの当時の息子はそれをクイーンの音楽から感じ取って癒されていたのだろう、と、観終ってから、解き明かされた事実を知った気がした。

2019年1月11日 (金)

『散り椿』を観る

朝八時半に家を出て、下高井戸シネマで『散り椿』を観てきた。Photo

『あれも観たい、これも聴きたい』ブログの久々の更新が『映画散り椿』で沢山の写真入り、とても褒めてあったので、そこだけ確かめ、あとは映画を観てからのお楽しみと、あまりしっかりは読まずに、まずきょうで終わり(と思いこんでいたのだが、18日まで上映と知った)を見逃すまい、と早起きして駆けつけた。

入りは半分、その少な目のゆったりとした観客席でコーヒーを飲みつつ見るこの映画、本当にしんみり、じっくり、しみじみと味わった。監督作これが三度目という木村大作監督は名撮影技師出身だけあって、すさまじく美しい映像をまことに効果的にちりばめる。
これぞ日本の自然美の粋とも言える、粉雪降りしきる冬、風に揺れる竹林、山山の間に沈みゆく夕日、城を背景にした満開の桜、木漏れ陽までまばゆくさせる紅葉、揺れる群生のススキ、そして、この題名どおりの、五色の絢爛たる花を着飾った「散り椿」という名の椿の大木…ため息しきりである。Photo_2


出演俳優はいずれも主役級がずらりと並ぶ豪華な顔ぶれ。岡田准一、西島秀俊、黒木 華、麻生久美子、緒方直人、富司純子、奥田瑛二、わたしのごひいき柳楽クンも出演していて、道場主という出番は少ないが効果的な役回り、満足した。
ちょっと解説が入るのだが、その声が映画にぴったり、どこかで聴いたことのある美声、と思ったら、やはり、豊川悦司だった。

藩の不正を訴え出てそれが認められず、故郷を出た主人公が、病に倒れた妻の遺言で再び藩に戻り、真相をつきとめようとする。ミステリアスな要素もあり、剣劇シーンもたっぷりあるのだが、その映像が美しい。新たな歴史を刻む「美しい時代劇」とうたっているだけのことはある。

こうなるだろうという予測は容易くできても、それでも日本の時代劇の極みを感じさせずにはおかない、筋運び、映像、出演者すべての好演で、お見事、と拍手したくなりながら、心地よい満足感に浸り、映画館を出た。


2019年1月 5日 (土)

景気とケーキの話

三日の日、娘の家に行った帰り、タクシーに乗った。正月なのにあまり人が出ていないわね、と運転手さんに話しかけたら、彼は急に饒舌になって、どうも世の中景気が悪いみたいだ、と言うのである。
そういえば、我が家の窓から道路を行き来する人たちが見えるのだが、晴れ着を着たひとなど一人もいないし、歩くひとの数も少なく、ひっそりしているような気がする。
彼はなおも話した。でもね、奥さん、景気のいいところもあって、3000万ぐらいする車がどんどん売れたりしてる、どうも二極化が進んでるようです、という意見にびっくり。
いろいろ話を聴いてみると、孫娘はドイツにピアノ留学していて、タクシーの運転は副業みたいなもんで、自分はほかの専門の仕事がある、と言うので、あれあれ…
今はそういう連中いっぱいいますよ、知らなかった、世の中そんなになっていたのか。

きのうは正月初ブリッジトーナメントで、帰りは自由が丘に降りた。駅のそばの自由が丘デパートの地下はすっかり店が少なくなっていて寂しい。ここにも不景気の風がふいているようだ。でも、あの昔のアメ横の店みたいな、輸入食品やケーキ材料の店はまだ開いていて、顔なじみのオジサンは白髪もなく、ちっとも老けた感じがしない。
フルーツケーキの話で盛り上がって、ああ、やっぱりここに来るべきだった。富澤商店よりよっぽど欲しいものがそろっているし、彼はくわしくて、フルーツケーキにモラセスを少し入れるとコクがでてくる、などと知恵を授けてくれる。
でも、それにしてもお顔の色つやがいいわね、としわも少なく、浅黒い顔をほめたら、山に登ってるんです、と笑顔になった。お店がんばって、ここにくるとなんだがほっとすると言いつつ、グリーンと赤の砂糖漬けチェリーと、ココナッツの粉、あの、なつかしいクレードルのホワイトアスパラの缶詰も買って、満足感に浸る。

手作りのケーキにくわしい店主は稀有な存在、そのことを忘れないようにしなければ…

2019年1月 2日 (水)

元旦に思う

黒豆を煮始めた29日から三日間、年越しそばも自宅で用意したので、料理をし続けながら、思った。こういう料理の伝統技術を授受することが当然と思い、期待もしていたのに、むずかしくなっている。娘は五目きんぴらとナマスは本人が好きなので覚えたけれど、黒豆や、田作りは興味がないらしいし、第一、あの仕事の忙しさでは、それをしたいとも思わず、たとえしたいと思ったとしてもする時間がなく、休みのときはともかく休息が優先だろう。おせちを自宅でつくるという習慣は、女性たちのほとんどが職業を持つことが当然となっている現在、残念ながらすたれていってしまうのではないかと危惧せざるを得ない。S006


娘の運転する車に帰郷している孫娘と新婚孫息子夫婦をのせて、亡夫の墓参りと親戚めぐりをしたあと、我が家に立ち寄ると聞いていたので、手作りのケーキとサンドイッチも用意して待った。
我が家のダイニングキッチンは狭すぎて、くつろげない、という娘と口げんからしきものをしてしまった年末だったが、四人とわたしたち夫婦、なんとか、ぎっしりではあるがおさまって、和気あいあい話し合っている彼らを見ながら、娘はわたしがなれなかった女性の役回り、お姑さんになっているのだな、と思った。
あちらこちらでふるまわれてもうお腹いっぱいのはずなのに、サンドイッチも、ケーキもおいしそうに食べてくれて、孫息子はおとそを飲みながら、やはりばぁばのおせち食べたいと言いながら随分と平らげてくれた。

来年はこれだけのものを用意できるだろうか。でも我ながら、味だけはある域に達したように思う。でもそれを作るだけの気力があるかどうか…今年もなんとか健康を保っていかなければ…

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