ようやく観られた『落語心中』最終回 1
今秋のTVドラマは注目作ぞろいだったが、とびぬけた傑作はNHKの『昭和元禄落語心中』だ。
残念なことに、タイトルが奇妙だったので、最初は見ようとも思わず、偶然目にした四作目で、夢中になり、毎週録画の操作をしておいたのにもかかわらず、なぜか予約が重複したのが祟って、最終回が抜けてしまい、あせった。再放送の項目がなかなか見つからず、仕方なく、NHKオンデマンドという見出しに惹かれて、NHKがかかわっているとばかり思って契約したら、そうではなくて、それをダシにしている業者のサイトで、すぐに抜ける操作がまた厄介、ようやく深夜一時の再放送をみつけてしっかり録画、それを翌日の昼間に観たのだが、あらためて見惚れた。
ともかく岡田将生の演技が出色なのである。このひとは端正な容姿だが、口元にニヒルさがあり、二枚目の代表格ではあったけれど、これまでいまひとつ当たり役がなかったような気がするのだが、今回の落語名人八雲はこれほどの適役はいないというほどの、はまりようだった。どこか哀愁を帯びたような影がつきまとう、まなざしといい、めったに笑わないけれど、わずかにほころびるその口元が、あの独特のニヒルさが生きて素晴らしいのである。声もいい。かん高くよくひびく、ライバルの助六とは対照的に低めの落ち着いたバリトンが落語の語りの深みを伝える。
舞台の座布団にすわってからのお辞儀が美しい。あれは教えられたのか、彼独特の演技なのか、横からすべるように前に合わせる美しい動きが冴える。
「心中…」にまつわる噺で、選ばれたのか、『死神』が何度も語られるのだが、この噺がうまく演じられるかどうかは、最初の方に何者かと訊かれて名乗る「死神だよ」のせりふまわしにかかっていると思った。
YouTubeで五代目圓楽、志らく、圓生等を聴きくらべたが、喬太郎が一番見事だった。ゆっくりと、念入りにしかも不気味さをあらわす「死神だよ」。その喬太郎師匠が今回の落語指導をつかさどっている。指導のよさが十二分にもあらわれている場面しきりであった。(続く)
« エリザベスカラー、かわいそう! | トップページ | ようやく観られた『落語心中』最終回 2 »
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 「カムカム…」終わる(2022.04.08)
- 「カムカムエヴリバディ」から始まる毎日(2021.12.27)
- ネットフリックス、わたしの今、イチオシ、イッキ観の作品(2021.09.02)
- 『時の面影』から『ホワイト・クロウ、伝説のダンサー』へ(2021.08.11)
- ソーイングビー(3)決勝戦1(2021.07.09)
落語心中には特別の思いがあります。1回目は、一日のほとんどをベットにいた夫が、珍しく車いすにきちんと座ってじっくり見ていました。毎週録画しておいてといわれました。2回目は病院で意識不明状態、その翌日に亡くなりました。ここ10年以上、年に2回ほど、国立演芸場に通っていました。歌丸さんとどちらが長生きするか競争ね・・・と話していましたが、年齢としては1つ年下でしたので負けましたね。3回目からは私が車いすに座って、居ずまいを正して、生きていたらいろいろなことを話しながらみていたでしょうにと思いながら・・・・・・・忘れることができないドラマとなりました。
投稿: ミヨちゃん | 2018年12月22日 (土) 21時05分
ミヨちゃんさま
ご主人さま、あのドラマを座ってご覧になったとは、過ぎた昔のご記憶が鮮明だったのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。お寂しさは徐々に、とお察しいたしますが、本当に充分すぎるくらいのご介護でしたね。お悲しみとお疲れを、しっかりと、癒されますように。
投稿: ばぁば | 2018年12月23日 (日) 08時27分