ようやく観られた『落語心中』最終回 2
まだテレビがなかったころ、わたしはラジオにすがりつくようにして、落語を聴いていた。
当時の名人たち、志ん生、金馬、小さん、柳橋等をまだ覚えている。
正に聞かせる話芸に親しんでいたのだった。
それでも最初の出だしに笑わせる、いわゆる、「まくら」が楽しみで、ケラケラ笑いながら、もっと「まくら」が長ければいいのに、などとも思った。そういう大衆の反応をとらえて、まるで「まくら」ばかりの落語などを売り物にする噺家も出てきた。円鏡とか、三平はその一派である。
でも「まくら」ばかりでは物足りない。じっくり聴いたという感動が残らない。ひとりで語り、まるで大勢がいるように、語りに変化をあらわし、おどけて見せて笑いもとり、それは安っぽい笑いでなく、芸のかもしだすユーモアであるような真の噺家、それが名人なのだろう。
今思うと最後の真の噺家であった志ん朝や、関西の名人米朝の独演会に落語好きの下町育ちの友人とふたりで駆けつけ、聴き惚れたあのときがなつかしい。(続く)
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