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2018年12月に作成された記事

2018年12月30日 (日)

買い出し疲れの日々

この時期、料理をつくるのは、作り慣れたものばかりなので、苦痛ではないけれど、買い物が面倒で疲れる。元旦から開いているコンビニもあるのだから、なにもすべて買い揃える必要はない、と言えるが、三が日は外出しないでリラックス、おせち中心にして、料理もしないで、ゆっくりしたい、と主婦ならだれでも思うのではないだろうか。正月用のものは自分の目で見て買いたい。男どもに、選択を任せられない。
とはいえ、買っても買っても、なにかしら、買い足りないものがでてきて、すでに買い出し疲れがでていた。

二十九日は鎌倉の墓まいりに行く日だったが、私は留守番を申し出て、夫と息子と娘、孫娘の四人にそれを頼んだ。井上蒲鉾店の買い物も指示を書いたリストを渡して、娘が運転する車を見送ってから、黒豆を煮るのにしばしの時を使う。
そのあと、近所のスーパーに野菜や、鍋用の豆腐、肉など買い出しに行き、かなりの量になったので、配達を頼んだ。
この日は近くのベーカリー『アヤパン』で全粒粉のパンが焼ける日なので、立ち寄る。この店、三年まえにオープンした当初は、果たして長続きするか、危ぶまれたが、調理パンや、子供向けの甘いパンなど、メニューも豊富、ときにはちょっとした洋風総菜も並び、見事に客層をひろげ、存続している。

おせち料理に加えて、この日の夕食の用意もしなければならない。
ガラスケースをじっくりのぞいたら、シチューらしきものが目についた。なんのシチューなの?とたずねると、謎シチューなんです、笑い声まじりの応えが返ったが、デミグラ風味だというので、400円也のこれを、夕食用に購入した。夫はデミグラ好きなのである。

帰宅してから、このシチューの量をふやす工夫をする。野菜室に残っていたマッシュルームをきざみ、ブロッコリーをゆでて、冷凍庫にあった豚肉と共にオリーブオイルでいためて、白ワインをかけ、スープで煮て、小麦粉を振り入れ、このシチューを加え、のばす。味見したら、大成功。

かなり量がふえたので、墓参りを無事すませて戻った娘に、シチューはどう?と訊いたら、おいしそう!!と喜び、タッパーを自分でとりだし、彼女の分だけ持って帰った。

すでに黒豆と田作りは完成、次の日、五目きんぴら、ナマス、サーモンマリネ、をそろえれば、我が家のおせちはOK.31日は年越しそばと雑煮の用意で喧騒の家事も終わりとなる。


2018年12月29日 (土)

師走の出来事

昨年の27日は築地の場外に買い出しに出かけている。でも今年はクリスマスの大働きが身体にひびいたのか、その気力が出ない。
主な買い出しは田園調布のプレッセと、富澤商店ですますことにした。
両手に荷物をぶらさげて、この界隈で数十年の老舗つくだ煮店に立ち寄った。ここのシソ昆布は絶品なのだが、それが切れていることを思い出したのだ。店の雰囲気の何かが違うと思ったら、ガラスケースの中に、おせちの品がずらりと並んでいる。それがいかにも手作りで美しい。
シソ昆布100グラムだけを買っているのはわたしだけで、ほかのひとはそのおせちの買い出しが目当てのようなのである。
キントンが好きな息子のことを思い、そのあまりにも美しいキントンがかなり高価だとは思ったが、買うことにした。つくだ煮店は家族勢揃い、孫らしき小学生もいらっしゃいませ、などと挨拶して手伝っている。
一万円を出して、1900円で、8100円のおつりがくるのはわかっていたが、しっかり数えずにつり銭をうけとり、バスに乗った。四つ目の停留所で降りてから、スーパーで野菜を買って、財布を開いたとき、あれ、と思った。千円札三枚のほかに五千円札があるはずなのに、ない。
帰宅して、自分がそこつなのを意識しながら、勘違いかもしれないと改めてバッグの中もさぐったのだが、やはりない。
電話で確認すべきだとは思ったが、言いだしにくいな、と思った。でもやはり…と逡巡しながら、思い切って受話器をとった。あのとき仕切っていた奥さんらしいひとの声に、買い物の状況を詳しく話し、売上を決算するときにチェックしてほしい、と頼み、電話番号と名前をおしえた。
ほどなく電話があった。あれからすぐ店主が計算したら、確かに5千円多かった、と言い、丁寧な詫びの言葉があった。

翌日、スポーツクラブに泳ぎに行くついでに、つくだ煮店に立ち寄った。奥さんに、すぐに計算してくださった、ご主人がご立派ね、と言いながら、カップ入りのつくだ煮二品がそえられて戻った五千円を出して、その一部で翌日墓参りに鎌倉の寺に管理料を収めるときの進物にする品をそろえてもらった。
あらためてガラスケース中のおせちの品をみると、いかにもよくそろっている。来年、もしおせちの用意がつらくなったら、ここでそろえればいい、と安心する気になったことを告げると、彼女が、昔は田園調布の奥さんたちが重箱をかかえて行列なさったものなんです、と答えた。

師走のせわしないときに起こりがちな、出来事の結末としては、なにか、ほっとするような、後味の良い終わり方だったという気持ちを抱きながら、泳いだせいか、これまでの疲れが消えていくように身体がシャンとして、またがんばるぞという気合を得ることができた。


2018年12月25日 (火)

今年のクリスマス

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五十年まえにイリノイ州エヴァンストンに暮らしたときに買ったクリスマス用、ランチョンマット、一年に一回使うか使わないか、なのでちっとも傷んでいない。アメリカが一番よいとき、美しいものが一杯あったあのころのデザイン。

23日にずっとブランデーやラム酒などに漬けこんであったドライフルーツを入れて二個分のフルーツケーキを焼いた。24日は朝からディナーの用意、夫にミートローフ、息子と娘にチキンの骨付き腿をロースト、ほかにチキンスティックのローズマーリー焼き、付け合せのポテトとインゲン、グリーンサラダ、マッシュルームスープ、パプリカライスなどの用意をすべて済ませて、五時からのキャンドルサービスに出かける。バスに乗って一時間の教会、フルーツケーキはその教会の牧師へのプレゼント、かつての日曜学校のクラスメート、別教会で洗礼を受けてから、随分いろいろな疑問の生き字引的存在になってもらった。
ところが彼が数日前に大腿骨骨折で入院したことを知る。ケーキは夫人に託したのだが、そういうことが起きるのが私たちの年齢だとつくづく悟った。礼拝で順調な回復を、と深く祈る。
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帰りの二子玉川のイルミネーション、降車バスストップに、娘が車で出迎えてくれた。
昔の家族メンバーに戻った四人でのディナー。

2018年12月23日 (日)

ようやく観られた『落語心中』最終回 3

このドラマの原作は賞を総なめにしたマンガだそうだが、このところ出来のよいドラマの原作はほとんどがマンガである。今やストーリーのしっかりした絵読み物としてのマンガは独特な文学の地位を築いているという感じがする。

よほど原作がよかったのだろう、それに惚れ込んだ脚本、演出の意気が合って、演じることを楽しんでいる出演陣の相乗効果が素晴らしい。中でも八雲のライバル助六を演じる山崎育三郎はあざやかなカリスマ噺家を絵にしていて見とれるばかりだ。このひと、ミュージカルのスターだそうで、道理で声の張りが違うとうなずけた。

八雲、助六あとの与太郎はビビるのではないか、などと思っていたら、どうして、どうして、この与太郎役の竜星涼という役者がまた負けていない、スゴさで、生きがよく立派に噺を聴かせる。これからもこの二人、目が離せない、先の楽しみがふえた。Photo


なんとしても見落とした三回を見なければならない。ひまができたら、TSUTAYAに行ってみなければ…。

そして久しぶりに落語を聴いてみようという気にもなった。最近の名人格といわれる、小朝、文珍、文枝の独演会にも出かけたことはあるが、満足感は少なかったので、しばらくご無沙汰なのだが、喬太郎師匠の落語を聴いてみたくて、ネット検索したら、どの公演も売り切れ続出、ようやく二月の紀伊国屋ホールの一枚を手に入れることができた。それにしても、落語っていま人気なのだなあ、とその現象をうれしく思った。(了)

2018年12月22日 (土)

ようやく観られた『落語心中』最終回 2

まだテレビがなかったころ、わたしはラジオにすがりつくようにして、落語を聴いていた。
当時の名人たち、志ん生、金馬、小さん、柳橋等をまだ覚えている。
正に聞かせる話芸に親しんでいたのだった。

それでも最初の出だしに笑わせる、いわゆる、「まくら」が楽しみで、ケラケラ笑いながら、もっと「まくら」が長ければいいのに、などとも思った。そういう大衆の反応をとらえて、まるで「まくら」ばかりの落語などを売り物にする噺家も出てきた。円鏡とか、三平はその一派である。
でも「まくら」ばかりでは物足りない。じっくり聴いたという感動が残らない。ひとりで語り、まるで大勢がいるように、語りに変化をあらわし、おどけて見せて笑いもとり、それは安っぽい笑いでなく、芸のかもしだすユーモアであるような真の噺家、それが名人なのだろう。

今思うと最後の真の噺家であった志ん朝や、関西の名人米朝の独演会に落語好きの下町育ちの友人とふたりで駆けつけ、聴き惚れたあのときがなつかしい。(続く)

2018年12月21日 (金)

ようやく観られた『落語心中』最終回 1

今秋のTVドラマは注目作ぞろいだったが、とびぬけた傑作はNHKの『昭和元禄落語心中』だ。

残念なことに、タイトルが奇妙だったので、最初は見ようとも思わず、偶然目にした四作目で、夢中になり、毎週録画の操作をしておいたのにもかかわらず、なぜか予約が重複したのが祟って、最終回が抜けてしまい、あせった。再放送の項目がなかなか見つからず、仕方なく、NHKオンデマンドという見出しに惹かれて、NHKがかかわっているとばかり思って契約したら、そうではなくて、それをダシにしている業者のサイトで、すぐに抜ける操作がまた厄介、ようやく深夜一時の再放送をみつけてしっかり録画、それを翌日の昼間に観たのだが、あらためて見惚れた。

ともかく岡田将生の演技が出色なのである。このひとは端正な容姿だが、口元にニヒルさがあり、二枚目の代表格ではあったけれど、これまでいまひとつ当たり役がなかったような気がするのだが、今回の落語名人八雲はこれほどの適役はいないというほどの、はまりようだった。どこか哀愁を帯びたような影がつきまとう、まなざしといい、めったに笑わないけれど、わずかにほころびるその口元が、あの独特のニヒルさが生きて素晴らしいのである。声もいい。かん高くよくひびく、ライバルの助六とは対照的に低めの落ち着いたバリトンが落語の語りの深みを伝える。

舞台の座布団にすわってからのお辞儀が美しい。あれは教えられたのか、彼独特の演技なのか、横からすべるように前に合わせる美しい動きが冴える。Photo


「心中…」にまつわる噺で、選ばれたのか、『死神』が何度も語られるのだが、この噺がうまく演じられるかどうかは、最初の方に何者かと訊かれて名乗る「死神だよ」のせりふまわしにかかっていると思った。

YouTubeで五代目圓楽、志らく、圓生等を聴きくらべたが、喬太郎が一番見事だった。ゆっくりと、念入りにしかも不気味さをあらわす「死神だよ」。その喬太郎師匠が今回の落語指導をつかさどっている。指導のよさが十二分にもあらわれている場面しきりであった。(続く)

2018年12月18日 (火)

エリザベスカラー、かわいそう!

兄ネコのジミーが去勢手術をする時期がきて、一泊入院、エリザベスカラーをつけて退院してきた。
それほど嫌がって暴れたりもしない、妹ネコは心配そうにそばにより、兄ネコのからだをなめたりしている、とのこと。

娘が朝から一日留守という日、シッターに行ってきた。透明なプラスティックのカラーをつけた姿は見るも不憫、でも、思ったより、平然としていて、観念しているようにも見える。003

だいぶ私にも慣れてきたので、ひざに抱き寄せ、もうすぐとれるから、がまんしてね、と言い聞かす。紐で結んであるあたりが痒いらしいので、やさしく掻いて、のどをさすったら、ゴロゴロいう音が聞こえてきた。

妹ネコはちょっと心配そうに、絶えず、兄ネコのほうに視線をおくる。005


帰宅してから、カラーではなく、なにか別の手段はないのか、とネット検索したら、手術後の術後服なるものが売り出されていた。注文してみようかと、娘にメール送ったら、カラーがはずせるのはもうすぐだし、水も飲めるし、エサも食べられているから、心配ない、という返事だったが、あの姿はやっぱり不憫でならない。


2018年12月13日 (木)

カラダづくり、必読

いま一番願うのは、最後のときまで自分の食べたいものは自分で作ることができるようでありたい、ということである。
そのためには何としてでも体調をととのえねばならない。

先日二度目のMRI検査をしたら、幸いにも、内耳の奥の良性腫瘍はまったく変化なしで、もう来なくていいという、お許しが出た。

あとは内臓の状態だが、このところ、息子が家で夕飯を食べることが多くなったので、あっさり御飯というわけにいかず、十数年まえに罹ったことがある十二指腸潰瘍的な痛みをときどき感じるので、薬を服用している。

胃カメラ検査をしたほうがいいのかもしれないが、それほど、深刻な感じではない。この年齢になると、これはおかしいというような状況は医師よりも、自分のほうが自分の身体との付き合いが長いから、判断が正しいという自信がある。

夫や息子には二人専用の簡単メニューをつくっておいて、自分はイタリア式スープや、炊き込みご飯、ぶぶ漬け茶漬けなどですませたりしている。

先日の日本経済新聞の土曜版に、目からうろこの記事が掲載された。「カラダづくり」という項目で「胃もたれ・胸やけに対処」とある。それによると、暴飲暴食をすると胃の働きが悪くなり、食べ物が消化されずに残っていることがあるそうで、これが慢性化すると食道に炎症ができたりする。これが逆流性食道炎と呼ばれるものらしいのである。
不快症状をおこさないためには、食べる前に牛乳を少し飲んでいくと胃粘膜の保護になるうえ、「胃が消化の準備の活動をはじめるきっかけになる」そうなのだ。しかも食べてすぐ横になると逆流症を起こしやすくなるので、これは避け、寝るときは「からだの左側を下にすると、胃液のたまる位置が食道より低くなって逆流を起こしにくくする」これは初耳、胃がある左を下にしてはいけないと思っていたのに。MRIを受けたときにも、難聴を起こした左耳を下にしないほうがいいですよね?と訊いたら、そんなことはない、と言われたから、これからは安心して左を下にして寝られるというわけである。牛乳を飲むことと、寝方を実際に試してみたら、効果抜群であった。

記事には不快な症状が出たらのむべき市販の薬の名も記されているうえに、これは要注意という受診の目安も詳しく述べられている。

これこそ正しく永久保存すべき切り抜き記事となった。

2018年12月 9日 (日)

孫息子の結婚式

結婚式場は表参道、副都心線明治神宮前駅からすぐなので、夫の歩行がまともなら、電車のほうが早いのだが、初めての場所ではあるし、万一のことも考え、途中からタクシーというプランにする。というのも我が家の近所はなかなか拾えず、近頃は電話予約もむずかしいというのを知っていたので、中目黒まで出て、タクシーに乗ることにした。
ところがいざ一緒に歩き出すと、二本杖で、久しぶりに革靴を履いたせいもあって、彼の歩行があまりにものろいのに衝撃を受けた。孫息子の結婚式が来年だったら、ちょっと無理かも知れない。こういうハレの儀式の外出ギリギリの現状だとつくづく思った。

新郎となった孫はメガネをはずし、髪型をかえて、まるで別人の顔。雑誌のグラビアでよくみかけるモデルもどきのカップルに変身させられているのにはびっくりした。
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式だけその結婚式場でして、そのあと、そこから徒歩五分のイタリーレストランで会食、出席者は親族と友人数人二十名余、新郎新婦がそれぞれの親族を紹介し、そのあとは歓談、スピーチやスライドなどのプログラムなしの、まさに内輪の集まりと言う地味婚。

イタリーレストランは隠れ家的たたずまいの『ダ・フィオーレ』。生産者から直という野菜が新鮮、今評判のキクイモのスープは絶妙なおいしさ、料理は分量がほどよいサイズで、魚、肉、チーズなど、どれもいい味、タリアテッレのパスタはクリーム味で削ったトリフまでもが散らしてあった。Da_fiore


夫は四時間をよく耐え、席を離れて、若い人たちに話に行ったりもして、育ての父親役の面目を果たした。花嫁の祖母というひとが私とまさに同じ歳で健康のことなど共通の話題が豊富でおしゃべりも楽しかった。

我が家にとっての今年最大の行事は内輪の和気あいあいのうちに何とか無事に終了した。

2018年12月 6日 (木)

兄妹ネコの現在

毎週一回は娘の家に出かけて、ネコシッターしながら、遊ぶのを楽しんでいる。
確かに可愛くて楽しいのではあるが、これから育っていく生命力に圧倒されて、じゃらしながら、とても疲れる自分も実感する。こちらは身体は大きくても終わりに近づいている身であることを意識したりもする。
写真をとると、いつもピンボケ、以下の三枚は娘がスマホで撮ったものを送ってもらった。
グレイが兄ネコ、白トラが妹ネコ、二匹は喧嘩したりせず、兄ネコのほうが運動能力抜群、妹ネコは少し退き気味だが、兄を慕っているようにも見える。Img_9820_2

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明日12月7日が孫息子の結婚式、いま孫娘が休暇をとって母親の家に泊まっているので、今週はシッター役、休みである。

2018年12月 4日 (火)

植物のミラクル

車を駐車させていた、うちの家屋の前部が開放されて、陽当たりが一段とよくなったせいか、黄色い花の咲くツル性の低木の生長は勢いを増し、冬なのに蕾をつけていたりする。
しかもその真ん中に植わっていて、一輪だけ花を咲かせたアジサイのその花は枯れもせず、色を変化させつつ、低灌木のアクセサリーのように居座っている。002


昨日この低灌木の名を確かめたくてネットで「ツル性の低灌木」と検索していたら、いきなり、「WINDOWSの容量が足りない、いますぐ更新しないと危険」という大見出しが出て、キャンセルボタンを押しても、ダメ、消えなくなった。
これはあやしい、「あなたのパソコンは安全」というNIFTYの24時間セキュリティチェックを確認したばかりなのだから、と大元の×印をクリックして、終了。

何かを検索するひとを狙って、高額の更新料金を払わそうとする策略が氾濫しているらしい。
皆さま、ご用心を。

2018年12月 2日 (日)

現役主婦の実情

共通の知人の記事が新聞に載ったので、そのことを知らせに、しばらくぶりの電話を同級生にしたら、彼女から別の友人の消息を知ることになった。
良妻賢母の鑑のようなそのひとは、料理上手、彼女が作った秘伝の沢庵の味を未だに覚えている。「元気?って言ったら、具合が悪いのよ、と答えた声に尋常ならざる状態が感じられて…」というその描写に、わたしは胸がふさがった。
「今年の夏のあのひどさにも、めげず、草取りしてたのが祟ったと思うの…」という話にそのひとの広い芝生の庭が目にうかんだ。
経済的にも何の不自由もないひとだから、プロを探すころもできただろうけれど、私たちの世代をそれが待てずにしてしまうことが多い。でも実情はそれがひどく身体にこたえるのを実感できる。

主婦の仕事はなんと限りなくあることだろう。いまのわたしの年齢のとき、実母は入退院を繰り返していたし、義母はもう未亡人で夕飯はいつもわたしがつくっていた。二人共、料理や家事を主婦としてすることは卒業していたのだ。
でも、わたしはまだ現役である。そしてそれが疲れるなあ、と思うことも多い。それでも自分しかできない味についつい固執してしまい、つくったあとの片づけや残り物の整理が億劫になるというような現実と共存している。

料理すれば、キッチンは汚れる。食べた後の洗い物は夫や息子がするが、最後のゴミの処理や、料理で汚れたあとのレンジ周囲やシンク回りの洗浄はやはり、汚れに目ざとい私の仕事で、こする仕事が多くてそれが右手の靭帯をいためたあとの、治りを遅くしていたけれど、いまようやく、痛みがおさまった状態である。

出かけると、外出先で、『キャンドゥ』を探す。そして、キッチンクリーナー四十枚入りを買ってくる。001

ため息をつきながら、この必需品を毎日消費している。

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