ヴェネチア異聞
読書家の友人K子さんからお借りした、内田洋子著『対岸のヴェネチア』。
もうイタリアが遠くなった身としては、読むのがシンドイかな、と思っていたのだが、きわだった文章表現の巧みさに惹きこまれ、一気に読み終えた。
二度しか行かなかったヴェネチア、最初は雨、二度目は炎天に祟られ、その場所の魅力は半減していて、たとえ今、どれほど歩いたとしてもビクともしない足を持っていたとて、再訪したいという気になれないわたしなのだが、「本島を南から見る位置にある離れ島のジュデッカ島」での庶民の暮らしは惹かれるものがあった。
わたしが20回を越すイタリアの旅で一番惹かれたのはひたむきに暮らす庶民の生活だったからだ。
内田さんの表現の中にも、「最初のうちは新旧が挑みあうような町の雰囲気に感嘆していたが…高尚で刺激的な非日常より、凡庸で何も起こらない毎日が恋しくなった」とか、「ヴェネチアにはたくさんの影がひそんでいる」とか、「過去が沈む重い風景」とかいう形容に、生活していくうちに感じとっていく、ネガティブな部分をにじませているのではないか、と思った。
須賀敦子さんの著作に『ヴェネチアにすみたい』というエッセイがある。「ヴェネチア人は、土地の最後のひと切れまで都市化しつくしていて、島に島ではないふりをさせていた…運河で縦横無尽に切り刻んでおいて、それを小さなかわいらしい橋でむすんで、端から端まで、船底についた貝がらのようにびっしり家を建てたりして、どうも遊びがきつい人たちのようにもみえた」何という描写、彼女にしか書けないヴェネチアではある。
でも彼女は本島からジュデッカの方を見て、アンドレア・パッラディーオが設計したレデントーレの教会が夜、照明のなかに浮かんでいるのをみていると、一生ヴェネチアに暮らしたくなる、と述べている。本島側から海を眺めてヴェネチアにこころを奪われている、というふうなのである。
須賀さんとは対照的に、本島に沿うように位置する島から、ヴェネチアを眺める庶民の生活をドキュメンタリー的に描写して、人間の生活を生き生きと描写する内田さんの著作はより現代的であり、感情移入的な好感を持たせるのではないか、と思われてくる。
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海外旅行には幾度か行ったものの、イタリアは1度だけ。
ヴェネチィアは行かずじまいの私です。行きたかったなあ~
と思うところは数々ありますが、ひたむきに暮らす庶民の
一人でいたい。居よう! と思うこの頃です。
海外旅行は数年前にお終いにし、国内旅行の回数も
ホントにわずかになってしまいました。 でも思い出して
楽しむことは出来ますね。今は足元を見ながら堅実な
暮らしを楽しんでいます。
投稿: tomoko | 2018年10月 4日 (木) 12時47分
tomokoさま
本当に毎日の暮らしが大事ですね。
特に三度の食事が、量も質も自分のそのときの気分に合ったものを食べたいという欲求が強いので、初めての場所を訪れることは、躊躇が先にたちます。
ああ、行ってみたい、という強い気持ちが起きない年齢になってきました。
投稿: ばぁば | 2018年10月 5日 (金) 20時23分