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2018年7月に作成された記事

2018年7月30日 (月)

軽井沢の休日

猛暑が一段落した四日前、母校の軽井沢夏季寮生活に参加した。
三年ぐらい途切れていたのだけれど、寮内は畳の部屋も長い渡り廊下も以前のまま、
足の状態が落ち着いているので、セルフサービスの生活は快適だった。009

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広大な庭の緑も美しく、さわやかで清涼な空気が心地よい。
その夜の夕食メニューは定番の花豆ごはんの和食。005

何よりうれしかったのは、思いがけなく、同じ同窓会支部のメンバーから声をかけられ、心和む会話をいっぱい楽しめたこと。

翌日はバス旅行だったが、わたしは参加せず、読書三昧で過ごし、昼食どきに、銀座通りで買い物をした。
必ず立ち寄る、軽井沢会館横の、インド綿の店と、その先のタイ系のブティックで、今年はこれこそ、自分の雰囲気というブラウスが二点買えた。セール値段で、それをまたかなり負けさせるスリルも加わる。高齢となってもしゃれっ気は失せていないし、あきらめるつもりはない。女性の元気の源である。

昼食はジャム店の、沢屋で、ピロシキセットを食べたが、800円、飲み物、ピクルス付き、ヨーグルトのデザートも供され、わたしのお腹にはちょうどよい分量でおいしかった。

なにか食べものの土産をと思ってぶらついたが、表通りの店は、若い人向けのものが多く、漬物でもないかなと、もう半分あきらめの境地で、路地を曲がったところに、漬物専門の『あいき』という店があって、白髪の主人がもう五十年、漬物を仕事にしており、ピクルス修行にフランスまで行ったという話をじっくりしてくれて、自慢の商品をからいのも酸っぱいのも甘いのもすべて試食させてくれて、納得がいき、野沢菜と、キャベツと福神漬けがわりにもなる、きざみ大根の三点セットを購入、満足感いっぱいで店を出た。013

酢味噌つき手作りこんにゃくもおいしかったが、これ以上買うと、スーツケースに入らない、その辺の目分量は旅行慣れしているのでわかる。

娘時代は別荘生活にあこがれたこともあるけれど、都内の家一軒のマネージも精いっぱい、盛夏の半ばに二泊三日ぐらい、命の洗濯をするのが、自分相応である。

最終日は友人たちと鹿島の森でランチをする予定だったが、台風襲来でチェックアウトが早まったので、急きょ、キャンセルし、あわただしい帰京となった。


2018年7月26日 (木)

スマホトラブル

六歳年下のブリッジパートナーが右手の肘にサポーターを巻いているので、どうなさったの?と訊いたら、スマホのやりすぎで、「スマホ肘」になってしまったとか…
そういえば、彼女のメールはまるで手紙を書くように、丁寧で行き届いた文章、いつもかなり長いのである。
わたしは、スマホは持っていないが、パソコンのメール慣れはしているので、携帯メールの返事は要件のみ、短いので、申し訳ないような気がしていた。
でも、あの小さい画面での、長いメールはさぞお疲れ、だろう。
次の約束の返事を、携帯からしようと思って、はっと気が付いた。彼女にメールさせてはならない、電話にしよう、と…

もう一人の同い年のブリッジパートナーはパソコンのメール名人、海外の友人関係も豊富でパソコン歴は長いのである。でもブリッジの約束は携帯メール。ところがその返事が当初の丁寧なものと、近頃急に変化して、了解という言葉が多く、短くなってきた。
なにか、怒らせてしまったかな、などと、気にしていたら、会ってわかった。
スマホに替わったのである。
ゲームのあとも取り出して、メールしようとすると、すぐ字を打ちまちがえて、削除になっちゃうのよね、と困り顔。

タッチペン使ったら?と同じテーブルのオポーネントの若い人がアドヴァイスした。
どこで買ったらいいのかしら?という彼女にわたしはふと気が付き、そこの百円ショップに行きましょ、ということになって、ついでにわたしも、いつ必要になるかは未定だけれど、金色のタッチペンなるものを購入したのであるが…。

日に何度となくのぞく、パソコン、インターネット検索、ゲームもするし、ブログも書き始めて、もう八年。
ゲームなどはちょっと依存症気味、これをあの小さい画面のスマホでやっていたら、さぞ身体にひびくだろう、
若い人たちの大変さを想像した。

わたしにスマホはまだ必要ではない、時代遅れと言われようとも、まだガラ系で結構とつくづく思ったことであった。

2018年7月24日 (火)

シルバーさん、ありがとう

このごろ、家の隅々の汚れがとても気になる。日常の雑事に追われて一通りの家事をなんとかすませることで一杯だった以前より、少しゆとりが出たからなのか、家が築後六年たって汚れがたまってきたのか、ともかく、まだ間に合ううちに、きれいにしたいと思うようになった。

たとえば、浴室の洗い場、浴槽は定期的に洗浄するのだけれど、洗い場は洗剤をスプレーして、ブラシでこする程度で、膝が痛むことになるので、かがみこんで手まめに掃除することはサボっていた。

凹凸がある表面が黒ずんできたので、製造元に電話したら、それはカビですね、よほど専門の手にかからないと、とれないですよ、と言われた。
専門は、高価だから当たり前だが、どの程度、手がかかって、きれいにしてくれるかはわからない、ともかく、さしあたって、頼りにするのはシルバー人材センターだ。
六、七十代の男性のシルバーさんには、去年もカーテンの取り外しと、取り付けをとても手際よく、安価に助けてもらった。

電話して、二週間ぐらいして、この猛暑の午後、シルバーさんが来てくれた。だいぶ汚れていました、という感想、二時間たっぷり、のぞいてみると、洗い場の汚れは完璧に近く、きれいになって、見違えるばかり、わたしは「うわぁーっつ」という歓喜の叫びをあげたので、彼は「そんなに喜んでいただけると、張り合いがあります」という感想を述べた。
七十代後半の彼、三年まえに膝を骨折、その後足首もいためたとか、胃癌の手術もしたとかの壮絶人生だったらしいけれど、自分用のグッズ一式を持参、本当に隅から隅まで、ピカピカに仕上げてくれた。午前中、どこかの家の換気扇の掃除、我が家のあとも、外人が大勢住んでいるマンションのゴミの整理に行くとか、ゴミの出し方がメチャメチャなのだそうだ。

仕事なんで、まだやれるあいだはやります、という彼、これぞ掃除仕事の見本というように非の打ちどころのない、仕上げぶり,、心の底からつきあげるような感動を味わった。


定期的にお願いしようと思っているが、次の掃除が今日ほど、大変にならないように、私自身も定期的に洗い場をきれいにすることを心がけたいと思った。

2018年7月18日 (水)

難聴経過

突発性難聴は完治した。

けれども発病後一週目の聴力検査の結果は快方に向かってはいるが、念のために、MRIの検査をしておいたほうがいいという診断で、荏原病院の紹介状をもらって、検査をした。三週目で聴力は回復したのだけれど、MRIの報告には、脳には全く異常がないが、内耳の奥に腫瘍が見つかっていた。それを脳神経外科で診断結果を訊くようにと、耳鼻科医師に言われ、きょう、荏原病院に出かけた。
おそらく良性だとは言われていたのだけれど、本当に専門医の口からそれを知らされるまでは不安がつきまとう。

耳鼻科医師が信頼できる担当医の曜日を選んでくれただけあって、その腫瘍なるものがどんなものかを人間の脳内部の模型を指さしながらの説得力ある診断がもらえた。結果は正しく良性ではあるが、大きくなっていくようだと、脳内部に影響を及ぶす危険もあるので、一年に一度くらい検査をしたほうがいい、ということだった。
もしも大きくなった場合、その治療は?という問いにも誠実な解答がもらえた。高齢なので、手術はなし。腫瘍内部の液体をとることが試みられるが、抽出も二泊ぐらいの入院でできて、苦痛も危険もまったくないとのことで、安堵した。

今回耳鼻科で処方された薬は、ビタミン剤や、血液の流れを良くする漢方薬などだったので、聴力に直接作用する療法はなにかないかと思って、ネットを探し、耳たぶやその周囲を軽くマッサージするやり方を覚え、それを実践してきたのは効果があったように思う。
八十になってつくづく思うのは、やはり人間、血液の流れをよくすることが一番大切なのではないか、ということだ。

三週目ぐらいのとき、粉薬がのどにはりついて、息ができなくなって咳き込んでしまうということが起こった。それが恐ろしくなってしばらく、飲み薬をさぼったので、それでも聴力が回復したのは、やはり、マッサージや、クラシック音楽を沢山聴いたことがよかったのではないかと思う。

暗雲が晴れたので、病院からタクシーでプールに行き、三十分、クロールとバックで泳ぎ、身体全体の血流もよくしたので、酷暑があまり気にならず、すっきりした気分で帰宅した。

2018年7月15日 (日)

癒しのチョコレート

シアトルの従姉妹から送られてきたチョコレート二種。
Photo
マカデミアナッツがキャラメルとチョコにくるまれている。しかもキャラメルに塩味が少しついているのが、なんとも心にくいアクセント、お汁粉にちょっと塩を加えると、抜群においしくなる、あれに、似ている。
ワシントン州のKirkland、ベルギーのゴディバより、トリノチョコを好んだけれど、このアメリカ的風味は正に
私好み、疲れたときの癒しの一個である。
Edward_marc

もう一つ、これも気に入ってくれれば、と添えられていた一袋、
百年続いている、Edward Marc, わたしの大好きなココナッツのフレーバーに包まれたアーモンドチョコ、この一粒がまた、たまらない味である。これもまた、ちょっぴり、塩味が効いているような気がする。

この猛暑はチョコレートでのりきるぞ!

2018年7月12日 (木)

ご無事を

西日本豪雨の被害は日を追って深刻さを増し、その映像は胸ふさがる衝撃を与える。

この炎天下に作業に従事する、自衛隊や、ボランティアの方々の疲労はどれほどのものだろう。そこに自分をおいてみて、想像してみても、泥水が乾いてこびりついた、家の中の惨状を元に戻そうとする被災者の方々の労働がどんなに辛く空しい作業であることか、持病をかかえている高齢者には、とても耐えられるものではないことが真に迫って感情移入できる。

あのたけり狂ったような土色の河の奔流と、見る見るうちに川幅が広がる恐ろしさは、忘れられぬ光景だった。

七月十日、参院ではカジノ法案の審議が行われるはずであったが、こんなときにギャンブルを討論するとはなにごとか、という野党の反論が相次ぎ、なかでも、山本太郎氏の質問、抗議は迫力もあり、数字を沢山示して、先の九州豪雨のときと、東北大震災の事例との比較はまことに説得力充分で迫力があった。
水害は二週間が勝負と言われるのに、政府が本腰を入れて対策本部を設定するのにひまがかかり、あまりにも後手後手にまわってしまったのではないか? 七月五日に気象庁が重大災害の予告をして、168700 世帯に避難勧告を出した時点で、その深刻さを悟るべきだったという指摘、現在50万人のボランティアを必要としているのに、その手続きが現地と最寄りの区域の役所をFAXでやりとりする煩雑さが、迅速な運びを妨げており、なんとか簡素化(これは実際に発言された言葉だが、正しくは簡易化ではないかと思う)すべきだとする意見、泥や流木、石などを撤去する自衛隊の車両はあまりにも大きいために、駐車する場所選びもむずかしい、もっとコンパクトなものを購入する予算なども考慮してほしいなど、具体的な提案もなるほどと思わせた。

地元の水道局も被災していて、水道が使えないための、トイレの悩み、洗濯ができない不便、不快など、察するにあまりある困難の続出である。なんとか政府や官庁の積極的なレスキュー案で解決できないものか。

今はただ、被災された方々と現地で復旧作業にあたっている方々のご健康とご無事を心より祈るものである。

2018年7月 8日 (日)

『万引き家族』観

そろそろパルムドール受賞の興奮もおさまったころではないかと、平日のシネコンに
『万引き家族』を観に出かけた。席についたころはちらほらだったが、わたしのような考えの人は多かったらしく、徐々に混み始めて八分くらいの入りとなる。Photo


まるでドキュメンタリーを見ているような前半の一時間、芸達者な出演者たちの演技合戦のようなせりふのやりとり、疑似家族の成り立ちが語られていないもどかしさを抱えながら、万引きのシーンや、風俗のバイトの場面、昼間からの主演二人のうすぎたないようなラブシーンに、日本の恥部がさらけだされているような気もして、うんざりしかけていたら、ある事件から家族がばらばらになってきて、深刻なドラマになり、身をのりだしたくなるような雰囲気に変わった。

あの前半はこの後半を盛り上げるためのものだったとしたら、その効果に、ヤラレタという感じである。

帰宅してからネットのレビューを見まくった。これがパルムドールかとあきれる、とか、演者に頼り過ぎている、とか、金を払って観に来る価値のないものだった、とかの酷評もあったけれど、ohassy というひとの「見えないふりをしてしまいがちの闇をとても見やすい形に作り上げているのは、是枝監督の手腕だ…」という表現に、ご名答だと、思った。

カンヌの女性審査員はこぞって、女優陣をほめたたえた、というのはうなずける。

こんな栄誉を得たのに、政府は賛辞を贈らなかったらしいが、オリンピックだとか、おもてなしだとか、エエカッコしいばかりやってる場合なのだろうか、日本の現実の真実はまだ知られざるかなたにあるような気がする。

2018年7月 1日 (日)

終わっていないひと

この六月で息子が定年退職した。
こんなことに自分が遭遇するとは想像もしていなかったので、つくづく歳をとったものだと実感している。

五年まえ彼の会社が大手から吸収合併されて、おそらく一年しかいられないだろう、と言っていたのが、五年いられたのだから、それだけでもよく勤めていたのだろう。毎朝六時前に出かけて、深夜帰宅という日々だった。その遅い帰宅は必ずしも仕事のためばかりではなく、自分の時間に使っていたのかもしれないのだが、何しろ寡黙なのでよくわからない。三十年間一度も大病したこともなく、本当にお疲れさま、よくやったね、と親ばかかもしれないが褒めてやりたい。

第一園芸でセンスのいい、小ぶりの花束を売っていたので、それにFOR YOUというカードをつけて、夫と寄せ書きをしてデスクの上においた。

きょうは彼の一番大好物のコロッケを久しぶりに作って食べさせた。
この手のかかる惣菜を作れるのも今のうちかも知れないと思いながら、汗をぬぐいつつこしらえたのであった。

結婚という選択はしなかったけれど、妹と仲がよく、姪とはよくメールなどしあっている。孤独ではなさそうだ、というよりは、私に似て、孤独を好むところもありそうである。

再就職は難しいかもしれないが、まだ五十五歳、「終わったひと」ではない。
「終わっていないひと」であることを祈っている。

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