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2018年6月に作成された記事

2018年6月25日 (月)

二つのコンサート

孫娘が入団した交響楽団のコンサートがオペラシティコンサートホールであった。
ピアニストと、トランペット奏者との掛け合いがすばらしいショスタコーヴィチの協奏曲は圧倒的な迫力で、魅了された。
孫娘のトロンボーンの出番があるドヴォルザークの八番、これをコンセルトヘボウで聴いたときの感動がよみがえるほどの実力あふれる音の冴えある演奏だったと思う。管楽器の音があふれる中からトロンボーンの音を聞き分けることができた。演奏終了後、指揮者がトロンボーン奏者を称えて指さしてくれた感動をかかえながら、帰途につく。
いつも夜中に帰宅する息子も聴きに来ていて、タクシーで帰ろう、と言ってくれ、楽をすることができた。その日は右の足首の筋が痛かったので、本当に助かった。


ギル・シャハムを教えてくれたのは、弦の音を聴き分けるとりわけすぐれた耳を持つ友人Y子さんのおかげ。
紀尾井ホールはほぼ満席、前半の現代音楽は、ちょっと耳慣れがむずかしかったが、後半、無伴奏パルティータとフランクのヴァイオリンソナタは全身で聴きほれた。伴奏者江口玲さんとのコンビは円熟の極致、シャハムは今や年齢からしても絶頂期をむかえているのではないかと思える音であった。

わたしの難聴は完治していないけれど、このところ沢山聴いた最高級の音楽のおかげで、少しずつ良くなっているような気がしている。

2018年6月20日 (水)

柚木沙弥郎さんの世界 2.

ともかく、どうしても柚木さんの作品展を、この目で見て、素晴らしさを実感しなければ、と思った。24日まで駒場の日本民芸館で開催されている。

昨日はめずらしく梅雨の晴れ間の日だったので、民芸館なら何度も行ったことがあるから、大丈夫と思ってでかけたのだが、澁谷経由の井の頭線には乗りたくない、一番長く複雑に歩かされるから…と、ちょうど二子玉川行のバスが来ていたので、それに乗って、田園都市線から井の頭線への接続がいいのではないかと期待したのが、大間違い、降りてからも結構歩き、駒場東大前の西口からが、また結構歩き、着いた民芸館は、わたし同様、ウイークデイの梅雨の晴れ間をねらってきた人でいっぱいで、靴を脱いで上がらなければならず、その靴を各自、ビニール袋に入れて持ち歩かなければならないので、いろいろ疲れた。001
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それでも作品はどれも、目が吸い寄せられるほどの色彩と形の調和美の極致、とりわけ緑と紺色のものが何とも言えないほどの印象を刻み込む。
1976年作の注染雲文着物は忘れられぬ強烈な美しさだ。
そのそばにあった1998年作の型染草文のれんも、対照的な繊細さに満ちた作品だった。Photo


ちょうどお昼すぎだったので、駅そばで食事を、と思ったのだが、このあたりはおよそ入りたいという店はなく、そうかといってまた渋谷に戻る気はしなくなって、かつて何度も通った下北沢に出て、バス、バス接続で戻ることにした。

下北沢でよくランチを食べたイタリアレストランに入ったのだが、味が以前とまったく変わっていてがっかり、駒場の民芸館も、下北沢ももう、もう一度来たい場所ではなくなってしまったことを寂しく感じた。

帰宅してもう一度、録画しておいたあの日曜美術館の映像に浸った。
柚木さんもご立派だが、あの染職人のひとの支えが素晴らしい。六十年以上持続している二人の合作が作品により力を与えている。

柚木さんは芹沢銈介氏と師弟の間柄と知ったが、師より十年近くも長生きして、形と色の染の美を完璧に究める境地にまで達せられたのではないか、そう思った。

2018年6月19日 (火)

柚木沙弥郎さんの世界 1.

ロリポップ(棒つきアメ)をしゃぶりながら、うれしくなくちゃだめだ、と語る95歳の染色工芸作家、柚木沙弥郎さんを特集した日曜美術館を観たとき、わたしは彼の存在感に圧倒された。

染色作品の色といい、デザインといい、配色も形も、全体のバランスも、一度見たら忘れられない、魅力をたたえているが、染色だけにとどまらず、人形作りや、版画も多数の作品がすでにあると知り、ぜひ鑑賞したいものだと思った。
最後のほうで、いま、これが面白くてやめられないと言いながら、糊を塗りたくる作業が映された貼り絵、コラージュは作品としても本当に見事で、これもぜひ、どこかで展示してほしいと願わずにはいられなかった。

形というものはいずれは消え去る宿命だが、そのものが持っている物語、その形の命を感じるかどうかが肝心で、自分の命と形の命とが相互作用で呼応することで、よい作品が生まれるという言葉は忘れがたい。こういう形の命を感じることは家庭生活で家事をしている場合にも、料理の素材や、それを盛り付ける器、縫い物と生地の関係、それらをどこかで見たという形の持つ物語、衣食住すべてに、その観念は存在する。Photo


それを感じ取りながら、家事をすることは、生活への愛着を深めるのではないか、と思った。(続く)

2018年6月15日 (金)

難聴さわぎ 3.

難聴のほうの耳をおさえていい方の耳で聞いた音声と難聴の左耳だけで聴いた音声は明らかに違っていた。それでも電話の受話器はしっかり耳にくっつけて聴いているせいか、あまり聞き落としがなかった。
まずい薬を大量に飲み続けるのはかなり苦痛だった。それもどの程度効き目があるのか、半信半疑なので、余計まずさにうちのめされる。薬でストレスが増しそうだった。

そうしながらも私は敬語授業のテキストの改訂作業に勤しんだ。ございます表現などの追加事項とそれに関する、練習問題、CNNニュースの気になる表現、キャサリン妃の出産、ハリー王子の結婚、そして今回の北朝鮮との合議など最新のニュースの通訳表現の気になる部分、王室の方々への敬語不足や、あらたまった表現の和訳語選びのまずさなどを指摘させるための例題などをかなりの数、追加することになった。
その作業が終わった、服用五日目ごろから、難聴がうすらいでいるのを感じた。

そして七日目、検査結果の折れ線グラフは右左の赤、青二本がかなり接近していて、快方に向かっている、と医師も診たてを述べた。

薬を少しへらしてもいいと言ってもらえたので、あの水薬はやめてもらった。その一錠なしの三錠をまた一週間服用して結果を聞きに行かなければならない。

八十代の友人の今をどれほど知ったことだろう。鼓膜に水がたまったひと、耳の中にヘルペスができたひと、私自身の難聴同様、すべてストレスが原因だという。いつもより疲労を感じるのは自分だけではなかった。

夜寝つきが悪くて、毎日睡眠を深くするために誘眠剤をのむと言ったひとに励まされて、わたしは薬をのむことの拒否反応を少なくしていこうと思う。

2018年6月14日 (木)

難聴さわぎ 2.

難聴が起きた原因はストレスだと思う。このところ、教会の証し、その原稿提出、同窓会新聞の記事の原稿提出、数回のややこしい校正のやりとり、クラス会幹事のパソコン仕事など、疲れる仕事が重なり、ストレス過剰になっていた。
医師も私のケースはめまいもなく、ウイルス性のものでないと判断して、ステロイド使用を積極的にすすめなかったのだと思う。

ネットから、耳の血流をよくする耳たぶマッサージの効果を知ることができたので早速一日に二度試みている。
クラシック音楽治療もあるらしい。悪い方の耳は、むしろ使ったほうがいいらしいので、電話はそちらの耳で聞くのが習性になっているのを、そのままにした。そのときの聞こえ方で、聴力の回復判断もできるからである。

友人に片耳の聴力が弱くなっているひとが多いので、そのひとたちに電話して、こちらの症状を話し、彼女たちの経験を聞かせてもらった。

ひとりは十年以上も聴力が弱っていて、大勢の中で話すときには補聴器をつけることにしているという。スエーデン製のものが性能抜群なのだそうだ。和製ドラマを観ていても、字幕に直すときもあると聞かされ、わたしたち八十代はもうそういうときにきているのだと再認識した。

もうひとりのわたしより数歳年下の彼女、二十代から片方の耳だけ聴力が失せ始めていたのだと言った。わたしが耳鳴りがなかなかとれない、と嘆いたら、「わたしなんか、何十年耳鳴りしてるけど、こうして生きてるんだから、大丈夫よ」と励ましてくれた。

友人たちから、勇気をもらって、まずい薬をがんばって飲み続ける気力がでてきた。

幸いこの一週間なノースケジュールである。月末の敬語講義のテキスト見直しに専念できそうだ。家事の見落としもチェックし、夫と二人の食事メニューを充実させる心の余裕も出てきた。(続く)

2018年6月12日 (火)

難聴さわぎ 1.

気づいたのは、クラス会幹事の引き継ぎで、新宿のホテルレストランで会話しているときだった。
五人で話していたのだが、左端の友人の語尾がまったく聞き取れない。周囲がとくに騒がしいというわけでもないのに、これはおかしいと思った。かすかに耳鳴りもしている。

近所で名医という評判の耳鼻科は予約制になっていて、その日はもう締め切られていたので、翌日、国際婦人クラブの昼食会だったのだが、昼食が始まるときに脱け出して、午後の予約をとった。十二時からの予約受付で少し過ぎに電話したのにすでに15番。
その昼食会でも左隣りの後輩の声が、かなり早口のひとではあったのだけれど、完全に聴きとれていないのを感じた。

耳鼻科ですぐ聴力検査をした。医師は七年まえの、折れ線グラフを見せ、赤と青がぴたりと合っているのと、きょうの一センチほどずれてしまっているのを比べて指さしながら、言った。「左の耳が突発性難聴になっています。ステロイドはなるべく使いたくないので、これから処方する薬をしっかり一日に三度、一週間のみ続けて、また診せてください」
とても飲みにくいという、水薬一袋と、顆粒の薬二袋と錠剤一錠、四種、七日分、かなり重い包みを抱え、暗澹たる気持ちに浸りながら帰途についた。

毎日観ている『半分、青い』の主人公や、左耳が聞こえないというブリッジパートナーが急に身近になった気がしていた。(続く)

2018年6月 7日 (木)

アムラン、ブラヴィッシモ!!

二度目のシャルル・リシャール=アムラン、今回はヤマハホールと違って、オペラシティコンサートホール、堂々の大ホールでのコンサート、YAMAHAとはっきり名前の刻まれたピアノを携えてのシューマンとショパン、前半のシューマンはアラベスクと幻想曲、抒情性をあふれるほど表現するピアニッシモが素晴らしかった。幻想曲はソナタ形式なのに、途中で二度も拍手が入ったのは、残念。アムランも楽章の合間に何度も汗をぬぐうので、もしかして体調が悪いのではないかと心配してしまったけれど、幻想曲の聴かせどころのフォルテは見事にYAMAHAの音を効果的に響かせていた。

休憩後のショパン、バラード四曲、これぞショパン、華麗な和音をクレッシェンドで極まりへと誘導し、恍惚感をさそう。前々日、ある昼食会で、英国王立音楽院に留学し首席卒業を果たしたという日本人女性のバラードを聴いたばかりだったのだが、ミスなしで演奏を終えても、感動がなかったわけが、アムランの演奏を聴いてわかった。ピアノが歌っていなかったのだ。ショパンが歌いたかったようにピアノが鳴っている、その迫力、聴衆に雑念を抱かせず、すっぽり惹き込んでしまう引力たっぷりのド迫力のピアニズム、スゴイ、十分満足したのに、アムランは汗をぬぐいながらも、アンコール四曲、ノクターン、別れの曲、幻想即興曲、そして英雄ポロネーズ、と大サービス、ポピュラーすぎるくらいの名曲だからこそ、実感させられるこれぞ本物という極めつきの表現力と超絶技巧を展開してくれた。

英雄ポロネーズはYAMAHAピアノがこれ以上ないくらいふさわしい音を鳴りひびかせ、アムランも快感を極まらせたのではないかと思った。わたしもブラヴォーと叫んで立ち上がってしまったが、多くの聴衆も同じ気持ちだったらしく、ふりかえったら、半数以上がスタンディングオベーションだった。日本人聴衆の反応としては珍しかったのではないだろうか。

満足しました、アムランさん、もしかして日本がお好きなのでは?
九月にも再来日がある。
生きているうちに何度でも聴きたい、ブラヴィッシモ、アムラン!!

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