従姉妹たちは無事到着した。ただし成田からのタクシーは、夕方の交通渋滞で遅々として進まず、予定よりかなり遅れ、従姉妹は車酔いでフラフラになりつつホテルに着いた。
ティーンの孫娘たちは、美しく成長して、グランマをしっかり支えている。今回の訪日計画を整えたという娘も、二年まえに離婚して、仕事もかわり、少し余裕ができたそうで、落ち着いた表情だった。
二階の彼女たちの部屋に行ってしばし歓談。八畳の和室に、広い二人用のベッドルーム、見事な坪庭もついた四人が十分ゆったりと過ごせる居室、三泊のステイは快適に過ごせそうだった。
持参した、稲荷ずしと手製の酢の物、ゆであずき入りのゼリーなど、孫娘たちはおいしそうに食べてくれた。四人分のパスモを渡す。翌日の月曜は上野の美術館、博物館は休館なので、別のプランに変えるようにアドヴァイス、従姉妹は疲労困憊の様子なので、最初の計画どおり、ホテルに残って私がつきそうことになり、急きょ、89歳の兄も合流するというニュースも報告。
二時間近く英語をしゃべっていたら、頭がすっかり疲れて、慣れてくるどころか、もうしゃべりたくもない、という状態になってきたので、早々に帰宅することにした。
帰りの三田線、芝公園駅は下りのエスカレーターもなく、階段を50段くらい降り、疲労が増す。
やっぱり年齢相応の身体の衰弱を意識した一日だった。
翌日、兄と落合い、タクシーでホテルへ行くことになったが、どこで待ち合わせるかが、難題。
新しいところは間違いそうなので、澁谷のハチ公で、ということにした。
兄とは思ったよりも容易く落ち合えた。一年半ぶりぐらいの出会いだったが、目つきはしっかりしていて、認知症など全く寄せ付けそうもない、溌溂さが残っていて安心。
従姉妹の娘たちとも引き合わせ、彼女たちの外出前に、記念撮影をする。
さて、お昼、何を食べようか、ということになったが、従姉妹が和食がいいというので、地階のレストランに行く。幸い、そばとかウナギ、天ぷら、トンカツなどの、一品料理を食べさせる店があったので、そこに入り、兄と私は天ぷらつきのそば、従姉妹はぜひウナギを、と注文。うな重がとても従姉妹ひとりでは食べきれぬほどの大盛りで、彼女は店員に、宿泊客だからと断って、半分残したものを部屋に持って帰りたいと言ったが、アメリカでは(ドギーバッグ)どこでもOKなのに、お持ち帰りは衛生上を考慮してお断りしております、と言われてしまって、早くもカルチャーショックを感じさせられたらしい。
80、87,89歳三人の会話はもっぱら、昔話、思い出話が多かったが、従姉妹の日本語力も少しずつ回復してきて、とぎれることなく続いた。
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