西部邁さんのこと
西部邁という人を注目していた。テレビの討論番組にあらわれると、いつも雰囲気がピンと張りつめたようになる存在感を持ち、ひとにおもねたり、妥協するということを許さない、主張をもつ説得力ある発言が魅力だった。
その西部さん自死のニュースはそれだけでも衝撃だったのに、その場所が多摩川だったということが驚きを倍加した。しかも高齢には見えたけれども、同世代だったと知って、なおその事件が頭を離れなくなった。
惜しいひとを亡くした、そう思うひとはさぞ多かろうと察するのに、これは、という悼む言葉が見当たらない、一体どうなっているのだろう、と思っていた矢先、ようやく今日、朝日新聞に、これほどの文章はないというくらい見事な長文の追悼文が掲載された。
書き手は京大名誉教授佐伯啓思氏、十歳年下の傾倒者である。西部氏の死は「余人にはできぬ、その激しい生き方の延長上にある強い覚悟を持った死であった…どれほど高名な学者であれ、社会的な著名人であれ、その言動の根底に偽善やごまかしをみいだせば、西部さんは容赦なかった…過敏といってよいほどに繊細な感覚と激しい感情の持ち主であると同時に、冷めきったような理性と論理の持ち主であった…西部さんが歴史的な伝統から得たもっとも大事な価値は、義へ向けた精神であり、自立の矜持であり、節度であり、優れたものを前にした謙虚であり、逆にきらったものは、怯懦や欺瞞であり、虚栄であり、独善的な自己宣伝であった。そしてそうしたものの横行する戦後日本の大衆社会、とりわけ知識人を批判する舌鋒は誰よりも激しかった…」西部さんにわたしが惹かれたのはこういうところだったのか、と納得する分析であった。
西部さんが好んだというチェスタトンの言葉「一人の良い女性、一人の良い友、一つの良い思い出、一冊の良い書物」これさえあれば人生は満足なのだ、という。
チェスタトンを読みたくなってきた。
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