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2017年12月に作成された記事

2017年12月30日 (土)

大晦日をまえに

手作りおせちは黒豆、五目きんぴら、ナマス、田作りすべてできあがっていて、明日は雑煮を準備するだけになったので、気が楽になった。
きょうは鎌倉に墓参り、娘の運転で出掛ける。夫が助手席にすわり、ナヴィゲーターの役をしていたけれど、杖を持たずに出てきてしまうというハプニングがあり、あまり長く歩かせるのが不安だったので、墓参りを終えたあと、予定を変更して、パーキングを使わず、わたしがひとりで井上蒲鉾店での買い物をすました。
おでん種の種類がふえたようで、どれもおいしそう、京がんもまでそろっている。近所の豆腐店が閉店してしまったので、ここで買えたのは助かった。

きょうの鎌倉、人出は少な目だったが、いつも立ち寄る蕎麦店は十人ぐらい行列だったので、急きょ変更して逗子マリーナに行く。すっかり様がわりでパーキングそばにレストランなく、セレモニーホールらしきところのカフェでランチをとる。

帰宅したら、息子が何か手伝おうか、と言ってくれたので、ガラス拭きを頼んだ。わたしはやっぱり相当疲れていて、この辺で身体をいたわっておかなければ、と感じたので、30分マッサージをしてもらいに出かけた。

来年も忙しい。一月半ばごろに、福島の奨学生の選考委員会がある。候補者の資料を読まなければならない。それにこの年末になって、一月末の予定で、再び、待遇表現の講義の仕事の依頼が入った。
受講生は新しい人たちとのことだったが、授業内容はもう少し工夫が必要、その準備もしなければならない。

このところ人の名前が出てこないことが多い。隣組の人の名が急に出てこなくなって、確か木の多い名前だったと、ああでもない、こうでもない、といろいろ思案し、ようやく、そうそう、モリムラさんだった、と思いだすのに、15分ぐらいかかった。
授業は自分ばかりがしゃべらず、できるだけ受講生に意見を言ってもらう工夫をしなければ…

来年2月に80歳、こんなに長く生きるとは思わなかった。
身体の声をよく聴き、予定をなるべく減らして、ゆったりした日々を過ごせるようにこころがけたいと思う。
そういえば、去年もこんなことを書いたような気が…


2017年12月28日 (木)

歳末の築地

料理上手でこまめによくつくるひとでも、八十を過ぎると、もうおせちは作らない、お取り寄せにするとか、デパートで買うとか、になってしまうらしい。
わたしはまだやめたくない、年賀状はやめても、おせちはつくる。
黒豆は普段から煮ているから、簡単だし、五目きんぴらも切る作業だけすればあとはスイスイ、田作りはオーブンで焼くので、あっという間にできあがるし、ナマスも千切りさえすればいい、半日もかからずできるものばかりだし、うちの味が一番なのである。
きんとんと昆布巻きは買う、あと紅白のかまぼこ、二色玉子は墓参りの帰りに鎌倉の井上蒲鉾店で、というわけで、やはり買い物は、必要、そうだ、築地に行こう、と思い立った。

三年ぶりだろうか、地下鉄の築地駅を出て、場外がどちらの方向だったか、一瞬思い出せず、キョロキョロ…
007

まずは覚えていた、あの店で菜箸を買う。先のとがった抗菌のマークのついたこれこそ菜箸という使い良さの品。
008


夫にラッキョウを買おうと中川屋に入る。一番混む場所、中国語がとびかっている。
ラッキョウ、三つ試食してみて、甘目のに決める。「奥さん、混むから、ここを抜けて、左に出たら、歩けるよ」と店の奥を抜けさせてくれる。009


昆布巻き、中身がタラコのとニシンのと、300円という小さな袋入りを二つ、あと、キントンも中くらいを買って、乾物の店でシイタケと田作りの煮干し、トロロコブなども買って、まずは一段落。やはり築地はいい。デパートとは異なる活気が買い物の調達のわずらわしさを消し去ってくれる。010


ちょうどお昼になったので、寿司岩に入ってランチ。やはり築地のにぎりは口の中でとろけるようだ。ふと、家で留守番している夫のことを想った。彼の好きな中トロとアナゴと玉を握ってもらって持ち帰る。
おみやげは私のランチの倍の値段となった。

2017年12月26日 (火)

デイケアでの出来事

今年、初体験したことで、一番よかったと思うのは、デイケアに行き始めたことである。
お仲間たちはほとんどの方が外出困難をかかえている。その中では一番元気でいられることが、初めのうちはなにか申し訳ないような居心地の悪さを感じたりしていたのだが、今は違う。
参加するのが楽しみになってきたのだ。

何よりも、腰かけたまま、一時間かけて、身体のあらゆる部分を動かし、ストレッチする転倒予防体操と呼ばれる運動がいい。みなで合唱するように掛け声をかけるから、気分も高揚してくる。ボールを使う項目もあって、瞬発力も刺激してくれるし、更にハードな段階を求めるなら、マット体操もある。

わたしの膝はデイケアに行き始めてから確実によくなっているという実感がある。

きょうはまもなく百歳という女性の参加があって、しっかりしたお話ぶりにびっくりしてしまった。わたしはなるべく年上の方と話すようにしている。人生の先輩との会話は学ぶことも多く、励みになる。

体操のあと、きょうは更に、オイルによるハンドマッサージの指導があったのだが、そこで驚くべき出来事があった。大病を患ったあと、身体の節々が硬くなってしまったの、と85歳の参加者が握れなくなっている手を見せたのを、皆は目撃していた。
マッサージの指導者はとても巧みに、優しく、ひとりひとりの手をさわり、マッサージを施してくれながら、マスターできるように教えてくれた。
オイルはドイツ製のヴェレダアルニカ、徐々にオイルがしみこんで、手をふかなくてもいいくらい、十分にマッサージがいきわたったと思われたとき、手が握れなかったひとが声をあげた。
あ、握れる~!!2017122612390000


そのしっかりした握りこぶしに、皆がみとれ、まさに感動の声をあげたひとときでだった。

2017年12月23日 (土)

早めのクリスマス

クリスマスとクリスマス生まれの孫娘のための集まりは、娘の家が浴室の改装中なので、我が家ですることになっていたが、孫娘がトロンボーンの出番がないとかで、上京するのが22日ということが間際になってわかったため、きのう急遽、集合することになった。
孫息子は夫の意見を訊く用事があるから、と午後に来て、夜は食べない、遅めのランチを頼みたいというので、ランチは夫が得意のドライカレーをつくり、夜はわたしがローストチキンつくることにした。

さて、そのチキン、前日、澁谷の東急で調達したのだが、値段の高騰ぶりに驚いた。久しぶりに丸焼きをしようかと精肉売り場に行ったら、なんと一羽9000円もするのに、あきれ、骨付きももにきりかえた。夫はチキンを食べないので、ミートローフ、この日はわたしもミートローフにつきあい、24日夜、息子のためにもう一度チキンを焼くときに一緒に食べることにする。

孫息子は年賀状を、ばぁば、この位置ちょっとずらしたら? などとデザインの修正をしてくれて、40枚プリントするという、手助けをして帰っていった。

チキンはネットで見つけたレシピ、白ワイン、ブイヨンにマリネするやり方を採用、但しクッキングシート上で焼くのではなく、セロリの葉や、人参、玉ねぎなどを敷いた上にのせて、ついでにオリーブオイルをかけたポテトもまわりにおいておよそ20分、230度Cで焼いてみた。一度取り出し、さらにバターを塗って、5分ぐらい焼いて仕上げする。これが大成功、娘も孫娘もまったく骨だけにするぐらい、パクついていた。

バースデーケーキは娘が自由が丘のダロワイヨで買ったもの、雪だるま状のこれが、クリームいっぱいの割には、軽い口当たりで、まことに美味であった。004


孫娘へのプレゼントは一人住まいの料理のヒントにと、近頃見つけたおすすめ本『何もつくりたくない日の爆ラク!小鍋』、これは付箋十枚以上を貼って、すでに愛用しているのだが、鍋好きの彼女はことのほか喜び、やれやれであった。Photo


2017年12月20日 (水)

うれしかった一日

美容院に行く時間がようやくとれたので、火曜でも営業している、いつものところにTELしたのだが、とれる予約は4時半だというので、困った。その時間帯はSさんが冷蔵庫を掃除しにきてくれるので在宅していなければならない。いったん電話を切って、思案し、火曜日営業の美容院をネット検索してみた。

幸い徒歩距離の雪が谷に見つかったその一軒にTELしたら、一時間後の予約がとれたので、急ぎ出かける。
若い男女のスタイリスト二人がいるその店、毎日スタイリストが替わるシステムなのだとか、男性の彼はなかなか手際がよくて、しかもカットとヘアマニュキアで7500円、いつものところより3000円も安いのにびっくり。
世間話をしながら、彼がウイッグ業界で仕事をしたことがあるというので、値段や、装着具合などの情報をもらった。

最近のブリッジトーナメントでオポーネントの女性のヘアーが白と黒との半分ずつになっているので、随分変わったスタイルだと思っていたら、その半分の黒がいきなりずり下がってきたので、ようやくウイッグがはずれかけていたのだとわかった。あらわになった白いほうはほとんど毛がなくて、部分かつらの安定度が失せたものらしい。
ウイッグも苦労が要るという話になったので、恐る恐る訊いてみた。わたしって、ハゲてる?
応えは、「とんでもない、十分あります、大丈夫ですよ。細いけどやわらかくて、まっすぐないい毛ですね」に大いに安心し、こころが晴れた。

冷蔵庫の掃除は大変だった。およそ三か月以上も放ってあったので、中の点検が十分でなく、不気味な中身が入っているタッパーだとか、賞味期限切れの瓶詰や、調味料チューブとかの燃えるゴミ満タンの二袋を捨てる。Sさんは中の棚板や引出しを全部とりはずして、洗い、ピカピカにしてくれた。彼女自身も膝を傷めているのだけれど、屈んでする力仕事でなければ、ひと月に一度くらいはヘルプに応じてくれる。これも二十年の付き合いがあるからだ。家事手伝いは機械ですまされるものではない。キッチンの汚れは放っておくと限りなく溜まる。ロボット掃除機ではとれぬような隅の奥のほうにも心を寄せてゴミをとりのぞいてくれる人間の手を借りるのには、インスタントでは築けない、人間関係の蓄積も必要となる。

夜、インターネットのブリッジトーナメントで三か月ぶりに、いつものパートナーのAさんと一位を獲得した。彼も夫人が入院したあと、家事を手伝うようになり、湯たんぽを自分でお湯をわかして入れようとして火傷し、前回のトーナメントでは指先だけでる手袋をして痛々しかった。
久しぶりの快挙で、すこしでもこころが晴れれば、と思ったことだった。

2017年12月17日 (日)

年賀状事情

年賀状をいつやめるか、という問題はこの数年あたまに渦巻いていた。
そしてそれを、来年から、と、ようやく決心をつけた。

年賀状をやりとりしている多くのひととは頻繁につきあっておらず、年賀状で消息を知らすという状況で、頻繁に会うひととはむしろ年賀状はとりかわせず、年初めに出すメールで挨拶を交わすだけとか、電話だけの挨拶ですますとか、音楽つきの動画のメールを送る単純作業に頼ったりしているからである。

さて、決心して、挨拶状づくりを始めたのだが、これが大変だった。わたしの年賀状は手作りなので、差し込み文書の年賀状で決めた形式に自分の写真を入れ替えるということにしていたのだが、今回は挨拶状の文章を入れなければならず、それを規定のわくにあてはめるのに大層手間取ることになった。
それと写真も適当なものがなかったので、孫娘がコンサートをしたとき、わたしと一緒に撮った写真をほかのひとを除外して二人だけにすることにした、その修正技術にまた手間取ることになった。
挨拶状に孫娘のことを書き、来年の私の楽しみはは彼女の仕事場に行き、帰りに温泉につかることだと書いたためなのだが、調整があまりうまくいかないので、孫息子が22日に来ることになっているその日まで待とうかとよほど思ったのだが、隣に並んでいた彼を除外してしまうことに気を悪くするのではないか、と懸念したりして、やはり自分だけで何とかしようと、考え直して、のばしたり、縮めたり、三日がかりで、なんとか仕上げた。

もっと手早くできる方法があったかも知れないのに、マニュアルをみるのが億劫で、ネットを開いてやり方を読んでみたりもするのだが、ますます難解になり、それもあきらめ、結局、いじりまくっていたら、なんとかなった。

メカに弱いわたしがこれだけできるようになったというのも、それなりに慣れたせいなのかもしれないけれど、も~お、イヤ、来年からは、のんびりしようとつくづく思ったのだった。

2017年12月13日 (水)

師走の一日

きのうは一日に二つの場所に出かける、かなりハードな一日、午前中は国際婦人クラブの奨学生選考委員会の初会合、午後は阿佐ヶ谷のブリッジ名人のお宅でのレッスン。
委員会は11半過ぎ、思いのほか早く終わったので、名人先生お手作りのスープつきランチに間に合った。

二十数年以上も、このゲームをしているのに、奥の深さ、むずかしさを再発見するばかりだ。ゲームが進むにつれ、カードの別れをすばやくキャッチする能力の弱さを痛感する。
それなのに、この面白さにはまるばかりである。こんなわたしでもさそってくれるパートナーたちを失望させぬために、少しでも努力しなければ。

帰途、いつものように阿佐ヶ谷商店街に気に入りの店を見てまわる。
ドア飾りのリース、確か、去年新しいものを買った記憶があるのだが、玄関そばの戸棚をひっくり返して探す気がおきない。中のものを全部出して片づけつつ、探すということがすごく億劫なのである。手ごろな値段で代わりのものがなにかないものか?

いつも必ず立ち寄る生花店に、それは、あった。
スワッグ、花束状につくったドア飾り、今年はこれがトレンドだとネット記事が語っていた。
作ったばかりだというそれが飾ってあって、わずか900円。さっそく購入。

帰宅したら、夫が味噌汁、小松菜の煮びたし、シャケなどの朝ご飯的夕飯を作ってくれてあった。家を出るまえにそのメニューに必要なものをすべてテーブルに並べ、レシピも書いておいたのだけれど、味は上々。

踏み台を出してスワッグを自分でつける。
なんだかうれしくなって何度も外に出て眺めた。003


2017年12月 6日 (水)

『夫の後始末』読後感 2

この本に期待した、介護にまつわる冷静な知恵のほうは、確かに語られている。
付箋をかなり貼った部分だ。
著者が尊敬する老医師から学んだ人間の最期に臨んでやってはいけないこと三つ。
1. 点滴ないしは胃瘻によって延命すること
2. 器官切開をすること
3. 酸素吸入

聴力を失うと認知度が早まる。
よい習慣は幼いうちからつけておかないと、認知度が落ちてくるにつれて、それが顕著にあらわれてくる。
会話力は若い時からやしなっておくべきである。高齢になっての幸不幸にかかわってくる。

著者に大きく共感した部分。
60歳ぐらいから医療機関での検診を受けなくなったこと。
「特権階級だけ」が享受できる現生の快楽、たとえば、高級レストランの食事の贅沢や、高級旅館、ホテルの宿泊など、そういうけたはずれな贅沢を求めずに死ぬのが爽やかな人生であるという主張。

曽野綾子さんが文壇に登場したときから、わたしは熱烈なフアンになった。初期の作品がすべて購入して楽しみつつ、共感を持って読んだ。中、上流家庭にひそむ、危機感を表現することが巧みで、描写力ばかりでなく、独特の人生観が語られているのに惹かれた。出版社もそれを鋭く見抜いていて、その至言ばかりを集めたアンソロージーのような本も何冊が出版され、その人生をとらえる力量が前面にでてきて、時代のオピニオンリーダーのような存在になってきた。
その時点から彼女の作品を好んで読むことをしなくなっていたのだけれど、やはり専業主婦がすがりたくなるような、人生とは、を語る指摘の鋭さには脱帽する。

作家としても評論家としても名声を得て、この著書もすでに9万部を超える売れ行きというから、著者の何不自由ない生活を想像するが、「物質面では人並みか、ほんの少しゆとりがあるくらいが一番幸福」という至言がどこからくるのか、その実例や、エピソードの詳述がもっとほしかったと、切に思った。

2017年12月 4日 (月)

『夫の後始末』読後感 1

一カ月半前に、書店では売り切れ、版元からもいつ入るか不明という情報に、あえて、アマゾンからプレミアムつきの値段で購入したこの本、およそ一日で読破してしまったのに、すぐ感想を書く気にならず、放ってあった。

それほど感動が少なく、突き動かされるような読後感が湧いてこなかったからだ。

『夫の後始末』とはかなり過激なタイトルである。さぞかし、介護の詳細とそれに伴う、著者独特の冷静な知恵が語られているのだろうと期待したのだが、エピソードは少なめで、自身の経験から発想するオピニオンリーダー的記述がきわめて多い。

なぜなのか? 本の後ろのほうに小さい字で、2016年、つまり朱門氏が亡くなる半年前から『週刊現代』にすでに三回、関連記事を載せていたという記述があり、今回のこの著書は、それに加筆、修正を加えたものであることがわかった。
著者にはすでにいつかこの日がくるという予感があって、介護時の記事を執筆し始めていたのである。

長年連れ添った配偶者を失い、ひたひたと押し寄せてくる回顧の情に書かずにはいられない、衝動を持ち続ける、というような感情があらわれていないのは、そのせいなのではないかと判断した。

三浦朱門さんにもかつて1991年に『親は子のために死すべし』という強烈なタイトルの著書がある。私は過激なタイトルにばかされるミーハーで、このときもこの著書を真っ先に買って読んだ。92歳の父親を介護する息子65歳の実情。老いの悲劇は当人の悲劇ではなく傍らにいる者の悲劇である、という記述があった。曽野夫人ともども、死ぬなら85歳が頃合いだと合意しており、それを過ぎたら活かすより、軟着陸を考えるべきだという主張もあった。それが91歳まで生きられ、夫人ももう85を過ぎている。その感想を知りたかったと思った。(続く)


2017年12月 1日 (金)

サントリーホール周辺のライトアップ

娘と孫息子と三人で、ウイーン交響楽団のマーラーを聴きに、サントリーホールへ。
これ以上ないくらい、聴くものの魂を奪う、マーラーだった。
つくづくマーラーの音楽は過去と未来をつなげる役割をしていると思った。

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六本木一丁目駅のそばのライトアップ。

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サントリーホールそばのツリー。昨年のと似ているけれど…。


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